目次
46 関係: 加藤九祚、家島彦一、小松久男、岩波書店、平凡社、佐口透、ナリク、マー・ワラー・アンナフル、チャパル、チャガタイ家、チャガタイ・ハン国、ハーン、ムバーラク・シャー (チャガタイ家)、ムスリム、ワシーリィ・バルトリド、トクメ、ヘラート、ヒジュラ暦、ティムール朝、フェルガナ、ドレ・テムル、ドゥア、ホラーサーン、アミール、アブラハム・コンスタンティン・ムラジャ・ドーソン、アフガニスタン、アドル、イルハン朝、イルジギデイ、イブン・バットゥータ、ウイグル語、エセン・ブカ、オルジェイトゥ、オロス (オゴデイ家)、カルシ、カイドゥ、カシュカダリヤ川、ガザン・ハン、クルト朝、ゴンチェク、タルマシリン、元 (王朝)、図書印刷同朋舎、竺沙雅章、東洋文庫 (平凡社)、漢語。
- 1326年没
- 14世紀アジアの君主
加藤九祚
加藤 九祚(かとう きゅうぞう、1922年5月18日 - 2016年9月11日)は、日本の人類学者。アジア文化史・考古学で、多くの著作と訳書がある。創価大学、国立民族学博物館名誉教授。朝鮮名は李九祚(イ・クジョ)。
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家島彦一
家島 彦一(やじま ひこいち、1939年10月 - )は、日本の歴史学者、東京外国語大学名誉教授、元早稲田大学教育・総合科学学術院(教育学部社会科地理歴史専修)特任教授。専門は歴史学、イスラーム商業史。
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小松久男
小松 久男(こまつ ひさお、1951年 - )は、日本の歴史学者、中央アジア史学者、専門分野は中央アジア近現代史。元東京外国語大学特任教授。東京大学名誉教授、東洋文庫研究員。東京都出身。 主な役職として、東京大学大学院人文社会系研究科長(2009-10年度)、日本学術会議会員(第22-23期:2011年10月-2017年 9月)、公益財団法人 史学会理事長(2012-2013年度)、内陸アジア史学会会長(2013-2016年度)などをつとめる。
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岩波書店
株式会社岩波書店(いわなみしょてん、)は、日本の出版社である。 文芸・学術の幅広い分野における専門書から一般啓蒙書までを広く扱い、国内外の古典的著作を収めた「岩波文庫」や「岩波新書」などの叢書や、国語百科事典『広辞苑』の刊行でも有名。
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平凡社
株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が漢字の八のように末広がりになった旧字体「異体字セレクタを用いたUnicodeの符号位置はU+5E73,U+E0101またはU+5E73,U+0103」を用いる(大正末期創業のため)。
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佐口透
佐口 透(さぐち とおる、1916年6月20日 - 2006年11月13日)は、日本の歴史学者。金沢大学名誉教授。東トルキスタンの研究で知られる。
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ナリク
ナリク(Nalïqu / Nalïγu, ペルシア語: ناليقو Nālīqū、? - 1309年)は、チャガタイ家の第13代君主で、チャガタイ・ハン国のハン(在位:1308年 - 1309年)。1504年にムハンマド・シャイバーニー・ハンの命によって編纂された『勝利の書なる選ばれたる諸史』(Tawārīkh-i Guzīda-yi Nuṣrat Nāma)など後代の一部史料ではタリク(タリグ、 تاليغو Tālīghū)としている場合もあるが、14世紀以降に編纂された『集史』『五族譜(Shu'ab-i Panjgāna)』『高貴系譜(Mu'izz al-Ansāb)』などの史料では、おおよその場合「ナリク」( ناليقو Nālīqū)としているため、本項目でも「ナリク」とする。
