目次
43 関係: 史料、大徳 (元)、大都、岡田英弘、廟号、延祐、ペルシア語、チャブイ、チンキム、チンギス・カン、ハーン、モンゴル帝国、モンゴル語、ワッサーフ史、ボルテ、ブルガン、テムル、テムデル、ダルマバラ、アナンダ、アユルバルワダ、アルチ (コンギラト部)、アルタイ山脈、カイシャン、クーデター、クビライ、コンギラト、ココジン、コシラ、シデバラ、元 (王朝)、元史、皇太后、皇太子、遊牧民、至大、至治 (元)、集史、杉山正明、漢文、懐慶路、11月1日、9月22日 (旧暦)。
史料
史料(しりょう、Quellen、Source, historical materials)は、過去に存在した事象を把握し筋道を立てるのに役立つ材料を指す。紙に文字で書き記された文献や、考古学上の遺構・遺物・遺跡、イメージ史料となる絵画、写真、オーラル・ヒストリー、伝承などを含む。歴史家が歴史を研究・記述する際に用いるあらゆるものが史料である。
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大徳 (元)
大徳(だいとく)は、中国・元の成宗テムルの治世で用いられた元号。1297年 - 1307年。モンゴル語史料ではDai-diiと転写されている。
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大都
大都全景。南に宮城が配置され、その周りを皇城が囲む。外側には役所、住宅地、商業地区、運河などがあり周囲が28,6キロもある城壁に囲まれていた。 大都(だいと)は、モンゴル帝国(元朝)のクビライ・カアンが1267年から26年を費やして現在の北京の地に造営した都市で、元朝の冬の都(冬営地)である。現在の中華人民共和国の首都の北京の直接の前身であり旧市街に匹敵するほどの規模を持つ、壮大な都市だった。
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岡田英弘
岡田 英弘(おかだ ひでひろ、1931年(昭和6年)1月24日 - 2017年(平成29年)5月25日)は、日本の東洋史学者。東京外国語大学名誉教授。東洋文庫専任研究員。専攻は満洲史・モンゴル史であるが、中国・日本史論についての研究・著作もある。
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廟号
廟号(びょうごう)は、中国、朝鮮半島、ベトナムなどの東アジアの漢字文化圏において皇帝や王が死亡した後に、先祖を祭るための廟に載せるための名前のことである。
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延祐
延祐(えんゆう)は、中国・元の仁宗アユルバルワダの治世で用いられた元号。1314年 - 1320年。
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ペルシア語
ペルシア語(ペルシアご、 )は、イランを中心とする中東地域で話される言語。ペルシャ語、ファールシー語、パールシー語(پارسی)ともいう。 言語学的にはインド・ヨーロッパ語族-インド・イラン語派-イラン語群に分類される。ペルシア語は高度な文明を持っていた古代ペルシア帝国から現在に至るまでイラン高原を中心に使われ続けてきた言語であり、文献によって非常に古くまで系統をさかのぼることができる。ただし、現在のペルシア語にはアラビア語からの借用語が非常に多く、その形態は古代ペルシア語とはかなりの断絶がある。
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チャブイ
チャブイ(Čabui)は、モンゴル帝国(元)のカアン、世祖クビライの皇后。漢字表記は察必、『集史』のペルシア語表記では چابوى خاتون Chābū'ī Khātūn または چابون خاتون Chābūn khātūn として表れる。諡は昭睿順聖皇后。 コンギラト部族の出身で、父のアルチ・ノヤン(按陳那顔)はチンギス・カンの第一夫人ボルテの弟である。伯母ボルテの孫にあたるクビライと結婚し、夭折したドルジと、後にクビライ政権で活躍するチンキム、マンガラ、ノムガンの4子を産んだ。 チャブイはチンギス・カン家の姻族としてモンゴル帝国の中でも特に有力な部族の出であり、実家のコンギラト部族をはじめとする五投下と呼ばれる部族集団は、兄である皇帝モンケによって中国の経略を委ねられたクビライを支えて活躍した。特に同母姉が嫁いだジャライル部のムカリの子・ボオルの三男バアトルはクビライの腹心となり、1259年(己未)のモンケ死後のクビライのカアン位奪取に功があった。またチャブイ自身、その宮廷(オルド)にアフマドら有能な商人を個人的な用人に集めて利殖を行い、財産を蓄えて勢力があった。
