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呉清源

索引 呉清源

呉 清源(ご せいげん、1914年6月12日 - 2014年11月30日 )は、囲碁の棋士。中国福建省出身、日本棋院瀬越憲作名誉九段門下。本名は呉 泉(ご せん、帰化後は くれ いずみ)、清源は字。一時日本棋院を離れて読売新聞嘱託となるが、後に復帰。日本棋院名誉客員棋士。 木谷実とともに「新布石」の創始者としても知られる。門下に林海峰、芮廼偉。.

173 関係: AlphaGo加藤信十段 (囲碁)南京市南果歩古希台湾双葉山定次名人 (囲碁)坂田栄男大倉喜七郎大田区大森南朋大手合天元 (着点)天津市定先定石宮坂シン二宮下秀洋官子譜安永一対馬路人富士見高原病院小田原市小目小野田千代太郎山中湖山部俊郎岩本薫島村俊廣川端康成中国中国囲棋会中華人民共和国中華民国中野 (中野区)中村勇太郎布石世界紅卍字会三一書房三々平凡社久保松勝喜代京劇人工知能人民網井上堯之建長寺...伝記映画張震 (俳優)御城碁信州応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦地獄谷温泉 (長野県)北京市ナダレ定石マネ碁ワタリ (囲碁)ヘルニアビン侯県ツギツケホテルオークラ喜多六平太 (14世)喜多文子呉清源〜極みの棋譜〜オートバイカカリケイマコミジゴゼイ廼偉円覚寺八戸市光原伊太郎前田陳爾囲碁囲碁の手合割囲碁の時間囲碁殿堂四書五経犬養毅玄玄碁経王立誠現代囲碁大系碁会所福州市福建省稲垣兼太郎窪内秀知篠原正美細川千仭結核璽光尊瓊韻社産経新聞田壮壮目白瀬越憲作白川正芳白水社鎌倉華僑青木一男顧水如香港中文大学誠文堂新光社読売新聞高川格鶴岡八幡宮鼓楼区 (福州市)鈴木為次郎藤沢秀行藤沢朋斎金沢市長崎国旗事件長谷川章長野県雁金準一老衰週刊碁陰陽陳祖徳NHK杯テレビ囲碁トーナメントNHK教育テレビジョン柄本明林裕林有太郎林海峰東京新聞東京日日新聞松坂慶子村島誼紀杉内雅男桐山桂一梶原武雄梅蘭芳棋士 (囲碁)棋道棋正社棋書 (囲碁)横浜市橋本宇太郎段祺瑞江崎誠致汪雲峰木谷木谷實未完の対局本因坊本因坊秀哉本因坊秀策星 (囲碁)明治大学映画新布石新浪方円社文藝春秋日本囲碁大系日本棋院日本最強決定戦早稲田大学曲励起時事新報11月30日1914年2014年2016年6月12日 インデックスを展開 (123 もっと) »

AlphaGo

AlphaGo(アルファ碁、アルファご)は、Google DeepMindによって開発されたコンピュータ囲碁プログラムである。 2015年10月に、人間のプロ囲碁棋士を互先(ハンディキャップなし)で破った初のコンピュータ囲碁プログラムとなった。 2016年3月15日には、李世乭との五番勝負で3勝(最終的に4勝1敗)を挙げ、韓国棋院に名誉九段を授与された。アマチュアに対する名誉段位ではなく、プロとしての名誉段位である。 また、2017年5月には、柯潔との三番勝負で3局全勝を挙げ、中国囲棋協会にプロの名誉九段を授与された。Google DeepMindは世界トップ棋士である柯潔に勝利したことを機に、AlphaGoを人間との対局から引退させると発表した。.

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加藤信

加藤信(かとう しん、1891年(明治24年)11月5日 - 1952年(昭和27年)7月14日)は、囲碁の棋士。東京市出身、広瀬平治郎門下、方円社、日本棋院、棋正社に所属、八段。重厚な棋風から「黒甲将軍」と呼ばれた。第1期本因坊戦準優勝。.

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十段 (囲碁)

十段(じゅうだん)は、囲碁の棋戦の一つである十段戦で優勝した棋士に贈られるタイトル。日本棋院および関西棋院の昇段制度(初段~九段)とは別個に運営される、独立した称号である。.

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南京市

南京市(ナンキンし、、、)は、中華人民共和国の副省級市で、江蘇省の省都。古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都であった。中国四大古都の一つ。14世紀から15世紀にかけて、世界最大の都市であった。2016年の都市的地域の人口は678.14万人であり、総人口は827万人である。 金陵(きんりょう)は南京の別名である。また清朝のころには江寧(こうねい、簡体字:江宁)と呼ばれたことから略称は「寧(簡体字:宁)」である。夏はとても暑く、重慶、武漢と並ぶ中国三大ボイラー(三大火炉)の一つと言われている。.

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南果歩

南 果歩(みなみ かほ、1964年1月20日 - )は、日本の女優。 兵庫県尼崎市出身 - 尼崎市 2016年2月20日閲覧。桐朋学園大学短期大学部卒業。ホリエージェンシー所属。.

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古希

古希(こき。原文の表記は古稀。「稀」は常用漢字にはないので現在では「古希」と書くことが多い)とは、70歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。 還暦は数えの61歳(≒満60歳)であるが、古希は数えの70歳(≒満69歳)のこと。古希は長寿の祝いとされている。お祝いの色は、喜寿祝いと同じく、紫色。 長寿の祝いには、他に、還暦(かんれき)、喜寿(きじゅ)、盤寿(ばんじゅ)、傘寿(さんじゅ)、米寿(べいじゅ)、卆寿(そつじゅ)、白寿(はくじゅ)、百寿(ひゃくじゅ)などがある。 清の乾隆帝は「古稀天子」と自ら称し印判などにも用いた。中国史上古稀を迎えた天子は乾隆帝の他は梁の武帝、南宋の高宗などわずかしかおらず、統一王朝の皇帝となると空前といってよかった。.

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台湾

台湾(タイワン、臺灣 / 台灣、台: Tâi-oân)は、東アジアの国である。 1945年に当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入り、1949年に中華民国政府が台湾に移転した。1955年以降、中華民国は台湾本島以外にも澎湖諸島、金門島、馬祖島、東沙諸島、南沙諸島の太平島を実効支配しているが、全体の面積に占める台湾(本島)の割合は99%以上になる。そのため、中華民国の通称として「台湾」と表記される(詳細は定義参照)。近隣諸国としては、東及び北東に日本、南にフィリピンがある。事実上の首都は台北市である。台北県が直轄市となったことにより成立した新北市は、台北市及びその外港である基隆市を囲む大都市圏を包含し、2018年時点では同島で人口最多の都市である。.

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双葉山定次

双葉山 定次(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身の元大相撲力士。第35代横綱。本名は龝吉 定次(あきよし さだじ)。.

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名人 (囲碁)

名人(めいじん)は、囲碁の棋戦の一つである名人戦に優勝した棋士に贈られるタイトルである。.

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坂田栄男

二十三世本因坊栄寿(にじゅうさんせいほんいんぼうえいじゅ、1920年(大正9年)2月15日 - 2010年(平成22年)10月22日)、本名:坂田 栄男 (さかた えいお)は、囲碁棋士。東京都出身、日本棋院所属、増淵辰子八段門下、九段。名誉日本棋院選手権者、名誉NHK杯選手権者。 本因坊戦で7連覇他、選手権制初の名人・本因坊、7タイトル制覇、タイトル獲得64回など数々の記録を持つ、呉清源と並び称される昭和最強棋士の一人。切れ味の鋭いシノギを特徴として「カミソリ坂田」の異名を持ち、数々の妙手、鬼手と呼ばれる手を残している。また布石での三々を多用した。 日本棋院理事長を1978年から1986年まで務めた後、1988年7月より日本棋院顧問。2000年2月15日に現役を引退。2009年より日本棋院名誉顧問。.

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大倉喜七郎

大倉 喜七郎(おおくら きしちろう、1882年〈明治15年〉6月16日 - 1963年〈昭和38年〉2月2日)は、大倉財閥2代目総帥。男爵。東京生まれ。長唄の名を聴松。 父は大倉財閥創始者の大倉喜八郎。異母弟の大倉雄二(1918年〈大正7年〉 -)は父喜八郎・兄喜七郎の回想・評伝を3冊執筆している。.

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大田区

大田区(おおたく)は、東京都に23ある特別区の一つ。東京都区部の最南端に位置する。郵便番号(上3桁)は143・144・145・146。.

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大森南朋

大森 南朋(おおもり なお、1972年2月19日 - )は、日本の俳優。東京都出身。アパッチ所属。身長178cm。父は俳優・舞踏家の麿赤児。兄は映画監督の大森立嗣。.

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大手合

大手合(おおてあい)は、囲碁の棋士の昇段を審査するために、日本棋院などの組織で行われた対局制度。1924年(大正13年)の日本棋院設立時、それまでの個人間の成績に基づいて決定されていた昇段を合理的なものに改めるものとして開始された。当初の名称は「定式手合」で、1927年(昭和2年)の東西制移行時から大手合となった。1950年に日本棋院から独立した関西棋院でも同制度が採用された。途中幾度かの改革を経て80年間続けられたが、日本棋院では2003年、関西棋院では2004年に廃止された。 棋士の成績を客観的に評価するために、段位差がある場合の手合割に基づく点数制を採用したこと、およびコミ無し碁であったところに特徴がある。その後、東西対抗形式や、最高位決定戦の実施なども行われた。開始当時は棋士にとってもっとも重要な公式対局であったが、本因坊戦創設以後は棋戦の数も増え、制度自体が時代の流れに合わなくなったことを受け、棋戦制度の改革とともに新たな昇段制度に移行した。.