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マー・ワラー・アンナフル
マー・ワラー・アンナフル(ما وراء النهر、)またはトランスオクシアナ()とは、中央アジア南部のオアシス地域の歴史的呼称である。 アラビア語で「川の向うの土地」を意味する言葉で字義通りにはアム川北岸の地域を指し堀川「マー・ワラー・アンナフル」『中央ユーラシアを知る事典』、487頁久保「マー・ワラー・アン=ナフル」『岩波イスラーム辞典』、939頁、ギリシア語やラテン語で書かれたヨーロッパの史料に見られる「トランスオクシアナ(Transoxiana、オクサス川(アム川)より向こうの地)」と同じ意味を持つ間野「マー・ワラー・アンナフル」『新イスラム事典』、466頁川口『ティムール帝国』、116頁。日本では、英語読みの「トランスオキジアナ」と表記されることもある。実際にはアム川とシル川の間の地域を指す言葉として使われ、その領域には、今日のウズベキスタンとタジキスタン、それにカザフスタンの南部とクルグズスタンの一部が含まれている。北はカザフステップ、西にカスピ海、南東に天山山脈とパミール高原が位置し、西南にキジルクム砂漠とカラクム砂漠が広がる。北から南、西から東へ向かうにつれて海抜高度が上がり、一年を通じて乾燥した気候にあり、気温の年較差は大きい。
チャパル
チャパル(、生没年不詳)は、モンゴル帝国の皇族。オゴデイ家の当主でオゴデイの曾孫にあたる。『集史』などのペルシア語史料ではチャーパール()と記される。
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チャガタイ家
チャガタイ家(-け)は、チンギス・ハーンの次男であるチャガタイから始まる家系である。
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チャガタイ・ハン国
チャガタイ・ハン国は、13世紀から17世紀にかけて中央アジアに存在した遊牧国家(ウルス)である。 モンゴル帝国の建国者であるチンギス・カンの次男チャガタイを祖とし、その子孫が国家の君主として君臨した。14世紀半ばにチャガタイ・ハン国は東西に分裂し、東部のチャガタイ・ハン国はモグーリスタン・ハン国とも呼ばれる。内乱、外部の遊牧勢力の攻撃、スーフィー教団の台頭の末、18世紀末にモグーリスタン王家を君主とする政権は滅亡した。西部のチャガタイ・ハン国ではハンに代わって貴族が実権を握るようになり、地方勢力間の抗争とモグーリスタン・ハン国の侵入を経てティムール朝が形成された。の貴族やティムール朝の創始者ティムールは傀儡のハンを置き、ティムールはチャガタイの弟オゴデイの子孫をハンとしたが、1403年以降はハンを擁立しなかった。
ハーン
ハーン(汗、可汗、合罕、干、qaġan/qaγan、khaan)は、北アジア、中央アジア、西アジア、南アジアにおいて、主に東北に住む騎馬民族の君主や有力者が名乗る称号。古い時代の遊牧民の君主が名乗った称号カガン(古テュルク語: - qaġan/qaγan)はその古形である。
見る ケベクとハーン
ムバーラク・シャー (チャガタイ家)
ムバーラク・シャーは、チャガタイ家の第6代君主(在位:1266年)。本来はチャガタイ・ウルス君主の座を受け継ぐ正統な血統の出であったが、アルグとバラクの簒奪を経て影響力を失い、チャガタイ・ウルス君主に返り咲くことなく一生を終えた。
ムスリム
カアバとタワーフをするムスリム ムスリム(مسلم、Muslim)とは、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラーム教を信仰する人びとを指す。
