27 関係: 大宝律令、天平宝字、天皇、天武天皇、奈良時代、安政の大獄、延暦、公式令 (律令法)、勅令、勅語、勅旨、勅旨省、皇帝、討幕の密勅、詔、詔勅、船王、舒明天皇、金印勅書、金石文、造宮省、歌会始、水戸徳川家、戊午の密勅、日本書紀、764年、782年。
大宝律令
大宝律令(たいほうりつりょう)は、701年(大宝1年)に制定された日本の律令である。「律」6巻・「令」11巻の全17巻。唐の律令を参考にしたと考えられている。大宝律令は、日本史上初めて律と令が揃って成立した本格的な律令である。.
天平宝字
天平宝字(てんぴょうほうじ、正字体:天平寶字)は、日本の元号の一つ。天平勝宝の後、天平神護の前。757年から765年までの期間を指す。この時代の天皇は孝謙天皇、淳仁天皇、称徳天皇(孝謙天皇重祚)。.
天皇
天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.
天武天皇
天皇系図38~50代 天武天皇(てんむてんのう、? - 朱鳥元年9月9日(686年10月1日))は、7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。.
奈良時代
奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.
安政の大獄
安政の大獄(あんせいのたいごく)は、安政5年(1858年)から安政6年(1859年)にかけて、江戸幕府が行なった弾圧である。当時は「飯泉喜内初筆一件」または「戊午の大獄(つちのえうまのたいごく、ぼごのたいごく)」とも呼ばれていた。 江戸幕府の大老井伊直弼や老中間部詮勝らは、勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し、また将軍継嗣を徳川家茂に決定した。安政の大獄とは、これらの諸策に反対する者たちを弾圧した事件である。弾圧されたのは尊皇攘夷や一橋派の大名・公卿・志士(活動家)らで、連座した者は100人以上にのぼった。。.
延暦
延暦(えんりゃく、正字体:延曆)は、日本の元号の一つ。昭和、明治、応永、平成に次いで、歴代で5番目に長い元号である。天応の後、大同の前。782年から806年までの期間を指す。この時代の天皇は桓武天皇。 1418年(応永25年)までの600年以上にわたって、最も長い日本の元号であった。その後1892年(明治25年)まで、日本で2番目に長い元号であった。1950年(昭和25年)までは3番目、2013年(平成25年)までは4番目に長い日本の元号であり、2014年(平成26年)以降は歴代で5番目に長い元号となっている。.
公式令 (律令法)
公式令(くしきりょう)は、令における編目の1つ。公文書・法令の様式及び施行規則を定める。日本の養老令では第21番目に位置して89条から構成されている。.
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勅令
勅令(ちょくれい).
勅語
勅語(ちょくご)とは、原則として天皇が口頭により発する公務上の意思表示であり、詔勅の一種である。主に明治時代から日本国憲法が施行される前に出され続けた。現在では「おことば」と呼ぶことが普通である。元々は中国で皇帝の意思表示を勅と呼んだことに由来する。 勅語を書面に写したものを勅語書という。勅語書に天皇の親署や国務大臣の副署はない。ただし、教育勅語は例外であり、書面により発し、天皇の親署がある(国務大臣の副署はない)。 大日本帝国憲法下の勅語には、帝国議会の開院式に発せられるのをはじめ、「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」など様々なものがある。.
勅旨
勅旨(ちょくし)とは、律令制における天皇の命令書である勅書の一種である公文書。大宝律令以後において天皇の私的命令あるいは特定個人に対する命令である勅について原則的にはこの形式で出されていた。 公式令によれば、まず天皇が勅の内容を侍従などに伝えてそれを中務省に伝達する。中務省ではこれに基づいて内記が草案を作成し、天皇に覆奏して内容を確認する。確認後、中務省の責任者3名(卿・大輔・少輔)が内記の記した官位姓の下に自署を行い正文を作成した後に、その写本を太政官に送付し、太政官の史が「奉勅旨如右、符到奉行」の文言を加えて署名し、弁官の署名がこれに続く。弁官は改めて写本を作成し、その内容の実施を命じる太政官符を添付、地方に対しては勅旨をそのまま太政官符化した騰勅符の形式で施行することになっていた(なお、公式令には緊急時などに太政官での手続きを省略して中務省符で出す略式の勅旨の規定も存在するが、現存の記録では実施が確認できていない)。 なお、公式令の規定に従えば、詔書と違って天皇が直接署名などの行為を行うことはないが、実際の運用においては、法的には勅旨で出される事項であった場合でも天皇が重要と認識した場合には、天皇が詔書と同様に日付などを加えた勅旨を特に発給されるケースもあった。.
