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宝永二ツ宝丁銀

索引 宝永二ツ宝丁銀

宝永二ツ宝丁銀(ほうえいふたつほうちょうぎん/ほうえいふたつたからちょうぎん)とは宝永3年7月9日(1706年)から鋳造開始された丁銀の一種。秤量貨幣である。通用に関する触書はこれ以前の同6月18日に出された草間直方 『三貨図彙』 1815年。宝字丁銀(ほうじちょうぎん)と呼ばれ、また宝永丁銀(ほうえいちょうぎん)といえば通常は宝永二ツ宝丁銀を指すが、宝永丁銀は宝永永字丁銀、宝永三ツ宝丁銀および宝永四ツ宝丁銀も含めて総称として用いられる場合もある。 また宝永二ツ宝丁銀および宝永二ツ宝豆板銀を総称して二ツ宝銀(ふたつほうぎん)あるいは宝字銀(ほうじぎん)と呼び、また宝永銀(ほうえいぎん)といえばこの二ツ宝銀を指すことが多い。.

57 関係: 吹替え吉川弘文館大黒天大黒常是宝永の大火宝永大噴火宝永三ツ宝丁銀宝永地震宝永四ツ宝丁銀宝永永字丁銀宀部小判小葉田淳丁銀両替京橋 (東京都中央区)御定相場トン内裏元禄元禄小判元禄丁銀元禄地震勘定奉行皇居灰吹銀祝儀秤量貨幣銀座銀座 (歴史)荻原重秀豆板銀至文堂造幣局 (日本)東京堂出版東洋経済新報社江戸江戸幕府明暦明暦の大火明治慶長丁銀1657年...1700年1702年1703年1706年1707年1709年1710年 インデックスを展開 (7 もっと) »

吹替え

* 吹替え(ふきかえ) - 流通済みの金属製品を鋳造しなおすこと。改鋳。貨幣でよく行われる。.

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吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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大黒天

ヒンドゥー教のシヴァ神像 大黒天(マハーカーラ) 大黒天(だいこくてん、Mahākāla、、音写:摩訶迦羅など)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたもの。大暗黒天とも呼ばれる。.

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大黒常是

大黒常是(だいこくじょうぜ)は、近世日本の銀座の吹所(ふきしょ)で極印(ごくいん)打ちを担当していた常是役所の長としての代々世襲の家職に与えられた名称である。 慶長6年(1601年)、徳川家康が和泉堺の銀吹き職人である南鐐座の湯浅作兵衛に大黒常是を名乗らせたのが始まりであった。常是という名称は豊臣秀吉により堺の南鐐座の銀細工師に与えられたものであった三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年。.

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宝永の大火

宝永の大火(ほうえいの たいか)とは、宝永5年3月8日(1708年4月28日)に、京都で発生した火災。.

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宝永大噴火

南から見た富士山の宝永火口、火口の位置:1(第一火口)、2(第二火口)、3(第三火口)、4(宝永山) 浮世絵に見る宝永火口(歌川広重) 宝永大噴火(ほうえいだいふんか)とは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火である。2017年現在、最も新しい富士山の噴火となっている。噴火は約2週間続き、総噴出量は、約7×108 m3と推定されている。噴火による直接の死者は記録されていないが、噴出した溶岩石による火災などで甚大な被害をもたらした。.

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宝永三ツ宝丁銀

宝永三ツ宝丁銀(ほうえいみつほうちょうぎん/ほうえいみつたからちょうぎん)とは宝永7年4月2日(1710年)から鋳造開始された丁銀の一種で秤量銀貨であり、単に三ツ宝丁銀(みつほうちょうぎん)とも呼ばれる。 また宝永三ツ宝丁銀および宝永三ツ宝豆板銀を総称して三ツ宝銀(みつほうぎん)と呼ぶ。 表面には「大黒像」および「寳」の文字および両端に二箇所の「宝」字極印およびその内側に一箇所のやや小型の「宝」字極印が打たれ「常是」の極印は無い。また、「大黒像」極印を12箇所打った祝儀用の十二面大黒丁銀が存在する瀧澤武雄,西脇康 『日本史小百科「貨幣」』 東京堂出版、1999年。.