見る ケベクとムスリム
ワシーリィ・バルトリド
ワシーリィ・ウラディミロヴィチ・バルトリド(Василий Владимирович Бартольд、Vasiliy Vladimirovich Bartold, 1869年11月15日(ユリウス暦では11月3日) - 1930年8月19日)は、ロシア・ソ連の歴史家。中央ユーラシア史の解明に大きな功績を残した。欧米諸国では「ヴィルヘルム・バルトルト」という名でも知られる。
トクメ
トクメ(、生没年不詳)は、チンギス・カンの孫のグユクの孫で、モンゴル帝国の皇族。『元史』などの漢文史料では禿苦滅(tūkǔmiè)/禿曲滅(tūqūmiè)、『集史』などのペルシア語史料ではتوکمه(tūkme)と記される。 カイドゥの子のオロスらとともに、「カイドゥ・ウルス(カイドゥの国)」残党の中でも最後まで大元ウルスやチャガタイ・ウルスと敵対したことで知られる。
見る ケベクとトクメ
ヘラート
ヘラート(ダリー語: هرات Herāt)は、アフガニスタンの都市。ハリー川の河谷に形成された肥沃なオアシスに位置し、古にはワイン生産地として名高かった。国内第3の人口を擁する (2006年の公式推計で349,000人) 同国北西部の最重要都市で、現在はヘラート州の州都である。住民はスンナ派またはシーア派のペルシア語系タジク人中心で、主にダリー語が話される。 アフガニスタン北西部からイラン北東部、トルクメニスタン南部にまたがったホラーサーン地方の東部に位置し、中央アジアとインド亜大陸、西アジアを結ぶ重要な交易路上にあって古来より栄え「ホラーサーンの真珠」とその繁栄を謳われた。ペルシア語系タジク人が住民の多数を占めることからもうかがえるように、ヘラートを含むアフガニスタン北西部のハリー・ルード水系地域は、歴史的にはアフガン(パシュトゥーン)よりもイランの文化圏に属した。その歴史の古さは、古代ペルシア帝国の碑文に名が記されているほどで、現在も多くの歴史的建造物に恵まれている。もっとも、多くの遺跡が近年の激しい内戦によって損傷を受けている。ヘラートからイラン、トルクメニスタン、マザーリシャリーフ、カンダハールに通じる複数の幹線道路は、現在もなお戦略的に重要である。
見る ケベクとヘラート
ヒジュラ暦
ヒジュラ暦(ヒジュラれき、 at-taqwīm al-hijrīy、)またはヒジュラ太陰暦(ヒジュラたいいんれき、 at-taqwīm al-hijrīy al-qamrīy、)は、主にイスラム教社会で使われている暦法である。イスラム暦(イスラムれき、、)とも呼ばれる。 太陰暦であって、閏月を設ける太陰太陽暦とは異なる。このため、季節または太陽暦とのズレを、毎年約11日ずつ、積み重ねていくこととなる。 紀年法はヒジュラ紀元(ヒジュラきげん)と呼ばれる。ヨーロッパでは、を略して、A.H.と表記する。
見る ケベクとヒジュラ暦
ティムール朝
ティムール朝(ティムールちょう、、)は、中央アジアのマー・ワラー・アンナフル(現在のウズベキスタン中央部)に勃興したモンゴル帝国の継承政権のひとつで、中央アジアからイランにかけての地域を支配したイスラム王朝(1370年 - 1507年)。 その最盛期には、版図は北東は東トルキスタン、南東はインダス川、北西はヴォルガ川、南西はシリア・アナトリア方面にまで及び、かつてのモンゴル帝国の西南部地域を制覇した。創始者のティムール在位中の国家はティムール帝国と呼ばれることが多い。 王朝の始祖ティムールは、チャガタイ・ハン国に仕えるバルラス部族の出身で、言語的にテュルク化し、宗教的にイスラム化したモンゴル軍人(チャガタイ人)の一員であった。
見る ケベクとティムール朝
フェルガナ
