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サルミゼゲトゥサ

索引 サルミゼゲトゥサ

ルミゼゲトゥサ内の要塞に設置された神殿跡地 サルミゼゲトゥサ遺跡のマップ サルミゼゲトゥサ(Sarmizegetusa)は、古代ダキア人による軍事・宗教・政治上の最も重要な古代都市である。1200メートルの高地に建設され、狭隘なオラシュチエ山脈の立地を生かした6箇所の要塞群の一つでもあり(なお、サルミゼゲトゥサ以外はブリダル、ピアトラ・ロシエ、コステシュティ、カプルナ、バニツァ)、戦術的な防衛システムが設置されていた。サルミセゲトゥサ(Sarmisegetusa、Sarmisegethusa), サルミセゲトゥザ(Sarmisegethuza)、ザルミゼゲトウサ(Ζαρμιζεγεθούσα、アルファベット表記:Zarmizegethousa)、ゼルミゼゲトオウセ(Ζερμιζεγεθούση、アルファベット表記:Zermizegethouse)などとも呼ばれる。.

20 関係: 安山岩属州世界遺産ムルス・ダキクスローマ帝国ローマ軍団トラヤヌスブレビスタデケバルスダキア人ダキア戦争オラシュチエ山脈のダキア人の要塞群コロニア (古代ローマ)国際連合教育科学文化機関石灰岩要塞考古学101年106年1999年

安山岩

火山岩のQAPF図;Q: 石英、A: アルカリ長石、P: 斜長石、F: 準長石 化学組成による火山岩の分類 安山岩の薄片 安山岩(あんざんがん、)は、火成岩の一種。現在用いられている全岩SiO2量による火山岩の分類法のうち、国際地質科学連合の推薦する分類体系によれば、52~57wt%が玄武岩質安山岩。57~63wt%が安山岩と定義される。日本でよく用いられている分類体系は都城・久城(1975)によるもので、国際地質科学連合のものと同様に、縦軸にアルカリ量 (Na2O + K2O)、横軸にSiO2量をとっており、SiO2が53~62wt%を安山岩としている。深成岩の閃緑岩に対応する。 英名の は、南米アンデス山中のMarmato産の粗面岩様の火山岩に対し、ブッフが命名したもので、アンデスの名をとり -ite をつけたもの。日本語訳は、はじめ小藤文次郎により富士岩(明治17年)と訳され、東京大学系の人々に用いられたが、地質調査所ではアンデス山の石の意で、安山岩と訳して用いた。文献に最初に安山岩の訳が現れるのは、ライマンの弟子であった西山正吾による『伊豆図幅説明書』(明治19年)で、以後、富士岩・安山岩が明治20年代までは併用された。.

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属州

属州(ぞくしゅう、)は、古代ローマの本国以外の領土を指す。.

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世界遺産

世界遺産(せかいいさん、World Heritage Site)は、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リスト(世界遺産一覧表)に登録された、文化財、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産が対象となっている。なお、慣例的な用法として、その中の文化遺産を世界文化遺産、自然遺産を世界自然遺産と呼ぶことがある。 なお、世界遺産の制度では正式な文書は英語とフランス語で示され、日本語文献では英語が併記されることがしばしばある一方、フランス語が併記されることは普通ないため、以下では参照しやすさを考慮して、などに依拠して、主たる用語には英語を併記しておく。.

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ムルス・ダキクス

ムルス・ダキクス(ラテン語: Murus Dacicus, 「ダキア人の城壁」)は、ローマ帝国征服以前にダキア王国で発達した城壁や要塞の構築理論である。それは、従来のダキア人の伝統的建築理論と、ギリシャ・ローマ建築や石工術から輸入された理論を混成させたものである。それは、それ以前にも、その時代にも、後代にも幾分似通った建築技術はあるものの、ムルス・ダキクスを独特のものとならしめている要素はある。 ムルス・ダキクスは直方体に切り分けられた石のブロックを組み上げた2つの外壁から成っている。それらはモルタルを用いていない切石積みの好例であるが、ブロックの規格は平均的なものよりも大きい。これは技術的要請によるものである。 2つの外壁が出来あがった後に、その隙間を砂利と石のセメントや粘土、土などで埋めてしまう。こうすることで、どちらの壁も水平方向の強度が増す。外壁は焦がした木製のつなぎ梁で接続される。その繋ぎ梁は、石のブロックの上面に蟻継手でつながれる。この壁は、攻城兵器から射出される投射体から受ける衝撃を吸収し、運動エネルギーを拡散させることに秀でている。その高度な柔軟性により、この構造は、たとえばミュケーナイの巨大な切石積みに見られるような「古典的」な堅い石壁よりも、明らかに優越しているのである。 適正に建てられたムルス・ダキクスは労働集約的で、なおかつ時間も相当にかかる。そこで、二度のダキア戦争の間の短い期間には、急拵えになった。とはいえ、その典型的な様式は厚さ3-4m、高さ10mで、与えられた条件下での急造としては傑出した成果といえる。 ユネスコの世界遺産に登録されている「オラシュチエ山脈のダキア人の要塞群」(ルーマニア)は、この理論が適用された城塞の好例である。ムルス・ダキクスは、ローマのTrajan's columnにも描かれている。.

