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谷崎潤一郎

索引 谷崎潤一郎

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。 初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎(おおたにざき)」と称された。その一方、今日のミステリー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、口伝・説話調の幻想譚、果てはグロテスクなブラックユーモアなど、娯楽的なジャンルにおいても多く佳作を残している。.

384 関係: 劇作家お国と五平たつみ都志つゆのあとさき偕楽園卍 (小説)千夜一夜物語千葉俊二南禅寺古川ロッパ古典台所太平記吉川英治吉井勇吉田健一 (英文学者)吉野葛堅山南風夏目漱石夢の浮橋大坪砂男大和言葉大谷晃一大阪毎日新聞大阪朝日新聞大阪日日新聞大正天才太平洋戦争女優婦人公論家庭教師家畜人ヤプー安井曾太郎安田靫彦富田砕花旧居小山内薫小出楢重小田原町小説小説家小谷野敦小村雪岱小沢書店少将滋幹の母山村耕花山本実彦岡山県岡本 (神戸市)岡本かの子...岩波書店岸田國士左京区巌谷小波上京区上野精養軒上村松篁上海市不祥事中央区 (東京都)中央区立阪本小学校中央公論中央公論新社中外 (雑誌)中上健次中公文庫中国中華料理中村光夫中村歌右衛門 (5代目)丸谷才一主婦の友社三島由紀夫三田文学三角関係三条通下鴨平山城児平凡社乳母平成年忌幸田露伴幻冬舎新書京都市京橋区人文書院井原西鶴今東光仮名手本忠臣蔵伊吹和子伊藤整伝統住吉村 (兵庫県)佐藤春夫佐野繁次郎徴兵検査後藤末雄心不全俗語志賀直哉北野恒富ミシェル・フーコーノーベル文学賞マゾヒズムモルグ街の殺人モダニズムモダニズム文学トマス・ド・クインシートーマス・ハーディブラックジョークプラトン社プレイヤード叢書パール・S・バックパニック障害デカダンスフランス語フェミニズムフェティシズムドナルド・キーンニヒリズムベストセラー刺青 (小説)和辻哲郎和歌アメリカ芸術科学アカデミーインターネットアーカイブイギリス文学者ウィンダミア卿夫人の扇エロースエドウィン・O・ライシャワーエドガー・アラン・ポーオノレ・ド・バルザックオーブリー・ビアズリーオスカー・ワイルドグロテスクシャルル・ボードレールスバル (文芸雑誌)スタンダールサンデー毎日サタニズム六甲村六興出版兵庫県前田青邨創元社勝山町 (岡山県)勝浦鞆雄国民文芸会倚松庵王朝灘区磯田多佳神と人との間神奈川県神童神経衰弱 (精神疾患)神戸市神戸文学館福田平八郎私小説秦恒平秘密 (谷崎潤一郎の小説)稲沢秀夫竹久夢二笠原伸夫第一高等学校 (旧制)第一高等学校 (旧制)の人物一覧第二次世界大戦筑摩書房等持院紫式部細雪細江光純文学義経千本桜翻訳真庭市真庭郡猫と庄造と二人のをんな瘋癲老人日記絵巻物痴人の愛田中親美田中慎弥熱海市物語狭心症直井明瀬戸内寂聴白日夢 (谷崎潤一郎)随筆随筆家芥川龍之介芦屋市芦屋市谷崎潤一郎記念館芸妓芸術家運命運命 (幸田露伴)鍵 (谷崎潤一郎)草双紙鏑木清方菅楯彦萬龍青山葬儀所風俗要法寺観世栄夫読売新聞高萩宏高血圧高齢者高野山講談社講談社文芸文庫魚崎町谷崎精二谷崎松子谷崎潤一郎訳源氏物語谷崎潤一郎賞豊島区越前竹人形足柄下郡鹿ヶ谷通黒潮 (雑誌)辰野隆近親相姦錦絵郭沫若舟橋聖一阪神間モダニズム関口関東大震災門 (小説)藤原道兼藤原道隆藤原道長葉山三千子肥満肺炎蓼喰ふ虫脚フェティシズム野口武彦野崎歓野村尚吾自然主義文学自殺自我金星堂腎不全苦楽園英語週刊新潮耽美主義陰翳礼讃抽象化染井霊園推理小説東京大学東京大学の人物一覧東京市東京医科歯科大学医学部附属病院東京都東京都立日比谷高等学校東京都立日比谷高等学校の人物一覧東京朝日新聞東京日日新聞東灘区栄花物語桐野夏生棟方志功森鴎外横山泰三横浜樋口富麻呂橋口五葉正宗白鳥武庫郡歴史歴史小説歌舞伎毎日出版文化賞毎日芸術賞毎日新聞毎日新聞社母親水上勉永井荷風江戸江戸川乱歩河出書房新社河野多惠子法然院泉鏡花津山市渡辺たをり渡部直己清水書院湯河原町源氏物語源泉の感情満州漢詩漢語漢文朝鮮朝日賞朝日新聞朝日新聞社木下杢太郎木村荘太木村荘八本山町 (神戸市)本山村 (兵庫県)月の囁き戯曲戒名明石町 (東京都中央区)明里千章明治明治東京地震映画春琴抄春秋社春陽堂書店昭和新小説新青年 (日本)新藤兼人新潮新潮社新潮文庫新思潮方言文壇文京区文化功労者文化勲章文章文章読本文芸的な、余りに文芸的な文藝文藝春秋文藝春秋 (雑誌)文楽日本日本図書センター日本評論社日本語日本橋人形町日本橋区日本橋蛎殻町日本文学日本放送協会日新電機早稲田大学早稲田文学悪魔改造 (雑誌)改造社散文書生曼荼羅思潮社思想時代時代物1886年1902年1908年1909年1910年1935年1955年1958年1960年1964年1965年1994年7月24日7月30日 インデックスを展開 (334 もっと) »

劇作家

劇作家(playwright, dramatist)は、演劇の上演のために書かれる戯曲の作者。戯曲家と呼ばれることもある。日本においては演出家を兼ねている者が多い。現在までその作品が残っている最も古い劇作家としては、紀元前5世紀頃のアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスなどの古代ギリシアにおける悲劇作家達が挙げられる。その作品である戯曲は、通常は俳優によって観客の前で演劇として上演するために執筆される。戯曲の中には、上演を目的とせず読まれることを目的に書かれたレーゼドラマや、戯曲の形式をとってはいるが上演は意図していない作品もある。 「プレイライト」という発音になる英語の playwright は、「play(プレイ.

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お国と五平

『お国と五平』(おくにとごへい)は、谷崎潤一郎の戯曲。谷崎戯曲の中で最も数多く上演されている演目である。闇討ちされた夫の敵討ちのため、従者・五平と共に各地を放浪するお国と、虚無僧姿でずっと2人の跡をつけていた敵・友之丞(お国の元許嫁)の3人の物語。1人の女を巡って争う2人の男の三角関係で、「恋」や「悪」について応酬する議論劇となっている。 1922年(大正11年)6月、雑誌『新小説』に掲載され、7月に谷崎本人の演出により帝国劇場で上演された「谷崎潤一郎年譜」()。単行本は同年7月に春陽堂より刊行された。.

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たつみ都志

たつみ 都志(たつみ とし、女性、1950年3月16日 - )は、日本近代文学の研究者。小説家。武庫川女子大学名誉教授。本姓は辰巳。旧姓は冨山。大阪府豊中市出身。 谷崎潤一郎の研究が中心で、ほかに川端康成、また近年は古典芸能に関する論考もある。谷崎の岡本の旧邸が阪神・淡路大震災で倒壊したあと、谷崎の短篇「鶴唳」にちなんでこれを「鎖瀾閣」と名づけ(以前からそう呼ばれていたわけではない)、建て直しのための義捐金を募る活動の中心人物となった。1994年小説「イノセント・イモラル・マミー」で神戸市文学賞佳作。佐々木湘の筆名で続編を『神戸っ子』に連載、96年に『ママにはkissがよく似合う』として上梓した。.

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つゆのあとさき

『つゆのあとさき』は、日本の小説家・永井荷風の小説。銀座のカフェーを舞台に、たくましく生きる女給の主人公と軽薄な男たちの様子を描いた作品である。1931年5月に脱稿、「夏の草」という仮題であった。同年の「中央公論」10月号に「つゆのあとさき」として掲載された。1956年、中村登監督により映画化された。.

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偕楽園

偕楽園(かいらくえん)は、日本の茨城県水戸市にある日本庭園である。国の史跡及び名勝に指定されており(指定名称は「常磐公園」)、隣接する千波湖周辺の拡張部を含めた「偕楽園公園」は、都市公園としてニューヨークのセントラルパークに次ぎ世界第2位の面積を持つ。また伝統的に、岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで日本三名園の一つに数えられてきた。現在、茨城県営の都市公園(広域公園)水戸県立自然公園(弘道館公園、偕楽園、千波湖を含む)として管理・運営されている。 文化庁認定日本遺産"近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―"のストーリーを構成する水戸市内の文化財の一つでもある。。.

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卍(まんじ)は、ヒンドゥー教や仏教で用いられる吉祥の印であるとともに、日本では仏教を象徴する記号としてよく知られ、漢字であり家紋でもある。同様の記号は世界各地にあり、西洋では太陽十字からも発生した。.

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卍 (小説)

『卍』(まんじ)は、谷崎潤一郎の長編小説。両性愛の女性と関係を結ぶ男女の愛欲の物語。2組の男女の関係が交錯する「卍」模様の倒錯的な愛が大阪弁によって描かれている「谷崎潤一郎作品案内」()。 雑誌『改造』の1928年(昭和3年)3月号から翌1929年(昭和4年)4月号、6月号から10月号、12月号、1930年(昭和5年)1月号と4月号に断続的に連載された。単行本は1931年(昭和6年)4月に改造社より刊行された「主要著作目録」()。.

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千夜一夜物語

アーサー・ボイド・ホートン(1836 – 1875)の木版画http://www.victorianweb.org/art/illustration/houghton/1.html "The Sultan Pardons Scheherazade" by Arthur Boyd Houghton (1836-1875). Wood engraving, 8 x 5 1/2 inches. シェヘラザードとシャフリヤール(フェルディナント・ケラー画 1880年) 『千夜一夜物語』(せんやいちやものがたり、ألف ليلة وليلة, هزار و یک شب)は、イスラム世界における説話集。ペルシャの王に妻が毎夜物語を語る形式を採る。枠物語の手法で描かれた代表的な物語の一つとしても知られる。英語版の題名より「アラビアンナイト」の名称でも広く知られている。 サーサーン朝(ササン朝ペルシャ)時代に、ペルシャ・インド・ギリシャなど各地の民話が、公用語の中世ペルシャ語(パフラヴィー語)で記され、「ハザール・アフサーナ」(هزار افسان,千の物語)として編纂された国立民族学博物館教授 西尾哲夫、NHK2013年11月6日放送「100分de名著 アラビアンナイト」全4回。NHK出版100分de名著『アラビアンナイト』2013年11月。。その後、651年にサーサーン朝はイスラム教徒に征服されてイスラーム帝国が勃興する。最初のウマイヤ朝を経て、アッバース朝初期の8世紀後半に、その新都バグダードがイスラーム帝国の中心都市として整備され始めた以降、アラビア語に翻訳されて9世紀にはその原型ができたアラブの文学と言語の研究者でカリフォルニア大学サンタバーバラ校教授デュワイト・レイノルズ Dwight Reynolds による千一夜研究書 P270「The Thousand and One Nights: A History of the Text and its Reception」(日本語未翻訳)2006年 ケンブリッジ大学出版 The Cambridge History of Arabic Literature: Arabic Literature in the Post-Classical Period.

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千葉俊二

千葉 俊二(ちば しゅんじ、1947年12月 - )は日本近代文学の研究者。早稲田大学教育学部教授。 宮城県生まれ、横浜で育つ。1972年早稲田大学第一文学部人文専攻卒業、同大学院修了。山梨英和短期大学助教授をへて、早大教授。主として谷崎潤一郎を研究。 1982年、35歳の時に『鑑賞日本現代文学 谷崎潤一郎』を編纂し、『春琴抄』の「佐助犯人説」を支持したことから、論争が起きた。 お笑い芸人の小島よしお、作家の綿矢りさ、写真家のシトウレイは早大で千葉ゼミに所属していた。.

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南禅寺

南禅寺 (なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院である。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ。.

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古川ロッパ

古川 ロッパ(ふるかわ ろっぱ、古川 緑波とも、1903年(明治36年)8月13日矢野p.30。 - 1961年(昭和36年) 1月16日)は、1930年代の日本の代表的コメディアン。編集者、エッセイストとしても活動した。 本名は古川 郁郎(ふるかわ いくろう)。.

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古典

古典(こてん)は、古い書物、形式。また、長く時代を超えて規範とすべきもの。 英語のclassic/classical、またはそれに相当する西洋語の単語の訳に使われる。これらの語は、分野によっては、古典派と訳されたり、(classicかclassicalかを問わず)クラシックと音訳されたりすることもある。古典と訳されることのない用語については、#関連項目を参照。 古典の定義は、分野によって、厳密に決まっているものも、曖昧なものもある。曖昧な場合、その基準は衆知、あるいは(自称)識者の決するところによるため、価値観や世代の違いに影響されやすい。 自然科学ではしばしば、かつては正しいと思われたが、今は厳密には正しくないことがわかっていて近似としてのみ有用なもの、という意味合いを持つ。物理学や化学では、通常は量子(quantum)の対義語として用いられ、日常生活における古典という語とは意味合いがかなり異なる。.

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台所太平記

『台所太平記』(だいどころたいへいき)は、谷崎潤一郎の長編小説。戦前の1936年(昭和11年)から戦後の1963年(昭和38年)にかけ、家の台所仕事を担っていた歴代の女中たちの変遷の物語。本の文章を読み聞かせるなど一種の徒弟修行の教育的側面もあった彼女らとの主従関係に、『春琴抄』『痴人の愛』などの主題に通底する深層意識も垣間見られる作品で、戦後民主化に伴う封建的な家制度の解体や、失われてゆく存在への共感と哀惜が描かれている石川義正「谷崎潤一郎と言説の抗争」()。ある階層の女性たちの生活文化史としても読める作品にもなっている。 1962年(昭和37年)10月28日号から1963年(昭和38年)3月10日号まで『サンデー毎日』に連載された。単行本は1963年(昭和38年)4月に中央公論社より刊行された「谷崎潤一郎年譜」()。 同年に豊田四郎監督により映画化され、連続テレビドラマ化もされた。その後もドラマ化が度々行われた。.

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吉川英治

吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年(明治25年)8月11日 - 1962年(昭和37年)9月7日)は、日本の小説家。本名、英次(ひでつぐ)。神奈川県生まれ。 様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年(昭和10年)より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。幅広い読者層を獲得し、「国民文学作家」といわれる。.

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吉井勇

吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日 - 1960年(昭和35年)11月19日)は、大正期・昭和期の歌人、脚本家である。華族(伯爵)でもあった。.

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吉田健一 (英文学者)

吉田 健一(よしだ けんいち、1912年(明治45年)4月1日 - 1977年(昭和52年)8月3日)は、日本の文芸評論家、英文学翻訳家、小説家。父は吉田茂、母・雪子は牧野伸顕(内大臣)の娘で、大久保利通の曾孫にあたる。ケンブリッジ大学中退。誕生日については、戸籍上は4月1日だが、吉田家では3月27日に祝っていた。英文学、フランス文学を中心としたヨーロッパ文学の素養をもとに、評論や小説を著した。また、イギリス文学の翻訳も多数行っている。父と親交の深かった長谷川如是閑の肝いりで、中央大学文学部教授(英文学)を一時期務めた。.

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吉野葛

『吉野葛』(よしのくず)は、谷崎潤一郎の中編小説。「その一 自天王」「その二 妹背山」「その三 初音の鼓」「その四 狐噲」「その五 国栖」「その六 入の波」の全6章から成る。後南朝を題材とする歴史小説をかねて構想していた「私」が、秋の吉野で案内役の友人から打ち明けられた母恋の身の上話に惹かれていく物語。 1931年(昭和6年)、雑誌『中央公論』1月号と2月号に連載された「谷崎潤一郎作品案内」()。初収録は、1932年(昭和7年)2月に中央公論社より刊行の『盲目物語』。その後、1937年(昭和12年)12月に「潤一郎六部集」の一冊として創元社より単行本化された「谷崎潤一郎年譜」()。.

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堅山南風

堅山 南風(かたやま なんぷう、本名:熊次、1887年(明治20年)9月12日 - 1980年(昭和55年)12月30日)は昭和を代表する日本画家の一人。 熊本県に生まれる。熊本市立壺川小学校出身。家業は油などの製造卸売。堅山が幼少の頃両親が相次いで亡くなり、経営が傾くも、苦学しながら絵画の勉強をする。23歳の時上京、高橋広湖の門下生になる。 1912年の文展で2等に入選、1等に該当する作品がなかったことから、事実上の最優秀賞に輝いた。この頃から横山大観に師事して日本画を学び、再興日本美術院にて次々と作品を発表する。一時的にスランプに陥り、インドに渡る。1958年、日本芸術院会員。1968年、文化勲章受章。.

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夏目漱石

夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。 大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。 その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。 夏目漱石誕生之地碑.

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夢の浮橋

夢の浮橋(ゆめのうきはし).

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大坪砂男

大坪 砂男(おおつぼ すなお、1904年2月1日 - 1965年1月12日)は、日本の探偵小説作家。本名和田六郎。筆名はE・T・A・ホフマンの「砂男」に由来する。1951年に大坪 沙男と改名した。 江戸川乱歩が「戦後派五人男」と呼んだ探偵作家5人のうちの1人。作品はすべて短篇である。.

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大和言葉

大和言葉(やまとことば)とは、古くは和歌や雅語のことを意味したが、現在ではもっぱら日本語の語種(単語の出自)の一つであり漢語や外来語に対する日本の固有語を指す。飛鳥時代頃まで大和国や大和飛鳥を中心に話されていたと思われる。.

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大谷晃一

大谷 晃一(おおたに こういち、1923年11月25日 - 2014年5月25日)は、作家、評論家、帝塚山学院大学名誉教授・元学長。.

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大阪毎日新聞

大阪毎日新聞(おおさかまいにちしんぶん)は、日本の日刊新聞である『毎日新聞』の西日本地区での旧題。通称「大毎」(だいまい)。 現在の毎日新聞大阪本社の前身に当たる。.

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大阪朝日新聞

大阪朝日新聞(おおさかあさひしんぶん)は日本の日刊新聞である『朝日新聞』の西日本地区での旧題。現在の朝日新聞大阪本社版の前身にあたる。略称は大朝(だいちょう)。 1879年1月25日、『朝日新聞』が大阪で創刊された。発行元の朝日新聞社は1888年7月10日に東京へ進出し、『東京朝日新聞』を創刊した。大阪で発行される新聞の題号はその後もしばらく『朝日新聞』だったが、1889年1月3日に『大阪朝日新聞』と改題。この状況は新聞統制により、1940年9月1日に大阪朝日新聞と東京朝日新聞の題号を『朝日新聞』に統一するまで続いた。.

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大阪日日新聞

大阪日日新聞(おおさかにちにちしんぶん)は大阪府の地方新聞(朝刊専売)。発行部数は6,849部(日本ABC協会調べ。2017年上半期)。現在は鳥取県に本社を置く新日本海新聞社の大阪本社から発行されている。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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天才

天才の1人として挙げられることの多い物理学者アルベルト・アインシュタイン 天才(てんさい)とは、天性の才能、生まれつき備わった優れた才能(生まれつき優れた才能を備わった人物)のことである。天才は、人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指す。天才は、極めて独自性の業績を示した人物を評価したり、年若いのに、あまりに高い才能を示した人への賛辞的形容に使われる。それが、歴史や社会に影響を残すに至ったレベルの人物を指すことが多い(動物にも使用される場合がある)。しかし、「○○の天才」といったように芸術やスポーツ等様々な分野に一見限定した用法もある。 天才の類似表現として、ギフテッド、神童、神に愛された人などがある。.

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太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた(昭和16年12月12日 閣議決定)、国立国会図書館リンク切れ --> - 国立国会図書館リサーチ・ナビ(2012年12月20日版/2016年9月16日閲覧)。 日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。.

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女優

女優 (じょゆう)は、女性の俳優のこと。.

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婦人公論

『婦人公論』(ふじんこうろん)とは中央公論新社(読売新聞グループ)が発行する婦人・女性誌。創刊は大正5年(1916年)1月。2016年1月に創刊100周年を迎えた。1998年3月7日発売の3月22日号より月2回刊(毎月7日、22日発行)。サイズはA4版変型。2017年現在の編集長は横山恵子、発行人は早川準一。.

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家庭教師

家庭教師(かていきょうし)は、家庭で勉強を教える私教師である。.

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家畜人ヤプー

『家畜人ヤプー』(かちくじんヤプー)は、1956年から『奇譚クラブ』に連載され、その後断続的に多誌に発表された沼正三の長編SF・SM小説。 なお、本作品はマゾヒズムや汚物愛好、人体改造を含むグロテスクな描写を含む。.

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安井曾太郎

安井曾太郎の胸像(於東京藝術大学) 安井 曾太郎(やすい そうたろう、1888年5月17日 - 1955年12月14日)は、大正~昭和期の洋画家。.

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安田靫彦

安田 靫彦(やすだ ゆきひこ、本名:安田 新三郎、1884年(明治17年)2月16日 - 1978年(昭和53年)4月29日)は、大正~昭和期の日本画家、能書家。東京府出身。 靫彦は前田青邨と並ぶ歴史画の大家で、青邨とともに焼損した法隆寺金堂壁画の模写にも携わった。「飛鳥の春の額田王」「黎明富士」「窓」はそれぞれ1981年、1986年、1996年に切手に用いられた。良寛の書の研究家としても知られ、良寛の生地新潟県出雲崎町に良寛堂を設計した。また靫彦自らも皇居新宮殿千草の間に書、『万葉の秀歌』を揮毫した。.

