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古エッダ

索引 古エッダ

古エッダの写本2冊。流布本ともいえる王の写本(写真上)と、異本の一つフラート島本(下)。 古エッダ(こエッダ、Elder Edda)とは、17世紀に発見された北欧神話について語られた写本。9世紀から13世紀にかけて成立したとされている、古ノルド語で書かれた歌謡集(詩群)である。主に北欧神話や北欧の英雄伝説について語っている。一般に「古エッダ」と呼ばれているものは発見された王の写本をその根底としている。 本来「エッダ」とはスノッリ・ストゥルルソンの『エッダ』(スノッリのエッダ、新エッダ)のことを指していたが、その中で言及されている古い詩の形式や、後に再発見されたそのような形式の詩を指す言葉としても用いられるようになったため、この2つを特に区別するために「古エッダ」と呼ばれるようになった。しかし現在ではエッダよりも後に編纂されたとされている。 『エッダ』が「散文のエッダ」と呼ばれるのに対して、古エッダは「詩のエッダ」「韻文のエッダ」「歌謡エッダ 」(Ljóðaedda, Poetic Edda) と呼ばれることもある。また下記の経緯により「セームンド(セームンドル、サイムンドル)のエッダ」(Sæmundaredda) と呼ばれていたこともある。.

78 関係: AM 748 I 4to古ノルド語司教大鴉の言葉太陽の歌 (古ノルド語詩)巫女の予言巫女の予言短篇伊藤盡伝説強勢北ヨーロッパ北欧神話ハヴァマールハーコンの言葉バルドルの夢ヤン・デ・フリース (神話学者)ユリイカ (雑誌)ヨウン・ヘルガソンロキの口論ヴァフスルーズニルの言葉ヴェルシの話ヴォルム写本ヘルヴォルとヘイズレク王のサガヘンリー・アダムズ・ベロウズ (著述家)ヘイムダルヒュンドラの歌ヒョルヴァルズルの息子ヘルギの歌デンマーク人の事績デンマーク王立図書館フョルスヴィーズルの言葉フラート島本フィンヌル・ヨウンスソンベンジャミン・ソープアルヴィースの言葉アンドレアス・ホイスラーアイスランドエッダエイリークルの言葉オージンのワタリガラスの呪文歌グリームニルの言葉グロッティの歌ケニングコペンハーゲンシーグルズル・ノルダルスノッリのエッダスノッリ・ストゥルルソンスウェーデンスカルド詩スカールホルトスキールニルの歌...ソーフス・ブッゲサガ写本勇士殺しのアースムンドのサガ王の写本筑摩書房DjVu音節韻律 (韻文)韻文菅原邦城頭韻法谷口幸男英雄W・H・オーデン東海大学出版部槍の歌新潮社散文1200年1270年13世紀1643年1662年1971年9世紀 インデックスを展開 (28 もっと) »

AM 748 I 4to

ールニルの言葉』のページ。 AM 748 I 4toは、何編かのエッダ詩を収録した、アイスランド語によるベラム (en:Vellum) 写本の断片である。アルナマグネアン写本 (Codex Arnamagnæanus) とも。その成立は14世紀初めにまで遡る。 保存された6枚のページは、以下の詩と神話のすべてを含む。.

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古ノルド語

古ノルド語(こノルドご、、 )とは、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派北ゲルマン語群に属する言語である。古北欧語(こほくおうご)とも。 一般には、8世紀から14世紀にかけて、スカンディナヴィア人やスカンディナヴィア出身の入植者たちによって用いられていたであろう言語を指す。時代区分を2世紀から8世紀とする文献もある。 アイスランド語の書物『グラーガース』は、スウェーデン人、ノルウェー人、アイスランド人、デンマーク人がと呼ばれる同一の言語を話していた、と記している。スウェーデンやデンマークといった、東部の方言を話していた人々は、自身の言葉を(デーン人の言語)あるいは(北方人の言葉)と呼んでいた。.

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司教

司教(しきょう、Episcopus, bishop)は、カトリック教会の位階の一つで、ある司教区(教区)を監督する聖務職のこと。 正教会や聖公会などではこれに相当するのは「主教」と呼び、福音主義(ルター派)教会やメソジストでは「監督」と呼ぶ。 なお、カトリック教会でも中国語・韓国語では訳語に「主教」を採用している(例:天主教台湾地区主教団)。.

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大鴉の言葉

『大鴉の言葉』(Hrafnsmál)とは、スカルド詩の一つである。断片的に残っており、残っているのは全23スタンザである。一般に9世紀ノルウェーの詩人の作であると考えられている。 この詩の大部分は、名も無きヴァルキュリャと大鴉(ワタリガラス)の対話で構成されている。両者は、ハラルドル美髪王(ノルウェー王ハーラル1世)の生涯と戦歴について議論を交わす。そのため『ハラルドルの歌』(Haraldskvæði)という題で言及されていることもあるOrchard (1997:89).

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太陽の歌 (古ノルド語詩)

太陽の歌(Sólarljóð, The Sun Song, The Song of the Sun)とは、である。1200年頃にアイスランドで書かれたとされている。『古エッダ』の伝統的な韻律の様式で書かれているものの、その内容はキリスト教の幻視詩に材を取っている。 この詩はに仮託された写本に書かれているものの、著者は不明である。全82ので書かれたスタンザから成っており、亡き父が息子に異界から話しかけているという形で物語られている。その父は最終スタンザに至るまでその正体を明かさない。 「太陽の歌 (Sólarljóð)」という題は第81スタンザにて提示されており、この題は明らかに、各々のスタンザが Sól ek sá... 「私が見た太陽は……」という書き出しで始まる第39-45スタンザの、書き出し部の太陽の暗示に由来している。詩の最初の部分(第1-24スタンザ)では、複数人の異なる、名も無き人々の、生と死と運命の事例が語られている。第25-32スタンザは『高き者の言葉』に似た助言である。第33-38スタンザでは語り手の生前の「精神的来歴」が語られる。第39-45スタンザは太陽を取り上げている。続く第46-56スタンザでは語り手が生と死の狭間にある辺獄のようなところに居ることが語られている。その次の第57-80スタンザでは、地獄と天国に対する語り手の印象が記述されており、この部分はしばしば『神曲』(1300年頃)と比較される。最後の2つのスタンザ(81-82)は息子への語りかけ、および復活への希望から成っている。 古代北欧の・の伝統的な韻律様式で書かれているものの、ヨーロッパ中世からの刺激や同時期のキリスト教文学の隠喩の濃密な影響下で描かれている。北欧神話を参照しているにもかかわらず、シンクレティズムの兆候は見られず、代わりに新たな運命への確信的な証言が含まれている。.

