96 関係: 千利休 本覺坊遺文、千石纏、南條範夫、吉川英治、吉村公三郎、夏川静江、大岡昇平、大阪テレビ放送、大阪物語 (1957年の映画)、大阪芸術大学、天平の甍、天野忠、女優須磨子の恋、女系家族、婦系図、子母澤寛、家城巳代治、山崎豊子、山代巴、山前実治、山椒大夫、山本薩夫、川口松太郎、上田秋成、三隅研次、三遊亭圓朝、京都市、京都市立第二商業学校、京都府、井原西鶴、井上靖、今井正、今東光、マキノ雅弘、ヨーダ、ワイドショー、トーキー、アルベルト・アインシュタイン、ジョージ・ルーカス、スチュアート・フリーボーン、スター・ウォーズシリーズ、サイレント映画、内田吐夢、社会思想社、祇園の姉妹、祇園囃子 (1953年の映画)、真山青果、父子鷹、田宮虎彦、田中徳三、...、熊井啓、異母兄弟、瀧の白糸、荷車の歌、菊池寛、西口克己、西鶴一代女、駸々堂、谷崎潤一郎、近松物語、近松門左衛門、舟橋聖一、鈴木尚之、脚本家、雨月物語、雪夫人絵図、柴田錬三郎、松田定次、村田実、村松梢風、森一生、森鴎外、武蔵野夫人、残菊物語、毎日映画コンクール、永田雅一、池広一夫、河出書房新社、泉鏡花、溝口健二、映画秘宝、新・平家物語 (映画)、日活、日活撮影所、日本人、悪名、扶桑社、11月14日、1909年、1930年、1931年、1936年、1957年、1989年、1991年、4月14日。 インデックスを展開 (46 もっと) »
千利休 本覺坊遺文
『千利休 本覺坊遺文』(せんのりきゅう ほんがくぼういぶん)は、1989年10月7日に公開された日本映画。井上靖の小説『本覺坊遺文』の映画化作品。監督は熊井啓、主演は奥田瑛二。製作は西友、配給は東宝。第46回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞している。また本作は、萬屋錦之介が最後に出演した映画作品であり、錦之介と三船敏郎の最後の共演作でもある。.
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千石纏
『千石纏』(せんごくまとい)は、1950年(昭和25年)に子母沢寛が発表した新聞小説であり、同作を原作として同年にマキノ雅弘が監督し、東横映画が製作、東京映画配給が配給して公開した日本の長篇劇映画である''千石纏''、日本映画情報システム、文化庁、2012年7月19日閲覧。''千石纏''、日本映画製作者連盟、2012年7月19日閲覧。''千石纏''、日本映画データベース、2012年7月19日閲覧。''千石纏''、キネマ旬報映画データベース、2012年7月19日閲覧。。.
南條範夫
南條 範夫(なんじょう のりお、1908年11月14日 - 2004年10月30日)は、日本の小説家、経済学者。本名、古賀英正。「條」は旧字のため南条範夫とも表記される。残酷ものと呼ばれる独特の作品や剣豪小説をはじめ、幅広い歴史小説、時代小説で知られる。東京市出身。.
吉川英治
吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年(明治25年)8月11日 - 1962年(昭和37年)9月7日)は、日本の小説家。本名、英次(ひでつぐ)。神奈川県生まれ。 様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年(昭和10年)より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。幅広い読者層を獲得し、「国民文学作家」といわれる。.
吉村公三郎
吉村 公三郎(よしむら こうざぶろう、1911年9月9日 - 2000年11月7日)は、昭和期の映画監督である。兄はフランス文学者の吉村正一郎。4人の子供を儲け、長男は元NHK解説委員の吉村秀實。映画監督の西村昭五郎は、いとこ。.
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夏川静江
夏川 静江(なつかわ しずえ、1909年3月9日 - 1999年1月24日)は、日本の女優。出生名は斎藤 静江(さいとう しずえ)だが、母の結婚により佐々木 静江(ささき しずえ)となり、結婚後は結婚後本名は飯田 静江(いいだ しずえ)となった。別名は夏川 静枝(読み同じ)。.
大岡昇平
大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年(明治42年)3月6日 - 1988年(昭和63年)12月25日)は、日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。.
大阪テレビ放送
大阪テレビ放送株式会社(おおさかテレビほうそう 略称 OTV)は、かつて存在した日本のテレビジョン放送局である(放送法上は一般放送事業者、現:民間特定地上基幹放送事業者)。 1956年(昭和31年)に西日本で最初に開局した民間のテレビ局であったが、1959年(昭和34年)6月に当時ラジオ単営局であった朝日放送(ABC)と合併、ラテ兼営局となった同局のテレビジョン放送部門となる。.
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大阪物語 (1957年の映画)
『大阪物語』(おおさかものがたり)は、1957年に劇場公開された日本映画。吉村公三郎監督作品。原作は井原西鶴、溝口健二。 当初は溝口健二監督作品として企画され、二代目中村鴈治郎、三益愛子主演でクランクインした人情悲喜劇。溝口が三益に「ちょっと病院に行ってくる」と告げて病院に行くと白血病だとわかり、急遽入院し、そのまま急死した。吉村公三郎が引継ぎ、三益の代わりに浪花千栄子が起用された。主演は鴈治郎だが、クレジットでは売り出し中の市川雷蔵の名がトップとなっている。.
