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ディオクレティアヌス浴場

索引 ディオクレティアヌス浴場

ン・ベルナルド・アッレ・テルメ教会 ディオクレティアヌス浴場(ディオクレティアヌスよくじょう、Thermae Diocletiani)は、ローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスが306年に建設した公衆浴場。主にマルキア水道から水を受けていた。ローマ帝国でも最大かつ最も豪華な浴場で、ゴート族が537年に水道供給を絶つまで使われ続けていた。大きさではカラカラ帝のカラカラ浴場と同程度で、南西に面していたためカルダリウムを太陽エネルギーで暖め、フリギダリウムにはその熱が影響しない構造になっていた。浴場の建物は以下のような教会などに流用されたため、それなりの部分がそのまま保存されている。.

23 関係: 古代ローマの公衆浴場太陽エネルギーマルキア水道ネロ浴場ローマローマ帝国ローマ国立博物館ヴィミナーレヴォールトプラネタリウムテピダリウムティトゥス浴場ディオクレティアヌスフリギダリウムアグリッパ浴場エクセドラカラカラカラカラ浴場カルダリウムゴート族共和国広場 (ローマ)翼廊身廊

古代ローマの公衆浴場

バース(イングランド)の古代ローマの公衆浴場。周囲の柱の土台部分より上層の建物は後世の再現である。 ドイツのヴァイセンブルクにあった古代ローマの公衆浴場を測域センサ技術を使って再現した図(CG) 古代ローマの公衆浴場(こだいローマのこうしゅうよくじょう)では、古代ローマの公衆浴場について記述する。 バルネア (balnea)またはテルマエ (thermae)とは、古代ローマの公衆浴場である。 古代ローマの多くの都市に少なくとも1つの公衆浴場があり、社会生活の中心の1つになっていた。古代ローマ人にとって入浴は非常に重要だった。彼らは1日のうち数時間をそこで過ごし、時には一日中いることもあった。裕福なローマ人が1人か複数人の奴隷を伴ってやってきた。料金を支払った後、裸になり、熱い床から足を守るためにサンダルだけを履いた。奴隷は主人のタオルを運び、飲み物を取ってくるなどした。入浴前には運動をする。例えば、ランニング、軽いウェイトリフティング、レスリング、水泳などである。運動後、奴隷が主人の身体にオイルを塗り、(木製または骨製の)肌かき器で汚れと共にオイルを落とした。 ヴィッラやドムスや砦にも私的な浴室があり、それらも「テルマエ」と呼ばれた。これらは付近を流れる川や用水路から水を供給していた。浴室の設計については、ウィトルウィウスが『建築について』で論じている。.

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太陽エネルギー

太陽エネルギー(たいようえねるぎー、Solar Energy)は、太陽から太陽光として地球に到達するエネルギーを指す。ソーラーエネルギー(Solar energy)、ソーラーパワー(Solar power)などとも呼ばれる。地球上の大気や水の流れや温度に影響し、多くの再生可能エネルギーや生物の生命活動の源となっている。また、古くから照明や暖房、農業などで利用されてきた。 狭義には、太陽光から熱や電力を得るエネルギー源を指し、再生可能エネルギーに分類される。太陽光が当たる場所ならばどこでもエネルギーが得られ、得られるエネルギー当たりの温室効果ガスの排出量が少ない。昔から熱として利用されて来たが、近年は地球温暖化の対策の一環として、熱利用と共に発電用途での利用が増えている。.

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マルキア水道

マルキア水道(マルキアすいどう、Aqua Marcia)は古代ローマの水道(ローマ水道)で、法務官によりBC144年からBC140年に造られた施設。古代ローマ末期に機能停止したが、1586年にマルキア水道の施設の多くを流用する形で再建されたフェリクス水道として、現在まで機能している。.