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チンキム
チンキム(Činkim、ドレゲネ称制2年6月20日(1243年7月8日) - 至元22年12月10日(1286年1月5日))は、モンゴル帝国(元)の皇族。クビライと皇后チャブイの次男。漢字表記は真金。『集史』のペルシア語表記では چيم كيم Chīm-kīm と書かれる。父のクビライの治世に皇太子の称号を帯びて中国の政務を委ねられ、絶大な権力を誇ったが、父に先立って早世した。没後、彼の三男で正妃ココジンとの子である成宗テムルによって、裕宗の廟号と文恵明孝皇帝の諡号を贈られた。
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チンギス・カン
チンギス・カン(モンゴル語:、キリル文字:Чингис хаан、ラテン文字化:Činggis Qan または Činggis Qa'an、漢字:成吉思汗、英語:Genghis Khan、1162年5月31日 - 1227年8月25日)は、モンゴル帝国の初代皇帝(在位:1206年 - 1227年)。死後は廟号を太祖、諡を法天啓運聖武皇帝と称した。日本語での名前表記については複数の表記揺れがある(#名前の節を参照)。 大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げた。
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ハーン
ハーン(汗、可汗、合罕、干、qaġan/qaγan、khaan)は、北アジア、中央アジア、西アジア、南アジアにおいて、主に東北に住む騎馬民族の君主や有力者が名乗る称号。古い時代の遊牧民の君主が名乗った称号カガン(古テュルク語: - qaġan/qaγan)はその古形である。
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モンゴル帝国
モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家(ウルス)である。中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス ( Yeke Mongγol Ulus)すなわち「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」と称した。 モンゴル帝国の領土。
見る ダギとモンゴル帝国
モンゴル語
モンゴル文字で書かれた「モンゴル」 モンゴル語(モンゴルご、Монгол хэл、Mongol hel、、mongGul kele、)は、モンゴル諸語に属する言語であり、モンゴル国の国家公用語である。 第8条はモンゴル語をモンゴル国の国家公用語に規定している。モンゴル国では、行政・教育・放送のほとんどがモンゴル語でなされるが、バヤン・ウルギー県では学校教育をカザフ語で行うことが認められている。こうした地域の人々の中にはモンゴル語を全く解さない者もいる。モンゴル国外には10万人以上のモンゴル国民が居住(日本国内にも合法・不法合わせ数千人が滞在しているものと推定されている)しており、かれらの母語でもある。
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ワッサーフ史
『ワッサーフ史』(Tarikh-i Waṣṣāf)とは、シャラフッディーン・アブドゥッラー・イブン・ファドゥルッラー・シーラーズィーによって編纂されたペルシア語史書。正式名称は『領土の分割と歳月の推移』(Tajziyat al-amṣār wa-tazjiyat al-a'ṣār)であるが、著者のシーラーズィーが「ワッサーヒ・ハドラト“وصّافِ حضرت Waṣṣāf-i-Ḥaḍrat”」の名を与えられたことから、一般的に『ワッサーフ史』の名で知られる。『ヴァッサーフ史』とも。 主に12世紀後半から13世紀初頭に至るモンゴル帝国史を叙述しており、同時代のペルシア語史料の『世界征服者史』『集史』に並ぶモンゴル史研究の重要史料と位置づけられている。
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ボルテ
ボルテ・ウジン(Börte Üjin、Бөртэ үжин、1161年頃 - 1230年頃)は、モンゴル帝国の始祖チンギス・カンの第一后妃。コンギラト部族出身。漢字表記は孛児帖、『元朝秘史』では孛児帖旭真、『集史』のペルシア語ではと表記される。「ウジン」とは漢語の夫人に由来する称号でモンゴル王族の正妃が名乗る尊称である。元朝から光献翼聖皇后と諡名される。名はモンゴル部族の始祖として有名な「蒼き狼(ボルテ・チノ)」のボルテと同じで、「灰色のまだら模様」を意味する。