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巫女の予言

詩のエッダ』の挿絵より。 『巫女の予言』(みこのよげん、、、、ヴォルスパー、、ヴェルスパー)とは、『古エッダ』の最初に置かれている、エッダ詩の中でも最もよく知られた一節である。 (巫女、と訳される)がオーディンに語りかけるという形で、世界の創造から終末の到来、世界の再生までを語る。北欧神話を研究する上で最も重要な資料の一つとみなされている。 この詩は『スノッリのエッダ』に一部が引用されているほか、その全体が『王の写本』と『ハウクスボーク』の中に残されていた。『王の写本』では63聯の古韻律詩から成っている。.

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巫女の予言短篇

『巫女の予言短篇』(みこのよげんたんぺん)は、『詩のエッダ』の『ヒュンドラの歌』の一部の節や、スノッリ・ストゥルルソンの『散文のエッダ』第一部『ギュルヴィたぶらかし』の一部の章に残されている古ノルド語の詩である。 日本語訳では他に『短い巫女の予言』(みじかいみこのよげん)などがみられる。古ノルド語での題は『Völuspá hin skamma』。英語では『Völuspá the Less』や『Voluspa hin skamma』と訳される。 詩の名は、『ギュルヴィたぶらかし』の中でのみ、その部分をスノッリがここから引用したと示したことで知られている。 (原文は:en:Völuspá hin skamma 2007-06-13 12:24 UTC の版より引用。) 残存している他の節は、『ヒュンドラの歌』第30 - 44節に記載されている。 ベロウズは、『ヒュンドラの歌』の翻訳にあたって、この『巫女の予言短篇』の残された断章が、「偉大なる『巫女の予言』の、遅い時期にできた一番質の悪い模造品」であったことが明らかになったと述べている。また、その成立が12世紀に遡るとしている。 彼はさらに、『ヒュンドラの歌』のこの体裁は2つの詩を混同して複製した人物の間違いによるという考えを述べ、同時に、この節が詩としてあるいは神話としてのいかなる重大な価値も持たないと考えている。.

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伊藤盡

伊藤 盡(いとう つくす、1965年 - )は日本の文献学者。専攻は中世英語・中世北欧語文献学。信州大学准教授。J・R・R・トールキンの創作言語(アルダの言語)にも造詣が深く、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の日本語字幕ではエルフ語の監修を務めた。.

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伝説

伝説(でんせつ; legend; Legende)は、人物、自然現象『世界百科事典』第15巻、804–6頁。 関敬吾「伝説(でんせつ)」の項。等にまつわる、ありきたり日常茶飯事のものではない異常体験を、形式上「事実」として伝えた説話の一種。.

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強勢

強勢(きょうせい)は音節上におかれる音の強さである。強勢を持つ音節は、他の音節よりも呼気エネルギーが大きい。IPA では第一強勢が, 第二強勢が で表され、その音節の前におかれる。UPAでは꜠と꜡が用いられる。 イタリア語やスペイン語では普通、語末から二番目(penultimo)の音節に強勢が置かれる。イタリア語では語末のみ、スペイン語では例外全てに、アクセント記号が付される。.

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北ヨーロッパ

南ヨーロッパ 北ヨーロッパ(きたヨーロッパ)は、ヨーロッパの北部地域である。日本では北欧(ほくおう)とも呼ばれる。具体的にどの地方や国を含めるかは、国や国際機関などにより異なる。最も広い場合は、イギリスとアイルランド、そしてドイツやロシアのバルト海沿岸部も含まれる。.

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北欧神話

北欧神話の神々は不死ではないため、最終戦争であるラグナロクまで老いることのないよう、イズンの黄金の林檎を食べなければならない。1890年、J・ペンローズ作 北欧神話(ほくおうしんわ、アイスランド語:Norræn goðafræði、ノルウェー語:Norrøn mytologi、スウェーデン語:Nordisk mytologi、デンマーク語:Nordisk mytologi)は、キリスト教化される前のノース人の信仰に基づく神話。スカンディナビア神話とも呼ばれている。ゲルマン神話の一種で、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、アイスランドおよびフェロー諸島に伝わっていたものの総称。普通、フィンランド神話とは別系統のものとされる。 神話は主にキリスト教化以前に存在した現地の宗教と、主にノルウェー人が入植、定住し、北欧神話の文書化された典拠の大多数が収集されるに至ったアイスランドを含むスカンディナヴィア人の伝説と信仰で構成されている。北欧以外のゲルマン人は、早くからキリスト教化されたため、民族独自の神話や思想を示す書物がほとんど残っていない。そのため北欧神話は、年代の古い一般的なゲルマン・ペイガニズムが最も良い状態で保存されており、ゲルマン人の古来の習俗や精神を理解する上で貴重な資料となっている。このゲルマン・ペイガニズムは、アングロ・サクソン神話と極めて密接に関連した内容を含んでいる。なお、ゲルマン神話は初期のインド・ヨーロッパ神話から発展したものである。 北欧神話は北ゲルマン民族によって共有されていた信仰や物語が集約されたもので、神話は詩の形で口承により伝えられ、現存する神話についての知識は主にスノッリ・ストゥルルソンにより書かれた『エッダ』や、キリスト教化中またはその後に書き下ろされた、中世における他の版本に基づいている。北欧神話は基本的に古ノルド語で著わされているが、『デンマーク人の事績』などラテン語で書かれたものもある。 北欧神話の中にはスカンディナヴィアの伝承の一部となり、現在まで生き残ったものもある。その他は近年、ゲルマン・ネオペイガニズムとして再考案・構築されている。ステージでの上演劇や映画同様、神話は現在も様々な文学の着想として残されている。.

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ハヴァマール

『ハヴァマール』(Hávamál、ハーヴァマール)とは、『古エッダ』に収録された歌謡集である。邦題としてはオーディンの箴言、オーディンの訓言、高き者の言葉、高き者の歌などがある。 10世紀頃に北欧の古詩を集めて作られた作品であり、内容は処世術など現実的で実用的なものが主である。.