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ネロ浴場

ネロ浴場(Thermae Neronianae または Thermae Alexandrinae)は、64年に、ローマ帝国第5代皇帝ネロがローマのカンプス・マルティウスに築造したローマ浴場である。パンテオンに隣接して建てられた古代ローマで最初の公衆浴場であったアグリッパ浴場に次ぐ、同国で2番目に造られた公衆浴場である。アレクサンデル・セウェルス帝が227年に改築を行った。中世においてアレクサンデル浴場と記述されたこともあったが、浴場が稼働していた当時はネロ浴場と呼び続けられていたようである。 ネロ浴場はパンテオンとドミティアヌス競技場の間にあり、南北軸の長方形の建物は当初190m×120m(約25,000m2)、227年の改築後は約40,000m2の広さであったと推定されている。現在、ネロ浴場の遺構はほとんど残っておらず、(イタリア上院議事堂)内に壁の一部とカルダリウム(高温浴室)のハイポコーストが発見されている。16世紀頃までは浴場の南側部分のカルダリウムの基礎が地上に見えていたようである。浴場の建物は南から北に向かって、カルダリウム、テピダリウム(微温浴室)、フリギダリウムの順に配置され、建物中央の広間の東西にはコロネード(列柱)に囲まれた広場パライストラが、カルダリウムの横には脱衣室と休憩室があった。建物の赤色御影石で造られた円柱のうち2本は、1666年にパンテオンの改修時に移設し用いられた。 ネロ浴場の水は、ヴィルゴ水道から分岐したアレクサンドリナ水道により供給されていた。.

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ローマ

ーマ(Roma、Roma)は、イタリアの首都。欧州有数の世界都市であり、ラツィオ州の州都、ローマ県のコムーネの一つで、ローマ県の県都でもある。英語とフランス語の表記は「Rome」。.

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ローマ帝国

ーマ帝国(ローマていこく、Imperium Romanum)は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロードの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。 帝国という訳語があてられている事から、狭義にはオクタウィアヌスがアウグストゥスの尊称を与えられた紀元前27年からの古代ローマを指す場合もある。しかし、本来の表現からすればこの場合は帝政ローマ、またはローマ帝政期とした方が正確である。.

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ローマ国立博物館

ーマ国立博物館(ろーまこくりつはくぶつかん Museo Nazionale Romano) は、ローマにある、古代ギリシア・古代ローマの彫刻、壁画、考古遺物などを展示する博物館である。.

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ヴィミナーレ

ヴィミナーレ(Viminale,Viminalis ウィミナリス)は、ローマの街の元になったローマの七丘の一つ。ヴィミナーレの丘(Colle Viminale,Collis Viminalis ウィミナリスの丘)とも表記される。.

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ヴォールト

ヴォールト(英語:vault、ラテン語:camera、アラビア語: قبو)とは、アーチを平行に押し出した形状(かまぼこ型)を特徴とする天井様式および建築構造の総称である。日本語では穹窿(きゅうりゅう)と訳される。.

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プラネタリウム

ドーム内部中央に設置されたプラネタリウム本体 プラネタリウム施設の外観。ベラルーシ、ミンスク プラネタリウム(planetarium)は、投影機から発した光をドーム状の天井の内側に設置された曲面スクリーンに映し出すことで星の像およびその運動を再現する設備あるいは施設を指す。プラネタリューム、プラネタリュウム、天象儀(てんしょうぎ)ともいう。プラネと略すこともある。 惑星(planet)に由来する言葉であるが、惑星のみならず恒星を含む星空全体とその運動を再現する。また、地球上の任意の場所・時代の星空を投影したり、曲面スクリーンに投影されることを前提に撮影された映画を上映したりするなど、様々な機能を持つ。公的な機関が天文台、あるいは、科学館や博物館に併置する例がしばしば見られるが、民間企業が集客の目玉として商業施設に設置する例もある。.

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テピダリウム

''The Tepidarium'' (1881) ローレンス・アルマ=タデマ画 テピダリウム(tepidarium)は、古代ローマの公衆浴場にあった微温浴室。床暖房システムの一種であるハイポコーストで熱していた。テピダリムは、床や壁に接する部分から人体に熱がほどよく伝わることを特徴とする。 ポンペイには興味深いテピダリウムの例がある。半円形の筒型ヴォールトで覆われ、レリーフや化粧しっくいで装飾され、男像柱でそれぞれ区切られた休憩できる壁龕が周囲の壁に並んでいる。ローマの公衆浴場では、テピダリウムはその中心の大ホールとなっていて、そこから他のグループ化されたホールに出入りするようになっていた。入浴者はまずテピダリウムに入り、そこから高温浴室(カルダリウム)や冷室(フリギダリウム)へと向かったと思われる。テピダリウムは大理石やモザイクで豪華に飾られていた。高窓から採光し、貴重な芸術品を飾っていた。1546年、パウルス3世の命による発掘でカラカラ浴場からファルネーゼのヘーラクレースなどの彫像、現在バチカンにある緑色の玄武岩でできた石棺、その他多数の宝物が見つかり、バチカンやナポリの博物館に移された。.

