ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

恩賜賞 (日本学士院)

索引 恩賜賞 (日本学士院)

恩賜賞(おんししょう)とは日本学士院の賞である。日本学士院は学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。日本学士院による賞は、日本の学術賞としては最も権威ある賞である。恩賜賞は日本学士院による賞の中でも特に権威あるもので、本来は日本学士院賞(帝国学士院賞)とは別個の賞であったが、1970年からは毎年9件以内授賞される日本学士院賞の中から特に優れた各部1件乃至2件以内に皇室の下賜金で授賞されるものとなっている。1911年創設。.

395 関係: ABO式血液型加藤和也 (数学者)加藤繁原子核反応原亨吉博士(工学)博士(医学)博士(理学)博士(経済学)博士(農学)博士(薬学)博士(法学)博士(文学)十倉好紀古在由秀古畑種基向山光昭吉川一義吉田卯三郎吉田富三吉田耕作坪井誠太郎坂田昌一堀場信吉堀内寿郎増本量大矢透大隅国夫馬進外村彰奥野高廣妹沢克惟宮田秀明宮次男宮本又次家永三郎宇野円空審良静男寺田寅彦富士川游小島憲之小川尚義小倉進平小田稔小脳小野組小林芳規小林行雄小沢儀明小惑星...山崎一雄山中伸弥岡田善雄岡部金治郎岸義人岸本忠三中西香爾中西重忠中間子中村元 (哲学者)中村栄孝丹羽保次郎布施現之助万有引力三島徳七三上次男三経義疏三階教三根谷徹三浦周行平瀬作五郎幾何学幕末久保亮五久野寧人工多能性幹細胞人工衛星井戸泰今井功 (物理学者)仁井田陞仏教仏性仲宗根政善伊藤正男 (生理学者)伊藤清佐伯富佐佐木信綱佐々木隆興佐竹明佐藤次高徳富蘇峰後藤格次信夫淳平志田順志方益三土星地震波地殻化学反応マルティン・ルターマルセル・プルーストマレーシアユーカラヨハネの黙示録ローマ法ブレーズ・パスカルテルペン分子分光法周公旦呉建和田英松和達清夫アミノ酸アポトーシスアイヌイチョウインターフェロンイギリスカーボンナノチューブコムギソテツタンパク質唐令拾遺唾液腺冲中重雄八代国治光弾性前田惠學国際法皇室矢吹慶輝石原純石坂公成石川謙火成岩神戸正雄福山敏男租税秀村選三稲田龍吉竹島卓一素粒子細野秀雄緒方知三郎田原淳田中靖郎田仲一成田村実造熊田誠物部長穂相対性原理白血病花山信勝莫高窟聖徳太子須磨千頴表章衛星飯島澄男西夏語西田龍雄西村暹角谷静夫諸熊奎治高崎直道高田修高橋信次 (放射線医学者)足立文太郎辻二郎辻善之助近藤淳能勢朝次都築忠七能楽胃癌船田享二赤崎勇関数 (数学)薩摩藩藤田良雄藤本隆宏 (経営学者)肝癌邨岡良弼醍醐寺野口英世量子論自律神経系金 (王朝)金田一京助長広敏雄長田重一長慶天皇雲崗石窟電子顕微鏡T細胞X線柳田充弘柳田敏雄柴田雄次柴田桂太林忠四郎林泰輔林文夫掛谷宗一恩賜賞 (日本芸術院)恒星松下忠松村剛松村武雄松本栄一松浦純村上哲見杉村隆核酸森和俊武藤清水野清一永宮健夫江口徹江橋節郎江戸時代池野成一郎油脂沼田頼輔法制史深尾良夫湯川秀樹朝比奈泰彦木原均木村栄木村泰賢本庶佑有賀長雄浅島誠新関良三日露戦争日沼頼夫日清戦争日本の仏教日本学士院日本学士院学術奨励賞日本学士院エジンバラ公賞日本学士院賞日本芸術院日本芸術院賞放射線1911年1912年1913年1914年1915年1916年1917年1918年1919年1920年1921年1922年1923年1924年1925年1926年1927年1928年1929年1930年1931年1932年1933年1934年1935年1936年1937年1938年1939年1940年1941年1942年1943年1944年1945年1946年1947年1948年1949年1950年1951年1952年1953年1954年1955年1956年1957年1958年1959年1960年1961年1962年1963年1964年1965年1966年1967年1968年1969年1970年1971年1972年1973年1974年1975年1976年1977年1978年1979年1980年1981年1982年1983年1984年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年19世紀2000年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年2017年2018年4月14日4月26日5月10日5月11日5月12日5月13日5月14日5月15日5月16日5月18日5月20日5月21日5月22日5月23日5月25日5月27日5月30日5月31日5月8日6月10日6月11日6月12日6月13日6月14日6月15日6月1日6月22日6月2日6月6日6月7日6月8日6月9日7月1日7月2日7月3日7月5日7月7日 インデックスを展開 (345 もっと) »

ABO式血液型

ABO式血液型(ABOしきけつえきがた)とは、血液型の分類法の一種。ヒトの場合はA、B、O、ABの4型に分類する。型を決定する対立遺伝子はA、B、Oの3種、遺伝子型はAA、BB、AB、AO、BO、OOの6種がある。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とABO式血液型 · 続きを見る »

加藤和也 (数学者)

加藤 和也(かとう かずや、1952年(昭和27年)1月17日 - )は日本の数学者。シカゴ大学教授。東京大学名誉教授。和歌山県生まれ、愛媛県育ち。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と加藤和也 (数学者) · 続きを見る »

加藤繁

加藤 繁(かとう しげる/しげし、1880年9月3日 - 1946年3月7日)は、明治から昭和前期にかけての東洋史学者。名前の読み方については2説あり、戸籍上は「しげし」が正しいとする説もあるが、加藤自身は「しげる」と称していた。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と加藤繁 · 続きを見る »

原子核反応

原子核物理学における原子核反応(げんしかくはんのう、nuclear reaction)または核反応とは、入射粒子が標的核(原子核)と衝突して生じる現象の総称を言う。大別して、吸収、核分裂、散乱の三つがあるが、その反応過程は多彩で統一的に記述する理論はまだない。 核反応においては、電荷、質量数、全エネルギー、全運動量が保存される。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と原子核反応 · 続きを見る »

原亨吉

原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012年3月20日)は、数学史家、フランス文学者、大阪大学名誉教授。 京都市出身。姫路市に育つ。第一高等学校理科乙類を経て、1938年京都帝国大学哲学科入学、1940年退学し1942年東京帝国大学仏文科卒業。1942年入営し少尉で敗戦、1945年8月20日中尉(いわゆるポツダム中尉)で除隊、1947年同志社女子専門学校教授、1949年関東学院大学経済学部助教授。 1955年大阪大学文学部助教授、1963年パリ大学に留学し1965年博士号を取得し帰国、1970年教授、1974年評議員、フランス政府よりパルム・アカデミーク勲章を授与、1982年定年退官し名誉教授、天理大学教授。1982年に「パスカルの数学的業績(“L'ŒUVRE MATHEMATIQUE DE PASCAL”)」で日本学士院恩賜賞を受賞、1989年勲二等瑞宝章受章。 フランス科学思想史、近世ヨーロッパ数学史を専攻し、ルネ・デカルト、ケプラー、ホイヘンス、ロベルヴァル、ライプニッツを軸に研究論文・翻訳を行い、フランス語教育にも長くたずさわった。若き日はスタンダール、アラン、ヴァレリーらの翻訳も行った。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と原亨吉 · 続きを見る »

博士(工学)

博士(工学)(はくし こうがく)は、博士の学位であり、工学(機械工学、電気工学、情報工学、建築工学、化学工学、など)に関する専攻分野を修めることによって、1991年以降に日本で授与されるものである。 1991年以前の日本では、工学博士(こうがくはくし)という博士の学位が授与されていた。1991年以降では、工学博士で扱われていた領域は、「博士(工学)」以外に「博士(建築学)」、「博士(芸術工学)」、「博士(国際情報通信学)」、「博士(情報科学)」などに細分化されている。 工学博士は、1887年(明治20年)制定の学位令において、文部大臣より授与される5種類の博士のうちの1つとして定められた。 英語表記では、Doctor of Philosophy in Engineering (Ph.D. in Engineering) とする場合(筑波大学など)や、Doctor of Engineeringとする場合(明治大学など)がある。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と博士(工学) · 続きを見る »

博士(医学)

博士(医学)(はくし いがく、Ph.D in Medicine, Doctor of Medical Science)は、医学に関した博士の学位である。 日本においては、1991年(平成3年)に学位規則(昭和28年文部省令第9号)が改正される前には医学博士(いがくはくし)という名称で学位が授与されていた。1991年以降は、「博士(医学)」のみが授与されている。しかし、1991年以降の授与者でも名刺や肩書きの紹介などに「医学博士」という名称をしていることもある。医学博士は、1887年(明治20年)制定の学位令において、文部大臣より授与される5種類の博士のうちの1つとして定められた。日本で最初に医学博士を授与されたのは、池田謙斎(1888年)である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と博士(医学) · 続きを見る »

博士(理学)

博士(理学)(はくし りがく)は、博士の学位であり、理学(数学、物理学、化学、生物学、地学など)に関する専攻分野を修めることによって、日本で授与されるものである。 1991年(平成3年)以前の日本では、理学博士(りがくはくし)という博士の学位が授与されており、理学博士は、現在の「博士(理学)」とほぼ同じものである。 理学博士は、1887年(明治20年)制定の学位令において、文部大臣より授与される5種類の博士のうちの1つとして定められた。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と博士(理学) · 続きを見る »

博士(経済学)

博士(経済学)(はくし けいざいがく)は、博士の学位であり、経済学に関する専攻分野を修めることによって、日本で授与されるものである。 1991年以前の日本では、経済学博士(けいざいがくはくし)という博士の学位が授与されており、経済学博士は、現在の「博士(経済学)」とほぼ同じものである。大学院によっては、博士(経済学)の中に、博士(経営学)や博士(商学)の対象とする研究領域を含んでいる場合が多い。 経済学博士は、1920年(大正9年)の学位令改正により追加された。それ以前は、法学博士の中に経済学の研究に関するものが含まれていた。日本で初めて経済学博士を授与されたのは、寺島成信(1923年。授与機関は東京帝国大学)である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と博士(経済学) · 続きを見る »

博士(農学)

博士(農学)(はくし のうがく)は、博士の学位であり、農学(畜産、園芸、農業、林業など)に関する専攻分野を修めることによって、日本で授与されるものである。 1991年以前の日本では、農学博士(のうがくはくし)という博士の学位が授与されており、農学博士は、現在の「博士(農学)」以外に「博士(畜産学)」、「博士(林学)」、「博士(農芸化学)」とほぼ同じものも含んでいる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と博士(農学) · 続きを見る »

博士(薬学)

博士(薬学)(はくし やくがく、英:Doctor of Pharmacy)は、博士の学位であり、薬学(医薬化学、天然物化学、生薬学、薬理学、病理学、薬物動態学、生理学、生化学など)に関する専攻分野を修めることによって、日本で授与されるものである。学士(薬学)、修士(薬学)の上位の学位に当たる。 1991年以前の日本では、薬学博士(やくがくはくし)という博士の学位が授与されており、薬学博士は、現在の「博士(薬学)」とほぼ同じものである。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と博士(薬学) · 続きを見る »

博士(法学)

博士(法学)(はくし ほうがく)は、法学に関する専攻分野を修めることによって、日本で授与されている博士の学位である。1991年以前の日本では、学位規則により個別の学位の名称が定められていたので、法学博士(ほうがくはくし)という博士の学位が授与されており、法学博士は、現在の「博士(法学)」とほぼ同じものである。 法学博士は、1887年(明治20年)制定の学位令において、文部大臣より授与される5種類の博士のうちの1つとして定められた。 研究業績を学位請求論文として提出し、審査を経て授与される「博士(法学)」と、法科大学院修了者に授与される法務博士(専門職)は、いずれも法および博士の字を含む点で類似の名称となっているが、研究に対して授与される学位と、履修に対して授与される専門職学位という違いがあり、その内容と評価は全く別個のものである。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と博士(法学) · 続きを見る »

博士(文学)

博士(文学)(はくし ぶんがく)は、人文科学(哲学、史学、文学を含む広義での文学)に関する専攻分野を修めることによって、1991年以降に日本で授与されている博士の学位である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と博士(文学) · 続きを見る »

十倉好紀

十倉 好紀(とくら よしのり、1954年3月1日 - )は、日本の物理学者。東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻教授・理化学研究所 創発物性科学研究センター(CEMS)センター長。 専門は物性物理学である。電子型高温超伝導体の発見、酸化物巨大磁気抵抗(CMR)効果の発見と機構解明、マルチフェロイックスの巨大電気磁気効果の発見、磁気スキルミオンの観測と物性解明など多数の顕著な業績を挙げている。 同僚の樽茶清悟とは大学時代の同級生である。実兄の十倉雅和は住友化学代表取締役社長。兵庫県西脇市高田井町出身。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と十倉好紀 · 続きを見る »

古在由秀

古在 由秀(こざい よしひで、1928年4月1日 - 2018年2月5日)は、日本の天文学者交詢社 監修 『日本紳士録 第78版』 交詢社出版局 編集、ぎょうせい 発行、2004年4月5日、こ 436頁。。専門は、天体力学。最後の東京天文台長・初代国立天文台長である藤井旭「初代国立天文台長 古在由秀先生が文化功労者として選出 顕彰記念祝賀会が開催」『天文ガイド』2010年4月号 誠文堂新光社、26頁。。2016年現在、群馬県立ぐんま天文台名誉台長、東京大学・総合研究大学院大学・国立天文台の各名誉教授でもある。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と古在由秀 · 続きを見る »

古畑種基

1956年 古畑 種基(ふるはた たねもと、1891年(明治24年)6月15日 - 1975年(昭和50年)5月6日)は、日本の法医学者。医学博士フ106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月3日閲覧。38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月5日閲覧。。東京大学名誉教授コトバンク。2016年11月3日閲覧。。科学警察研究所所長を務め、科学捜査の研究に寄与。日本の法医学の草分けの一人である。ABO式血液型の研究に多大な功績を残した。その一方でその鑑定方法には疑問が持たれるものもあり、冤罪事件への影響の大きさでも知られる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と古畑種基 · 続きを見る »

向山光昭

向山 光昭(むかいやま てるあき、1927年1月5日 - )は日本の有機化学者。長野県伊那市出身。 東京大学名誉教授。東京工業大学名誉教授。東京理科大学名誉教授。前社団法人北里研究所基礎研究所有機合成化学研究室 名誉所員兼室長。現在、東京化成工業株式会社基礎研究所技術顧問。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と向山光昭 · 続きを見る »

吉川一義

吉川 一義(よしかわ かずよし、1948年1月31日 - )は、日本のフランス文学者、京都大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪府立高津高等学校を経て、1970年東京大学文学部仏文科卒、1972年同大学院人文科学研究科修士課程修了、1977年同博士課程単位取得満期退学、ソルボンヌ大学博士号取得。東京都立大学教授を経て京大文学部仏文科教授、同文学研究科教授、2013年に定年退任し名誉教授。日本フランス語フランス文学会会長を務めた。 プルーストと美術の関係を専門とする。2009年より日本フランス語フランス文学会会長。2010年に、フランス政府から芸術文化勲章(オフィシエ級)を受章、アカデミー・フランセーズ(フランス学士院)より、学術大賞の一つ「フランス語フランス文学顕揚賞」(1960年設立)を受賞した。2011年『プルーストと絵画芸術』で仏本国のカブール=バルベック・プルースト文学サークル文学賞受賞。2012年春に、日本学士院賞・恩賜賞を受賞。 この数年は、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』の個人全訳に取り組んでいる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と吉川一義 · 続きを見る »

吉田卯三郎

吉田 卯三郎(よしだ うさぶろう、1887年3月10日 - 1948年4月12日)は、日本の物理学者。愛媛県出身。主な著書に「物理学」、「物理学実験」がある。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と吉田卯三郎 · 続きを見る »

吉田富三

吉田 富三(よしだ とみぞう、1903年(明治36年)2月10日 - 1973年(昭和48年)4月27日)は、日本の病理学者。福島県石川郡浅川村(現・浅川町)生まれ。 ラットの腹水癌である吉田肉腫と腹水肝癌の発見で実験腫瘍学に新たな扉を開いた。財団法人癌研究会癌研究所長、日本学士院会員、日本学術会議会員・副会長(第6期)、国語審議会委員(第1-6期)などを務めた。テレビディレクターの吉田直哉は長男である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と吉田富三 · 続きを見る »

吉田耕作

吉田 耕作(よしだ こうさく、1909年2月7日 - 1990年6月20日)は日本の数学者。専門は関数解析学および確率論。これらの分野において数々の重要な業績があるが、特に、半群理論において「ヒレ・吉田の定理」(1948年)は国際的によく知られる。日本国内では、関数解析学の草分けであり、後進の育成に尽くし、多数の著作がある。また、(社)日本数学会理事長を計7期務めた(1957年度、1959年度、1962年度、1964年度、1965年度、1967年度、1972年度)。これは、彌永昌吉に次いで2番目の多さである。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と吉田耕作 · 続きを見る »

坪井誠太郎

坪井 誠太郎(つぼい せいたろう、1893年9月8日 - 1986年9月22日)は、日本の地球科学者。専門は、地質学・鉱物学・岩石学。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と坪井誠太郎 · 続きを見る »

坂田昌一

坂田 昌一(さかた しょういち、1911年1月18日 - 1970年10月16日)は日本の物理学者。元名古屋大学教授。湯川秀樹、朝永振一郎とともに日本の素粒子物理学をリードした。 特に、1950年代半ばから1960年代半ばまで、坂田の率いるグループは素粒子の構造に関しては、世界の最先端を走り続け、素粒子論の基本構造を解明し、追随をゆるさなかった。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と坂田昌一 · 続きを見る »