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天元 (着点)

天元(てんげん)は囲碁用語で、碁盤の中心点のこと。下図黒1の点。 タイトル戦の名称にある天元は、ここからとったものである。.

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天津市

天津市(てんしんし/ティエンジンし、、、)は、中華人民共和国に位置する直轄市。国家中心都市の一つ。略称は津。 天津は華北平原海河の五大支流の合流する所に位置し、東に渤海を、北に燕山を臨む。市内を流れる海河は天津の母親河とも呼ばれる。 環渤海湾地域の経済的中心地であり、中国北方最大の対外開放港である。首都北京市とは高速道路、高速直通列車、京津城際線によって、0.5〜2時間以内で結ばれている。元々は海河の河港であったが、河口の塘沽に大規模な港湾やコンテナターミナル、工業地帯が形成されている。経済成長率の高さはここ数年に渡り、全国トップである。2017年の第13期の全国体育大会の開催が決まっており、夏季ダボスフォーラム常駐開催都市でもある。 市区人口は506万人、都市圏人口は720万人。.

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字(あざな、)とは、中国など東アジアの漢字圏諸国で使われる人名の一要素である。 昔、中国で成人男子が実名以外につけた名。日本でも学者・文人がこれをまねて用いた。 また、実名以外に呼び習わされた名。あだな。.

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定先

定先(じょうせん)は囲碁の手合割の一つ。対局者の棋力にわずかに差がある場合用いられる方式で、置石が無し、コミなしで行われる対局。 下手が常に黒石(先手)を持ち、上手が常に白石(後手)を持つことでゲームの特質としての「先手の有利性」を下手のハンデとして対局が行なわれる。 ハンデの隙間を埋めるために逆コミが設けられることもある。その場合、逆に黒がもらえる逆コミ6目半までというのが普通である。 なお、「定先」という言い方は先二や先相先といった複数局を一組とするハンデに対し、「常に先番で対局している」ハンデであるということ強調するための呼び方であり、その意識がなければ単に先と呼ぶこともある。 Category:囲碁の術語.

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定石

定石、定跡(じょうせき)とは、アブストラクトゲームにおける用語である。お互いが最善と考えられる手を行った場合の一連の手のこと。チェスでは、「オープニング」とも。石を用いる囲碁、オセロ、連珠などでは「定石」が、駒を用いる将棋、チェスなどでは「定跡」が用いられる。.

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宮坂シン二

宮坂 寀二(みやさか しんじ、1888年(明治21年10月) - 1949年(昭和24年)は、日本の囲碁棋士。富山県出身、本因坊秀哉門下、日本棋院などに所属、六段。満州に渡り、満州棋院を設立した。.

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宮下秀洋

宮下 秀洋(みやした ひでひろ、1913年(大正2年)12月20日 - 1976年(昭和51年)8月8日)は、囲碁の棋士。福島県出身、日本棋院所属、本因坊秀哉門下、九段。早碁名人戦2期、王座1期など。力戦派で「福島の猛牛」の異名を取る。宮下鈴枝初段は実子。名前は「しゅうよう」とも読む。.

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官子譜

官子譜(かんずふ、官子谱)は、中国の詰碁(珍瓏)を集めた棋書。明の時代の過百齢によって著され、清の時代に陶式玉の編注、改訂により現在の形となった。終盤の死活や攻め合いなどの問題を集めたもので、詰碁の二大名著として「玄玄碁経」と並べられるが、手筋の網羅性は「官子譜」が上回っている。.

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安永一

安永一(やすなが はじめ、1901年(明治34年)12月3日 - 1994年(平成6年)2月2日)は、アマチュアの囲碁棋士、囲碁評論家、ライター。兵庫県氷上郡出身。木谷実、呉清源と共著の『囲碁革命 新布石法』は特に有名。アマチュア棋士としても実力は一流で、中国流布石を創始したとも言われる。プロ棋士の育成もし、門下に小松英樹、谷口敏則、吉岡薫らがいる。 「天下の素浪人」を自称。著作では「拙安永一」と記述していた。叔父の広月絶軒は本因坊秀哉の著作の執筆を行った、囲碁ライターの草分け。.

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対馬路人

対馬 路人(つしま みちひと、1949年 - )は、日本の宗教学者、社会学者。関西学院大学教授。専門は宗教社会学。.

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富士見高原病院

厚生連富士見高原病院(こうせいれんふじみこうげんびょういん)は長野県諏訪郡富士見町にある長野県厚生農業協同組合連合会(JA長野厚生連)が経営する病院。.

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小田原市

小田原市(おだわらし)は、神奈川県西部の市である。施行時特例市に指定されている。.

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小目

小目(こもく)は囲碁用語の一つで、空きスミへの着手を指す言葉のひとつ。碁盤の隅から数えて(3,4)または(4,3)の地点に打つことをいう。下図黒1、あるいはaの位置が小目である。星と並び、隅を占める手の中で最もよく打たれる着点である。定石の種類も、隅の着点の中で最も多い。 なお「小目」は隅の星の一路辺寄りの(低い)位置を指すものであり、辺の星の一路低い位置は、小目でなく「星下」と呼ばれる。 一つの隅に小目に該当する位置は2箇所あるが、どちらに打つのも同じ意味である。ただし盤上の他の石の配置によっては、戦略上異なる意味を持つ。.

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小野田千代太郎

小野田 千代太郎(おのだ ちよたろう、1896年(明治29年)3月18日- 1944年(昭和19年)1月11日)は、日本の囲碁棋士。東京出身、方円社、日本棋院、棋正社などに所属、八段。院社対抗戦などで活躍し、強腕で鬼田強太郎の異名を取った。登山家としても著名。.

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山中湖

山中湖(やまなかこ)は、山梨県南都留郡山中湖村にある淡水湖。 富士五湖のひとつ。面積は6.57kmあり、富士五湖の中で最大の面積を持つ。また、湖面の標高は富士五湖の中では最も高い位置にあり、日本全体でも第3位。逆に水深は富士五湖の中で最も浅い 13.3m。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。 形が牛に似ているので、別名は臥牛湖である。 「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。.

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山部俊郎

山部俊郎(やまべとしろう、大正15年(1926年)7月31日 - 平成12年(2000年)2月5日)は、囲碁の棋士。東京都出身、日本棋院所属、向井一男門下、九段。本因坊戦、天元戦挑戦者など準優勝9回を数える。手の見える天才肌の棋士で「奔放」「変幻」が代名詞。藤沢秀行、梶原武雄と並んで戦後派三羽烏と呼ばれた。.

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岩本薫

岩本薫(いわもと かおる、1902年(明治35年)2月5日 - 1999年(平成11年)11月29日)は、大正・昭和の囲碁棋士。第3、4期本因坊で本因坊薫和と号する。島根県益田市出身、広瀬平治郎八段門下。 中盤の戦いに強く、序盤はあちこちに散在する石が徐々に関連して相手に圧力をかけてくるところから「豆まき碁」と呼ばれた。 1945年の第3期本因坊戦での橋本昭宇本因坊との挑戦手合において、広島市郊外の五日市(現佐伯区五日市町)で行われた6番勝負の第2局は原爆下の対局として有名。 1948年から日本棋院理事長、1954年から中央会館館長を歴任。 囲碁の海外普及に尽力し、また私財を投じた岩本基金により、サンパウロ、アムステルダム、ニューヨーク、シアトルの囲碁会館設立に多大な貢献をした。 日本における七大タイトル獲得経験者では最年長にあたる。.

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島村俊廣

島村 俊廣(しまむら としひろ、明治45年(1912年)4月18日 - 平成3年(1991年)6月21日)は、日本の囲碁棋士。三重県鈴鹿市出身、日本棋院所属、九段、鈴木為次郎名誉九段門下。利博から、俊宏、俊広、俊廣と改名。王座戦、天元戦優勝、本因坊戦挑戦2回など、長く中部碁界の重鎮として活躍した。渋い辛抱のいい棋風で「いぶし銀」と呼ばれ、また「忍の棋道」を自認した。.

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川端康成

川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の小説家、文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。 大学時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現した後、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊。西欧の前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目され、詩的、抒情的作品、浅草物、心霊・神秘的作品、少女小説など様々な手法や作風の変遷を見せて「奇術師」の異名を持った原善「川端康成」()。その後は、死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品、連歌と前衛が融合した作品など、伝統美、魔界、幽玄、妖美な世界観を確立させ、人間の醜や悪も、非情や孤独も絶望も知り尽くした上で、美や愛への転換を探求した数々の日本文学史に燦然とかがやく名作を遺し、日本文学の最高峰として不動の地位を築いた羽鳥徹哉「作家が愛した美、作家に愛された美―絶望を希望に転じ、生命の輝きを見出す」()羽鳥徹哉「川端文学の世界――美についての十章」()。日本人として初のノーベル文学賞も受賞し、受賞講演で日本人の死生観や美意識を世界に紹介した。 代表作は、『伊豆の踊子』『抒情歌』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など。初期の小説や自伝的作品は、川端本人が登場人物や事物などについて、随想でやや饒舌に記述している。そのため、多少の脚色はあるものの、純然たる創作(架空のできごと)というより実体験を元にした作品として具体的実名や背景が判明し、研究・追跡調査されている「第三章 精神の傷あと―『みち子もの』と『伊豆の踊子』―」()。 川端は新人発掘の名人としても知られ、ハンセン病の青年・北條民雄の作品を世に送り出し、佐左木俊郎、武田麟太郎、藤沢桓夫、少年少女の文章、山川彌千枝、豊田正子、岡本かの子、中里恒子、三島由紀夫などを後援し、数多くの新しい才能を育て自立に導いたことも特記できる「新感覚――『文芸時代』の出発」()「第一編 評伝・川端康成――非情」()「第二部第五章 新人才華」()。また、その鋭い審美眼で数々の茶器や陶器、仏像や埴輪、俳画や日本画などの古美術品の蒐集家としても有名で、そのコレクションは美術的価値が高い。 多くの名誉ある文学賞を受賞し、日本ペンクラブや国際ペンクラブ大会で尽力したが、多忙の中、1972年(昭和47年)4月16日夜、72歳でガス自殺した(なお、遺書はなかった)「『美しい日本の私』――ノーベル賞受賞」()「第三部第八章 末期」()。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中国囲棋会

中国囲棋会(ちゅうごくいきかい)は、台湾の囲碁棋士の組織。1952年に中国囲棋社(中國圍棋社)として設立され、1953年に現名称。名人戦などの各種棋戦を主催し、1979年から職業棋士(プロ棋士)制度を開始した。 当初は応昌期の支援で活動していたが、応昌期囲棋教育基金会は90年代からは活動の中心を中国大陸(中華人民共和国)に移す。2000年からは台湾棋院と併存している。.