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ハーコンの言葉

『ハーコンの言葉』(ハーコンのことば、古ノルド語:Hákonarmál)とは、エイヴィンドル・フィンスソン(en, 剽窃詩人エイヴィンドとも)によって作られたスカルド詩である。幸運なことにこの詩はその全体がそのまま残されていた。 この詩はノルウェー王ホーコン善王の死と、その原因となったフィチヤールの戦い(en) 、そして彼のヴァルハラへの受入を謡っている。キリスト教徒であったホーコン1世を「異教の神」の友人として描くことを試みている。 『エイリークルの言葉』をモデルとしていると考えられている。 最後の聯は『高き者の言葉』に関連があるとされている。古くから『ハーコンの言葉』が『高き者の言葉』から持ってきたと考えられていたが、実際にはむしろその関係性の流れは逆向きであるか、または共に別の、第三の詩を元としているという説が唱えられている。.

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バルドルの夢

『バルドルの夢グンネル(伊藤訳) 2007 p.130』(バルドルのゆめ、Baldrs draumar)とはエッダ詩の一つである。『ヴェグタムルの歌』(ヴェグタムルのうた、Vegtamskviða)と呼ばれることもある。『AM 748 I 4to』という写本に収められていた。この詩の中で述べられているのはバルドルの死に関する情報であり、『ギュルヴィたぶらかし』の情報とある程度符合している。 この詩は、バルドルが自分が死に瀕している暗示のような悪夢を見たと告げるところから始まる。オーディンは詳細を調べるため馬を駆りヘルヘイムへ向かう。ある巫女(ヴォルヴァ)の墓を見つけ、彼女を甦らせる。2人は話を交わし、巫女はオーディンにバルドルの運命について語る。最後にオーディンが、自らの素性を明かしてしまうような質問を行い、巫女は帰りなさいと答える。 この詩は最も短いエッダ詩の一つとして知られ、古謡旋法で作られた14スタンザからなっている。後世の何冊かの紙写本では5スタンザ増えているが、その起源は新しいと考えられている。Sophus Bugge は、それら増補されたスタンザは『前兆の歌』の作者がまとめたものである、と信じていた。.

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ヤン・デ・フリース (神話学者)

ヤン・デ・フリース(Jan Pieter Marie Laurens de Vries、1890年2月11日 - 1964年7月23日)は、ゲルマン語派とゲルマン神話(北欧神話)およびケルト神話に関するオランダの学者。オランダのアムステルダムに生まれ、ライデン大学において1926年から1945年にかけて教授を務め、ユトレヒトで没した。 デ・フリースは現在も、ゲルマン文化の文献学の分野で最も尊敬を集める学者の一人である。 彼の2巻にわたるAltgermanische Religionsgeschichte(古代ゲルマン宗教史)は、半世紀を経た現在でも、重要な神話研究文献として影響を残している。.

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ユリイカ (雑誌)

『ユリイカ』(Eureka)は、青土社から刊行されている月刊誌である。詩および批評を中心に文学、思想などを広く扱う芸術総合誌である。なおユリイカとは「見つけた」を意味する「Eureka」から来ている。.

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ヨウン・ヘルガソン

ヨウン・ヘルガソン(Jón Helgason 原語の発音;ヨーン・ヘルガソン、1899年6月30日 - 1986年1月19日)は、アイスランドの文献学者、詩人。1927年から1971年までデンマーク・コペンハーゲンの所長を、1929年から1970年までコペンハーゲン大学でアイスランド学の教授を務めていた。その分野では多くの業績を残している。詩人としてはあまり多作な方ではなかったが、高度に洗練され強い印象を与える伝統詩という作風で知られている。代表作は『Áfangar』と『Í Árnasafni』である。 彼が研究所時代に行った発見の一つとして、で書かれた文書のみに見られる語彙の組を発見したことが挙げられる。.

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ロキの口論

『ロキの口論』(ロキのこうろん、古ノルド語:Lokasenna )とは、『古エッダ』に登場する詩の一節である。この詩の中でロキは他の神々と侮言の応酬を繰り広げ、彼らを告発する。 この物語はバルドルの死の後の話である。.

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ヴァフスルーズニルの言葉

Lorenz Frølichによる、オージンとヴァススルーズニルの知恵比べによる争い。(1895年) 『ヴァフスルーズニルの言葉』(ヴァフスルーズニルのことば、Vafþrúðnismál、Vafþrúðnir's sayings)は、北欧神話を伝える『詩のエッダ』の3番目の詩である。『ヴァフズルーズニルの歌』(ヴァフズルーズニルのうた)とも。 『巫女の予言』でも語られる神話の内容に言及した問答形式の詩で、10世紀前半にノルウェーまたはアイスランドで成立したと考えられている。『王の写本』に、また『AM 748 I 4to』には一部分が残されている『エッダ 古代北欧歌謡集』p.291(解説「一 エッダ 4 各篇解説 ヴァフズルーズニルの歌」)。。詩はアース神族のオージンとフリッグとの間で、そしてその後オージンと巨人ヴァフスルーズニルとの間でなされる対話形式をとって、古代北欧の世界観を詳細に説明している。スノッリ・ストゥルルソンによる『散文のエッダ』の制作において、情報源の文書としてこの詩からの引用が疑いなく大量に使用された。40-41節については保存上の疑問点がある。.

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ヴェルシの話

『ヴェルシの話』(ヴェルシのはなし)または『ヴォルシの話』(ヴォルシのはなし)(Völsa þáttr)は、フラート島本のみに現存しているサットル(短編の物語)で、『オーラヴ聖王のサガ』の章に含まれている。 物語はおそらく14世紀から存在していただろう。しかし、北欧では主に古い神々がまだ信仰されていた1029年には成立しており、古い信仰におけるファロス(völsi)崇拝の伝統を今に伝える話だと考えられている。 (ブロート(en:blót)も参照).

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ヴォルム写本

ヴォルム写本(ラテン語:Codex Wormianus菅原訳 ノルダル『巫女の予言』p.62 の表記。、アイスランド語:Ormsbók、写本番号:AM 242 fol)とは、アイスランドに伝わっていた羊皮紙の写本である。1350年頃の成立と見られている。 1623年にアイスランドの学者からデンマークのルーン文字研究者に贈られたことから、この名前で呼ばれている。スノッリ・ストゥルルソンの『エッダ』を現在に伝える重要な写本の一つである。ヴォーム写本、ヴォルム本、ウォルム写本、ウォルミアヌス写本とも。.