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宝永地震

井(1982), p42-43.。 宝永地震(ほうえいじしん)は、江戸時代の宝永4年10月4日(1707年10月28日)、東海道沖から南海道沖(北緯33.2度、東経135.9度 - 震度分布による推定で、断層破壊開始点である本来の震源、その地表投影である震央ではない。)を震源域として発生した巨大地震。南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定され、記録に残る日本最大級の地震とされている宇佐美(2003), p75-90.『理科年表』, p737, 767.。世にいう宝永の大地震(ほうえいのおおじしん)、あるいは宝永大地震(ほうえいおおじしん)とも呼ばれ、亥の大変(いのたいへん)とも呼ばれる。地震の49日後に起きた宝永大噴火は亥の砂降り(いのすなふり)と呼ばれる。.

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宝永四ツ宝丁銀

宝永四ツ宝丁銀 宝永四ツ宝丁銀(ほうえいよつほうちょうぎん/ほうえいよつたからちょうぎん)とは正徳元年(1711年)8月2日より鋳造された丁銀の一種で秤量銀貨であり、単に四ツ宝丁銀(よつほうちょうぎん)とも呼ばれる。発行時期は正徳に改元された後であるが、宝永期の一連の銀貨の性格を持つため宝永丁銀として分類される。 また宝永四ツ宝丁銀および宝永四ツ宝豆板銀を総称して四ツ宝銀(よつほうぎん)と呼ぶ。.

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宝永永字丁銀

宝永永字丁銀(ほうえいえいじちょうぎん)とは宝永7年3月6日(1710年4月4日)より鋳造が開始された丁銀の一種。秤量貨幣である。単に永字丁銀(えいじちょうぎん)とも呼ばれる。 また宝永永字丁銀および宝永永字豆板銀を総称して永字銀(えいじぎん)あるいは永中銀(えいちゅうぎん)、また単に中銀(ちゅうぎん)と呼ぶ。.

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宀部

right 宀部(べんぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。康熙字典214部首では40番目に置かれる(3画の11番目)。宀の字は交差して覆う屋根をかたどり、家屋を意味する。 偏旁の意符では主に家屋や屋根の名称・家屋に関わる形容詞・動詞であることを示している。 宀部はこのような意符を構成要素とする漢字を分類している。.

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小判

小判(こばん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種である。金座で用いられた公式な呼称は小判であり『三貨図彙』では「小判」と明記されているが、『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には小判金(こばんきん)という名称で収録されており、貨幣収集界では小判金の名称が広く用いられている。当時の文書には単に金と記されていることが多く、「金百両」などと表記された。計数貨幣であるが量目(質量)および金品位が一定に定められており、金含有量が額面を決める秤量貨幣の発展形である。.

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小葉田淳

小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 2001年8月8日)は、日本の歴史学者(専攻は貨幣史・鉱山史・貿易史)。京都帝国大学名誉教授。日本学士院賞受賞者、学士院会員、文化功労者。.

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丁銀

丁銀(ちょうぎん)とは、日本国内において主に商取引用として室町時代後期から明治維新まで流通した銀貨である。当時は単に銀と呼ばれ、例えば品位を下げた元禄丁銀は「元字銀」などと称呼された。丁銀という名称は『』の記述によれば棒状の銀塊の意味である銀(ちょうぎん)が挺銀(ちょうぎん)を経て変化したものとされる日本の貨幣(1972, 1973).。.

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両(りょう)は、尺貫法における質量の単位であり、また、近世の日本における金貨、および中国における秤量銀貨の通貨単位である。.

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両替

両替(りょうがえ)は、異種の通貨間であるいは同一通貨で異なる単位の紙幣・硬貨を交換すること。法的には売買契約の性質と交換契約の性質を併せ持った一種の混合契約と理解されている。両替をビジネスとして行う者を両替商と呼ぶ。 日本円と米ドルの交換など他通貨(外貨)との交換は、特に「外貨両替 (foreign exchange)」と呼ばれる。.