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ブルガン
ブルガン(ᠪᠤᠷᠬᠠᠨ 転写: bülγan、Bulγan)は、モンゴル帝国(元)のカアンの成宗テムルの皇后。漢字表記は卜魯罕、『集史』のペルシア語表記では بولوغان خاتون Būlūghān khātūn。バヤウト部族の出身。
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テムル
テムル(モンゴル語:、Temür、漢字:鉄穆耳、1265年10月15日 - 1307年2月10日)は、モンゴル帝国の第6代カアン(元の成宗としては第2代皇帝)。『集史』などのペルシア語表記では تيمور قاآن Tīmūr Qā'ān。テムルはモンゴル語で「鉄」を意味する名前で、ペルシア語などではこれを訛ってティムールと表記する。
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テムデル
テムデル(、? - 至治2年8月25日(1322年10月6日))は、大元ウルスに仕えた政治家の一人。皇太后ダギの寵愛を受けて強権を振るい、国政を壟断した姦臣として知られる。 『元史』における漢字表記は鉄木迭児(tiĕmùdiéér)。
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ダルマバラ
ダルマバラ(Darmabala、中統5年6月4日(1264年6月29日)- 至元29年5月8日(1292年5月25日))は、元の皇族。漢字表記は答剌麻八剌太子、『集史』のペルシア語表記では ترمه بلا Tarma Balā。世祖クビライの皇太子チンキムの次男で、父の死後には祖父のクビライの有力な後継者候補として将来を嘱望されたが、早世した。
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アナンダ
アナンダ(Ananda、? - 大徳11年5月2日(1307年6月2日))は、元の皇族。『集史』などでのペルシア語表記では اَنَنْدَه Ananda または آننده Ānanda、『元史』での漢字表記は安西王阿難答。
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アユルバルワダ
アユルバルワダ(モンゴル語:、Ayurbarwada、漢字:愛育黎抜力八達、1285年4月9日 - 1320年3月1日)は、モンゴル帝国の第8代カアン(元としては第4代皇帝)。『集史』などのペルシア語表記では اجورپريه بتره Ayūrparīya-bhadra など。名はアユルバリバドラとも読まれる。
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アルチ (コンギラト部)
アルチ・ノヤン(,? - ?)とは、13世紀初頭にモンゴル帝国に仕えたコンギラト部出身の千人隊長の一人。 『元朝秘史』や『元史』などの漢文史料では阿勒赤(ālèchì)古咧堅/按陳(ànchén)那延/按赤(ànchì)那顔、『集史』などのペルシア語史料ではالجی كوركان(āljī gūrkān)と記される。
アルタイ山脈
アルタイ山脈(アルタイさんみゃく)は、西シベリア、モンゴル、カザフスタンにまたがる山脈。漢字で阿爾泰山脈とも。
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カイシャン
カイシャン(モンゴル語:、Qayšanモンゴル語で「城壁」を意味する。、漢字:海山、1281年8月4日 - 1311年1月27日)は、モンゴル帝国の第7代カアン(元としては第3代皇帝)。『集史』および『ヴァッサーフ史』『選史』などのペルシア語資料の表記では、ハイシャン(خايشانك Khāīshānk, خيشان Khayshān)など。
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クーデター
クーデター()とは、一般に暴力的な手段の行使によって引き起こされる変革のことを指す。 フランス語で「国家に対する一撃」を意味し、発音は(ク・デタ、)、(クーデイター)である。日本語では「クーデタ」や「クー・デ・タ」と表記することもある。英語では単に「coup」(クー)と表記されることが多い。中国語では「政変」という。 クーデターは支配階級内部の権力の移動にすぎず、被支配階級が権力を奪取し、体制そのものの変革を図る革命とは性格を異にする。したがって、革命は既存の体制の転覆であるが、クーデターは支配階級内部の権力争奪にすぎず、一般に支配階級の一部が自己の権力をさらに強化するために、あるいは他者がもつ権力を奪取するために遂行される。