堀場信吉

堀場 信吉(ほりば しんきち、1886年1月29日 - 1968年2月16日)は、日本の物理化学者ならびに教育者である。京都府生まれ。堀場製作所の創業者である堀場雅夫の父である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と堀場信吉 · 続きを見る »

堀内寿郎

堀内 寿郎(ほりうち じゅろう、1901年9月17日 - 1979年6月27日)は日本の理学博士である。化学反応速度論や触媒研究に大きく貢献した科学者である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と堀内寿郎 · 続きを見る »

増本量

増本 量(ますもと はかる、1895年(明治28年)1月9日 - 1987年(昭和62年)8月12日)は、日本の金属物理学者。東北大学名誉教授。広島県安芸郡矢賀村(現広島市東区矢賀町)出身。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と増本量 · 続きを見る »

大矢透

大矢 透(おおや とおる、1851年1月4日(嘉永3年12月3日) - 1928年(昭和3年)3月16日)は、日本の国語学者。仮名の歴史的変遷や上代日本語の音韻を解明したことで有名。また、『隋唐音図』において、反切に基づく漢字の音読み(漢音部分)を網羅的に比定した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と大矢透 · 続きを見る »

大隅国

大隅国(おおすみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と大隅国 · 続きを見る »

夫馬進

夫馬 進(ふま すすむ、1948年4月7日 - )は、日本の歴史学者、京都大学名誉教授。専門は中国社会史。愛知県出身。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と夫馬進 · 続きを見る »

外村彰

外村 彰(とのむら あきら、1942年4月25日 - 2012年5月2日)は、日本の物理学者。元沖縄科学技術大学院大学教授、学習院大学理学博士、名古屋大学工学博士。日本学士院賞恩賜賞受賞。文化功労者。日本学士院会員。米国科学アカデミー外国人会員。日本学術会議議員。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と外村彰 · 続きを見る »

奥野高廣

奥野 高廣(おくの たかひろ、1904年8月21日 - 2000年5月5日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所助教授。文学博士。現在でも織田信長研究の権威と評されている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と奥野高廣 · 続きを見る »

妹沢克惟

妹沢 克惟(せざわ かつただ、1895年(明治28年)8月21日 - 1944年(昭和19年)4月23日)は日本の地球物理学者、地震学者。東京帝国大学地震研究所所長。弾性力学研究者としてしられている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と妹沢克惟 · 続きを見る »

宮田秀明

#宮田 秀明(みやた ひであき、1944年8月27日 - )は、日本の公衆衛生学者、摂南大学薬学部薬学科名誉教授。専門は環境科学、食品衛生学、公衆衛生学、環境影響評価・環境政策 、放射線・化学物質影響科学 、医療社会学 。農学博士(大阪府立大学、1979年)。ダイオキシン類の研究者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と宮田秀明 · 続きを見る »

宮次男

宮 次男(みや つぎお、1928年6月2日 - 1994年2月20日)は、日本の美術史家。専門は日本中世絵画史。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と宮次男 · 続きを見る »

宮本又次

宮本 又次(みやもと またじ、1907年3月5日 - 1991年3月12日)は、日本の歴史学者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と宮本又次 · 続きを見る »

家永三郎

家永 三郎(いえなが さぶろう、1913年9月3日 - 2002年11月29日)は、日本の歴史家(日本思想史)、東京教育大学名誉教授。文学博士(東京大学)。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と家永三郎 · 続きを見る »

宇野円空

宇野 円空(宇野圓空、うの えんくう、1885年11月27日 - 1949年1月1日)は、日本の宗教学者・民族学者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と宇野円空 · 続きを見る »

審良静男

審良 静男(あきら しずお、1953年1月27日 - )は、日本の医学者。大阪大学教授。免疫学の世界的権威。医学博士(大阪大学、1984年)。大阪府東大阪市出身。 米トムソンサイエンティフィックの「世界で最も注目された研究者ランキング」で、2004年度に第8位、2005年度と2006年度に第1位、2007年度に第4位と連続でランクインしている。ノーベル生理学・医学賞の有力候補に挙げられてきたが、2011年に同分野の研究を行っていたジュール・ホフマンとブルース・ボイトラーが受賞したため、同分野での受賞の可能性は事実上消滅した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と審良静男 · 続きを見る »

寺田寅彦

寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人。吉村冬彦(大正11年から使用)、寅日子、牛頓(“ニュートン”)、藪柑子(“やぶこうじ”)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と寺田寅彦 · 続きを見る »

富士川游

富士川 游(ふじかわ ゆう、慶應元年5月11日(1865年6月4日)- 昭和15年(1940年)11月6日)は、日本の医学者、医学史家。旧姓は藤川、幼名は充人。安芸国沼田郡安村大字長楽寺(後に安佐郡に編入、現・広島県広島市安佐南区長楽寺)出身。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と富士川游 · 続きを見る »

小島憲之

小島 憲之(こじま のりゆき、1913年2月15日 - 1998年2月11日)は、国文学者、大阪市立大学名誉教授。上代文学、和漢比較文学専攻。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と小島憲之 · 続きを見る »

小川尚義

小川 尚義(おがわ なおよし、明治2年2月9日(1869年3月21日) - 昭和22年(1947年)11月20日)は明治から昭和前期の言語学者、台湾語と台湾諸語研究者、辞書編纂者。台北帝国大学名誉教授。 長男(第4子)小川太郎は。戦後同和教育の一人者で全国部落問題研究協議会会長も務め、日本作文の会にも関わった。5女(第7子)吉野義子(松山市在住)は俳人。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と小川尚義 · 続きを見る »

小倉進平

小倉 進平(おぐら しんぺい、1882年6月4日 - 1944年2月8日)は、日本の言語学者。朝鮮語研究、日本語研究。日本語研究にも多くの業績があるが、特に朝鮮語研究においてその後の研究の礎を築いた。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と小倉進平 · 続きを見る »

小田稔

小田 稔(おだ みのる、1923年2月24日 - 2001年3月1日)は、日本の天文学者、宇宙物理学者。東京大学名誉教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と小田稔 · 続きを見る »

小脳

小脳(しょうのう、cerebellum、ラテン語で「小さな脳」を意味する)は、脳の部位の名称。脳を背側から見たときに大脳の尾側に位置し、外観がカリフラワー状をし、脳幹の後ろの方からコブのように張り出した小さな器官である。脳幹と小脳の間には第四脳室が存在する。重さは成人で120〜140グラムで、脳全体の重さの10%強をしめる。大脳の10分の1しかないのに、大脳の神経細胞よりもはるかに多くの神経細胞がある。脳の神経細胞の大部分は、小脳にあり、その数は1000億個以上である。小脳の主要な機能は知覚と運動機能の統合であり、平衡・筋緊張・随意筋運動の調節などを司る。このため、小脳が損傷を受けると、運動や平衡感覚に異常をきたし、精密な運動ができなくなったり酒に酔っているようなふらふらとした歩行となることがある。小脳が損傷されると、そうした症状が起きるが、意識に異常をきたしたり知覚に異常を引き起こすことはない。このため、かつては高次の脳機能には関係がなく、もっぱら運動を巧緻に行うための調節器官だとみなされ、脳死問題に関する議論が起きた際も人の生死には関係がないので、小脳は脳死判定の検査対象から外すべきと主張する学者もいた。ところがその後、小脳がもっと高次な機能を有していると考えられる現象が相次いで報告された。また、アルツハイマー病の患者の脳をPETで調べたところ、頭頂連合野や側頭連合野が全く機能していないにもかかわらず、小脳が活発に活動していることが判明した。アルツハイマー病の患者では例外なく小脳が活動しており、通常より強化されている。これは大脳から失われたメンタルな機能を小脳が代替していると考えられている。伊藤正男は、小脳は大脳のシミュレーターであって、体で覚える記憶の座と表現した立花隆『脳を究める』朝日文庫 2001年3月1日。 小脳の傷害が運動障害を引き起こすことを最初に示したのは、18世紀の生理学者たちであった。その後19世紀初頭〜中盤にかけて、実験動物を用いた小脳切除・病変形成実験が行われ、小脳傷害が異常運動・異常歩様・筋力低下の原因となることが明らかにされた。これらの研究成果に基づき、小脳が運動制御に重要な役割を果たすという結論が導かれたのである。 協調運動制御のため、小脳と大脳運動野(情報を筋肉に伝達し運動を起こさせる)および脊髄小脳路(身体位置保持のための固有受容フィードバックを起こす)を結ぶ多くの神経回路が存在する。小脳は運動を微調整するため体位に対し絶えずフィードバックをかけることで、これらの経路を統合している。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と小脳 · 続きを見る »

小野組

小野組(おのぐみ)は明治に入ってからの通称で、初代小野善助に始まり、「井筒屋」を名乗った江戸時代の豪商。糸割符商人。数多くあった分家との区別を図るために、その名前から特に「善印」とも称す。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と小野組 · 続きを見る »

小林芳規

小林 芳規(こばやし よしのり、1929年3月26日 - )は、日本の国語学者、広島大学名誉教授。角筆文献による国語学の研究を行った。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と小林芳規 · 続きを見る »

小林行雄

小林 行雄(こばやし ゆきお、1911年8月18日 - 1989年2月2日)は、日本の考古学者。京都大学名誉教授。文学博士、日本学士院恩賜賞受賞者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と小林行雄 · 続きを見る »

小沢儀明

小沢 儀明(おざわ よしあき、1899年3月31日 - 1929年12月28日)は地質学者、古生物学者。東京帝大助教授。 1923年、東京帝国大学地質学科卒業、同大学助手となる。翌年講師。論文「日本二畳石炭紀石灰岩の区分の就いて」「秋吉台石灰岩を含む所謂上部秩父古生層の層位学的研究」によって地質学会奨励金を受ける。特に後者の研究は秋吉台の巨大な地層の逆転構造を立証したことで、学界に大きな衝撃を与えた。 1925年助教授となり、1926年、「中国地方の古生層並に中生層の層位学上の研究」により学士院恩賜賞を受賞する。同年3月 東京大学理学博士 「The post-Paleozic and late-Mesozoic earthe-movements in the innner zone of Japan(日本内帶に於ける古生代末期及中世代末の地殻変動)」。 1927年欧米に留学し、アメリカの古生物学者ジョセフ・オーガスティン・カッシュマン(Joseph Augustine Cushman)と有孔虫類の系統分類の共同研究で成果をあげた。1929年帰国するが、腸チフスで夭折する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と小沢儀明 · 続きを見る »

小惑星

光分(左)と天文単位(右)。 ケレス(右)、そして火星(下)。小さな物ほど不規則な形状になっている。 メインベルト小惑星の分布。縦軸は軌道傾斜角。 軌道長半径 6 AU までの小惑星の分布。縦軸は軌道傾斜角。赤い点はメインベルト小惑星。 小惑星(しょうわくせい、独: 英: Asteroid)は、太陽系小天体のうち、星像に拡散成分がないものの総称。拡散成分(コマやそこから流出した尾)があるものは彗星と呼ばれる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と小惑星 · 続きを見る »

山崎一雄

山崎 一雄(やまさき かずお、1911年3月15日 - 2010年4月10日)は、日本の化学者。専攻は無機化学。日本学士院会員。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と山崎一雄 · 続きを見る »

山中伸弥

山中 伸弥(やまなか しんや、1962年(昭和37年)9月4日 - )は、日本の医学者。京都大学iPS細胞研究所所長・教授、カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上席研究員、日本学士院会員。学位は大阪市立大学博士(医学)。その他称号としては京都市名誉市民、東大阪市名誉市民、奈良先端科学技術大学院大学栄誉教授、広島大学特別栄誉教授、ロックフェラー大学名誉博士、香港大学名誉博士、香港中文大学名誉博士など。文化勲章受章者。「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」により2012年のノーベル生理学・医学賞をジョン・ガードンと共同受賞した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と山中伸弥 · 続きを見る »

岡田善雄

岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 2008年1月16日)は、細胞生物学者。大阪大学名誉教授。バイオテクノロジーの基本技術である「細胞融合現象」を発見した細胞工学のパイオニア。広島県呉市出身。 .

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と岡田善雄 · 続きを見る »

岡部金治郎

岡部 金治郎(おかべ きんじろう、1896年3月27日 - 1984年4月8日)は、日本の工学者。専門は電子工学。マグネトロンを実用的なマイクロ波源とする分割陽極マグネトロンを発明した。大阪帝国大学、近畿大学などで教授を歴任。文化勲章の受章者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と岡部金治郎 · 続きを見る »

岸義人

岸 義人(きし よしと、1937年4月13日 - )は日本とアメリカ合衆国で活動している有機合成化学者。専門は天然物化学。米国エーザイの副社長も務める。ハーバード大学名誉教授。天然物化学における驚異的な功績により名古屋大学特別教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と岸義人 · 続きを見る »

岸本忠三

岸本 忠三(きしもと ただみつ、1939年(昭和14年)5月7日 - )は、日本の免疫学者。元・大阪大学総長、大阪大学名誉教授。IL-6の発見者であり、免疫学の世界的権威としてその名を知られる。医学博士(大阪大学)(1969年)。大阪府富田林市生まれ。文化功労者、文化勲章。2009年、日本人初となるクラフォード賞の受賞者に選出された(平野俊夫、チャールズ・ディナレロとの共同受賞)。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と岸本忠三 · 続きを見る »

中西香爾

中西 香爾(なかにし こうじ、1925年5月11日 - )は香港生まれの日本の化学者。名古屋大学特別教授。コロンビア大学名誉教授。有機化学の分野、特に生物活性天然有機化合物の分野で高い評価を受けており、円偏光二色性、核オーバーハウザー効果などを構造決定の技術として導入した業績は名高い。イチョウから得られる化合物ギンコライド類の研究などがよく知られている。趣味はマジック。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と中西香爾 · 続きを見る »

中西重忠

中西 重忠(なかにし しげただ、1942年1月7日 - )は、日本の生化学者、分子神経科学者。京都大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所所長。Gタンパク質共役受容体に関する世界的権威として知られる。岐阜県大垣市出身。2015年文化勲章。 沼正作と共に、多ホルモン前駆体の構造、遺伝子、進化に関する研究を発表して有名となり、「記憶のもと」と考えられるタンパク質のNMDA型グルタミン酸受容体の構造を世界で初めて解明した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と中西重忠 · 続きを見る »

中間子

中間子 (英:meson) とは、一つのクォークと一つの反クォークから構成される亜原子粒子である。素粒子物理学の標準模型では、ハドロンの一種である。別称としてメゾンまたはメソンが、旧称としてメソトロン、メゾトロンまたは湯川粒子がある。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と中間子 · 続きを見る »

中村元 (哲学者)

中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者 著者紹介。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と中村元 (哲学者) · 続きを見る »

中村栄孝

中村 栄孝(なかむら ひでたか、1902年5月1日-1984年1月4日)は、大正・昭和期の歴史学者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と中村栄孝 · 続きを見る »

丹羽保次郎

丹羽 保次郎(にわ やすじろう、1893年(明治26年)4月1日 - 1975年(昭和50年)2月28日)は、NE式写真電送装置(ファクシミリ)を開発した技術者。東京電機大学初代学長。日本の十大発明家の一人として数えられることもある。工学博士。三重県松阪市名誉市民(第1号)。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と丹羽保次郎 · 続きを見る »

布施現之助

布施 現之助(ふせ げんのすけ、1880年1月24日 - 1946年12月12日)は、解剖学者。医学博士。専攻は神経解剖学。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と布施現之助 · 続きを見る »

万有引力

万有引力(ばんゆういんりょく、universal gravitation)または万有引力の法則(ばんゆういんりょくのほうそく、law of universal gravitation)とは、「地上において質点(物体)が地球に引き寄せられるだけではなく、この宇宙においてはどこでも全ての質点(物体)は互いに gravitation(.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と万有引力 · 続きを見る »

三島徳七

三島 徳七(みしま とくしち、1893年(明治26年)2月24日 - 1975年(昭和50年)11月19日)は、日本の冶金学者。産業技術進歩に大きな役割を果たしたMK鋼の発明者として知られる。東京大学名誉教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と三島徳七 · 続きを見る »

三上次男

三上 次男(みかみ つぎお、1907年(明治40年)3月31日 - 1987年(昭和62年)6月6日)は、日本の東洋学者、考古学者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と三上次男 · 続きを見る »

三経義疏

『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)は、聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』(伝 推古天皇23年(615年))・『勝鬘経義疏』(伝 推古天皇19年(611年))・『維摩経義疏』(伝 推古天皇21年(613年))の総称である。それぞれ『法華経』・『勝鬘経』・『維摩経』の三経の注釈書(義疏・注疏)である。 『日本書紀』に推古天皇14年(606年)聖徳太子が『勝鬘経』・『法華経』を講じたという記事があることもあり、いずれも聖徳太子の著したものと信じられてきた。『法華義疏』のみ聖徳太子真筆の草稿とされるものが残存しているが、『勝鬘経義疏』・『維摩経義疏』に関しては後の時代の写本のみ伝えられている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と三経義疏 · 続きを見る »