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大阪芸術大学
日本で唯一の全米美術大学協会(AICAD)の海外加盟大学であり、西日本における総合芸術大学としては最大規模の大学である。.
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天平の甍
『天平の甍』(てんぴょうのいらか)は、井上靖の歴史小説。初刊は中央公論社で1957年12月に刊行(現・新潮文庫、改版2005年)。作者は訪中後に加筆している。芸術選奨受賞作。 遣唐使(第9次)で大陸に渡った留学僧たち。高僧を招くという使命を受け、後に鑒眞と会う普照と栄叡を軸とした若い留学僧たちの運命を描く。.
天野忠
天野 忠(あまの ただし、1909年6月18日 - 1993年10月28日)は、日本の詩人。 京都府京都市出身。京都第一商業学校卒。職を転々としつつ詩を書き、1935年5月に山前実治、北川桃雄、田中忠雄らと同人誌「リアル」を創刊。1937年8月に「リアル」同人の一部が治安維持法違反で検挙され、その後は逼塞。戦後は出版社勤務、古書店経営等を経て、奈良女子大学付属図書館に職を得る。コルボウ詩話会、近江詩人会等を拠点に活動、1954年の「重たい手」で注目される。1974年の『天野忠詩集』で無限賞、1982年には『私有地』で読売文学賞、1986年には『続天野忠詩集』で毎日出版文化賞を受賞した。1993年10月28日、京都の自宅において多臓器不全のため死去。84歳没。戒名は忠恕大心居士。.
女優須磨子の恋
『女優須磨子の恋』(じょゆうすまこのこい)は、1947年の日本映画。本編冒頭では『女優須磨子の戀』と表記されているが、エンドクレジットでは『女優須磨子の恋』となっており、同一作品内で表記が異なっている。 女優・松井須磨子と作家・島村抱月の不倫の恋を描いた長田秀雄の戯曲を、溝口健二監督、田中絹代主演で映画化した作品。.
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女系家族
『女系家族』(にょけいかぞく)は、山崎豊子の小説。『週刊文春』に連載され、1963年、単行本が文藝春秋新社から全2巻で刊行された。1966年に全1冊の新潮文庫版が刊行された(のち、2002年に上下2分冊で再刊された)。女系が続く老舗問屋の養子婿が死んだことで巻き起こる娘たちの遺産相続争いを描いた作品。 日本テレビ系列でテレビドラマ化された唯一の山崎豊子作品であり(詳細は後述を参照)、現在までに映画化および再三に亘るテレビドラマ化がなされている。.
婦系図
『婦系図』(おんなけいず)は泉鏡花(いずみきょうか)の小説、これを原作とする演劇・映画。.
子母澤寛
子母澤 寛 (しもざわ かん、1892年2月1日 - 1968年7月19日)は日本の小説家。北海道厚田郡厚田村(現・石狩市)出身。本名・梅谷 松太郎。洋画家の三岸好太郎は異父弟にあたる。.
家城巳代治
家城 巳代治(いえき みよじ、1911年9月10日 – 1976年2月22日)は、日本の映画監督、脚本家。東京都出身。 東京府立三中、弘前高等学校を経て、東京帝国大学文学部を卒業後、1940年に松竹大船へ入社する。『激流』(1944年)以降、『雲ながるる果てに』『ともしび』などの名作映画を残した。1950年に松竹を退社。その後独立プロダクションを支え、社会派の映画監督として活躍する一方、草創期のテレビドラマで演出家としても活躍した。 癌のため早世。妻の家城久子(いえき・ひさこ名義もある)は、女優、脚本家、作家。.
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山崎豊子
山崎 豊子(やまさき とよこ、1924年(大正13年)1月2日 - 2013年(平成25年)9月29日)は、日本の小説家。本名、杉本 豊子(すぎもと とよこ)。.
山代巴
山代 巴(やましろ ともえ、旧姓:徳毛、1912年6月8日 - 2004年11月7日)は、日本の作家である。広島県芦品郡栗生村(今の府中市栗柄町)に生まれる。1929年(昭和4年)、東京女子美術専門学校(今の女子美術大学)に入学する。1932年、日本共産党に入党する。1937年に山代吉宗と結婚した。1945年から尾道市立図書館長中井正一が広島県下で主宰した文化運動での市民講座を受講し、中井の知遇を得、影響を受ける。なお、山代の『千代の青春』は中井正一の母親をモデルにしている。 代表作の『荷車の歌』は、1959年に、山本薩夫監督、三國連太郎主演で映画化もされた。.
山前実治
山前 實治(やまさき さねはる、1908年 - 1978年)は詩人、実業家。岐阜の生まれ京都育ち。歌手倉木麻衣は孫。映像監督山前五十洋は長男。女優の滝沢れい子は五十洋の義妹。.