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富田砕花旧居

旧書斎 富田砕花旧居(とみたさいかきゅうきょ)は、兵庫県芦屋市にある歴史的建造物。1934年に作家谷崎潤一郎が住んで松子と婚礼をあげた屋敷であり、小説『猫と庄造と二人のをんな』の舞台とされる。 その後、1939年5月に詩人富田砕花が市内から移り住み、終の棲家とした。 しかし10部屋あった大きな屋敷は、1945年8月6日にアメリカ軍B-29の爆撃により焼失した。 現在は、旧書斎と戦後建設された母屋、および管理棟、庭園で構成される。 この戦災を免れた旧書斎は、谷崎潤一郎が「源氏物語の現代語訳」、「半そで物語」などを執筆した場所である。 1987年から富田砕花顕彰会の管理により、これらの施設で富田砕花の遺品や原稿等の資料が展示公開されている。.

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小山内薫

小山内 薫(おさない かおる、1881年(明治14年)7月26日 - 1928年(昭和3年)12月25日)は、明治末から大正・昭和初期に活躍した劇作家、演出家、批評家。日本の演劇界の革新にその半生を捧げた。.

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小出楢重

小出 楢重(こいで ならしげ、1887年10月13日 - 1931年2月13日)は、大正から昭和初期の洋画家。.

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小田原町

小田原町(おだわらまち)は、神奈川県足柄下郡に存在した町。現在の小田原市は1940年に新設合併によって発足したものであり、本町とは異なる自治体である。.

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小説

小説(しょうせつ、fiction(総称)、novel(長編)、story(短編)、roman(長編)、nouvelle(中編)、conte(短編))とは、文学の形式の一つである。.

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小説家

小説家(しょうせつか)とは、継続的に小説作品の著述・発表を行っている者。 「小説家」と「小説の著者」とを明確に区別する基準は無い。一般的に小説家とは、職業として執筆した作品によって収入を得ている者をはじめ、兼業で、他の職業と両立して執筆している場合も「小説家」と呼ぶ場合が多い。小説による収入は少なく、講演活動や小説以外の著述で生計を維持している著作家の場合でも、作品が広く知られているために一般に小説家と見なされているケースも多いが、作品数が少ないか作品が広く出版されていない場合、小説家と見なされないのが普通である。 特に、著述を主たる職業とする者を「職業作家」・あるいは「プロの小説家」などと呼ぶこともある。一方で「アマチュア小説家」という言葉も存在するが、アマチュアである小説家の意で使われるだけでなく、著述活動が小説家と呼ぶには足りない者、という意味合いで使われることも多い。石原慎太郎など、小説が広く出版されて固定したファンもいる状況でありながら、正業として別に職業を持っている作家・いわゆる「兼業作家」もまた多く存在する。特に出版不況のもとでは、商業文芸雑誌に作品が掲載されても、それが単行本とならないケースも多く存在するため、有名人のゴーストライターを務めたり、兼業(文筆業とは限らない)を強いられるケースが少なくない。また、文学作家の中でも、大家・大作家のことを特に文豪と呼ぶこともある。.

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小谷野敦

小谷野 敦(こやの あつし、1962年12月21日 - )は、日本の比較文学者、評論家、小説家。.

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小村雪岱

小村 雪岱(こむら せったい、明治20年(1887年)3月22日 - 昭和15年(1940年)10月17日)は、大正〜昭和初期の日本画家、版画家、挿絵画家、装幀家。.

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小沢書店

株式会社小沢書店(おざわしょてん)は、かつて東京都豊島区雑司が谷に存在した文芸出版社。歴史的仮名遣いで出版の場合、小澤書店と表記していた。.

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少将滋幹の母

『少将滋幹の母』(しょうしょう しげもとの はは)は、谷崎潤一郎の長編小説。王朝物の時代小説である。美しい若妻・北の方を藤原時平に強奪された老齢の藤原国経の妄執の念と、その遺児・藤原滋幹が恋い慕う母の面影の物語。戦後の谷崎文学の傑作の一つとして多くの作家や文芸評論家から賞讃された作品で、高齢の谷崎自身の幼い頃の母の記憶、永遠の女性像を仮託している作品でもある「谷崎潤一郎作品案内」()「戦中から戦後へ」()。 1949年(昭和24年)11月16日から1950年(昭和25年)2月9日まで『毎日新聞』に連載された「谷崎潤一郎作品案内」()。単行本は1950年(昭和25年)8月に毎日新聞社より刊行された。以後これまでに幾度となく舞台化やドラマ化がなされ、海外でも翻訳がなされている代表作である。.

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山村耕花

山村 耕花(やまむら こうか、明治18年〈1885年〉1月2日 - 昭和17年〈1942年〉1月25日)とは、明治時代から昭和時代にかけての日本画家、浮世絵師、版画家。.

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山本実彦

山本 実彦(やまもと さねひこ、1885年〈明治18年〉1月5日 - 1952年〈昭和27年〉7月1日)は、日本のジャーナリスト。改造社社長。雅号は亀城。.

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岡山県

岡山県(おかやまけん)は、日本の都道府県のひとつ。中国地方南東部に位置し、瀬戸内海に面する県。県庁所在地は岡山市である。.

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岡本 (神戸市)

岡本(おかもと)は、兵庫県神戸市東灘区の町名の一つで、旧本山村域(本山地区)の大字であった岡本(旧・岡本村)のJR東海道本線以北に基づいた区域である。平成17年国勢調査(2005年10月1日現在)における世帯数は4,498、人口9,610で内男性4,300人・女性5,310人。.

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岡本かの子

岡本 かの子(おかもと かのこ、1889年3月1日 - 1939年2月18日)は、大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。本名カノ。東京府東京市赤坂区(現東京都港区)青山南町生まれ。跡見女学校卒業。漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。小説家として実質的にデビューをしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。耽美妖艶の作風を特徴とする。私生活では、夫一平と「奇妙な夫婦生活」を送ったことで知られる。.

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岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

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岸田國士

岸田 國士(きしだ くにお、1890年(明治23年)11月2日 - 1954年(昭和29年)3月5日)は、日本の劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家。 代表作に、戯曲『牛山ホテル』、『チロルの秋』、小説『暖流』、『双面神』など。 妹の勝伸枝は作家で、翻訳家・延原謙の妻。長女は童話作家の岸田衿子、次女は女優の岸田今日子、甥に俳優の岸田森がいる。 『ゼンマイの戯れ』なる映画脚本もある。.

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左京区

左京区(さきょうく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。.

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巌谷小波

巖谷小波 巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日)は、明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人。本名は季雄(すえお)。別号に漣山人(さざなみ さんじん)、楽天居、隔恋坊、大江小波がある。.

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上京区

沂高校 京都市歴史資料館 京極小学校、左手に二宮金次郎の像が現存している 上京区(かみぎょうく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。市の中心部に位置し、かつての京都の北側に該当する。東側には鴨川が流れる。京都府庁もこの区に置かれている。.

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上野精養軒

上野精養軒(うえのせいようけん)は、東京都台東区の上野恩賜公園内にある老舗西洋料理店で日本におけるフランス料理店の草分け。明治期には国内外の王侯貴族や名士達が馬車で駆けつけるなど、鹿鳴館時代の華やかな文明開化を象徴する存在であった。夏目漱石や森鴎外の文学作品にも登場する。株式会社精養軒によって運営され、本店のある上野公園内の博物館などに系列店を出店している。.

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上村松篁

上村 松篁(うえむら しょうこう、1902年(明治35年)11月4日-2001年(平成13年)3月11日)は日本画家。 幼名は信太郎。母は近代美人画の大家、上村松園。父は松園の師の日本画家鈴木松年ともされるが、未婚であった松園は多くを語らなかった。息子も同じく日本画家の上村淳之である。.

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上海市

上海市(シャンハイし、、 ()、呉語発音: 、)は、中華人民共和国の直轄市である。 有数の世界都市であり、同国の商業・金融・工業・交通などの中心地、香港・北京と並ぶ中国最大の都市の一つである。アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界9位と評価された。 2012年6月時点の常住人口は2,400万人を超え、市内総生産は2兆3,560億元(約45兆円)であり、いずれも首都の北京市を凌ぎ中国最大である。中華人民共和国国務院により国家中心都市の一つに指定されている。 略称は滬(/こ:フー)だが、古称の申(しん:シェン)も用いられる。.

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不祥事

不祥事(ふしょうじ)とは、一定の社会的な地位を持つ個人または団体などが起こした、社会的な信頼を失なわせるような出来事である。主に今日のマスメディアにおいて用いられる単語である。醜聞(しゅうぶん)、スキャンダル(英: Scandal)などとも言う。 なお、「祥」は「めでたい」という意味で、否定接頭辞を冠した「不祥」は「めでたくない」という意味であるため、元々「不祥事」は「めでたくない出来事」という意味になる。.

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中央区 (東京都)

中央区(ちゅうおうく)は、東京都の特別区のひとつ。.

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中央区立阪本小学校

中央区立阪本小学校(ちゅうおうくりつ さかもとしょうがっこう)は東京都中央区日本橋兜町にある公立小学校。 明治初期に開校している。開校日については区内の久松小学校・常盤小学校と比べると数ヶ月差ではあるが遅い開校となる。.

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中央公論

『中央公論』(ちゅうおうこうろん)は、1887年に日本で創刊され、現在も発行されている、月刊総合雑誌である。現在は中央公論新社が発行する。.

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中央公論新社

株式会社中央公論新社(ちゅうおうこうろんしんしゃ)は、日本の出版社である。読売新聞グループ本社の傘下。略称は中公(ちゅうこう)。 本項では、旧法人の株式会社中央公論社(ちゅうおうこうろんしゃ)についても述べる。.

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中外 (雑誌)

『中外』(ちゅうがい、1917年10月1日 創刊 - 1921年 廃刊)は、かつて存在した日本の総合雑誌である。全22号。.

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中上健次

中上 健次(なかがみ けんじ、本名同じ、結婚前までは「なかうえ」、1946年8月2日 - 1992年8月12日)は、日本の小説家。和歌山県新宮市生まれ。和歌山県立新宮高等学校卒業。妻は作家の紀和鏡、長女は作家の中上紀、次女は陶芸家で作家の中上菜穂。 被差別部落の出身であり、部落のことを「路地」と表現する。羽田空港などで肉体労働に従事したのち、執筆に専念する。初期は大江健三郎や石原慎太郎といった当時の新進作家から文体的な影響を受けた。後に知り合った年長の友人である柄谷行人から薦められたウィリアム・フォークナーの影響で先鋭的かつ土俗的な方法論を確立、紀州熊野を舞台にした数々の小説を描き、ひとつの血族と「路地」のなかの共同体を中心にした「紀州サーガ」とよばれる独特の土着的な作品世界を作り上げた。1976年(昭和51年)、『岬』で第74回芥川賞を受賞、戦後生まれで初の芥川賞作家となった。1992年、腎臓癌の悪化により46歳で死去した。.

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中公文庫

中公文庫(ちゅうこうぶんこ)は、株式会社中央公論新社(読売新聞グループ)が発行している文庫レーベル。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中華料理

中華料理(中國菜/中国菜、 チョングオツァイ)は、中国で食べられてきた料理、またはその技法や調味料を使用して作られた料理。中国においても、地方ごとに食材も異なり、調理法や味付けも地域差が大きい。日本を含め世界的に広く普及し、また現地化も進んでいる。.

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中村光夫

中村 光夫(なかむら みつお、1911年(明治44年)2月5日 - 1988年(昭和63年)7月12日)は、文芸評論家、作家。本名、木庭一郎(こば いちろう)。第6代日本ペンクラブ会長、文化功労者、日本芸術院会員。私小説批判で有名。.

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中村歌右衛門 (5代目)

五代目 中村 歌右衛門(ごだいめ なかむら うたえもん、1866年2月14日(慶応元年12月29日) - 1940年(昭和15年)9月12日)は、明治から大正、戦前昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は成駒屋。定紋は祇園守、替紋は裏梅。俳名に魁玉・梅玉・梅苔。 大向うからは大成駒屋(おおなりこまや)の掛け声がかかった。本名は中村 榮太郎(なかむら ひでたろう)。.

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丸谷才一

丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月27日 - 2012年(平成24年)10月13日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。 主な作品に『笹まくら』『年の残り』『たつた一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』など。文字遣いは、1966年から74年までをのぞいて、歴史的仮名遣いを使用。日本文学の暗い私小説的な風土を批判し、軽妙で知的な作品を書くことを目指した。小説の傍ら『忠臣蔵とは何か』『後鳥羽院』『文章読本』などの評論・随筆も多数発表しており、また英文学者としてジョイスの『ユリシーズ』の翻訳などにも携わった。座談や講演も多く、「文壇三大音声」(〜おんじょう)の一人と自負していた。.

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主婦の友社

株式会社主婦の友社(しゅふのともしゃ、SHUFUNOTOMO Co.,Ltd.)とは、東京都文京区関口に本社を置く出版社である。 料理、健康、育児、インテリアなどに関する雑誌・書籍を出版している。カルチュア・コンビニエンス・クラブの連結子会.

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三島由紀夫

三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。血液型はA型「第一章」()。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である「第一回 三島由紀夫の誕生」()「十四 ノーベル文学賞の有力候補」()松永尚三「ヨーロッパ・フランス語圏における三島劇」()。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたTV番組に初めて出演した日本人でもある「三島由紀夫」()。 満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い佐伯彰一「三島由紀夫 人と作品」(新潮文庫版『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』解説、1973年12月執筆)「不思議な共感」「三島由紀夫の生まれ育った時代」()。 代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲に『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』などがある。修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体、古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴「第六回 舞台の多彩の魅力」()「各項〈作品解説〉」()。 晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。バルコニーでクーデターを促す演説をした後、割腹自殺を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与え、新右翼が生まれるなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を及ぼした(詳細は三島事件を参照)。.

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三田文学

『三田文學』(みたぶんがく)は、慶應義塾大学文学部を中心に刊行されてきた文芸雑誌であり、三田文学会の主催により、7回の休刊を経て現在に至る。かつては反自然主義的で耽美派で知られ、シュルレアリスムの作家・詩人も輩出してきた。。.

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三角関係

ビー玉で遊ぶ女子と男子、そしてそれを見つめるだけの男子 三角関係(さんかくかんけい)は、三人の人間が同時に恋愛関係に陥った状況、人間関係をいう。.

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三条通

三条大橋 京都市街中心部の様子 - 堺町通との交差点付近 山ノ内駅付近 三条通(さんじょうどおり)は京都府京都市の主要な東西の通りの一つ。 平安京の三条大路に相当する。また、鴨川に架かる三条大橋が東海道五十三次の終点だった。.

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下鴨

下鴨(しもがも)は、京都盆地北東部の賀茂川(鴨川)と高野川が合流する地点の北側に広がる地域である。京都市左京区に属する。.

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平山城児

平山 城児(ひらやま じょうじ、1931年10月28日 - )は、日本文学研究者、立教大学名誉教授。 京都生まれ。鎌倉育ち。作家・平山蘆江の孫。父は非凡閣の編集者などをしていた平山清郎。母は宝塚歌劇団に在籍した元タカラジェンヌで、戦後は同じ鎌倉市在住であった川端康成の『歌劇学校』の代筆をしていた平山宮子(旧姓:森下。芸名:近江ひさ子、宝塚歌劇団14期生)。湘南高等学校卒、1954年立教大学英文科卒、57年同大学院修士課程修了、60年立大日本文学科卒、65年同大学院博士課程中退、同大学一般教育部講師、67年助教授、74年教授、95年文学部教授、97年定年退任、名誉教授。上代文学と近代文学を研究した。妻は立教大学の学生時代(1962)に芥川賞候補になった加藤浩子。63年卒業後の5月に結婚した。息子は作家の平山瑞穂。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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乳母

乳母(うば、めのと)とは、母親に代わって子育てをする女性のこと。.

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平成

平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.

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年忌

年忌(ねんき)とは、祥月命日、また、その日に営まれる仏事のこと。日本の仏教において、定められた年に故人に対して営まれる法要を、年忌法要(年回法要)という。追善供養のために営まれる。 浄土真宗では追善供養だとはいわず、仏法にふれる機縁の法要としている。.

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幸田露伴

幸田 露伴(こうだ ろはん、1867年8月22日(慶応3年7月23日) - 1947年(昭和22年)7月30日)は、日本の小説家。本名は成行(しげゆき)。別号に蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸(現東京都)下谷生れ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。 『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また漢文学・日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。.

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幻冬舎新書

幻冬舎新書(げんとうしゃしんしょ、GS)は、株式会社幻冬舎が発行する新書レーベル。2006年11月30日に刊行開始。原則として奇数月の30日頃に数点ずつ刊行されている。2010年刊行の村山斉『宇宙は何でできているのか』が、新書大賞2011(中央公論新社主催)の大賞に選ばれている。姉妹レーベルとして、幻冬舎新書ゴールド(GSG)がある。.

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京都市

京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.

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京橋区

京橋区(きょうばしく)は、1878年から1947年にかけて東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の中央区の南部に位置していた。現在では京橋地域とされることもある。.

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人文書院

人文書院(じんぶんしょいん)は、日本の出版社。主に、仏・独の文学、哲学思想の紹介の他、ジークムント・フロイト、カール・グスタフ・ユングらの心理学・精神医学などの翻訳書や、宗教、歴史、民俗、文化人類学等の人文書の他、芸術、自然科学書などを出版している。.

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井原西鶴

井原 西鶴(いはら さいかく、寛永19年(1642年)? - 元禄6年8月10日(1693年9月9日))は、江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。別号は鶴永、二万翁、西鵬。 『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られる。談林派を代表する俳諧師でもあった。.

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今東光

今 東光(こん とうこう、1898年(明治31年)3月26日 - 1977年(昭和52年)9月19日)は、横浜生まれの天台宗僧侶(法名 春聽仏門に入った後は今春聽が戸籍名、今東光が筆名となった。自筆年譜には「午前5時、日輪と共に生る。依て父母之に命名して東光」とある。)、小説家、参議院議員。大正時代後期、新感覚派作家として出発し、出家後、長く文壇を離れるが、作家として復帰後は、住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など 奥州を題材にした作品で知られる。 作家・評論家で、初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)は三弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。国家主義者の伊東六十次郎は従弟。外交官の珍田捨巳は父方の遠縁にあたる。.

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仮名手本忠臣蔵

『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)とは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演。全十一段、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。赤穂事件を題材としたもの。通称「忠臣蔵」。 大石内蔵助こと大石良雄の家紋「二つ巴」。この家紋のことは『仮名手本忠臣蔵』においても作中に記されている。.

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伊吹和子

伊吹 和子(いぶき かずこ、1929年3月19日 –2015年12月16日)は、日本の編集者、エッセイスト。.

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伊藤整

伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 - 1969年(昭和44年)11月15日)は、日本の小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。位階は正五位。勲等は勲三等。本名は伊藤 整(いとう ひとし)。日本芸術院会員。 社団法人日本文藝家協会理事、東京工業大学教授、社団法人日本ペンクラブ副会長、財団法人日本近代文学館理事長などを歴任した。.

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伝統

伝統(でんとう)は、信仰、風習、制度、思想、学問、芸術などの様々な分野において、古くからのしきたり・様式・傾向、血筋、などの有形無形の系統を受け伝えることをいう。.

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住吉村 (兵庫県)

住吉村(すみよしむら)は、兵庫県武庫郡にあった村。現在の神戸市東灘区住吉各町および灘区六甲山町の東部にあたる。.

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佐藤春夫

佐藤 春夫(さとう はるお、1892年(明治25年)4月9日 - 1964年(昭和39年)5月6日)は、近代日本の詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。初代新宮市名誉市民。.

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佐野繁次郎

佐野 繁次郎(さの しげじろう、1900年1月22日 - 1987年12月2日)は、大阪府大阪市出身の洋画家。.

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徴兵検査

徴兵検査(ちょうへいけんさ)は徴兵制度のある国において、一定の年齢に達した者に対して身体検査を行い、合格した者を徴兵対象の候補者とするための検査である。.

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後藤末雄

後藤 末雄(ごとう すえお、1886年10月25日 - 1967年11月10日)は、作家、フランス文学者、比較文学・比較思想史研究者。 東京生まれ。「金座の後藤」と言われる工芸の旧家に生まれ、幼くして母を失う。府立三中、一高を経て、東京帝国大学英文科在学中、和辻哲郎、谷崎潤一郎、木村荘太らと第2次『新思潮』の創刊に参加し、小説家として出発する。1913年、東大仏文科を卒業。華々しくデビューした谷崎に対し、他の同人が創作から脱落していく中で、森鴎外らの愛顧を得て創作を続けるが、大正5年(1916年)、「女の哀話」もの小説を「遊蕩文学」として赤木桁平に攻撃され、なおも創作を続けた。 大正6-7年(1917-18年)には、大作『ジャン・クリストフ』を初訳刊行した、だが同時期に創作の筆を絶ち、1920年、永井荷風の世話で慶應義塾の教員となり、のち慶應義塾大学教授。昭和8年(1933年)、博士論文『支那思想のフランス西漸』を刊行し、儒教のフランス近代思想への影響を解明して、比較思想史の先駆的研究となった。.

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心不全

心不全(しんふぜん、heart failure)は、心臓の血液拍出が不十分であり、全身が必要とするだけの循環量を保てない病態を指す。.

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俗語

俗語(ぞくご)は、教養としてあつかわれない言葉一般のこと。.

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志賀直哉

志賀 直哉(しが なおや、1883年(明治16年)2月20日 - 1971年(昭和46年)10月21日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の小説家。白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ、多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に「暗夜行路」「和解」「小僧の神様」「城の崎にて」など。宮城県石巻生まれ、東京府育ち。.

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北野恒富

北野 恒富(きたの つねとみ、明治13年〈1880年〉5月28日 - 昭和22年〈1947年〉5月20日)とは、明治から昭和前期にかけての浮世絵師、日本画家、版画家。本名は北野富太郎、夜雨庵とも号した。.

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ミシェル・フーコー

ミシェル・フーコー(フコ)(Michel Foucault 、1926年10月15日 - 1984年6月25日)は、フランスの哲学者。『言葉と物』(1966)は当初「構造主義の考古学」の副題がついていたことから、当時流行していた構造主義の書として読まれ、構造主義の旗手とされた。フーコー自身は自分が構造主義者であると思っていたことはなく、むしろ構造主義を厳しく批判したため、のちにポスト構造主義者に分類されるようになる。代表作はその他、『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』など。.