三階教

三階教(さんがいぎょう)とは、北斉の信行(540年 - 594年)が開いた仏教の新しい教派である。三階とは、正法・像法・末法という仏教の三時観を、第一階・第二階・第三階という独自の用語で呼んだことに由来する。 そして、三階教徒にとっての「いま」の時代は、一般的には末法、三階教では第三階の時代に入ったのであるから、正法(第一階)や像法(第二階)の時代のように、一乗や三乗の教えによっては救われない、と主張した。この点によって、既成の他宗派と相容れない状況を自ら作り出すこととなった。 その上で、第三階の人は、末法の濁世に生きる凡夫であるがゆえに、三階教が『大方広十輪経』や『大集経』を所依の経典として独自に説いた、普仏・普法・普敬によらなければ救われないと説いた。すなわち、あらゆる仏、あらゆる経典、あらゆる僧侶に帰依することを求めたのである。その実践は、乞食行であった。ただ、その主張は、如来蔵・仏性思想に基づくもので、それ自体は、大乗仏教の思想の延長線上にあるものである。三階教の教義は、仏教が本来もつ汎神論性を更に一歩推し進めたものとも受け取れる。 この点で、同時期に曇鸞-道綽-善導によって大成された浄土教、専修念仏を標榜して念仏を唱えるだけで阿弥陀仏の極楽浄土に往生できると説いた浄土教と比較されることとなる。浄土教も、三階教同様に、末法思想の影響によって生まれたものであり、末世には念仏によってしか救われないと説くものである。ただ、その方向性は対照的であり、浄土教の場合は、仏教の汎神論性を捨て、一神教的な傾向を持つに至るのである。 三階教の特色は、各宗が混在するのが通例であった当時の寺院の中に、三階教徒のためだけの三階院を設け、また子院に止まらず、三階教独自の寺さえも持つに至ったことである。その生活は、同行同信の信徒が道俗の別なく集住し、布教につとめ、頭陀乞食にはげんだ。食事は戒律を守って一日一食、往来では長幼の別なく行き交う人々に礼敬した。これは、悉有仏性の思想を体現するものであったと考えられる。長安城内では、隋の真寂寺、唐代には化度寺と改称される寺が三階教の中心寺院として著名であった。また、化度寺内には、無尽蔵院が設けられていたことでも知られる。但し、一般人士の支持が過度に集まったため、無尽蔵院は玄宗の開元元年(713年)に勅によって破壊されてしまった。 無尽蔵院に限らず、三階教の歴史は、政府による弾圧の歴史であった。既に開祖信行の没後わずか6年の、隋・文帝の開皇20年(600年)には邪教と認められて弾圧を受けている。また、三階教では独自に編纂された典籍を持っていたが、大蔵経に入蔵されることはなく、三階教の教勢が衰滅した後は、一部が仏書に引用されて伝わる以外、全く失われてしまった。しかし、20世紀になって、敦煌から数多くの三階教籍の写本が見つかり、その教義が明らかとなった。 その汎神論的な信仰は、日本の浄土教系諸派中においては、融通念仏宗との関連性が指摘されている。「一人は一切人、一切人は一人、一行は一切行、一切行は一行、十界一念、融通念仏、億百万遍、功徳は円満。」(「融通円門章」)と説かれている。これは、天台の一念三千説を根拠とするが、普法念仏の一形態と見ることもできる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と三階教 · 続きを見る »

三根谷徹

三根谷 徹(みねや とおる、1920年3月7日 - 2000年9月5日)は、日本の言語学者。 東京府出身。1943年東京帝国大学文学部言語学科卒。1969年東京大学文学部言語学科助教授、1971年教授。1980年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。1995年「中古漢語と越南漢字音」で日本学士院賞・恩賜賞賞。1994年勲三等旭日中綬章受勲。ベトナム(越南)語と中国音韻学を専攻。ベトナム語の漢字音が唐代の長安音にさかのぼることを明らかにした。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と三根谷徹 · 続きを見る »

三浦周行

三浦 周行(みうら ひろゆき、1871年7月21日(明治4年6月4日) - 1931年(昭和6年)9月6日)は、日本の歴史学者・法制史の研究者。文学博士。京都帝国大学教授。第10回帝国学士院恩賜賞の受賞者。文格院殿嵩山周行居士。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と三浦周行 · 続きを見る »

平瀬作五郎

平瀬 作五郎(ひらせ さくごろう、安政3年1月7日(1856年2月12日) - 大正14年(1925年)1月4日)は、明治・大正期の植物学者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と平瀬作五郎 · 続きを見る »

幾何学

最先端の物理学でも用いられるカラビ-ヤウ多様体の一種。現代幾何学では図も書けないような抽象的な分野も存在する。 幾何学(きかがく、)は、図形や空間の性質について研究する数学の分野である広辞苑第六版「幾何学」より。イエズス会マテオ・リッチによる geometria の中国語訳である。以前は geometria の冒頭の geo- を音訳したものであるという説が広く流布していたが、近年の研究により否定されている。 もともと測量の必要上からエジプトで生まれたものだが、人間に認識できる図形に関する様々な性質を研究する数学の分野としてとくに古代ギリシャにて独自に発達しブリタニカ国際大百科事典2013小項目版「幾何学」より。、これらのおもな成果は紀元前300年ごろユークリッドによってユークリッド原論にまとめられた。その後中世以降のヨーロッパにてユークリッド幾何学を発端とする様々な幾何学が登場することとなる。 幾何学というとユークリッド幾何学のような具体的な平面や空間の図形を扱う幾何学が一般には馴染みが深いであろうが、対象や方法、公理系などが異なる多くの種類の幾何学が存在し、現代においては微分幾何学や代数幾何学、位相幾何学などの高度に抽象的な理論に発達・分化している。 現代の日本の教育では、体系的な初等幾何学はほぼ根絶されかけたが、近年、中・高の数学教育で線型幾何/代数幾何を用いない立体を含む、本格的な綜合幾何は見直されつつある。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と幾何学 · 続きを見る »

幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と幕末 · 続きを見る »

久保亮五

久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 1995年3月31日)は、日本の物理学者。東京大学、京都大学、慶應義塾大学で教授、パリ大学、シカゴ大学、ペンシルベニア大学、ニューヨーク州立大学で客員教授を務めた。 統計物理学、物性物理学の分野で国際的に知られた。 特に線形応答理論の構築に貢献し、彼の提案した理論は「久保理論」の名でも呼ばれている。 1997年に生前の業績を記念して井上科学振興財団が久保亮五記念賞を創設した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と久保亮五 · 続きを見る »

久野寧

久野 寧(くの やす、1882年(明治15年)3月30日 - 1977年(昭和52年)12月30日)は、日本の生理学者。発汗と体温調節の生理についての研究で知られる。日本学士院会員、文化勲章受章者。 1936年(昭和11年)、1938年(昭和13年)、1953年(昭和28年)と三たびにノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と久野寧 · 続きを見る »

人工多能性幹細胞

人工多能性幹細胞(じんこうたのうせいかんさいぼう、induced pluripotent stem cellsイギリス英語発音: インデューストゥ・プル(ー)リポウトゥントゥ・ステム・セルズ)とは、体細胞へ数種類の遺伝子を導入することにより、ES細胞(胚性幹細胞)のように非常に多くの細胞に分化できる分化万能性 (pluripotency)「pluripotency」の日本語訳については、科学者の間では「多能性」と訳されるが、「totipotency(全能性)」と「multipotency(多能性)」の中間の分化能として捉えた場合、「万能」と表記した方が分かりやすいため、報道や講演などで多用される。なお、ES細胞は特定の条件下において胚体外組織へと分化できることが分かっており、現在では「pluripotency」とは、それだけでは個体になり得ないが、すべての細胞・組織に分化できる能力とされている。と、分裂増殖を経てもそれを維持できる自己複製能を持たせた細胞のこと。2006年(平成18年)、山中伸弥率いる京都大学の研究グループによってマウスの線維芽細胞(皮膚細胞)から初めて作られた。 英語名の頭文字をとって、iPS細胞(アイピーエスさいぼう、iPS cells)と呼ばれる。命名者の山中が最初を小文字の「i」にしたのは、当時世界的に大流行していた米アップルの携帯音楽プレーヤーである『iPod』のように普及してほしいとの願いが込められている。 以下、「iPS細胞」という表記を用いる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と人工多能性幹細胞 · 続きを見る »

人工衛星

GPS衛星の軌道アニメーション 人工衛星(じんこうえいせい)とは、惑星、主に地球の軌道上に存在し、具体的な目的を持つ人工天体。地球では、ある物体をロケットに載せて第一宇宙速度(理論上、海抜0 mでは約 7.9 km/s.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と人工衛星 · 続きを見る »

井戸泰

井戸 泰(いど ゆたか、1881年9月8日 - 1919年5月8日)は、日本の大正時代の医学者。東京帝国大学助教授を経て、九州帝国大学教授。 大正4年(1915年)、恩師でもある九州帝国大学第一内科稲田龍吉教授と共に、ワイル病(黄疸出血性スピロヘータ病)の病原体を発見する。第6回帝国学士院恩賜賞を受け、ノーベル医学賞の候補にも推薦されるなど、当時の日本を代表する医学者として将来を嘱望されながらも、大正8年(1919年)5月8日、37歳の若さで逝去する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と井戸泰 · 続きを見る »

今井功 (物理学者)

今井 功(いまい いさお、1914年(大正3年)10月7日 - 2004年(平成16年)10月24日)は日本の物理学者で、文化勲章受章者。専門は流体力学で、特に航空機の飛行に関係した空気力学の基礎理論において大きな業績を上げた。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と今井功 (物理学者) · 続きを見る »

仁井田陞

仁井田 陞 (にいだ のぼる、1904年1月1日 - 1966年6月22日)は、日本の法制史学者。東京大学名誉教授。中田薫門下。中国法制史の開拓者として知られる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と仁井田陞 · 続きを見る »

仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と仏教 · 続きを見る »

仏性

仏性(ぶっしょう、Buddha-dhātu)とは、、衆生が持つ仏としての本質、仏になるための原因のこと。主に『涅槃経』で説かれる大乗仏教独特の教理である。覚性(かくしょう)とも訳される。 仏教では、この仏性を開発(かいほつ)し自由自在に発揮することで、煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく、また他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができるとされる。この仏性が顕現し有効に活用されている状態を成仏と呼び、仏法修行の究極の目的とされている。 『法華経』では、仏種(ぶっしゅ、Buddha-gotra)「仏の種姓」、『勝鬘経』では、如来蔵(にょらいぞう、Tathāgata-garbha)などと、さまざまな表現がされるが、基本的に仏性と同じ意義である。ただし仏性には如来蔵のように「煩悩が付着して隠れている」という意味はない。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と仏性 · 続きを見る »

仲宗根政善

仲宗根 政善(なかそね せいぜん、1907年4月26日 - 1995年2月14日)は、日本の教育者、言語学者、琉球大学名誉教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と仲宗根政善 · 続きを見る »

伊藤正男 (生理学者)

伊藤 正男(いとう まさお、1928年(昭和3年)12月4日 - )は、日本の生理学者。小脳の研究における世界的な権威である。愛知県名古屋市出身。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と伊藤正男 (生理学者) · 続きを見る »

伊藤清

伊藤 清(いとう きよし、1915年9月7日 - 2008年11月10日)は、日本の数学者。確率論における伊藤の補題(伊藤の定理)の考案者として知られる。第一回ガウス賞受賞者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と伊藤清 · 続きを見る »

佐伯富

佐伯 富(さえき とみ、1910年11月6日 - 2006年7月5日)は、日本の東洋史学者。専門は、宋代より清代にいたる中国近世史。文学博士。京都大学名誉教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と佐伯富 · 続きを見る »

佐佐木信綱

佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位勲六等文学博士。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と佐佐木信綱 · 続きを見る »

佐々木隆興

佐々木 隆興(ささき たかおき、1878年5月5日 - 1966年10月31日)は、日本の医学者。専門は、生化学、内科学、実験腫瘍学。文化勲章受章者。 生前、1935年・1936年・1939年・1941年にノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と佐々木隆興 · 続きを見る »

佐竹明

佐竹明(さたけ あきら、1929年- )は、聖書学者、広島大学名誉教授。 東京府生まれ。1953年東京大学教養学部教養学科卒、1955年同大学院人文科学研究科西洋古典学専攻修士課程修了、1956年から1959年まで西ドイツ・ハイデルベルク大学、スイス・チューリヒ大学神学部に留学。1959年から1962年までハイデルベルク大学付牧師。1963年ハイデルベルク大学神学博士。1963年から1976年まで青山学院大学文学部神学科助教授、教授。1977年から1990年まで広島大学総合科学部教授。1990年から2004年までフェリス女学院大学教授。1996年から2004年まで同大学学長。2011年日本学士院賞・恩賜賞受賞。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と佐竹明 · 続きを見る »

佐藤次高

佐藤 次高(さとう つぎたか、1942年8月 - 2011年4月11日)は、歴史学者。専門はアラブ・イスラム史。2000年恩賜賞・日本学士院賞受賞。1973年流沙海西奨学会賞。東京大学名誉教授。(財)東洋文庫研究部長、(財)史学会理事長、早稲田大学文学学術院教授などを歴任。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と佐藤次高 · 続きを見る »

徳富蘇峰

徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎(いいちろう)。字は正敬(しょうけい)。筆名は菅原 正敬(すがわら しょうけい)、大江 逸(おおえ いつ、逸郎とも)。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生前自ら定めた戒名は百敗院泡沫頑蘇居士(ひゃぱいいんほうまつがんそこじ)。 小説家の徳冨蘆花は弟。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と徳富蘇峰 · 続きを見る »

後藤格次

後藤 格次 (ごとう かくじ、1889年3月4日 - 1969年11月29日)は、日本の農芸化学者。東京大学農学部教授。日本学士院会員。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と後藤格次 · 続きを見る »

信夫淳平

信夫 淳平(しのぶ じゅんぺい、明治4年9月1日(1871年10月14日) - 昭和37年(1962年)11月1日)は、日本の外交官、国際法学者。法学博士。早稲田大学教授、学士院会員、中華民国顧問等を歴任。1943年学士院恩賜賞受賞、従三位勲一等瑞宝章。 父は信夫恕軒(鳥取士族猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)シ・九〇頁、漢学者、元東大講師)。信夫韓一郎(新聞記者、元朝日新聞専務)は長男、信夫清三郎(政治学者、名古屋大名誉教授、元日本政治学会理事長)は三男。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と信夫淳平 · 続きを見る »

志田順

志田 順(しだ とし、1876年5月28日 - 1936年7月19日)は、日本の地球物理学者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と志田順 · 続きを見る »

志方益三

志方 益三(しかた ますぞう、1895年8月10日 - 1964年5月8日)は日本の化学者。京都大学教授、名古屋大学教授。 埼玉県生まれ。1920年、東京帝大農学部農芸化学科を卒業。理化学研究所に入り、鈴木梅太郎のもとで研究を行った。 1922年ヨーロッパに留学する。チェコスロバキアのプラハ・カレル大学で、後にノーベル賞を受賞するヘイロウスキーと共に、滴下水銀電極を用いて電圧‐電流曲線を自動記録する装置(ポーラログラフ)を完成させた。志方は帰国する際、この装置を一つ持ち帰っている。 帰国後、京都帝国大学農学部教授となり、1942年満州国の大陸科学院に移る。終戦後1953年に帰国し、1954年名古屋大学教授となる。1956年学士院恩賜賞を受けた。1959年に退官。 Category:日本の化学者 Category:京都大学の教員 Category:名古屋大学の教員 Category:理化学研究所の人物 Category:東京大学出身の人物 Category:埼玉県出身の人物 Category:1895年生 Category:1964年没.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と志方益三 · 続きを見る »

土星

土星(どせい、、、)は、太陽から6番目の、太陽系の中では木星に次いで2番目に大きな惑星である。巨大ガス惑星に属する土星の平均半径は地球の約9倍に当る。平均密度は地球の1/8に過ぎないため、巨大な体積の割りに質量は地球の95倍程度である。そのため、木星型惑星の一種とされている。 土星の内部には鉄やニッケルおよびシリコンと酸素の化合物である岩石から成る中心核があり、そのまわりを金属水素が厚く覆っていると考えられ、中間層には液体の水素とヘリウムが、その外側はガスが取り巻いている。 惑星表面は、最上部にあるアンモニアの結晶に由来する白や黄色の縞が見られる。金属水素層で生じる電流が作り出す土星の固有磁場は地球磁場よりも若干弱く、木星磁場の1/12程度である。外側の大気は変化が少なく色彩の差異も無いが、長く持続する特徴が現れる事もある。風速は木星を上回る1800km/hに達するが、海王星程ではない。 土星は恒常的な環を持ち、9つが主要なリング状、3つが不定的な円弧である。これらはほとんどが氷の小片であり、岩石のデブリや宇宙塵も含まれる。知られている限り62個の衛星を持ち、うち53個には固有名詞がついている。これにはリングの中に存在する何百という小衛星(ムーンレット)は含まれない。タイタンは土星最大で太陽系全体でも2番目に大きな衛星であり、水星よりも大きく、衛星としては太陽系でただひとつ有意な大気を纏っている。 日本語で当該太陽系第六惑星を「土星」と呼ぶ由来は、古代中国において五惑星が五行説に当てはめて考えられた際、この星に土徳が配当されたからである。英語名サターンはローマ神話の農耕神サートゥルヌスに由来する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と土星 · 続きを見る »

地震波

地震波 実体波P波 S波 表面波ラブ波 レイリー波 地震波(じしんは、、)は、地震により発生する波。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と地震波 · 続きを見る »

地殻

1.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と地殻 · 続きを見る »

化学反応

化学反応(かがくはんのう、chemical reaction)は、化学変化の事、もしくは化学変化が起こる過程の事をいう。化学変化とは1つ以上の化学物質を別の1つ以上の化学物質へと変化する事で、反応前化学物質を構成する原子同士が結合されたり、逆に結合が切断されたり、あるいは化学物質の分子から電子が放出されたり、逆に電子を取り込んだりする。広義には溶媒が溶質に溶ける変化や原子のある同位体が別の同位体に変わる変化、液体が固体に変わる変化MF2等も化学変化という。 化学変化の前後では、化学物質の分子を構成する原子の結合が変わって別の分子に変化する事はあるが、原子そのものが別の原子番号の原子に変わる事はない(ただし原子間の電子の授受や同位体の変化はある)。この点で原子そのものが別の原子に変化する原子核反応とは大きく異なる。 化学反応では反応前の化学物質を反応物(reactant)、反応後の化学物質を生成物(product)といい、その過程は化学反応式で表記される。例えば反応物である(塩酸)とNaOH(水酸化ナトリウム)が化学反応して生成物であるH2O(水分子)とNaCl(食塩)ができあがる状況を示した化学反応式は と表記される。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と化学反応 · 続きを見る »