見る ダギとクーデター
クビライ
クビライ(漢字:忽必烈、モンゴル語: Qubilai, Khubilai、1215年9月23日 - 1294年2月18日)は、モンゴル帝国の第5代皇帝であり、元朝の初代皇帝(カアン)。同時代のパスパ文字モンゴル語およびモンゴル文字などの中期モンゴル語のラテン文字転写では Qubilai Qa'an、Qubilai Qaγan。現代モンゴル語のキリル文字転写では。漢字表記は忽必烈。『集史』をはじめとするモンゴル帝国時代のペルシア語表記(『集史』「クビライ・カアン紀」など)では قوبيلاى قاآن Qūbīlāī Qā'ān など書かれる。死後は諡を聖徳神功文武皇帝、廟号を世祖と称し、モンゴル語での尊号は「賢きカアン」を意味するセチェン・カアン(Sečen Qa'an 薛禅皇帝)。日本語での名前表記については揺れがあるため日本語による表記の節を参照。
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コンギラト
コンギラト(Qonggirad、、)は、モンゴル高原東部に存在したモンゴル系遊牧民族である。モンゴル帝国から元朝時代を通じてチンギス・カン家に多くの后妃(ハトゥン)を輩出しており、最も有力な姻族として繁栄した。「甕吉剌」という表記からオンギラト(ウンギラト)、現代モンゴル語発音からホンギラト(フンギラト)と記されることも多い。
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ココジン
ココジン(Kökejin, ? - 大徳4年2月10日(1300年3月1日))は、モンゴル帝国(元)の世祖クビライの皇太子チンキムの妃。漢字表記は闊闊真。別名はバイラム・エゲチ(伯藍也怯赤)。
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コシラ
コシラ(モンゴル語:、Qošila、漢字:和世㻋、 1300年12月22日 - 1329年8月30日)は、モンゴル帝国の第13代カアン(元としては第9代皇帝)。第7代カアンの武宗カイシャンの長男。
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シデバラ
シデバラ(モンゴル語:, ラテン文字転写: )は、モンゴル帝国の第9代カアン(元としては第5代皇帝)。名はシッディバーラとも読まれ、漢文史料では碩徳八剌『新元史』巻十八 本紀第十八 英宗と記される。尊号はゲゲーン・カアン(中期音、モンゴル語:, ラテン文字転写: 、近現代音ではゲゲーン・ハーン)モンゴル語で「賢明のハーン」を意味する。。
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元 (王朝)
元(げん)は、中東アジアから東ヨーロッパまで広大な領域にまたがったモンゴル帝国の後裔の一国であり、そのうち中国本土とモンゴル高原を中心領域にモンゴル帝国皇帝の直轄地として、1271年から1368年まで東アジアと北アジアを支配したモンゴル人が建てた征服王朝である。 正式国号は、大元(だいげん)で、ほかに元朝(げんちょう)、元国(げんこく)、大元帝国(だいげんていこく)、元王朝(げんおうちょう)、大モンゴル国(だいもんごるこく)とも言う。モンゴル人のキヤト・ボルジギン氏が建国した征服王朝で、国姓は「奇渥温」である。
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元史
『元史』(げんし)は、元(大元ウルス)について書かれた歴史書(正史)。 清の乾隆帝が定めた二十四史の一。編纂者は宋濂・高啓など。本紀47、表8、志58、列伝97の計210巻からなる紀伝体。成立は明の1369年(洪武3年)。収録年代はチンギス・カンがイェケ・モンゴル・ウルス(モンゴル帝国)を建国した1206年から、順帝トゴン・テムルが大都を放棄した1367年まで。 拙速な編纂により誤謬・重複・脱漏が多いことが早くより知られており、考証学者の銭大昕が「古今、史成るの速やかなる、未だ元史に如く者あらず。而して文の陋劣もまた、元史に如く者なし」と評するなど、清代には既に二十四史の中で最も完成度が低いとの評価が定まっていた。そのため多くの歴史家によって『元史』改訂の試みがなされており、その集大成が20世紀に編纂された『新元史』であった。