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ヘルヴォルとヘイズレク王のサガ

ヘルヴォルとヘイズレク王のサガ (ON. Hervarar saga ok Heiðreks) とは、13世紀に成立した伝説のサガ(物語)である。他の何本かの古いサガから要素を取り出し、まとめたものではないかと考えられている。 ヘイズレクルの娘ヘルヴォルの死。 このサガは、その文学的品質に加え、いくつかの理由によって価値の有るサガとみなされている。このサガには4世紀に起こったゴート族とフン族との間の戦争に関する伝承が含まれており、またサガの後半はスウェーデン中世史の資料として用いられている。 また、J・R・R・トールキンが中つ国の設定を構想する上で、このサガにインスピレーションを受けたといわれている。.

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ヘンリー・アダムズ・ベロウズ (著述家)

ヘンリー・アダムズ・ベロウズ(Henry Adams Bellows, 1885年9月22日 - 1939年12月29日)は、アメリカ合衆国の著述家、編集者。特に古代北欧の神話詩集『古エッダ』の英語訳で知られる。.

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ヘイムダル

ヘイムダルがフレイヤにブリーシンガメンの首飾りを返す場面。ニルス・ブロメールによる。 写本『SÁM 66』に描かれたヘイムダル。 写本『AM 738 4to』に描かれたヴァルハラ。門にヘイムダルがいる。 ヘイムダル(ヘイムダッルとも。)は北欧神話の光の神。「白いアース」とも呼ばれる。.

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ヒュンドラの歌

『ヒュンドラの歌』(ヒュンドラのうた、、)とは、北欧神話を伝える『詩のエッダ』に収録された、古ノルド語で書かれた詩である。.

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ヒョルヴァルズルの息子ヘルギの歌

ヘルギ、スヴァーヴァ、ヘジン。 Fredrik Sanderの1893年スウェーデン版 ''Poetic Edda'' のイラスト ヒョルヴァルズルの息子ヘルギの歌(ヒョルヴァルズルのむすこヘルギのうた、Helgakviða Hjörvarðssonar)は、古エッダに収録される英雄詩の一篇。 王の写本の原稿から発見されたもので、から連なり、へと連なる。、一篇の詩としては統一性の無い3つの部分からできている。この文章は、古い詩とそれを結びつける散文から構成されている。 ヒョルヴァルズルの息子ヘルギ(Helgi Hjörvarðsson)の物語を描いたもので、の物語へと緩やかに関連付けされている『エッダ 古代北欧歌謡集』p.119。本記事とは別の詩となる「フンディングル殺しのヘルギの歌 その二」に、シグルーンがスヴァーヴァの生まれ変わりである旨の記載がある。。.

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デンマーク人の事績

『デンマーク人の事績』(デーン人の事績、デーン人の事蹟、ゲスタ・ダノールム、Gesta Danorumとも)は、12世紀にサクソ・グラマティクスによって書かれた、デンマークの歴史に関する記録である。.

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デンマーク王立図書館

デンマーク王立図書館(Det Kongelige Bibliotek)はコペンハーゲンにあるデンマークの国立図書館であり、コペンハーゲン大学の大学図書館。北欧諸国の中では最大の図書館である。 17世紀以降、デンマーク国内で印刷された出版物を全て収めているが、その中には歴史的に貴重なものが多数含まれる。過去に様々な寄贈がおこなわれたおかげで、デンマークで1482年に最初に出版された書籍を始めとして、デンマークでの全ての既知の出版物をほぼ網羅している。.

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フョルスヴィーズルの言葉

『フョルスヴィーズルの言葉』(古ノルド語: )とは、古ノルド語の詩である。邦題としては他に『フィヨルスヴィズの言葉』、『フィヨルスヴィズの歌』、『フィヨルスヴィドのバラード』などがある。 のちにもう一つの詩『グローアの呪文歌』と共に、『スヴィプダグルの言葉』という一本の詩にまとめられた。 この詩は最も後期になってから作られたエッダ詩の一つと見なされている。それにもかかわらず、不可解な部分が存在し、また破損したスタンザも複数存在しているという。.

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フラート島本

『フラート島本』(フラートしまほん)は、中世アイスランドの写本で最も大きく、そして疑いなく最も美しい作品の1つである。邦訳としては他に「フラテイ本」「フラト島の書」といった呼び方がある。アイスランド語では Flateyjarbók、英語では The Flatey Book で、いずれも「平らな島の本」の意味である。 写本番号は「GkS 1005 fol」。また、Codex Flatöiensis(フラトイエンシス写本)という名でも知られている。(コデックスを参照) 写本は225枚のヴェラム(犢皮紙)でできており、綿密な文章が書かれ、挿絵が入れられている。 現在フラート島本は、王の写本とともに、アイスランドの国民的な財産としてアールニ・マグヌスソン研究所(en:Árni Magnússon Institute)に保管されている。.

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フィンヌル・ヨウンスソン

フィンヌル・ヨウンスソン。肖像写真と署名。 フィンヌル・ヨウンスソン(Finnur Jónsson 原語の発音;フィンヌル・ヨーンッソン、1858年5月29日 - 1934年3月30日)は、アイスランドの文献学者。特にの分野で大きな業績を残した。 フィンヌルは1878年にレイキャヴィーク高校を卒業したのち、コペンハーゲン大学でさらに学ぶためにデンマークに渡った。1884年にはスカルド詩に関する論文で文献学の博士号を取得。1887年に大学の講師の職に就き、1898年には教授に就任、1928年まで務めた。退職後も研究を続け、亡くなるその年まで著作を上梓し続けた。 フィンヌルの主な研究分野はであった。彼の代表的な業績は3つあり、1つ目はスカルド詩の完全集成『Den norsk-islandske skjaldedigtning』である。これは2部から成っており、第1部は様々な写本に見られるテキストを異文も含めて掲載している。第2部はそれらを標準的なテキストに校正し、デンマーク語訳を附している。2つ目の業績は古ノルド語詩の辞書『Lexicon Poeticum』である。それは、表面上はの同名の著作の改訂版であったが、実質的には彼自身の著作であった。3つ目の業績は、古ノルド文学の詳細な歴史を綴った『Den oldnorske og oldislandske litteraturs historie』である。 フィンヌルは異常なまでに多作の学者であり、他の著作を書いている間に、大量の・・・エッダの刊本の準備をしていたという。また腕の立つ論客として、サガの歴史的正確性やエッダ詩の古さについて、他の学者との議論の中で、自身の信念を貫こうとする姿も見られたという。.

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ベンジャミン・ソープ

ベンジャミン・ソープ(Benjamin Thorpe、1782年-1870年7月)は、イングランドの古英語研究者。 デンマークの文献学者ラスムス・ラスクのもと、コペンハーゲン大学で4年間学んだのち、1830年にイングランドに戻る。1832年にキャドモンの韻文部分訳聖書を現代語訳して出版し、古英語研究者としての名声を確立する。 1834年には『Analecta Anglo-Saxonica(古英語語録)』を出版し、これは長年にわたって英語で書かれた古英語の標準的な教科書として使われた。しかし彼の最も知られている業績は、1851年に全3巻で刊行した『Northern Mythology(北欧神話)』であろう。それは最初の『古エッダ』完訳(1866年)であった。 その他の著作には以下のようなものがある。.

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アルヴィースの言葉

『アルヴィースの言葉』(アルヴィースのことば、Alvíssmál)とは、古ノルド語詩である。一般に『古エッダ』の一篇に数えられ、北欧神話の原典資料の一つとなっている。『アルヴィースの歌』とも。 アース神のトールとドヴェルグのアルヴィースとの間の知恵比べが歌われている。その中で、言葉の言いかえ(も参照)が、「各部族(人間、アース神、等)での呼ばれ方」として列挙される(スールル)。 詩形は歌謡律『エッダ 古代北欧歌謡集』pp.293-294(谷口による解説)。11世紀の成立と考えられている。第20スタンザ(「風」の言いかえ)が『詩語法』第74段落に、第30スタンザ(「夜」の言いかえ)が第78段落に、それぞれ引用されている。.

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アンドレアス・ホイスラー

アンドレアス・ホイスラー(Andreas Heusler.

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アイスランド

アイスランドは、北ヨーロッパの北大西洋上に位置する共和制を取る国家である。首都はレイキャビク。総人口は約337,610人。.

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エッダ

ッダ (Edda) は、北欧神話の初期(ヴァイキング時代)の形態を伝える文書群である。.

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エイリークルの言葉

『エイリークルの言葉』(エイリークルのことば、古ノルド語:Eiríksmál)とは、954年に作られたスカルド詩である。この詩はノルウェーの女王グンヒルド(en) の命によって、彼女の亡き夫エイリーク血斧王の栄誉を讃えるために作られた。詩の初めの部分のみが残されている。 この詩はその歴史的背景から一般にスカルド詩に分類されているが、その作者が不明であることや、宮廷律よりも古譚律の方が多く用いられていることから、エッダ詩に分類されることもある。 後代に作られた『ハーコンの言葉』は、この『エイリークルの言葉』をモデルとしていると考えられている。.

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オージンのワタリガラスの呪文歌

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グリームニルの言葉

『グリームニルの言葉』(グリームニルのことば、Grímnismál、Sayings of Grímnir)は、『詩のエッダ』にある神話詩の1編である。『グリームニルの歌』(グリームニルのうた)とも。 作品は写本の『王の写本』および『AM 748 I 4to』の断片に保存されており、10世紀の初め頃にノルウェーまたはアイスランドで成立したと考えられている『エッダ 古代北欧歌謡集』p.291(解説「一 エッダ 4 各篇解説 グリームニルの歌」)。。作品は、ゲイルロズ王に(彼の誤解によって)苦しめられる神オージンの、数多くの異相の1つ「グリームニル」の発言を通じて物語られる。オージンはゲイルロズ王を王自身の剣の刃に倒れさせることで、彼の破滅的な過ちを証明した。 枠物語の形式をとる散文の部分は、おそらくは『グリームニルの言葉』の本来の物語の一部ではなかった。作品は長い散文の部分から始まり、グリームニルの独白までの主だった状況を記述している。そして本文は詩の韻文の54の節から構成されている。詩の最後のわずかな部分はまた散文になり、ゲイルロズの終末の顛末、彼の息子の即位とオージンの失踪を伝える。.

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グロッティの歌

ッティの傍らのフェニヤとメニヤ。 『グロッティの歌』(グロッティのうた。古ノルド語:, Grottasöngr)とは、古ノルド語詩(en)の一編である。『石臼の歌』とも。.

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ケニング

ニング(古ノルド語: kenning 。現代アイスランド語では と発音、ケンニング)とは、一般的な名詞に変わって用いられる迂言法の一種で、おもに古ノルド語やアイスランド語の詩に用いられた。代称法とも。 古ノルド語での一例を挙げると、「剣」という言葉を表すときに、一般的な名詞 sverð がそのまま用いられるのではなく、「傷つける鍬」 ben-grefill (エギル・スカラグリームスソン: "Höfuðlausn" 第8スタンザ)のような複合語や、「盾の氷」 randa íss (エイナル・スクーラソン: "Øxarflokkr" 第9スタンザ)といった属格句が用いられた。 現代の研究者は、このケニングという語を、他の言語(特に古英語)におけるよく似た修辞技法を表すときにも用いている。.

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コペンハーゲン

ペンハーゲン(Kopenhagen )、クブンハウン(ケブンハウン)(København 、コゥペンヘイゲン(Copenhagen )は、デンマークの首都。デンマーク最大の都市で、自治市の人口は52万人。市名はデンマーク語の"Kjøbmandehavn"(商人たちの港)に由来する。「北欧のパリ」と比喩される。.

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シーグルズル・ノルダル

ーグルズル・ノルダル(Sigurður Nordal, 原語の発音;シグルズル・ノルダル, 1886年9月14日 - 1974年9月21日)は、アイスランド人の学者であり、作家、詩人でもあった。 多くの人々によって書かれたアイスランド・サガの、文学作品としての理論を確立することにおいて、ノルダルは強い影響力を持っていた。また、アイスランド文化に関する彼の研究成果は、アイスランド国内の大学では標準的なテキストとして使用されている。21世紀初頭の時点でも、彼の研究とその理論は引き続き高い評価を受けている。 以下に、ノルダルの最も影響力を持つ研究成果のいくつかを挙げる。; Völuspá; Islenzk menning; Hrafnkatla.

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スノッリのエッダ

ノッリのエッダ(ON. Snorra Edda、略記号: SnE)とは、1220年ごろにアイスランドの詩人スノッリ・ストゥルルソンが著した詩の教本である。 若手の詩人たちに北欧神話と詩の技法を教授する目的で書かれた。たいへんよくまとまっている上に、失われたエッダ詩(古エッダ)やスカルド詩も数多く含まれており、この本なくして北欧神話、ひいてはゲルマン神話を現代に復元することはほぼ不可能であると言ってよい。 元々は単なる「エッダ」(Edda) という名前であったが、この作品に引用される歌謡の形式もエッダと呼ばれるようになったため、区別して「スノッリのエッダ」(スノラエッダとも)、あるいは「新エッダ」(Younger Edda) 「散文のエッダ」(Prose Edda) などと呼ばれるようになった。 『エッダ』という題名、および作者がスノッリ・ストゥルルソンであるという事実は、『エッダ』の写本の一つ『ウプサラ写本』の記述に基づいている。.

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スノッリ・ストゥルルソン

ノッリ・ストゥルルソン。1899年に出版された『ヘイムスクリングラ』の挿絵より。 スノッリ・ストゥルルソン(Snorri Sturluson, 1178年あるいは1179年 - 1241年9月23日)は、アイスランドの詩人・政治家・歴史家(著述家)である。ノルウェー王朝の歴史『ヘイムスクリングラ』や『スノッリのエッダ』の著者としても知られている。優れた学者であったが、権勢欲、名誉欲の強い野心家でもあった。.

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スウェーデン

ウェーデン王国(スウェーデンおうこく、スウェーデン語: )、通称スウェーデンは、北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島に位置する立憲君主制国家。首都はストックホルム。西にノルウェー、北東にフィンランドと国境を接し、南西にカテガット海峡を挟んでデンマークと近接する。東から南にはバルト海が存在し、対岸のロシアやドイツとの関わりが深い。法定最低賃金は存在しておらず、スウェーデン国外の大企業や機関投資家に経済を左右されている。.

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スカルド詩

ルド詩(スカルドし、吟唱詩とも)とは、9世紀から13世紀ごろの北欧(特にスカンディナヴィアやアイスランド)で読まれた古ノルド語の韻文詩のことである。宮廷律、ヘイティ、ケニングの多用などの特徴をもつ。神話や古代の英雄を謳ったエッダ詩とは対照的に、その詩が詠まれた当時の王や戦士を主題として取り上げたものが多い。また概してエッダ詩より複雑な技法が用いられている。サガや石に刻まれたルーン文字の碑文などにみられる。.

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スカールホルト

冬のスカールホルト。 スカールホルト(アイスランド語:Skálholt, 古期アイスランド語:Skálaholt スカーラホルト)とは、アイスランド南部、フヴィーター川(en) の近くにある地名で、歴史的な場所である。 スカールホルト村には比較的大きな教会と数軒の家しかない。それにもかかわらず、この地はアイスランドの歴史の中で大きな位置を占めている。この地は中世から1785年まで、アイスランドにある2つの司教管区(en) の一つであり、文化的・政治的中心地となっていた(もう一つの司教管区はホーラル司教管区(en) )。そして1550年にホーラル最後のカトリック司教ヨーン・アラソン(en) が2人の息子と共に処刑された。 スカールホルトの教会はアイスランドの平均的な教会に比べ際だって大きいように見える。実際に、1956年から1963年に建てられた教会の大きさは30mであるが、以前の教会はより大きく、50mを下らなかったとされる。現在の教会の調度品は他のスカンディナヴィアの国々から寄贈されたものである。 ブレーメンのアダム(en) は、1075年頃に、スカールホルト(Scaldholz スカルドホルツ)がアイスランドで「最も大きい都市」であったと記述している。.

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スキールニルの歌

儀式演劇として行なわれたかもしれない手掛かりだと考えている。 『スキールニルの歌』(スキールニルのうた。古ノルド語:、スキールニルの言葉、スキールニルの旅 とも)は、『古エッダ』に収録された詩の1編である。.

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ソーフス・ブッゲ

ーフス・ブッゲ(Elseus Sophus Bugge, 1833年1月5日-1907年7月8日)は、ノルウェーの文献学者。ルーン文字や『古エッダ』『スノッリのエッダ』に関する業績で知られる。 1880年代の著作『Studier over de nordiske Gude- og Heltesagns Oprindelse(北欧神話と英雄伝説起源研究)』では、古ノルド語文献にみられる神話のほとんどすべてが、キリスト教や後期古典古代の概念に由来したものであるとする理論を提唱している。彼の理論は大きな反響を呼び、激しい拒否反応も見られたが、後世の理論にいくつかの影響も与えているSimek (2007:47).

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サガ

(saga 複数形: sögur)は、おもに中世アイスランドで成立した古ノルド語(古北欧語、古アイスランド語とも)による散文作品群の総称。同時代に書かれたエッダ詩がゲルマン民族の神話や英雄伝説を題材にしているのに対し、サガはノルウェーやアイスランドで起きた出来事を題材にしたものが多いことに特徴があり、約200点が現代に伝わっている。 転じて、フィクションにおいて、一家一門の物語を壮大に描く長編の叙事小説やファンタジー作品、叙事詩的映画などがサーガと呼ばれたり、そのようなタイトルを称することがある(『グイン・サーガ』、『ニュームーン/トワイライト・サーガ』、『ゼノサーガシリーズ』など。)。.

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写本

13世紀ヨーロッパの彩色写本 写本(しゃほん、Manuscript)とは、手書きで複製された本や文書、またはその行為そのものを指して示す用語。時に、原本(オリジナル)である正本(しょうほん・せいほん)と対応させて、それを書き写した書写本であることを強調するために用いられることもある。.

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勇士殺しのアースムンドのサガ

勇士殺しのアースムンドのサガ(Ásmundar saga kappabana)とは、アイスランドに伝わる伝説のサガ(物語)の一つである。全10章からなる。 このサガは、本質的にはゲルマン語の叙事詩『ヒルデブラントの歌』の翻案ものであるが、ティルフィング伝説 (Tyrfing Cycle) になぞらえられている部分もある。 このサガの最後に登場する歌(エッダ詩)は、『ヒルディブランドの挽歌』と呼ばれている西田 (1991): 204.

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王の写本

王の写本を開いた姿。 王の写本(おうのしゃほん、アイスランド語:Konungsbók『巫女の予言 エッダ詩校訂本』、9頁。、ラテン語:Codex Regius, 王書、王室写本、欽定写本、レギウス写本とも。)は、『詩のエッダ』(Sæmundar-Eddu)が記録されているアイスランド語の写本(コデックスも参照)である。写本番号は「GKS 2365 4to」など。.

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筑摩書房

株式会社筑摩書房(ちくましょぼう)は、日本の出版社。筑摩書房のマーク(空を截る鷹)のデザインは青山二郎作。 文学者を中心に個人全集は、増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と称されている。特に『世界文学全集』は多くの類書シリーズを刊行した。ほかに古典・現代文の教科書を現在まで毎年出版している。月刊PR誌に『ちくま』がある。.

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DjVu

DjVu(デジャヴ)は画像圧縮方式、およびその技術を使った文書形式の名称である。1996年にAT&Tで開発され、米国LizardTech社、日本を拠点とするセラーテムテクノロジー(LizardTechは現在、セラーテムの傘下)を経て、現在はクミナス社から販売されている。.

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音節

音節(おんせつ)またはシラブル()は、連続する言語音を区切る分節単位の一種である。典型的には、1個の母音を中心に、その母音単独で、あるいはその母音の前後に1個または複数個の子音を伴って構成する音声(群)で、音声の聞こえの一種のまとまりをいう。 中国語などの声調言語(トーン言語)では、母音と子音の組合せに、さらに母音の音程の高低変化による声調を加えて一つの音節を構成する。 日本語の場合、音節とは区切り方が必ずしも一致しない「モーラ」(拍)という分節単位が重要である。.

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韻律 (韻文)

詩などに用いられる文の形式である韻文は、言語、文化的背景および韻文の形式に応じた特定のリズムに基づいて作られる。これは聴覚的に、ある定まった形象を感覚させる一定の規則ということができる。このリズムあるいは規則を韻律(いんりつ)という。 韻律は言語の音韻的性格に基づいている。(リズム#言語におけるリズムを参照) 例えば日本語の伝統的韻律では、モーラ(拍)が最小単位となり、5拍・7拍を基本とする七五調・五七調などがよく使われる。フランス語でもこれに似て、韻文では時間的最小単位である音節が一定数繰り返される(5音節、6音節など)。 またアクセント・強勢や音節の長さ、あるいは声調が重視される言語も多い。例えば古典ギリシャ語とラテン語では音節の長短、英語やドイツ語ではアクセント・強勢、中国語(漢詩)では声調(平仄)に関して特定のパターンが用いられる。イタリア語やスペイン語では、フランス語と同様の音節数に加え、アクセントのパターンが重視される。(日本語ではこのタイプの韻律は、現代の歌詞などでわずかに例があるものの、一般的ではない。).

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韻文

韻文(いんぶん)とは、聴覚に一定の定まった形象を感覚させる一定の規則(韻律)に則って書き表された文章。散文の反意語。多く詩において用いられる。 一定のリズムを持ち、暗誦されるのに適しているため、古代から神話や歴史の叙述に用いられてきた。俳句、和歌、漢詩、連歌、連句、四行詩、脚韻詩などの韻文詩なども韻文に含まれる。.

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菅原邦城

菅原 邦城(すがわら くにしろ、1942年3月1日 - )は、日本の文学者、言語学者。北欧語・北欧文学の、日本では有数の専門家である。.

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頭韻法

頭韻法 (alliteration、とういんほう) は、文体における手法ないしは文学の技法の一つである。連続する単語(正確にはストレスを置くシラブル)が同じ音の子音または文字で始まるものを指す。 頭韻法は詩で頻繁に用いられるが、散文でも普通に見られ、特に短いフレーズにハイライトを当てるのに用いられる。詩においてはとりわけ、走句に快い音調をもたらし音楽的雰囲気を醸し出すのに貢献する。ユーモラスな効果もある。類縁の技法に類韻(assonance、母音のみ押韻する)、子音韻(consonance、子音のみ押韻する)がある。 頭韻詩は何らかの形で全てのゲルマン語に見られる。英語では、古英詩(en)が頭韻法を中心的な技法としている。ロマン派時代にはまたしても注目を浴びた。一般にロマン派詩人は詩を更に音楽的なものすることに興味をもっており、母国語が古代から引き継いだ要素にも興味があったからである。リヒャルト・ワーグナーはたとえば、楽劇の中で頭韻法を盛んに用いている。 日本においては百人一首にもある大納言公任の和歌「たきのおとはたえてひさしくなりぬれどなこそながれてなほきこえけれ」が代表例。.

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詩(し、うた、poetry, poem; poésie, poème; Gedicht)は、言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。多くの地域で非常に古い起源を持つ。多くは韻文で一定の形式とリズムを持つが、例外もある。一定の形式に凝縮して言葉を収め、また効果的に感動・叙情・ビジョンなどを表すための表現上の工夫(修辞技法)が多く見られる。詩は独立したものとして書かれる場合も、詩劇・聖歌・歌詞・散文詩などに見られるように他の芸術表現と結び付いた形で書かれる場合もある。 英語のpoetryやpoem、フランス語のpoésieやpoèmeなどの語は、「作ること」を意味するギリシア語ποίησις (poiesis)に由来し、技術を以て作り出された言葉を意味した。漢字の「詩」は思いや記憶を言葉にしたものを意味し、元々は西周のころの古代中国の歌謡を編纂したものを言った(のちに詩経と称される)。日本では明治になるまでは「詩」といえば漢詩を指し、「歌」は日本古来の歌謡から発したものを指した。文学の一形式として「詩」の語を使うようになったのは、西洋文学の影響から作られた『新体詩抄』などを起源とする。 印刷技術が普及した後は詩の多くは活字で提供され「読まれる」ようになったが、詩は文字の発明以前から存在したとも言われFor one recent summary discussion, see Frederick Ahl and Hannah M. Roisman.