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ノーベル文学賞

ノーベル文学賞(ノーベルぶんがくしょう、Nobelpriset i litteratur)はノーベル賞6部門のうちの一つ。文学の分野において理念をもって創作し、最も傑出した作品を創作した人物に授与される。原則として定数1名のみ受賞されるが、これまでに1904年のフレデリック・ミストラル、ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレや1917年のカール・ギェレルプ、ヘンリク・ポントピダン、1966年のシュムエル・アグノン、ネリー・ザックス、1974年のエイヴィンド・ユーンソン、ハリー・マーティンソンが2人同時受賞となっている。.

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マゾヒズム

マゾヒズム(ドイツ語: Masochismus 英語: Masochism)または被虐性欲(ひぎゃくせいよく)とは、肉体的精神的苦痛を与えられたり、羞恥心や屈辱感を誘導されることによって性的快感を味わったり、そのような状況に自分が立たされることを想像することで性的興奮を得る性的嗜好の一つのタイプである。極端な場合や世界保健機関のICDにおいては、精神疾患とも見なされ、この場合は性的倒錯(パラフィリア)となる。しかしながら現在デンマークにおいてはマゾヒストの人権に配慮してマゾヒズムは精神疾患とはみなされなくなった。ジル・ドゥルーズの批判にもかかわらず、ICDにおいてはサディズムとマゾヒズムは相関関係にあるという考えを背景にして両者は今なお「サドマゾヒズム(F 65.5)」という疾患名に包括されている。 なお、マゾヒズムという発音・表記はドイツ語と英語の混淆したものと推測される。発音は、英語ではマソキズム、ドイツ語(Masochismus)ではマゾヒスムスに近い。.

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モルグ街の殺人

モルグ街の殺人」(モルグがいのさつじん、The Murders in the Rue Morgue)は、1841年に発表されたエドガー・アラン・ポーの短編推理小説。ポー自身が編集主筆を務めていた『グレアムズ・マガジン』4月号に掲載された。史上初の推理小説とされておりSilverman, p.171.

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モダニズム

モダニズム(modernism)とは、.

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モダニズム文学

モダニズム文学(モダニズムぶんがく)は、20世紀文学の一潮流で、1920年前後に起こった前衛運動をさす。都市生活を背景にし、既成の手法を否定した前衛的な文学運動。ヨーロッパ、アメリカ合衆国、日本、ラテンアメリカなど各国でその動向が見られる。.

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トマス・ド・クインシー

Thomas de Quincey トマス・ド・クインシー(Thomas De Quincey 1785年8月15日 – 1859年12月8日)は、イギリスの評論家。 織物商トマス・クインシーの次男としてマンチェスターに生まれる。父トマスは文芸に趣味を持ち、1775年には匿名による旅行記『1772年夏、イギリス中部地方の短い旅、並びに1772年9月、同様の遠出の旅』を上梓したことがある。1793年7月18日、父が約3万ポンドの遺産を残して40歳で病死したため、4人の後見人の手に委ねられて育つ。 1796年、バースに転居する。この年、母が一家の苗字をド・クインシーと改姓する。バースのグラマースクールで古典語、特にコイネーに頭角を現し、古典ギリシア語を自在に操って、モーガン校長から「あの少年にアテネの暴徒相手に熱弁を振るわせたら、あなたや私がイギリスの暴徒に演説するより上手にやってのけるでしょうよ」と評されたこともある。1800年、マンチェスター・グラマースクールに転校する。大学進学をめぐる後見人との意見対立のため、1802年7月に同校から出奔する。代筆のアルバイトなどで小銭を稼ぎながら、北部ウェールズとロンドンで宿無しの放浪生活を送り、辛酸をなめる。 1803年、後見人と和解が成立したため、オックスフォード大学ウスター・カレッジに入学する。在学中、ワーズワースやチャールズ・ラムや コールリッジと交遊する。1804年秋、当時合法だった阿片を、歯痛への鎮痛剤として用い始め、のち中毒となる。1830年、エディンバラに定住する。 1833年、借金の罪で2回起訴され、債務者避難所に逐電する。1834年、債務不履行の罪で3回起訴される。1859年12月8日、エディンバラで死去した。74歳。 主著『阿片服用者の告白』(1822年)では、晦渋かつ華麗な文体で自らの阿片中毒体験を綴って反響を呼んだが、社会的影響が大きく、世人を悪習に誘ったとの非難も蒙った(詩人ジェイムズ・トムソンや同フランシス・トンプソンは同書の影響で阿片に親しむようになったと述べている)。この随想はボードレールを愛読者に持っていた他、ベルリオーズに霊感を与えて『幻想交響曲』を作曲させるなど、芸術家たちに多大な影響を及ぼした。 また、ブラックユーモアに満ちた評論「芸術の一分野として見た殺人」(1827年 - 1839年)に感銘を受けた谷崎潤一郎は、早くからこの論文への興味を作品中で表明し、1931年には「藝術の一種として見たる殺人に就いて」の題名で自ら『犯罪科学』誌に翻訳分載した。.

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トーマス・ハーディ

トーマス・ハーディの心臓が埋葬された墓 トーマス・ハーディ(Thomas Hardy OM, 1840年6月2日 - 1928年1月11日)は、イギリスの小説家、詩人。ドーセット州出身。.

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ブラックジョーク

ブラックジョーク()とは、倫理的に避けられるタブー(生死・差別・偏見・政治など)についての風刺的な描写や、ネガティブ・グロテスクな内容を含んだジョーク・コメディ・ユーモアを指す言葉である。 英語圏では語源の「Black humor ブラック・ユーモア」を初め、「Black comedy ブラック・コメディ」「Dark comedy ダーク・コメディ」とも呼ばれるが、意味する所に大きな違いはない。日本語では直訳である「黒い笑い」で形容されることもある。.

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プラトン社

プラトン社(プラトンしゃ、1922年 設立 - 1928年 廃業)は、かつて存在した日本の出版社である。大阪の化粧品会社の「中山太陽堂」(現クラブコスメチックス)が設立した。.

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プレイヤード叢書

縦170mm、横105mm、薄革表紙 プレイヤード叢書(La Bibliothèque de la Pléiade)は、パリのガリマール出版社刊行の、フランス文学を主とする、世界文学全集。『プレイヤード版』、『プレイヤッド叢書』などとも呼ばれる。選定した作家の、全作品(?必ずしも全作品ではない)を収録する。日本からは、谷崎潤一郎が取り上げられている。.

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パール・S・バック

パール・サイデンストリッカー・バック(Pearl Sydenstricker Buck, 1892年6月26日 - 1973年3月6日)はアメリカの女性小説家。南長老ミッション派宣教師の両親と中国(中華民国)に渡り、そこで育つ。処女作『東の風・西の風』に続き、1931年に代表作『大地』を発表して1932年にピュリッツァー賞を受賞。『大地』は『息子たち』『分裂せる家』とともに三部作『大地の家』を成す。1938年にノーベル文学賞を受賞した。.

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パニック障害

パニック障害(パニックしょうがい、Panic disorder; PD)とは、予期しないパニック発作(Panic attacks, PA)が繰り返し起こっており、1か月以上にわたりパニック発作について心配したり、行動を変えているという特徴を持つ不安障害に分類される精神障害である。 きっかけのないパニック発作は、4つ以上の特定の症状が急速に、10分以内に、頂点に達する『DSM-IV-TR』§パニック発作。典型的な悪化の仕方では最終的に広場恐怖症へと進展する。まれに幻聴や幻覚が起こることで知られるが、統合失調症ではない。 『精神障害の診断と統計マニュアル』第2版(DSM-II)における不安神経症は、1980年の第3版のDSM-IIIでは本項のパニック障害と、パニックがなく不安―心配―だけが持続している全般性不安障害へと分離された。1992年には、世界保健機関(WHO)の『国際疾病分類』(ICD-10)にも記載された。DSM-5ではパニック症の診断名も併記されている。 近年の研究によってその多くは心理的葛藤によるものではなく、脳機能障害として扱われるようになってきている。具体的には、脳内のノルアドレナリン系の核にあたる青斑核におけるGABA系システムの制御機能障害である。 治療には認知行動療法や薬物療法が推奨されている。治療には抗うつ薬が有効だが、ベンゾジアゼピン系抗不安薬が多用されているという2008年の指摘がある。45歳以降の発症では、身体疾患や薬物が原因である可能性がある『DSM-IV-TR』§パニック障害-鑑別診断。カフェインを中止することが良い結果をもたらすことがある。.

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デカダンス

フェリシアン・ロップス『ポルノクラート』エッチング&アクアチント デカダンス(décadence)は退廃的なこと。 特に文化史上で、19世紀末に既成のキリスト教的価値観に懐疑的で、芸術至上主義的な立場の一派に対して使われる。フランスのボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、イギリスのワイルドらを指す(デカダン派を参照)。.

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フランス語

フランス語(フランスご)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語。ロマンス諸語のひとつで、ラテン語の口語(俗ラテン語)から変化したフランス北部のオイル語(またはウィ語、langue d'oïl)が母体と言われている。日本語では、仏蘭西語、略して仏語とも書く。 世界で英語(約80の国・地域)に次ぐ2番目に多くの国・地域で使用されている言語で、フランス、スイス、ベルギー、カナダの他、かつてフランスやベルギーの領域だった諸国を中心に29カ国で公用語になっている(フランス語圏を参照)。全世界で1億2,300万人が主要言語として使用し、総話者数は2億人以上である。国際連合、欧州連合等の公用語の一つにも選ばれている。このフランス語の話者を、'''フランコフォン''' (francophone) と言う。.

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フェミニズム

フェミニズム フェミニズム(feminism)又は女性主義(じょせいしゅぎ)とは、性差別を廃止し、抑圧されていた女性の権利を拡張しようとする思想・運動、性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動などの総称。男女同権運動との関わりが深い。リベラル・フェミニズムやラディカル・フェミニズムなど、フェミニズムの思想は多様であり、一本の思想と考えることはできない。対置概念はマスキュリズム。 フェミニズムを主張する人のことを「フェミニスト」と呼ぶ。.

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フェティシズム

フェティシズム(fetishism)とは、人類学・宗教学では呪物崇拝、観点から ソーシャル、経済学では物神崇拝と訳される。また、心理学では性的倒錯の一つのあり方で、物品や生き物、人体の一部などに性的に引き寄せられ、性的魅惑を感じるものを言う。極端な場合は、性的倒錯や変態性欲の範疇に入る。 現代の日本でフェティシズムという場合、上記のうち心理学的な意味における「性的フェティシズム」を指すことが多い。本来、精神医学ではかなり深いこだわりを指すものであるが、省略形・俗語でフェチとも言い、単なる性的嗜好程度の意味で使われている。 フェティシズムを向ける対象をフェティッシュ(fetish)、フェティシズムの志向を持つ人をフェティシスト(fetishist)という。.

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ドナルド・キーン

ドナルド・キーン(1922年6月18日 - )は、アメリカ合衆国出身の日本文学者・日本学者。日本文学と日本文化研究の第一人者であり、文芸評論家としても多くの著作がある。日本国籍取得後、本名を出生名の「Donald Lawrence Keene」から、カタカナ表記の「キーン ドナルド」へと改めた。通称(雅号)として漢字で鬼怒鳴門(きーん どなるど)を使う。 コロンビア大学名誉教授。日本文化を欧米へ紹介して数多くの業績があり数多くの大学や研究施設から様々な受賞経歴を持つ。称号は東京都北区名誉区民、新潟県柏崎市名誉市民、ケンブリッジ大学、東北大学、杏林大学ほかから名誉博士。賞歴には全米文芸評論家賞受賞など。勲等は勲二等。2008年に文化勲章受章。また、日本ペンクラブの名誉会員であり、2012年11月26日の日本ペンクラブ創立記念懇談会では演説を行った。.

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ニヒリズム

ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、Nihilism、Nihilismus)とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。名称はラテン語の nihil (無) に由来する。.

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ベストセラー

ベストセラー(best seller)とは、よく売れた商品のこと。狭義には「ある特定の期間内に驚異的な売上を記録した物のこと」を言う。特に書籍について言うことが多い広辞苑。.

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刺青 (小説)

『刺青』(しせい)は、谷崎潤一郎の短編小説。谷崎本人が処女作だとしている短編で河盛好蔵「解説」()、皮膚や足に対するフェティシズムと、それに溺れる男の性的倒錯など、その後の谷崎作品に共通するモチーフが見られる初期の作品である「谷崎潤一郎作品案内」()。1910年(明治43年)11月、同人誌の第二次『新思潮』第3号に掲載された。単行本は、翌1911年(明治44年)12月に籾山書店より刊行された「主要著作目録」()。.

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和辻哲郎

和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。.

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和歌

和歌(わか)とは、短歌型式の古典詩。古典短歌。広義には『万葉集』に所収される歌体の総称。 「和歌」の訓は「やまとうた」である。「和」の代わりに「倭」の字が、「歌」の代わりに「謌」、「哥」の字が宛てられたこともある。なお、歌謡と混同されるおそれがない文脈においては「歌」「うた」と表記され、呼ばれることもある。 長連歌、俳諧、狂歌、川柳風狂句は定型の古典詩であるが、和歌には含まれない。また、明治の和歌革新家とその後継者の短歌作品、すなわち近現代短歌は「短歌」と称され、「和歌」とは称されない。近現代短歌はこの項では取り上げない。.

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アメリカ芸術科学アカデミー

アメリカ芸術科学アカデミー(アメリカげいじゅつかがくアカデミー、American Academy of Arts and Sciences, 略称: AAAS)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジに本部を置く学術団体である。通称、アメリカン・アカデミー (American Academy) 。 1780年に学芸を奨励するために設立、ジョン・アダムズ、ジェイムズ・ボーディン、ジョン・ハンコックによって独立戦争中に創設される。政治家・思想家・科学者・発明家などのフェローと外国人名誉会員会員を選出、式典は毎年10月に行われる。 会員にはベンジャミン・フランクリン、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、西脇順三郎、アレクサンダー・ハミルトンなどがいる。 外国人名誉会員の日本人には西脇順三郎、安部公房、大栗博司、村山斉、(1952年-、大阪府出身)有馬朗人、野依良治、林文夫、斎藤修がいる。.

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インターネットアーカイブ

旧インターネットアーカイブ本部(1996年 - 2009年11月) インターネットアーカイブ (The Internet Archive) は、WWW・マルチメディア資料のアーカイブ閲覧サービスとして有名なウェイバックマシン (Wayback Machine)を運営している団体である。本部はカリフォルニア州サンフランシスコのリッチモンド地区に置かれている。 アーカイブにはプログラムが自動で、または利用者が手動で収集したウェブページのコピー(ウェブアーカイブ)が混在しており、これは「WWWのスナップショット」と呼ばれる。ほか、ソフトウェア・映画・本・録音データ(音楽バンドなどの許可によるライブ公演の録音も含む)などがある。アーカイブは、それらの資料を無償で提供している。.

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イギリス文学者

イギリス文学者(イギリスぶんがくしゃ)とは、狭義にはイギリス文学作品の研究を専攻する研究者を、広義には英語で書かれた文学作品ないし英語圏における文学作品の研究者をいう。翻訳家・作家を含めて呼ぶ場合もある。 英文学者 (えいぶんがくしゃ) ともいう。イギリス文学#イギリス文学の研究者も参照。.

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ウィンダミア卿夫人の扇

『ウィンダミア卿夫人の扇』()はオスカー・ワイルドによって書かれた四幕構成の喜劇である。1892年2月20日土曜日にロンドンのセントジェームズ劇場にて初演された。この物語は、夫が他の女性と不倫をしているのではないかと疑っているレディ・ウィンダミアを中心にしている。レディ・ウィンダミアはこのことについて夫と対決し、夫は否定するが、妻の誕生日の舞踏会に不倫相手だと疑われている女性、アーリン夫人を招待しようとする。夫が不実だと考え怒ったレディ・ウィンダミアは、他の恋人を作って夫のもとを去ることに決める。何が起こったか知ったアーリン夫人はレディ・ウィンダミアを追いかけて夫のもとに戻るよう説得するが、このせいでアーリン夫人は自分の名誉に関わるような状況に追い込まれてしまう。実はアーリン夫人は、芝居開始時点より20年前に家族を捨てたレディ・ウィンダミアの母であった。アーリン夫人は自分の身と評判を犠牲にして娘の結婚を救った。.

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エロース

ース(Ἔρως,Erōs)は、ギリシア神話に登場する恋心と性愛を司る神である。ギリシア語でパスシオン則ち受苦として起こる「愛」を意味する普通名詞が神格化されたものである。日本語では長母音を省略してエロスとも呼ぶ。.

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エドウィン・O・ライシャワー

ドウィン・オールドファザー・ライシャワー(Edwin Oldfather Reischauer, 1910年10月15日 - 1990年9月1日)は、アメリカ合衆国の東洋史研究者である。ハーバード大学教授。1955年(昭和30年)から1963年(昭和38年)までハーバード燕京研究所所長、1961年(昭和36年)から1966年(昭和41年)まで、駐日アメリカ合衆国大使を務めた。大使退任後はハーバード大学日本研究所所長として歴史に限らず日本研究を推し進め、後進の指導にも尽力した。その功績から同研究所は1985年(昭和60年)にライシャワー日本研究所と改称されている。.

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エドガー・アラン・ポー

ドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日)は、アメリカ合衆国の小説家、詩人、評論家。マサチューセッツ州ボストンに生まれる。旅役者であった両親を早くに失い(父親は蒸発、母親は死亡)、名づけ親の商人アラン家に引き取られ、幼少期の一時期をロンドンで過ごした。帰国後17歳でヴァージニア大学に進む。学業成績は極めて優秀で、詩人としても認められるが、賭博、大酒で悪名を馳せる。養父アランと賭博の借金が原因で仲たがいになり退学。家を出て陸軍に入隊。いったん除隊して養父とのよりを戻し、こんどは士官学校に入学するもなじめず、規則違反行為で退学処分。その後、文筆で身をたてるべく詩や短編小説を創作し始める。(筆名には、養家名のアランをそのまま名乗ることはなく、ほとんどエドガー・A・ポー、あるいはエドガー・ポーとしている) ゴシック風の恐怖小説「アッシャー家の崩壊」「黒猫」、世界初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」、暗号小説の草分け「黄金虫」など多数の短編作品を発表、また1845年の詩「大鴉」でも評判を取った。また同時に有能な雑誌編集者であり、文芸批評家でもあったが、飲酒の悪癖などでトラブルを起こす癖はなおらず、いくつもの出版社を渡り歩いた。1833年、当時まだ13歳だった従妹ヴァージニア・クレムと結婚するが、1847年に貧苦の中で結核によって彼女を失い、その2年後にポー自身も謎めいた死を遂げた。 ポーはアメリカにおいて文筆だけで身を立てようとした最初の著名な作家であったが、文名を得てからもその生活はほぼ常に貧窮の中にあった。その作品は当初は本国よりもむしろヨーロッパで評価され、特にボードレールによるポーの翻訳はフランス象徴派の文学観形成に大きく寄与した。またポーが「モルグ街の殺人」で作り出したC・オーギュスト・デュパンの人物像は以後の推理小説における探偵の原型となっており、ポーは近代推理小説の開祖とみなされている。そのほか科学的知見を取り入れた『アーサー・ゴードン・ピムの物語』などの冒険譚はジュール・ヴェルヌら後世のSF作家にも影響を与えている。.

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オノレ・ド・バルザック

ノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac, 1799年5月20日 - 1850年8月18日)は、19世紀のフランスを代表する小説家。なおド・バルザックの「ド」は、貴族を気取った自称である。 イギリスの作家サマセット・モームは、『世界の十大小説』のなかで、バルザックを「確実に天才とよぶにふさわしい人物」と述べている。バルザックは90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆した。これは19世紀ロシア文学(ドストエフスキー、レフ・トルストイ)のさきがけとなった写実的小説群である。 『レ・ミゼラブル』で著名なヴィクトル・ユーゴーや、アレクサンドル・デュマの親友でもある。.

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オーブリー・ビアズリー

ーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley, 1872年8月21日 - 1898年3月16日)は、イギリスのイラストレーター、詩人、小説家。ヴィクトリア朝の世紀末美術を代表する存在。悪魔的な鋭さを持つ白黒のペン画で鬼才とうたわれたが、病弱ゆえに25歳の若さで夭折した。.

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オスカー・ワイルド

ー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 - 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。 耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動をしたが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。.

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グロテスク

テスク (grotesque) とは、古代ローマを起源とする異様な人物や動植物等に曲線模様をあしらった美術様式。.

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シャルル・ボードレール

ャルル=ピエール・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire()、1821年4月9日 - 1867年8月31日)は、フランスの詩人、評論家である。.

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スバル (文芸雑誌)

『スバル』は、1909年から1913年までに刊行された、ロマン主義的な文芸雑誌である。月刊。通巻60冊。菊判200頁内外。定価30銭。.

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スタンダール

タンダール(Stendhal、1783年1月23日 - 1842年3月23日)は、グルノーブル出身のフランスの小説家。本名はマリ=アンリ・ベール(Marie Henri Beyle)という。ペンネームのスタンダールはドイツの小都市シュテンダルに由来すると言われている。.

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サンデー毎日

ンデー毎日(サンデーまいにち)は、毎日新聞出版発行の週刊誌。1922年(大正11年)に週刊朝日と並んで最も早く創刊され、日本の週刊誌の老舗となっている。発行部数11万部はSPA!に次いで業界第11位。.