マルティン・ルター

マルティン・ルター(Martin Luther 、1483年11月10日 - 1546年2月18日)は、ドイツの神学者、教授、作家、聖職者である。 1517年に『95ヶ条の論題』をヴィッテンベルクの教会に掲出したことを発端に、ローマ・カトリック教会から分離しプロテスタントが誕生した宗教改革の中心人物である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とマルティン・ルター · 続きを見る »

マルセル・プルースト

ヴァランタン=ルイ=ジョルジュ=ウジェーヌ=マルセル・プルースト(Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871年7月10日 - 1922年11月18日)は、フランスの小説家。畢生の大作『失われた時を求めて』は後世の作家に強い影響を与え、ジェイムズ・ジョイス、フランツ・カフカと並び称される20世紀西欧文学を代表する世界的な作家として位置づけられている「第一章 プルーストの位置」()「はしがき」()「はじめに」()。 立身出世した医学者の父親と富裕なユダヤ人家系の母親の息子としてパリで生まれたマルセル・プルーストは、病弱な幼少期を過ごし、9歳の時に発症した喘息の持病を抱えながら文学に親しみ、リセから進んだパリ大学で法律と哲学を学んだ後はほとんど職には就かず、華やかな社交生活を送り、幾つかの習作を経た30代後半から51歳の死の直前まで、長篇『失われた時を求めて』を書き続けた「年譜」()。 この遺作は、プルースト自身の分身である語り手の精神史に重ね合わせながら、19世紀末からベル・エポックの時代にかけてのフランス社会の世相や風俗を活写した長大作であると共に「第二部 プルーストの作品と思想 第二章『失われた時を求めて』 おわりに」( )、その「無意志的記憶」を基調とする複雑かつ重層的な叙述と画期的な物語構造の手法は、後の文学の流れに決定的な影響を与えたことで知られる「第二部 プルーストの作品と思想 第二章『失われた時を求めて』 三 作品研究――その一」( )「第二回 『コンブレ―』に始まる文学発見の物語」()。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とマルセル・プルースト · 続きを見る »

マレーシア

マレーシア(ジャウィ語: مليسيا、Malaysia、Malaysia)は、東南アジアのマレー半島南部とボルネオ島北部を領域とする連邦立憲君主制国家で、イギリス連邦加盟国である。タイ、インドネシア、ブルネイと陸上の国境線で接しており、シンガポール、フィリピンと海を隔てて近接する。ASEANの一員。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とマレーシア · 続きを見る »

ユーカラ

ユーカラは、アイヌ民族に伝わる叙事詩の総称。アイヌ語で「叙事詩」を意味する。カナ表記は統一されていないが、カタカナを用いる場合、萱野茂は「ユカラ」とした方がより忠実としている。またラテン文字表記 (yukar) は知里真志保の表記法による。「ユカラ」ではなく「ユーカラ」と表記されるのはアイヌ語学者金田一京助の影響が大きいと思われる。金田一は第1音節の高アクセントに対応する日本語の表記として長音表記をえらんだ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とユーカラ · 続きを見る »

ヨハネの黙示録

『ヨハネの黙示録』(ヨハネのもくしろく Ἀποκάλυψις Ἰωάννου、Apocalypsis Iōannis、Revelation)は、『新約聖書(クリスチャン・ギリシャ語聖書)』の最後に配された聖典であり、『新約聖書』の中で唯一預言書的性格を持つ書である。 『ヨハネの黙示録』は、単に『黙示録』あるいは『ヨハネによる黙示録』、『神学者聖イオアンの黙示録』(日本ハリストス正教会)、『使徒聖ヨハネ黙示録』(天主公教会)、『ヨハネへの啓示』(ものみの塔聖書冊子協会)ともいわれる。 タイトルの「黙示」とはギリシャ語の「アポカリュプシス(Ἀποκάλυψις)」の訳であり、καλύπτω(覆う)に接頭辞のἀπό(離れて)が組み合わさったἀποκαλύπτω(明かす、明らかにする)という動詞に、-σιςという抽象名詞を作る接尾辞が付いた複合語である。英語では「Revelation」と言い、上記と同義のラテン語revēlātiō(暴露、すっぱ抜き)に由来する。『黙示録』はキリスト教徒の間でも、その解釈と正典への受け入れをめぐって多くの論議を呼びおこしてきた書物である。ヨハネの黙示録は2世紀に書かれたと言われているムラトリ正典目録に含まれており、A.D.397年に開催されたカルタゴ会議では、ヨハネの黙示録を含む27文書が正典として認められた。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とヨハネの黙示録 · 続きを見る »

ローマ法

ーマ法(ローマほう、römisches Recht、droit romain、Roman law、dreptul roman、derecho romano)とは、狭義には古代ローマや中世の東ローマ帝国の法体系であり、広義には中世の西ヨーロッパで復活し発展した普通法(ユス・コムーネ)としてのローマ法も含む。古代ギリシア哲学やキリスト教とともに、ヨーロッパ文明を特徴付ける一大要素である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とローマ法 · 続きを見る »

ブレーズ・パスカル

ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者である。 早熟の天才で、その才能は多分野に及んだ。ただし、短命であり、三十代で逝去している。死後『パンセ』として出版されることになる遺稿を自身の目標としていた書物にまとめることもかなわなかった。 「人間は考える葦である」などの多数の名文句やパスカルの賭けなどの多数の有名な思弁がある遺稿集『パンセ』は有名である。その他、パスカルの三角形、パスカルの原理、パスカルの定理などの発見で知られる。ポール・ロワヤル学派に属し、ジャンセニスムを代表する著作家の一人でもある。 かつてフランスで発行されていた500フラン紙幣に肖像が使用されていた。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とブレーズ・パスカル · 続きを見る »

テルペン

テルペン (terpene) はイソプレンを構成単位とする炭化水素で、植物や昆虫、菌類などによって作り出される生体物質である。もともと精油の中から大量に見つかった一群の炭素10個の化合物に与えられた名称であり、そのため炭素10個を基準として体系化されている。分類によってはテルペン類のうち、カルボニル基やヒドロキシ基などの官能基を持つ誘導体はテルペノイド (terpenoid) と呼ばれる。それらの総称としてイソプレノイド (isoprenoid) という呼称も使われる。テルペノイドは生体内でメバロン酸から生合成される。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とテルペン · 続きを見る »

分子

分子(ぶんし)とは、2つ以上の原子から構成される電荷的に中性な物質を指すIUPAC.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と分子 · 続きを見る »

分光法

プリズムによる光線の波長分割 分光法(ぶんこうほう、spectroscopy)とは、物理的観測量の強度を周波数、エネルギー、時間などの関数として示すことで、対象物の定性・定量あるいは物性を調べる科学的手法である。 spectroscopy の語は、元々は光をプリズムあるいは回折格子でその波長に応じて展開したものをスペクトル (spectrum) と呼んだことに由来する。18世紀から19世紀の物理学において、スペクトルを研究する分野として分光学が確立し、その原理に基づく測定法も分光法 (spectroscopy) と呼ばれた。 もともとは、可視光の放出あるいは吸収を研究する分野であったが、光(可視光)が電磁波の一種であることが判明した19世紀以降は、ラジオ波からガンマ線(γ線)まで、広く電磁波の放出あるいは吸収を測定する方法を分光法と呼ぶようになった。また、光の発生または吸収スペクトルは、物質固有のパターンと物質量に比例したピーク強度を示すために物質の定性あるいは定量に、分析化学から天文学まで広く応用され利用されている。 また光子の吸収または放出は量子力学に基づいて発現し、スペクトルは離散的なエネルギー状態(エネルギー準位)と対応することが広く知られるようになった。そうすると、本来の意味の「スペクトル」とは全く異なる、「質量スペクトル」や「音響スペクトル」など離散的なエネルギー状態を表現した測定チャートもスペクトルとよばれるようになった。また「質量スペクトル」などは物質の定性に使われることから、今日では広義の分光法は「スペクトル」を使用して物性を測定あるいは物質を同定・定量する技法一般の総称となっている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と分光法 · 続きを見る »

周公旦

周公旦(しゅうこう たん)は、中国周王朝の政治家。姓は姫、諱は旦。魯の初代の公である伯禽の父。呂尚(太公望)や召公奭と並ぶ、周建国の功臣の一人である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と周公旦 · 続きを見る »

呉建

呉 建(くれ けん、1883年(明治16年)10月27日 - 1940年(昭和15年)6月27日)は、日本の医師、内科学者、洋画家。医学博士(東京帝国大学)、アテネ大学名誉教授。帝国学士院恩賜賞受賞。 1930年代に6度ノーベル生理学・医学賞候補となるがノーベル財団(英語)、結局、受賞には至らなかった。6度の候補は同賞で日本人最多であるノーベル財団(英語)。 チャールズ・シェリントン、ジークムント・フロイト、イワン・パブロフに次ぐ中枢神経生理学の権威とされる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と呉建 · 続きを見る »

和田英松

和田 英松(わだ ひでまつ、慶応元年9月10日(1865年10月29日)- 昭和12年(1937年)8月20日)は、日本の歴史学者(日本史学)・国文学者。文学博士。位階勲等は従三位勲二等。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と和田英松 · 続きを見る »

和達清夫

和達 清夫(わだち きよお、1902年(明治35年)9月8日 - 1995年(平成7年)1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。子息に物理学者・和達三樹がいる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と和達清夫 · 続きを見る »

アミノ酸

リシンの構造式。最も構造が単純なアミノ酸 トリプトファンの構造式。最も構造が複雑なアミノ酸の1つ。 アミノ酸(アミノさん、amino acid)とは、広義には(特に化学の分野では)、アミノ基とカルボキシル基の両方の官能基を持つ有機化合物の総称である。一方、狭義には(特に生化学の分野やその他より一般的な場合には)、生体のタンパク質の構成ユニットとなる「α-アミノ酸」を指す。分子生物学など、生体分子をあつかう生命科学分野においては、遺伝暗号表に含まれるプロリン(イミノ酸に分類される)を、便宜上アミノ酸に含めることが多い。 タンパク質を構成するアミノ酸のうち、動物が体内で合成できないアミノ酸を、その種にとっての必須アミノ酸と呼ぶ。必須アミノ酸は動物種によって異なる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とアミノ酸 · 続きを見る »

アポトーシス

アポトーシス、アポプトーシス (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死(狭義にはその中の、カスパーゼに依存する型)のこと。ネクローシス(necrosis)の対義語として使われる事が多い。 Apoptosis の語源はギリシャ語の“”, apoptosis アポプトーシス:「apo-(離れて)」と「ptosis(下降)」に由来し、「(枯れ葉などが木から)落ちる」という意味である。英語ではと発音されるが、この語が最初に提唱された論文では2番目のpを黙字としている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とアポトーシス · 続きを見る »

アイヌ

アイヌは、北海道・樺太・千島列島およびカムチャツカ半島南部にまたがる地域に居住していた民族。母語はアイヌ語。 1878年(明治11年)、イギリス人旅行家・イザベラ・バードが北海道の日高地方でスケッチしたアイヌ民族の男性。 アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが1923年(大正12年)に出版された知里幸恵のアイヌ神謡集では、その発音を、ローマ字で表記するなどの工夫がされている。、生業の毛皮や海産物などをもって、アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。 1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、各々の領土が確定した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とアイヌ · 続きを見る »

イチョウ

葉した秋のイチョウ 北金ヶ沢のイチョウ(樹齢1000年以上とされる) イチョウ(銀杏、公孫樹、鴨脚樹、学名:)は、裸子植物門イチョウ綱イチョウ目イチョウ科イチョウ属に属する、中国原産の裸子植物。食用(伝統中国食品)、観賞用、材用として栽培される。 街路樹など、全国で普通に見かける樹木だが、分類上は奇異な位置にあり、例えば広葉樹・針葉樹の区分では如何にも広葉樹に該当しそうだが、むしろ特殊な針葉樹に当たる。 世界古来の樹木の一つであり、イチョウ科の植物は中生代から新生代にかけて世界的に繁栄し、世界各地(日本では山口県や北海道など)で化石が出土しているが、氷河期にほぼ絶滅し、イチョウは唯一現存する種である。現在イチョウは、生きている化石としてレッドリストの絶滅危惧IB類に指定されている。 種子は銀杏(ぎんなん、ぎんきょう)と呼ばれ食用として流通するなどしているが、これは中毒を起こし得るもので死亡例も報告されており、摂取にあたっては一定の配慮を要する(詳しくは後述)。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とイチョウ · 続きを見る »

インターフェロン

インターフェロン(、略号:IFN)とは動物体内で病原体(特にウイルス)や腫瘍細胞などの異物の侵入に反応して細胞が分泌する蛋白質のこと。ウイルス増殖の阻止や細胞増殖の抑制、免疫系および炎症の調節などの働きをするサイトカインの一種である。 医薬品としては、ウイルス性肝炎等の抗ウイルス薬として、多発性骨髄腫等の抗がん剤として用いられている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とインターフェロン · 続きを見る »

イギリス

レートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称の一例としてイギリス、あるいは英国(えいこく)は、ヨーロッパ大陸の北西岸に位置するグレートブリテン島・アイルランド島北東部・その他多くの島々から成る同君連合型の主権国家である。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国で構成されている。 また、イギリスの擬人化にジョン・ブル、ブリタニアがある。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とイギリス · 続きを見る »

カーボンナノチューブ

ーボンナノチューブ(carbon nanotube、略称CNT)は、炭素によって作られる六員環ネットワーク(グラフェンシート)が単層あるいは多層の同軸管状になった物質。炭素の同素体で、フラーレンの一種に分類されることもある。 単層のものをシングルウォールナノチューブ (SWNT)single-wall nanotube、多層のものをマルチウォールナノチューブ (MWNT)multi-wall nanotube という。特に二層のものはダブルウォールナノチューブ (DWNT)double-wall nanotube とも呼ばれる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とカーボンナノチューブ · 続きを見る »

コムギ

ムギ(小麦)はイネ科コムギ属に属する一年草の植物。一般的にはパンコムギ(学名: Triticum aestivum)を指すが、広義にはクラブコムギ(学名: Triticum compactum)やデュラムコムギ(学名: Triticum durum)などコムギ属(学名: Triticum)の植物全般を指す。世界三大穀物の一つ。古くから栽培され、世界で最も生産量の多い穀物のひとつである。年間生産量は約7.3億トンであり、これはトウモロコシの約10.4億トンには及ばないが、米の約7.4億トンにほぼ近い(2014年)。 他の三大穀物と同じく基礎食料であり、各国で生産された小麦はまずは国内で消費され、剰余が輸出される。 日本国内において、麦(小麦・大麦・はだか麦)は食糧法により価格統制が存在する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とコムギ · 続きを見る »

ソテツ

テツ(蘇鉄、学名:)は、裸子植物ソテツ科の常緑低木。ソテツ類の中で日本に自生がある唯一の種である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とソテツ · 続きを見る »

タンパク質

ミオグロビンの3D構造。αヘリックスをカラー化している。このタンパク質はX線回折によって初めてその構造が解明された。 タンパク質(タンパクしつ、蛋白質、 、 )とは、20種類存在するL-アミノ酸が鎖状に多数連結(重合)してできた高分子化合物であり、生物の重要な構成成分のひとつである生化学辞典第2版、p.810 【タンパク質】。 構成するアミノ酸の数や種類、また結合の順序によって種類が異なり、分子量約4000前後のものから、数千万から億単位になるウイルスタンパク質まで多種類が存在する。連結したアミノ酸の個数が少ない場合にはペプチドと言い、これが直線状に連なったものはポリペプチドと呼ばれる武村(2011)、p.24-33、第一章 たんぱく質の性質、第二節 肉を食べることの意味ことが多いが、名称の使い分けを決める明確なアミノ酸の個数が決まっているわけではないようである。 タンパク質は、炭水化物、脂質とともに三大栄養素と呼ばれ、英語の各々の頭文字を取って「PFC」とも呼ばれる。タンパク質は身体をつくる役割も果たしている『見てわかる!栄養の図解事典』。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とタンパク質 · 続きを見る »

唐令拾遺

『唐令拾遺』(とうれい しゅうい)は、日本の中国法制史学者である仁井田陞が編纂した、早くに散佚した唐令(唐代の令)の佚文を蒐集した書物。1933年(昭和8年)に東方文化学院より出版され、翌年、第24回帝国学士院恩賜賞を受賞した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と唐令拾遺 · 続きを見る »

唾液腺

①耳下腺、②顎下腺、③舌下腺 唾液腺(だえきせん、Salivary gland)は、動物の唾液を分泌する腺であり、導管は口腔に開口している。大唾液腺と小唾液腺とに分類している。脊椎動物の大唾液腺は、山口腺、新幹腺が有り、哺乳類には更に耳下腺が有る。 以下は特に記述がないかぎりヒトの唾液腺についての説明である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と唾液腺 · 続きを見る »

冲中重雄

冲中 重雄(おきなか しげお、1902年10月8日 - 1992年4月20日)は、内科学者。石川県金沢市生まれ。東京大学名誉教授、元日本学士院会員。日本学士院恩賜賞受賞、文化勲章及び勲一等瑞宝章受章。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と冲中重雄 · 続きを見る »

八代国治

戦前『吾妻鏡』研究の代表作 八代国治『吾妻鏡の研究』 八代 国治(やしろ くにじ、1873年1月2日 - 1924年4月2日)は、明治・大正期の歴史学者。長慶天皇在位の結論を出したことで知られている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と八代国治 · 続きを見る »

光弾性

光弾性(こうだんせい、Photoelasticity)とは、外力を受けた弾性体が複屈折を起こす性質。光弾性の性質を持つ物体を光弾性体という。 光弾性は、材料の応力分布を解析する実験法としてよく使われる。単純な計算で求めた応力分布と比較して、かなり正確な分布が得られる。材料の臨界応力を求めるのに重要な手法であり、複雑な形状の物体のどこに応力が集中するかを確かめるためにもよく使われる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と光弾性 · 続きを見る »