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谷口幸男

谷口 幸男(たにぐち ゆきお、1929年7月ReaD「谷口幸男」 - )は、日本の文学者、文学研究者、民俗学者、翻訳家。専門はドイツ文学および北欧文学。.

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英雄

英雄(えいゆう)とは、才知や武勇などがすぐれ、普通の人には出来ないような事柄を成し遂げる人。別称は「ヒーロー」。詳細はヒーローの項を参照のこと。古い歴史と文化を持つ民族では、長い歴史のうちに内外の敵との激しい戦いなどを体験した。その中で卓越した指導力を発揮して強く勇敢に生き抜いた先祖の伝説を吟遊詩人や語り部の力を借りて伝承することで民族意識の高揚と連帯感の維持に努めた。こうした人間主義と現世主義に裏打ちされた英雄伝説は世界的に存在していた(ユダヤのモーゼ、ギリシャのヘクトル・オデュッセウス、インドのラーマ王・ナラ王、北欧のジークフリート・ベオウルフ、日本の神武天皇・日本武尊など)。ロマン主義以後の時期になると、反近代文明・反絶対王政・反民主主義の観点から天才的・自己超越的な指導者を待望する考えが高まった。ニーチェが考えた超人もその具体的な像の1つである。合理的・科学的な生活に生きる現代人は、英雄の持つ普遍性や理念性を見失って、具体的な政治指導者や著名人を英雄として扱う風潮が強い。エーリヒ・フロムはこれを「ネクロフィラスな集団的ナルティシズム」と評した。--曖昧リスト内の説明としては長すぎるので要約が必要。残す必要な情報があれば「ヒーロー」の記事に移せばよい。-->.

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W・H・オーデン

ウィスタン・ヒュー・オーデン(Wystan Hugh Auden, 1907年2月21日 - 1973年9月29日)は、イギリス出身でアメリカ合衆国に移住した詩人。20世紀最大の詩人の一人とみなされている。.

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東海大学出版部

東海大学出版部(とうかいだいがくしゅっぱんぶ)は、神奈川県平塚市にある学校法人東海大学の出版機関。.

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槍の歌

『槍の歌』(Darraðarljóð)とは、『ニャールのサガ』(en) 第157章に収録されているスカルド詩である。この詩は11スタンザからなっている。『ヴァルキュリヤの歌』(Valkyrjuljóð)、『ドッルズルの歌』(Lay of Dörruðr)などと呼ばれることもある。.

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歌、唄(うた)とは、声によって音楽的な音を生み出す行為のことであり、リズムや節(旋律)をつけて歌詞などを連続発声する音楽、娯楽・芸術のひとつである。歌謡(かよう)世界大百科事典,平凡社「歌謡」、歌唱(かしょう)大辞林「歌唱」「歌謡」とも言う。 また歌・歌謡は、文学における用語でもあり、詩の一形式または韻律文芸の総称で、和歌などを指す。これについても本項で述べる。.

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新潮社

株式会社新潮社(しんちょうしゃ)は、日本の出版社。.

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散文

散文(さんぶん)とは、小説や評論のように、5・7・5などの韻律や句法にとらわれずに書かれた文章のことである。狭義には、そのようにして書かれた文学。韻文の反意語。散文で書かれた詩のことは散文詩と言う。また、散文的という言葉は「味気なく、情趣が薄い」という意味で使われることもある。.

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1200年

記載なし。

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1270年

記載なし。

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13世紀

チンギス・ハーン像。 モンゴル帝国の発展。 モンゴル帝国の最大領域。 13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す世紀。.

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1643年

記載なし。

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1662年

記載なし。

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1971年

記載なし。

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9世紀

船葬用の船体(オスロのヴァイキング船博物館蔵)。 イングランドを襲撃するデーン人(ヴァイキング)。画像は12世紀に書かれた『聖エドマンド殉教王伝』の挿絵。 マルウィヤ・ミナレット(サーマッラーのミナレット)。アッバース朝第8代カリフのムウタスィムが建築したサーマッラーの大モスク付属の螺旋式のミナレット。 ハールーン・アッラシード。アッバース朝最盛期のカリフで、『千夜一夜物語』では夜ごとにバグダードの街に繰り出す風流な君主として描かれている。 「知恵の館(バイト・アル・ヒクマ)」。アッバース朝カリフ・マアムーンの治世にバグダードには翻訳事業や学問研究のための「知恵の館」が設置された。画像はここに集まる学者たちを描いた13世紀の細密画(フランス国立図書館蔵)。 インド最後の仏教王朝のパーラ朝。ダルマパーラ王により9世紀末に北インドの大半が支配下に置かれた。画像は9世紀に造られたパーラ様式の文殊菩薩石像(ホノルル美術館)。 敦煌文書。敦煌には3万とも4万とも数えられる膨大な古文書が収蔵されている。画像は大英博物館所蔵の「金剛般若波羅蜜経」。これは現存する世界最古の木版印刷の巻子本(書籍)で唐の懿宗の治世の868年に作成されたもの。 禁止出境展览文物でもある「八重宝函」。 密教招来。空海らによって日本に密教がもたらされ平安時代の仏教に大きな影響を与えた。画像は密教で用いる胎蔵界曼荼羅で京都東寺所蔵のもの。 応天門の変。藤原氏による他氏排斥が進んで摂関政治が確立し、律令国家体制から王朝国家体制へと政体が変化した。画像は12世紀に応天門の変の経緯を描いた「伴大納言絵詞」(出光美術館蔵)。 ラパス県の4000メートル近くの標高にある遺跡で、最盛期である9世紀には人口は1万人を越えたと想定されている。画像は半地下式方形広場で人面の装飾がなされている。 Galerie des Batailles蔵)。 ラドガにて東スラブ人と出会うヴァリャーグのリューリク一行を描いたヴィクトル・ヴァスネツォフの歴史画。 ハギア・ソフィア教会アプス半ドームにある聖母子のモザイク画。 スラブ人への宣教。東ローマ帝国出身のキュリロス・メトディオス兄弟はグラゴール文字を作成しキリスト教の宣教に努めた。画像は18-19世紀にロシアで描かれたこの兄弟のイコン(聖画像)。 プリスカ遺跡。 9世紀(きゅうせいき)は、西暦801年から西暦900年までの100年間を指す世紀。.

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