目次
32 関係: ちくま学芸文庫、太平 (呉)、孫亮、小南一郎、丁奉、中国、三国志 (歴史書)、三国時代 (中国)、井波律子、今鷹真、建興 (呉)、張休、呉 (三国)、呉郡、全寄、全儀、全琮、全禕、全端、全静、全懌、芍陂の役、銭唐県、韋昭、鍾会、顧承、裴松之、魏 (三国)、赤烏、陳寿、揚州 (古代)、東興の戦い。
ちくま学芸文庫
ちくま学芸文庫(ちくまがくげいぶんこ)は、筑摩書房による学術部門の文庫判レーベルである。
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太平 (呉)
太平(たいへい)は、呉の廃帝会稽王孫亮の治世に行われた元号。256年 - 258年。
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孫亮
孫 亮(そん りょう)は、三国時代の呉の第2代皇帝。廃立後は会稽王・侯官侯。初代皇帝孫権(大帝)の子(七男)。第3代皇帝孫休の異母弟。母は皇后の潘淑。皇后は全尚の娘の全氏。少帝と呼ばれることがある。
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小南一郎
小南 一郎(こみなみ いちろう、1942年3月13日 - )は、日本の中国文学者。専門は中国史。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・2001年)(学位論文「楚辞とその注釈者たち」)。京都大学名誉教授。泉屋博古館名誉館長。
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丁奉
丁 奉(てい ほう)は、中国三国時代の武将。揚州廬江郡安豊県の人。字は承淵。弟は丁封。子は丁温。『三国志』呉志に伝がある。
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中国
中国(ちゅうごく、中國)は、ユーラシア大陸(アジア大陸)の東部を占める地域、及びそこで成立した国家をさす用語。日本では、1972年の日中国交正常化以降、中華人民共和国の略称としても使用されている。 中国統一問題を参照)。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。
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三国志 (歴史書)
『三国志』(さんごくし)は、中国三国時代について書かれた歴史書。著者は陳寿。後漢の混乱期から西晋による中国統一までを扱う。二十四史の一つ。
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三国時代 (中国)
三国の勢力圏とその地方行政区分の変遷 三国時代(さんごくじだい)は、中国の時代区分の一つ。広義では黄巾の乱の勃発(184年)から西晋による中国再統一(280年)までを指し、狭義では後漢滅亡(220年)あるいは三国が分立した229年から蜀漢が滅亡した263年までを指す。当項目では広義の三国時代について記載する。(後漢末) 215年に曹操(華北地域)、劉備(巴蜀・荊州地域)、孫権(江南地域)によって後の三国のそれぞれの勢力範囲が概ね確立した。220年に曹操の子の曹丕が漢の献帝から禅譲を受けて'''魏'''を建国し、221年に劉備が漢(蜀漢)、229年に孫権が'''呉'''の皇帝としてそれぞれ即位し、三国が正式に鼎立した。
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井波律子
井波 律子(いなみ りつこ、1944年2月11日 - 2020年5月13日)は、日本の中国文学者。『三国志』、『三国志演義』の著述・翻訳などで知られる。国際日本文化研究センター名誉教授。
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今鷹真
今鷹 真(今鷹 眞、いまたか まこと、1934年2月28日 - )は、日本の中国文学者。名古屋大学名誉教授。
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建興 (呉)
建興(けんこう)は、呉の廃帝会稽王孫亮の治世に行われた元号。252年 - 253年。
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張休
張 休(ちょう きゅう)は、中国三国時代の呉の人物。字は叔嗣。徐州彭城国の人。父は張昭。兄は張承。
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呉 (三国)
呉(ご、、222年 - 280年)は、中国の三国時代に孫権が長江以南の揚州・荊州・交州に建てた王朝。姓は孫(そん)氏で、首都は建業(現在の南京付近)。孫呉(そんご)、東呉(とうご)とも呼ばれる。 222年というのは、それまで魏に対して称臣していた孫権が黄武と言う新しい元号を使い始め、魏からの独立を宣言した年である。正式には呉の建国としては孫権が皇帝に即位した229年を採る場合もある。しかし孫権が勢力を張ったのは父の孫堅・兄の孫策が築いたものを受け継いでのことであり、この項では孫堅の代から説明する。
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呉郡
呉郡(ご-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。後漢から唐代にかけて、現在の江蘇省と浙江省にまたがる地域に設置された。
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全寄
全 寄(ぜん き、? - 250年)は、中国三国時代の呉にかけての政治家。全奇ともいう。揚州呉郡銭唐県の人。父は全琮。兄は全緒。弟は全懌・全呉。甥は全禕・全静・全儀。従兄は全端。
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全儀
全 儀(ぜん ぎ、生没年不詳)は、中国三国時代の呉にかけての政治家・武将。揚州呉郡銭唐県の人。祖父は全琮。父は全緒。兄は全禕・全静。叔父は全奇・全懌・全呉。従父は全端・全翩・全緝・全尚。従兄弟は全紀・全皇后。一族に全煕。
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全琮
全 琮(ぜん そう、198年? - 249年?)は、中国後漢時代末期から、三国時代の呉にかけての武将・政治家。字は子璜。揚州呉郡銭唐県の人。父は全柔。妻は孫権の娘の孫魯班(全公主)。子は全緒・全奇・全懌・全呉。孫は全禕・全静・全儀。従子は全端・全翩・全緝。族子は全尚。族孫は全紀・全皇后。一族に全煕。『三国志』呉志に伝がある。