フェルガナの道 フェルガナまたはフェルガーナ(Fergana、Фергана、Farg‘ona / Фарғона、Фарғона、فرغانه、費爾干納)は、ウズベキスタン共和国東部の都市。フェルガナ州の州都。人口は214,000人。アラル海に注ぐシルダリア川の上流とカラテギン(フェルガナ)山地に挟まれたフェルガナ盆地の南端に位置する。 タジキスタン・キルギスの国境地帯に位置している。アンディジャンの西75km、タシュケントの東420kmに位置する。
見る ケベクとフェルガナ
ドレ・テムル
ドレ・テムル(、生没年不詳)は、チンギス・カンの次男のチャガタイの子孫で、モンゴル帝国の皇族。
見る ケベクとドレ・テムル
ドゥア
ドゥア(Du'a, ? - 1307年頃)は、モンゴル帝国の皇族、チャガタイ家の第11代君主(在位:1283年 - 1307年)で、チャガタイ・ハン国の実質的な建国者である。『集史』などのペルシア語表記では دوا(Dūā)、『元史』などでの漢字表記は都哇。第7代君主バラクの子。 1270年に父バラクがオゴデイ家のカイドゥと対立中に、カイドゥによる毒殺と言われる謎の急死を遂げると、父の仇敵であるカイドゥと対立し、カイドゥの側についた第5代君主アルグの遺児のチュベイらと激しい抗争を10年近くにわたって繰り広げた。 その後、情勢の変化からカイドゥに服属することになり、逆にカイドゥと対立するようになったチュベイらが、モンゴル帝国のカアンであるクビライの政権、大元ウルスに逃亡したので、1282年になってカイドゥによって空席となっていたチャガタイ家の当主の座に据えられた。しかし実際にはドゥアはカイドゥの傀儡であり、カイドゥが中央アジアに成立させた「カイドゥ・ウルス」の一部をなす諸王に過ぎなかった。
見る ケベクとドゥア
ホラーサーン
ホラーサーン(خراسان、Khorasan)は、イラン東部の州の名称で、この州は広大であったため、2004年9月29日、北ホラーサーン州、南ホラーサーン州、ラザヴィー・ホラーサーン州の3州に再編された。旧ホラーサーン州の州都は、マシュハド。「太陽の登るところ」を意味する。現在はラザヴィー・ホラーサーン州の州都となっている。
見る ケベクとホラーサーン
アミール
アミール()は、イスラム世界で用いられる称号である。君主号の一つとしても用いられる。
見る ケベクとアミール
アブラハム・コンスタンティン・ムラジャ・ドーソン
アブラハム・コンスタンティン・ムラジャ・ドーソン 男爵(Abraham Constantin Mouradgea d'Ohsson、1779年11月26日 - 1851年12月25日)は、オスマン帝国におけるアルメニア系の外交官、歴史家。『チンギス・カンよりティムール・ベイすなわちタメルランに至るモンゴル族の歴史』(邦題:『蒙古史』、『モンゴル帝国史』)の著者として有名であった。
見る ケベクとアブラハム・コンスタンティン・ムラジャ・ドーソン
アフガニスタン
アフガニスタン・イスラム首長国(アフガニスタン・イスラムしゅちょうこく、、امارت اسلامی افغانستان、)、通称アフガニスタン(افغانستان、、Afghanistan)は、中央アジアと南アジアの交差点に位置する山岳地帯の内陸国である。現在はターリバーンによる暫定政権が築かれている。東と南にパキスタン、西にイラン、北にトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、北東ではワハン回廊で中国と国境を接している山内昌之【地球を読む】アフガニスタン 秩序失った地政学的要衝『読売新聞』朝刊2021年11月7日1面。多民族国家で、周辺国と民族やイスラム教宗派でつながりが深いパシュトゥン人、ウズベク人、タジク人、ハザラ人などが暮らす。
見る ケベクとアフガニスタン
アドル
アドル (Adl, Adol)。
見る ケベクとアドル
イルハン朝