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サタニズム

タニズム(Satanism)、あるいは、ディアボリズム(diabolism)とは、宗教的主義の一つである。イデオロギー的、哲学的信条や社会的現象との関係を含み、悪魔主義、悪魔崇拝、悪魔信仰とも呼ばれる。 一般的にサタニズムといえば、「サタン(悪魔)」を崇拝し、悪の力をもって善なる力に打ち勝つことにより、世界征服を目的とすると想像されがちである。しかし、最大のサタニズム組織である「悪魔教会 (Church of Satan)」は、この考え方を否定している。悪魔教会は「サタン」が実際に存在するともしておらず、単にある概念を物質的に代表する名称として「サタン」の名を捉えている。 サタニズムにも様々な形が存在するが、多くのサタニズムでは、サタンとはイデア・人間性のある一面、もしくはあらゆる存在の源や宇宙を超越した何らかの力の人間界におけるインターフェースを意味する。また、「サタン」は一般的には悪や理不尽な力を連想させる言葉ではあるが、サタニズムの支持者にとってはある少数派的な精神性と思想を示す言葉でもある。 サタニズム信仰者の一人で悪魔教会の創設者であるアントン・ラヴェイは、たとえそれがサタンという名の神であってもあらゆる神を信仰しないとされている(このことから有神論のサタニズム信仰者も存在することからサタニズムが自己矛盾した存在であるとされることもあるが、それは誤りである)。一般的なサタニズム信仰者には、神に仕え、天の御命に従うような(欧米では一般的な)考え方は存在せず、自身の物質的・身体的な発展と解決が殊更に重視される。 このような主張から、サタニズム信仰者はキリスト教やユダヤ教といった伝統的な宗教の信仰を疎んじ、自己中心的な世界観を構築し、そして利己主義であることを好むと捉えられている。一般には理解しがたい信仰のように思われるが、密教における観音信仰に通ずるところがある。ただし、密教のそうした祈願または信仰の対象はあくまで仏・如来の化身とされるのに対し、サタニズムは一神教における神から堕して切り離された信仰対象であることに違いがある。.

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六甲村

六甲村(ろっこうむら)は、兵庫県武庫郡にあった村。現在の神戸市灘区の臨海部を除く東半にあたる。.

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六興出版

株式会社六興出版(ろっこうしゅっぱん)は、1992年まで存在した日本の中堅出版社。旧名は六興出版部、六興出版社。 1940年、商事会社の六興商事に大門一男が「出版部」を作ったことから始まる。戦後「六興出版部」となり、菊池寛の秘書だった佐藤碧子の夫の石井英之助、吉川英治の弟・吉川晋、直木三十五の愛人の弟・香西昇が文藝春秋から入社する。商事時代からの社長・小田部諦が死去して矢崎義治が2代目社長となる。1949年「六興出版社」と改称。吉川英治の著作を多数出版していた(『宮本武蔵』の版権をめぐって講談社と係争した過去がある)ほか、学術・文芸書を出版した。 1949年に中間小説雑誌『小説公園』を創刊。これも吉川英治の後援を受けていたが、赤字続きで1958年に廃刊となった。その前に風雪社の早稲田系の文芸誌『風雪』の経営を引き継いでいたが、『小説公園』の赤字の影響により1950年8月号で休刊となった。『風雪』に連載されていた林芙美子「浮雲」は文藝春秋新社の『文學界』に引き継がれた。1952年、石井が社長となる。1962年、石井の死により吉川が社長となる。1968年に吉川が死去したのちは吉川の未亡人が差配し、吉川関連の著作は重版し続けた。 後期は「石田幹之助著作集」など東洋史・東洋学を多く出していた。バブル期に行った不動産投機(自社ビル内に貸しスタジオを設置するなど)の失敗が原因で倒産した。 最終所在地は東京都文京区水道2-9-2。跡地にはキングレコードが入居し、現在は同社の江戸川橋スタジオとなっている。.

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兵庫県

兵庫県(ひょうごけん)は、日本の都道府県の一つ。本州の中西部に位置し、近畿地方に属する。県庁所在地は神戸市。.

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前田青邨

前田 青邨(まえだ せいそん、1885年1月27日 - 1977年10月27日)は、岐阜県中津川市出身の日本画家。妻は荻江節の5代目荻江露友。.

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創元社

創元社(そうげんしゃ)は、日本の出版社。大阪市に本社を置き、主に心理学、歴史学の書籍を出版している。 海外推理小説、SF小説の出版などで知られる東京創元社は、1954年にのれん分けで独立し別会社となったもの。.

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勝山町 (岡山県)

勝山町(かつやまちょう)は、岡山県真庭郡(旧・真島郡)に位置した町。近隣町村との合併により真庭市となった。旧町役場には市役所本庁が置かれたが後に久世へ移転し、真庭市役所勝山支局となった。.

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勝浦鞆雄

府立一中校長時代の勝浦鞆雄 勝浦 鞆雄(かつうら ともお、1850年3月11日(嘉永3年1月28日) - 1926年(大正15年)12月7日)は、日本の教育者。.

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国民文芸会

国民文芸会(こくみんぶんげいかい)は演劇刷新、民衆芸術進展を目指して1919年(大正8年)に設立された団体。 演劇通の外交官小村欣一と里見弴、田中純、小山内薫、久保田万太郎ら作家などが開いていた懇親会「劇友会」が発端である。当時、原敬内閣で民力涵養を唱えていた内務大臣床次竹二郎が賛同し、床次を相談役として1919年に国民文芸会として発足した。設立趣意書では、劇作家・俳優の育成、労働者のための演芸などを目標としていた。会員には実業家や政治家も名を連ねた。 国民文芸会は開演時間短縮、入場料低減、脚本検閲問題などの課題に取り組み、その過程で国立劇場設立の提案が出された。1923年(大正12年)初頭から国立劇場設置運動が活発になったが、一部の劇作家からは反対意見も出され、結局関東大震災のため、運動は中断した。 このほか、その年の優れた俳優や劇作家に「国民文芸賞」を授与した。.

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倚松庵

倚松庵(いしょうあん)は、兵庫県神戸市東灘区に建つ歴史的建造物。文豪谷崎潤一郎の旧居。ここで執筆された代表作にちなんで「『細雪』の家」とも呼ばれる。庵号は夫人の名前「松子」に因む。 1929年(昭和4年)に当時の武庫郡住吉村反高林1876-203に建てられた和風木造建築で、谷崎潤一郎は1936年11月から1943年11月まで居住した。なお、谷崎が居住した時期の家主は極東選手権競技大会サッカー日本代表の後藤靱雄であった。 1986年に、倚松庵が所在する住吉川畔に神戸新交通六甲アイランド線の橋脚建設計画が持ち上がると、専門家から計画敷地の脆弱性の指摘があったほか、美しい景観が破壊されるとして住民訴訟が行われたが、1990年(平成2年)に神戸市は建設を強行し、倚松庵は同じ東灘区内の現在地に移築された髙橋敬、神戸合同法律事務所 。これにより倚松庵周辺の景観は本来とは違うものになったが、5年後に兵庫県南部地震が起こり、専門家の指摘どおりアイランド線の橋脚は損壊したが、移築していた倚松庵は損壊を免れた。 「倚松庵」と呼ばれる家は6軒あったが、一般的に「倚松庵」といえば、谷崎の居住期間の長さからこの旧居を指す。.

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王朝

王朝(おうちょう、Dynasty)とは歴史の分類方法の一つで、君主の系列あるいはその系列が支配した時代を分類するための歴史用語である。「朝」は朝儀 に由来する。歴史家は歴史研究の都合上、君主の系列を各々の時代や文化圏にあわせて王朝として便宜的に分割してきた。そのため、王朝の定義や分類方法に世界共通の規則はなく、王朝の範囲は歴史家によって異なることがある。すなわち、現君主国が自ら王朝名を名乗ることはない。.

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灘区

原田通 灘区(なだく)は、神戸市を構成する9区のうちの一つで、同市の東部に位置する。 東灘区や西宮市と同様、西郷などの酒蔵が有名である。沢の鶴などの本社は灘区内である。 「灘区」とされた由来は、神戸市が区制を施行した1931年当時の神戸市域の中で唯一、灘五郷の範囲内であったことによる。その後1950年に神戸市に編入された地域が「東灘区」とされたのは、「灘区の東にある」ことによる。阪神間における灘、すなわち「灘五郷」が西宮市から神戸市灘区までを指し灘区はその西端に位置するにもかかわらず、また東灘区は、灘五郷の東というよりもむしろ中央部にあるにもかかわらず、区の名前が「灘区」「東灘区」となったのはこのためである。なお、灘駅は、灘区の全域が神戸市に編入される以前に設置され、当初より灘駅である。 灘区臨海部は神戸製鋼などの工場が並び、阪神工業地帯の一角を担う。国道43号線以北は阪神線、JR線、阪急線が並行して走る。また、灘区の山手には、関西有数の高級住宅街がある。篠原地区や青谷地区は人気の高い地域である。.

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磯田多佳

磯田多佳(いそだ たか、本名:たか、1879年 - 1945年5月15日)は、京都祇園甲部の芸妓で、京都市東山区祇園新橋に営業していたお茶屋『大友(だいとも)』の女将。.

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神と人との間

『神と人との間』(かみとひととのあいだ)は、谷崎潤一郎の自身の体験「細君譲渡事件」を題材にした中編小説。細君譲渡事件とは、谷崎が最初の妻・千代を佐藤春夫に譲った出来事をいう。また、これを原案とした2018年公開の日本映画である。.

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神奈川県

奈川県(かながわけん)は、日本の県の一つ。関東地方の南西端、東京都の南に位置する。県庁所在地は横浜市。県名は東海道筋に古くから栄えた宿場町神奈川宿(現・横浜市神奈川区)、および幕末に戸部町(現・横浜市西区紅葉ヶ丘)に置かれた神奈川奉行所に由来する。これら「神奈川」の由来は、京急仲木戸駅近くに流れていた長さ300メートル (m) ほどの小川の名前からで、現在は道路になっている。 都道府県別の人口は東京都に次ぐ第2位、人口密度は東京都、大阪府に次ぐ第3位である。県内総生産も東京都、大阪府、愛知県に次ぐ第4位となっている。県内の政令指定都市数は3つと日本最多で、面積は第43位の規模である(平成19年度面積)、国土地理院。。.

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神童

童(しんどう)とは、特定分野において驚異的な能力を発揮する人物、特に少年時代に並外れて優秀であった者に対しての尊称である。音楽や数学等の分野で「神童」と呼ばれる例が多く見られる。.

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神経衰弱 (精神疾患)

経衰弱(しんけいすいじゃく、英:Neurasthenia, shinkei-suijaku)は、疲労感、不安、抑うつ、頭痛、勃起不全、神経痛の症状を特徴とする状態の診断名である。アメリカの神経学者のが、1869年にはじめて認識し、この Neurasthenia を造語した。生活のストレスによる中枢神経系のエネルギーの枯渇の結果であると説明した。主に過労が原因だとされる。20世紀初頭にこの概念は世界的に受け入れられ、西洋では1930年代以降そうでもなくなった。2013年時点ではこの診断名が使われることは滅多にない。DSM-IVでは、鑑別不能型身体表現性障害 (Undifferentiated Somatoform Disorder)である。英語圏では俗称としてナーバス・ブレイクダウン(nervous breakdown)とも呼ばれる。 症状として精神的努力の後に極度の疲労が持続する、あるいは身体的な衰弱や消耗についての持続的な症状が出ることであり、具体的症状としては、めまい、筋緊張性頭痛、くつろげない感じ、いらいら感、消化不良などが出る。当時のアメリカでは都市化や工業化が進んだ結果、労働者の間でこの状態が多発していたことから病名が生まれた。戦前の経済成長期の日本で米社会と同じような状況が発生したことから、近代化社会がもたらす文明の病・過労の病として病名が輸入され日本でも有名になった。 知的労働を伴うデスクワークを行う、上流階級の人々に発生しやすいとされた。日本でもエリートの病気とされた。 1895年に、ジークムント・フロイト(1856年 - 1939年)が、神経衰弱から不安が主な症状である神経症の一種を独立させて、不安神経症と命名した。その原因は、ビアードによれば座って働く勤勉な階級が中枢神経系のエネルギーを使い果たしたのであり、フロイトによればたいていはオナニーのし過ぎによるリビドーの衰退である Saving Normal, 2013.

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神戸市

戸市(こうべし)は、兵庫県南部に位置する兵庫県の県庁所在地である。垂水区・須磨区・長田区・兵庫区・中央区・灘区・東灘区・北区・西区から構成される政令指定都市である。日本の市で6番目の人口を有する。.

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神戸文学館

かつて礼拝堂であった展示室 神戸文学館(こうべぶんがくかん、Kobe City Museum of Literature)は兵庫県神戸市灘区にある近代文学館。.

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福田平八郎

生家跡(大分市王子中町) 福田 平八郎(ふくだ へいはちろう、1892年2月28日 - 1974年3月22日)は、大分県出身の日本画家。 号は素僊(そせん)、九州。印に「馬安」を用いるが、父・母の名前にちなむ。 鋭い観察眼を基にした、対象がもつ雰囲気、美しさを抽出した表現が特徴とされる。生涯「水」の動き、感覚を追究していたとされ、「漣」は昭和天皇と一緒に魚釣りに行ったときの、池面に映る水面の模様を描写した作品である。.

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私小説

私小説(ししょうせつ、わたくししょうせつ)は、日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして書かれた小説をさす用語である。心境小説と呼ぶこともあるものの、私小説と心境小説は区別されることがある。日本における自然主義文学は、私小説として展開された。.

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秦恒平

恒平(はた こうへい、1935年12月21日 - )は日本の小説家。.

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秘密 (谷崎潤一郎の小説)

『秘密』(ひみつ)は、谷崎潤一郎の短編小説。普通の刺戟に飽いてしまった男が美しく女装して町に繰り出したり、再会した昔の女の秘密の住居に目隠しをしたままで赴いたりする物語。 1911年(明治44年)11月、『中央公論』に掲載された「谷崎潤一郎作品案内」()。初収録は同年12月に籾山書店より刊行の『刺青』「主要著作目録」()。.

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稲沢秀夫

沢 秀夫(いなざわ ひでお、1928年8月1日 - )は、日本の英文学者、学習院大学名誉教授。 千葉県生まれ。1952年東京大学文学部英文科卒。青山学院女子短期大学助教授、学習院大学英文科教授。1999年、定年退任、名誉教授。 アメリカ文学専攻だが、後年谷崎潤一郎に関心を抱き、谷崎松子に話を聞いて『聞書谷崎潤一郎』を刊行するが、松子によって多くが削除されたため、残りの秘話を『秘本谷崎潤一郎』としてワープロ打ちの私家版として刊行した。.

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竹久夢二

竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884年(明治17年)9月16日 - 1934年(昭和9年)9月1日)は、日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。.

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笠原伸夫

原 伸夫(かさはら のぶお、1932年1月13日 -2017年11月8日)は、日本近代文学研究者、文芸評論家。日本大学名誉教授。.

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第一高等学校 (旧制)

東大駒場Iキャンパス1号館 第一高等学校(だいいちこうとうがっこう、英語: First Higher School, Japan)は、現在の東京大学教養学部および、千葉大学医学部、同薬学部の前身となった旧制高等学校である。「旧制一高」とも呼ばれる。.

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第一高等学校 (旧制)の人物一覧

一高等学校の人物一覧(だいいちこうとうがっこうのじんぶついちらん)では、第一高等学校 (旧制)の主な出身者・教員・関係者などを記述する。.

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第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

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筑摩書房

株式会社筑摩書房(ちくましょぼう)は、日本の出版社。筑摩書房のマーク(空を截る鷹)のデザインは青山二郎作。 文学者を中心に個人全集は、増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と称されている。特に『世界文学全集』は多くの類書シリーズを刊行した。ほかに古典・現代文の教科書を現在まで毎年出版している。月刊PR誌に『ちくま』がある。.

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等持院

等持院(とうじいん)は、京都府京都市北区にある臨済宗天龍寺派の寺院。山号は萬年山。足利氏の菩提寺であり、足利尊氏の墓所としても知られる。.

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紫式部

紫式部 (土佐光起筆 石山寺蔵) 紫式部(むらさきしきぶ、生没年不詳)は、平安時代中期の女性作家、歌人。正確な誕生年は特定できないが、近年の研究では、970年(天禄元年)から978年(天元元年)の間に生まれ、1019年(寛仁3年)までは存命したことがわかっている上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK出版「100分de名著」ブックス 紫式部『源氏物語』P26(2015/12/25発行)。。 「源氏物語」の作者とされ、藤原道長の要請で宮中に上がった際に宮中の様子を書いた「紫式部日記」も残している。源氏物語と紫式部日記の2作品は、後に「源氏物語絵巻」、「紫式部日記絵巻」として絵画化された。また、歌人である紫式部には、子供時代から晩年に至るまで自らが詠んだ歌から選び収めた「紫式部集」がある。「小倉百人一首」にも和歌が収められており、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人でもある。 父の藤原為時は、官位は正五位下と下級貴族ながら上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、花山天皇に漢学を教えた漢詩人、歌人である。紫式部は藤原宣孝に嫁ぎ、一女(大弐三位)を産んだ。1001年(長保3年)に結婚後3年程で夫が死去する。その後「源氏物語」を書き始め紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その評判を聞いた藤原道長に召し出されて、一条天皇の中宮であり藤原道長の娘でもある中宮彰子(藤原彰子)に仕えている間に「源氏物語」を完成させた。 なお、「紫式部集」には、夫の藤原宣孝の死去に伴い詠んだ和歌「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」が収められている和歌の意「夫が火葬により煙となった夜から塩釜をとても身近に思う」(塩釜:海藻を焼き塩を取ることで知られる地名で、現在の宮城県塩竈市)。.

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細雪

『細雪』(ささめゆき)は、谷崎潤一郎の長編小説。1936年(昭和11年)秋から1941年(昭和16年)春までの大阪の旧家を舞台に、4姉妹の日常生活の悲喜こもごもを綴った作品「谷崎潤一郎作品案内」()。阪神間モダニズム時代の阪神間の生活文化を描いた作品としても知られ、全編の会話が船場言葉で書かれている。上流の大阪人の生活を描き絢爛でありながら、それゆえに第二次世界大戦前の崩壊寸前の滅びの美を内包し挽歌的切なさをも醸しだしている。舞台は阪神間だが、本質的には大阪(船場)文化の崩壊過程を描いている。 谷崎潤一郎の代表作であり、三島由紀夫をはじめ、多くの作家たちにより文芸評論・随想等で取り上げられ高く評価され、読書アンケートや名著選でも必ず近代文学の代表作に挙げられている作品である。『細雪』は〈天子様〉(昭和天皇)に献上されたが、通常は小説を読まない天皇が、この作品は全部読了したと谷崎は聞いたという。.

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細江光

細江 光(ほそえ ひかる、1959年5月 - )は、日本近代文学研究者、甲南女子大学名誉教授。 京都市生まれ。1984年東京大学国文科卒、1990年同大学院博士課程単位取得退学、甲南女子大学講師、助教授を経て教授、2011年退職、名誉教授。 谷崎潤一郎研究を主とし、1986年「誘惑女神」が谷崎の知られざる作品として発見されたと報道された後、これが倉田啓明という偽作家の作品であることを明らかにした。谷崎の実証的研究は精細で、新潮文庫の谷崎作品のほとんどに詳しい註をつけた。ほかに児童文学、宮崎駿のアニメーションなどを研究する。2008年「谷崎潤一郎 深層のレトリック」で大阪大学文学博士。 妻は志賀直哉研究者の生井知子(同志社女子大学教授)。.

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純文学

純文学(じゅんぶんがく)は、大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する、日本文学における用語。.

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この記事では美(び、καλόν カロン、 venustas, bellus、フランス語:beauté、beauty)について解説する。.

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義経千本桜

『義経千本桜』(よしつねせんぼんざくら)とは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。五段続、延享4年(1747年)11月、大坂竹本座にて初演。二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。「大物船矢倉/吉野花矢倉」(だいもつのふなやぐら/よしののはなやぐら)の角書きが付く。通称『千本桜』。源平合戦後の源義経の都落ちをきっかけに、実は生き延びていた平家の武将たちとそれに巻き込まれた者たちの悲劇を描く。.

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翻訳

翻訳(ほんやく)とは、Aの形で記録・表現されているものから、その意味するところに対応するBの形に翻案することである。一般に自然言語のそれを指し、起点言語 (source language、原言語) による文章を、別の目標言語 (target language、目的言語) による文章に変換する。例えば、英文から日本文へ翻訳された場合は、起点言語が英語であり、目標言語が日本語である。起点言語による文を原文といい、目標言語による文を訳文・翻訳文と言う。一方文章ではなく、自然言語の発話を別言語に置き換える行為は通訳とも呼ばれる。.

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真庭市

湯原温泉の老舗旅館「油屋」 真庭市(まにわし)は、岡山県の北中部に位置し鳥取県と境を接する市で、面積は県下自治体の中で最大である。.

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真庭郡

岡山県真庭郡の位置(緑:新庄村 薄黄・後に他郡に編入された区域) 真庭郡(まにわぐん)は、1900年に成立した岡山県の郡。日本の郡で最も人口が少ない。 以下の1村を含む。.

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猫と庄造と二人のをんな

『猫と庄造と二人のをんな』(ねことしょうぞうとふたりのおんな)は、谷崎潤一郎の長編小説。猫のリリーを中心に、2人の女と1人男の三角関係を描いた物語。 1936年(昭和11年)、雑誌『改造』1月号と7月号に掲載された「古典回帰の時代」()「谷崎潤一郎年譜」()。単行本は1937年(昭和12年)7月に創元社より刊行された「主要著作目録」().

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瘋癲老人日記

『瘋癲老人日記』(ふうてんろうじんにっき)は、谷崎潤一郎の長編小説。息子の嫁に性欲を覚える不能老人の性倒錯(脚フェティシズム)が身辺雑記の日記形式で綴られた作品「谷崎潤一郎作品案内」()。 『中央公論』1961年(昭和36年)11月から1962年(昭和37年)5月まで連載。1962年(昭和37年)5月に中央公論社から刊行され、毎日芸術賞大賞を受賞した、谷崎晩年の代表作。単行本は棟方志功の装幀。.