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全禕
全 禕(ぜん い、生没年不詳)は、中国三国時代の呉にかけての政治家・武将。別名は全輝。揚州呉郡銭唐県の人。祖父は全琮。父は全緒。弟は全静・全儀。叔父は全奇・全懌・全呉。従父は全端・全翩・全緝・全尚。従兄弟は全紀・全皇后。一族に全煕。
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全端
全 端(ぜん たん、生没年不詳)は、中国三国時代の武将。呉に仕えた。揚州呉郡銭唐県の人。父の名は不詳。叔父は全琮。従兄弟は全緒・全奇・全懌・全呉。従子は全禕・全静・全儀。
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全静
全 静(ぜん せい、生没年不詳)は、中国三国時代の呉にかけての政治家・武将。揚州呉郡銭唐県の人。祖父は全琮。父は全緒。兄は全禕。弟は全儀。
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全懌
全 懌(ぜん えき、生没年不詳)は、中国三国時代の武将。呉から魏へと降伏した。揚州呉郡銭唐県の人。父は呉の名将として活躍した全琮。母は孫魯班。兄弟は全緒・全奇・全呉。
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芍陂の役
芍陂の役(しゃくひのえき)は、中国三国時代の241年(魏の正始2年、呉の赤烏4年)に、魏と呉の間で行われた戦い。呉帝孫権は、四路から魏を攻めたが、芍陂が主要な戦場であったことから芍陂の役と呼ばれている。実態としては揚州方面と荊州方面の二正面攻撃であり、戦場は広範囲に渡った。
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銭唐県
銭唐県(せんとう-けん)は中華人民共和国浙江省杭州市にかつて存在した県。後に設置された銭塘県とは別の行政区画である。
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韋昭
韋 昭(い しょう)は、中国三国時代の呉の政治家・儒学者・歴史家。字は弘嗣。揚州呉郡雲陽県の人。子は韋隆。 『三国志』呉志 では韋曜と記載されている。これについて、裴松之は注の中で、晋の司馬昭と諱が同じであることを避けるための(避諱)とするが、清の銭大昕は、『三国志』では「昭」の名を持つ人物が多数見られ、「薛綜伝」の中には、韋曜と連名で周昭なる人物が挙げられている箇所があることから、元々「韋曜」という名も持っていたのであろうと推測する。
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鍾会
鍾 会(しょう かい)は、中国三国時代の魏の武将・政治家・学者。字は士季。豫州潁川郡長社県(現在の河南省許昌市長葛市)の人。父は鍾繇。母は張昌蒲。異母兄は鍾毓。 司馬昭の右腕として活躍し、遂には蜀漢平定に貢献する大功を立てるが、彼の地で反乱を企てた後、敗死した。
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顧承
顧 承(こ しょう、生没年不詳)は、三国時代の呉の武将。字は子直。顧邵の子。生母は陸氏(陸遜・陸瑁の姉妹)。兄に顧譚がいる。妻は張温の妹。
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裴松之
裴 松之(はい しょうし、372年 - 451年)は、中国の東晋末・南朝宋初の政治家・歴史家。字は世期。本貫は河東郡聞喜県(現在の山西省運城市聞喜県)。祖父は裴昧。父は裴珪。陳寿の『三国志』の「注」を付した人物として知られる。自身の伝は『宋書』・『南史』二史にある。また、魏に仕えた裴潜の弟の裴徽の六世の孫にあたるという。子の裴駰は『史記集解』の撰者である。曾孫(裴駰の孫)には裴子野がいる。
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魏 (三国)
魏の系図 魏(ぎ、、220年 - 265年)は、中国の三国時代に華北を支配した王朝。首都は洛陽。曹氏の王朝であることから曹魏(そうぎ)、あるいは北魏に対して前魏(ぜんぎ)とも(この場合は北魏を後魏と呼ぶ)いう。 45年間しか続かなかった王朝だが、成立の基礎を作った曹操の時期の政権である「曹操政権」と合わせて論じられることも多い。魏・蜀・呉の戦国史を描いた三国志(『三国志』・『三国志演義』など)などで後世に伝わり、日本で魏は卑弥呼を記述した「魏志倭人伝」で知られる。また、昭和に吉川英治が著した『三国志』を始め、この時代を描いた小説は今なお日本で人気があり、そのため知名度も高い王朝である。
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赤烏
赤烏(せきう)は、呉の大帝孫権の治世に行われた元号。238年 - 251年。 及び中国の伝説に登場する「太陽の中にいる三本足の烏」と言う意味で、日本では八咫烏に相当する。日本書紀にも登場し、持統6年の秋7月に「與獲赤烏者鹿嶋臣櫲樟」と、捕らえたことが記されている。 日本では、兵庫県宝塚市の安倉高塚古墳や山梨県市川三郷町の鳥居原狐塚古墳から赤烏の元号を持つ神獣鏡が発見されている。
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陳寿
陳 寿(ちん じゅ、建興11年〈233年〉? - 元康7年〈297年〉?)は、中国の三国時代の蜀漢と西晋に仕えた官僚。字は承祚(しょうそ)。『三国志』の著者として知られる。甥は陳符・陳蒞・陳階。
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揚州 (古代)
揚州(ようしゅう)は、中国の歴史的な州の一つ。
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東興の戦い
東興の戦い(とうこうのたたかい)は、中国三国時代の252年(呉の建興元年、魏の嘉平4年)に、呉と魏の間で起きた戦い。魏の大将軍司馬師は、呉帝孫権の死に乗じて諸葛誕・胡遵らに東興(現在の安徽省馬鞍山市含山県南西)を攻めさせたが、呉の大将軍諸葛恪の前に大敗を喫した。東関の役とも呼ばれる。
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