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ローマ帝国

ーマ帝国(ローマていこく、Imperium Romanum)は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロードの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。 帝国という訳語があてられている事から、狭義にはオクタウィアヌスがアウグストゥスの尊称を与えられた紀元前27年からの古代ローマを指す場合もある。しかし、本来の表現からすればこの場合は帝政ローマ、またはローマ帝政期とした方が正確である。.

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ローマ軍団

14軍団ゲミナ(2004年のポーランドにおける再現イベント) ローマ軍団(古典ラテン語:legio、レギオー)は、古代ローマにおける軍隊(excercitus)のうち陸軍の基本的な編成単位のことである。軍団はローマ市民権を有する者だけで構成されていた。 1つの軍団は、時代によっても異なるが、帝政ローマ時代では1つの軍団は10のコホルス(大隊)から構成され、騎兵200強を含めたおよそ5,000から6,000人の軍団兵がいた。古代ローマ史上を通じて名前や番号をもった通算約50個の軍団が創設されたが、それらの多くが長い歴史の間で全滅・解散されており必ずしも存続しえたわけではなかった。.

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トラヤヌス

マルクス・ウルピウス・ネルウァ・トラヤヌス・アウグストゥス(ラテン語:マールクス・ウルピウス・ネルウァ・トライヤーヌス・アウグストゥス、53年9月18日 - 117年8月8日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:98年 - 117年)で、ネルウァ=アントニヌス朝の第2代皇帝である。文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功した。特に対外面ではダキア・パルティアで功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図を現出した。 イタリア本土出身者でない、初の属州生まれの皇帝でもある。それまでは、首都ローマを含むイタリア本土出身者の最上流貴族しか皇帝に選ばれたことはなかった。 トラヤヌスは同時代から現在に至るまで優れた君主として尊敬を受けるローマ皇帝であり、後世の君主たちからも讃えられた。古代末期から中世にかけてのキリスト教史観でもこの名声は維持され、近代においてもギボンが「五賢帝」の一人として彼を賞賛している。.

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ブレビスタ

ブレビスタの支配した領域 オラシュチエ市にあるブレビスタの銅像 ブレビスタ(Burebista、紀元前111年頃 – 紀元前44年頃)は、ダキア人の王。ダキアを初めて統一した。.

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デケバルス

デケバルス(Decebalus, ? - 106年)は、ダキア族の王(在位87年-106年)。ローマ皇帝トラヤヌスとのダキア戦争で相対した人物である。.

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ダキア人

ダキア人(dacică)は、紀元前1000年頃から、ダキア地方(現在のルーマニア)に住んでいたトラキア系の民族のこと。 現在のルーマニアでは、このダキア人とローマ人の混血した人々がルーマニア人の祖先であるとされている。.

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ダキア戦争

帝政ローマ期のダキア一帯 ダキア戦争(ダキアせんそう、Conquista della Dacia, Războaiele daco-romane)は、101年から102年、および105年から106年の2次に渡るローマ帝国とダキア人との戦争である。なお、ドミティアヌス帝期に発生したダキア人との戦争を含めてダキア戦争と呼ぶ場合もある。.

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オラシュチエ山脈のダキア人の要塞群

ラシュチエ山脈のダキア人の要塞群は、ルーマニアの世界遺産の一つである。紀元前1世紀から1世紀にかけて、ローマ帝国の侵攻に対抗するために、ダキア人独特のムルス・ダキクス様式で建造された6つの要塞が登録対象となっている。 その広範囲に及び、なおかつ保存状態の良好な遺跡群は、精力的で革新的であった古代文明の姿を良く伝えるものである。ただし、この一帯に関する保護措置をルーマニアが講じていなかったことから、盗掘も行われてきた。.

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コロニア (古代ローマ)

ニア(Colonia または Colonia Romana)とは、古代ローマの植民都市のこと。コローニアや、日本語で植民市と表記することもある。.

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国際連合教育科学文化機関

フランス、パリのユネスコ本部庁舎と平和の庭園(日本庭園) 日本ユネスコ国内委員会が入居する東京都の霞が関コモンゲート東館(右側) 国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん、Organisation des Nations unies pour l'éducation, la science et la culture、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization, UNESCO ユネスコ)は、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的とした専門機関である。 1945年11月に44カ国の代表が集い、イギリス・ロンドンで開催された国連会議 "United Nations Conference for the establishment of an educational and cultural organization" (ECO/CONF)において11月16日に採択された 「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立された。 分担金(2016年現在)の最大の拠出国はアメリカ合衆国(22%)、2位は日本(9%)である(米国は拠出金支払いを全額停止しているため、実質的に最大の拠出国は日本であるなおアメリカは2018年12月31日付でのユネスコ脱退を表明している。)。.

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石灰岩

石灰岩(せっかいがん、)は、炭酸カルシウム(CaCO3、方解石または霰石)を50%以上含む堆積岩。炭酸カルシウムの比率が高い場合は白色を呈するが、不純物により着色し、灰色や茶色、黒色の石灰岩もある。.

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要塞

堡式城郭の例。オランダのブールタング 要塞(ようさい)とは、外敵等から戦略上重要な地点を守る為に築かれた構築物。とりで(砦、堡、塞)、城砦(じょうさい)、城堡(じょうほ)ともいう。.

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考古学

考古学(こうこがく、英語:archaeology)は、人類が残した物質文化の痕跡(例えば、遺跡から出土した遺物、遺構などの考古資料)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。.

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101年

記載なし。

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106年

記載なし。

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1999年

1990年代最後の年であり、1000の位が1になる最後の年でもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。.

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