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絵巻物

源氏物語絵巻(東屋)徳川美術館蔵 平治物語絵巻(三条殿夜討の巻)ボストン美術館蔵 蒙古襲来絵詞 三の丸尚蔵館蔵 鳥獣人物戯画 高山寺蔵(甲巻、兎と蛙の相撲の場面) 絵巻物(えまきもの)は、日本の絵画形式の1つで、横長の紙(または絹)を水平方向につないで長大な画面を作り、情景や物語などを連続して表現したもの。「絵巻」とも言う。絵画とそれを説明する詞書が交互に現われるものが多いが、絵画のみのものもある。 最初の絵巻物は、奈良時代に制作された『絵因果経』であると言われる。これは巻物の下段に経文、上段にそれを絵解きする絵画を配したものである。 平安時代になると、王朝文学の物語、説話などを題材とした絵巻が制作されるようになった。これらは、金銀箔や野毛、砂子を撒き、花鳥などの下絵をあしらった料紙に連綿体で書かれた詞書と、それに対する絵を交互に配する独特の様式を生み出した。 物語絵巻は、『枕草子』『伊勢物語』『源氏物語』『宇治拾遺物語』などを、独特の表現で描写し、特に『源氏物語絵巻』は、濃厚な色彩で貴族の生活を描き、家屋は屋根を省略した吹抜屋台で描かれていて、当時の住居の状況や建具の使用状況などが一望できる。 鎌倉時代には、歌仙絵巻、戦記絵巻、そして寺社縁起や高僧の伝記絵巻などが多く制作された。 『源氏物語絵巻』・『信貴山縁起』・『伴大納言絵巻』・『鳥獣人物戯画』を、日本の四大絵巻物と称される。.

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痴人の愛

『痴人の愛』(ちじんのあい)は、谷崎潤一郎の長編小説。カフェーの女給から見出した15歳のナオミを育て、いずれは自分の妻にしようと思った真面目な男が、次第に少女にとりつかれ破滅するまでを描く物語。小悪魔的な女の奔放な行動を描いた代表作で、「ナオミズム」という言葉を生み出した「関西移住と美意識の変容」()。ナオミのモデルは、当時谷崎の妻であった千代の妹・小林せい子である「極彩色の悪夢」()。谷崎は連載再開の断り書きで、この小説を「私小説」と呼んでいる。 1924年(大正13年)3月20日から6月14日まで『大阪朝日新聞』に連載し、いったん中断後に雑誌『女性』11月号から翌1925年(大正13年)7月号まで掲載された「谷崎潤一郎作品案内」()。単行本は同年7月に改造社より刊行された「主要著作目録」()。.

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田中親美

中親美(たなか しんび、1875年(明治8年)4月9日 - 1975年(昭和50年)11月24日)は、日本美術研究家。古絵巻・古筆の第一人者、古筆の鑑定・収集家としても知られている。.

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田中慎弥

中 慎弥(たなか しんや、1972年(昭和47年)11月29日 - )は、日本の小説家。2005年(平成17年)に『冷たい水の羊』で第37回新潮新人賞を受賞後、いくつかの文学賞受賞を経て、2012年(平成24年)に『共喰い』で第146回(平成23年/2011年下半期)芥川賞を受賞した。.

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熱海市

熱海市(あたみし)は、静岡県の市。静岡県の最東部に位置し、神奈川県と接する。.

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物語

物語(ものがたり)は、.

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狭心症

狭心症(きょうしんしょう、angina pectoris)とは、虚血性心疾患の1つである。心臓の筋肉(心筋)に酸素を供給している冠動脈の異常(動脈硬化、攣縮など)による一過性の心筋の虚血のための胸痛・胸部圧迫感などの主症状である。なお、完全に冠動脈が閉塞、または著しい狭窄が起こり、心筋が壊死してしまった場合には心筋梗塞という。.

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直井明

井明(なおい あきら 1931年- )は日本の海外ミステリ研究家。エド・マクベインの研究者として知られ、マクベイン本人とも交流があった。.

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瀬戸内寂聴

戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年(大正11年)5月15日 - )は、日本の小説家、天台宗の尼僧。俗名晴美。京都府在住。 僧位は権大僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。学歴は徳島県立高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)、東京女子大学国語専攻部卒業。学位は文学士(東京女子大学)。元天台寺住職、現名誉住職。比叡山延暦寺禅光坊住職。元敦賀短期大学学長。徳島市名誉市民。京都市名誉市民。代表作には『夏の終り』や『花に問え』『場所』など多数。1988年以降には『源氏物語』に関連する著作が多い。これまで新潮同人雑誌賞を皮切りに、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞している。.

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白日夢 (谷崎潤一郎)

『白日夢』(はくじつむ)は、谷崎潤一郎の戯曲。全4幕から成る。歯科の治療を受けに来た青年が同じ患者の美しい令嬢を見るうち、麻酔の昏睡の中で白日夢を見る物語。1926年(大正15年)、雑誌『中央公論』9月号に掲載された「谷崎潤一郎年譜」()。 1922年(大正11年)発表の戯曲『白孤の湯』と『白日夢』を元に書いたヌードショーのレヴュー『白日夢』は、1959年(昭和34年)2月から5月まで、谷崎のお気に入り女優・春川ますみ出演で日劇ミュージックホールで上演された「老後の春――『白日夢』と春川ますみ」()。 『白日夢』の翻案作品はこれまで4度の映画化があり、最初の1964年(昭和39年)版は映画化の際に、監督・武智鉄二の脚本が掲載された雑誌『シナリオ』に、谷崎が「『白日夢』の映画化に寄せて」という一文を贈っている。この映画は警視庁が映倫にカットを要請し、猥褻映画として有名になった。1981年(昭和56年)版は佐藤慶と愛染恭子による本番が話題となった。.

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随筆

随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(essai新村出編『広辞苑』「エッセー」による直接の伝来元, essay)などともいう。「」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。 ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』(1580年)がこのジャンルの先駆者であり、欧米においては綿密な思索を基にした論文的なスタイルを念頭に置いてこの語を用いることがあるが、日本においては後述する江戸時代後期の日記的随筆のイメージもあって、もうすこし気楽な漫筆・漫文のスタイルを指して用いることがある。.

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随筆家

随筆家(ずいひつか)とは、随筆を書く者である。随筆が本業の者もあるが、兼業の場合も多い。エッセイスト(essayist)とも呼ばれる。.

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芥川龍之介

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。本名同じ、号は、俳号は我鬼。 その作品の多くは短編小説である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。.

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芦屋市

屋市(あしやし)は、兵庫県南東部にある市。阪神南県民センター管轄区域。屋の「」は、正確には「戸」の部分が旧字(「戶」)。本項では市制前の名称である精道村(せいどうむら)についても述べる。 国際観光文化都市に指定されている。兵庫県内において、摂津国であった阪神間の神戸市寄りに位置し、固有の阪神間モダニズム文化に育まれた瀟洒な街並を擁する。市内北部、平田町や松浜町といった中部は高級住宅地として名高く、市内南部は谷崎潤一郎の小説『細雪』の舞台になったことでも知られる。北に六甲山地、南に大阪湾を臨んだ豊かな自然と、南に緩やかに傾斜する地形は、美しい景観と温暖な気候を形成する。.

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芦屋市谷崎潤一郎記念館

日本庭園 芦屋市谷崎潤一郎記念館(あしやしたにざきじゅんいちろうきねんかん)は、兵庫県芦屋市にある文学館。小説家谷崎潤一郎に関する資料の保存と公開、およびその業績の顕彰を目的に1988年に開館した。.

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芸妓

芸妓(げいぎ)とは、舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性。芸者・芸子のこと。酒席に侍って各種の芸を披露し、座の取持ちを行う女子のことであり、太夫遊びが下火となった江戸時代中期ごろから盛んになった職業の一つである。 江戸時代には男芸者と女芸者とがあった。江戸時代には京都や大坂で芸者といえば男性である幇間(太鼓持ち)を指し、芸子が女性であったが、明治になると芸者が男性を指すことはなくなり、以降は大阪でも女性を芸者というようになった。京都では芸妓(げいこ)とよばれる。現代では料理屋(料亭)、待合茶屋に出入りする芸者が売春を行うことはない。地方の温泉地等ではコンパニオンと呼ばれる派遣の芸妓などが存在し、また俗に枕芸者と呼ばれるものも一部に残っている。 呼名・異称・用字にはさまざまなものがある。下記「名称」の項目を参照のこと。.

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芸術家

芸術家(げいじゅつか)とは、自身の芸術活動を主な収入源とする人を指す。アーティスト、アーチスト(artist)とも呼ばれる。日本語の「芸術家」と英語の「artist」には、若干の含みの違いがある。 後述する各分野の専門家のことを指すほか、一つの表現手法に拘らず、様々な形態で作品を制作している人物について使われる場合が多い。例えば絵だけで表現する人に対しては「画家」という肩書きが用いられるが、絵のほかに彫刻や建築デザインなど、複数のジャンルを手がけている人物に対しては「画家で彫刻家で建築デザイナー」などというよりも、簡潔に「芸術家」や「アーティスト」と表現されることがある。本来であれば、芸術活動に対する支援者(パトロン)からの全面的な支援を受け生計を立てている人か、作品の売上を主たる収入源とする人のみを指すが、実際には兼業でありながら有名になった芸術家も多い。.

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運命

運命(うんめい、ラテン語 fatum、英語 fate、destiny)とは、.

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運命 (幸田露伴)

『運命』(うんめい)は、幸田露伴が雄大な叙事詩調で描く文語体の歴史小説。初出は雑誌『改造』1919年(大正8年)4月創刊号に掲載。.

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鍵 (谷崎潤一郎)

『鍵』(かぎ)は、谷崎潤一郎の長編小説。読まれることを前提にして書かれた日記をお互い盗み読みする夫婦の愛欲の物語。この日記形式の物語世界を読む者もまた窃視の主体となるという仕掛けの構図を持つ作品である「谷崎潤一郎作品案内」()。谷崎の代表作の一つで、翻訳も世界各国で行われている。たびたび映像化されている作品でもある。 『中央公論』1956年(昭和31年)1月号に掲載された後、5月号から12月号まで連載された(全9回)山本健吉「解説」()。.

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草双紙

草双紙(くさぞうし)とは、江戸時代中頃から江戸で出版された絵入り娯楽本、赤本・黒本・青本・黄表紙・合巻の総称である。 この「草」は、草競馬・草相撲・草野球などの「草」とおなじ「一般の〜」という意味合いを含むものである。絵草紙(えぞうし)・絵双紙(えぞうし)・絵本(えほん)とも呼んだ。各頁の挿画の余白に平仮名の説明を添え、童話から始まり、次第に成人向けに進化した。江戸の大衆本・江戸地本の中心を占めた。.

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鏑木清方

鏑木 清方(かぶらき きよかた、1878年(明治11年)8月31日 - 1972年(昭和47年)3月2日)は、明治~昭和期の浮世絵師、日本画家。なお、姓は「かぶらぎ」でなく「かぶらき」と読むのが正しい。 近代日本の美人画家として上村松園、門下より出た伊東深水と並び称せられる。清方の作品は風景画などはまれで、ほとんどが人物画であり、単なる美人画というよりは明治時代の東京の風俗を写した風俗画というべき作品が多い。.

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菅楯彦

菅 楯彦(すが たてひこ、明治11年(1878年)3月4日 - 昭和38年(1963年)9月4日)は、日本画家。鳥取県鳥取市出身。本名は藤太郎。号は、初め盛虎、のち静湖、静香。大阪美術会会員。大阪市名誉市民。浪速の風俗を愛し「浪速御民(なにわみたみ)」と標榜、はんなりとした情趣ある浪速風俗画で「最も大阪らしい画家」と呼ばれた。.

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萬龍

萬龍(まんりゅう、1894年7月 - 1973年12月)は明治末に「日本一の美人」と謳われ、当時人気を博した芸妓である(文献によっては万竜、万龍、萬竜と表記されている)。明治40年代には、照葉とともに東京の二名妓と呼ばれ、全盛を極めた。.

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青山葬儀所

青山葬儀所(あおやまそうぎしょ)とは東京都港区南青山にある公営葬儀所。別名は青山斎場。.

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風俗

俗(ふうぞく、ふぞく) 風俗の定義・意味は主として次から成る。.

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要法寺

要法寺(ようぼうじ)は、京都府京都市左京区新高倉通孫橋上ル法皇寺町にある日蓮本宗の本山。山号は、多宝富士山。日興の法脈を継承する富士門流に属し、静岡県駿東地方に分布する富士五山や、保田妙本寺、伊豆実成寺とともに、同門流の興門八本山を構成している。 開基は日尊。1308年(延慶元年)、日尊は、諸国を遍歴し、京都山城に法華堂を建立した。1550年(天文19年)、日辰により上行院と住本寺を統合して要法寺が建立された。日蓮本宗は、宗祖日蓮、二祖日興、三祖日目、日尊は日蓮本宗第4代である。市街地の中に1万3500平方mの境内をもち、歴史ある建築が並ぶ。.

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観世栄夫

観世 栄夫(観世榮夫;かんぜ ひでお、1927年8月3日 - 2007年6月8日)は、シテ方観世流能楽師、俳優。一時喜多流に転流して後藤得三の芸養子となり、後藤 栄夫(ごとう ひでお)の名で活動したが、その後後藤との芸養子を解消して観世流に復帰していた。.

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読売新聞

読売新聞東京本社(千代田区大手町) 読売新聞旧東京本社(千代田区大手町、現存せず) 2010年10月から2014年1月まで読売新聞東京本社の仮社屋として使用されていた旧日産自動車本社ビル(中央区銀座) 読売新聞中部支社新社屋 読売新聞中部支社(旧中部本社)旧社屋 読売新聞大阪本社 読売新聞西部本社 読売新聞(よみうりしんぶん、新聞の題字および漢字制限前の表記は讀賣新聞、英語:Yomiuri Shimbun)は、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社および株式会社読売新聞西部本社が発行する新聞である。 題号は、江戸時代に瓦版を読みながら売っていた「読売」に由来する。.

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高萩宏

萩 宏(たかはぎ ひろし、1953年 - )は、日本の演劇制作者、アーツ・マネジメント研究者で、東京芸術劇場副館長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。.

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高血圧

血圧(こうけつあつ、Hypertension、高血圧症)とは、血圧が正常範囲を超えて高く維持されている状態である。高血圧自体の自覚症状は何もないことが多いが、虚血性心疾患、脳卒中、腎不全などの発症原因となるので臨床的には重大な状態である。 生活習慣病のひとつとされ、厚生労働省(2013年度)は男女共に通院者率の最も高い疾患として公表している(2位は男が糖尿病、女が腰痛)。 アメリカ合衆国では1995年に、成人全体の24%には高血圧があり、そのうちの53%の人は降圧剤を服用していた。日本には4,000万人の高血圧の人がいると推定されている(日本高血圧学会)。肥満、脂質異常症、糖尿病との合併は「死の四重奏」「syndrome X」「インスリン抵抗性症候群」などと称されていた。これらは現在メタボリックシンドロームと呼ばれる。.

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高齢者

齢者(こうれいしゃ)は、社会の中で他の成員に比して年齢が高い一群の成員のことである。ただ高齢者という年齢の定義はさまざまであり一定のものはない。 日本語においては、同義語として老人(ろうじん)、年寄(としより)、お年寄り(おとしより)などの言葉がある。また、この世代を老年(ろうねん)と称する場合がある。日本の公共交通機関には高齢者・障害者・病人・怪我人・妊婦などのための優先席が設けられているが、日本国有鉄道や東京都交通局など一部の事業者は、これを「シルバーシート」と表現していた。ここから、日本においては高齢者のことをシルバーとも呼ぶようになった。また、高齢者が自身を「シルバー」と表現することも多く見受けられる。高齢者の職業技能を生かすための、「シルバー人材センター」という名称の施設が各地に存在している。.

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高野山

壇場伽藍 壇場伽藍 不動堂(国宝) 高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。 2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。.

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講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

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講談社文芸文庫

講談社文芸文庫(こうだんしゃぶんげいぶんこ)は、講談社が発行している文庫判の叢書である。主に純文学、文芸評論の収録が多い。.

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魚崎町

戸市との合併直前の魚崎町(『魚崎町誌』より) 魚崎町(うおざきちょう)は、兵庫県武庫郡に属した町で、1914年(大正3年)5月に魚崎村から単独町制施行により成立し、1950年(昭和25年)に同県神戸市に併合されて東灘区の一部となった。現行町名(昭和44~45年制定)では魚崎南町、魚崎中町、魚崎北町、魚崎西町および甲南町3・4・5丁目の各一部が旧町域にあたる(魚崎浜町は人工島であり、当時は存在しなかった)。 魚崎村は市町村制施行時に、商家の多かった魚崎村(住吉川河口部両岸)と農村地帯である横屋村(住吉川左岸から天上川河口右岸の間)が合併して成立した。両地域とも町村制時代に著しく都市化が進み、空襲の被害を激しく蒙ったが、富豪の屋敷の跡地に住宅が立ち並んで、復興は進んだ。.

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谷崎精二

谷崎 精二 (たにざき せいじ、1890年12月19日 - 1971年12月14日)は、日本の英文学者、小説家。谷崎潤一郎の弟。.

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谷崎松子

谷崎 松子(たにざき まつこ、1903年9月24日 - 1991年2月1日)は、谷崎潤一郎の3人目で最後の妻、随筆家。『細雪』の幸子のモデル。.

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谷崎潤一郎訳源氏物語

谷崎潤一郎訳源氏物語(たにざきじゅんいちろうやくげんじものがたり)は、大正・昭和時代の小説家である谷崎潤一郎による、『源氏物語』の3回にわたる現代日本語訳の総称である。「谷崎訳源氏(たにざきやくげんじ)」、「潤一郎訳源氏(じゅんいちろうやくげんじ)」あるいは単に「谷崎源氏(たにざきげんじ)」とも呼ばれる。.

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谷崎潤一郎賞

谷崎潤一郎賞(たにざきじゅんいちろうしょう)は、中央公論社が1965年の創業80周年を機に、作家谷崎潤一郎にちなんで設けた文学賞である。中央公論新人賞(1956年開始)を発展解消させる形で開始された(なお、中央公論新人賞は1975年に復活し20年間続いた)。 時代を代表する優れた小説・戯曲を対象とし、発表は年1回、受賞作発表と選評の掲載は『中央公論』誌上で行われる。受賞は選考委員の合議によって決定される。受賞者には正賞として時計、副賞として100万円が授与される(なお、当初の正賞は賞牌で、副賞は第15回まで50万円だった)。.

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豊島区

豊島区(としまく)は、東京都西部に位置する特別区の一つ。.

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越前竹人形

『越前竹人形』(えちぜんたけにんぎょう)は、水上勉の小説。1963年発表。のちに映画化、ドラマ化されている。.

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足柄下郡

奈川県足柄下郡の範囲(1.箱根町 2.真鶴町 3.湯河原町 薄緑:後に他郡から編入した区域) 足柄下郡(あしがらしもぐん)は、神奈川県西部にある郡。 以下の3町を含む。.

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鹿ヶ谷通

鹿ヶ谷通(ししがたにどおり)は京都市内の南北の通り。 北は銀閣寺近くの今出川通から、南は南禅寺山内まで、東山北部の山麓を通る。 銀閣寺門前は観光地、南禅寺の近くは広大な庭園を備えた屋敷が続くが、途中は山裾の住宅地である。 西側の白川通と同じく南禅寺や永観堂付近では、観光シーズンに参拝客のタクシーや観光バスで混みあい、しばしば渋滞が発生する。.

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黒潮 (雑誌)

『黒潮』(くろしお、こくちょう)は、日本の総合雑誌。.

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辰野隆

辰野 隆(たつの ゆたか、1888年3月1日 - 1964年2月28日)は、フランス文学者、随筆家。東京帝国大学教授として多くの後進を育てた。.

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近親相姦

近親相姦(きんしんそうかん)は、近い親族関係にある者による性的行為である。日本語辞書や文学などの分野ではこの用語が用いられることが多い。ただし、臨床心理学などの分野で児童虐待問題に関連して扱われる場合は近親姦(きんしんかん)と呼ばれることも多い。英語では近い親族関係にある者による性的行為をインセスト(incest、ラテン語のincestusに由来)という。また人類学の一つであるジェンダー論においては兄弟レイプ、夫婦レイプなどレイプの一つとして扱われる。家庭内性暴力という言葉もあるが、この場合は家の使用人によるものも含まれる概念となる。 近親相姦は人類の多くの文化で禁忌扱いされるが、この現象のことをインセスト・タブーと呼ぶ。近親者間の性的行為は異性間、同性間を問わず発生し、また大人と子供、子供同士、大人同士のいずれも起こるが、その親族範囲や何をもって性的行為とみなすかに関しては文化的差異が大きく、法的に近親間の同意の上の性的行為を犯罪として裁くか否かに関しても国家間で対応が分かれる。 なお、近い親族関係にある者による婚姻のことは近親婚と呼び、関連して扱われることはあるが近親相姦とは異なる概念であり、近親相姦を違法化している法域においては近親相姦罪の対象となる近親の範囲が近親婚の定義する近親の範囲と異なっている場合がある。.

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錦絵

錦絵(にしきえ)とは江戸時代に確立した浮世絵版画の最終形態である。およそ明治30年代のころまで多く描かれている。.

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郭沫若

郭 沫若(かく まつじゃく Guo Moruo)は中華民国、中華人民共和国の政治家、文学者、詩人、歴史家。原名は郭開貞で、開貞は諱、沫若は号にあたる。字は鼎堂。中国の近代文学・歴史学の先駆者。.

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舟橋聖一

舟橋 聖一(ふなはし せいいち、1904年(明治37年)12月25日 - 1976年(昭和51年)1月13日)は、日本の小説家。東京生れ。旧制水戸高等学校を経て東京帝国大学文学部卒。弟は脚本家の舟橋和郎。 大学在学中に『朱門』の同人になり、また四代目河原崎長十郎や村山知義らと共に劇団「心座」の旗揚げに尽力する。1926年(大正15年)10月、『新潮』に戯曲『白い腕』を発表し文壇入りする。その後、明治大学教授として教鞭をとるかたわら、雑誌『行動』に参加して『ダイヴィング』を発表、行動主義、能動精神運動の中心となり、行動的ヒューマニズムによる現実改革者としての地位を確立した。多くの戯曲を書くが、1938年(昭和13年)に『文學界』に発表した小説『木石』で認められる。 戦後は『雪夫人絵図』などの風俗小説で流行作家となった。一方で自らが中心となって作家連合の「伽羅(キアラ)の会」(きゃらのかい)を結成し、『風景』を創刊。日本文芸家協会理事に選出され、著作権問題の解決に尽力した。代表作に『悉皆屋康吉』『花の生涯』『絵島生島』『新・忠臣蔵』『ある女の遠景』『好きな女の胸飾り』『お市御寮人』などがある。また丹羽文雄とは自他共に認めるライバル関係だった。 幼い頃からの相撲好きでも知られ、横綱審議委員会の委員を長く務め、のちに委員長に任じられた。.