山椒大夫
山椒大夫」(さんしょうだゆう)は、説話「さんせう太夫」をもとにした森鴎外による小説で、鴎外の代表作の一つである。.
山本薩夫
山本 薩夫(やまもと さつお、1910年7月15日 - 1983年8月11日)は、日本の映画監督である。鹿児島県出身。早稲田大学文学部独文科中退。甥たち(兄山本勝巳の子)が、俳優の山本學、山本圭、山本亘で、自身の作品への配役も多い。息子の山本駿、山本洋も映画監督。.
川口松太郎
川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 - 1985年(昭和60年)6月9日)は日本の小説家、劇作家、日本芸術院会員、戦後の大映映画の専務。本名松田松一とする資料もある。松田昌一の名で映画脚本も手がける。 東京市浅草区浅草今戸町(現在の東京都台東区今戸)出身。学歴は石浜小学校卒業。後妻は女優の三益愛子。三益との子は俳優の川口浩(長男)、川口恒(次男)、川口厚(三男)。、元女優で陶芸家の川口晶(国重晶)(長女)。.
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上田秋成
上田 秋成(うえだ あきなり、享保19年6月25日(1734年7月25日) - 文化6年6月27日(1809年8月8日))は、江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人。怪異小説『雨月物語』の作者として特に知られる。.
三隅研次
三隅 研次(みすみ けんじ、1921年3月2日 - 1975年9月24日)は、映画監督。代表作は、勝新太郎を主演に起用した「座頭市」シリーズや、市川雷蔵主演の「剣」三部作、「眠狂四郎」シリーズ、若山富三郎を主役に据えた映画版『子連れ狼』シリーズなど。.
三遊亭圓朝
初代三遊亭 圓朝(さんゆうてい えんちょう/天保10年4月1日(1839年5月13日) - 明治33年(1900年)8月11日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍した落語家。本名は出淵 次郎吉(いずぶち じろきち)。江戸・東京の落語・三遊派の大名跡。円朝とも表記。三遊派の総帥、宗家。三遊派のみならず落語中興の祖として有名。敬意を込めて「大圓朝」という人もいる。二葉亭四迷が『浮雲』を書く際に圓朝の落語口演筆記を参考にしたとされ、明治の言文一致運動にも大きな影響を及ぼした、現代の日本語の祖でもある。.
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京都市
京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.
京都市立第二商業学校
京都市立第二商業学校(きょうとしりつだいにしょうぎょうがっこう)は、京都府京都市に1910年から1948年まで存在した旧制商業学校。略称は「京都二商」、「京二商」。.
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京都府
京都府(きょうとふ)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。延暦13年(794年)の平安京遷都以来、天皇の御所がある。令制国でいう山城国の全域、丹波国の東部および丹後国の全域を府域とする。府庁所在地は京都市。.
井原西鶴
井原 西鶴(いはら さいかく、寛永19年(1642年)? - 元禄6年8月10日(1693年9月9日))は、江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。別号は鶴永、二万翁、西鵬。 『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られる。談林派を代表する俳諧師でもあった。.
井上靖
井上 靖(いのうえ やすし、1907年(明治40年)5月6日 - 1991年(平成3年)1月29日)は、日本の小説家。文化功労者、文化勲章受章。.
今井正
今井 正(いまい ただし、1912年1月8日 - 1991年11月22日)は、日本の映画監督。 戦後日本映画の左翼ヒューマニズムを代表する名匠である。東京帝国大学中退後、東宝の前身J.O.スタヂオに入り、入社2年で監督に昇進。戦後は独立プロ運動の中心人物として数多くの社会派映画を手がけた。『純愛物語』でベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)、『武士道残酷物語』で同映画祭グランプリを受賞、キネマ旬報ベスト・テンでは5本の監督作がベスト・ワンに選出されるなど、賞歴も多く作品の評価は高い。日本映画復興会議初代議長でもある。主な監督作に『青い山脈』『また逢う日まで』『真昼の暗黒』『キクとイサム』など。.
今東光
今 東光(こん とうこう、1898年(明治31年)3月26日 - 1977年(昭和52年)9月19日)は、横浜生まれの天台宗僧侶(法名 春聽仏門に入った後は今春聽が戸籍名、今東光が筆名となった。自筆年譜には「午前5時、日輪と共に生る。依て父母之に命名して東光」とある。)、小説家、参議院議員。大正時代後期、新感覚派作家として出発し、出家後、長く文壇を離れるが、作家として復帰後は、住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など 奥州を題材にした作品で知られる。 作家・評論家で、初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)は三弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。国家主義者の伊東六十次郎は従弟。外交官の珍田捨巳は父方の遠縁にあたる。.
マキノ雅弘
マキノ 雅弘(マキノ まさひろ、1908年2月29日 - 1993年10月29日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、録音技師、俳優、実業家である。本名は牧野 正唯(まきの まさちか)である。 父は「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三。父の死後マキノ・プロダクション撮影部長、松竹太秦撮影所長などを歴任、生涯に261本もの劇場映画を監督・製作し、日本映画の黄金時代を築いた。沖縄アクターズスクール開設者のマキノ正幸は実子。 甥の津川雅彦が映画監督を務めた際、マキノ雅彦の名義を用いた。.