見る ダギと元史
皇太后
皇太后(こうたいごう、Empress Dowager)王太后(おうたいごう、Queen Dowager)は、先代の皇帝・天皇・国王の皇后であった者、ならびに皇帝・天皇・国王の母親(母后)である者、およびその称号。ただし必ずしもこの定義にあてはまらない事例もある。
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皇太子
皇太子(こうたいし/ひつぎのみこ荒木 1985 p.116/もうけのきみ)、王太子(おうたいし)は、皇位、帝位、国王の第一継承者を指す語であり、称号。 現代日本の皇室においては皇室典範(昭和22年法律第3号)第8条により「皇嗣たる皇子を皇太子という」と定義され、他の条文と併せ、同法に基づいて「皇太子」の称号を受けるのは『今上天皇の皇子たる親王』が皇嗣である場合のみとなる。 より広義には、日本の皇室における天皇位だけでなく、国外の君主国の王室における君主位(王位等)の法定推定相続人の称号(例:Crown Prince)の対訳として使われる。女性君主を容認している場合は、法定推定相続人である女子の称号(例:Crown Princess)の対訳にも用いられる。
見る ダギと皇太子
遊牧民
遊牧民族のサーミ人 遊牧民(ゆうぼくみん)あるいは遊牧民族(ゆうぼくみんぞく)は、牧畜(遊牧)を生業とする人々や民族を指す。似た概念に移牧民があるが、こちらは季節ごとに移動しても定住地を持つ点が異なる。英語では、ノマド(nomad)がほぼ相当する言葉だが(語源はギリシア語のノマデス νομάδες)、牧畜以外の生業を取る移動型の人々(ジプシーなど)を含んでいる。 農業と採集をやってきた人類が遊牧という生活習慣を発見したのは、人類の歴史に大きく影響を与えてきた。特にユーラシア大陸の歴史においては、遊牧を両立するようになった人類が騎馬技術を獲得したことで、歴史の流れを大きく変えたと言える。遊牧民と農業民に人口の差が存在したという記録や根拠はない。現在と違って歴史的な人口分布を見ると、遊牧民と農業民の人口の差は存在しなかった。
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至大
至大(しだい)は、中国・元の武宗カイシャンの治世で用いられた元号。1308年 - 1311年。モンゴル語史料ではČi-daiと転写されている。
見る ダギと至大
至治 (元)
至治(しち)は、中国・元の英宗シデバラの治世で用いられた元号。1321年 - 1323年。モンゴル語史料ではČi-čiiと転写されている。
見る ダギと至治 (元)
集史
『集史』(しゅうし、جامعالتواریخ 。 Jāmi` al-Tavārīkh、جامع التواريخ。 Jāmi` al-Tawārīkh)は、イル・ハン国の第7代君主ガザン・ハンの勅令(ヤルリク)によってその宰相(ワズィール wazīr)であったラシードゥッディーンを中心に編纂された歴史書である。世界最初の世界史の書として名高い。
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杉山正明
杉山 正明(すぎやま まさあき、1952年3月1日 - )は、静岡県生まれの日本の歴史学者。京都大学名誉教授。主要研究テーマはモンゴル時代史、中央ユーラシア史。日本におけるモンゴル史研究の第一人者である。
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漢文
漢文(かんぶん)とは、古代中国の文語体の文章のこと。または中国人・朝鮮人・日本人・ベトナム人によって書かれる古典的な文章語のうち、漢字を用いて中国語の文法で書かれたものをいう。
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懐慶路
懐慶路(かいけいろ)は、中国にかつて存在した路。モンゴル帝国および大元ウルスの時代に現在の河南省西北部一帯に設置された。治所は河内県で、大元ウルスの行政上は中書省に直属する地域(腹裏/コルン・ウルス)であった。 旧名を懐孟路と言い、モンゴル帝国第5代皇帝クビライを始祖とするクビライ王家の投下領であった。
見る ダギと懐慶路
11月1日
11月1日(じゅういちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から305日目(閏年では306日目)にあたり、年末まであと60日ある。
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9月22日 (旧暦)
旧暦9月22日は旧暦9月の22日目である。六曜は赤口である。

