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勇士殺しのアースムンドのサガ

索引 勇士殺しのアースムンドのサガ

勇士殺しのアースムンドのサガ(Ásmundar saga kappabana)とは、アイスランドに伝わる伝説のサガ(物語)の一つである。全10章からなる。 このサガは、本質的にはゲルマン語の叙事詩『ヒルデブラントの歌』の翻案ものであるが、ティルフィング伝説 (Tyrfing Cycle) になぞらえられている部分もある。 このサガの最後に登場する歌(エッダ詩)は、『ヒルディブランドの挽歌』と呼ばれている西田 (1991): 204.

23 関係: 古エッダノルウェーノルウェー語ロシアヒルデブラントヒルデブラントの歌ティルヴィングデンマークデンマーク人の事績フン族ベルセルクアイスランドゲルマン語派ザクセン州スウェーデンスコーネサガサクソ・グラマティクス総督物語谷口幸男東海大学出版部新潮社

古エッダ

古エッダの写本2冊。流布本ともいえる王の写本(写真上)と、異本の一つフラート島本(下)。 古エッダ(こエッダ、Elder Edda)とは、17世紀に発見された北欧神話について語られた写本。9世紀から13世紀にかけて成立したとされている、古ノルド語で書かれた歌謡集(詩群)である。主に北欧神話や北欧の英雄伝説について語っている。一般に「古エッダ」と呼ばれているものは発見された王の写本をその根底としている。 本来「エッダ」とはスノッリ・ストゥルルソンの『エッダ』(スノッリのエッダ、新エッダ)のことを指していたが、その中で言及されている古い詩の形式や、後に再発見されたそのような形式の詩を指す言葉としても用いられるようになったため、この2つを特に区別するために「古エッダ」と呼ばれるようになった。しかし現在ではエッダよりも後に編纂されたとされている。 『エッダ』が「散文のエッダ」と呼ばれるのに対して、古エッダは「詩のエッダ」「韻文のエッダ」「歌謡エッダ 」(Ljóðaedda, Poetic Edda) と呼ばれることもある。また下記の経緯により「セームンド(セームンドル、サイムンドル)のエッダ」(Sæmundaredda) と呼ばれていたこともある。.

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ノルウェー

ノルウェー王国(ノルウェーおうこく、Kongeriket Norge/Noreg)、通称ノルウェーは、北ヨーロッパのスカンディナビア半島西岸に位置する立憲君主制国家である。首都は半島南端部に存在するオスロフィヨルドの奥に形成された港湾都市のオスロで、東にスウェーデン、ロシア、フィンランドと国境を接している。 国土は南北に細長く、海岸線は北大西洋の複数の海域、すなわちスカゲラック海峡、北海、ノルウェー海およびバレンツ海に面している。海岸線には、多くのフィヨルドが発達する。この他、ノルウェー本土から約1,000キロメートル (km) 離れた北大西洋上のヤン・マイエン島は固有の領土の一部として領有され、スヴァールバル条約によりバレンツ海のスヴァールバル諸島を領有している。南大西洋にブーベ島を属領として持つ。 による高負担高福祉の福祉国家として知られ、OECDの人生満足度(Life Satisfaction)ではスイスに次いで第2位となった(2014年)。.

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ノルウェー語

ノルウェー語(ノルウェーご、norsk)は、インド・ヨーロッパ語族 ゲルマン語派 北ゲルマン語群に属する。古ノルド語から分化した言語である。話者の人口は約400万ほど。標準語として、デンマーク語やスウェーデン語と近縁のブークモールと、アイスランド語と同じ西スカンディナヴィア語群に分類されるニーノシュクが存在する。.

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ロシア

ア連邦(ロシアれんぽう、Российская Федерация)、またはロシア (Россия) は、ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家。.

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ヒルデブラント

ヒルデブラント(Hildebrand)は、ドイツの伝説に登場する英雄。 ヒルデブラントという名前は、古高ドイツ語と古ノルド語に由来しており、「Hild」は「戦い」を、「brand」は「剣」を意味する。ヒルデブラントはゲルマンとスカンディナヴィアの英雄詩で知られる代表的な戦士であり、著名な3編の詩、すなわち古高ドイツ語で書かれた『ヒルデブラントの歌』、中高ドイツ語で書かれた『ニーベルンゲンの歌』、古ノルド語で書かれた『勇士殺しのアースムンドのサガ』に収録されている『ヒルデブラントの挽歌』などである。また、『デンマーク人の事績』などにも登場している。 『ニーベルンゲンの歌』では彼は武具師であり、ベルンのディートリヒの戦友かつ養父的な友人として登場している。さらに、作中ではクリームヒルトがハーゲンを殺したのに憤激し、彼女を殺害している。 『ニーベルンゲンの歌』よりも時代の古い『ヒルデブランドの歌』では、ヒルデブラントは息子であるハドゥブランドと戦っている。作中、ヒルデブランドがディートリヒに仕えるに先立ち、家に妻と子どもを置き去りにしていた。そして30年後、ヒルデブラントが帰郷してみると、息子のハドゥブラントが領地を治めており、侵略者に対しては軍を率いて戦っていた。慣習に従い、軍を統率するヒルデブラントとハドゥブラントは互いに会見し、近親者との殺し合いは避けなければならなかったため、互いの家系を尋ねあった。ハドゥブラントは、自らを「ヒルデブラントの息子ハドゥブラント」であると名乗る。しかしハドゥブラントはヒルデブラントはすでに死んだと聞かされていたため、目の前の男は父の名をかたり騙そうとしていると思い込む。この後の物語は失われているが、伝説と『勇士殺しのアースムンドのサガ』では物語の結末が語られている。すなわちヒルデブラントは息子を殺すことを強いられ、これにより自分が殺した戦士を描いてきたヒルデブラントの赤い盾に、彼の息子の絵が加えられることになった。 アイスランドに伝わる『ヒルデブラントの挽歌』によれば、ヒルデブラントがいかにして自分の異母兄と戦ったかが描かれている。ヒルデブラントは異母兄の手により瀕死の重傷を負い、彼の頭の傍らの地面には息子の絵の描かれた盾が落ちた。彼は異母兄に自分の身体を覆い、きちんと葬って欲しいと頼んだ。 ディートリヒとオドアケルが5、6世紀の歴史上の人物に関連しているにもかかわらず、ヒルデブラント自身は歴史上の人物と特定されていない。.

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ヒルデブラントの歌

『ヒルデブラントの歌』(Das Hildebrandslied)は、ドイツに伝わる唯一の頭韻英雄詩である。 もとはフルダ修道院(en)にあったが、現在はドイツのカッセル大学図書館に保存されている。北イタリアで成立したと考えられ、年代は5世紀末から6世紀初めの東ゴート人とする説と、6世紀から8世紀の間のランゴバルト人を起源とする説がある 高橋輝和 編訳『古期ドイツ語作品集成』渓水社、2003。p.366。フルダ修道院で東フランク語に翻訳され、830年から840年にかけて書きとめられたとされる。古代のドイツ人の口誦の内容を反映した重要な作品である。.

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ティルヴィング

ティルヴィングを手に入れるスウァフルラーメ ティルヴィング()は、北欧神話の古エッダ、サガに登場する魔剣。 オーディンの血を引く王、スウァフルラーメがドヴァリン、ドゥリンという二人のドヴェルグを捕らえ、命を救うのと引き換えに黄金の柄で錆びることなく鉄をも容易く切り、狙ったものは外さない剣を作るように命じた。 ドヴェルグたちはこの要求を飲み剣を鍛えた。しかし彼らは去り際に、この剣が悪しき望みを3度は叶えるが持ち主にも破滅をもたらす呪いをかけたことを明かし、岩の中へ逃げ込んだ。 スウァフルラーメはティルヴィングを帯びて戦場におもむき勝利した。しかしアルングリムと戦ったときに剣を奪われ、これで刺されて命を落とした。その後アルングリムの息子アンガンチュールに受け継がれたが持ち主や近親者がこの剣により死んだ。.

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デンマーク

デンマーク(Danmark, )は、北ヨーロッパのバルト海と北海に挟まれたユトランド半島とその周辺の多くの島々からなる立憲君主制国家。北欧諸国の1つであり、北では海を挟んでスカンディナヴィア諸国、南では陸上でドイツと国境を接する。首都のコペンハーゲンはシェラン島に位置している。大陸部分を領有しながら首都が島嶼に存在する数少ない国家の一つである(他には赤道ギニア、イギリスのみ)。 自治権を有するグリーンランドとフェロー諸島と共にデンマーク王国を構成している。 ノルディックモデルの高福祉高負担国家であり、市民の生活満足度は高く、2014年の国連世界幸福度報告では第1位であった。.

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デンマーク人の事績

『デンマーク人の事績』(デーン人の事績、デーン人の事蹟、ゲスタ・ダノールム、Gesta Danorumとも)は、12世紀にサクソ・グラマティクスによって書かれた、デンマークの歴史に関する記録である。.

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フン族

フン族(フンぞく、Hun)は北アジアの遊牧騎馬民族。中央アジアのステップ地帯が出拠と考えられるが、民族自体の出自についてはかなり以前より「フン」=「匈奴」説などがあるものの、いまだ定説となっていない。言語学的にはテュルク語族に属すると考えられているテュルクの音写として丁零が知られており、中国の秦から漢の時代に匈奴と覇権を争っていたことがわかっている。モンゴル諸語はテュルク諸語、ツングース諸語とともにアルタイ語族にまとめられているが、まだ弱い相関しか知られておらず系統接続ははっきりしていない。。 4世紀中頃から西に移動を始め、これが当時の東ゴート族、西ゴート族を圧迫して、ゲルマン民族大移動を誘発、さらには西ローマ帝国崩壊の遠因ともなった。5世紀中頃のアッティラの時代に統一帝国を築いて最盛期を迎えたが、453年に王の死去、翌年には帝国は瓦解、急速に衰退した。 同じ名称の後裔または後継者がおおよそ4世紀から6世紀に東ヨーロッパと中央アジアの一部に住んでいたと記録されている。フン族の末裔が8世紀前半にカフカスで記録されている。.

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ベルセルク

ベルセルク()とは、北欧神話・伝承に登場する、異能の戦士たちである。古ノルド語やアイスランド語ではベルセルクル (berserkr)、英語ではバーサーカー (berserker) と言い、日本語ではしばしば狂戦士と訳される。.

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アイスランド

アイスランドは、北ヨーロッパの北大西洋上に位置する共和制を取る国家である。首都はレイキャビク。総人口は約337,610人。.

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ゲルマン語派

ルマン語派(ゲルマンごは、英: Germanic languages, 独: Germanische Sprachen, 瑞: Germanska språk)はインド・ヨーロッパ語族のうちの一語派。ドイツ語、オランダ語、英語などが含まれる。共通のゲルマン祖語から分化したとされる。 現代のゲルマン語派の分布.

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ザクセン州

ン州(Freistaat Sachsen)は、ドイツに16ある連邦州の1つである。1990年のドイツ再統一により加盟した5つの新連邦州の1つ。正式名称は「ザクセン自由州」。州都はドレスデン。 中世の初期には、ザクセンというと現在のニーダーザクセン州、ノルトライン=ヴェストファーレン州を合わせた地域を指していた。250~500年頃に現在のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州からこの地域にザクセン人が移住定着し、ザクセン公国の時代に領土を拡大した。その後、ザクセン王国、ドイツ帝国、ヴァイマル共和国、東ドイツなどの歴史を経てきており、ザクセン王国時代に現在の地域になった。.

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スウェーデン

ウェーデン王国(スウェーデンおうこく、スウェーデン語: )、通称スウェーデンは、北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島に位置する立憲君主制国家。首都はストックホルム。西にノルウェー、北東にフィンランドと国境を接し、南西にカテガット海峡を挟んでデンマークと近接する。東から南にはバルト海が存在し、対岸のロシアやドイツとの関わりが深い。法定最低賃金は存在しておらず、スウェーデン国外の大企業や機関投資家に経済を左右されている。.

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スコーネ

ーネ旗 スウェーデンにおけるスコーネ地方 スコーネ(Skåne)は、スウェーデン南部イェータランドにあるスコーネ地方を指す場合と、スウェーデンの県の一つであるスコーネ県を指す場合がある。一般にスコーネと言う時にはスコーネ地方を指していることが多い。 中心都市はマルメで、スウェーデンではストックホルム、イェーテボリに次ぐ3番目に大きい都市である。他にヘルシンボリ、古都であるルンド、クリスティアンスタードなどの都市がある。.

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サガ

(saga 複数形: sögur)は、おもに中世アイスランドで成立した古ノルド語(古北欧語、古アイスランド語とも)による散文作品群の総称。同時代に書かれたエッダ詩がゲルマン民族の神話や英雄伝説を題材にしているのに対し、サガはノルウェーやアイスランドで起きた出来事を題材にしたものが多いことに特徴があり、約200点が現代に伝わっている。 転じて、フィクションにおいて、一家一門の物語を壮大に描く長編の叙事小説やファンタジー作品、叙事詩的映画などがサーガと呼ばれたり、そのようなタイトルを称することがある(『グイン・サーガ』、『ニュームーン/トワイライト・サーガ』、『ゼノサーガシリーズ』など。)。.

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サクソ・グラマティクス

・グラマティクス(Saxo Grammaticus,1150年 - 1220年)は、中世デンマークの歴史家であるが、その生涯については詳しくはわかっていない。 こんにち『デンマーク人の事績』(Gesta Danorum)の名で知られる全16巻のデンマーク史が彼によって編纂されたと考えられており、この著書の存在が彼を実在の人物とする主な根拠となっている。サクソは大司教アブサロンのもとで働いていたと目されており、彼を支持していた事が明らかになっているが、教会組織の中で占めた地位は不明である。一介の聖職者に過ぎなかったかもしれない。 アブサロンの遺した公文書の中で、サクソという名の聖職者が銀貨2枚半の負債を免除され、現在の西シェラン州ソーレー(Sorø)の修道院から借りていた2冊の書物を返却するように命じられている。これが後年見つかったデンマークの公の記録に残る、同年代に生きた10余人のサクソス(Saxos)あるいはサクソ(Saxo)のうちサクソ・グラマティクスに結びつくであろう唯一のものであるが、この人物がサクソ本人と証明する証拠は存在しない。 また『デンマーク人の事績』でサクソ自身が書くところによると、彼の祖父と父の両者が兵士としてデンマーク王ヴァルデマー1世に仕えていた。サクソも同様ながら、より宗教的な職務でヴァルデマー2世に仕えていたようである。 以上が数少ないサクソ・グラマティクスに関する具体的な記録である。 後年の研究によりシェラン島出身であると断定されているが、 『デンマーク人の事績』の中で洗練されたラテン語を用いていることや著書から古代ローマに関する知識の深さが伺われるため、彼が教育を受けたのはデンマークではなくフランスの大きな神学校ではないかとされている。 なおラテン語で「学者」を意味するグラマティクス(Grammaticus)はサクソの本名ではない。1342年頃に書かれた『ユトランド年代記』(Chronica Jutensis)の『サクソン族概説』(Compedium Saxonis)の中で、彼の優れた表現力を強調するために用いられた愛称である。それが1514年出版されたクリスチャン・ピーダセンの印刷版『デンマーク人の事績』でサクソの名前の一部として用いられるようになり、現在に至っている。 サクソの著書に登場する半ば伝説の英雄「アムレート」(Amleth) の物語は様々な劇作家によって翻案されている。最も著名な作品がウィリアム・シェイクスピアの「ハムレット」である。.

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総督

総督(そうとく)とは、以下のことを指す。.

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物語

物語(ものがたり)は、.

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谷口幸男

谷口 幸男(たにぐち ゆきお、1929年7月ReaD「谷口幸男」 - )は、日本の文学者、文学研究者、民俗学者、翻訳家。専門はドイツ文学および北欧文学。.

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東海大学出版部

東海大学出版部(とうかいだいがくしゅっぱんぶ)は、神奈川県平塚市にある学校法人東海大学の出版機関。.

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新潮社

株式会社新潮社(しんちょうしゃ)は、日本の出版社。.

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