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ヨーダ
ヨーダ(Yoda)は、アメリカ合衆国のSF映画『スター・ウォーズ』シリーズに登場する架空の人物(クリーチャー)である。性別は男性。.
ワイドショー
ワイドショー(wide show、和製英語)とは、テレビ番組の一種。ニュースや芸能情報など幅広く(wide)情報を紹介する番組である。.
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トーキー
ーモンの発声映画を宣伝するポスター(1902年) トーキー (talkie) は、映像と音声が同期した映画のこと。talkie という語は talking picture から出たもので、moving picture を movie と呼んだのにならったものである。サイレント映画(無声映画)の対義語として「トーキー映画」と呼ばれることもあるが冗語である。無声映画の対義語としては「発声映画」と呼ばれる。音声が同期した映画が一般的な現在では、あえて「トーキー」と呼ぶことはない。発声映画が最初に上映されたのは1900年のパリでのことだったが、商業的に成り立つにはさらに10年以上を要した。当初は映画フィルムとは別にレコード盤に録音したものを使っていたため同期が難しく、しかも録音や再生の音質も不十分だった。サウンドカメラの発明によって同期が簡単になり、1923年4月にニューヨークで世界で初めてその技術を使った短編映画が一般上映された。 発声映画の商業化への第1歩はアメリカ合衆国で1920年代後半に始まった。トーキーという名称はこのころに生まれた。当初は短編映画ばかりで、長編映画には音楽や効果音だけをつけていた(しゃべらないので「トーキー」ではない)。長編映画としての世界初のトーキーは、1927年10月公開のアメリカ映画『ジャズ・シンガー』(ワーナー・ブラザース製作・配給)であり、ヴァイタフォン方式だった。これは、前述のレコード盤に録音したものを使う方式で、その後はサウンド・オン・フィルム方式(サウンドトラック方式)がトーキーの主流となった。翌1928年に、サウンドトラック方式を採用したウォルト・ディズニー・プロダクション製作の『蒸気船ウィリー』が公開される。『蒸気船ウィリー』は短編ながら、初のクリックトラックを採用した映画である。しかし、世界初のトーキーアニメーション映画に関しては、1926年に、フライシャー・スタジオの『なつかしいケンタッキーの我が家』がすでに公開されている。 1930年代に入るとトーキーは世界的に大人気となった。アメリカ合衆国ではハリウッドが映画文化と映画産業の一大中心地となることにトーキーが一役買った(アメリカ合衆国の映画参照)。ヨーロッパや他の地域では無声映画の芸術性がトーキーになると失われると考える映画製作者や評論家が多く、当初はかなり懐疑的だった。日本映画では1931年(昭和6年)の『マダムと女房』(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が初の本格的なトーキー作品である。しかし、活動弁士が無声映画に語りを添える上映形態が主流だったため、トーキーが根付くにはかなり時間がかかった。インドの映画はトーキーの到来によって急速に成長し、1960年代以降はアメリカを抜き、世界一の映画製作数を誇るようになった。.
アルベルト・アインシュタイン
アルベルト・アインシュタイン日本語における表記には、他に「アルト・アインシュタイン」(現代ドイツ語の発音由来)、「アルト・アインタイン」(英語の発音由来)がある。(Albert Einstein アルベルト・アインシュタイン、アルバート・アインシュタイン アルバ(ー)ト・アインスタイン、アルバ(ー)タインスタイン、1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、ドイツ生まれの理論物理学者である。 特殊相対性理論および一般相対性理論、相対性宇宙論、ブラウン運動の起源を説明する揺動散逸定理、光量子仮説による光の粒子と波動の二重性、アインシュタインの固体比熱理論、零点エネルギー、半古典型のシュレディンガー方程式、ボーズ=アインシュタイン凝縮などを提唱した業績などにより、世界的に知られている偉人である。 「20世紀最高の物理学者」や「現代物理学の父」等と評され、それまでの物理学の認識を根本から変えるという偉業を成し遂げた。(光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって)1921年のノーベル物理学賞を受賞。.
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ジョージ・ルーカス
ョージ・ウォルトン・ルーカス・ジュニア(George Walton Lucas, Jr.、1944年5月14日 - )は、アメリカの映画監督、映画プロデューサー、脚本家。 『スター・ウォーズ』シリーズや『インディ・ジョーンズ』シリーズなどの世界的大ヒットシリーズの製作で、非常によく知られている。スティーヴン・スピルバーグ、ジェームズ・キャメロンと並んで、最も商業的に成功した映画作家の一人でもある。.
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スチュアート・フリーボーン
チュアート・フリーボーン(Stuart Freeborn, 1914年9月5日 - 2013年2月5日)は、イギリスのメイクアップアーティストである。「現代メイクアップ・デザインの祖父」と言われ、『スター・ウォーズ』旧三部作のヨーダのデザインで知られる。.