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中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

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中華民国

中華民国(ちゅうかみんこく)は、東アジアに位置する民主共和制国家。 アジアで2番目の共和国として1912年に中国大陸で成立し、国共内戦により中国大陸で中華人民共和国が建国された1949年以降は台湾島と周辺の島嶼群など(自由地区)のみを実効支配する海洋国家となった。自由地区は、日本やフィリピン、中華人民共和国などと領海を接する。 議会制民主主義・資本主義体制国であり、1971年までは国際連合安全保障理事会常任理事国として国際社会に大きな影響を与えていた。しかし国連の代表権問題や一つの中国政策により、中華人民共和国が中華民国を国家承認しないように要求しているため、2018年5月24日現在では中華民国を正式に国家として承認している国は18か国に留まる。上記の経緯があるため以前の国交を結んでいた国々を中心に、日本を含めて多くの国々と活発な経済的文化的な交流が行われている。台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である台湾(たいわん)と表記されるのが一般的である。.

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中野 (中野区)

中野(なかの)は、東京都中野区の町名。現行行政地名は中野一丁目から六丁目。郵便番号は164-0001。 中野駅前を中心に繁華街・オフィス街が形成され、秋葉原に次ぐオタク・アイドルの聖地として知られる一方、閑静な住宅地も広がる。 現在、駅周辺では大規模な再開発が進められており、2012年には中野四季の都市が街開きしている。.

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中村勇太郎

中村 勇太郎(なかむら ゆうたろう、1908年(明治41年)2月5日 - 1983年(昭和58年)12月15日)は、日本の囲碁棋士。千葉県出身、岩佐銈九段に師事、日本棋院所属、九段。第3期本因坊戦挑戦者決定戦進出、最高位決定戦リーグ入りなど。手厚く堅実な棋風。.

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布石

布石(ふせき)は囲碁序盤戦の打ち方。文字通り、お互いが盤上に石を布いてゆき、勢力圏を確保しようとする段階。これからどういう構想を持って打ち進めていくかを表すいわば土台作りの段階であり、盤上での双方のおおよその石の配置を定めていく。これが転じて布石という言葉は、将来のための準備を意味する一般用語として用いられるようになった。 一局のうちどこまでが布石かは対局ごとに異なり、明確な線が引けるわけではない。多くの場合、互いの石が接触して戦闘が始まるまでの段階を指す。明確な布石の段階を経ずに戦いに突入する場合もある。.

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世界紅卍字会

世界紅卍字会(せかいこうまんじかい、The World Red Swastika Society)は、道教系の宗教団体「道院」に付随する修養慈善団体。戦前の中華民国及び満州において赤十字社に準ずる組織として活動した。略称として「紅卍会」とも呼ばれる。.

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三一書房

株式会社三一書房(さんいちしょぼう、San-ichi Publishing Co., Ltd.)は、 人文社会系の書籍を中心としながら、幅広い出版をしてきた日本の出版社。.

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三々

三々(さんさん)は囲碁用語の一つで、碁盤上の位置を指す言葉。碁盤の隅から数えて(3,3)の地点(下図参照)。布石の段階で隅の着点として単独で打たれる他、星や高目、目ハズシなど位の高い着点に対する隅への侵入手段として打たれることも多い。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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久保松勝喜代

久保 松勝喜代(くぼまつ かつきよ、1894年(明治27年)10月25日 - 1941年(昭和16年)12月15日)は、囲碁棋士。兵庫県出身。方円社、日本棋院に所属、名誉九段。昭和初期の関西囲碁界の重鎮であり、橋本宇太郎、木谷實らを弟子としながら東京に送り出した他、多くの棋士を育てた。「偉大なる素人」と呼ばれ、大模様の碁を得意とし、初手天元も研究した。連珠八段でもあり、久保松機山を名乗った。.

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京劇

青龍偃月刀をもつ関羽(役柄は紅生。俳優は殷秋瑞) 京劇(きょうげき、)とは中国の伝統的な古典演劇である戯曲(歌劇の一種のこと)の1つである。 清代に安徽省で発祥し北京を中心に発展したので京の名が付き、主に北京と上海の二流派がある。唱腔は板腔体を基本とし、声腔は西皮と二黄を主要なものとする。このため京劇に代表される西皮と二黄を総称して皮黄腔ということがある。 京劇においても女形(男旦)が存在するが、現在ではその役を主に女優が行っている。.

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人工知能

250px 人工知能(じんこうちのう、artificial intelligence、AI)とは、「計算機(コンピュータ)による知的な情報処理システムの設計や実現に関する研究分野」を指す。.

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人民網

人民網(じんみんもう)は、中国共産党中央委員会の機関紙『人民日報』で知られる中華人民共和国のメディア、人民日報社が1998年12月1日に開設したニュースサイトで、日本語版と日本版の2つのサイトがある。 日本語版では中国で発生した重大ニュース、中国の経済、社会、科学教育、文化、観光などの情報を日本語で提供するニュースサイト、いっぽう日本版は日本・中日関係の報道を専門に中国語で提供するニュースサイトである。特に政治欄では、米国や日本の動きについて、頻繁に言及しており中国の立場の正当性を主張あるいは正当化する姿勢を一貫している。.

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井上堯之

井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2018年5月2日)は、日本のミュージシャン・ギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。 兵庫県神戸市出身。.

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建長寺

建長寺(けんちょうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山。山号を巨福山(こふくさん)と称し、寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょう こうこく ぜんじ)。 鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定。.

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伝記映画

初期の伝記映画『巨星ジーグフェルド』(1936年)の一幕 伝記映画(でんきえいが)は映画のジャンルのひとつで、歴史上の偉人など、実在の人物の生涯もしくは半生を描いた映画を指す。ほとんどの作品は完全な伝記や史実に基づくものではなく、制作者が多少の創作や脚色をくわえることが一般的である。 伝記映画は、映画の草創期であるサイレント映画の時代からおおく製作されていたが、トーキーが映画の主流となっていった1930年代に、アルフレッド・ワーカーの『ロスチャイルド』(1934年)、ロバート・Z・レナードの『巨星ジーグフェルド』(1936年)、ウィリアム・ディターレの『科学者の道』(1936年)や『ゾラの生涯』(1937年)が、アメリカ合衆国の映画賞であるアカデミー作品賞で受賞ないしノミネートを果たすといった評価を得て、この時期にジャンルとして確立した。それ以降に製作された伝記映画にはデヴィッド・リーンの『アラビアのロレンス』(1962年)や、ケン・ラッセルの『恋人たちの曲 悲愴』(1970年)などがある。.

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張震 (俳優)

張震(チャン・チェン、1976年10月14日 - )は、台湾出身、中華圏で活躍中の俳優。.

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御城碁

御城碁(おしろご)は、江戸時代に囲碁の家元四家の棋士により、徳川将軍の御前にて行われた対局。寛永3年(1626年)頃に始まり、毎年1回、御城将棋とともに2、3局が行われ、幕末の元治元年(1864年)に中止となるまでの230年余りに渡って続いた。御城碁に出仕することは、家元の代表としてであり、当時の棋士にとってもっとも真剣な勝負であった。また碁によって禄を受けている家元四家にとっては、碁の技量を将軍に披露する義務としての意味もあり、寺社奉行の呼び出しによるという形式で行われた。実際に将軍が観戦することは多くなかったが、代行として老中などが列席した。 全部で536局の対局が行われ、出仕した棋士は67名。代表的な成績としては、本因坊秀策の、嘉永2年(1849年)から文久元年(1861年)にかけての19連勝が有名。.

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信州

信州(しんしゅう).

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応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦

応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦(おうしょうきはい せかいぷろいご せんしゅけんせん、應氏杯世界職業圍棋錦標賽、응씨배 세계 바둑 선수권 대회)は、世界各国の代表選手による囲碁の世界一を決める棋戦。台湾経済界の重鎮であった応昌期が私財を投じて創設した。応氏杯と表記することもある。1988年に第1回が開始され、4年に一度オリンピックの年に開催される。.

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地獄谷温泉 (長野県)

地獄谷温泉後楽館と間欠泉 後楽館の露天風呂で客と共に入浴する猿 地獄谷温泉(じごくだにおんせん)は、長野県下高井郡山ノ内町の湯田中渋温泉郷にある温泉。近くには、横湯川が流れる。ニホンザルが入浴する事で有名。.

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北京市

北京市(ペキンし、、)は、中華人民共和国の首都である。 行政区画上は直轄市であり、中国の華北の中央に位置する。人口は2152万(2014年)であり、中国では上海に次ぐ第二の都市。世界有数のメガシティであり、高い影響力を有する世界都市でもある。古くは大都・燕京・北平とも呼ばれた。.

