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山崎宗鑑

索引 山崎宗鑑

山崎 宗鑑(やまざき そうかん、寛正6年(1465年)? - 天文23年10月2日(1554年10月28日)?)は、戦国時代の連歌師・俳諧作者。近江国の出身とされるが、本名・出自については諸説ある。.

34 関係: 大永天文 (元号)妙喜庵室町幕府宗祇宗長寛正尊円流尭孝山城国常盤村 (滋賀県)享禄延徳佐々木義清征夷大将軍俳諧よう荒木田守武讃岐国足利義尚近江国長享・延徳の乱連歌栗太郡戦国時代 (日本)新撰犬筑波集摂津国10月28日10月2日 (旧暦)1465年1489年1523年1528年1554年

大永

大永(だいえい、たいえい)は、日本の元号の一つ。永正の後、享禄の前。1521年から1527年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇、後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義稙、足利義晴。.

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天文 (元号)

天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.

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妙喜庵

妙喜庵(みょうきあん)は京都府乙訓郡大山崎町にある仏教寺院。山号は豊興山。妙喜禅庵とも称する。江戸時代一時地蔵寺の塔頭であったが、現在は臨済宗東福寺派に属する。 室町時代の明応年間(1492年 - 1501年)の開創。開山は東福寺開創聖一国師法嗣・春嶽士芳。国宝の茶室「待庵(たいあん)」があることで知られる。連歌師の山崎宗鑑の屋敷(對月庵)を宗鑑退去(大永3年(1524年)ごろ)後寺庵に改めたとの伝えもあるが、春嶽は永正6年(1510年)にすでに没している。また、大山崎集落の大阪府側(島本町山崎)には宗鑑旧居跡(宗鑑井戸)の伝えもある。これらのことから「妙喜庵.

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室町幕府

花の御所(室町殿) 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。.

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宗祇

宗祇(そうぎ、応永28年(1421年)- 文亀2年7月30日(1502年9月1日))は、室町時代の連歌師。号は自然斎、種玉庵。姓は飯尾(いのお/ いいお)というが定かではない。生国は、紀伊とも近江とも言われている。.

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宗長

宗長(そうちょう、1448年(文安5年) - 1532年4月11日(天文元年3月6日))は室町時代後期の連歌師である。号は柴屋軒。駿河国島田(現在の静岡県島田市)の出身。鍛冶職五条義助の子として生まれた。.

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寛正

寛正(かんしょう)は、日本の元号の一つ。長禄の後、文正の前。1461年から1466年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇、後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政。.

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尊円流

尊円流(そんえんりゅう)は、尊円法親王が興した書の流派(書流)である。青蓮院流(しょうれんいんりゅう)、御家流(おいえりゅう)、粟田流(あわたりゅう)とも呼ばれる。.

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尭孝

尭孝(ぎょうこう、明徳2年/元中8年(1391年)- 享徳4年7月5日(1455年8月17日))は、室町時代中期の僧・歌人。武家の二階堂氏。父は僧で歌人の尭尋。和歌四天王の一人頓阿の曾孫にあたる。養子に僧で歌人の尭憲、弟子に尭恵・三条西公保がいる。 曽祖父の代から引き継いだ和歌所を預かった。二条派の歌壇の中心的歌人となり、冷泉派の清巌正徹に対抗した。永享5年(1433年)和歌所開闔(かいこう)に任じられ、勅撰和歌集の「新続古今和歌集」を撰出している。 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:二階堂氏 Category:1391年生 Category:1455年没.

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山城国

山城国(やましろのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.

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常盤村 (滋賀県)

常盤村(ときわむら)は、滋賀県栗太郡にあった村。現在の草津市の北端、琵琶湖の沿岸にあたる。.

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享禄

享禄(きょうろく)は、日本の元号の一つ。大永の後、天文の前。1528年から1531年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴。.

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延徳

延徳(えんとく)は、日本の元号の一つ。長享の後、明応の前。1489年から1491年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義尚、足利義材。.

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佐々木義清

佐々木 義清(ささき よしきよ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の佐々木一族の武将。鎌倉幕府御家人。佐々木秀義の五男。出雲源氏の祖。.

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征夷大将軍

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん 旧字体:征夷大將軍)は、朝廷の令外官の一つである。「征夷」は、蝦夷を征討するという意味。 飛鳥時代・奈良時代以来、東北地方の蝦夷征討事業を指揮する臨時の官職は、鎮東将軍・持節征夷将軍・持節征東大使・持節征東将軍・征東大将軍などさまざまにあったが、奈良末期に大伴弟麻呂が初めて征夷大将軍に任命された。征夷大将軍(征夷将軍)の下には、征夷副将軍・征夷軍監・征夷軍曹、征東将軍(大使)の下には、征東副将軍(副使)・征東軍監・征東軍曹などの役職が置かれた。 大伴弟麻呂の次の坂上田村麻呂は阿弖流為を降して勇名を馳せたが、次の文室綿麻呂が征夷将軍に任ぜられた後は途絶えた。平安中期に藤原忠文が、平安末期には源義仲が征東大将軍に任じられたが、もはや蝦夷征討を目的としたものではなかった。なお、後述のとおり、義仲が任命されたのは征東大将軍であり、従来考えられていた征夷大将軍ではなかったことが明らかにされている。 平氏政権・奥州藤原氏を滅ぼして武家政権(幕府)を創始した源頼朝は「大将軍」の称号を望み、朝廷は坂上田村麻呂が任官した征夷大将軍を吉例としてこれに任じた。以降675年間にわたり、武士の棟梁として事実上の日本の最高権力者である征夷大将軍を長とする鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府が(一時的な空白を挟みながら)続いた。慶応3年(1867年)徳川慶喜の大政奉還を受けた明治新政府が王政復古の大号令を発し、征夷大将軍職は廃止された。.

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俳諧

俳諧(はいかい)とは、主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、また、その作品のこと。誹諧とも表記する。正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称である。.

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よう

癰(よう、)とは、腫れ物で、細菌感染症の一種。数本の毛が束になって細菌が感染して生じる(それに対して、癤(せつ)は一本の毛のみの感染である)。皮膚は赤く腫れて、疼痛を伴う。黄色ブドウ球菌が原因であることが多い。糖尿病の人に好発する。治療は、抗生物質の内服が必要である。また、皮膚切開が必要なこともある。悪性のものと、悪性のない物がある。.

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荒木田守武

荒木田 守武(あらきだ もりたけ、文明5年(1473年) - 天文18年8月8日(1549年8月30日))は、戦国時代の伊勢神宮祠官・連歌師。荒木田一門薗田氏の出身で、父は荒木田守秀、母は荒木田(藤波)氏経の娘。荒木田守晨の弟。山崎宗鑑とともに俳諧の祖とも言われている。通称は中川平太夫と言った。77歳で病没。 1541年(天文10年)一禰宜となると当時流行していた連歌を三条實隆、山﨑宗鑑から学ぶ。「新撰莬玖波集」に入集1句をはじめ、「法楽発句集」(1508年/永正5年)などの連歌集、「独吟百韻」(1530年/享禄3年)、「守武千句」(1540年/天文9年)などの俳諧集、教訓歌集「世中百首」(1525年/大永5年)などを残した。.

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讃岐国

讃岐国(さぬきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.

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足利義尚

足利 義尚(あしかが よしひさ)は、室町時代後期の室町幕府第9代将軍(在職:文明5年(1473年) - 1489年)。 『尊卑分脈』や『足利家官位記』により、晩年に足利義煕(- よしひろ)と改名したことが確認できるが、一般的には義尚の名で知られる。応仁の乱では、叔父の足利義視と将軍職をめぐる対立候補として擁立された。乱後は衰退した幕府権力を回復すべく、六角征伐などの積極的な幕政改革を行なったが、在陣していた近江国の陣中にて病死した。.

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近江国

近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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長享・延徳の乱

長享・延徳の乱(ちょうきょう・えんとくのらん)とは、室町時代後期の長享元年(1487年)と延徳3年(1491年)の2度に亘って室町幕府が行った近江守護・六角行高(後の六角高頼)に対する親征で、六角征伐とも称される。なお、1度目の出陣は近江国栗太郡鈎(まがり)(滋賀県栗東市)に在陣したため、別に鈎の陣とも称される。.

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連歌

連歌(れんが)は、鎌倉時代ごろから興り、南北朝時代から室町時代にかけて大成された、日本の伝統的な詩形の一種。多人数による連作形式を取りつつも、厳密なルール(式目)を基にして全体的な構造を持つ。和歌のつよい影響のもとに成立し、後に俳諧の連歌や発句(俳句)がここから派生している。.

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栗太郡

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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新撰犬筑波集

『新撰犬筑波集』(しんせんいぬつくばしゅう)は、室町時代後期の俳諧連歌撰集。撰者は山崎宗鑑。1冊。 大永4年(1524年)以降の成立。山崎宗鑑のものに後代次々と増補されていったと考えられ、異本が多く収録内容も多様である。俳諧連歌集としては『竹馬狂吟集』に次ぐ最初期の撰集で、近世以降、特に俳諧連歌集の祖とされ有名になった。江戸時代初期の談林俳諧に影響を与えたという。 慶長・元和の頃の刊本では『犬筑波集』表記。しかし写本では『俳諧連歌』『俳諧連歌抄』と呼ばれており、『犬筑波集』は当初からの呼称ではない。「犬」は連歌からの俳諧連歌に対する卑称で、『犬筑波集』は連歌集たる『新撰菟玖波集』に対する表現となっている。 収録される俳諧連歌は、「付句」と「発句」から構成される。また「付句」は四季に、「発句」は四季・恋・雑に部類分けされている。卑俗な滑稽を狙って卑猥な表現を直接的に歌っており、連歌への反意・批判の意図が感じられるとされる。 Category:室町時代の歌集 Category:16世紀の書籍 Category:16世紀の詩 Category:俳諧集.

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摂津国

摂津国(せっつのくに、旧字体:攝津國)は、日本の令制国の一つ。畿内に属する。現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたる。.

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10月28日

10月28日(じゅうがつにじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から301日目(閏年では302日目)にあたり、年末まであと64日ある。.

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10月2日 (旧暦)

旧暦10月2日(きゅうれきじゅうがつふつか)は、旧暦10月の2日目である。六曜は大安である。.

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1465年

記載なし。

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1489年

記載なし。

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1523年

記載なし。

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1528年

記載なし。

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1554年

記載なし。

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