前田惠學

前田 惠學(まえだ えがく、1926年11月29日 - 2010年10月31日)は、日本の僧侶、仏教学者。文学博士。文化功労者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と前田惠學 · 続きを見る »

国際法

国際法(こくさいほう、International Law, Law of Nations、Droit international, Droit des gens、Derecho Internacional)とは、国際社会(「国際共同体」the international community、la communauté internationale、la comunidad internacional)を規律する法をいう「国際法」、『国際法辞典』、119-120頁、筒井若水(2002)、有斐閣、ISBN 4-641-00012-3。。国際私法と対比させて国際公法(Public International Law、Droit international public、Derecho Internacional Público)ともいわれるが、国内法制度における私法と公法の関係のように両者が対立的な関係にあるわけではない。条約、慣習国際法、法の一般原則が国際法の存在形式(形式的法源)とされる。かつては国家間の関係のみを規律する法と考えられてきたが、現代では国際組織や個人の関係や、これらと国家との関係を規律する法と考えられている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と国際法 · 続きを見る »

皇室

皇室(こうしつ)は、天皇および皇族の総称。 狭義には内廷皇族、広義には天皇とその近親である皇族を意味するが、皇族の範囲は時期によって異なる。 近代(明治維新)以降は、天皇と内廷皇族を家族とする内廷と皇太子以外の皇族男子及びその家族で構成される宮家を意味する。 皇室典範第五条に定める、天皇の配偶者である皇后、先代の天皇の未亡人である皇太后、先々代の天皇の未亡人である太皇太后、また、皇太子(皇太孫)、皇太子妃(皇太孫妃)、皇族男子たる親王、王、さらには生まれながらの皇族女子である内親王、女王がある。親王妃、王妃は親王、王の配偶者となることをもって、皇族とされる。戦前(大日本帝国憲法下、日本国憲法施行まで)においては、帝室(ていしつ)とも呼ばれていた。 一般国民の女性は、皇族男子との婚姻により皇族になることができる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の者と婚姻したとき皇族の身分を離れる(臣籍降下・臣籍降嫁)。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と皇室 · 続きを見る »

矢吹慶輝

吹 慶輝(やぶき けいき、1879年(明治12年)2月13日 - 1939年(昭和14年)6月10日)は、日本の宗教学者、社会事業家。 福島県出身。旧姓は佐藤。号は隈渓。東京帝国大学卒。宗教大学(現大正大学)教授となり、欧米に留学。敦煌出土の仏典を研究、1925年「三階教之研究」で学士院恩賜賞受賞。勤労児童のための三輪学院を創設、東京市社会局長。1939年、狭心症のため死去。 長男は弁護士の矢吹輝夫(1926-2006)。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と矢吹慶輝 · 続きを見る »

石原純

石原 純(いしわら あつし(じゅん)、1881年1月15日 - 1947年1月19日)は、日本の理論物理学者・科学啓蒙家・歌人。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と石原純 · 続きを見る »

石坂公成

石坂 公成(いしざか きみしげ、1925年(大正14年)12月3日 - )は、日本の免疫学者。医学博士。ラホイヤ・アレルギー免疫研究所名誉所長scientist石坂公成 - JT生命誌研究館、2014年12月13日閲覧。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と石坂公成 · 続きを見る »

石川謙

石川 謙(いしかわ けん、1891年4月29日 - 1969年7月12日)は、日本の教育史学者、お茶の水女子大学名誉教授。岡崎女子短期大学初代学長。教育学者の石川松太郎は息子である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と石川謙 · 続きを見る »

火成岩

化学組成による火山岩の分類 火成岩(かせいがん、igneous rock)は、マグマが冷えて固まった岩石(若干の異物を取り込んだものを含む)。 火成岩は大きく分けて、火山岩(マグマが急激に冷えて固まったもの)と深成岩(マグマがゆっくり冷えて固まったもの)の2つに分類される。以前はその中間として半深成岩という分類もあったが、現在では使われない。火山岩と深成岩の分類において重要なのは、冷え固まったスピードであり、どの場所で固まったかは分類に関係しない。 また、SiO2の含有量(重量%)によって、超塩基性岩・塩基性岩・中性岩・酸性岩と分けられる。苦鉄質鉱物(マフィック鉱物)と珪長質鉱物(フェルシック鉱物)の量比により、超苦鉄質岩・苦鉄質岩・中間質岩・珪長質岩と分けられ、色指数により、超優黒質岩・優黒質岩・中色質岩・優白質岩と分けることもある。いずれの境界も、定義により値は異なる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と火成岩 · 続きを見る »

神戸正雄

戸 正雄(かんべ まさお、1877年(明治10年)4月19日 - 1959年(昭和34年)10月16日)は、愛知県一宮市出身の法学者、経済学者、政治家(京都市長で、公選第一号の市長。)。文化功労者。 正式には神戸ではなく、神戸の旧字である(カンベとよむ)。 日本における消費税提唱の先駆者として知られる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と神戸正雄 · 続きを見る »

福山敏男

福山 敏男(ふくやま としお、1905年4月1日 - 1995年5月20日)は、建築史家。京都大学名誉教授。寺社建築に関する研究の第一人者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と福山敏男 · 続きを見る »

租税

租税(そぜい、税(ぜい)、tax)とは、国や地方公共団体(政府等)が、公共財や公共サービスの経費として、法令の定めに基づいて国民や住民に負担を求める金銭である。現代社会においてほとんどの国が物納や労働ではなく「お金(おかね、その国で使用されている通貨)」による納税方法を採用しており、日本では税金(ぜいきん)と呼ばれている。 税制(ぜいせい)とは、「租税制度」を指す用語であり、国家の運営に係る歳入歳出(財政)の根幹、また政治経済(経世済民)そのものである。商売や契約・取引等の行為及び所得や有形無形の財産などに対して税を賦課することを課税(かぜい)、課税された税を納めることを納税(のうぜい)、徴収することを徴税(ちょうぜい)、それらについての事務を税務(ぜいむ)という。政府の財政状況において租税徴収額を減額することを減税、逆に増額することを増税という。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と租税 · 続きを見る »

秀村選三

村 選三(ひでむら せんぞう、1922年12月10日 - )は、日本の日本社会経済史学者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と秀村選三 · 続きを見る »

稲田龍吉

龍吉(いなだ りょうきち、1874年(明治7年)3月18日 - 1950年(昭和25年)2月27日)は、愛知県名古屋市出身の細菌学者。九州帝国大学医学部第一内科初代教授、恩賜財団母子愛育会愛育研究所(現・日本総合愛育研究所)初代所長を歴任。東京大学名誉教授、医学者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と稲田龍吉 · 続きを見る »

竹島卓一

竹島 卓一(たけしま たくいち、1901年4月29日 - 1992年1月14日)は、建築史家。名古屋工業大学名誉教授。中国建築史に関する研究の第一人者。特に、北宋時代の建築書『営造法式』の研究で知られる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と竹島卓一 · 続きを見る »

素粒子

物理学において素粒子(そりゅうし、elementary particle)とは、物質を構成する最小の単位のことである。基本粒子とほぼ同義語である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と素粒子 · 続きを見る »

細野秀雄

細野 秀雄(ほその ひでお、1953年9月7日 - )は日本の材料科学者。東京工業大学応用セラミックス研究所教授。主な研究分野は無機材料科学・ナノポーラス機能材料超電導物質、無機光・電子材料、磁気共鳴、透明酸化物半導体など。 セメントにおける高い電気伝導の金属状態の発見などで知られる。「超電導物質」の論文は科学雑誌「サイエンス」で「ブレイクスルー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、論文引用数でも世界一を記録した。2013年にトムソン・ロイター引用栄誉賞を受賞しており、ノーベル物理学賞受賞有力者の一人に挙げられている。埼玉県川越市出身。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と細野秀雄 · 続きを見る »

緒方知三郎

緒方 知三郎(おがた ともざぶろう、1883年1月31日 - 1973年8月25日)は、日本の病理学者。東京生まれ。 幕末の蘭学者・緒方洪庵の次男である緒方惟準の四男。緒方章は弟。緒方富雄、岡村昭彦は甥。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と緒方知三郎 · 続きを見る »

田原淳

原 淳(たわらすなお、たはら すなお、1873年7月5日 - 1952年1月19日)は日本の病理学者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と田原淳 · 続きを見る »

田中靖郎

中 靖郎(たなか やすお、1931年3月18日 - 2018年1月18日)は日本の宇宙物理学者。日本学士院会員。東京大学名誉教授。宇宙科学研究所名誉教授。X線天文学の分野で国際的な評価をうけている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と田中靖郎 · 続きを見る »

田仲一成

仲 一成(たなか いっせい、1932年11月5日 - )は、中国演劇の研究者、東京大学東洋文化研究所名誉教授、日本学士院会員、東洋文庫理事。 東京府生まれ。1955年東京大学法学部卒業、1962年同大学院人文科学研究科中国文学専攻博士課程単位取得満期退学、北海道大学文学部助手、1968年熊本大学法文学部講師、助教授、1971年日本中国学会賞受賞、1972年東大東洋文化研究所教授、1983年「中国祭祀演劇研究」で東大文学博士、1993年定年退官し名誉教授、金沢大学文学部教授、同年日本学士院賞受賞、1998年桜花学園大学教授、2000年退職、日本学士院会員。2007年勲三等瑞宝重光章受章。 中国演劇を祭祀の方面から研究し高い評価を受けている。岡山大を辞めた高島俊男が東大の図書室で『水滸伝』関係の本を探して見つからず、困惑してトイレに入っていると田仲が通りかかり、一瞥で高島を見つけ、一緒に探してくれたという心温まるエピソードがある(高島『水滸伝の世界』あとがき).

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と田仲一成 · 続きを見る »

田村実造

村 実造(たむら じつぞう、1904年5月25日 - 1999年2月24日)は、東洋史学者、京都大学名誉教授、元京都女子大学学長。 1930年代に中国東北部の実地調査を行い、契丹・遼代の遺跡墳墓を発掘、契丹文字を初めて学会に紹介した。 1940年に京都帝国大学助教授、1947年に教授、文学部長を務め、1968年に定年退官。1954年、日本学士院賞恩賜賞受賞。京都女子大学学長。1974年、勲二等瑞宝章受章。主著に『中国征服王朝の研究』、東洋史教科書作成にも多く参加した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と田村実造 · 続きを見る »

熊田誠

誠(くまだ まこと、1920年1月17日 - 2007年6月28日)は日本の化学者。京都大学名誉教授。専門は有機ケイ素化学、有機金属化学、有機合成化学など。福井県小浜市出身。 有機金属化学、特に有機ケイ素化学、遷移金属触媒反応の分野において先駆的な研究をしこの分野の発展に指導的役割を果たした。また多くの門下生を輩出した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と熊田誠 · 続きを見る »

物部長穂

物部 長穂(もののべ ながほ、1888年6月19日 - 1941年9月9日)は日本の土木学者。工学博士。日本の水理学、土木耐震学の草分け的存在。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と物部長穂 · 続きを見る »

相対性原理

対性原理(そうたいせいげんり, Principle of relativity)は、互いに運動する物体の座標系の間では、物理学の法則が不変な形を保つという原理。次の三つがある。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と相対性原理 · 続きを見る »

白血病

健康人の正常な血液。中央に1つある細胞が白血球。正常な血液で白血球は赤血球の 1/500 から 1/1000 の数しかない。なお、各写真は見やすいように染色した画像である。染色しない白血球や幼若細胞は無色半透明である。 急性骨髄性白血病 (AML-M6) の血液の例。白血病では赤血球は減少していることがあり、逆に白血球が著明に増加していたり(減少していることもある)、血球の幼若球(芽球)が末梢血に出現したりする。この画像では(健康人の血液では決して出現しない赤芽球に似た)白血病細胞が著明に出現している。なお、標本の作り方、観察方法によって顕微鏡写真像は異なるので、白血病の血液が皆、このように見えるとは限らない。 白血病(はっけつびょう、Leukemia)は、「血液のがん」ともいわれ、遺伝子変異を起こした造血細胞(白血病細胞)が骨髄で自律的に増殖して正常な造血を阻害し、多くは骨髄のみにとどまらず血液中にも白血病細胞があふれ出てくる血液疾患。白血病細胞が造血の場である骨髄を占拠するために造血が阻害されて正常な血液細胞が減るため感染症や貧血、出血症状などの症状が出やすくなり、あるいは骨髄から血液中にあふれ出た白血病細胞がさまざまな臓器に浸潤(侵入)して障害することもある。治療は抗がん剤を中心とした化学療法と輸血や感染症対策などの支持療法に加え、難治例では骨髄移植や臍帯血移植などの造血幹細胞移植治療も行われる。大きくは急性骨髄性白血病 (AML)、急性リンパ性白血病 (ALL)、慢性骨髄性白血病 (CML)、慢性リンパ性白血病 (CLL) の4つに分けられる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と白血病 · 続きを見る »

花山信勝

花山 信勝(はなやま しんしょう、1898年(明治31年)12月3日 - 1995年(平成7年)3月20日)は、日本の仏教学者、浄土真宗本願寺派の僧侶。東京大学名誉教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と花山信勝 · 続きを見る »

莫高窟

莫高窟(ばっこうくつ)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の近郊にある仏教遺跡。この中から出た敦煌文書でも有名である。敦煌石窟(とんこうせっくつ)・敦煌千仏洞(とんこうせんぶつどう)とも。1961年に中華人民共和国の全国重点文物保護単位に、1987年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と莫高窟 · 続きを見る »

聖徳太子

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))・厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)は、飛鳥時代の皇族・政治家。「聖徳太子」は、後世の諡号。用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と聖徳太子 · 続きを見る »

須磨千頴

千頴(すま ちかい、1929年1月20日 - )は、日本の歴史学者。南山大学名誉教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と須磨千頴 · 続きを見る »

表章

表 章(おもて あきら、1927年4月26日 - 2010年9月7日)は、能楽研究者。法政大学名誉教授。能楽史、世阿弥伝書などの研究で著名であった。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と表章 · 続きを見る »

衛星

主要な衛星の大きさ比較 衛星(えいせい、natural satellite)は、惑星や準惑星・小惑星の周りを公転する天然の天体。ただし、惑星の環などを構成する氷や岩石などの小天体は、普通は衛星とは呼ばれない。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と衛星 · 続きを見る »

飯島澄男

飯島 澄男(いいじま すみお、1939年5月2日 - )は、日本の物理学者および化学者。埼玉県越谷市出身。 文化功労者、恩賜賞・日本学士院賞受賞者、文化勲章受章者。日本学士院会員。名古屋大学高等研究院アカデミー会員、名古屋大学特別招聘教授。名城大学終身教授。 カーボンナノチューブの発見(1991年)と電子顕微鏡による構造決定の仕事で、世界的に有名になった。金の原子がアメーバのように動く金超微粒子の“構造ゆらぎ”現象を発見(1984年)。 ノーベル化学賞・物理学賞の有力候補とも見られている。 名城大学終身教授、NEC特別主席研究員をはじめ多数の職を現職で兼任する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と飯島澄男 · 続きを見る »

西夏語

西夏語(Tangut)は、古代の北東チベット・ビルマ語族の言語であり、西夏王朝においてかつて話されていた。言語学者によってはこの言語をチャン語・ギャロン語などとおなじに含めることがある。チベット語やビルマ語とは遠い親縁関係にあり、中国語とはさらに遠い親縁関係にある。 西夏語は11世紀はじめにタングート人によって建てられた西夏王朝(チベット語でミニャクと呼ばれ、漢字で「弥薬」と音訳される)の公用語であった。西夏は1226年にチンギス・ハーンの侵略によって滅亡した。 西夏語は専用の書記体系である西夏文字を持っていた。 西夏語で書かれた現存するもっとも年代の新しい文献は1502年の紀年のある石幢であり、このことは西夏滅亡後300年近くたってもまだ西夏語が使われていたことを示唆する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と西夏語 · 続きを見る »

西田龍雄

西田 龍雄(にしだ たつお、1928年11月26日 - 2012年9月26日)は、日本の言語学者、京都大学名誉教授、学術情報センター名誉教授、元日本学士院会員、文化功労者、日本学士院恩賜賞受賞。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と西田龍雄 · 続きを見る »

西村暹

西村 暹(にしむら すすむ、1931年4月7日 - )は日本の生化学者、分子生物学者。在米中ハー・ゴビンド・コラナの研究室において、遺伝暗号解読プロジェクトで中心的な役割を果たした。1968年コラナはこの仕事でノーベル生理学・医学賞を受賞した。帰国後はtRNAの研究に転じ世界的な研究拠点を形成した。アメリカ生化学・分子生物学会名誉会員。東京府東京市深川区生まれ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と西村暹 · 続きを見る »

角谷静夫

角谷 静夫(かくたに しずお、1911年(明治44年)8月28日 - 2004年(平成16年)8月17日 )は日本の数学者。イェール大学名誉教授。娘は文芸批評家の角谷美智子。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と角谷静夫 · 続きを見る »

諸熊奎治

諸熊 奎治(もろくま けいじ、1934年(昭和9年)7月12日 - 2017年(平成29年)11月27日)は、大阪府泉佐野市出身の理論化学者、日本学士院会員。鹿児島県鹿児島市生まれ。男性。 自然科学研究機構分子科学研究所名誉教授。アメリカ合衆国エモリー大学名誉教授。京都大学福井謙一記念研究センターシニアリサーチフェロー、国際量子分子科学アカデミー前会長。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と諸熊奎治 · 続きを見る »

高崎直道

崎 直道(たかさき じきどう、1926年9月6日 - 2013年5月4日)は、日本の仏教学者、僧侶、東京大学・鶴見大学名誉教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と高崎直道 · 続きを見る »