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ナダレ定石

ナダレ定石(なだれじょうせき)は囲碁の定石に付けられた俗称の一つで、小目への一間高ガカリに下ツケする形から発生する定石を指す。最初から接触戦となり、また変化型が多い難解定石の代表の一つ。石が接触しながら戦いになっていく様を「ナダレ」と形容された。命名者は三堀将。 定石として研究されたのは昭和になってからと新しく、現代でも多くの変化が生まれ続けている。また大型定石となる形も多く、周囲に石がある場合にはツブレ(勝負が終わりになるほどの酷い結果)となる可能性もあるため、周辺の配石に注意して着手を選ぶ必要がある点でも難しい手法と言える。.

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マネ碁

マネ碁(マネご)は囲碁の戦法の一つで、相手の打った石から点対称の位置にマネをしながら打っていくこと。白番で黒の打つ手をマネしていく「白番マネ碁」と、黒で第一着を天元に打ち、その後白のマネをしていく「太閤碁」の2種類がある。下図は白番マネ碁の局面の一例である。.

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ワタリ (囲碁)

ワタリは囲碁用語のひとつで、相手の石の下をくぐるように盤端に打って自分の石同士を連絡する手を指す。動詞では「ワタる」「渡る」と表現する。下図黒1がワタリの一例で、▲の石と連絡する。 「ワタリ」という言葉は盤端近くに打つ手を指し、中央に打って連絡する手はワタリとは呼ばない。ワタリは自分の石の安全を確保する重要な手段であるが、時にただ連絡するだけで地がつかず、働きのないワタり方を「貧乏ワタリ」と言うことがある。.

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ヘルニア

ヘルニア()または脱腸(だっちょう)とは、体内の臓器などが、本来あるべき部位から「脱出・突出」した状態を指す。体腔内の裂隙に迷入したものを内ヘルニア、体腔外に逸脱したものを外ヘルニアと呼ぶ。腹部の内臓に多くみられ、例えば腹壁ヘルニアは、腹壁に生じた裂け目から腹部の内臓が腹膜に包まれたまま腹腔外に脱出するものである。 一般的に多いヘルニアは、鼠径ヘルニア(脱腸)、臍ヘルニア(でべそ)、椎間板ヘルニアなどである。 また、嵌頓ヘルニア(かんとんヘルニア、incarcerated hernia / incarceration of hernia)は、脱出した臓器などが脱出穴で締め付けられた状態を指す。締め付けられた状態が長期に及ぶと、血液循環障害により脱出した部分が壊死ないし壊疽に至る場合がある。多くは激痛を伴う。.

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ビン侯県

閩侯県(びんこうけん)は中華人民共和国福建省福州市に位置する県。.

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ツギ

ツギは囲碁において、すでに打った石を相手に切断されないよう連絡する手を指す。 | | | 上図黒1がツギである。 囲碁においては、一般に相手にキラレてしまうと二団に分断され、攻めを受けて不利になることが多い。こうした攻めや取られを防ぐため、ツギは重要な基本技術である。.

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ツケ

ツケは囲碁用語で、着手を表す言葉のひとつ。すでに打たれている相手の石に隣接させるように打つ手を指す。例えば下図の黒1などがツケの例である。 ただし「ツケ」という言葉は多くの場合単独で打つ場合を指し、打った石の周辺に味方や相手の石がある場合には別の用語を使うことが多い。例えば下図左の黒1は「ハネ」であり、下図右の黒2は「ワリコミ」である。.

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ホテルオークラ

株式会社ホテルオークラ(英称:Hotel Okura Co., Ltd.)は、日本のホテル運営グループの事業持株会社である。 同社のグループが運営するホテルオークラ東京(虎ノ門二丁目)は、日本では「老舗ホテル」とされており、帝国ホテル東京、ホテルニューオータニとともに、ホテルの「御三家」と称される。2015年(平成27年)10月1日よりホテルチェーン(オークラ ホテルズ & リゾーツ)運営部門は子会社の株式会社オークラ ニッコー ホテルマネジメントに承継されたが、オークラ ホテルズ & リゾーツの各ホテルについても、本項で記述する。.

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喜多六平太 (14世)

十四世 喜多 六平太(じゅうよんせ きた ろっぺいた、1874年(明治7年)7月7日 - 1971年(昭和46年)1月11日)は、喜多流シテ方能楽師で、喜多流十四世宗家。.

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喜多文子

喜多文子(きた ふみこ、明治8年(1875年)11月16日) - 昭和25年(1950年)5月10日)は、囲碁の棋士。東京生まれ、方円社、日本棋院に所属、名誉八段。女流棋士として初の実力四段となり、また多くの女流棋士を育て、現代女流碁界の母と言われる。大正の碁界大合同、日本棋院設立にも大きな功績があった。.

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呉清源〜極みの棋譜〜

『呉清源〜極みの棋譜〜』(ごせいげん きわみのきふ、原題:呉清源)は、中国出身の囲碁の棋士、呉清源の生涯を描いた伝記映画。2006年公開。 原作は呉清源の自著『中の精神』(東京新聞出版局刊)。.

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オートバイ

ートバイとは、原動機を搭載した二輪車である広辞苑 第五版「ガソリン機関による動力で走る二輪車」(出典:大辞泉)。大辞泉では「ガソリン機関による」とされたが、2012年現在ではガソリン機関だけでなく、モーターやガスタービンを動力とするものも市販されている。。単車(たんしゃ)や自動二輪車(じどうにりんしゃ)とも呼ばれる。オートを省略してバイクとも呼ばれる(ただ、自転車を意味する英語の bike との混同の恐れがある)。.

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カカリ

リは囲碁において、相手の打った隅の石に対して接近して打ち、シマリを妨害して敵に確定地を作らせないように打つ着点のことである。カカリは囲碁における石の接触の第一段階であり、ほとんど全ての対局で打たれる。下図の△がカカリの一例である。 カカリは相手に接近しすぎると2対1の不利な兵力で密着戦を戦わねばならなくなり、よい結果をもたらさないことが多い。上図のようにケイマの位置あるいは一間・二間などにやや離して打つのがセオリーである。カカリは3線または4線に打たれることがほとんどで、4線へのカカリを「高ガカリ」と呼ぶことがある。.

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ケイマ

イマは囲碁において、すでにある石から横に二路、縦に一路(または横に一路、縦に二路)離れた位置関係のことを指す。下図がケイマの位置関係である。 英語では "knight jump" 。将棋の桂馬やチェスのナイトの動きのような位置関係であることから名づけられた。向きは問わない。なお将棋では「桂馬」と漢字で書くが、囲碁ではふつうカタカナで表記する。 上図のケイマより石が一路遠い、下図の黒石ような位置関係は「大ゲイマ(おおげいま)」と称する。下図の白石のような、さらにもう一路遠いものは「大々ゲイマ(だいだいげいま)」である(白の配置)。これに対比させて通常のケイマを「小ゲイマ」と称することもある。.

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コミ

ミ、コミ出しは、囲碁のルールの一つ。ゲームの性質上先手が有利であるため、地の計算の段階で与えられるハンデキャップを指す。.

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ジゴ

* 持碁(じご)は囲碁用語の一つ。.

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ゼイ廼偉

芮廼偉(ぜい のい、芮乃伟、ルイ・ナイウェイ、루이나이웨이、Rui Naiwei、 1963年12月28日 - )は、中国、韓国等の囲碁棋士。中国上海出身、中国囲棋協会所属、韓国棋院客員棋士など、九段。女流世界棋戦で優勝8回、応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦ベスト4など、女流では世界最強の棋士。師は呉清源九段。江鋳久九段は夫。力の強い戦闘的な棋風。「廼(乃)」の日本語の音は「ダイ」であるが、日本棋院では訓読みで「の」としている。.

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円覚寺

円覚寺(えんがくじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある寺院。山号を瑞鹿山(ずいろくさん)と称し、正式には瑞鹿山 円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)と号する。臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元である。なお、寺名は「えんがくじ」と濁音で読むのが正式である。 鎌倉時代の弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権・北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建した。北条得宗の祈祷寺となるなど、鎌倉時代を通じて北条氏に保護された。 JR北鎌倉駅の駅前に円覚寺の総門がある。境内には現在も禅僧が修行をしている道場があり、毎週土曜・日曜日には、一般の人も参加できる土日坐禅会が実施されている。かつて夏目漱石や島崎藤村、三木清もここに参禅したことが知られる。.

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八戸市

八戸市(はちのへし)は、青森県東部に位置し、太平洋に面する中核市。青森市・弘前市と共に、青森県主要3市の一角を構成する。 三八地域県民局が設置されており、三戸郡を包含する八戸圏域連携中枢都市圏の中心となっている。.

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光原伊太郎

光原伊太郎(みつはら いたろう、1897年(明治30年)- 1979年(昭和54年)8月17日)は、日本の囲碁棋士。大阪出身、岩佐銈門下、日本棋院などに所属、名誉八段。関西囲碁界の柱として、高川格ら多くの棋士を輩出した。.

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前田陳爾

前田 陳爾(まえだ のぶあき、1907年11月22日 - 1975年7月3日)は、囲碁の棋士。兵庫県出身、日本棋院所属、九段、本因坊秀哉門下。詰碁創作の大家として知られ、「詰碁の神様」と称される。1927年囲碁新社結成。棋風は接近戦を得意とする力戦型で「攻めの前田」とも言われる。第1期王座戦準優勝、第1期最高位戦リーグ3位など。随筆での毒舌でも知られた。.

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囲碁

囲碁(いご)とは、2人で行うボードゲームの一種。交互に盤上に石を置いていき、自分の石で囲んだ領域の広さを争う。単に碁(ご)とも呼ばれる。.