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京橋 (東京都中央区)

京橋(きょうばし)は、東京都中央区の地名で、旧京橋区にあたる京橋地域内である。または地域名である。.

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御定相場

御定相場(おさだめそうば)とは、江戸幕府が定めた金貨・銀貨・銭の法定平価。.

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江戸時代に両替商で用いられた後藤分銅貳拾両(200匁:749.07g), 拾両(100匁:374.62g) 匁(もんめ)(記号:mom)には、以下の二つの用法があった『廣漢和辞典 上巻』「勹部-匁(1410)」,p416.。.

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トン

トン(tonne, ton, 記号: t)は、質量の単位である。SI(国際単位系)ではなく、分・時・日、度・分・秒、ヘクタール、リットル、天文単位とともに「SI単位と併用される非SI単位」である(SI併用単位#表6 SI単位と併用される非SI単位)。 そのほか、質量以外の各種の物理量に対して使われるトンもある。.

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内裏

内裏(だいり)とは、古代都城の宮城における天皇の私的区域のこと。御所(ごしょ)、禁裏(きんり)、大内(おおうち)などの異称がある。都城の北辺中央に 官庁エリアである宮城(皇城)があり、宮城内部に 天皇の私的な在所である内裏があった。.

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元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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元禄小判

元禄小判(げんろくこばん)は、元禄8年9月10日(1695年10月17日)から通用開始された一両としての額面を持つ小判である。江戸時代の金貨としては慶長小判に次ぐものである。また元禄小判、元禄一分判および元禄二朱判を総称して元禄金(げんろくきん)あるいは元字金(げんじきん/げんのじきん)と呼ぶ。.

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元禄丁銀

元禄丁銀 元禄丁銀(げんろくちょうぎん)とは元禄8年9月15日(1695年10月22日)から鋳造開始、同9月27日(11月3日)から通用開始された丁銀。慶長丁銀に次ぐ江戸時代2番目の秤量貨幣である。元禄丁銀および元禄豆板銀を総称して元禄銀(げんろくぎん)あるいは元字銀(げんじぎん、げんのじぎん)と呼ぶ。.

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元禄地震

元禄地震(げんろくじしん)は、元禄16年11月23日(1703年12月31日)午前2時ごろ、関東地方を襲った巨大地震。 震源は相模トラフの房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点震度分布による推定で、断層破壊開始点である本来の震源、その地上投影である震央ではない。にあたる。マグニチュード(M)は7.9-8.5と推定されている。元禄大地震(げんろくおおじしん、げんろくだいじしん)あるいは元禄の大地震(げんろくのおおじしん)とも呼ばれ、大正関東地震に対比して元禄関東地震(げんろくかんとうじしん)の名称もしばしば使用される。 大正12年(1923年)に起きた関東地震(関東大震災)と類似のタイプの海溝型地震である上に、震源分布図も類似することから大正関東地震以前の相模トラフ巨大地震と考えられている。ただし、地殻変動は大正関東地震よりも大きいものであった大正関東地震の震源域に加えて、房総半島南東沖も震源域となる連動型地震であった可能性が指摘されている(詳細は「相模トラフ巨大地震#再来間隔」参照)。。大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は沖合の小島から地続きの岬に変貌したという。 江戸時代中期の元禄から宝永年間は巨大地震、噴火が続発した時期であり、本地震の4年後の宝永4年(1707年)にはM 8.4-8.6(Mw 8.7-9.3)と推定される宝永地震、および宝永大噴火も発生している安藤雅孝(1974): 東海沖か房総沖で大地震, 科学朝日, 34, No.3, 34-37.