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スター・ウォーズシリーズ
『スター・ウォーズ(Star Wars)』シリーズは、ジョージ・ルーカスの構想を基にルーカスフィルムが製作するアメリカ合衆国のスペースオペラである。 「遠い昔、遥か彼方の銀河系」を舞台に、映画、アニメーション、小説、コミック、ゲームなど複数の媒体で展開される。世界で最も興行的成功を収めた映画シリーズの一つであり、『マーベル・シネマティック・ユニバース』に次ぐ世界歴代2位の興行収入を記録している。 実写映画本編は、エピソード4・5・6→1・2・3→7・8・9と不規則な時系列順で公開されていることが大きな特徴である。その他、外伝的なスピンオフ作品が多数発表されている。.
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サイレント映画
イレント映画(サイレントえいが、silent film)は、音声・音響、特に俳優の語るセリフが入っていない映画のことである、デジタル大辞泉、小学館、コトバンク、2010年2月4日閲覧。。.
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内田吐夢
内田 吐夢(うちだ とむ、本名 常次郎、1898年4月26日 - 1970年8月7日)は日本の映画監督。.
社会思想社
株式会社社会思想社(しゃかいしそうしゃ)はかつて東京都文京区本郷に存在していた出版社である。1947年事業開始。1951年に創刊した文庫の叢書である現代教養文庫を柱に人文社会系の全集や翻訳も数多く擁していたが、1990年代から経営不振に陥り、2002年6月25日に事業を停止した。.
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祇園の姉妹
『祇園の姉妹』(ぎおんのきょうだい)は、昭和11年(1936年)に公開された、溝口健二監督の日本映画作品である。白黒、トーキー。.
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祇園囃子 (1953年の映画)
『祇園囃子』(ぎおんばやし)は、1953年に公開された溝口健二監督の日本映画作品。川口松太郎の小説が原作である。.
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真山青果
真山 青果(まやま せいか、旧字体:眞山 靑果、1878年(明治11年)9月1日 - 1948年(昭和23年)3月25日)は、日本の劇作家・小説家。本名は、真山 彬(まやま あきら)。 宮城県仙台市裏五番町三番地に生まれる。父・寛は旧伊達藩士の士族で小学校の校長だった。第二高等学校医学部中退。 仙台市に近い農村を舞台とした農民文学の『南小泉村』(「新潮」1912年5月号)で注目された。 佐藤紅緑、小栗風葉に師事。正宗白鳥と共に新進の自然主義作家として登場したが、極端な癇癖と原稿の二重売り事件で1911年に文壇からは一時遠のく。1919年、新派の座付作家として復活。『元禄忠臣蔵』は新歌舞伎の名作といわれる。ほかに『平将門』など多数がある。『随筆滝沢馬琴』は、初めて滝沢馬琴の全体像を捉えた評論である。井原西鶴の研究もある。 1942年帝国芸術院会員。心臓麻痺により疎開先の静岡県沼津市で急死、69歳だった。戒名は青果院殿機外文棟大居士。 演出家・劇作家で劇団新制作座を主宰する長女の真山美保は、歌舞伎関係者を対象に1982年から2001年まで真山青果賞を設けた。.
父子鷹
『父子鷹』(おやこだか)は、子母澤寛の小説。1955年5月から1956年8月まで『読売新聞』夕刊に連載された。勝海舟(麟太郎)の父で型破りな無頼漢として知られた勝小吉を中心として、江戸時代後期の旗本や市井の人々の生活を描く。この小説の中で小吉は、酒・女は苦手で博打もやらないが、庶民に人気があり、喧嘩剣法が強く、正義感が強く貧しい「江戸っ子が惚れぼれするお侍」として描かれている。.
田宮虎彦
宮 虎彦(たみや とらひこ、1911年8月5日 - 1988年4月9日)は、昭和期の小説家。.
田中徳三
中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 2007年12月20日)は、日本の映画監督である。関西学院大学文学部卒業。大阪市東区(現・中央区)船場出身。.
熊井啓
井 啓(くまい けい、1930年6月1日 - 2007年5月23日)は、日本の映画監督。長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。田町小学校、県立松本中学校(現長野県松本深志高等学校)、松本高等学校 (旧制)、信州大学文理学部卒業。妻はエッセイストでポプリ研究家の熊井明子。多くの監督作が『キネマ旬報』ベスト・テンに選出され、ベルリン国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭の各賞を受賞した。日本を代表する社会派映画の巨匠である。.
異母兄弟
母兄弟(いぼきょうだい).
瀧の白糸
『瀧の白糸』(たきのしらいと)は、泉鏡花の小説「義血侠血」を原作とする新派劇および映画、テレビドラマ、オペラである。1956年までに映画では6作品が製作された。.
荷車の歌
『荷車の歌』(にぐるまのうた)は、1959年に全国農村映画協会が製作した山本薩夫監督の日本映画である。.
菊池寛
菊池 寛(きくち かん、1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日)は、小説家、劇作家、ジャーナリスト。文藝春秋社(2017年現在は株式会社文藝春秋)を創設した実業家でもある。本名は菊池 寛(きくち ひろし)。.