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ティトゥス浴場

ティトゥス浴場(Thermae Titi)は、80年に、第10代ローマ皇帝ティトゥスがローマのエスクイリーノの丘に築造したローマ浴場である。現在のコッレ・オッピオ(オッピオの丘)公園の南西端付近にあり、コロッセオの北隣に位置していた。.

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ディオクレティアヌス

イウス・アウレリウス・ウァレリウス・ディオクレティアヌス(Gaius Aurelius Valerius Diocletianus、244年12月22日 - 311年12月3日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:284年 - 305年)である。帝国の安定化に努め『3世紀の危機』と呼ばれる軍人皇帝時代を収拾した。その過程でドミナートゥス(専制君主制)を創始し、テトラルキア(四分割統治、四分治制)を導入した。また、帝国内に勢力を伸ばすキリスト教とマニ教に対して弾圧を加えた。.

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フリギダリウム

''The Frigidarium'' (1890) ローレンス・アルマ=タデマ画 フリギダリウム(frigidarium)は、古代ローマの公衆浴場で熱い風呂を楽しんだ後に入る大きな冷水のプールがある部屋である。カルダリウムとテピダリウムは皮膚の毛穴を広げる。その後、冷たい水に入ることで汗腺を閉じる。プールは小さい場合もあるが、水泳もできる大きなプールの場合もある。 差し渡しが5m以上の八角形のフリギダリウムの遺構が2006年、ケントのFaversham近郊の農場で発掘された。冷水を供給する大きなレンガ製の導管があった。壁は塗装された漆喰で装飾され、床からはモザイク用の着色したタイルの小片が見つかっている。このような遺跡としてはイングランド南東部では初の発見である。八角形のフリギダリウムは、キリスト教徒の洗礼やユダヤ教の沐浴に使われた可能性もあると示唆されている (Pitts, 2006)。.

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アグリッパ浴場

アグリッパ浴場(アグリッパよくじょう、Thermae Agrippae)は、初代皇帝アウグストゥスの右腕であったマルクス・ウィプサニウス・アグリッパが建設させた、古代ローマ史上初のローマのテルマエ(大型公衆浴場)である。また、ローマではこの浴場以外はすべて皇帝が建てたものである。パンテオンと同時期に balaneion (βαλανεῖον) としてパンテオンの軸線上に建てられ、当初は冷水プールと熱気風呂だけがあり、サウナ風呂とほとんど違わないものだった。同じくアグリッパが紀元前19年にヴィルゴ水道を完成させ、それによって豊富に水が供給できるようになって完全なテルマエとなり、記念碑的プール (Stagnum Agrippae) が追加された。アグリッパ浴場内は艶のあるタイルで装飾され、芸術作品が飾られていた。外にはリュシッポスのアポクシューオメノス像があった。アグリッパは浴場を市民に残し、紀元前12年に亡くなった。 アグリッパ浴場は紀元80年の火災で損傷を受けたが (Cassius Dio, lxvi.24)、再建され同時に拡張された。マルティアリスの時代に手狭となり、ハドリアヌス帝やその後の皇帝の下でも拡張されている。 7世紀には建築資材のために採掘され始めたが、16世紀になってもまだ原形の大部分を保っており、その廃墟をバルダッサーレ・ペルッツィやアンドレーア・パッラーディオが描いている。.

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エクセドラ

床下暖房設備が見えている。 エクセドラ(exedra)は建築物における半円形の部分で、その上部は半ドームになっていることが多く、一般に建物の正面にある。ギリシア語で「ドアの外の座席」を意味し、柱廊に面した部屋で湾曲した背もたれの高い石造りのベンチに取り囲まれていて、哲学的会話に最適な場所だった。また、列柱の途中の湾曲した部分をエクセドラということもあり、半円形の座席が置かれていることもある。 典型的なエクセドラは、湾曲した壁に沿って石造りのベンチを設置している。独立したエクセドラには元々は青銅の肖像彫像が置いてあり、ギリシア文明の建築物としては典型的である。例えばデロス島やエピダウロスといった聖域や聖地によく見られた。古代ギリシアのエクセドラは、都市国家のアゴラに関連して建設されることもあった。例えば、プリエーネー(en)のアゴラに見られる。.

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カラカラ

ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス(ラテン語:Lucius Septimius Bassianus、188年4月4日 - 217年4月8日)は、ローマ帝国の皇帝で、セウェルス朝の君主としては第2代当主となる。本名よりもカラカラ(Caracalla)という渾名で呼ばれる場合が多く、歴史学者達もこのように呼称している。 セウェルス朝の初代君主セプティミウス・セウェルスの長男であり、ローマ史上に残る暴君の一人として記憶される。一方で全属州民にローマ帝国の国民としての権利と義務(市民権)を与えるアントニヌス勅令を決定し、結果的にローマ領内における民族・人種による出自差別を撤廃したことで知られる。他に銀貨の改鋳(銀の含有量を減らした)、大浴場(カラカラ浴場)の建設などを肯定的に評価する歴史家も存在する。 ただし勅令の目的は歴史家カッシウス・ディオによれば税収拡大が目的ではないかと考えられており、また利点以外に様々な影響を帝国にもたらしている。.

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カラカラ浴場

当時のカラカラ浴場の内部の想像図 カラカラ浴場(カラカラよくじょう、Thermae Caracallae,Terme di Caracalla)は、セプティミウス・セウェルス帝の計画を引き継ぎ、ローマ帝国第22代皇帝カラカラがローマ市街の南端付近に造営したローマ浴場。当時はアントニヌス浴場(Thermae Antoninianae)とも呼ばれていた。日本語訳でカラカッラ浴場と表記されることもある。.

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カルダリウム

バース)。部屋を暖める熱い空気を流す床下の構造を見せるため、床面をはがしてある。 カルダリウム(caldarium)は古代ローマの公衆浴場にあった高温浴室。カリダリウム(calidarium)、ケッラ・カルダリア(cella caldaria)、ケッラ・コクティリウム(cella coctilium)などとも。 床暖房システムの一種であるハイポコーストで熱した非常に高温多湿の部屋である。公衆浴場の中でも最も高温の部屋で、入浴者はその後テピダリウム、フリギダリウムと進んでいく。 カリダリウムには、お湯をはった湯船があり、時にはサウナのように汗を流すラコニクム(laconicum)もあった。 浴場の利用者は、オリーブ・オイルで身体を洗浄し、肌かき器を使って余分なオリーブ・オイルを取り除いた。 欧米では、体育館やスパにある床が暖かい部屋をカルダリウムと呼ぶ。.

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ゴート族

ート族(ゴートぞく、、Gothe(または Gote))は、古代ゲルマン系の民族で、東ゲルマン系に分類されるドイツ平原の民族。ゴットランドからウクライナに移動した後、いわゆる「ゲルマン民族の大移動」によってイタリア半島やイベリア半島に王国を築いた。ローマ帝国の軍勢と戦い、壊滅的打撃を与えたこともある精強な軍を持った民族である。また、ゲルマン系のなかでは早くからローマ帝国の文化を取り入れて独自のルーン文字を残したほか、ローマ軍に傭兵として雇われるなど、後期のローマ帝国の歴史において大きな役割を担った。.

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共和国広場 (ローマ)

共和国広場 (Piazza della Repubblica) は、ローマにある広場で、ディオクレティアヌス浴場の前、ローマ・テルミニ駅からそう遠くない所にある。 16世紀終わりまでは「エゼドラ広場」と呼ばれていて、今でも地元ではそう呼ばれる。広場からは街の主な通りの一つナツィオナーレ通りが出ている。.

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翼廊

翼廊(よくろう)とは、翼のように飛び出した形で、主屋に対して付加された建造物。回廊の一種ともされる。.

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身廊

身廊(しんろう)は、ロマネスク様式やゴシック様式のキリスト教建築の一部分の名称で、入口から主祭壇に向かう中央通路のうちの翼廊に至るまでの部分を指す。.

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ディオクレティアヌス帝浴場

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