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勘定奉行

勘定奉行(かんじょうぶぎょう)は、江戸幕府の職名の一つ。勘定方の最高責任者で財政や幕府直轄領の支配などを司る。寺社奉行・町奉行とともに三奉行の一つで、共に評定所を構成した。元禄年間までは勘定頭(かんじょうがしら)とも称した。評定所においては、関八州内江戸府外の訴訟について担当した。定員は約4人で役高は3000石。老中の下にあり、郡代・代官・蔵奉行などを支配した。1698年以降は、うち1人が大目付とともに道中奉行を兼務した。1721年には財政・民政を主に扱う勝手方勘定奉行と訴訟関連を扱う公事方勘定奉行とに分かれた。勝手方と公事方の職務は全く別のものであり、事実上名称のみが共通している状態であった。.

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皇居

皇居の正門石橋(この奥に正門鉄橋(通称二重橋が架かる) 皇居(こうきょ)は、天皇の平常時における宮殿・住居である。現在は東京都千代田区にある。「皇居」の呼称が広く用いられるようになったのは現在の皇居からである。.

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灰吹銀

吹銀(はいふきぎん)は、銀山から山出しされ、灰吹法により製錬された銀地金である。山吹銀あるいは山出し銀とも呼ばれる。.

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祝儀

祝儀(しゅうぎ、御祝儀・ご祝儀)は、時節や時期や機会や出会いなど、人生や日常においての節目節目に金品を贈る行為。.

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秤量貨幣

量貨幣(しょうりょうかへい/ひょうりょうかへい)とは、使用に際して交換価値を品位・量目を検査して計って用いる貨幣。長期間の使用や所有、保管でも変化しにくい金銀青銅などを加工もしくは加工せずに用いた例が多く、貨幣の最古の形態の1つである。鋳造精錬した貴金属は打刻したナゲット状のものや、なかでも金は価値の保存に優れるため砂金のままでも流通した。 これに対して一定の品位・量目の保証のもと、その枚数によって交換価値を計る貨幣を計数貨幣と呼ぶ。 秤量貨幣は流通が容易である反面、品位の安定に不安を生じやすい欠点がある。.

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銅(どう)は原子番号29の元素。元素記号は Cu。 周期表では金、銀と同じく11族に属する遷移金属である。英語でcopper、ラテン語でcuprumと言う。.

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銀(ぎん、silver、argentum)は原子番号47の元素。元素記号は Ag。貴金属の一種。.

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銀座

銀座(ぎんざ)は、東京都中央区の地名で、旧京橋区の地域にある。現行行政地名は銀座一丁目から銀座八丁目。郵便番号は104-0061。地域ブランドとしても知られている。.

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銀座 (歴史)

銀座(ぎんざ)とは、中近世の日本の政権において銀地金の買売、および銀地金への極印打つまり貨幣の鋳造を担った場所に与えられた呼称である。.

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荻原重秀

荻原 重秀(おぎわら しげひで、万治元年(1658年) - 正徳3年9月26日(1713年11月13日))は、江戸幕府の旗本。勘定奉行を務め、管理通貨制度に通じる経済観を有し、元禄時代に貨幣改鋳を行ったことで有名。通称は彦次郎、五左衛門。官位は従五位下・近江守。.

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豆板銀

豆板銀(まめいたぎん)は、江戸時代に流通した銀貨の一種。小粒銀(こつぶぎん)、小玉銀(こだまぎん)とも呼ばれる。当時、銀座において用いられた正式名称は「小玉銀」であり田谷博吉 『近世銀座の研究』 吉川弘文館、1963年、『三貨図彙』にもこの名称で記述されているが、『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には「豆板銀」という名称で収録されている。.

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貫(かん)は、尺貫法における質量の単位、また江戸時代以前の通貨の単位である。 江戸時代の一貫は分銅および定位貨幣の実測によれば平均して3.736キログラムで年代を通じてほぼ一定であったが、江戸時代後期(19世紀以降)にやや増加して3.75キログラムを超えたという岩田重雄 『計量史研究』 「近世における質量標準の変化」、日本計量史学会、1979年。1貫は1000匁に当たり、明治時代に 1貫.

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至文堂

至文堂(しぶんどう)は、日本の出版社である。.