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囲碁の手合割

囲碁における手合割(てあいわり)とは、囲碁の対局における実力差に応じたハンディキャップのこと。またそれに基づく実力差、ないし段級位差を指すこともある。.

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囲碁の時間

『囲碁の時間』(いごのじかん)は、2012年3月までNHK教育テレビで毎週日曜日に放送された囲碁番組である。.

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囲碁殿堂

囲碁殿堂(いごでんどう)は、囲碁の普及と発展に貢献した人物を顕彰するために設立された殿堂。 日本棋院が2004年、創立80周年記念事業の一環として、野球殿堂を参考に設立した。 有識者や棋士らで構成する囲碁殿堂表彰委員会によって選考され、2004年5月の第1回では対象が江戸時代の人物に限定された。 殿堂入りした人物は、2004年11月15日に日本棋院内に開館する囲碁殿堂資料館(資料館内の研究室は「大阪商業大学アミューズメント産業研究所東京分室」となっている)に胸像と功績を掲げて顕彰される。.

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四書五経

四書五経(ししょごきょう)は、儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。ただしこのうち『大学』『中庸』はもともと『礼記』の一章を独立させたものである。.

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犬養毅

養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日(安政2年4月20日) - 1932年(昭和7年)5月15日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。 中国進歩党総裁、立憲国民党総裁、革新倶楽部総裁、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣(第13・31代)、逓信大臣(第27・29代)、内閣総理大臣(第29代)、外務大臣(第45代)、内務大臣(第50代)などを歴任した。.

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玄玄碁経

碁経(げんげんごきょう、)は、囲碁についての、中国の古典的な棋書。南宋時代に著わされ、元代に再編されて現在まで残っている。現存する棋書としては『忘憂清楽集』に次いで古いものとされる。詰碁や手筋などの問題が多数収録されており、日本でも江戸時代から現在に至るまで囲碁の勉強に活用されている。『玄玄集』、『玄々碁経』と記されることもある。.

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王立誠

王 立誠(おう りっせい、1958年11月7日 - )は日本、台湾の囲碁棋士。日本棋院東京本院所属、加納嘉徳九段門下、九段。 棋道賞最優秀棋士賞を2度受賞。3年連続賞金ランキング1位(2000年-02年)。 棋聖位3連覇、十段4連覇、LG杯世界棋王戦優勝など。シノギを得意とする勝負強い棋風で、特に中盤から終盤にかけての逆転力があり、「逆転の王」「王立誠マジック」と称される。 夫人との間に1女、1男。日本棋院中部総本部所属の王景怡三段は実娘、関西棋院研修棋士の王景弘初段は実息。台湾プロ棋士の張正平三段(陳詩淵九段の夫人)と張原栄二段は実甥。 呉清源の研究会に参加し、1990年代以降に呉が「21世紀の碁」として提唱する、コゲイマへの肩ツキ等の手法を実戦で用いて一般化させた。また早碁棋戦優勝が多く、「早碁の王様」のニックネームもある。門下に張豊猷八段、関西棋院の呉柏毅三段。.

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現代囲碁大系

『現代囲碁大系』(げんだいいごたいけい)は、 講談社から1980年から1984年にかけて刊行された、呉清源、高川格、坂田栄男、藤沢秀行、林海峰、大竹英雄、石田芳夫、加藤正夫、武宮正樹、趙治勲、小林光一ら、現代囲碁を代表する棋士たちの打碁全集。全47巻、別巻1。編集主幹は林裕。 古典棋士たちについては日本囲碁大系が刊行されている。.

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碁会所

碁会所(ごかいしょ)とは、席料を支払い、有料で囲碁を打つことができる場所である。 囲碁センター、サロンのような形態で、駅前などに集中していることが多く全国的に存在している。日本棋院内にも有料で打てる場所がある。.

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福州市

福州市の衛星画像 19世紀後半の福州市の様子 金山寺(1871年頃) 台江区の夜景 福州市(ふくしゅうし、、、、閩東語: フッチュ)は、中華人民共和国福建省の省都である。榕城(ようじょう、)とも称される歴史の古い町で、国家歴史文化名城に指定されている。明清代には琉球館が設置され、琉球王国との交易指定港であった。.

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福建省

福建省(ふっけんしょう、中国語:福建省、拼音:Fújiàn Shěng、英語:Fujian)は、中国の省の一つで、大部分を中華人民共和国が統治し、一部の島嶼を中華民国(台湾)が統治している。省都は福州市。.

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稲垣兼太郎

垣兼太郎(いながき けんたろう、1854年〔安政元年〕- 1940年〔昭和15年〕11月22日)は、囲碁の棋士。江戸生まれ、本因坊秀和門下、方円社などに所属、七段。号は日省。中京碁界を組織したパイオニア的存在。.

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窪内秀知

内秀知(くぼうち しゅうち、1920年(大正9年)1月25日 - )は、日本の囲碁棋士。大阪府出身、久保松勝喜代名誉九段門下、関西棋院所属、九段。関西棋院第一位決定戦優勝、名人戦リーグ4期・本因坊戦リーグ3期など。力戦派で、「サビ刀」(切られるとすごく痛い)と呼ばれた。一時雅邦に改名。関西棋院監事も務めた。2009年引退。.

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篠原正美

原正美(しのはら まさみ、1904年(明治37年)1月1日 - 1986年(昭和61年)10月21日)は、日本の囲碁棋士。福岡県出身、井上孝平六段に師事、日本棋院所属、九段。第2期本因坊戦最終リーグ戦出場、日本棋院選手権戦準優勝など。剛腕の力戦派で「重タンク」と呼ばれた。.

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細川千仭

細川千仭(ほそかわ せんじん、1899年(明治32年)7月 - 1974年(昭和49年)11月29日)は、囲碁棋士。福岡県出身。日本棋院に所属、九段。日本棋院関西総本部の重鎮として活躍し、また「コウの細川」とも呼ばれ、乱戦の雄として知られる。細川昭六準棋士三段は実子。名前については、読み「ちひろ」表記、漢字「千仞」表記で紹介されていることもある。.

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結核

結核(けっかく、Tuberculosis)とは、マイコバクテリウム属の細菌、主に結核菌 (Mycobacterium tuberculosis) により引き起こされる感染症Kumar, Vinay; Abbas, Abul K.; Fausto, Nelson; & Mitchell, Richard N. (2007).

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璽光尊

璽光尊(じこうそん、1903年(明治36年)4月22日別冊宝島1199号 『日本「霊能者」列伝』(宝島社 2005年10月)ISBN 978-4796648066 - 1983年(昭和58年)8月16日)は、璽宇(じう)の教祖。本名「長岡良子(ながおか ながこ)」。.

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瓊韻社

韻社(けいいんしゃ)は、囲碁の組織。プロの囲碁棋士が所属して活動を行う。雁金準一を中心に設立され現在にいたる。 1924年の碁界大合同による日本棋院設立の直後に、雁金準一、鈴木為次郎、加藤信、小野田千代太郎、高部道平の5棋士による棋正社が設立された。その後、院社対抗戦などを経て、鈴木、加藤、小野田が日本棋院に復帰し、棋正社は雁金、高部の2名のみとなった。雁金は1941年に独立して瓊韻社を設立した。この時に棋正社からは、雁金の娘婿でもあった渡辺昇吉六段などの門下の棋士や小沢了正五段など、高部以外のほとんどの棋士が瓊韻社に移った。 この1941年から雁金は呉清源と十番碁を打つが、1勝4敗で打ち切りとなった。翌年には渡辺昇吉と日本棋院の藤沢庫之助の十番碁が行われるが、藤沢3連勝で打ち切りとなる。この後、瓊韻社と日本棋院の間の対局は機会は少なく、雁金に対しては日本棋院への復帰運動もあったが、本人は応じずに瓊韻社に留まった。戦後は旧名人戦、棋聖戦などの棋戦に参加した。 雁金の弟子の富田忠夫は、当初から自宅の教室や瓊韻社の勉強会で、日本棋院の院生の指導をしていた。1972年に富田は日本棋院棋士らと「日華親善囲碁の旅」に同行して台湾へ行き、中国囲棋会からの台湾の少年を日本に囲碁留学させたいという希望を受けて、1973年から王銘琬ら5人を門下として迎え、これも日本棋院の棋士として育て上げている。.

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産経新聞

旧題字の看板を掲示する販売店も存在する 産経新聞(さんけいしんぶん、題字は産經新聞、英称:THE SANKEI SHIMBUN)は、産業経済新聞社が発行する日本の新聞。 産業経済新聞社はフジテレビジョンやニッポン放送、ポニーキャニオンなどとともにフジサンケイグループに属する。 大阪新聞の僚紙である日本工業新聞(1933年(昭和8年)6月20日創刊)を前身とし、時事新報の流れを汲む。キャッチフレーズは「モノをいう新聞」。.

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田壮壮

壮壮 (ティエン・チュアンチュアン、1952年4月1日 - )は中華人民共和国北京出身の映画監督、映画プロデューサー。.

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目白

白(めじろ)は、東京都豊島区の町名。現行行政地名は目白一丁目から目白五丁目。郵便番号は171-0031。.

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瀬越憲作

越 憲作(せごえ けんさく、1889年(明治22年)5月22日 - 1972年(昭和47年)7月27日)は、大正、昭和時代の囲碁棋士。広島県佐伯郡能美村(現広島県江田島市)出身。方円社、日本棋院などに所属、名誉九段。1946年から48年に日本棋院理事長を務めるなど、棋院運営や囲碁普及に大きく貢献した。.

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白川正芳

白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - )は、日本の文芸評論家。 福岡県大川市生まれ。慶應義塾大学中退。特選塾員。國學院大學非常勤講師、東京経済大学非常勤講師。埴谷雄高を中心に文芸評論を書き、第22回日本文芸大賞受賞。また文壇屈指の碁打ちとしても知られる。34期、36期、38期、39期文壇本因坊。.

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白水社

株式会社白水社(はくすいしゃ)は、日本の出版社。語学書や翻訳書の出版を多く手がける。新人劇作家の登竜門といわれる岸田國士戯曲賞を主催していることでも知られる。 社名は、屈原の長詩「離騒」の註の「淮南子に言ふ、白水は崑崙(こんろん)の山に出で、これを飲めば死せずと。神泉なり」に由来する。.

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鎌倉

鎌倉(かまくら)は、現在の神奈川県鎌倉市の中心部に当たる地域。源頼朝を旗頭として、北条時政、北条義時らによって鎌倉幕府が置かれた都市であり、三浦半島の付け根に位置し、相模湾に面している。古くは鎌府(れんぷ)とも呼ばれた。三方を山に、一方を海に囲まれている。 鎌倉大仏.

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華僑

華僑(かきょう)とは、外国に移住している中国人のこと.

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青木一男

青木 一男(あおき かずお、1889年(明治22年)11月28日 - 1982年(昭和57年)6月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。 貴族院議員(勅選)、参議院議員(4期)、大蔵大臣、大東亜大臣などを歴任。勲一等旭日大綬章。.

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顧水如

顧 水如(こ すいにょ、顾水如、グ・シュイル、1892年3月3日 - 1971年6月19日)は、中国の囲碁棋士。本名は顧思浩で、水如は号。江蘇省楓涇鎮(現在の上海市金山区)出身。現代中国初期の代表的な棋士。楓涇古鎮出身者の「三画一碁」と呼ばれる一人。.

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香港中文大学

Financial Times「Global MBA Ranking 2013」では、2016年・26位にランクされている。またはAssociation to Advance Collegiate Schools of Businessの認証を受けている。.

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誠文堂新光社

株式会社誠文堂新光社(せいぶんどうしんこうしゃ)は、東京都文京区に本社を置く日本の出版社である。.

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読売新聞

読売新聞東京本社(千代田区大手町) 読売新聞旧東京本社(千代田区大手町、現存せず) 2010年10月から2014年1月まで読売新聞東京本社の仮社屋として使用されていた旧日産自動車本社ビル(中央区銀座) 読売新聞中部支社新社屋 読売新聞中部支社(旧中部本社)旧社屋 読売新聞大阪本社 読売新聞西部本社 読売新聞(よみうりしんぶん、新聞の題字および漢字制限前の表記は讀賣新聞、英語:Yomiuri Shimbun)は、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社および株式会社読売新聞西部本社が発行する新聞である。 題号は、江戸時代に瓦版を読みながら売っていた「読売」に由来する。.

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高川格

二十二世本因坊秀格(にじゅうにせいほんいんぼうしゅうかく、1915年9月21日 - 1986年11月26日)、本名:高川格(たかがわ かく)は、日本の囲碁棋士。和歌山県出身、光原伊太郎名誉八段門下。 本因坊戦9連覇の功績により名誉本因坊として高川秀格と号し、後に二十二世本因坊を贈られる。 本因坊位の他にも、名人、十段等タイトル多数の、昭和を代表する名棋士の一人。「流水不争先」を信条とし、平明流とも言われる、合理的で大局観に明るい棋風。.

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鶴岡八幡宮

岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市にある神社。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 別称として鎌倉八幡宮とも呼ばれる。武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社として全国の八幡社の中では関東界隈で知名度が高く、近年では三大八幡宮の一社に入ることがある俗に三大八幡とは「大分の宇佐神宮・京都の石清水八幡宮」に「福岡の筥崎宮」または当社のいずれかを合わせた三社を指す。幕末から明治期の資料では、1868年(慶応4年)4月24日付け太政官達に示す八幡宮の例示3社(田中恆清『謎多き神 八幡神のすべて』 p.198 新人物往来社、2010年、ISBN 4404038291。)として官幣大社に列せられている3社は「宇佐・石清水・筥崎」であるが、近年発行された書籍中では「宇佐・石清水・鶴岡」を八幡神社の代表例としている(『全国八幡神社名鑑(別冊歴史読本―神社シリーズ (99))』新人物往来社、2004年、ISBN 4404030991。白井永二、土岐昌訓『神社辞典』東京堂出版、1997年、ISBN 449010474X。)。境内は国の史跡に指定されている。.

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鼓楼区 (福州市)

鼓楼区(ころうく)は中華人民共和国福建省福州市に位置する市轄区。.

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鈴木為次郎

鈴木為次郎(すずき ためじろう、1883年(明治16年)5月24日 - 1960年(昭和35年)11月20日)は、囲碁の棋士。愛知県生まれ、巌崎健造門下、方円社、裨聖会、棋正社、日本棋院に所属、名誉九段。読みが深く粘り強い棋風で、長考派としても知られる。「旭将軍」の異名をとった。妻は鈴木秀子四段。.

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藤沢秀行

藤沢 秀行(ふじさわ ひでゆき、ふじさわ しゅうこう、1925年6月14日 - 2009年5月8日)は、日本の囲碁棋士。本名:「藤沢 保(たもつ)」。棋聖戦6連覇、史上最年長タイトル保持者などに輝いた、昭和を代表する棋士の1人。 甥(秀行の方が年下)に藤沢朋斎九段、子(五男)に藤沢一就八段、孫に藤沢里菜四段。 正しい名前の読み方は「ひでゆき」だが、生涯を通じて「しゅうこう」と呼ばれ続けた。.

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藤沢朋斎

藤沢朋斎(ふじさわ ほうさい、1919年(大正8年)3月9日 - 1992年(平成4年)8月2日)は、囲碁棋士。本名は藤沢庫之助(ふじさわ くらのすけ)。神奈川県出身。日本棋院の大手合による昇段制度初の九段。呉清源と3度の十番碁を戦った。棋風は深い読みに裏付けられた力戦派で、「ダンプカー級の突進力」などと形容された。また白番のマネ碁を多く試みたが、シチョウを利用したマネ碁対策が現われてからは成績は芳しくなかった。藤沢秀行名誉棋聖は叔父、小島高穂九段は甥にあたる。 安倍吉輝は、入段した後に藤沢の門下となる安倍吉輝『対局ハプニング集』(日本棋院)著者紹介。.

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金沢市

金沢市(かなざわし)は、石川県のほぼ中央に位置する、石川県の県庁所在地。旧石川郡および河北郡。1996年4月1日、中核市に指定された。.

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長崎国旗事件

長崎国旗事件(ながさきこっきじけん)は右翼団体による中華人民共和国国旗の毀損事件である。.

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長谷川章

長谷川章(はせがわ あきら、1900年(明治33年)1月6日 - 1987年(昭和62年)8月13日)は、大正、昭和時代の囲碁棋士。東京生まれ、長野敬次郎門下、方円社、日本棋院に所属、名誉八段。首相杯争奪高段者トーナメント優勝、本因坊戦リーグ4期など。目外しを得意とし、軽く足早な棋風。トーチカ戦法やナダレ定石の考案者としても知られる。1975年から1978年まで日本棋院理事長を務めた後、日本棋院顧問。.

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長野県

長野県空撮画像。長野盆地、富士山、浅間山、日本アルプスなどを望む。 長野県の地形図 長野県(ながのけん)は、本州内陸部に位置する日本の県の一つ。令制国名の信濃国に因み「信州」とも呼ばれている。海に面していないいわゆる内陸県であり、大規模な山岳地があるため可住地面積率は小さい。県庁所在地は長野市。善光寺の門前町として発展し第18回冬季オリンピックの開催地となった自治体でもある。.

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雁金準一

雁金 準一(かりがね じゅんいち、1879年(明治12年)7月30日 - 1959年(昭和34年)2月21日)は、明治から昭和にかけての棋士。元の姓は岩瀬。東京都出身、初代中川亀三郎門下、九段。方円社、本因坊秀栄門下、日本棋院を経て、棋正社の総帥としての日本棋院との院社対抗戦などで、本因坊秀哉とライバル関係にあった。後に瓊韻社を創設。.

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老衰

老衰(ろうすい、英語: senility)とは、加齢により心身の能力が衰えることである。.

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週刊碁

週刊碁(しゅうかんご)は日本棋院が発行する、囲碁の新聞である。1977年発刊。毎週月曜日に発売。棋戦結果や、囲碁のイベント情報、プロ棋士のニュース、講座、記者のコラムなどを掲載したタブロイド紙で書店、駅売店のほか郵送による定期購読などで販売。朝日新聞社と販売協力をしているため.

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陰陽

陽(いんよう、拼音: yīnyáng、英: yin - yang)とは、中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つのカテゴリに分類する思想。陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる 。 このような陰陽に基づいた思想や学説を陰陽思想、陰陽論、陰陽説などと言い、五行思想とともに陰陽五行説を構成した。.

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陳祖徳

陳祖徳(ちん そとく、陈祖德、チェン・ズゥドゥ、1944年2月19日 - 2012年11月1日)は、中国の囲碁棋士。上海市出身、顧水如、劉棣懐に師事、中国囲棋協会所属。現代中国のプロ棋士制度の第1号であり、最初の九段。1960〜70年代の中国囲碁界の第1人者。中国流布石を研究して、世に広まるきっかけとしたことでも知られる。 中国囲棋協会主席、中国国際象棋協会(中国チェス協会)主席、中国象棋協会(中国シャンチー協会)主席を歴任し、1992年から2003年まで中国棋院初代院長、その後顧問。.