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阪神間モダニズム

阪神間モダニズム(はんしんかんモダニズム)とは、明治時代に形成された帝塚山をモデルに開発された地区である。1900年代から1930年代の日本において、六甲山系と海に囲まれた理想的な地形を有する阪神間(兵庫県神戸市中央区・灘区・東灘区、芦屋市、西宮市、宝塚市、伊丹市、尼崎市、三田市、川西市)を中心とする地域に育まれた、近代的な芸術・文化・生活様式とその時代状況を指す。スプロール(都市拡大)による郊外化に伴い、神戸市須磨区や垂水区辺りや大阪府下の大阪市北中部、北摂地域までその文化圏は拡大した。.

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関口

関口(せきぐち)は、東京都文京区の町名。現行行政地名は関口一丁目から関口三丁目。郵便番号は112-0014。.

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関東大震災

関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒頃(日本時間、以下同様)に発生した関東大地震によって、南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害である。.

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門 (小説)

『門』(もん)は、夏目漱石の長編小説。1910年に「朝日新聞」に連載され、翌年1月に春陽堂より刊行された。 『三四郎』『それから』に続く、前期三部作最後の作品。親友であった安井を裏切って、その妻である御米と結婚した宗助が、罪悪感から救いを求める様を描く。 本項では同作品を原作にしたテレビドラマについても記述する。.

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藤原道兼

藤原 道兼(ふじわら の みちかね)は、平安時代中期の公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の三男。官位は正二位・関白、右大臣、贈正一位、太政大臣。同母の弟妹に詮子、道長らがいる。 父・兼家の意を受けて花山天皇を唆して出家・退位させる(寛和の変)。一条天皇が即位すると外祖父の兼家は摂政となり、道兼も栄達した。兼家が死去すると道兼の期待に反して長兄・道隆が関白となった。5年後に道隆が病死すると、待望の関白になるが、その僅か数日後に病死した。そのため「七日関白」と呼ばれる。.

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藤原道隆

藤原 道隆(ふじわら の みちたか)は、平安時代中期の公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の長男。官位は正二位・摂政・関白・内大臣。 花山天皇退位事件(寛和の変)で父兼家の意を受けて宮中で活動。甥にあたる一条天皇の即位後は急速に昇進した。娘・定子を女御として入内させ、後に中宮となす。父・兼家が死ぬと後を継いで関白となる。朝政を主導するが僅か5年ほどで病に倒れ、嫡男・伊周を後任の関白にと願うが、天皇からは許されず、薨御した。.

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藤原道長

藤原 道長(ふじわら の みちなが)は、平安時代の中期の公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の五男(または四男)。後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の外祖父にあたる。 父・兼家が摂政になり権力を握ると栄達するが、五男であり道隆、道兼という有力な兄がいたためさほど目立たない存在だった。しかし兼家の死後に摂関となった道隆が大酒、道兼が伝染病により相次いで病没。後に道隆の嫡男・伊周との政争に勝って左大臣として政権を掌握した。 一条天皇に長女の彰子を入内させ皇后(号は中宮)となす。次の三条天皇には次女の妍子を入れて中宮となす。だが三条天皇とは深刻な対立が生じ天皇の眼病を理由に退位に追い込み、彰子の生んだ後一条天皇の即位を実現して摂政となる。1年ほどで摂政を嫡子の頼通に譲り後継体制を固める。後一条天皇には四女の威子を入れて中宮となし、「一家立三后」(一家三后)と驚嘆された。さらには、六女の嬉子を後の後朱雀天皇となる敦良親王に入侍させた。晩年は壮大な法成寺の造営に精力を傾けた。.

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葉山三千子

葉山 三千子(はやま みちこ、1902年3月26日 - 1996年6月23日)は、日本の映画女優。小説家谷崎潤一郎の妻・千代の妹で、谷崎の傑作『痴人の愛』のヒロイン・ナオミのモデルであるとされる。群馬県前橋市出身。本名は和嶋 せい(わじま せい)。.

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肥満

肥満(ひまん、obesity)とは、一般的に、正常な状態に比べて体重が多い状況、あるいは体脂肪が過剰に蓄積した状況を言う。体重や体脂肪の増加に伴った症状の有無は問わない。体質性のものと症候性のものに分類できるが、後者を特に肥満症と呼ぶこともある。対義語は、羸痩(るいそう)である。主にヒトを含めた哺乳類で使われることが多い。以下ではヒトにおける肥満について論じる。ヒト以外の肥満については、などを参照のこと。中年太り(ちゅうねんぶとり)は肥満の一種。.

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肺炎

肺炎(はいえん、Pneumonia)とは、肺の炎症性疾患の総称である。 ある種の肺炎はワクチンによって予防可能である。他の方法には、手洗い、禁煙などがある。治療法はその原因によって異なり、細菌性のものであれば抗生物質が用いられる。重症の場合は一般的に入院となる。酸素レベルが低い場合は酸素吸入を行う。 肺炎は世界で年間4.5億人(人口の7%)が発症しており、うち400万人が死亡している。肺炎は19世紀にはウイリアム・オスラーに「男性死因の代表格」として描かれていたが、20世紀には抗生物質とワクチンの普及により生存率は改善された。しかしながら途上国では、現在も主要な死因の一つとされ、高齢者と若年者において代表的な慢性疾患である。しばしば肺炎は、死に近づいている者の象徴として描かれており「老人の友」と呼ばれている。.

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蓼喰ふ虫

『蓼喰ふ虫』(たでくうむし)は、谷崎潤一郎の長編小説。全14章から成る。谷崎の中期・成熟期を代表する作品で、愛情の冷めた夫婦を軸に理想の女性美の追求を描いている。日本の伝統美に目覚めた谷崎の転回点となった重要な作品である「関西移住と美意識の変容」()「谷崎潤一郎作品案内」()吉田健一「解説」()。 1928年(昭和3年)12月4日から1929年(昭和4年)6月18日まで『大阪毎日新聞』と『東京日日新聞』(東京は6月19日)に連載された(挿画:小出楢重)「関西移住と美意識の変容」()。単行本は1929年(昭和4年)11月に改造社より刊行された「主要著作目録」()。.

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脚フェティシズム

足フェティシズム(あしフェティシズム、Foot fetishism)とは、足部に非常に強い誘惑を覚えるフェティシズムの一種である。特に男性が女性の足に特別な性的嗜好を有する場合を言う場合が多いが、足フェティシズムは異性愛者にも同性愛者にも関係がある。またはポドフィリアともいう。また、脚部全体に対して用いる場合は脚フェティシズムという。足フェチ、脚フェチなどと略される。 同じ足・脚フェチであっても興奮する部位は異なることがある。大まかに分類すると以下のように分かれる。.

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野口武彦

野口 武彦(のぐち たけひこ、1937年6月28日 - )は、東京出身の文芸評論家、国文学者、神戸大学名誉教授。.

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野崎歓

野崎 歓(のざき かん、1959年1月21日- )は、日本のフランス文学者、東京大学教授。.

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野村尚吾

野村 尚吾(のむら しょうご、1912年1月2日 - 1975年5月15日)は、日本の編集者、作家、評論家。本名・利尚。.

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自然主義文学

自然主義文学(しぜんしゅぎぶんがく)は、19世紀末にフランスで提唱された文学理論に基づく作品、およびそこから影響を受けた日本の20世紀前半の文学のこと。 エミール・ゾラにより定義された学説の下、19世紀末、フランスを中心に起こった文学運動。自然の事実を観察し、「真実」を描くために、あらゆる美化を否定する。チャールズ・ダーウィンの進化論やクロード・ベルナール著『実験医学序説』の影響を受け、実験的展開を持つ小説のなかに、自然とその法則の作用、遺伝と社会環境の因果律の影響下にある人間を描き見出そうとする。.

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自殺

自殺(じさつ)とは、自分で自分を殺すこと。自害、自死、自決、自尽、自裁などとも言い、状況や方法で表現を使い分ける場合がある。 世界保健機関(WHO)によると、世界で2014年時点で毎年約80万人が自殺している。世界の自殺の75%は低中所得国で起こり、自殺は各国において死因の10位以内に入り、特に15〜29歳の年代では2位になっている(2012年)と報告している。 自殺は様々な事情が複雑に絡み合って生じる場合が多い。高所得国における主な理由は精神疾患(特にうつ病とアルコール乱用)であり、ほか金銭的問題、人間関係の破綻、慢性痛や病気などがある。WHOは「自殺は、そのほとんどが防ぐことのできる社会的な問題。適切な防止策を打てば自殺が防止できる」としている。そのうえでWHOは、一人一人のこの上なく尊い生命を守るため、本格的な予防戦略である世界自殺予防戦略(SUPRE)を実施している。このようなWHOに準ずる形で、各国で行政・公的機関・NPO・有志の方々による多種多様な自殺予防活動が行われている。日本では『支援情報検索サイト』『いきる・ささえる相談窓口』などが設けられていて「もしあなたが悩みを抱えていたら、ぜひ相談してください」と呼びかけている。日本では景気の回復に伴い、1978年から統計が始まった10万人あたりの自殺率が過去最低を下回った。.

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自我

自我(じが、ego、das Ich または )とは、哲学および精神分析学における概念。なお、ドイツ語代名詞の とは、頭文字を大文字で表記することで区別される。.

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金星堂

金星堂(きんせいどう)は東京都千代田区神田神保町3-21にある日本の出版社。 創業時は文芸作品を扱っていたが、現在は大学向け語学教科書の出版社として活動している。.

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腎不全

腎不全(じんふぜん、renal failure)は、腎臓機能が正常時の30%を下回り、それに伴い体内において異常を呈している状態、または症候。.

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苦楽園

苦楽園(くらくえん)は、兵庫県西宮市にある地名である。 同市の北中部から西部に至る山手側の地域を示し、苦楽園一番町から苦楽園六番町と分かれ、荘厳で閑静なお屋敷街を形成している。 西宮市内の甲陽園、甲東園など「園」がつく地域から成る西宮七園の一つに数えられ、関西屈指の高級邸宅街である。西宮七園の中でも最も山手(六甲山麓)に位置しており、財界人、文化人の豪邸が多く建てられている。市境を挟んで苦楽園五番町の西隣には同じく高級邸宅街で著名な芦屋市の六麓荘町がある。 苦楽園四番町、苦楽園五番町、苦楽園六番町にかかる山手一帯は芦屋市六麓荘町に隣接しており、数百、数千坪の豪邸が軒を連ね、企業家・資産家が多く住む界隈である。.

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英語

アメリカ英語とイギリス英語は特徴がある 英語(えいご、)は、イ・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、イギリス・イングランド地方を発祥とする言語である。.

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週刊新潮

『週刊新潮』(しゅうかんしんちょう)は、株式会社新潮社から発行されている週刊誌。1956年(昭和31年)2月6日(2月19日号)創刊。 発行部数53万部は週刊文春に次いで業界第2位。発売日は毎週木曜日(地域によっては金曜日・土曜日)。定価は400円(8%消費税込み)。.

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耽美主義

耽美主義(たんびしゅぎ、aestheticism)は、道徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮である。これを是とする風潮は19世紀後半、フランス・イギリスを中心に起こり、生活を芸術化して官能の享楽を求めた。1860年頃に始まり、作品の価値はそれに込められた思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にあるとする立場である。唯美主義、審美主義とも。.

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陰翳礼讃

『陰翳礼讃』(いんえいらいさん)は、谷崎潤一郎の随筆。まだ電灯がなかった時代の今日と違った日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じたもの。谷崎の代表的評論作品で、関西に移住した谷崎が日本の古典回帰に目覚めた時期の随筆である「古典回帰の時代」()「比類なき『大谷崎』――震災と変容」()。 西洋の文化では可能な限り部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着したが、いにしえの日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ映える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美意識・美学の特徴だと主張する。こうした主張のもと、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装の色彩など、多岐にわたって陰翳の考察がなされている。この随筆は、日本的なデザインを考える上で注目され、国内だけでなく、戦後翻訳されて以降、海外の知識人や映画人にも影響を与えている西野厚志「谷崎潤一郎研究史」()四方田犬彦「モダニスト潤一郎――谷崎潤一郎の映画体験」()。 雑誌『経済往来』の1933年(昭和8年)12月号と1934年(昭和9年)1月号に連載された「谷崎潤一郎年譜」()。単行本は1939年(昭和14年)6月に創元社より刊行された「主要著作目録」()。.

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抽象化

抽象化(ちゅうしょうか、Abstraction、Abstraktion)とは、思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は無視する方法である。反対に、ある要素を特に抜き出して、これを無視したり、切り捨てる意味もあり、この用法については捨象(しゃしょう)するという。従って、抽象と捨象は盾の両面といえる。.

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染井霊園

染井霊園(そめいれいえん)は東京都豊島区駒込にある都営霊園。旧称の染井墓地で呼ばれることも多い。水戸徳川家墓所。水戸徳川公爵家や府中松平家の江戸期の墓。徳川斉昭の生母や徳川昭武の生母、側室高橋悦子の墓がある。面積は67,911平方メートル、およそ5,500基の墓があり、8ヶ所ある都営霊園の中では最も規模が小さい。 園内には約100本のソメイヨシノ(染井の地が発祥といわれる。ソメイヨシノ#起源についての諸説を参照)が植えられ、遊歩道の一部は桜並木になっており桜の名所として親しまれている。.

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推理小説

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東京大学

記載なし。

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東京大学の人物一覧

東京大学の人物一覧(とうきょうだいがくのじんぶついちらん)は、東京大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・総長・名誉教授・公職者等は除く)。.

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東京市

東京市役所(東京府庁との合同庁舎) 東京市(とうきょうし)は、旧東京府(現東京都)東部に1889年(明治22年)から1943年(昭和18年)までの間に存在していた市である。東京府の府庁所在地。最終的な市域は現在の東京都区部(東京23区)に相当する。 東京市が存在していた時期以外の旧東京市地域の歴史については東京都の歴史を参照のこと。旧東京市地域の現状については東京都区部を参照のこと。.

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東京医科歯科大学医学部附属病院

東京医科歯科大学医学部附属病院(とうきょういかしかだいがくいがくぶふぞくびょういん)は、東京都文京区にある医療機関。国立大学法人東京医科歯科大学設置の大学病院である。歯学部附属病院とは設置者は同じだが別な病院となっている。 医歯総合を目標にした臨床研究などが盛んに行われている都内唯一の国立大学病院である難治性疾患(広い意味での難病、特に悪性腫瘍、神経難病、循環器疾患、自己免疫疾患、アレルギー疾患遺伝性疾患、生活習慣病)の診断・治療を得意とし、新たな治療法の開発などにも取り組んでいる。.

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東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

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東京都立日比谷高等学校

東京都立日比谷高等学校(とうきょうとりつひびやこうとうがっこう)は、東京都千代田区永田町二丁目にある全日制普通科の都立高等学校。.

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東京都立日比谷高等学校の人物一覧

東京都立日比谷高等学校人物一覧(とうきょうとりつひびやこうとうがっこうじんぶついちらん)は、東京都立日比谷高等学校およびその前身校の主な出身者・教員・関係者などについての一覧である。 ※全般的に多数につき各分野内において省略した。括弧内は卒業年。ただし、中途退学者等は例外あり。.

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東京朝日新聞

東京朝日新聞(とうきょうあさひしんぶん)は日本の日刊新聞である『朝日新聞』の東日本地区での旧題。現在の朝日新聞東京本社版の前身にあたる。略称は東朝(とうちょう)。 大正期には東京五大新聞(東京日日、報知、時事、國民、東京朝日)の一角として数えられた。関東大震災では大打撃を受けたが、大阪本拠の利点を生かして立ち直り、逆に在京既存紙を揺るがす形で伸張した。昭和初期までは「東亰朝日新聞」と「京」の異体字を使用していた。.

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東京日日新聞

#東京日日新聞(とうきょうにちにちしんぶん)は日本の日刊新聞である『毎日新聞』(まいにちしんぶん)の東日本地区の旧題号で、現在の毎日新聞東京本社発行による毎日新聞の前身にあたる。略称は「東日」(とうにち)。.

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東灘区

東灘区(ひがしなだく)は、神戸市を構成する9区のうちの一つで、同市の東端に位置する。西は灘区、東は芦屋市、北は北区と隣接している。 1995年の阪神・淡路大震災では、住吉周辺で最大震度7を記録する等、区内全域にわたり大きな被害を受けた。震災以後、マンションの増加や都心部へのアクセスの良さ(JR住吉駅に快速が、阪神御影駅に特急が、岡本駅・魚崎駅には全列車が停車し、それぞれ三宮へ約7分、梅田へ約20分程で到着可能)等の諸理由により、他市・他区からの転入者(特に若い子育て世代)の増加が著しく、震災後新たな区民となった割合が4割を超えている。そのため、区内の出生数も多い状態にあり、「多子高齢化」の状況が続いている。 また、神戸市第二の海上文化都市六甲アイランドは、全域当区内に属する。.

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栄花物語

『栄花物語』(えいがものがたり)は、平安時代の歴史物語。仮名文。女性の手になる編年体物語風史書。.

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桐野夏生

桐野 夏生(きりの なつお、1951年10月7日 - )は、日本の小説家。石川県金沢市生まれ。別のペンネーム野原野枝実(のばら のえみ)や桐野夏子の名でロマンス小説、ジュニア小説のほか、森園みるくのレディースコミック原作も手がけていた。 妊娠中に友人に誘われ、ロマンス小説を書いて応募し佳作当選。以後、小説を書くのが面白くなって書き続けたという。ミステリー小説第一作として応募した『顔に降りかかる雨』で第39回江戸川乱歩賞を受賞。ハードボイルドを得意とし、新宿歌舞伎町を舞台にした女性探偵、村野ミロのシリーズで独自の境地を開く。また、『OUT』では平凡なパート主婦の仲間が犯罪にのめりこんでいくプロセスを克明に描いて評判を呼び、日本での出版7年後に米国エドガー賞にノミネートされ、国際的にも評価が高い。代表作に『顔に降りかかる雨』(1993年)、『OUT』(1997年)、『柔らかな頬』(1999年)、『グロテスク』(2003年)、『東京島』(2008年)など。2015年に紫綬褒章を受章。.

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棟方志功

棟方 志功(むなかた しこう、1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)は、日本の板画家。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。 青森県出身。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意。1942年(昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。.

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森鴎外

森 外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部入学時は第一大学区医学校予科卒業。 大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。 晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任した。.

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横山泰三

横山 泰三(よこやま たいぞう、1917年(大正6年)2月28日 - 2007年(平成19年)6月10日)は、日本の漫画家。 昭和後期から平成初期にかけて活動した。毎日新聞夕刊および週刊新潮に連載された『プーサン』、朝日新聞朝刊に連載された1コマ漫画『社会戯評』などの風刺漫画で知られ、痛烈なアイデアと独特な画風で「戦後の漫画界に新風を巻き起こした」と評される。漫画家の横山隆一は実兄。.

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横浜

横浜、橫濱(よこはま).

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樋口富麻呂

樋口 富麻呂(ひぐち とみまろ、1898年(明治31年)3月1日 - 1981年(昭和56年)11月7日)は、大正時代から昭和時代にかけての日本画家、版画家。.

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橋口五葉

橋口 五葉(はしぐち ごよう、1881年(明治14年)12月21日 - 1921年(大正10年)2月24日)は明治末から大正期にかけて文学書の装幀作家、浮世絵研究者として活躍したが、最晩年、新版画作家として新境地を開こうとした矢先に急死した。アール・ヌーヴォー調の装幀本、「大正の歌麿」と形容された美人画を残している。.

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正宗白鳥

正宗 白鳥(まさむね はくちょう、1879年(明治12年)3月3日 - 1962年(昭和37年)10月28日)は、明治 から昭和にかけて活躍した小説家、劇作家、文学評論家。本名は正宗 忠夫(まさむね ただお)。.

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武庫郡

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歴史

Historia (Allégorie de l'Histoire). ニコラオス・ギジス(Nikolaos Gysis) (1892年) The Historian E. アービング・クーゼ(1902年) 歴史(れきし、羅: historia)は、何かしらの事物が時間的に変遷したありさま、あるいはそれに関する文書や記録のことをいう。主に国家や文明など人間の社会を対象とする。記述されたことを念頭に置いている。ヴィルヘルム・ヴィンデルバントの科学分類に拠れば、「自然科学が反復可能な一般的法則であるのに対し、歴史科学が対象とする歴史は反復が不可能である一回限りかつ個性を持つもの」と定義している。また、現在に至る歴史を「来歴」と言う。.

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歴史小説

歴史小説(れきししょうせつ)は、主として歴史上に実在した人物を用い、ほぼ史実に即したストーリー、またはその時代を設定して、その中での空想上の物語が書かれたものが展開される小説のことである。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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毎日出版文化賞

毎日出版文化賞(まいにちしゅっぱんぶんかしょう)は、毎日新聞社が主催(特別協力大日本印刷株式会社)する、優秀な出版物を対象とした文学・文化賞である。1947年に創設。毎年11月に受賞者が発表され、授賞式が東京で行われる。.

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毎日芸術賞

毎日芸術賞(まいにちげいじゅつしょう)は、毎日新聞社が主催する賞で、文学、演劇、音楽、美術、映画などの功績で人に与えられる。 年度受賞者を翌年の元日に発表するため、受賞年度について混乱が生じることがある。 1998年より新たに、演出家に与えられる千田是也賞が設けられた。.

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毎日新聞

毎日新聞大阪本社(大阪市北区) 毎日新聞北海道支社(札幌市中央区) 毎日新聞(まいにちしんぶん、)は、日本の新聞のひとつ。2017年9月期の販売部数(日本ABC協会調べ)は朝刊が約294万部、夕刊が73万部である 。毎日新聞社(毎日新聞グループホールディングス傘下)が発行している。 戦前から朝日新聞と共に2強に数えられていたが、拡販競争と西山事件による経営危機で後れを取り、1960年代後半から1970年代前半に掛けての読売新聞の発行部数増加などで販売不振が続いた。2008年には毎日デイリーニューズWaiWai問題が発覚し、再度経営問題が発生した。 現在のスローガンは、「報道に近道はない」。新聞販売店の愛称は「毎日ニュースポート」であるが、近年は呼称される機会が少ない。.

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毎日新聞社

株式会社毎日新聞社(まいにちしんぶんしゃ、英称:The Mainichi Newspapers Co., Ltd.)は、日本の大手新聞社の1つである。現在は、持株会社毎日新聞グループホールディングスの子会社となっている。.

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母親

母親と子 母と子供たち 母親(ははおや)とは、女親のことである。 お母さんと一般には言い、親しみをこめて「かあさん」「かあちゃん」「お袋」(おふくろ)などと呼ばれる場合もある。「母」という漢字の成り立ちは「女」に2つの乳房を加えた象形文字であり、子への哺乳者、授乳者であることを意味する。 お母さんという呼称は、.

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水上勉

水上 勉(みずかみ つとむ、1919年(大正8年)3月8日 - 2004年(平成16年)9月8日)は、日本の小説家。福井県大飯郡本郷村(現:おおい町)生まれ。一時「みなかみ」と読まれ、またそれをペンネームとしていたが、のちに本人の意向で本名の「みずかみ」に統一した。社会派推理小説『飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、伝記小説『一休』などで知られる。.

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永井荷風

永井 荷風(ながい かふう、1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)は、日本の小説家。本名は永井 壮吉(ながい そうきち、旧字体:壯吉)。号に金阜山人(きんぷさんじん)、断腸亭主人(だんちょうていしゅじん)ほか。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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江戸川乱歩

江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、男性、1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日)は、大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。 本名は平井 太郎(ひらい たろう)。日本推理作家協会初代理事長。位階は正五位。勲等は勲三等。 ペンネーム(江戸川乱歩)は作家の、エドガー・アラン・ポーに由来する。.

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河出書房新社

株式会社河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)は、日本の出版社である。本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷にある。 3代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1-3(短歌研究社、2004-06)がある。佐佐木幸綱、高野公彦、小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある。.

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河野多惠子

河野 多惠子(こうの たえこ、1926年(大正15年)4月30日 - 2015年(平成27年)1月29日)は、日本の小説家。勲三等瑞宝章、文化勲章受章。.

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法然院

法然院(ほうねんいん)は、京都市左京区鹿ヶ谷にある浄土宗系の寺院である。元は浄土宗内の独立した一本山であったが、昭和28年(1953年)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となる。正式名は、「善気山法然院萬無教寺」と号するが、院号の「法然院」で名が通っている。別称には「本山獅子谷法然院」がある。.

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泉鏡花

泉 鏡花(いずみ きょうか、1873年(明治6年)11月4日 - 1939年(昭和14年)9月7日)は、日本の小説家。明治後期から昭和初期にかけて活躍した。小説の他に戯曲や俳句も手がけた。本名、鏡太郎(きょうたろう)。金沢市下新町生れ。 尾崎紅葉に師事した。『夜行巡査』『外科室』で評価を得、『高野聖』で人気作家になる。江戸文芸の影響を深くうけた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られる。また近代における幻想文学の先駆者としても評価される。他の主要作品に『照葉狂言』『婦系図』『歌行燈』などがある。.

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津山市

津山市(つやまし)は、中国地方の東部、岡山県の北部に位置する市。岡山県では第三規模の都市である。.

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渡辺たをり

渡辺 たをり(わたなべ たをり、1953年 - )は、日本の随筆家。.

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渡部直己

渡部 直己(わたなべ なおみ、1952年2月26日 - )は、日本の文芸評論家。男性。早稲田大学文学学術院文化構想学部文芸・ジャーナリズム論系教授。 蓮實重彦、平岡篤頼、柄谷行人、金井美恵子、ジャン・リカルドゥー、ロラン・バルトらの影響を強く受ける。構造的隠喩の分析を得意とする、いわゆる「テクスト論」の文芸批評家としてデビュー。絓秀実との共著『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(1993年)などで知られる。.

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清水書院

清水書院(しみずしょいん、Shimizu Shoin co.,Ltd)は、東京都千代田区に本社を置く出版社。1946年の創業以降、主に教科書及び教育関連の書籍の出版・販売を行っているほか、辞典などの発行も行っている。.

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湯河原町

湯河原町(ゆがわらまち)は、神奈川県南西部にある町。湯河原温泉で有名な温泉町としてよく知られている。東海道本線が通る。古くから文豪、画家など多くの作家が逗留し創作の筆を執った。.

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源氏物語

土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。 朝顔」。雪まろばしの状景。邸内にいるのは源氏と紫の上。 『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である物語の他には「紫式部日記」や和歌集の「紫式部集」があり「小倉百人一首」にも和歌が収められている(*)。後に、紫式部の「源氏物語」と「紫式部日記」の2作品は絵画化された。約150年後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」、約200年後の鎌倉時代初期に「紫式部日記絵巻」が制作された。(*)「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。紫式部日記。。 下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。最初は、当時紙が貴重で紙の提供者がいれば、その都度書き江戸時代の松永貞徳の源氏物語の写本全54冊(54帖)の1冊1冊の厚みが示すように、紫式部は当初多くの分量は書けず1冊(1帖)の厚みは薄いが、支援者の藤原道長により安定した紙の供給が行なわれて以降は34帖「若菜」のように1冊(1帖)の厚みが急激に増した。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。(参考)『源氏物語』与謝野晶子訳、各帖の総ページ数より、1帖「桐壷」26、2帖「帚木」44、3帖「空蝉」12、そして、34帖「若菜」上192、下190。(角川文庫 1999年(平成11年)5月10日)所収、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。それを機に宮中に上がった紫式部は宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』を完成させた中宮彰子は一条天皇の妻であったが、一条天皇のもう一人の妻であり後に亡くなった藤原定子の家庭教師は清少納言だった。なお、藤原道長の要請で宮中に上がった紫式部は、宮中の様子を中心に書いた「紫式部日記」を残している。。 なお、源氏物語は文献初出から150年ほど後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された 五島美術館。現存する絵巻物の内、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。また現在、『源氏物語』は日本のみならず20ヶ国語を超える翻訳を通じ世界各国で読まれている 総合研究大学院大学教授 伊藤鉃也 日本文学研究専攻。2009年3月時点、刊行されたもの24種類、現在進行中のもの4種類、未確認(あるらしい、というもの)6種類。。.

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源泉の感情

『源泉の感情』(げんせんのかんじょう)は、三島由紀夫の対談集。1952年(昭和27年)から1968年(昭和43年)にかけて雑誌上で行なわれた小林秀雄、大江健三郎、舟橋聖一、安部公房、石原慎太郎、野坂昭如、福田恆存、大島渚、芥川比呂志、テネシー・ウィリアムズ、千宗室、坂東三津五郎、喜多村緑郎、喜多六平太、杵屋栄蔵、豊竹山城少掾、武原はんとの19話の対談が収録されている。文芸論、演劇論、伝統芸能、茶道談義から政治問題まで幅広い内容となっている。 1970年(昭和45年)10月30日に河出書房新社より刊行された山中剛史「著書目録――目次」()。2006年(平成18年)2月に河出文庫で収録内容を入れ替え再刊行されている。 書名の〈源泉の感情〉は、ヘルダーリンの『追想』の中の「多くの者は源泉へ行くことに畏怖の念を抱く」から取られたものと推測されるが、三島の『愛の疾走』の作中には、〈俺の心には、ジイドのいはゆる〈源泉の感情〉がいつもこんこんと湧き出てゐるのだ〉ともある。.

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満州

満洲(まんしゅう、マンジュ、拼音:Mǎnzhōu、英語:Manchuria)は、現在中華人民共和国において「中国東北部」と呼ばれる地域およびロシア連邦において「極東」と呼ばれる地域の一部を含めた北東アジアの特定地域を指す地域名。渤海・金朝・後金・清朝を建国した満洲民族や、夫余・高句麗を建国した濊貊族、鮮卑・烏桓・契丹・奚などモンゴル民族の故地である。なお、漢字表記は法令や一部の文献では「満洲」が用いられるものの、一般には「満州」が用いられることが多い。 「満洲」という言葉は、もともとは12世紀にはおもに民族名を指していた。しかし19世紀の日本では満洲、満洲国とは地域をさし、民族は「満洲族」と呼ぶようになった。.

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漢詩

漢詩(かんし)とは、中国の伝統的な詩。韻文における文体の一つ。狭義には後漢時代に確立した中国の国家芸術としての詩のこと。中華文明の伝来に伴い、8世紀から日本でも詠まれた。.

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漢語

日本語における漢語(かんご)とは、語種の一区分である。比較的古い時代の中国語から借用された形態素、すなわち漢字の字音から構成される語彙体系である。漢字の音読みと対応する語彙体系であるので字音語と称することもある佐藤喜代治(1996)、88頁。。固有語である「和語」、漢語以外の借用語である「外来語(洋語)」と対立する概念である。 漢語の原義は「漢民族の言語」であり、本来は漢民族が母語である中国語を自称する際の用語なのだが、日本においては国語として定着した中国由来の語彙体系を「漢語」と総称することが多い。また、漢字の字音は複合の自由度が高く、日本で独自に造語されたいわゆる「和製漢語」も多い。 日本語以外でも、朝鮮語、ベトナム語などの言語は同様の語彙体系を有している。これら言語が有する中国由来の語彙体系をまとめて「漢語系語彙(Sinoxenic vocabulary)」と呼ぶことがある。.

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漢文

漢文(かんぶん)とは、古代中国の文語体の文章のこと。または近代中国人・朝鮮人・日本人・ベトナム人によって書かれる古典的な文章語のうち、漢字を用いて中国語の文法で書かれたものをいう。.

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朝鮮

統一旗 朝鮮(ちょうせん、チョソン、조선)は、朝鮮半島および済州島、巨文島、鬱陵島など周囲の島嶼・海域を併せた地域を表す呼称。ユーラシア大陸の東端に位置し、北西に中華人民共和国、北東にロシア、南東に対馬海峡西水道(朝鮮海峡)を隔てて日本と隣接する。 この地の全域を、大韓民国(韓国)も朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)も共に自国の領土に定めており、両国の領土は完全に一致重複している。しかし現実は朝鮮戦争以降、軍事境界線(38度線)を境に北半部は北朝鮮が、南半部は韓国が実効支配している。.

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朝日賞

朝日賞(あさひしょう)とは、朝日新聞社、並びに(公益)財団法人朝日新聞文化財団が創設した賞である。「人文や自然科学など、日本のさまざまな分野において傑出した業績をあげ、文化、社会の発展、向上に多大な貢献」をした個人または団体を顕彰する。1929年(昭和4年)に、朝日新聞創刊50周年を記念して創設された。当初は朝日文化賞といったが、1976年改名された。なお年度受賞者を翌年の元日に発表するため、受賞年度について混乱が生じることがある。 毎年1回、各界からの推薦をもとに、(公財)朝日新聞文化財団と、親会社・朝日新聞社の選考委員会が審査・選定し、元日に発表される。受賞者は例年5人前後。贈呈式は1月下旬、大佛次郎賞・大佛次郎論壇賞の贈呈式と合同して行われる。受賞者には、正賞としてブロンズ像が、副賞として500万円が贈られる。.

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朝日新聞

朝日新聞社の社旗(西日本版) 中之島にある朝日新聞大阪本社 中央区築地にある朝日新聞東京本社 栄にある朝日新聞名古屋本社 北九州市小倉北区リバーウォーク北九州にある朝日新聞西部本社 福岡市博多区博多駅前にある朝日新聞福岡本部 中央区にある朝日新聞北海道支社 朝日新聞(あさひしんぶん、The Asahi Shimbun)は、日本の日刊の全国紙。朝日新聞社が編集・発行する新聞で、同社のメイン新聞である。販売部数は、全国紙では読売新聞に次ぐ業界2位。.

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朝日新聞社

株式会社朝日新聞社(あさひしんぶんしゃ、英語:The Asahi Shimbun Company)は、全国紙『朝日新聞』を発行する日本の新聞社である。新聞以外に雑誌・書籍の出版や芸術作品の展示・公演、スポーツ大会の開催などの事業活動も行う例えば、全国高等学校野球選手権大会(いわゆる「夏の甲子園」)を日本高等学校野球連盟と共に主催している。。 新聞販売店の名称は「ASA」(朝日新聞サービスアンカー, Asahi Shimbun Service Anchor)であり、日本全国で約3000か所、従業員数約7万8,000人を擁する。日本ABC協会の調査によると海外を含む。 創立は1879年(明治12年)1月8日、日本国内の本支社数は5社、取材拠点は293か所、印刷拠点は24か所であり、日本国外機関は34拠点存在する。.

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木下杢太郎

木下 杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)8月1日 - 1945年(昭和20年)10月15日。本名:太田正雄)は、詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家、皮膚科の医学者。大学医学部の教授を歴任し、また、南蛮情緒的、切支丹趣味、耽美享楽的など言われるきらびやかな詩や戯曲を残した。堀花村(ほりかそん)、地下一尺生、葱南(そうなん)、などの筆名も用いた。.

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木村荘太

木村 荘太(きむら そうた 1889年2月3日 - 1950年4月15日)は東京府出身の作家、翻訳家。本名の読みは「しょうた」。別名に久木今作、木村艸太(そうた)。.

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木村荘八

木村 荘八(きむら しょうはち、1893年(明治26年)8月21日 - 1958年(昭和33年)11月18日)は、日本の洋画家、随筆家、版画家。.

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本山町 (神戸市)

本山町(もとやまちょう)は神戸市東灘区の町名の一つで、旧・本山村域(本山地区)のうち山林とその辺縁の住宅地に相当する。区東北部の山岳地帯であり、同区最後の住居表示未実施区域である。 西から順に、田中・野寄・岡本・田辺・北畑・中野・森の7大字を有する。平成17年国勢調査(2005年10月1日現在)における世帯数は94、人口234で内男性108人・女性126 人。.

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本山村 (兵庫県)

本山村(もとやまむら)は、兵庫県に明治22年(1889年)に誕生した村の一つで、最初菟原郡、後武庫郡に属し、昭和25年(1950年)に神戸市東灘区の一部(本山地域)として編入された。.

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月の囁き

『月の囁き』(つきのささやき)は、谷崎潤一郎の映画脚本。映画化を企図して書かれたが、実現できずに終わった作品である「谷崎潤一郎略年譜」()。1921年(大正10年)、雑誌『現代』(大日本雄弁会講談社刊行)の1月・2月号、4月号に連載された。 『アマチュア倶楽部』に続き、大正活映の製作で上山珊瑚を主演に撮られることが決まっていたが延期されてしまい、そのまま製作されなかった。 撮影用の台本をそのまま掲載したのか、読者用に手を加えたのかは不明。セリフの字幕化を想像させるような、サイレント映画を念頭においた記述もあるが、登場人物が音声を発しているように読める記述もある。当時トーキーは普及以前であり、あまりシナリオとしての実践性にこだわらずに書かれたようにも読める。.

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戯曲

戯曲(ぎきょく)は、演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本のかたちで執筆された文学作品。戯曲を書く者のことを劇作家と呼ぶ。.

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戒名

戒名(かいみょう)は、仏教において受戒した者に与えられる名前である。仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして与えられる。 上座部仏教と大乗仏教の両方で行われており、多くの場合、出家修道者に対して授戒の師僧によって与えられる。上座部では出家後に南伝仏典に残る阿羅漢に変名するため、その意味で「法名」と呼ぶ。 また、仏弟子として新たに身につける真の名前という意義から「法諱」(ほうい、ほうき)ともいった。 また日本においては、死生観の変化により死後に成仏するという思想のもと、故人に戒名を授ける風習が生れた。(「成仏#日本文化のなかでの「成仏」」を参照。)死後の戒名は、特に日本において盛んに行われている。寺に支払った金額によって戒名のランクが変化する。とは言うものの、故人の社会的地位始め社会貢献度、またお寺への貢献度などによるため、高額を払ったからといって、高い位の戒名をもらえるわけではない。 一般にカナ文字を用いないため、転じて、「漢字のみの縦書き文字列」の俗的表現として用いられることがあり、特に新聞・雑誌編集においてカナ文字を含まない見出しをこう称し、読者に不快感を催しかねない表現とされる。; 戒名を用いない宗旨.

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明石町 (東京都中央区)

明石町(あかしちょう)は、東京都中央区の地名で、旧京橋区にあたる京橋地域内である。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は104-0044。.

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明里千章

明里 千章(あかり ちあき、男性、1952年(昭和27年)9月 - )は、千里金蘭大学教授。 1976年(昭和51年)慶應義塾大学国文科卒、1980年(昭和55年)同大学院修士課程修了、1994年(平成6年)金蘭短期大学国文科専任講師、1997年(平成9年)助教授、のち校名変更で現職。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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明治東京地震

明治東京地震(めいじとうきょうじしん)とは1894年(明治27年)6月20日14時4分、東京湾北部(北緯35.7度、東経139.8度)を震源として発生した地震である。南関東直下地震の一つ。地震の規模はマグニチュード 7.0、震源の深さは約40kmから80kmと推定される。.

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映画

映画(えいが)とは、長いフィルムに高速度で連続撮影した静止画像(写真)を映写機で映写幕(スクリーン)に連続投影することで、形や動きを再現するもの。活動写真、キネマ、シネマとも。 なお、本来の語義からははずれるものの、フィルムではなくビデオテープなどに磁気記録撮影されたものや映画館で上映される動画作品全般についても、慣例的に映画と呼ばれている。.

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春琴抄

『春琴抄』(しゅんきんしょう)は、谷崎潤一郎による中編小説。盲目の三味線奏者・春琴に丁稚の佐助が献身的に仕えていく物語の中で、マゾヒズムを超越した本質的な耽美主義を描く。句読点や改行を大胆に省略した独自の文体が特徴。谷崎の代表作の一つで、映像化が多くなされている作品でもある。 1933年(昭和8年)6月、『中央公論』に発表された「谷崎潤一郎作品案内」()。単行本は同年12月に創元社より刊行された「主要著作目録」()。.

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春秋社

春秋社(しゅんじゅうしゃ)は、日本の出版社。仏教を主とした宗教書を軸に哲学、思想、心理、文学、音楽の各部門の専門・入門書を刊行している。ほかに音楽書の『世界音楽全集 ピアノ篇』シリーズで、井口基成編集による校訂版は1949年に初出版されて以来、現在もピアノの学習者にとって好評である。.

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春陽堂書店

株式会社春陽堂書店(しゅんようどうしょてん)は、日本の出版社。1878年(明治11年)に創業。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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新小説

『新小説』(しんしょうせつ)は、戦前の日本に存在した文芸雑誌の一つ。1889年(明治22年)1月から1890年6月まで(第1次)、および1896年7月から1926年11月まで(第2次)発行された。1927年(昭和2年)1月から、『黒潮』(くろしお)と改題し、同年3月まで3号のみ発行した。.

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新青年 (日本)

『新青年』(しんせいねん)は、1920年に創刊され、1950年まで続いた日本の雑誌。発行は博文館(末期は同社解体のため、江古田書房→文友館→博友社に移籍)。 1920年代から1930年代に流行したモダニズムの代表的な雑誌の一つであり、「都会的雑誌」として都市部のインテリ青年層の間で人気を博した。国内外の探偵小説を紹介し、また江戸川乱歩、横溝正史を初めとする多くの探偵小説作家の活躍の場となって、日本の推理小説の歴史上、大きな役割を果たした。また牧逸馬、夢野久作、小栗虫太郎、久生十蘭といった異端作家を生み出した。平均発行部数は3万部前後、多い時は5-6万部に達していたと言われている。また内務省警保局による調査では、1927年(昭和2年)当時約1万5000部、第18巻第1号(1937年2月1日発行)が3万部、第19巻第3号(1938年2月5日発行)が2万1000部となっている。 日本の探偵小説を語る上で欠かすことのできない雑誌であるが、探偵小説専門誌でもなければ小説専門誌でもなく、現代小説から時代小説まで、さらには映画・演芸・スポーツなどのさまざまな話題を掲載した娯楽総合雑誌であった。.

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新藤兼人

新藤 兼人(しんどう かねと、1912年(明治45年)4月22日 - 2012年(平成24年)5月29日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は新藤 兼登(読み方同じ)。日本のインディペンデント映画の先駆者であった。近代映画協会会長。従三位、広島県名誉県民、広島市名誉市民、広島県三原市名誉市民。.

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新潮

『新潮』(しんちょう)は、新潮社が発行している月刊の文芸雑誌。1904年5月5日創刊。 新潮新人賞(1969年-)を主催し、川端康成文学賞と三島由紀夫賞と萩原朔太郎賞の受賞発表を行っている。新潮社の純文学部門を担う位置付けとされており、同社の『小説新潮』が大衆小説部門を担っているのと対をなす。 この『新潮』と、『文學界』(文藝春秋発行)、『群像』(講談社発行)、『すばる』(集英社発行)、『文藝』(河出書房新社発行、季刊誌)は「五大文芸誌」と呼ばれ、これらに掲載された短編・中編が芥川賞の候補になることが多い。 佐藤義亮が経営難のために手放した『新聲』(1896年創刊)が前身。同誌は長谷川伸、若山牧水、生田長江らを輩出し、当時青年投稿誌の雄と言われた『文庫』(1895年創刊)と並ぶ青年派の一大勢力となったが、1903年に佐藤が編集を離れ、翌年『新潮』を立ち上げた。創刊当初より特定の立場に固執しない編集姿勢を守り、近代日本の主要な文芸雑誌となった。歴代の編集長は齋藤十一、坂本忠雄等で、著名な編集者に菅原国隆、野平健一、小島千加子などがいた。現在の編集長は矢野優(やの ゆたか、1965年生、2003年より編集長)。.

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新潮社

株式会社新潮社(しんちょうしゃ)は、日本の出版社。.

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新潮文庫

新潮文庫(しんちょうぶんこ、SHINCHO BUNKO)は、株式会社新潮社が発行している文庫レーベル。新潮文庫の歴史は4期に分かれている。岩波文庫と並ぶ、文庫レーベルの老舗である。世界文学の名作を収め、また日本文学作品も数多く収めている。 2014年8月28日、新潮文庫nex(しんちょうぶんこネックス)が刊行開始される。新潮文庫内の派生シリーズという位置づけ。.

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新思潮

『新思潮』(第1次)創刊号の表紙 新思潮(しんしちょう)は、日本の文芸雑誌である。『帝国文学』に対抗して1907年(明治40年)小山内薫が創刊したが振るわず挫折。以後、帝大生により復活され、東京大学(東京帝国大学)系の同人誌として後に続いた。特に第3次-第4次新思潮の同人菊池寛、芥川龍之介、久米正雄、松岡讓らを新思潮派といい、大正文学の一つの拠点になった。新思潮の名は前任者の了解を取れば誰でも使用する事が出来た。.

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方言

方言(ほうげん)は、ある言語が地域によって別々な発達をし、音韻・文法・語彙(ごい)などの上で相違のあるいくつかの言語圏に分かれた、と見なされたときの、それぞれの地域の言語体系のこと。ある地域での(他の地域とは異なった面をもつ)言語体系のこと。地域方言とも言い、普通、「方言」と言うと地域方言を指す。一方、同一地域内にあっても、社会階層や民族の違いなどによって言語体系が違う場合は社会方言と言う。.

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文壇

文壇(ぶんだん)とは、作家、文芸評論家、雑誌編集長、出版社の編集者など文学・文筆活動を取り巻く人たちのつながりと付き合いの世界のこと。 文士という言葉が通用した時代には、頻繁に使われた言葉。文壇バーなどというものもあった。こうした作家たちの付き合いで、年一回、親睦を兼ねて、出版社の肝いりで「文士劇」なるものも上演された。 Category:文学.

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文京区

文京区(ぶんきょうく)は、東京都の特別区のひとつ。郵便番号(上3桁)は112・113。.

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文化功労者

文化功労者(ぶんかこうろうしゃ)とは、日本において、文化の向上発達に関し特に功績顕著な者をいう。文化功労者年金法(昭和26年法律第125号)に定められる。文化勲章よりも多くの者が選ばれ、文化勲章に次ぐ栄誉となっている。文化勲章受章者は、すでに亡くなっている人物を除いては、文化功労者にあわせて決定される。.

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文化勲章

文化勲章(ぶんかくんしょう)は、科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績のある者に授与される日本の勲章。当時の内閣総理大臣・廣田弘毅の発案により、1937年の文化勲章令(昭和12年2月11日勅令第9号)を以て制定された。.

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文章

Category:文.

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文章読本

『文章読本』(ぶんしょうどくほん)は、谷崎潤一郎が読者向けに文章の書き方、読み方を分かりやすく記した文章講座の随筆集。川端康成や三島由紀夫をはじめ、他の作家も同じタイトルを踏襲した文章講座をそれぞれ出版している。本項ではおもに谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫の『文章読本』について述べる。.

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文芸的な、余りに文芸的な

『文芸的な、余りに文芸的な』(ぶんげいてきな、あまりにぶんげいてきな)は、芥川龍之介が雑誌『改造』1927年(昭和2年)4月号から8月号(7月号は休載)に連載した文学評論。同時代の文豪谷崎潤一郎との「小説の筋の芸術性」をめぐる論争が特に注目される。 この芥川対谷崎論争のそもそもの発端は、1927年(昭和2年)2月に催された「新潮」座談会における芥川の発言である。この座談会で、芥川は谷崎の作品「日本に於けるクリップン事件」その他を批評して「話の筋というものが芸術的なものかどうか、非常に疑問だ」、「筋の面白さが作品そのものの芸術的価値を強めるということはない」などの発言をする。するとこれを読んだ谷崎が反論、当時『改造』誌上に連載していた「饒舌録」の第二回(3月号)に「筋の面白さを除外するのは、小説という形式がもつ特権を捨ててしまふことである」と斬り返した。これを受け、芥川は同じ『改造』4月号に(同誌の記者の薦めもあったと思われる)「文芸的な、余りに文芸的な——併せて谷崎潤一郎君に答ふ」の題で谷崎への再反論を掲げるとともに、自身の文学・芸術論を展開した。 以後さらに連載は続き、谷崎の再々反論、芥川の再々々反論があったが、同年七月芥川の自殺によって、「改造」誌を舞台に昭和初頭の文壇の注目を集めた両大家の侃々諤々の論争は幕切れとなった。 作中で芥川は「話らしい話のない」「最も純粋な」小説の名手として、海外ではジュール・ルナール、国内では志賀直哉を挙げた(彼は「私の好きな作家」の中でただ一言、「志賀氏。」とだけ述べている)。 互いに一歩も引かず論を戦わせた芥川と谷崎だが、格別仲が悪かったわけではなく、むしろ親交は厚かった。2人は東大系の同人誌「新思潮」の先輩・後輩であり(谷崎は第二次、芥川は第三次および第四次「新思潮」に参加)この論争の最中にも谷崎夫妻・佐藤春夫夫妻・芥川の5人で芝居に出かけたりしている。.

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文藝

『文藝』創刊号 『文藝』(ぶんげい)は、日本の文芸雑誌。1933年に改造社により創刊されたが、その後1944年から河出書房が引き継ぐ形で刊行を開始、1957年に河出書房新社となった際に休刊したが、1962年に復刊し現在に至っている。当初は月刊誌だったが、1980年代なかばからは季刊誌となった。 復刊以降から公募の文藝賞を主宰し、若手の書き手を発掘している。田中康夫『なんとなく、クリスタル』、堀田あけみ『1980アイコ十六歳』、綿矢りさ『インストール』、三並夏『平成マシンガンズ』などが受賞作である。 この『文藝』と、『新潮』(新潮社発行)、『文學界』(文藝春秋発行)、『群像』(講談社発行)、『すばる』(集英社発行)は「五大文芸誌」と呼ばれ、これらに掲載された短編・中編が芥川賞の候補になることが多い。『文藝』に掲載されて芥川賞を受賞した作品は、宮原昭夫「誰かが触った」(第67回)、三田誠広「僕って何」(第77回)、高橋三千綱「九月の空」、高橋揆一郎「伸予」(ともに第79回)、唐十郎「佐川君からの手紙」(第88回)、藤沢周「ブエノスアイレス午前零時」(第119回)、綿矢りさ「蹴りたい背中」(第130回)、青山七恵「ひとり日和」(第136回)、鹿島田真希「冥土めぐり」(第147回)の9作品である。 編集長経験者には上林暁、野田宇太郎、杉森久英、巌谷大四、坂本一亀、寺田博、佐佐木幸綱がいる。 1999年から『文藝別冊』としての「総特集」シリーズがKAWADE夢ムックで刊行されている。.

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文藝春秋

株式会社文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう、Bungeishunju Ltd.)は、日本の出版社。東京都千代田区紀尾井町に本社を置く。.

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文藝春秋 (雑誌)

『文藝春秋』(ぶんげいしゅんじゅう)は、株式会社文藝春秋が発行する月刊雑誌(総合誌)である。.

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文楽

文楽以外の人形浄瑠璃である。 『静御前』 JR新大阪駅 文楽(ぶんらく)とは、人形浄瑠璃文楽のこと。大阪で成立し本拠地とする人形浄瑠璃の系譜。 1955年に(人形浄瑠璃文楽座の座員により演ぜられる)文楽が文化財保護法に基づく重要無形文化財に指定された。2003年ユネスコ「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」、2008年「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」への掲載、そしてユネスコ無形文化遺産保護条約が発効した2009年9月の第1回登録であらためてユネスコの無形文化遺産に登録された。2017年現在は公益財団法人文楽協会を公演団体とし、大阪市の国立文楽劇場を中心に公演を行っている。 1684年、古浄瑠璃を独自に発展させた「義太夫節」の始祖である竹本義太夫が、大坂に「竹本座」を建て、自らの義太夫節の演奏と人形による三業(後述)での人形浄瑠璃の興行を始めた。その後、竹本義太夫の弟子が独立し豊竹若太夫を名のって興した「豊竹座」と競うなど、隆盛の時代には複数の興行元を数えたが、明治初期には興行元が「彦六座」と「文楽座」の2座のみとなった。その後に彦六座が解散、興行が文楽座のみとなったため、「文楽」という2字の名称が、すべての人形浄瑠璃の代表的存在、ならびにその代名詞と化したものである。 なお、文楽および文楽座という名称の直接的由来は、兵庫県淡路出身の植村文楽軒という人物が興行元であった上述の文楽座ではあるが、前述どおり、義太夫節の始祖が大坂で直接成立させた人形浄瑠璃の一形態の系譜であるため、人形浄瑠璃文楽を成立させた源流=淡路ということではない(淡路には淡路人形浄瑠璃が存在する)。 しかしながら、大坂で成立したその「義太夫節+人形」という人形浄瑠璃の系譜をしめす呼称がない(あるいは消失してしまっている)ため、その系譜を示す語の実例として、たとえば現在の人形浄瑠璃文楽の技芸員における演奏的特徴を示す語として「文楽系」と呼ぶことがある(それに呼応する語には「彦六系」などがある)。 人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)は日本の伝統芸能で、浄瑠璃と人形によって演じられる人形劇。明治以降、文楽座が一定規模以上の人形浄瑠璃の公演を行う唯一の公演団体となったため、「文楽」の名称が人形浄瑠璃と同義に用いられる場合もある。 この記事では文楽を中心に、文楽系統の成立以前の人形浄瑠璃、および文楽以外の人形浄瑠璃についても説明する。「人形浄瑠璃」については浄瑠璃も参照のこと。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本図書センター

株式会社 日本図書センター(にほんとしょセンター)は日本の東京都にある出版社。.

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日本評論社

日本評論社(にほんひょうろんしゃ)は、日本の出版社の一つである。略称 nippyo。『法律時報』『法学セミナー』『経済セミナー』『数学セミナー』『こころの科学』『からだの科学』で知られる。.

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日本語

日本語(にほんご、にっぽんご「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は日本国語大辞典など少数にとどまる。)は、主に日本国内や日本人同士の間で使用されている言語である。 日本は法令によって公用語を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令において日本語を用いることが規定され、学校教育においては「国語」として学習を課されるなど、事実上、唯一の公用語となっている。 使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や日系人、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている。統計によって前後する場合もあるが、この数は世界の母語話者数で上位10位以内に入る人数である。 日本で生まれ育ったほとんどの人は、日本語を母語とする多くの場合、外国籍であっても日本で生まれ育てば日本語が一番話しやすい。しかし日本語以外を母語として育つ場合もあり、また琉球語を日本語と別の言語とする立場を採る考え方などもあるため、一概に「全て」と言い切れるわけではない。。日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある。 2017年4月現在、インターネット上の言語使用者数は、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、マレー語に次いで7番目に多い。.

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日本橋人形町

日本橋人形町(にほんばしにんぎょうちょう)は、東京都中央区の地名で、旧日本橋区にあたる日本橋地域内である。現行行政地名は日本橋人形町一丁目から日本橋人形町三丁目。郵便番号は103-0013。.

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日本橋区

日本橋区(にほんばしく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の中央区の北部に位置していた。.

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日本橋蛎殻町

日本橋蛎殻町(にほんばしかきがらちょう)は、東京都中央区の町名。現行行政地名は日本橋蛎殻町一丁目及び日本橋蛎殻町二丁目。郵便番号103-0014。.

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日本文学

紫式部 日本文学(にほんぶんがく)とは、日本人が書いた文学、日本で発表された文学、ないしは日本語で書かれた文学作品、もしくはそれらの作品や作家を研究する学問のこと。 夏目漱石 日本文学の歴史は極めて永く、古くは7世紀までさかのぼる。同一言語・同一国家の文学が1400年近くにわたって書き続けられ読み続けられることは世界的に類例が少ない。1000年頃に紫式部によって書かれた『源氏物語』は世界的に知られ、近世の松尾芭蕉も現在の俳句ブームにより広く知られている。近代以降の日本文学においても、夏目漱石・谷崎潤一郎などが世界的に高い評価を受けており、これまで2名のノーベル文学賞受賞者(川端康成・大江健三郎)を出している。 古代・中世の日本文学は中国の文化的影響が著しく、日本が仏教を受け容れたことからインド文学の間接的影響もみられる。中国文学の影響は江戸時代にもみられるが、いずれの時代においても日本人作家の独創が顕著にみられる。明治維新以降は欧米の文化的影響を強く受けたが、英米文学・フランス文学・ドイツ文学・ロシア文学などを短期間のうちに摂取・模倣し、日本独自の高度な近代文学を創造していった。近代日本文学は中国・朝鮮の近代文学の形成に大きな影響を与えた。第2次世界大戦後の日本文学も、三島由紀夫・安部公房・村上春樹などの作品が世界的に広く読まれており、現代の世界文学に多大な影響を与えている。.

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日本放送協会

日本放送協会(にっぽんほうそうきょうかい、英称:Japan Broadcasting Corporation)は、日本の公共放送を担う事業者。よく誤解されるが国営放送ではない。日本の放送法(昭和25年法律第132号)に基づいて設立された放送事業を行う特殊法人。総務省(旧・郵政省)が所管する外郭団体である。 公式略称は、「NIPPON HOSO KYOKAI」の頭文字を取り「」と呼称・記される。 公共放送としての事業規模は、英国放送協会 (BBC) などと並び、国内にNHKエンタープライズ、NHKグローバルメディアサービス、NHK出版など13の連結子会社を持つ。また、関連会社として日本国外にNHKコスモメディアアメリカ、NHKコスモメディアヨーロッパが設立されている。1986年には子会社である株式会社NHKエンタープライズを出資母体として、NHKエンタープライズ25%、株式会社電通25%の共同出資による株式会社総合ビジョンを設立した。しかし、これは事業の縮小を経て2013年7月1日付けでNHKエンタープライズに吸収合併した。 愛宕山。 中継車(いすゞ・フォワード).

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日新電機

日新電機株式会社(にっしんでんき、)は、京都府京都市右京区に本社を置く住友グループの電気機器メーカー。重電8社(日立製作所、東芝、三菱電機、富士電機、明電舎、ダイヘン、東光高岳、日新電機)の一角。また、中堅重電2社(東光高岳、日新電機)の一角。 電力機器(重電:受電設備、変電設備)などを製造・販売。特に、電力用コンデンサや世界最小クラスのガス絶縁開閉装置 (GIS) などに注力している。また近年はビーム応用装置や制御システム、電子デバイスなどを製造・販売。さらに中国、東南アジアに現地法人を設立し積極的に営業展開している。 また似た社名として知られる日新製鋼とは資本・人的相互において無関係である。.

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早稲田大学

大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり 東京専門学校 大正時代の早稲田大学の正.

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早稲田文学

『早稲田文学』(わせだぶんがく)は、早稲田大学文学部を中心にした文芸雑誌。1891年(明治24年)、坪内逍遥が創刊。第2次『早稲田文学』は自然主義文学の牙城として、新現実主義の『新思潮』、耽美派の『三田文学』とともに日本文学史上知られている。 休刊と復刊を繰り返しており、現在は第10次『早稲田文学』が2007年より不定期に刊行されている。また、フリーペーパー『WB』も全国で配布中である。.

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悪魔

悪魔(あくま)とは、特定の宗教文化に根ざした悪しき超自然的存在や、悪を象徴する超越的存在をあらわす言葉である中村元、福永光司、田村芳朗、今野達、末木文美士 編 『岩波 仏教辞典 第二版』 岩波書店、2002年、p.6。 悪魔は、仏教では仏道を邪魔する悪神を意味し、煩悩のことであるとも捉えられる。キリスト教ではサタンを指し、神を誹謗中傷し、人間を誘惑する存在とされる。サタン以外の西洋文化の悪霊(デーモン)も現代日本語では一般に悪魔と呼ばれたりする。イスラム教においては悪魔はシャイターン、イブリースと呼ばれる。 宗教によっては神に敵対するものを指し、他宗教の神々への蔑称ともなる(後述)。.

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改造 (雑誌)

改造(かいぞう)は、戦前の日本で発行されていた、社会主義的な評論を多く掲げた日本の総合雑誌。1919年(大正8年)創刊、1955年(昭和30年)廃刊。.

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改造社

銀座改造社ビル(2007年) 改造社(かいぞうしゃ)は、日本の書店。大正期から昭和中期にかけては出版社であり、総合雑誌『改造』や円本文学全集『現代日本文学全集』を発行していた。.

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散文

散文(さんぶん)とは、小説や評論のように、5・7・5などの韻律や句法にとらわれずに書かれた文章のことである。狭義には、そのようにして書かれた文学。韻文の反意語。散文で書かれた詩のことは散文詩と言う。また、散文的という言葉は「味気なく、情趣が薄い」という意味で使われることもある。.

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書生

書生(しょせい)とは、勉学を本分とする者。 漢語本来は、勉学をする余裕のある者という意味合いだったが、日本では主として明治・大正期に、他人の家に住み込みで雑用等を任される学生を意味した。.

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曼荼羅

曼荼羅(まんだら、梵語:मण्डल 、チベット語:མཎྜལ(めんでる, maNDal), དཀྱིར་འཁོར་(きんこる, dkyir 'khor))とは、密教の経典にもとづき、主尊を中心に諸仏諸尊の集会(しゅうえ)する楼閣を模式的に示した図像。ほとんどの密教経典は曼荼羅を説き、その思想を曼荼羅の構造によって表すので、その種類は数百にのぼる。古代インドに起源をもち、中央アジア、日本、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国などへ伝わった。21世紀に至っても、密教の伝統が生きて伝存するチベット、ネパール、日本などでは盛んに制作されている。 漢字による表記のバリエーションとして「曼陀羅」があるが、日本の重要文化財等の指定名称は「曼荼羅」に統一されており、ここでも「曼荼羅」と表記する。 日本では、密教の経典・儀軌に基づかない、神仏が集会(しゅうえ)する図像や文字列にも、曼荼羅の呼称を冠する派生的な用法が生じた。またチベットでは、須弥山を中心とする全世界を十方三世の諸仏に捧げる供養の一種を「曼荼羅供養」と称し、この供養に用いる金銅製の法具や、この法具を代替する印契に対しても、「曼荼羅」の呼称が使用されている。 画像:Mandala1 detail.jpg|胎蔵曼荼羅中央部の中台八葉院 画像:Vishnu Mandala.jpg|ヴィシュヌ神の曼荼羅 画像:Hokke mandala.jpg|文字曼荼羅(法華曼荼羅) 画像:Painted 19th century Tibetan mandala of the Naropa tradition, Vajrayogini stands in the center of two crossed red triangles, Rubin Museum of Art.jpg|金剛瑜伽女の曼荼羅(チベット仏教).

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思潮社

思潮社(しちょうしゃ)は、日本の出版社。詩作品や現代詩、詩評論を専門に扱う。代表的な刊行物に、月刊詩誌である『現代詩手帖』や、新書版での現代詩文庫シリーズがある。.

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思想

思想(しそう、thought)は、人間が自分自身および自分の周囲について、あるいは自分が感じ思考できるものごとについて抱く、あるまとまった考えのことである。.

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* 性(さが、せい、しょう)は、人が生まれながらに持っているもの。儒教では人の道徳的能力の問題に言及し、人性論における性について議論した。関連項目:性善説、性即理、性悪説、性三品説、性善悪混説.

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時代

時代(じだい)とは、時間の継続性の観点で特徴を持った1区切りを指す。観点によって様々な使われ方がある。 歴史の分野では、政治や社会の形態の変化によって時代を区切る(時代区分)。国家体制が明確になっている時代であれば、政権の在処の変遷によって時代を区分する。日本の江戸時代、鎌倉時代などは当時の実質的中央政府である幕府の所在地を時代の名としている。飛鳥時代のように権力者にとって主流な文化として体系化され、普及し、栄えていた文化を時代の名とする場合もある。 平成時代や昭和時代は、天皇の在位によって区分されている(一世一元の制)。 それ以前の歴史(先史時代)では、生活の状態を規定する道具を持ってその生活状態を代表させ、時代の名としている。旧石器時代(打製石器)や弥生時代(弥生土器)等がその例である。時代の名としては使わないが、石器、青銅器、鉄器などの使用も時代を分けるものと見なされる。同様に、広い範囲に影響を与えるような道具や機械などによって時代を分けることもある(テレビの時代など)。 より古い時代は、地質学の分野であるが、そこでは代と紀を用いて体系的に名前を付ける。ただしやや通俗的に上記のような、たとえば恐竜時代といった表現は存在する。 その他にも、象徴的な事柄や社会の情勢、流行、栄えたもの、あるものの幕開けや区分、終わりを「時代」と表現する場合がある。また、最近では、通俗的な表現にとどまってはいるが、ファッションなどの風俗の在り方で時代を区切る考え方も普及している。.

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時代物

時代物(じだいもの)とは、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目のうち、江戸時代の庶民の日常からかけ離れた話題、すなわち遠い過去の出来事や、武家や公家の社会に起きた出来事などを扱ったものをいう。 逆に、江戸時代の庶民の日常そのものである市井の話題や風俗などを扱った演目のことを、世話物(せわもの)という。.

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1886年

記載なし。

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1902年

記載なし。

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1908年

記載なし。

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1909年

記載なし。

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1910年

記載なし。

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1935年

記載なし。

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1955年

記載なし。

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1958年

記載なし。

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1960年

アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地であった地域の多数が独立を達成した年であることに因み、アフリカの年と呼ばれる。.

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1964年

記載なし。

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1965年

記載なし。

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1994年

この項目では、国際的な視点に基づいた1994年について記載する。.

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7月24日

7月24日(しちがつにじゅうよっか、しちがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から205日目(閏年では206日目)にあたり、年末まであと160日ある。誕生花はエンレイソウ、オシロイバナ。.

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7月30日

7月30日(しちがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から211日目(閏年では212日目)にあたり、年末まであと154日ある。誕生花はニチニチソウ、ホウセンカ。.

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