西口克己
西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 1986年3月15日)は、日本の小説家、政治家。.
西鶴一代女
『西鶴一代女』(さいかくいちだいおんな)は、1952年(昭和27年)4月17日公開の日本映画である。児井プロダクション・新東宝製作、東宝配給。監督は溝口健二、主演は田中絹代。モノクロ、スタンダード、148分。 原作は井原西鶴の浮世草子『好色一代女』で、依田義賢が脚色した。封建制度下の江戸時代を舞台に、男に弄ばれ悲劇的流転の人生を歩んだ女性・お春の一生を描き、溝口が得意とするワンシーン・ワンカットの長回しや流麗なカメラワークが随所で効果をあげた。海外では特に作品を高く評価しており、後のフランスヌーヴェルヴァーグの映画作家にも大きな影響を与え、ヨーロッパ映画界では長回しの流行を生じさせることとなった。ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞している。 当時、溝口と主演の田中はそれぞれスランプにあっていたが、溝口は『羅生門』(黒澤明監督)のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞に刺激を受けて、本作を並々ならぬ熱意を込めて作った結果、作品は海外で賞を受賞し、田中も一世一代の名演を披露。この作品で両者はスランプを脱することに成功した。.
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駸々堂
々堂(しんしんどう)とは、かつて存在した書店及び出版社。京都市で創業したが、末期には大阪市に本社を移していた。.
谷崎潤一郎
谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。 初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎(おおたにざき)」と称された。その一方、今日のミステリー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、口伝・説話調の幻想譚、果てはグロテスクなブラックユーモアなど、娯楽的なジャンルにおいても多く佳作を残している。.
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近松物語
『近松物語』(ちかまつものがたり)は、1954年(昭和29年)の日本映画。溝口健二監督作品。.
近松門左衛門
近松 門左衛門(ちかまつ もんざえもん、承応2年〈1653年〉 - 享保9年11月22日〈1725年1月6日〉)とは、江戸時代の浄瑠璃及び歌舞伎の作者。本名は杉森 信盛(すぎもり のぶもり)。平安堂、巣林子(そうりんし)、不移山人(ふいさんじん)と号す。 家紋は「丸に一文字」。.
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舟橋聖一
舟橋 聖一(ふなはし せいいち、1904年(明治37年)12月25日 - 1976年(昭和51年)1月13日)は、日本の小説家。東京生れ。旧制水戸高等学校を経て東京帝国大学文学部卒。弟は脚本家の舟橋和郎。 大学在学中に『朱門』の同人になり、また四代目河原崎長十郎や村山知義らと共に劇団「心座」の旗揚げに尽力する。1926年(大正15年)10月、『新潮』に戯曲『白い腕』を発表し文壇入りする。その後、明治大学教授として教鞭をとるかたわら、雑誌『行動』に参加して『ダイヴィング』を発表、行動主義、能動精神運動の中心となり、行動的ヒューマニズムによる現実改革者としての地位を確立した。多くの戯曲を書くが、1938年(昭和13年)に『文學界』に発表した小説『木石』で認められる。 戦後は『雪夫人絵図』などの風俗小説で流行作家となった。一方で自らが中心となって作家連合の「伽羅(キアラ)の会」(きゃらのかい)を結成し、『風景』を創刊。日本文芸家協会理事に選出され、著作権問題の解決に尽力した。代表作に『悉皆屋康吉』『花の生涯』『絵島生島』『新・忠臣蔵』『ある女の遠景』『好きな女の胸飾り』『お市御寮人』などがある。また丹羽文雄とは自他共に認めるライバル関係だった。 幼い頃からの相撲好きでも知られ、横綱審議委員会の委員を長く務め、のちに委員長に任じられた。.
鈴木尚之
鈴木 尚之(すずき なおゆき、1929年10月5日 - 2005年11月26日)は、日本の脚本家。岐阜県高山市(旧・吉城郡国府町)出身。.
脚本家
脚本家(きゃくほんか)とは、主に映画・テレビドラマ・アニメ・漫画・ゲーム・舞台・ラジオドラマなどの脚本を書く人のことを指す。シナリオライターとも言う。.
雨月物語
『雨月物語』(うげつものがたり)は、上田秋成によって江戸時代後期に著わされた読本(よみほん)作品。 5巻5冊。明和5年(1768年)序、安永5年(1776年)刊。日本・中国の古典から脱化した怪異小説9篇から成る。近世日本文学の代表作で、現代でも引用されることが多い(→#派生作品)。.
雪夫人絵図
『雪夫人絵図』(ゆきふじんえず)は、舟橋聖一の小説。およびこれを原作とする映画。 原作は『小説新潮』に1948年1月号から1950年2月号まで連載され、単行本は新潮社から刊行された。のち文庫化もされる。 1950年と1968年に二度映画化された。.
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柴田錬三郎
柴田 錬三郎(しばた れんざぶろう、1917年(大正6年)3月26日 - 1978年(昭和53年)6月30日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、中国文学者。本名は齋藤 錬三郎(さいとう れんざぶろう)。シバレン(柴錬)という通称でも名高い。 歴史小説に新風を送ったことで業績は名高い。『イエスの裔』は芥川賞と直木賞の両方の候補となったが天秤にかけて直木賞を受賞し、その後選考委員となる。代表作に『眠狂四郎』『御家人斬九郎』『水滸伝』『徳川太平記』など多くがあり、戦国・幕末を扱った作品が多く、剣客ブームを巻き起こした。.
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松田定次
松田 定次(まつだ さだつぐ、1906年11月2日 - 2003年1月20日)は、昭和期の映画監督。戦前はマキノ・プロダクション→新興キネマ→日活→大日本映画、戦後は異母弟のマキノ光雄が製作責任者だった東横映画・東映に属して時代劇映画を量産しヒットシリーズ作を多く手がける。特に、東映時代は東映京都のトップ監督として君臨し、東映オールスターの忠臣蔵映画を3本も演出するなど、プログラムピクチャー大作を多く手掛けた。 父親は「日本映画の父」と称された、マキノ・プロダクションの創設者・牧野省三。映画監督のマキノ雅弘の異母兄。妻は女優の松浦築枝、脚本家の松田寛夫は長男(養子)。.
村田実
村田實(むらたみのる、1894年3月2日 - 1937年6月26日)は、大正・昭和初期の日本の映画監督、脚本家、俳優。日本映画監督協会初代理事長。 新劇運動から帰山教正の映画芸術協会に参加、小山内薫の松竹キネマ研究所で『路上の霊魂』を監督したことで知られる。洋画の手法を積極的に取り入れ、松竹の「蒲田調」に対して男性的で重厚な日活現代劇の基礎を築いた。映画監督栗山富夫の父の従兄弟にあたる。.
村松梢風
村松 梢風(むらまつ しょうふう、本名:村松 義一(むらまつ ぎいち)、1889年(明治22年)9月21日 - 1961年(昭和36年)2月13日)は、日本の小説家。静岡県周智郡飯田村(現:森町)生まれ。作家村松友視の祖父。.
森一生
森 一生(もり かずお、1911年1月15日 - 1989年6月29日)は、日本の映画監督、演出家である。通り名で「もり いっせい」とも呼ばれる。.
森鴎外
森 外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部入学時は第一大学区医学校予科卒業。 大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。 晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任した。.
武蔵野夫人
『武蔵野夫人』(むさしのふじん)は、大岡昇平の恋愛小説。1950年発表。戦後を代表するベストセラーとなった。題名どおり東京西部の武蔵野が舞台である。新潮文庫で重版している。ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』を手本として試みられたロマネスク小説で、没落していく中産階級の姿を描いている。 福田恆存は、世間でこの作品が評価される中、「失敗作だった」とする評論を書き、またその旨を大岡に葉書を送っているが、福田は同作品の舞台の脚色を担当し、『戯曲武蔵野夫人』(旧河出文庫)を出版した(のち『福田恆存戯曲全集 第3巻』(文藝春秋)に収録)。.
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残菊物語
『残菊物語』(ざんぎくものがたり)は、村松梢風による日本の短編小説 コトバンク、および同作を原作とする新派の戯曲、日本の映画、日本のテレビ映画である。 1937年(昭和12年)9月、「サンデー毎日」増刊号に掲載され、翌年に同題の小説集が刊行された。1937年10月には、巌谷慎一の脚本により新派劇となり、明治座で上演されている。さらに1939年(昭和14年)に溝口健二監督、1956年(昭和31年)に島耕二監督、1963年(昭和38年)に大庭秀雄監督が映画化、1967年(昭和42年)には塚田圭一がテレビ映画化している。.
毎日映画コンクール
毎日映画コンクール(まいにちえいがコンクール)は、1946年に創設された、毎日新聞社やスポーツニッポン新聞社などが主催する映画の賞である。.
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永田雅一
永田 雅一(ながた まさいち、1906年1月21日 - 1985年10月24日)は、日本の実業家、映画プロデューサー、プロ野球オーナー、馬主。昭和初期から後期(1930年代後半 - 1980年代前半)に活動。大映社長として「羅生門」などを製作。プロ野球パリーグの初代総裁。大言壮語な語り口から「永田ラッパ」の愛称でも知られた。.
池広一夫
池広 一夫(いけひろ かずお、1929年10月25日 - )は、日本の映画監督。.
河出書房新社
株式会社河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)は、日本の出版社である。本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷にある。 3代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1-3(短歌研究社、2004-06)がある。佐佐木幸綱、高野公彦、小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある。.
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泉鏡花
泉 鏡花(いずみ きょうか、1873年(明治6年)11月4日 - 1939年(昭和14年)9月7日)は、日本の小説家。明治後期から昭和初期にかけて活躍した。小説の他に戯曲や俳句も手がけた。本名、鏡太郎(きょうたろう)。金沢市下新町生れ。 尾崎紅葉に師事した。『夜行巡査』『外科室』で評価を得、『高野聖』で人気作家になる。江戸文芸の影響を深くうけた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られる。また近代における幻想文学の先駆者としても評価される。他の主要作品に『照葉狂言』『婦系図』『歌行燈』などがある。.
溝口健二
溝口 健二(みぞぐち けんじ、1898年5月16日 - 1956年8月24日)は、日本の映画監督。 女性映画の巨匠と呼ばれ、一貫して虐げられた女性の姿を冷徹なリアリズムで描いている。サイレント期は下町情緒を下敷きとした作品で声価を高め、戦中・戦後は芸道ものや文芸映画でも独自の境地を作り出した。完璧主義ゆえの妥協を許さない演出と、長回しの手法を用いた撮影が特徴的である。黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男らと共に国際的に高い評価を受けた監督であり、ヴェネツィア国際映画祭では作品が3年連続で受賞している。また、ジャン.
映画秘宝
『映画秘宝』(えいがひほう)は、洋泉社が発行する映画雑誌(かつてはムックであった)である。毎月21日発売。.
新・平家物語 (映画)
『新・平家物語』(しんへいけものがたり)は、1955年(昭和30年)9月21日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は溝口健二、主演は市川雷蔵。カラー、スタンダード、108分。昭和30年度芸術祭参加作品。 吉川英治の同名歴史小説を、3部作で映画化した大河シリーズの第1作で、平安時代末期に貴族との激しい抗争の中で台頭してきた武士階級の御曹司・平清盛が、自らの出生の秘密に悩みながら成長していく姿を描く。スタッフには撮影の宮川一夫、美術の水谷浩、色彩監修の和田三造など、数々の映画賞に輝いたベテランが顔を揃えた。本作は溝口監督の初カラー作品であり、長回しのカメラワークはヌーヴェルヴァーグの映画人に高く評価された。配収は1億7303万円で、この年の邦画配収ランキング第4位となった。翌1956年(昭和31年)1月に続編の『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』(監督:衣笠貞之助)、同年11月には3作目の『新・平家物語 静と義経』(監督:島耕二)が公開された。 2006年(平成18年)12月22日に溝口健二監督没後50年を記念して、角川エンタテインメントから発売されたDVD-BOXに収録された。2009年(平成21年)11月27日には市川雷蔵没後40年を記念して角川エンタテインメントからデジタル修復版のDVDが発売された。.
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日活
日活株式会社(にっかつ)は、日本の映画製作、配給会社である。 社名は創立時の名称である「日本活動冩眞株式會社」の略称に由来する。.
日活撮影所
日活調布撮影所(にっかつちょうふさつえいじょ)は、映画会社日活の名を冠した映画スタジオである。 日活の名を冠した映画スタジオは過去には「多摩川撮影所」(現・角川大映スタジオ)など東京・京都にいくつもの撮影所が存在した。 2016年現在、東京都調布市染地2-8-12に位置する日活調布撮影所、通称「にっかつ」(旧・にっかつ撮影所)が唯一の存在である。.
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日本人
日本人(にほんじん、にっぽんじん、Japanese)は、日本の国籍(日本国籍)を持つ日本国民。または祖先が日本列島に居住していた民族集団を指す。.
悪名
『悪名』(あくみょう)は、今東光の小説、およびそれを原作とした勝新太郎主演の映画(大映製作)。 河内の暴れ者・八尾の朝吉(姓は村上)を主人公とする今東光の小説『悪名』は、1960年に『週刊朝日』にて連載された。同誌の編集長が大映の監督・田中徳三の実兄だったことから、大映で1961年に映画化され、朝吉を勝新太郎、弟分のモートルの貞を田宮二郎が演じた。同作のヒットを受け、以降は脚本家依田義賢のオリジナルでシリーズ化され、全16作が製作された。 また、2001年に再び映画化され、朝吉役を的場浩司、貞役を東幹久が演じた。 2002年には舞台版が制作され、勝の息子の鴈龍太郎が朝吉役、貞役を堤大二郎が演じた。また2014年にはマキノノゾミ演出で音楽劇となり(原作は『新悪名』)、沢田研二が朝吉役、野田晋市が清次役、いしのようこが朝吉の妻お絹役を演じている。.
扶桑社
株式会社扶桑社(ふそうしゃ)は、東京都港区芝浦一丁目に本社を置く、フジサンケイグループ傘下の出版社である。.
11月14日
11月14日(じゅういちがつじゅうよっか、じゅういちがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から318日目(閏年では319日目)にあたり、年末まであと47日ある。誕生花は松、アルストレメリア(百合水仙)、サフラン。.
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1909年
記載なし。
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1930年
記載なし。
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1931年
記載なし。
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1936年
記載なし。
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1957年
記載なし。
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1989年
この項目では、国際的な視点に基づいた1989年について記載する。.
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1991年
この項目では、国際的な視点に基づいた1991年について記載する。.
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4月14日
4月14日(しがつじゅうよっか、しがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から104日目(閏年では105日目)にあたり、年末まではあと261日ある。誕生花はドウダンツツジ、ハルジオン。.
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