高田修

修(たかた おさむ、1907年9月8日 - 2006年10月27日)は、日本の仏教学者。東北大学名誉教授。インド哲学・仏教美術専攻。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と高田修 · 続きを見る »

高橋信次 (放射線医学者)

橋 信次(たかはし しんじ、1912年1月28日 - 1985年4月2日)は、日本の医学者、放射線科医。X線廻転(回転)撮影法・X線多色撮影法・X線拡大撮影法を開発し、放射線診断学の発展に大きく寄与した。 名古屋大学医学部教授、浜松医科大学副学長、愛知県がんセンター総長などを歴任。福島県二本松市出身。東北帝国大学医学部卒業。医学博士。文化勲章受章者。日本学士院会員。二本松市名誉市民。日本医師会医学賞、恩賜賞・日本学士院賞、スウェーデン王立科学アカデミーゴールドメダルなどを受賞。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と高橋信次 (放射線医学者) · 続きを見る »

賞(しょう、アワード、アウォード、プライズ、award、prize)とは、表彰の一種である。個人または団体に対して審査・判定をした上で、ある分野での秀逸性や達成した業績を讃える目的で贈呈あるいは授与されるもの。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と賞 · 続きを見る »

足立文太郎

足立 文太郎(あだち ぶんたろう、慶応元年6月15日(1865年8月1日) - 昭和20年(1945年)4月1日)は日本の解剖学者、人類学者。軟部人類学、とくに日本人を対象とした解剖学研究の先駆者。静岡県伊豆出身。 東京帝国大学医科大学卒業後、1899年からドイツのストラスブルク大学に留学、帰国後第三高等学校教授を経て、京都帝国大学医学部教授となり、解剖学を担当。筋の異常の統計学的研究のほか、諸民族の体臭と耳垢についての遺伝学的・組織学的研究などが知られる。1925年定年退職後、大阪高等医学専門学校(現:大阪医科大学)の初代校長を務めた。1930年に帝国学士院恩賜賞を受賞。女婿に作家の井上靖がいる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と足立文太郎 · 続きを見る »

辻二郎

辻 二郎(つじ じろう、1927年5月11日 - )は、日本の化学者、東京工業大学栄誉教授。滋賀県出身。 パラジウム触媒を用いた有機合成反応の先駆者。世界で最初にパラジウム化合物を用いる炭素-炭素結合生成反応を発見し、中でも辻・トロスト反応は有名である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と辻二郎 · 続きを見る »

辻善之助

辻 善之助(つじ ぜんのすけ、 1877年(明治10年)4月15日 - 1955年(昭和30年)10月13日)は、戦前の日本の歴史学者。東京帝国大学名誉教授。文学博士。専門は日本仏教史。仏教史研究から日本人の精神と日本文化の形成を探求し実証主義的研究を貫き、日本史学の発展に寄与。兵庫県出身。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と辻善之助 · 続きを見る »

近藤淳

近藤 淳(こんどう じゅん、1930年2月6日 - )は、日本の男性物理学者。東京府出身。東邦大学名誉教授、産業技術総合研究所特別顧問。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と近藤淳 · 続きを見る »

能勢朝次

能勢 朝次(のせ あさじ、1894年(明治27年)4月1日 - 1955年(昭和30年)2月25日)は、日本の能楽研究者、国文学者。京都府北桑田郡山国村に生まれる。1923年(大正12年)京都帝国大学文学部国文科卒業。1924年(大正13年)大谷大学教授となる。以降、京都帝国大学、東京高等師範学校、東京文理科大学、東京教育大学などで教職につき、1954年(昭和29年)奈良学芸大学学長となった。1947年「能楽源流考」で東京文理科大学文学博士。 中世、近世文学研究を専門とし、とくに能楽研究の分野では膨大な史料を分析的に使う手法と卓抜した創見で斯界に一時代を画した。主著は1938年(昭和13年)に上梓された『能楽源流考』(岩波書店)。「平安時代の猿楽」「鎌倉吉野時代の猿楽」の2篇と附篇の「田楽攷」からなり、能の発生から戦国末期までの能楽史を網羅する。以後、能楽史研究においては、本著の学説をいかに乗り越えるかが目標とさえ言われている。この著書により1940年(昭和15年)、帝国学士院(現・日本学士院)の恩賜賞を受賞する審査要旨については(日本学士院公式サイト)を参照のこと。。 他に岩波で『世阿弥十六部集評釈』上下巻、名著刊行会で『三冊子評釈』などの著書がある。『能勢朝次著作集』全10巻が1981~85年に思文閣出版で刊行された。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と能勢朝次 · 続きを見る »

都築忠七

都築 忠七 (つづき ちゅうしち、1926年9月18日 - ) は日本の社会思想史研究者。一橋大学名誉教授、オックスフォード大学博士、ケンブリッジ大学博士。 日本学士院賞・恩賜賞受賞。一橋大学社会学部長、ケンブリッジ大学海外招聘フェロー、オックスフォード大学客員教授、シェフィールド大学客員教授等を歴任し、イギリス労働運動史研究においてヨーロッパで高い評価を得た。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と都築忠七 · 続きを見る »

能楽

中尊寺鎮守 白山神社の能舞台(重要文化財) 日牟禮八幡宮の能舞台 日牟禮八幡宮能舞台の橋がかり 能楽(のうがく)は、日本の伝統芸能であり、式三番(翁)を含む能と狂言とを包含する総称である。重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と能楽 · 続きを見る »

胃癌

胃癌(いがん、英:Stomach cancer または gastric cancer、独:Magenkrebs)は、胃に生じる悪性腫瘍・癌の総称。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と胃癌 · 続きを見る »

''アメリゴ・ヴェスプッチ'' 船(ふね、舟、舩)とは、人や物をのせて水上を渡航(移動)する目的で作られた乗り物の総称である広辞苑 第五版 p.2354「ふね【船・舟・槽】」。 基本的には海、湖、川などの水上を移動する乗り物を指しているが、広い意味では水中を移動する潜水艇や潜水艦も含まれる。動力は人力・帆・原動機などにより得る。 大和言葉、つまりひらがなやカタカナの「ふね」「フネ」は広範囲のものを指しており、規模や用途の違いに応じて「船・舟・槽・艦」などの漢字が使い分けられている。よりかしこまった総称では船舶(せんぱく)あるいは船艇(せんてい)などとも呼ばれる(→#呼称参照)。 水上を移動するための乗り物には、ホバークラフトのようにエアクッションや表面効果を利用した船に近いものも存在する。また、水上機や飛行艇のように飛行機の機能と船の機能を組み合わせた乗り物も存在し、水上機のフロートや飛行艇の艇体は「浮舟」(うきぶね)と表現される。 なお、宇宙船や飛行船などの水上以外を航行する比較的大型の乗り物も「ふね」「船」「シップ」などと呼ばれる。これらについては宇宙船、飛行船などの各記事を参照のこと。また舟に形状が似ているもの、例えば刺身を盛る浅めの容器、セメントを混ぜるための容器(プラ舟)等々も、その形状から「舟」と呼ばれる。これらについても容器など、各記事を参照のこと。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と船 · 続きを見る »

船田享二

船田 享二(ふなだ きょうじ、1898年(明治31年)1月13日 - 1970年(昭和45年)3月14日)は、日本の法学者、教育者、政治家。法学の専門はローマ法。教育者として作新学院院長。政治家として衆議院議員(当選3回)、行政管理庁長官、賠償庁長官。政治家一家として知られた「船田三兄弟」の次男で、衆議院議長となった船田中は兄、自治大臣や運輸大臣などを歴任した藤枝泉介は実の弟にあたる。また夫人の船田文子は主婦連副会長をつとめた。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と船田享二 · 続きを見る »

赤崎勇

赤﨑 勇(あかさき いさむ、1929年1月30日 - )は、日本の半導体工学者。学位は工学博士(名古屋大学)。名城大学大学院理工学研究科終身教授、名城大学先端科学技術研究所所長、名古屋大学特別教授・名誉教授、名古屋大学赤﨑記念研究センターフェロー。京都大学名誉博士。文化功労者、文化勲章受章者、日本学士院会員。2014年『高輝度青色発光ダイオードの発明』でノーベル物理学賞を受賞。 株式会社松下電器東京研究所基礎第4研究室室長、松下技研株式会社半導体部長、名古屋大学工学部教授などを歴任した。 「赤﨑」の「﨑」は山偏に竒(いわゆる「たつさき」)であるが、JIS X 0208に収録されていない文字のため、赤崎 勇と表記されることも多い。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と赤崎勇 · 続きを見る »

関数 (数学)

数学における関数(かんすう、、、、、函数とも)とは、かつては、ある変数に依存して決まる値あるいはその対応を表す式の事であった。この言葉はライプニッツによって導入された。その後定義が一般化されて行き、現代的には数の集合に値をとる写像の一種であると理解される。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と関数 (数学) · 続きを見る »

薩摩藩

薩摩藩庁が置かれた鹿児島城 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、間接的に沖縄県の大部分を服属させた。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と薩摩藩 · 続きを見る »

藤田良雄

藤田 良雄(ふじた よしお、1908年9月28日 - 2013年1月9日)は、日本の天文学者。東京大学名誉教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と藤田良雄 · 続きを見る »

藤本隆宏 (経営学者)

藤本 隆宏(ふじもと たかひろ、1955年6月12日 - )は、日本の経営学者。東京大学大学院経済学研究科教授 (1999 -)。2000年・2001年新郷賞。2002年日本学士院恩賜賞。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と藤本隆宏 (経営学者) · 続きを見る »

肝癌

肝癌(かんがん、Liver cancer)は、肝臓に発生する悪性腫瘍の総称である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と肝癌 · 続きを見る »

邨岡良弼

邨岡良弼(むらおか りょうすけ、 弘化2年2月10日(1845年3月17日) - 大正6年(1917年)1月4日)は明治時代の法制官僚、法制史学者、歴史学者。幼名は五郎。字は賚卿。号は櫟斎。旧姓は渋谷氏、本姓は平氏。正七位。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と邨岡良弼 · 続きを見る »

醍醐寺

醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある仏教寺院、真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持つ。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と醍醐寺 · 続きを見る »

野口英世

野口 英世(のぐち ひでよ、1876年(明治9年)11月9日 - 1928年(昭和3年)5月21日)は、日本の医師、細菌学者。福島県耶麻郡三ッ和村(現:耶麻郡猪苗代町)出身。 高等小学校を卒業して上京し、ほぼ独学のみで医術開業試験に合格して医師となった。渡米してペンシルベニア大学医学部の助手の職に就き、研究者としての名声を得てからロックフェラー医学研究所研究員となった。主に細菌学の研究に従事し、黄熱病や梅毒の研究で知られる。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がったが、黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年(昭和3年)5月21日、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。 栄典は、正五位・勲二等旭日重光章。学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。称号はブラウン大学名誉理学博士、イェール大学名誉理学博士、パリ大学名誉医学博士、サン・マルコス大学名誉教授・名誉医学博士、エクアドル共和国陸軍名誉軍医監・名誉大佐。キリスト者。 妻はメリー・ロレッタ・ダージス。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と野口英世 · 続きを見る »

量子論

量子論(りょうしろん)とは、ある物理量が任意の値を取ることができず、特定の離散的な値しかとることができない、すなわち量子化を受けるような全ての現象と効果を扱う学問である。粒子と波動の二重性、物理的過程の不確定性、観測による不可避な擾乱も特徴である。量子論は、マックス・プランクのまで遡る全ての理論、、概念を包括する。量子仮説は1900年に、例えば光や物質構造に対する古典物理学的説明が限界に来ていたために産まれた。 量子論は、相対性理論と共に現代物理学の基礎的な二つの柱である。量子物理学と古典物理学との間の違いは、微視的な(例えば、原子や分子の構造)もしくは、特に「純粋な」系(例えば、超伝導やレーザー光)において特に顕著である。しかし、様々な物質の化学的および物理的性質(色、磁性、電気伝導性など)のように日常的な事も、量子論によってしか説明ができない。 量子論には、量子力学と量子場理論と呼ばれる二つの理論物理学上の領域が含まれる。量子力学はの場の影響下での振る舞いを記述する。量子場理論は場も量子的対象として扱う。これら二つの理論の予測は、実験結果と驚くべき精度で一致する。唯一の欠点は、現状の知識状態では一般相対性理論と整合させることができないという点にある。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と量子論 · 続きを見る »

自律神経系

自律神経系(じりつしんけいけい、Autonomic nervous system)は、末梢神経系のうち植物性機能を担う神経系であり、動物性機能を担う体性神経系に対比される。自律神経系は内臓諸臓器の機能を調節する遠心性機序と内臓からの情報を中枢神経系に伝える求心性の機序という2つの系からなる。 交感神経系と副交感神経系の2つの神経系で構成されている。 また、腸管を支配する神経系として壁内腸神経系と呼ばれる神経系もある。発生学的には脳よりも早い。また、壁内腸神経系を第2の脳とも言われている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と自律神経系 · 続きを見る »

金 (王朝)

金(きん、拼音:Jīn、女真語: 、1115年 - 1234年)は、金朝(きんちょう)ともいい、中国の北半を支配した女真族の征服王朝。 国姓は完顔氏。遼・北宋を滅ぼし、西夏を服属させ、中国南半の南宋と対峙したが、モンゴル帝国(元)に滅ぼされた。都は初め会寧(上京会寧府、現在の黒竜江省)、のち燕京(中都大興府、現在の北京)。『金史』、欽定満洲源流考には「金の始祖函普は高麗からやって来た」とある。『函普』は阿骨打(あこつだ、女真音:アクダ)の7代祖である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と金 (王朝) · 続きを見る »

金田一京助

金田一 京助(きんだいち きょうすけ、1882年(明治15年)5月5日 - 1971年(昭和46年)11月14日)は、日本の言語学者、民俗学者。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる。國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授。日本学士院会員。日本言語学会会長(二代目)。東京帝国大学より文学博士。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章・文化勲章。盛岡市名誉市民。歌人・石川啄木の親友であったことでも有名。 長男の春彦、孫の真澄や秀穂も言語学者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と金田一京助 · 続きを見る »

長広敏雄

長広 敏雄(長廣 敏雄、ながひろ としお、1905年12月27日 - 1990年11月28日)は、日本の美術史学者。専攻は東洋美術史。京都大学名誉教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と長広敏雄 · 続きを見る »

長田重一

長田 重一(ながた しげかず、1949年(昭和24年)7月15日 - )は、日本の生物学者(分子生物学)である。京都大学大学院医学研究科医化学教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と長田重一 · 続きを見る »

長慶天皇

長慶天皇(ちょうけいてんのう)は、南北朝時代の第98代天皇にして、南朝の第3代天皇(在位:正平23年/応安元年(1368年) 3月鴨脚本『皇代記』によるが、日付を欠くため、3月11日の後村上天皇崩御を受けたものか、あるいは先だって行われた譲位を受けたものか、確認しがたい。 - 弘和3年/永徳3年(1383年)冬)。諱は寛成(ゆたなり)。 南朝関係史料の少なさから、近世以来諸家の間で天皇の在位・非在位をめぐる議論があり、明治44年(1911年)3月に明治天皇が南朝を正統とする勅裁を下した際も在位認定されないままであったが、大正時代に入って、八代国治・武田祐吉の実証的研究が決定的な在位説として評価される。これを受けて宮内省の調査が行われ、大正15年(1926年)10月21日に皇統加列についての詔書発布があり、ここにようやく長慶天皇の在位の事実が公認されるに至った。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と長慶天皇 · 続きを見る »

雲崗石窟

雲崗石窟(うんこうせっくつ)は、中華人民共和国山西省大同市の西方20kmに所在する、東西1kmにわたる約40窟の石窟寺院。「雲崗石窟」としてユネスコの世界遺産 (文化遺産) に登録されているが、あくまでも日本関係者の作業による結果と思われる。現地名は「雲岡石窟」と表記され、色々な専門書においてもその記述で統一されている上に、中国でのオフィシャルサイトの登録も全て「雲岡石窟」及び簡体字表記の「云冈石窟」で統一されている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と雲崗石窟 · 続きを見る »

電子顕微鏡

電子顕微鏡(でんしけんびきょう)とは、通常の顕微鏡(光学顕微鏡)では、観察したい対象に光(可視光線)をあてて拡大するのに対し、光の代わりに電子(電子線)をあてて拡大する顕微鏡のこと。電子顕微鏡は、物理学、化学、工学、生物学、医学(診断を含む)などの各分野で広く利用されている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と電子顕微鏡 · 続きを見る »

T細胞

T細胞 T細胞(ティーさいぼう、T cell、T lymphocyte)とは、リンパ球の一種で、骨髄で産生された前駆細胞が胸腺での選択を経て分化成熟したもの。細胞表面に特徴的なT細胞受容体(T cell receptor;TCR)を有している。末梢血中のリンパ球の70〜80%を占める。名前の『T』は胸腺を意味するThymusに由来する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とT細胞 · 続きを見る »

X線

透視画像。骨と指輪の部分が黒く写っている。 X線(エックスせん、X-ray)とは、波長が1pm - 10nm程度の電磁波のことを言う。発見者であるヴィルヘルム・レントゲンの名をとってレントゲン線と呼ばれる事もある。放射線の一種である。X線撮影、回折現象を利用した結晶構造の解析などに用いられる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)とX線 · 続きを見る »

柳田充弘

柳田 充弘(やなぎだ みつひろ、1941年4月4日 - )は、日本の分子生物学者。沖縄科学技術大学院大学教授、京都大学名誉教授。理学博士。専門は細胞周期と染色体分配の機構。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と柳田充弘 · 続きを見る »

柳田敏雄

柳田 敏雄(やなぎだ としお、1946年10月10日 - )は日本の生物物理学者。蛍光顕微鏡、レーザートラップ顕微鏡等を用いた一分子計測の先駆者。大阪大学大学院生命機能研究科の特任教授、名誉教授。理化学研究所生命システム研究センターセンター長、脳情報通信融合研究センターセンター長。兵庫県出身。大沢文夫の直弟子。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と柳田敏雄 · 続きを見る »