勅旨省
勅旨省(ちょくししょう)は日本律令制で奈良時代後期に設置された令外官。天皇・上皇に近侍してその勅旨を奉じて円滑な実施を図るとともに、その家産経営を掌った。.
皇帝
皇帝(こうてい、中国語: 皇帝、imperator、emperor; king of kings、Kaiser、Βασιλευς、император、İmparator)は、帝国の世襲の君主。諸王に超越する王(諸王の王)、君主国の君主の称号。皇帝という君主号には唯一神の意や、模倣・僭称も存在する。.
討幕の密勅
討幕の密勅(とうばくのみっちょく)とは、江戸時代最末期の慶応3年10月14日(1867年11月9日)、薩摩藩と長州藩に秘密裡に下された、徳川慶喜討伐の詔書である。.
詔
詔(みことのり)は、天皇の命令、またその命令を直接に伝える文書。御言宣、大御言。首都を移す「東京奠都の詔」などがその例である。これを文書にしたものを詔書(しょうしょ)(英:Imperial Rescript)と言う。主に、広く一般に天皇の意思を伝えるために用いられた。言葉としては秦の始皇帝が初めて造った。おおみせ、おおみこと、とも言う。.
詔勅
詔勅(しょうちょく)とは、日本国憲法施行以前において、天皇が公務で行った意思表示をいう。広義には憲法や法律などの法規を含むが、狭義には詔書・勅書・勅語など特段の形式を定めていないものをいう。一般には狭義で用いられることが多い。.
船王
船王(ふねのおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。知太政官事・舎人親王の子。官位は二品・信部卿。.
舒明天皇
舒明天皇(じょめいてんのう、推古天皇元年(593年)? - 舒明天皇13年10月9日(641年11月17日))は、日本の第34代天皇(在位:舒明天皇元年1月4日(629年2月2日) - 舒明天皇13年10月9日(641年11月17日))。 諱は田村(たむら)。 和風諡号は息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)。.
金印勅書
1356年の金印勅書の金の印章 金印勅書(きんいんちょくしょ、ラテン語:bulla aurea)は、皇帝の命令が記され、黄金製の印章が付された公文書である。黄金文書(おうごんもんじょ)とも称する。中世からルネサンス期の中・西ヨーロッパや中世ビザンツ帝国において発布された。.
金石文
金石文(きんせきぶん)は、金属や石などに記された文字資料のこと。紙、布などに筆で書かれた文字に対し、刀剣、銅鏡、青銅器、仏像、石碑、墓碑などに刻出・鋳出・象嵌などの方法で表された文字を指す。土器や甲骨などの類に刻まれたものを含む場合もある。 ここでは主として記念性、永遠性を持った碑文、銘文などについて述べる。ここでは、碑文(ひぶん)は石碑に記した文、銘文(めいぶん)はそれ以外の金石に記した文と考えて用いる。.
造宮省
造宮省(ぞうぐうしょう)とは、宮城の造営・修理を掌る造宮卿(ぞううぐうきょう)を長とする令外官。大宝律令制定時(大宝元年(701年))に設置された造宮職(ぞうぐうしき)が、和銅元年(708年)に省に昇格したものである。.
歌会始
歌会始(うたかいはじめ)は、和歌(短歌)を披露しあう「歌会」で、その年の始めに行うものを指す。現在では、年頭に行われる宮中での「歌会始の儀」が特に有名。.
水戸徳川家
水戸徳川家(みととくがわけ)は、常陸国水戸にあった徳川氏の一支系で、徳川御三家のひとつ。単に水戸家ともいう。徳川家康の十一男である徳川頼房を家祖とする。.
戊午の密勅
戊午の密勅(ぼごのみっちょく)は、安政5年8月8日(1858年9月14日)に孝明天皇が水戸藩に勅書(勅諚)を下賜した事件である。「戊午」は下賜された安政5年の干支が戊午(つちのえ・うま)であったことに由来し、「密勅」は正式な手続(関白九条尚忠の裁可)を経ないままの下賜であったことによる。.
日本書紀
日本書紀(平安時代の写本) 『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体にて記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。.
764年
記載なし。
782年
記載なし。