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自然金 金(きん、gold, aurum)は原子番号79の元素。第11族元素に属する金属元素。常温常圧下の単体では人類が古くから知る固体金属である。 元素記号Auは、ラテン語で金を意味する aurum に由来する。大和言葉で「こがね/くがね(黄金: 黄色い金属)」とも呼ばれる。。 見かけは光沢のある黄色すなわち金色に輝く。日本語では、金を「かね」と読めば通貨・貨幣・金銭と同義(お金)である。金属としての金は「黄金」(おうごん)とも呼ばれ、「黄金時代」は物事の全盛期の比喩表現として使われる。金の字を含む「金属」や「金物」(かなもの)は金属全体やそれを使った道具の総称でもある。 金属としては重く、軟らかく、可鍛性がある。展性と延性に富み、非常に薄く延ばしたり、広げたりすることができる。同族の銅と銀が比較的反応性に富むこととは対照的に、標準酸化還元電位に基くイオン化傾向は全金属中で最小であり、反応性が低い。熱水鉱床として生成され、そのまま採掘されるか、風化の結果生まれた金塊や沖積鉱床(砂金)として採集される。 これらの性質から、金は多くの時代と地域で貴金属として価値を認められてきた。化合物ではなく単体で産出されるため精錬の必要がなく、装飾品として人類に利用された最古の金属で、美術工芸品にも多く用いられた。銀や銅と共に交換・貨幣用金属の一つであり、現代に至るまで蓄財や投資の手段となったり、金貨として加工・使用されたりしている。ISO通貨コードでは XAU と表す。また、医療やエレクトロニクスなどの分野で利用されている。.

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鉛(なまり、lead、plumbum、Blei)とは、典型元素の中の金属元素に分類される、原子番号が82番の元素である。なお、元素記号は Pb である。.

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造幣局 (日本)

OAPタワーから南望する造幣局本局 広島支局 独立行政法人造幣局(ぞうへいきょく)は、硬貨の製造、勲章・褒章及び金属工芸品等の製造、地金・鉱物の分析及び試験、貴金属地金の精製、貴金属製品の品位証明(ホールマーク)などの事業を行う日本の行政執行法人である独立行政法人である。そのため、職員の身分は国家公務員である。.

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東京堂出版

株式会社 東京堂出版(とうきょうどうしゅっぱん)は、東京都千代田区にある日本の出版社。.

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東洋経済新報社

株式会社東洋経済新報社(とうようけいざいしんぽうしゃ、)は、ビジネス書や経済書などの発行を専門とする、日本の出版社である。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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明暦

明暦(めいれき)は日本の元号の一つ。承応の後、万治の前。1655年から1658年までの期間を指す。この時代の天皇は後西天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱。.

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明暦の大火

明暦の大火を描いたもの戸火事図巻(田代幸春画、1814年) アルノルドス・モンタヌスの『東インド会社遣日使節紀行』に見られる明暦の大火(1669年) 明暦の大火(めいれきのたいか)とは明暦3年1月18日(1657年3月2日)から1月20日(3月4日)までに江戸の大半を焼いた大火事。振袖火事・丸山火事とも呼ばれる。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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慶長丁銀

慶長丁銀 慶長丁銀(けいちょうちょうぎん)とは江戸時代の初期、すなわち慶長6年7月(1601年)に鋳造開始された丁銀の一種である。慶長丁銀および慶長豆板銀を総称して慶長銀(けいちょうぎん)と呼ぶ。慶長銀を始めとして江戸時代前半の銀貨は何れも秤量貨幣であった。 また慶長大判、慶長小判、慶長一分判と伴に慶長金銀(けいちょうきんぎん)と呼ぶ。.

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1657年

記載なし。

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1700年

17世紀最後の年である100で割り切れてかつ400では割り切れない年であるため、閏年ではない(グレゴリオ暦の規定による)。。.

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1702年

記載なし。

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1703年

記載なし。

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1706年

記載なし。

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1707年

記載なし。

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1709年

記載なし。

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1710年

記載なし。

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