13世紀のフレグ・ウルスとその周辺国 イル・ハン国(ايلخانيان Īlkhāniyān、英語: Ilkhanate)は、現在のイランを中心に、アムダリヤ川からイラク、アナトリア東部までを支配したモンゴル帝国を構成する地方政権(1258年 - 1335年/1353年)。
見る ケベクとイルハン朝
イルジギデイ
イルジギデイ(Iljigidei/Eljigidai, ايلجيكداى Īljīkidāī、生没年不詳)は、チャガタイ・ハン国の君主(1326年 - 1326年イブン・バットゥータ『大旅行記』4巻(家島彦一訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1999年9月)、240頁 or 1327年? - 1330年?『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社, 2005年4月)、556-557頁)。チャガタイ家の当主ドゥアの子で、ゴンチェク、エセン・ブカ、ケベク、ドレ・テムル、タルマシリンらはイルジギデイの兄弟。。『元史』などの漢文史料における表記は燕只哥䚟(yànzhǐgēdǎi)など。
見る ケベクとイルジギデイ
イブン・バットゥータ
イブン・バットゥータ(、, アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・アブドゥッラー・アッ=ラワーティー・アッ=タンジー・イブン・バットゥータ、イブン。
ウイグル語
ウイグル語(ウイグルご、ئۇيغۇرچە; 、)は、中央アジアで使用されるテュルク語族に属する言語ひとつ。中央アジア東部のタリム盆地(現在の新疆ウイグル自治区の南部)周辺で現在話されている。
見る ケベクとウイグル語
エセン・ブカ
エセン・ブカ(Esen-Buqa / Isan-Buqa, ايسن بوقا Īsan Būqā、? - 1320年)は、チャガタイ家の第14代君主で、チャガタイ・ハン国のハン(在位:1309年 - 1320年)。漢語史料では也先不花と表記される。
見る ケベクとエセン・ブカ
オルジェイトゥ
ソルターニーイェのオルジェイトゥ廟 オルジェイトゥ・ハン(ペルシア語:اولجايتو خان Öljeitü, ūljāytū khān, 1280年 - 1316年12月16日)は、イルハン朝の第8代君主(在位:1304年7月21日 - 1316年12月16日)。第4代君主・アルグンの第3子で、第7代君主・ガザン・ハンの弟、アブー・サイードの父。兄ガザン・ハンの目指したイラン・イスラーム的なモンゴル国家像によるイルハン朝再建の政策を引継ぎ、国内の財政と軍政、宗教問題などの安定化、モンゴル帝国諸王家との融和政策にも取り組んだ。その過程でシーア派改宗宣言をしたことでも知られる。なお、日本語表記では、オルジャイトゥ(ー)と表記されるものもある。
見る ケベクとオルジェイトゥ
オロス (オゴデイ家)
オロス(、生没年不詳)は、オゴデイの孫のカイドゥの息子で、モンゴル帝国の皇族。『元史』などの漢文史料では斡羅思(wòluosī)、『集史』などのペルシア語史料ではاوروس(ūrūs)と記される。 グユク家のトクメらとともに、「カイドゥ・ウルス(カイドゥの国)」残党の中でも最後まで大元ウルスやチャガタイ・ウルスと敵対したことで知られる。
カルシ
カルシ (Qarshi / Қарши; نخشب / Nakhshab; Karshi / Карши; Kharsh-khot / Харш-хот) は、ウズベキスタンのカシュカダリヤ州にある都市でありカシュカダリヤ州の州都である。首都タシュケントの南南西520km、アフガニスタンとの国境から北西に350kmの地点にある。2012年現在の人口は約23万人である。天然ガスやカーペット生産が主な産業となっている。Karshiと表記されることもある。
見る ケベクとカルシ
カイドゥ