柴田雄次

柴田 雄次(しばた ゆうじ、1882年1月28日 - 1980年1月28日)は、東京府出身の化学者。東京大学名誉教授。正三位勲一等瑞宝章。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と柴田雄次 · 続きを見る »

柴田桂太

柴田 桂太(しばた けいた、1877年9月20日-1949年11月19日)は、日本の植物生理学者・生化学者・微生物化学者。薬学者柴田承桂の長男。弟に化学者柴田雄次がいる。文化功労者・薬学者柴田承二の父。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と柴田桂太 · 続きを見る »

林忠四郎

林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年(大正9年)7月25日 - 2010年(平成22年)2月28日)は、日本の宇宙物理学者2010年3月1日 アストロアーツ、産経ニュース,、2010.3.1 12:16、京都新聞, 2010年03月01日 12時43分、稲盛財団ニュース, No.71.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と林忠四郎 · 続きを見る »

林泰輔

林 泰輔(はやし たいすけ、1854年(安政元年) - 1922年(大正11年))は、日本の漢学者。下総の人。号は進斎。 東京高等師範学校教授を務め、著書『周公と其時代』で学士院恩賜賞を受賞、『亀甲獣骨文字』の刊行で日本の甲骨学の先駆者となる。その甲骨文の研究は羅振玉にも影響を与え、甲骨学の大成に貢献した中西 P.812貝塚(書道全集) PP..13-14。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と林泰輔 · 続きを見る »

林文夫

林 文夫(はやし ふみお、1952年4月18日 - )は、日本の経済学者。専門はマクロ経済学・計量経済学。ペンシルバニア大学教授、コロンビア大学教授、東京大学教授、一橋大学教授、政策研究大学院大学教授を歴任。アメリカ芸術科学アカデミー外国人名誉会員、Econometric Society終身特別会員。2001年日本学士院恩賜賞受賞。1995年日本経済学会第一回中原賞受賞。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と林文夫 · 続きを見る »

掛谷宗一

掛谷 宗一(かけや そういち、1886年1月18日 - 1947年1月9日)は日本の数学者。東京帝国大学教授。統計数理研究所所長。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と掛谷宗一 · 続きを見る »

恩賜賞 (日本芸術院)

恩賜賞(おんし しょう)は、日本芸術院がその会員以外の者に授与する賞のひとつ。 日本芸術院は、卓越した芸術作品を制作した者や芸術の進歩に貢献する業績があった者に対して毎年日本芸術院賞を授与しているが、昭和24年度にあたる1950年(昭和25年)からはその受賞者が増えたことから、以後は毎年の受賞者の中でも特に選ばれた者に対してこの恩賜賞を授与するようになった。 日本芸術院賞と共に皇室の下賜金で賄われており、受賞者には賜品が贈呈される。 授賞式は天皇・皇后の臨席のもと、毎年6月に挙行される。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と恩賜賞 (日本芸術院) · 続きを見る »

恒星

恒星 恒星(こうせい)は、自ら光を発し、その質量がもたらす重力による収縮に反する圧力を内部に持ち支える、ガス体の天体の総称である。人類が住む地球から一番近い恒星は、太陽系唯一の恒星である太陽である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と恒星 · 続きを見る »

松下忠

松下 忠(まつした ただし、1908年12月10日 - 1994年8月9日)は、日本の漢文学者。 熊本県出身。1938年東京文理科大学漢文学科卒。諸橋轍次に師事。1962年「江戸時代の詩風及び詩論の研究」で東京教育大学文学博士。和歌山大学教授、72年定年退官、名誉教授、日本大学教授。1972年「江戸時代の詩風詩論―明清の詩論とその摂取」で日本学士院賞・恩賜賞受賞。同年和歌山県文化賞、1980年勲二等瑞宝章受章。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と松下忠 · 続きを見る »

松村剛

松村 剛(まつむら たけし、1960年1月31日 - )は、日本の文学研究者、東京大学総合文化研究科教授(言語情報科学)。中世フランス文献学専攻。 東京都中野区生まれ。1980-1981年パリ第4大学留学、1983年東大教養学部フランス科卒、1984年トゥールーズ大学修士課程修了、1986年東大大学院人文科学研究科フランス文学修士課程修了、1986年から1989年までパリ第4大学博士課程在籍、1990年東大教養学部専任講師、1993年助教授、1997年パリ第4大学博士号取得、2007年総合文化研究科准教授。教授となる。 2000年フランス学士院碑文・文芸アカデミーよりランティエ賞受賞。2018年日本学士院賞・恩賜賞受賞(Dictionnaire du français médiéval(『中世フランス語辞典』)により)。 妻の松村恵理は新倉俊一(フランス文学者)の娘で美術史家。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と松村剛 · 続きを見る »

松村武雄

松村 武雄(まつむら たけお、1883年(明治16年)8月23日 - 1969年(昭和44年)9月25日)は、日本の神話学者。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と松村武雄 · 続きを見る »

松本栄一

松本 栄一(まつもと えいいち)は、日本の政治家である。千葉県出身。船橋市の第5代市長。千葉県議会議員。千葉県弁護士会長。特殊法人日本小型自動車振興会初代会長。 1947年の第1回統一地方選挙で初の公選市長として当選、1期4年務めた。この間、船橋競馬場の開設と船橋オートレース場の併設に当たったことから、市長退任後はオートレースの関係者に迎えられ、千葉県小型自動車競走会の会長を経て1961年に日本小型自動車競走会連合会の会長となり、1962年には改組された日本小型自動車振興会の初代会長となった。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と松本栄一 · 続きを見る »

松浦純

松浦 純(まつうら じゅん、1949年9月1日 - )は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。東京都立新宿高等学校卒業、1974年東大教養学科ドイツ分科卒、76年同大学院人文科学研究科独文科修士課程修了、東大助手、西ドイツテュービンゲン大学留学、1980年東京都立大学人文学部講師、1983年助教授、1985年東大文学部助教授、ドイツ語学文学振興会賞受賞、1994年教授、人文社会系研究科教授。2015年定年退任、名誉教授。専門はマルティン・ルター。 1995年ドイツ連邦共和国大統領よりフィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞。 2013年日本学士院賞・恩賜賞受賞。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と松浦純 · 続きを見る »

村上哲見

村上 哲見(むらかみ てつみ、1930年7月18日 - )は中国文学者で東北大学名誉教授。専攻は唐代から宋代にかけての詩人研究。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と村上哲見 · 続きを見る »

杉村隆

杉村 隆(すぎむら たかし、1926年4月20日 - )は、日本の基礎医学研究者。国立がんセンター名誉総長、東邦大学名誉学長。国立がんセンター在職時に東京大学医科学研究所教授を併任。文化勲章受章者。日本学士院院長(第25代)、米国・スウェーデン・オランダ学士院外国会員。山形県鶴岡市および東京都武蔵野市名誉市民。癌医学界の重鎮として長年にわたって活躍している。東京都出身。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と杉村隆 · 続きを見る »

核酸

RNAとDNA、それぞれの核酸塩基 核酸(かくさん)は、リボ核酸 (RNA)とデオキシリボ核酸 (DNA)の総称で、塩基と糖、リン酸からなるヌクレオチドがホスホジエステル結合で連なった生体高分子である。糖の部分がリボースであるものがRNA、リボースの2'位の水酸基が水素基に置換された2-デオキシリボースであるものがDNAである。RNAは2'位が水酸基であるため、加水分解を受けることにより、DNAよりも反応性が高く、熱力学的に不安定である。糖の 1'位には塩基(核酸塩基)が結合している。さらに糖の 3'位と隣の糖の 5'位はリン酸エステル構造で結合しており、その結合が繰り返されて長い鎖状になる。転写や翻訳は 5'位から 3'位への方向へ進む。 なお、糖鎖の両端のうち、5'にリン酸が結合して切れている側のほうを 5'末端、反対側を 3'末端と呼んで区別する。また、隣り合う核酸上の領域の、5'側を上流、3'側を下流という。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と核酸 · 続きを見る »

森和俊

森 和俊(もり かずとし、1958年7月7日 - )は、日本の生物学者。薬学博士(京都大学)。京都大学大学院理学研究科教授。専門は、分子生物学、細胞生物学、生物物理学。岡山県倉敷市出身。 テキサス大学博士研究員、エイチ・エス・ピー研究所主任研究員などを経て、1999年京大助教授、2003年同教授。細胞内の小胞体で作られた不良品のタンパク質がどのように感知され、処理されるかを明らかにした、小胞体ストレス応答の研究で知られる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と森和俊 · 続きを見る »

武藤清

武藤 清(むとう きよし、1903年1月29日 - 1989年3月12日)は、日本の建築家、建築構造学者、構造家。千葉工業大学工学部建築学科の創設者。元鹿島建設副社長。兄は医学者の武藤完雄。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と武藤清 · 続きを見る »

水野清一

水野 清一(みずの せいいち、1905年3月24日 - 1971年5月25日)は、日本の考古学者。京都大学名誉教授。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と水野清一 · 続きを見る »

永宮健夫

永宮 健夫(ながみや たけお、1910年6月1日 - 2006年6月3日)は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。専門は固体物理学で、特に反強磁性体の理論の仕事は名高い。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と永宮健夫 · 続きを見る »

江口徹

江口 徹(えぐち とおる、1948年2月 - )は、日本の素粒子物理学研究者で、京都大学基礎物理学研究所元所長である。茨城県土浦市生まれ。2009年、「数理物理学的な手法による素粒子論の研究」により恩賜賞・日本学士院賞を受賞。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と江口徹 · 続きを見る »

江橋節郎

江橋 節郎(えばし せつろう、1922年8月31日 - 2006年7月17日)は、日本の薬理学、分子生物学者。従三位勲一等医学博士。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と江橋節郎 · 続きを見る »

江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と江戸時代 · 続きを見る »

池野成一郎

池野 成一郎(いけの せいいちろう、1866年6月25日(慶応2年5月13日) - 1943年(昭和18年)10月4日)は日本の植物学者。日本の植物形態学の先駆者でソテツの精子を発見した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と池野成一郎 · 続きを見る »

油脂

油脂(ゆし)とは脂肪酸とグリセリンとのエステルで普通はトリグリセリド(トリ-O-アシルグリセリン)の形態を取るもの。いわゆる「あぶら」。一般に常温で液体のものを「脂肪油」(中国語の漢字「油」による)、固体のものを「脂肪」(中国語の漢字「脂」による)と呼び分ける。 生物から分離される脂質には原料の違いから動物油脂と植物油脂、また組成および物性の違い(不飽和脂肪酸が多く液状、飽和脂肪酸が多く常温で個体)から、それぞれ植物油・動物油(液体)と植物脂・動物脂(個体)に分けられる。ヤシ油やパーム油などが植物脂で、牛脂・豚脂・バターが固形の動物脂で、魚油や鯨油が液体で動物油である。 脂肪油で酸化を受けて固まりやすい順に乾性油、半乾性油、不乾性油と分類される。 食用、工業用など様々な用途で利用されている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と油脂 · 続きを見る »

沼田頼輔

沼田 頼輔(ぬまた よりすけ(らいすけ)、慶応3年4月7日(1867年5月10日) - 昭和9年(1934年)11月27日)は、日本の紋章学者、歴史学者である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と沼田頼輔 · 続きを見る »

法制史

法制史(ほうせいし)とは、法律の歴史や、歴史上の法律のあり方について研究する学問。法史学(ほうしがく)・国制史(こくせいし)などとも呼ばれる。 歴史学としての側面と法律学としての側面を併せ持っており、歴史学の分野からは法律制度やこれに基づく国家体制の変遷などを明らかにする学問であり、法律学の分野からは法律の発展を歴史学的方法を通じて明らかにする学問である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と法制史 · 続きを見る »

深尾良夫

深尾 良夫(ふかお よしお、1943年11月13日 - )は、日本の地球科学者。日本学士院会員。専門は地震学。理学博士。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と深尾良夫 · 続きを見る »

湯川秀樹

湯川 秀樹(ゆかわ ひでき、1907年(明治40年)1月23日 - 1981年(昭和56年)9月8日)は、日本の理論物理学者。 京都府京都市出身。 原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子の存在を1935年に理論的に予言した。1947年、イギリスの物理学者セシル・パウエルが宇宙線の中からパイ中間子を発見したことにより、湯川の理論の正しさが証明され、これにより1949年(昭和24年)、日本人として初めてノーベル賞を受賞した。 京都大学・大阪大学名誉教授。京都市名誉市民。1943年(昭和18年)文化勲章。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。学位は理学博士。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と湯川秀樹 · 続きを見る »

朝比奈泰彦

朝比奈 泰彦(あさひな やすひこ、1881年4月16日 - 1975年6月30日)は日本の薬学者、薬化学者。東京大学名誉教授。薬学博士人事興信所、1925年、あ一〇一頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。。帝国学士院会員、文化勲章受章者。昆虫学者の朝比奈正二郎は次男。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と朝比奈泰彦 · 続きを見る »

木原均

木原 均(きはら ひとし、1893年10月21日 - 1986年7月27日)は、日本の遺伝学者。京都大学名誉教授。元国立遺伝学研究所所長。理学博士(京都帝国大学、1924年)。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と木原均 · 続きを見る »

木村栄

木村 栄(きむら ひさし、旧字体:榮、1870年10月4日(明治3年9月10日)- 1943年(昭和18年)9月26日)は、日本の天文学者、理学博士。 石川県石川郡野村字泉野(現・石川県金沢市)出身。寺尾寿に位置天文学を、田中舘愛橘に地球物理学を学んだ。長女・伊登子は物理学者の茅誠司と結婚したので、茅は木村の娘婿にあたる。工学者の茅陽一と化学者の茅幸二は孫。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と木村栄 · 続きを見る »

木村泰賢

木村 泰賢(きむら たいけん、1881年8月11日-1930年5月16日)は、日本の曹洞宗の僧侶(岩手県東慈寺住職)、インド哲学者、仏教学者、東京帝国大学教授。文学博士。日本における近代仏教学の確立に貢献した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と木村泰賢 · 続きを見る »

本庶佑

本庶 佑(ほんじょ たすく、1942年1月27日 - )は、日本の医師、医学者(医化学・分子免疫学)。勲等は文化勲章。学位は医学博士(京都大学・1975年)。京都大学名誉教授・高等研究院特別教授、公益財団法人先端医療振興財団理事長、ふじのくに地域医療支援センター理事長、静岡県公立大学法人顧問、日本学士院会員、文化功労者。 京都大学医学部副手、東京大学医学部助手、大阪大学医学部教授、京都大学医学部教授、京都大学大学院医学研究科教授、京都大学大学院医学研究科研究科長、京都大学医学部学部長、内閣府総合科学技術会議議員、静岡県公立大学法人理事長(第3代)などを歴任した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と本庶佑 · 続きを見る »

有賀長雄

有賀 長雄(ありが ながお、万延元年10月1日(1860年11月13日) - 大正10年(1921年)5月17日)は、日本の法学者、社会学者。法学博士。文学博士。姓はあるがとも。 生前、1909年に日本人初のノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と有賀長雄 · 続きを見る »

浅島誠

浅島 誠(あさしま まこと、1944年9月6日 - )は、日本の生物学者。専門は発生生物学。東京大学名誉教授。東京理科大学副学長。東京理科大学研究推進機構総合研究院院長 兼 国際化推進機構長。理学博士(東京大学、1972年)。新潟県佐渡市出身。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と浅島誠 · 続きを見る »

新関良三

新関 良三(にいぜき りょうぞう、1889年8月4日 - 1979年4月27日)は、ドイツ文学者、演劇研究者。文化功労者。文学博士。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と新関良三 · 続きを見る »

日露戦争

日露戦争(にちろせんそう、Русско-японская война 、Russo-Japanese War、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されるなど日本の勝利で終わった。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と日露戦争 · 続きを見る »

日沼頼夫

日沼 頼夫(ひぬま よりお、1925年(大正14年)1月19日 - 2015年(平成27年)2月4日)は、日本の医学者、ウイルス学者。成人T細胞白血病の成因がウイルスであることを指摘した。京都大学・熊本大学名誉教授。秋田県名誉県民。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と日沼頼夫 · 続きを見る »

日清戦争

日清戦争(にっしんせんそう)は、1894年(明治27年)7月25日(光緒20年6月)から1895年(明治28年)3月(光緒21年2月)にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる日本と大清国の戦争である。前者がイギリス帝国に接近し、治外法権を撤廃させる実質的な外交材料となった。日清講和条約を結ばせた日本は戦勝国であったが、多くの兵を病死させている。また、利率の高い国内軍事公債も戦後に借り替えた。条約により台湾を譲り受けた日本は、台湾総督府や台湾製糖を設置し、民間からは大日本製糖などの製糖会社が台湾に進出した。また日清汽船(大阪商船)などの水運会社が上海に進出した。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と日清戦争 · 続きを見る »

日本の仏教

日本の仏教(にほんのぶっきょう)について解説する。約8470万人が仏教徒であるとされる(2013年統計)。伝統的な仏教の13宗は、華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗である。幕末まで、日本は仏と神を一体で不可分とする神仏習合の時代であった。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と日本の仏教 · 続きを見る »

日本学士院

日本学士院(にっぽんがくしいん、)は、日本学士院法(以下「法」)に基づいて設置されている日本の国立アカデミーであり、文部科学省の特別の機関である。1879年に東京学士会院として発足し、その後帝国学士院に改組された。太平洋戦争後に日本学士院となり現在に至る。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と日本学士院 · 続きを見る »

日本学士院学術奨励賞

日本学士院学術奨励賞(にっぽんがくしいんがくじゅつしょうれいしょう)とは日本学士院の賞である。日本学士院は学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。日本学士院による賞は、日本の学術賞としては最も権威ある賞である。日本学士院学術奨励賞は若手研究者を顕彰して今後の研究を奨励することを目的として、2004年に創設された。受賞者は、独立行政法人日本学術振興会の日本学術振興会賞受賞者の中から選ばれる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と日本学士院学術奨励賞 · 続きを見る »

