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官省符荘

索引 官省符荘

官省符荘(かんしょうふしょう/かんしょうのふしょう)とは、官省符(太政官符及び民部省符)を得て、所有及び不輸の権を認められた荘園のこと。.

28 関係: ぼう示天平宝字太政官太政官符官省符荘 (紀伊国)寺田不輸の権 (日本)不輸租田一国平均役律令制初期荘園公地公民制公田公民国免荘国衙神田租庸調省符荘園 (日本)荘園整理令荘民輸租田金剛峯寺民部省浮浪8世紀

ぼう示

牓示(ぼうじ)とは、交通の要所や市場、所領などの土地の四至あるいは境界のうち重要な地点に立てた掲示のこと。.

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天平宝字

天平宝字(てんぴょうほうじ、正字体:天平寶字)は、日本の元号の一つ。天平勝宝の後、天平神護の前。757年から765年までの期間を指す。この時代の天皇は孝謙天皇、淳仁天皇、称徳天皇(孝謙天皇重祚)。.

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太政官

太政官.

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太政官符

太政官符(だいじょうかんぷ.

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官省符荘 (紀伊国)

官省符荘(かんしょうのふしょう/かんじょうぶのしょう)とは、紀伊国伊都郡に存在していた荘園。現在の和歌山県橋本市・かつらぎ町・九度山町にあった。 なお、「官省符荘」とは本来は太政官符・民部省符を得て不輸租を認められた荘園を指すもので、日本各地に存在した荘園の類型の1つであるが、本項の荘園はそれをそのまま荘園の名称として採用したものである。また、領主である高野山金剛峯寺の麓にあり、同寺と一体化した荘園であったことから、高野本荘(こうやほんしょう)・金剛峯寺荘(こんごうぶじしょう)とも呼ばれていた。.

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寺田

寺田(じでん、てらだ)とは、日本において、仏教寺院の運営経費にあてる領田(寺社領)をいう。.

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不輸の権 (日本)

不輸の権(ふゆのけん)とは、荘園が国家への租税の一部またはすべてが免除される権利。日本においては、10世紀ころ、摂関政治のもとで官省符荘をもって成立した。.

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不輸租田

不輸租田(ふゆそでん)とは日本の律令制において、租税を免除された田。 主に、神社用の田である神田、寺院用の田である寺田、官職に応じられて与えられた田である官田をはじめ勅旨田・公廨田などが不輸租田である。本来や政府を経由して官司や寺社に給付された租税を直接搬入させたことに由来する。 平安時代中期になると、開発領主が自らの土地をこの不輸租田にするために寺社や上級貴族に寄進するようになる(寄進地系荘園)が、不輸租田の指定には勅許とそれに基づく太政官符及び民部省符からなる公験が必要とされており、それらが揃った不輸租田によって構成された荘園を官省符荘、単に国司が承認したために事実上の不輸租田の対象となっていたものを国免荘田と呼ばれた。政府が承認した不輸租田及び荘園は官省符荘のみであったから、荘園整理令の際には公験が揃っていない荘園(特に国免荘田)が整理の対象となった。節婦(貞節な妻)を賞して与えられた節婦田も不輸租田のひとつ。.

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一国平均役

一国平均役(いっこくへいきんやく)は、日本の中世において、朝廷の認可のもと、一国単位において、原則として荘園・公領を論ぜず、臨時に賦課された租税・課役である上島享「一国平均役の成立過程」(初出:『史林』73巻1号(1990年)/改稿所収:上島『日本中世社会の形成と王権』(名古屋大学出版会、2010年) ISBN 978-4-8158-0635-4 第三部第一章第一節)。一つの国で平均(一律的)に賦課されることから一国平均役と呼称される。.

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律令制

律令制(りつりょうせい)は、律令に基づく制度のこと。主に古代東アジアで見られた中央集権的な統治制度であるといわれることもあるが、唐制に倣った体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである山内昌之・古田博司。日本では律令制または律令体制や律令国家と呼ばれるが、中国にはこのような呼称は存在しない菊池秀明p8 (日中歴史共同研究報告書 p153)。中国において「律令」という言葉は秦から明まで長期にわたって使われており、その間にその内容や位置づけは大きな変遷をみている。そのため、日本の律令制の直接的モデルとなった隋や唐の国家体制をもって「律令制」と定義することは、中国の律令の変遷の実情を無視することとなり、また秦から明までのおよそ1800年間(律のみ存在した清も加えれば2100年間)の制度を一括りにすることにはあまり意味がないとする考えもある廣瀬薫雄『秦漢律令研究』2010年、汲古書院、第一部第一章「律令史の時代區分について」。.

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初期荘園

初期荘園(しょきしょうえん)は、8世紀から9世紀に未墾地の墾田化・既墾の墾田の集積を通して成立した荘園。墾田地系荘園(こんでんちけいしょうえん)とも言う。租を納めねばならず、律令支配体制から脱却していない。.

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公地公民制

公地公民制(こうちこうみんせい)とは、大化の改新に始まる日本の飛鳥時代~奈良時代までの律令制が構築される過程において発生したとされる、全ての土地と人民は公 - すなわち天皇に帰属するとした制度である。日本では、第二次世界大戦以降、公地公民制について、古代律令制の基盤を形成した最重要の制度であると理解されておきた。.

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公田

公田(こうでん/くうでん/くでん)とは、律令制において公(国家・朝廷)が所有している田地・畑地のこと。なお、その概念は時代によって異なるために注意を要する。.

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公民

公民(こうみん、citizen)は、政治に参加することができる人々のことである。市民、国民、住民、人民などの単語と似たような意味を持つが、それぞれの区別に注意を要する。 政治への参加の意味合いから「市民」と言い換えられることも多いが、厳密には参政権、特に選挙権や被選挙権があることをもって公民と呼ぶことが多い。このため、ほとんどの公民という言葉は、市民におきかえることが可能であるが,市民は多義的であるため,特に上記意味を強調したい場合には公民と呼ぶことがある。 なお、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、中華民国では国民、国籍者の意味で憲法上公民という語が使われている。.

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国免荘

国免荘(こくめんのしょう)は、平安時代後期の荘園のうち、国司によって諸役の免除を受けたもの。 平安時代後期に入ると、地方統治における国司の権限は強力となり、荒田などの諸役免除などを決定する権限を保持するようになる。これを不輸の権・不入の権を獲得した荘園に対しても適用を拡大しようとしたのが国免荘である。 ただし、これは当該の国司の個人裁量によるものであったから、国司が交代すると無効になる可能性があった。このため、荘園領主たちは更に効力が強い官省符荘や勅免荘への認定を期待するようになった。 Category:日本の荘園制 Category:日本の経済史.

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国衙

国衙(こくが)は、日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画である。 国衙に勤務する官人・役人(国司)や、国衙の領地(国衙領)を「国衙」と呼んだ例もある。 各令制国の中心地に国衙など重要な施設を集めた都市域を国府、またその中心となる政務機関の役所群を「国衙」、さらにその中枢で国司が儀式や政治を行う施設を国庁(政庁)と呼んだ。.

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神田

(しんでん、かんだ)とは、日本において、神社の祭祀などの運営経費にあてる領田(寺社領)のことをいう。御戸代(みとしろ)、御神田(おみた、おんた)、大御田(おおみた)とも。.

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租庸調

租庸調(そようちょう)は、日本、中国及び朝鮮の律令制下での租税制度である。.

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(ふ)とは、律令制において上級の官司(所管)より下級の官司(被管)に対して命令を下す際に用いる公文書のこと。.

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省符

省符(しょうふ)とは、日本の律令制において、省が発給した符(命令文書)。 省の長官である卿が命令した内容(宣)を次官である輔(大輔・少輔)以下の省の四等官が承り(奉)、その内容を省符として作成する。そのため、命令者である卿は省符の作成には関与せず(自分自身の命令を自分が受けると言う矛盾を避けるため)、次官である輔と主典級の録(大録・少録)が省符に署名する形式を採る。8つあった省のそれぞれが必要に応じた省符を発給したとみられるが、現存しているのは民部省と治部省の省符のみであり、前者は荘園の認定に関連して(→官省符荘)、後者は僧侶の人事に関連して出されたものである。 これに対して太政官が行う太政官符の場合は、次官級の大納言・中納言も上卿として命令者になりうる(命令を宣する場合もありえる)ため、命令を承って官符を作成・署名するのは判官級の弁官と主典級の史ということになり、省符とは書式が異なることになる。なお、太政官での決定を省に命じる太政官符が出される場合で、かつ上卿を務めることが可能な公卿(大納言・中納言など)が相手先の省の長官である卿を兼務している場合には、太政官符の発給を命じる上卿はその省の卿を兼ねる公卿が務めた(太政官符と省符が同一人物からの宣で出される事になる)。 省符の正文は実際にその命令を執行する官司(機関)に送付されて留め置かれ、執行する対象となる当事者には案文(写し)が渡されることになっていたが、11世紀後期以降は、正文が直接当事者に手渡されてそれを官司に呈示することで命令が執行されるようになった。例えば、荘園に関する命令ではそれ以前は荘園が所在する国府に正文が置かれて荘園領主などの関係者には案文が手渡されていたものが、後には省符の正文が直接関係者の元に届けられて関係者自身で国府に対して命令の執行に関する交渉を行うようになっていった。.

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荘園 (日本)

ここでは日本の荘園(にほんのしょうえん)について扱う。.

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荘園整理令

荘園整理令(しょうえんせいりれい)は、平安時代に発布された一連の法令のこと。 特に有名なものは、1069年(治暦5年.

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荘民

荘民(しょうみん)とは、公領内の住民である公民に対して荘園内の住民を指す。一般的には百姓名主や在家住人を指すが、後世には荘民から排除されていた一色田や散田の作人や所従・下人なども含まれる例も現れる。.

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輸租田

輸租田(ゆそでん)とは、律令制における田地の課税方式の区分のうち、田租を国家へ納めることが定められた田。 田租は大宝律令では1段につき2束2把、慶雲3年9月10日(706年10月21日)格では1束5把に改められた。これは度量衡の変更によるもので実質的にはほぼ同量と言われている。毎年稲の収穫が終わる9月から11月にかけて輸租田から国衙に田租が納入された。また、これに付随して正税・出挙が合わせて賦課された。これに対して田租を納めない田を不輸租田と呼ぶ(ただし、いずれにも属しない輸地子田(乗田・無主田・収公田など田租の替わりに地子を納める田地)も存在する)。 輸租田と不輸租田の区別は時期によっても異なるが、通説では口分田・位田・功田・賜田・国造田・郡司職田・墾田が輸租田、職田・公廨田・駅起田・官田・寺田・神田・釆女田が不輸租田にあたる。 班田制の衰退とともに田地の課税方式自体が変質し、輸祖田と輸地子田が公田、田租と地子が租穀として一括把握されるようになった。租穀は1段につき3斗(6束に相当)が基準とされたが、実際の賦課は一定では無かった。それに対して11世紀に導入された賦課基準が公田官物率法であった。 輸租田に該当する田地はたとえ権門所有の荘園であったとしても田租が徴収されたが、10世紀に入ると権門が太政官符・民部省符によって不輸の権を獲得して,所有する荘園を事実上の不輸租田とした。これを官省符荘と呼ぶ。これに対して輸租田の回復を目指して出されたのが荘園整理令であった。 Category:日本の律令制 Category:日本の荘園制 Category:古代の税制.

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金剛峯寺

金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。 高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部、pp.39,75。 「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。本項では「金剛峯寺」を中心に、高野山全体の歴史、信仰、文化財について触れる。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。.

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民部省

民部省(みんぶしょう)は、.

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浮浪

浮浪(ふろう)とは、古代律令制において、民衆などが戸籍・計帳に登録されている本貫から離脱した状態にあること。浮宕(ふとう)・流宕(るとう)とも呼ばれ、逃亡と併せて浮逃(ふとう)とも称された。また、浮浪状態にある者は浮浪人(ふろうにん)と称され、略して浪人とも称された。また、これに対して本貫に在住する者を土人と呼んだ。.

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8世紀

イスラム帝国の拡大。ウマイヤ朝時代までにイスラム帝国は中央アジアからイラン・イラクを経て、エジプト・北アフリカを超えてイベリア半島まで拡がった。 ウマイヤド・モスク。ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世により705年にシリアのダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクで、カアバ・預言者のモスク・岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として巡礼者が絶えない。 イスラムの書法。すでに正統カリフ時代にはクルアーンの編纂が行われていたが、この世紀になると洗練された書体が生み出され用いられた。画像はアッバース朝初期に置かれた都クーファの名から「クーフィー体」と呼ばれた書体によるクルアーンの一節。 円城(ムダッワラ)都市バグダード。アッバース朝の第二代カリフ・マンスールによって766年に完成したこの都市はティグリス川に面した交通の要衝で最盛期にはその人口は100万人を擁した。アラビア語で「平安の都」を意味するマディーナ・アッ=サラームとも呼ばれる。画像はアッバース朝時代のバグダードの再現地図。 エローラ石窟群。画像は8世紀にインドのラーシュトラクータ朝の君主クリシュナ1世によりヒンドゥー教のシヴァ神の住むカイラス山(須弥山)になぞらえて建てられた第16窟のカイラサナータ寺院。 ボロブドゥール遺跡。インドネシアのジャワ島ケドゥ盆地にある大規模な仏教遺跡で、シャイレンドラ朝のダルマトゥンガ王時代に造営された。 唐の世界帝国。西域での覇権を確立した唐は華やかな異文化交流で知られることになる。画像は706年に造営された章懐太子李賢の墓の壁画「賓客図」で、黒衣で禿頭の人物は東ローマ帝国の使節と考えられている。 楊貴妃。絶世の美女として名高いばかりでなく、治世後半の玄宗皇帝の寵愛をほしいままにしたことで「傾城」とも「傾国」とも呼ばれる。安禄山の乱に巻き込まれ悲劇的な最期を遂げた。画像は日本の上村松園による歴史画。 大秦景教流行中国碑。781年にキリスト教ネストリウス派(景教)信者で中央アジア出身の伊斯がその伝来の経緯を記録した石碑。画像はその拓本の一部で、碑題の上に十字架があるのが読み取れる。 唐三彩の駱駝。8世紀前半まで唐は中央アジアの覇権を握り交通の要衝を保持していた。画像は駱駝に乗るソグド人と思われる西域の商人(上海博物館蔵)。 国立アジア美術館(ベルリン美術館)蔵)。 天平文化。遣唐使の頻繁な行き来により盛唐の文物が招来され、710年に遷都された平城京では国際色の豊かな文化が花開いた。画像はこの時代を代表する東大寺法華堂執金剛神。 平安遷都。桓武天皇により平城京から長岡京を経て平安京に都が遷った。平安京は長きにわたって都となり「千年の都」と呼ばれるようになる。画像は桓武天皇の肖像(延暦寺蔵)。 キー・ローのモノグラムの頁(Folio 34r)でトリニティ・カレッジ (ダブリン大学)図書館が所蔵している。 アーヘン大聖堂宝物館のカール大帝の胸像。カール大帝の800年の「西ローマ帝国復興」は東ローマ帝国との間に「二帝問題」の軋轢を生んだ。 8世紀(はちせいき、はっせいき)は、西暦701年から西暦800年までの100年間を指す世紀。.

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