カイドゥ(、? - 1301年)は、13世紀の後半に中央アジアに独立王国を建設したモンゴル皇族。チンギス・カンの三男オゴデイの五男カシン()の子。『集史』などのペルシア語史料では قايدو Qāydū 、漢語史料では海都と書かれる。現代モンゴル語の発音に基づいてハイドゥあるいはハイドともいう。 30年以上にわたってモンゴル皇帝(カアン)、チンギス・カンの四男トルイの四男クビライ率いる大元ウルスと対立し、中央アジア以西のモンゴル諸勢力のモンゴル皇帝権力からの分離独立を決定づけた。このカイドゥの一連の行動は一般に「カイドゥの乱」と呼ばれる。
見る ケベクとカイドゥ
カシュカダリヤ川
カシュカダリヤ川 (ラテン文字:Qashqadaryo River, Kashkadarya River,キリル文字:Қашқадарё) はウズベキスタンの河川である。ダリヤ (Darya) はウズベク語で河川を意味するため、カシュカ川と呼ばれることもある。全長は378km、流域面積は8,780km2である。カシュカダリヤ州の名前はこの河川より採られている。 水源はギッサール山脈にあり、タジキスタンとの国境付近からシャフリサブスやチラクチ、カラバグなどを通過して州都のカルシへと到達する。この河川はその後トルクメニスタンのケルキ付近を通った後アムダリヤ川へと注ぐ。
見る ケベクとカシュカダリヤ川
ガザン・ハン
ガザン・ハン(ペルシア語:غازان خان Ghāzān khān, 1271年11月4日 - 1304年5月17日)は、イルハン朝の第7代君主。第4代君主アルグンの長子で、第8代君主オルジェイトゥの兄に当たる(在位:1295年11月3日 - 1304年5月17日)。『元史』などにおける漢字表記は合贊。 1291年に父アルグンが没した後、父の弟であるガイハトゥが後を継いで君主となったが、失政を続けた結果、1295年に従兄弟に当たるバイドゥに殺害された。ガザンはその半年後、バイドゥに対して反乱を起こして彼を滅ぼし、イルハン朝の第7代君主として即位することになったのである。
見る ケベクとガザン・ハン
クルト朝
クルト朝(Kurt dynasty)は、13世紀から14世紀にかけてイラン東部のホラーサーン地方を支配した、タジク人ドーソン『モンゴル帝国史』6巻、379頁のスンナ派ルスタン・ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』収録(加藤九祚訳, 東海大学出版会, 2008年10月)、60-62頁イスラム教徒の王朝。首都はホラーサーン地方の都市ヘラート。カルト朝(Kart dynasty)とも表記されるが、いずれの表記が正確なのかは定説が無く、王朝の名前の由来となった「クルト」の意味も明確になっていない本田「ヘラートのクルト政権の成立」『東洋史研究』21巻2号、42-43頁。 クルト朝の王家は元々はゴール朝のスルターン・ギヤースッディーン・ムハンマドの封臣であり、ゴール朝の王室とつながりを持っていた。
見る ケベクとクルト朝
ゴンチェク
ゴンチェク(? - 1308年)は、チャガタイ家の第12代君主で、チャガタイ・ハン国のハン(在位:1307年 - 1308年)。漢語史料では寛徹と表記される。 第11代君主ドゥアの子。1307年に父が死去したため、跡を継いだ。短い治世の間にはオゴデイ家の王族キュレスベによる反乱が起きるが、傍流であるブリ家の諸王ヤサウルとジンクシによって反乱は鎮圧される。 1308年に没し、没時にドゥアの子の中に後継者候補と言える人物が不在であったため、チャガタイ家の長老格であるブリ家のナリクがハン位を襲った。
見る ケベクとゴンチェク
タルマシリン