日本学士院エジンバラ公賞

日本学士院エジンバラ公賞(にほんがくしいんエジンバラこうしょう)とは日本学士院の賞である。自然保護、種の保全の基礎となる優れた学術研究に対して隔年に1件授与される。1987年創設。エジンバラ公フィリップ(当時イギリス女王エリザベス2世王配)が日本学士院の名誉会員となったことにちなんで創設された。 日本学士院は学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。学士院による賞は、日本の学術賞としては最も権威ある賞である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と日本学士院エジンバラ公賞 · 続きを見る »

日本学士院賞

日本学士院賞(にっぽんがくしいんしょう, Japan Academy Prize)は、日本学士院が授与する1911年創設の賞。日本の学術賞としては最も権威ある賞である。毎年9件以内授賞する。 日本学士院は、学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。1947年の第37回まで名称は「帝国学士院賞」であった。本来は恩賜賞とは別個の賞であったが、1970年からは日本学士院賞の中から特に優れた各部1件乃至2件以内に恩賜賞も授賞されるものとなっている。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と日本学士院賞 · 続きを見る »

日本芸術院

日本芸術院(にほんげいじゅついん、旧字体:日本藝術院、英語:The Japan Art Academy)は、美術・文芸・音楽・演劇など芸術のさまざまな分野において優れた功績のある芸術家を優遇し顕彰するために置かれた国の栄誉機関で、文化庁の特別の機関である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と日本芸術院 · 続きを見る »

日本芸術院賞

日本芸術院賞(にほん げいじゅついん しょう、旧字体:藝術院)は、日本芸術院がその会員以外の者に授与する賞のひとつ。卓越した芸術作品を作成した者または芸術の進歩に貢献した者に対して授与される。戦前は帝國藝術院賞(ていこく げいじゅついん しょう)といった。 昭和16年度にあたる1942年(昭和17年)の第1回から、第二次世界大戦の末期と直後(1945年 - 1947年)を除いて毎年授与されている。昭和24年度にあたる1950年(昭和25年)からは受賞者が増えたことから、以後は毎年の受賞者の中でも特に選ばれた者に対して「恩賜賞」を授与するようになった。 恩賜賞と共に皇室の下賜金で賄われており、受賞者には賞状・賞牌・賞金が贈呈される。 授賞式は、天皇・皇后の行幸啓を仰ぎ、毎年6月に挙行される。 日本芸術院賞を受けると、その多くの者は後日、日本芸術院会員に推される。ただし日本芸術院会員は終身制で定員120と定められているため、日本芸術院賞受賞者全員が会員になれるとは限らない。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と日本芸術院賞 · 続きを見る »

放射線

放射線(ほうしゃせん、radiation、radial rays)とは、高い運動エネルギーをもって流れる物質粒子(アルファ線、ベータ線、中性子線、陽子線、重イオン線、中間子線などの粒子放射線)と高エネルギーの電磁波(ガンマ線とX線のような電磁放射線)の総称をいう。「放射線」に全ての電磁波を含め、電離を起こすエネルギーの高いものを電離放射線、そうでないものを非電離放射線とに分けることもあるが、一般に「放射線」とだけいうと、高エネルギーの電離放射線の方を指していることが多い 。 なお、広辞苑には「放射性元素の放射性崩壊に伴い放出される粒子放射線と電磁放射線(主にアルファ線、ベータ線、ガンマ線)を指す」広辞苑第五版 p.2432【放射線】、とあるが、これは放射性物質の放射能を問題とする文脈ではそれを指す、というくらいの意味である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と放射線 · 続きを見る »

1911年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1911年 · 続きを見る »

1912年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1912年 · 続きを見る »

1913年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1913年 · 続きを見る »

1914年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1914年 · 続きを見る »

1915年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1915年 · 続きを見る »

1916年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1916年 · 続きを見る »

1917年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1917年 · 続きを見る »

1918年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1918年 · 続きを見る »

1919年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1919年 · 続きを見る »

1920年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1920年 · 続きを見る »

1921年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1921年 · 続きを見る »

1922年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1922年 · 続きを見る »

1923年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1923年 · 続きを見る »

1924年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1924年 · 続きを見る »

1925年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1925年 · 続きを見る »

1926年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1926年 · 続きを見る »

1927年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1927年 · 続きを見る »

1928年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1928年 · 続きを見る »

1929年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1929年 · 続きを見る »

1930年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1930年 · 続きを見る »

1931年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1931年 · 続きを見る »

1932年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1932年 · 続きを見る »

1933年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1933年 · 続きを見る »

1934年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1934年 · 続きを見る »

1935年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1935年 · 続きを見る »

1936年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1936年 · 続きを見る »

1937年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1937年 · 続きを見る »

1938年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1938年 · 続きを見る »

1939年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1939年 · 続きを見る »

1940年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1940年 · 続きを見る »

1941年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1941年 · 続きを見る »

1942年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1942年 · 続きを見る »

1943年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1943年 · 続きを見る »

1944年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1944年 · 続きを見る »

1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1945年 · 続きを見る »

1946年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1946年 · 続きを見る »

1947年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1947年 · 続きを見る »

1948年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1948年 · 続きを見る »

1949年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1949年 · 続きを見る »

1950年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1950年 · 続きを見る »

1951年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1951年 · 続きを見る »

1952年

この項目では、国際的な視点に基づいた1952年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1952年 · 続きを見る »

1953年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1953年 · 続きを見る »

1954年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1954年 · 続きを見る »

1955年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1955年 · 続きを見る »

1956年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1956年 · 続きを見る »

1957年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1957年 · 続きを見る »

1958年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1958年 · 続きを見る »

1959年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1959年 · 続きを見る »

1960年

アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地であった地域の多数が独立を達成した年であることに因み、アフリカの年と呼ばれる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1960年 · 続きを見る »

1961年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1961年 · 続きを見る »

1962年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1962年 · 続きを見る »

1963年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1963年 · 続きを見る »

1964年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1964年 · 続きを見る »

1965年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1965年 · 続きを見る »

1966年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1966年 · 続きを見る »

1967年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1967年 · 続きを見る »

1968年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1968年 · 続きを見る »

1969年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1969年 · 続きを見る »

1970年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1970年 · 続きを見る »

1971年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1971年 · 続きを見る »

1972年

協定世界時による計測では、この年は(閏年で)閏秒による秒の追加が年内に2度あり、過去最も長かった年である。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1972年 · 続きを見る »

1973年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1973年 · 続きを見る »

1974年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1974年 · 続きを見る »

1975年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1975年 · 続きを見る »

1976年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1976年 · 続きを見る »

1977年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1977年 · 続きを見る »

1978年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1978年 · 続きを見る »

1979年

記載なし。

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1979年 · 続きを見る »

1980年

この項目では、国際的な視点に基づいた1980年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1980年 · 続きを見る »

1981年

この項目では、国際的な視点に基づいた1981年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1981年 · 続きを見る »

1982年

この項目では、国際的な視点に基づいた1982年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1982年 · 続きを見る »

1983年

この項目では、国際的な視点に基づいた1983年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1983年 · 続きを見る »

1984年

この項目では、国際的な視点に基づいた1984年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1984年 · 続きを見る »

1985年

この項目では、国際的な視点に基づいた1985年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1985年 · 続きを見る »

1986年

この項目では、国際的な視点に基づいた1986年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1986年 · 続きを見る »

1987年

この項目では、国際的な視点に基づいた1987年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1987年 · 続きを見る »

1988年

この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1988年 · 続きを見る »

1989年

この項目では、国際的な視点に基づいた1989年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1989年 · 続きを見る »

1990年

この項目では、国際的な視点に基づいた1990年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1990年 · 続きを見る »

1991年

この項目では、国際的な視点に基づいた1991年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1991年 · 続きを見る »

1992年

この項目では、国際的な視点に基づいた1992年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1992年 · 続きを見る »

1993年

この項目では、国際的な視点に基づいた1993年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1993年 · 続きを見る »

1994年

この項目では、国際的な視点に基づいた1994年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1994年 · 続きを見る »

1995年

この項目では、国際的な視点に基づいた1995年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1995年 · 続きを見る »

1996年

この項目では、国際的な視点に基づいた1996年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1996年 · 続きを見る »

1997年

この項目では、国際的な視点に基づいた1997年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1997年 · 続きを見る »

1998年

この項目では、国際的な視点に基づいた1998年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1998年 · 続きを見る »

1999年

1990年代最後の年であり、1000の位が1になる最後の年でもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と1999年 · 続きを見る »

19世紀

19世紀に君臨した大英帝国。 19世紀(じゅうきゅうせいき)は、西暦1801年から西暦1900年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と19世紀 · 続きを見る »

2000年

400年ぶりの世紀末閏年(20世紀および2千年紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年のままとなる(グレゴリオ暦の規定による)。。Y2Kと表記されることもある(“Year 2000 ”の略。“2000”を“2K ”で表す)。また、ミレニアムとも呼ばれる。 この項目では、国際的な視点に基づいた2000年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2000年 · 続きを見る »

2001年

また、21世紀および3千年紀における最初の年でもある。この項目では、国際的な視点に基づいた2001年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2001年 · 続きを見る »

2002年

この項目では、国際的な視点に基づいた2002年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2002年 · 続きを見る »

2003年

この項目では、国際的な視点に基づいた2003年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2003年 · 続きを見る »

2004年

この項目では、国際的な視点に基づいた2004年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2004年 · 続きを見る »

2005年

この項目では、国際的な視点に基づいた2005年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2005年 · 続きを見る »

2006年

この項目では、国際的な視点に基づいた2006年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2006年 · 続きを見る »

2007年

この項目では、国際的な視点に基づいた2007年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2007年 · 続きを見る »

2008年

この項目では、国際的な視点に基づいた2008年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2008年 · 続きを見る »

2009年

この項目では、国際的な視点に基づいた2009年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2009年 · 続きを見る »

2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2010年 · 続きを見る »

2011年

この項目では、国際的な視点に基づいた2011年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2011年 · 続きを見る »

2012年

この項目では、国際的な視点に基づいた2012年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2012年 · 続きを見る »

2013年

この項目では、国際的な視点に基づいた2013年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2013年 · 続きを見る »

2014年

この項目では、国際的な視点に基づいた2014年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2014年 · 続きを見る »

2015年

この項目では、国際的な視点に基づいた2015年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2015年 · 続きを見る »

2016年

この項目では、国際的な視点に基づいた2016年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2016年 · 続きを見る »

2017年

この項目では国際的な視点に基づいた2017年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2017年 · 続きを見る »

2018年

この項目では、国際的な視点に基づいた2018年について記載する。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と2018年 · 続きを見る »

4月14日

4月14日(しがつじゅうよっか、しがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から104日目(閏年では105日目)にあたり、年末まではあと261日ある。誕生花はドウダンツツジ、ハルジオン。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と4月14日 · 続きを見る »

4月26日

4月26日(しがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から116日目(閏年では117日目)にあたり、年末まではあと249日ある。この日には地球が元日の時から2天文単位(地球の公転軌道の直径分)動いたことになる。誕生花はスカビオサ、ミヤコワスレ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と4月26日 · 続きを見る »

5月10日

5月10日(ごがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から130日目(閏年では131日目)にあたり、年末まではあと235日ある。誕生花はカーネーション。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月10日 · 続きを見る »

5月11日

5月11日(ごがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から131日目(閏年では132日目)にあたり、年末まではあと234日ある。誕生花はニセアカシア。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月11日 · 続きを見る »

5月12日

5月12日(ごがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から132日目(閏年では133日目)にあたり、年末まではあと233日ある。誕生花はアスチルベ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月12日 · 続きを見る »

5月13日

5月13日(ごがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から133日目(閏年では134日目)にあたり、年末まではあと232日ある。誕生花はサンザシ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月13日 · 続きを見る »

5月14日

5月14日(ごがつじゅうよっか、ごがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から134日目(閏年では135日目)にあたり、年末まではあと231日ある。誕生花はシラン。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月14日 · 続きを見る »

5月15日

5月15日(ごがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から135日目(閏年では136日目)にあたり、年末まではあと230日ある。誕生花はドクダミ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月15日 · 続きを見る »

5月16日

5月16日(ごがつじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から136日目(閏年では137日目)にあたり、年末まではあと229日ある。誕生花はイキシア。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月16日 · 続きを見る »

5月18日

5月18日(ごがつじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から138日目(閏年では139日目)にあたり、年末まではあと227日ある。誕生花はアヤメ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月18日 · 続きを見る »

5月20日

5月20日(ごがつはつか、ごがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から140日目(閏年では141日目)にあたり、年末まではあと225日ある。誕生花はデルフィニウム。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月20日 · 続きを見る »

5月21日

5月21日(ごがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から141日目(閏年では142日目)にあたり、年末まではあと224日ある。誕生花はボリジ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月21日 · 続きを見る »

5月22日

5月22日(ごがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から142日目(閏年では143日目)にあたり、年末まではあと223日ある。誕生花はフクシア。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月22日 · 続きを見る »

5月23日

5月23日(ごがつにじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から143日目(閏年では144日目)にあたり、年末まではあと222日ある。誕生花はアマドコロ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月23日 · 続きを見る »

5月25日

5月25日(ごがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から145日目(閏年では146日目)にあたる。年末まで220日ある。誕生花はアスパラガス。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月25日 · 続きを見る »

5月27日

5月27日(ごがつにじゅうななにち、ごがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から147日目(閏年では148日目)にあたり、年末まではあと218日ある。誕生花はシロツメクサ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月27日 · 続きを見る »

5月30日

5月30日(ごがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から150日目(閏年では151日目)にあたり、年末まではあと215日ある。誕生花はオリーブ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月30日 · 続きを見る »

5月31日

5月31日(ごがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から151日目(閏年では152日目)にあたり、年末まであと214日ある。5月の最終日である。誕生花はルピナス。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月31日 · 続きを見る »

5月8日

5月8日(ごがつようか)はグレゴリオ暦で年始から128日目(閏年では129日目)にあたり、年末まではあと237日ある。誕生花はオダマキ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と5月8日 · 続きを見る »

6月10日

6月10日(ろくがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から161日目(閏年では162日目)にあたり、年末まであと204日ある。誕生花はジャスミン、ラベンダー。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月10日 · 続きを見る »

6月11日

6月11日(ろくがつじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から162日目(閏年では163日目)にあたり、年末まであと203日ある。誕生花はヒゲナデシコ、ガクアジサイ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月11日 · 続きを見る »

6月12日

6月12日(ろくがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から163日目(閏年では164日目)にあたり、年末まであと202日ある。誕生花はライラック、ベロペロネ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月12日 · 続きを見る »

6月13日

6月13日(ろくがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から164日目(閏年では165日目)にあたり、年末まであと201日ある。誕生花はトケイソウ、クチナシ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月13日 · 続きを見る »

6月14日

6月14日(ろくがつじゅうよっか、ろくがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から165日目(閏年では166日目)にあたり、年末まであと200日ある。誕生花はハルシャギク、ブーゲンビリア。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月14日 · 続きを見る »

6月15日

6月15日(ろくがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から166日目(閏年では167日目)にあたり、年末まであと199日ある。誕生花はタチアオイ、アジサイ。大西歯科医院.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月15日 · 続きを見る »

6月1日

6月1日(ろくがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から152日目(閏年では153日目)にあたり、年末まであと213日ある。誕生花はマトリカリア、クレマチス。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月1日 · 続きを見る »

6月22日

6月22日(ろくがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から173日目(閏年では174日目)にあたり、年末まであと192日ある。誕生花はスイカズラ、アマリリス。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月22日 · 続きを見る »

6月2日

6月2日(ろくがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から153日目(閏年では154日目)にあたり、年末まであと212日ある。誕生花はタイム、シャクナゲ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月2日 · 続きを見る »

6月6日

6月6日(ろくがつむいか)はグレゴリオ暦で年始から157日目(閏年では158日目)にあたり、年末まであと208日ある。誕生花はジギタリス、スターチス。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月6日 · 続きを見る »

6月7日

6月7日(ろくがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から158日目(閏年では159日目)にあたり、年末まであと207日ある。誕生花はイワカガミ、カルセオラリア。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月7日 · 続きを見る »

6月8日

6月8日(ろくがつようか)はグレゴリオ暦で年始から159日目(閏年では160日目)にあたり、年末まではあと206日ある。誕生花はクチナシ、ジャスミン、タイサンボクなどとされる。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月8日 · 続きを見る »

6月9日

6月9日(ろくがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から160日目(閏年では161日目)にあたり、年末まであと205日ある。誕生花はノバラ、ゴデチア。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と6月9日 · 続きを見る »

7月1日

7月1日(しちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から182日目(閏年では183日目)にあたり、年末まであと183日ある。誕生花はアジサイ、ベゴニア。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と7月1日 · 続きを見る »

7月2日

7月2日(しちがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から183日目(閏年では184日目)にあたり、年末まではあと182日ある。平年では1年のちょうど真ん中にあたる日である。誕生花はキンギョソウ、カラー。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と7月2日 · 続きを見る »

7月3日

7月3日(しちがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から184日目(閏年では185日目)にあたり、年末まではあと181日ある。誕生花はハス、バラ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と7月3日 · 続きを見る »

7月5日

7月5日(しちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から186日目(閏年では187日目)にあたり、年末まであと179日ある。誕生花はアンスリウム、ロベリア。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と7月5日 · 続きを見る »

7月7日

7月7日(しちがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から188日目(閏年では189日目)にあたり、年末まであと177日ある。誕生花はスイレン、ヒオウギ。.

新しい!!: 恩賜賞 (日本学士院)と7月7日 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

学士院恩賜賞帝国学士院恩賜賞恩賜賞・日本学士院賞日本学士院恩賜賞

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »