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一刀流

索引 一刀流

一刀流(いっとうりゅう)とは、戦国時代末期に鐘捲流の流れを汲む伊藤一刀斎によって創始された剣術の流儀である。弟子の小野忠明(神子上典膳)が徳川将軍家の剣術指南役になったことから隆盛した。

目次

  1. 21 関係: 古藤田俊直小野忠明小野派一刀流中条流一刀正伝無刀流一刀流中西派伊藤派一刀流伊東一刀斎徳川宗家北辰一刀流唯心一刀流剣術瓶割刀甲源一刀流鐘捲自斎鐘捲流槍術溝口派一刀流朱引太刀戦国時代 (日本)日本

  2. 剣術

古藤田俊直

古藤田 俊直(ことうだ としなお、生没年不詳)は、江戸時代初期の剣術家・槍術家。古藤田一刀流(唯心一刀流)の祖とされる。通称は勘解由左衛門(かげゆざえもん)。号は唯心(ゆいしん)。

見る 一刀流と古藤田俊直

小野忠明

小野 忠明(おの ただあき、永禄12年(1569年)(永禄8年(1565年)とも)- 寛永5年11月7日(1628年12月2日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、剣豪、旗本。徳川将軍家指南役。前名は『寛政呈譜』では神子上 典膳(みこがみ てんぜん、『寛永系図』では御子神)で、のちに母方の小野姓を名乗った。子に忠常。吉明ともいう。

見る 一刀流と小野忠明

小野派一刀流

小野派一刀流(おのはいっとうりゅう)は、日本の剣術の流派。

見る 一刀流と小野派一刀流

中条流

中条流(ちゅうじょうりゅう、中條流)は、中条長秀を開祖とする武術の流派。短い太刀を使う剣術で有名であった。剣術以外に槍術なども伝えていた。平法中條流とも記述される。

見る 一刀流と中条流

一刀正伝無刀流

一刀正傳無刀流(いっとうしょうでんむとうりゅう)は、明治時代初期に山岡鉄舟が開いた一刀流流派の一つである。

見る 一刀流と一刀正伝無刀流

一刀流中西派

一刀流中西派(いっとうりゅうなかにしは)は、日本の剣術の流派。小野派一刀流の分派の一つ。

見る 一刀流と一刀流中西派

伊藤派一刀流

伊藤派一刀流(いとうはいっとうりゅう)とは、伊藤一刀斎が創始した一刀流のうち伊藤忠也(伊藤典膳)の系統のことで、正式名称は小野派と同様に「一刀流兵法」であるが他系統の一刀流と区別する為に伊藤派一刀流、忠也派一刀流などと呼ばれる。

見る 一刀流と伊藤派一刀流

伊東一刀斎

伊東 一刀斎(いとう いっとうさい、生没年不詳)は戦国時代から江戸初期にかけての剣客。名字は伊藤とも。江戸時代に隆盛した一刀流剣術の祖であるが、自身が「一刀流」を称したことはなかったという。諱は景久、前名、前原弥五郎。弟子に小野善鬼、古藤田俊直、神子上吉明ら。 英雄かく生まれり 過去世物語 英傑編(リバティ編集部)2006年(平成18年)6月29日発行 ISBN4-87688-549-4。 -->。

見る 一刀流と伊東一刀斎

徳川宗家

徳川宗家(とくがわそうけ)は、徳川氏の宗家。徳川氏は1566年に徳川家康が松平から改称したのにはじまり、江戸時代には江戸幕府の征夷大将軍を世襲した。明治維新後に華族に列し、1884年(明治17年)には公爵の爵位を授けられた。

見る 一刀流と徳川宗家

北辰一刀流

坂本龍馬 北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)は、江戸時代後期に千葉周作成政(屠龍)が創始した剣術と薙刀術の流派。

見る 一刀流と北辰一刀流

唯心一刀流

唯心一刀流(ゆいしんいっとうりゅう)とは、古藤田俊直(唯心)の系統の一刀流。「古藤田一刀流」とも呼ばれる。剣術だけでなく槍術も含むなど、一刀流の古い形態を伝えていた。

見る 一刀流と唯心一刀流

剣術

剣術(けんじゅつ)は、日本刀で戦う武術である。

見る 一刀流と剣術

瓶割刀

瓶割刀(かめわりとう)は、戦国時代初期の一刀流剣術の始祖・伊東一刀斎の愛刀であったと伝わる「瓶割」という名の日本刀の通称。 一刀斎が鬼夜叉といわれていた頃、三島神社より与えられた刀で、その神社に賊が押し入った際、瓶に潜んだ賊を瓶ごと切り伏せたことから「瓶割」との異名が付いたといわれている。 『一刀流口伝書』『撃剣叢談』によれば、一刀斎の直弟子である神子上典膳(後の小野忠明)を筆頭に、代々一刀流の宗家に受け継がれたとされる。また、小野忠明から伊藤忠也(伊藤派一刀流)に授けられたと伝えられるが、その後の継承者については諸説あり、伊藤忠也より流儀を継承した井藤忠雄に授けられた後に紀州徳川家に献上されたとも、小野家に戻ったとも伝えられる。

見る 一刀流と瓶割刀

甲源一刀流

甲源一刀流(こうげんいっとうりゅう)は、溝口派一刀流剣術を学んだ武蔵国の住人・逸見太四郎義年(義利と記されている史料もあり)が開いた剣術の流派。逸見氏の家系が甲斐源氏を祖とするところから、甲源一刀流と称した。 中里介山の小説『大菩薩峠』の主人公・机竜之助も甲源一刀流の使い手として描かれている。

見る 一刀流と甲源一刀流

鐘捲自斎

鐘捲 自斎(かねまき じざい)は、戦国時代の剣豪。鐘捲流剣術の開祖。一刀流剣術の伊東一刀斎の師とされる。出身地は不明だが、越前(福井県)の名家印牧(かねまき)氏の出身ではないかとされる。生没年は不詳。 鐘捲自斎通家は外他(とだ)姓を持ち、越前朝倉氏の剣術指南で、富田流の名人富田治部左衛門(富田景政)の門に入り、山崎左近将監、長谷川宗喜とともに「富田の三剣」と呼ばれた。この頃、外田(戸田)一刀斎と名乗ったこともあるという。 自斎の弟子には、前原弥五郎がおり「一刀斎」の名跡を譲り受け、以後、伊東一刀斎と名乗り「一刀流剣術」を興したとされる。自斎は伊東一刀斎に奥義「高上極意五点」を伝えた。また伊東は、外田一刀斎を名乗っており、両者は同一人とする説もある。これは、伊東一刀斎の高弟といわれる古藤田勘解由左衛門(古藤田俊直)が、自流を外他一刀流と名乗っていることと、自斎も一時自流を鐘捲外他流と名乗ったことが根拠とされる。他の弟子に、佐々木小次郎がいるとされる(『歴史読本』昭和55年3月号所収光瀬龍「漂泊の剣客」参考)。

見る 一刀流と鐘捲自斎

鐘捲流

鐘捲流(かねまきりゅう、別名:外他流)は、流祖・鐘捲自斎が中条流を学んだ後に創始した武術の流儀。ただし現在確認されている鐘捲流の伝書では鐘捲自斎の次代が伊藤一刀斎となっているものもある。 剣術を始め、小太刀等の技術を伝えていた。前橋藩、新発田藩などで伝承されていた。 仙台藩の系統が鐘捲流抜刀術として現存している。

見る 一刀流と鐘捲流

槍術

槍術(そうじゅつ)は、槍で戦う武術である。鑓術、鎗術とも書く。

見る 一刀流と槍術

溝口派一刀流

溝口派一刀流(みぞぐちはいっとうりゅう)は、日本の剣術の流派。一刀流の分派の一つ。一刀流溝口派(いっとうりゅうみぞぐちは)とも呼ぶ。

見る 一刀流と溝口派一刀流

朱引太刀

朱引太刀(しゅびきのたち)とは、代々、一刀流の宗家に受け継がれた木刀。表面に朱で一刀流剣術の秘訣が記されているため、この名で呼ばれた。 一刀流の開祖・伊藤一刀斎より小野忠明に瓶割刀とともに授けられたとされる。小野忠明は、瓶割刀を伊藤忠也(伊藤派一刀流)に授けたとされるが、朱引太刀は代々小野家で伝えられた。 後に一刀正伝無刀流を開く山岡鉄舟が小野家の血統でもあったこともあり、明治18年(1885年)3月、小野家9世の小野業雄(小野忠政)から正伝を嫡伝された。その際、瓶割刀と朱引太刀を授けられた。瓶割刀は現在は所在が不明だが、朱引太刀は弟子の籠手田安定に授けられた。現在は一刀正伝無刀流の宗家に代々、受け継がれている。

見る 一刀流と朱引太刀

戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい、)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って、守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。

見る 一刀流と戦国時代 (日本)

日本

日本国(にほんこく、にっぽんこく、Japan)、または日本(にほん、にっぽん)は、東アジアに位置する民主制国家。首都は東京都。 全長3500キロメートル以上にわたる国土は、主に日本列島北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々。および南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などの弧状列島により構成される。大部分が温帯に属するが、北部や島嶼部では亜寒帯や熱帯の地域がある。地形は起伏に富み、火山地・丘陵を含む山地の面積は国土の約75%を占め、人口は沿岸の平野部に集中している。国内には行政区分として47の都道府県があり、日本人(大和民族・琉球民族・アイヌ民族現代、アイヌにルーツをもつ日本国民のうち、アイヌ語を話す能力もしくはアイヌとしてのアイデンティティーを持っている者は少数である一方、近年は政策的にアイヌ文化の復興と発展のための活動が推進されている。

見る 一刀流と日本

参考情報

剣術