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NHK杯テレビ囲碁トーナメント

NHK杯テレビ囲碁トーナメント(NHKはいテレビいごトーナメント)とは日本放送協会が主催する囲碁の棋戦である。トーナメント方式で、優勝者には「NHK杯選手権者」(略して「NHK杯」)の称号が贈られ、次期の優勝者にその称号が贈られるまで主にNHKの囲碁番組内などで呼称される。対局はNHKのテレビスタジオで行われ、その模様はNHK教育テレビで毎週1局ずつ放送される(当初はNHKラジオ第2放送)。年度始めの4月に本選の放送がスタートし、年度末の翌年3月に決勝戦が行われる。 優勝賞金は500万円。1988年度からの優勝者と準優勝者はテレビ囲碁アジア選手権戦への出場権を得る。棋譜はNHK出版のテキスト『NHK囲碁講座』に掲載される。.

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NHK教育テレビジョン

NHK教育テレビジョン(エヌエイチケイきょういくテレビジョン)は、日本放送協会(NHK)による地上基幹放送の一種別のテレビジョン放送で国内放送でもある。 教育番組を中心とした編成で全国放送を行う。 2011年6月1日より対外的名称としてNHK Eテレ(エヌエイチケイ イーテレ)が用いられている。 キャッチコピーは、「みつかる Eテレ」。.

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柄本明

柄本 明(えもと あきら、1948年11月3日 - )は、日本の俳優、コメディアン。愛称は、えもっちゃん、エモアキ。 東京都中央区銀座(旧・木挽町)出身 ノックアウト所属。東京都立王子工業高等学校機械科卒業。妻は角替和枝、息子は柄本佑、柄本時生、義娘 (佑の妻)は安藤サクラ。.

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林裕

林 裕(はやし ゆたか、1922年7月7日 - 1986年10月19日)は、日本の評論家、囲碁に関する編集者、観戦記者、研究家。日本棋院所属の後に執筆に専念。.

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林有太郎

林 有太郎(はやし ゆうたろう、1900年(明治33年)3月28日)- 1983年(昭和58年)3月25日)は、日本の囲碁棋士。愛知県出身、本因坊秀哉門下、日本棋院所属、九段。第4期本因坊戦挑戦者決定戦進出、首相杯争奪戦優勝など。堅実な棋風で「小秀策」と言われた。父は林徳蔵五段。.

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林海峰

林 海峰(りん かいほう、1942年5月6日 - )は日本、台湾の囲碁棋士。名誉天元。上海出身、日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下。中華職業圍棋協会理事。海峯棋院設立者。元・全日本学生囲碁連盟副会長、特別顧問。 名人8期、本因坊5期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など獲得タイトルは35。史上2人目の1400勝達成。 名人戦挑戦手合に10年連続出場。名人戦リーグに最長記録となる35期連続在籍。 若い頃には地に辛く粘りのある棋風で「二枚腰」と呼ばれたが、壮年以後は戦闘的な棋風となった。同世代のライバルである大竹英雄とともに「竹林」とも称される。林海峯の表記も多く使われている。 2017年秋・旭日中綬章受賞。 現在、存命の名誉称号資格者・三大タイトル獲得経験者・碁聖位獲得者・十段位獲得者では大竹英雄名誉碁聖と並び最年長である。.

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東京新聞

東京新聞(とうきょうしんぶん)は、中日新聞東京本社が発行する日刊一般新聞(一般紙)。関東地方もしくは東京都のブロック紙だが、同じ中日新聞社が発行する中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井の関東版と見なすこともでき、全国紙のような面もあわせ持つ。過去の紙面は東京都中央図書館で、マイクロフィルムで閲覧することができる。.

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東京日日新聞

#東京日日新聞(とうきょうにちにちしんぶん)は日本の日刊新聞である『毎日新聞』(まいにちしんぶん)の東日本地区の旧題号で、現在の毎日新聞東京本社発行による毎日新聞の前身にあたる。略称は「東日」(とうにち)。.

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松坂慶子

松坂 慶子(まつざか けいこ、1952年7月20日 - )は、日本の女優・歌手・司会者・タレント。身長162cm、血液型A型。東京都大田区出身。本名は高内 慶子(たかうち けいこ)。.

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村島誼紀

村島 誼紀(むらしま よしのり、1905年(明治38年)3月19日 - 1983年(昭和58年)1月3日)は、日本の囲碁棋士。奈良県出身、久保松勝喜代、本因坊秀哉門下、日本棋院所属、名誉九段。元の名は義勝。重厚な棋風。秀哉の懐刀、日本棋院の知恵袋と呼ばれ、棋院運営や大手合制度の確立、本因坊戦設立などに貢献した。.

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杉内雅男

杉内 雅男(すぎうち まさお、大正9年(1920年)10月20日 - 平成29年(2017年)11月21日)は、囲碁棋士。宮崎県出身、日本棋院所属、井上一郎五段門下。日本棋院早碁名人戦優勝、囲碁選手権戦優勝、本因坊戦挑戦者2回など。「囲碁の神様」の異名をとった。夫人は杉内寿子八段。 昭和12年(1937年)に入段してから平成29年(2017年)に死去するまでの現役棋士生活は80年を超え、日本における最年長現役棋士記録(97歳1か月)をはじめとする数々の最年長記録を樹立し、最終対局を打ったのは死去の19日前であった。90歳を超えても打ち分けに近い年間成績を維持し、死去した2017年にも2勝を挙げるなど、その実力は最後まで健在であった。.

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桐山桂一

桐山 桂一(きりやま けいいち、1959年 - )はノンフィクション作家、中日新聞記者。岐阜県生まれ。同志社大学文学部卒業後、中日新聞社入社。東京新聞社会部にて遊軍キャップ、司法キャップ、特別報道部デスクなどを経て現在論説委員。総合研究開発機構(NIRA)の政策研究『個族化社会のネットワーク形成』で特別研究員も勤める。.

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梶原武雄

梶原 武雄(かじわら たけお、1923年(大正12年)2月25日 - 2009年(平成21年)11月28日)は、囲碁の棋士。新潟県佐渡市出身、日本棋院所属、九段、関山利一九段門下。優れた大局観と石の形にこだわる求道的な姿勢、及び若手棋士への薫陶で囲碁界に大きな影響を与え、また多くの新定石も生み出した。抉るような厳しい棋風は「ドリル攻め」「ヤスリ攻め」「部分感覚天下一品」と呼ばれ恐れられた。武田みさを五段は姉。2000年3月31日に引退。.

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梅蘭芳

梅蘭芳の胸像 梅蘭芳(ばい らんほう、メイ・ランファン、、、1894年10月22日 - 1961年8月8日)は清末から中華民国、中華人民共和国にかけての京劇俳優である。本名は梅瀾(、)。北京生まれ、祖籍は江蘇省泰州。 女形で名高く「四大名旦」の1人。日本の歌舞伎に近代演劇の技法が導入されていることに触発され、京劇の近代化を推進。「梅派」を創始した。20世紀前半、京劇の海外公演(公演地は日本、アメリカ、ソ連)を成功させた。代表作は、「宇宙鋒」、「貴姫酔酒」、「覇王別姫」。.

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棋士 (囲碁)

棋士(きし)は、碁打ちともいい、囲碁を打つ人の総称。 プロを指す事が多いが、アマチュアでも棋士と呼ぶ事もある。.

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棋道

棋道(きどう)とは、1924年-1999年に発行されていた日本棋院の機関誌。1924年(大正13年)の日本棋院発足とともに、その機関誌として10月に発刊される。1999年(平成11年)7月号で終刊、姉妹誌『囲碁クラブ』と合併して『碁ワールド』となった。 棋戦などの手合の棋譜や解説などの情報の掲載の他、独自の企画なども行い、情報誌としての機能に加え、メディアを通じての囲碁普及の役割も担った。雑誌として75年の歴史は、日本でも『中央公論』『文藝春秋』に次ぐ長さだった。.

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棋正社

棋正社(きせいしゃ)は、日本の囲碁の組織。1924年(大正13年)に雁金準一、高部道平らによって設立され、1926年に行った日本棋院との対抗戦(院社対抗戦)では満天下を湧かせたが、その後3棋士は日本棋院に復帰し、1941年に雁金の離脱により事実上消滅した。.

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棋書 (囲碁)

棋書(きしょ)は囲碁についての書籍。.

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横浜市

横浜市(よこはまし)は、関東地方南部、神奈川県の東部に位置する都市で、同県の県庁所在地。政令指定都市の一つであり、18区の行政区を持つ。現在の総人口は日本の市町村では最も多く、四国地方に匹敵するおおよそ373万人であり1府37県の人口を上回る。人口集中地区人口も東京23区(東京特別区)に次ぐ。神奈川県内の市町村では、面積が最も広い。市域の過半は旧武蔵国で、南西部は旧相模国(戸塚区、泉区、栄区の全域と瀬谷区、港南区の一部)。 幕末以降(詳しくは後述)から外国資本が積極的に当地に進出。そのため近代日本において有数の外資獲得力を誇った。関東大震災後は政府による積極的な振興政策により、京浜工業地帯の中核都市となった。.

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橋本宇太郎

橋本宇太郎(はしもと うたろう、1907年〔明治40年〕2月27日 - 1994年〔平成6年〕7月24日)は、昭和の囲碁棋士。第2、5、6期本因坊で本因坊昭宇と号する。大阪府出身、瀬越憲作名誉九段門下。1950年に関西棋院を率いて日本棋院から独立した。才気と闘志溢れる碁風で「天才宇太郎」「火の玉宇太郎」のニックネームを持つ。 1950年7月から1994年7月まで関西棋院総帥、1986年5月から1994年4月まで同棋院理事長。 1945年の第3期本因坊戦での岩本薫七段との挑戦手合において、広島市郊外の五日市町(現:広島市佐伯区)で行われた第2局は原爆下の対局として有名。 2014年7月18日、囲碁殿堂入り(第11回囲碁殿堂表彰)。.

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段祺瑞

段 祺瑞(だん きずい)は、清末民初の軍人・政治家。馮国璋・王士珍とともに「北洋の三傑」と称された。字は芝泉、晩年の号は正道居士。.

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江崎誠致

江崎誠致(えさき まさのり、1922年1月21日 - 2001年5月24日)は、日本の小説家。福岡県出身。フィリピンでの戦争体験を題材にした『ルソンの谷間』で直木賞受賞。囲碁愛好家としても知られ、呉清源などの棋士の評伝やモデル小説もある。.

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汪雲峰

汪雲峰(おう うんぽう、1866年 - 没年不詳)は中国の囲碁棋士。北京出身。別名耘豊。清末から中華民国初期において張楽山らとともに代表的な棋士。 若い頃に、劉雲峰に学ぶ。1909年に高部道平が訪中した際、段祺瑞の紹介で張楽山とともに対局し、二子の手合だった。 1923年に8歳の呉清源が北京の碁会所海豊軒を訪ねた際に、五子、四子で対局し、呉が勝ったことから天才少年として名が知られるようになった。呉はその3年後の1926年には先で汪に勝つようになる。後の呉の評では、汪は清末の周小松には二目、顧水如に一目ぐらいであろうとしている。.

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木谷

木谷(きだに、きたに、きや、こたに).

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木谷實

木谷 實「実」と書かれることもある。(きたに みのる、1909年1月25日 - 1975年12月19日)は、囲碁の棋士。兵庫県神戸市出身、鈴木為次郎名誉九段門下、九段。木谷道場主催。紫綬褒章受章。従四位勲二等瑞宝章。日本棋院囲碁殿堂入り。大倉賞受賞者。 20世紀の棋士の中でも指折りの存在とされており呉清源と共に大正時代から活躍。また、自宅を木谷道場として内弟子をとりタイトルを争うトップ棋士から普及に専念する地方棋士まで多くの棋士を育てた。 弟子たちは1970年代初頭から1990年代半ば頃までタイトル戦線を席巻し、現在孫弟子まで含めた一門のプロ棋士は50人以上、段位の合計は500段を突破している。 弟子に大竹英雄名誉碁聖・加藤正夫名誉王座・二十四世本因坊秀芳・武宮正樹九段・小林光一名誉棋聖・二十五世本因坊治勲・小林覚九段・ほか多数。.

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未完の対局

『未完の対局』(みかんのたいきょく)は、日中国交正常化10周年記念映画として製作された、戦後初の日中合作映画。1982年公開。大正から日中戦争を挟んだ昭和にかけて、日本と中国の囲碁の天才棋士の交流を描いた作品。同名のノベライゼーションも出版されている。.

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本因坊

一世本因坊算砂旧跡、京都市左京区仁王門通東大路西入南側寂光寺前 囲碁本因坊発祥の地、京都市中京区寺町通夷川上る東側 本因坊(ほんいんぼう).

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本因坊秀哉

本因坊 秀哉(ほんいんぼう しゅうさい、1874年(明治7年)6月24日- 1940年(昭和15年)1月18日)は、明治から昭和にかけての囲碁の棋士。家元本因坊家の二十一世で、終身名人制の最後の名人。東京出身、本因坊秀栄門下、本名は田村保寿(やすひさ)。法名は日温。 引退後に本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し、選手権制の本因坊戦創設に導いた。棋風は力戦に強く、「序盤に策あり」と言われた。2008年囲碁殿堂入り。 川端康成の『名人』でも知られる。 棋士の高橋俊光は義弟(秀哉の妻の弟)。.

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本因坊秀策

ムネイル 本因坊 秀策(ほんいんぼう しゅうさく、文政12年5月5日(1829年6月6日) - 文久2年8月10日(1862年9月3日))は江戸時代の囲碁棋士。備後国因島(現・広島県尾道市因島外浦町)出身で俗姓は桑原。幼名は虎次郎。法名は日量。父は桑原輪三。.

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星(ほし).

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星 (囲碁)

星(ほし)は囲碁用語の一つ。 碁盤の左上隅から数えて(4, 4)、(4, 10)、(4, 16)、(10, 4)、(10, 10)、(10, 16)、(16, 4)、(16, 10)、(16, 16)に当たる9ヶ所の交点を指す言葉。 置き碁の際は置石をこの星に置いていく。これら9点には目印として碁盤上に大きな点が記されているため、「星」という名称がついた。 基本的には上記の9箇所を指すが、単に「星」といった場合は盤上の四隅、つまり(4, 4)、(4, 16)、(16, 4)、(16, 16)の4箇所を指すことが多い。(4, 10)、(10, 4)、(10, 16)、(16, 10)の4点を特に指す場合は「辺の星」という言い方をする。また碁盤の中心(10, 10)は特に天元と呼ぶ。また、辺の星の一路下(aなどの点)を「星下」、その一路横(bなどの点)を「星脇」と呼ぶことがある。.

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明治大学

記載なし。

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映画

映画(えいが)とは、長いフィルムに高速度で連続撮影した静止画像(写真)を映写機で映写幕(スクリーン)に連続投影することで、形や動きを再現するもの。活動写真、キネマ、シネマとも。 なお、本来の語義からははずれるものの、フィルムではなくビデオテープなどに磁気記録撮影されたものや映画館で上映される動画作品全般についても、慣例的に映画と呼ばれている。.

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新布石

新布石(しんふせき)は、1933年(昭和8年)に呉清源と木谷實が発表した、中央・速度を重視する新しい囲碁の布石のスタイル。それまでの小目を中心とした位の低い布石に対し、星・三々で隅を一手で済ませて辺や中央への展開速度を重視し、中央に雄大な模様を構築することを主眼とする。その斬新なスタイルと、これを駆使した呉・木谷の活躍により社会現象とも言えるブームを巻き起こした。.

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新浪

新浪公司(シナ、英語社名:SINA Corporation、)は、中国上海市浦東新区に本社を置く企業。ポータルサイト新浪(SINA.COM、「新浪網」とも)やミニブログサイト新浪微博を運営する。 2009年12月22日に中国のLCD広告会社フォーカスメディア社のコア部分であるLCD事業などを買収し、中国最大手メディア運営会社であると同時に同国最大の広告会社となった。.

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方円社

方円社(ほうえんしゃ、方圓社)は、明治、大正時代の日本の囲碁の組織。 1879年に村瀬秀甫(後の本因坊秀甫)、中川亀三郎らにより設立され、1924年の碁界大合同による日本棋院設立まで続いた。明治後期の日本における最も繁栄した囲碁組織で、本因坊家などと対立しながらも、封建的な家元制度を脱却し、実力主義を導入、従来の段位制度に代わり、級位制を取り入れるなど、次々と新しい試みを打ち出し、囲碁の普及と近代化に大いに功績があった。 「方円」とは、四角の碁盤と丸い碁石を用いる囲碁の、古来からの別名である。機関誌「囲棋新報(囲碁新報)」は、世界初の囲碁雑誌であった。方円社を援助した財界人には、井上馨、後藤象二郎、岩崎弥太郎、渋沢栄一らがいる。.

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文藝春秋

株式会社文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう、Bungeishunju Ltd.)は、日本の出版社。東京都千代田区紀尾井町に本社を置く。.

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日本囲碁大系

『日本囲碁大系』(にほんいごたいけい)は、筑摩書房から1975年から1977年に刊行された、本因坊道策、本因坊秀策ら、囲碁の古典棋士たちの打碁全集。総編集は林裕。1992年に再刊されている。現代の棋士については現代囲碁大系が刊行されている。.

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日本棋院

公益財団法人日本棋院(にほんきいん、)は、東京都千代田区五番町(市ヶ谷駅前)に本部をおく、囲碁の棋士を統括し、棋戦をおこなっていくための公益財団法人。 約300人の棋士が所属するほか、職員として事務員や棋院発行の出版物をまとめる記者などが所属している。.

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日本最強決定戦

日本最強決定戦(にほんさいきょうけっていせん)は、囲碁の棋戦で、1957年から1961年にかけて3期行われた。6人の棋士によるリーグ戦であり「六強戦」とも呼ばれた。後に「名人戦」に発展する。.

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早稲田大学

大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり 東京専門学校 大正時代の早稲田大学の正.

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曲励起

曲 励起(まがり れいき、1924年(大正13年)11月13日 - )は、日本の囲碁棋士。三重県出身、日本棋院所属、岩本薫九段門下、九段。囲碁選手権戦優勝など。力戦・乱戦派の棋風。2005年現役引退。.

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時事新報

時事新報(じじしんぽう)は、かつて存在した日本の日刊新聞である。1882年(明治15年)3月1日、福澤諭吉の手により創刊。その後、慶應義塾大学及びその出身者が全面協力して運営した。戦前の五大新聞の一つ。創刊に当たって「我日本国の独立を重んじて、畢生の目的、唯国権の一点に在る」と宣言した。1936年(昭和11年)に廃刊になり『東京日日新聞』(現『毎日新聞』)に合併された。 現在も会社組織(株式会社時事新報社)としては存続している(後述参照)。.

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11月30日

11月30日(じゅういちがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から334日目(閏年では335日目)にあたり、年末まであと31日ある。11月の最終日である。.

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1914年

記載なし。

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2014年

この項目では、国際的な視点に基づいた2014年について記載する。.

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2016年

この項目では、国際的な視点に基づいた2016年について記載する。.

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6月12日

6月12日(ろくがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から163日目(閏年では164日目)にあたり、年末まであと202日ある。誕生花はライラック、ベロペロネ。.

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