アラーウッディーン・タルマシリン(Älâ'ud-Dīn Tarmashīrīn、? - 1334年)はチャガタイ・ハン国のハン(在位:1326年Barthold『Four studies on the history of Central Asia』、134頁or1331年 - 1334年)。チャガタイ・ハン国の15,17代目君主ケベクの弟にあたる。「アラーウッディーン」はイスラム教に改宗した際の尊称であり、「タルマシリン」は仏教に由来するサンスクリットの「ダルマシュリー(Dharmasri)」が原形だと考えられている。 タルマシリンはケベクと同じくカシュカ川流域に住み、テュルクの言語を話したという。1326年秋にジャイフーン川を渡ってイルハン朝支配下のホラーサーン地方に侵入するが、ガズナ近郊でイルハン朝のアミール・チョバンの子アミール・フサインに敗れ、退却する。
見る ケベクとタルマシリン
元 (王朝)
元(げん)は、中東アジアから東ヨーロッパまで広大な領域にまたがったモンゴル帝国の後裔の一国であり、そのうち中国本土とモンゴル高原を中心領域にモンゴル帝国皇帝の直轄地として、1271年から1368年まで東アジアと北アジアを支配したモンゴル人が建てた征服王朝である。 正式国号は、大元(だいげん)で、ほかに元朝(げんちょう)、元国(げんこく)、大元帝国(だいげんていこく)、元王朝(げんおうちょう)、大モンゴル国(だいもんごるこく)とも言う。モンゴル人のキヤト・ボルジギン氏が建国した征服王朝で、国姓は「奇渥温」である。
見る ケベクと元 (王朝)
図書印刷同朋舎
株式会社図書印刷同朋舎(としょいんさつ どうほうしゃ)は、京都府京都市中京区に本社をおく印刷会社。通称は同朋舎。株式会社ティ・プラスの100%子会社。
見る ケベクと図書印刷同朋舎
竺沙雅章
竺沙 雅章(ちくさ まさあき、1930年3月14日 - 2015年10月2日)は、日本の東洋史学者。京都大学名誉教授。
見る ケベクと竺沙雅章
東洋文庫 (平凡社)
東洋文庫(とうようぶんこ、The Eastern Library)、別称で平凡社東洋文庫(へいぼんしゃとうようぶんこ)は、平凡社が刊行する叢書シリーズで1963年に創刊。2013年秋の創刊50周年を機にファンクラブ「東洋文庫読者倶楽部」が発足している。
漢語
日本語における漢語(かんご)とは、語種の一区分である。比較的古い時代の中国語から借用された形態素、すなわち漢字の字音から構成される語彙体系である。漢字の音読みと対応する語彙体系であるので字音語と称することもある佐藤喜代治(1996)、88頁。。固有語である「和語」、漢語以外の借用語である「外来語(洋語)」と対立する概念である。 漢語の原義は「漢民族の言語」であり、本来は漢民族が母語である中国語を自称する際の用語なのだが、日本においては国語として定着した中国由来の語彙体系を「漢語」と総称することが多い。また、漢字の字音は複合の自由度が高く、日本で独自に造語されたいわゆる「和製漢語」も多い。 日本語以外でも、朝鮮語、ベトナム語などの言語は同様の語彙体系を有している。これら言語が有する中国由来の語彙体系をまとめて「漢語系語彙(Sinoxenic vocabulary)」と呼ぶことがある。
見る ケベクと漢語
参考情報
1326年没
- エドマンド・フィッツアラン (第9代アランデル伯)
- ケベク
- ドミトリー・ミハイロヴィチ
- ヒュー・ル・ディスペンサー (初代ウィンチェスター伯)
- ヒュー・ル・ディスペンサー (小ディスペンサー)
- ブランシュ・ド・ブルゴーニュ
- ベルナルト (シフィドニツァ公)
- モンディーノ・デ・ルッツィ
- レオポルト1世 (オーストリア公)
- ヴァルティスラフ4世 (ポメラニア公)
- 惟康親王
- 高岡宗泰
14世紀アジアの君主
- アブドゥッラー (チャガタイ・ハン国)
- アブー・サイード
- アリー・スルターン
- アルパ・ケウン
- アーディル・スルターン
- イェスン・テムル (チャガタイ家)
- イリヤース・ホージャ
- イルジギデイ
- ウズベク・ハン
- エセン・ブカ
- オルジェイトゥ
- カザン (チャガタイ家)
- カブール・シャー
- ガザン・ハン
- グワナムトゥム
- ケベク
- ゴンチェク
- シャイフ・ウヴァイス
- シャディ・ベク
- ジハーン・テムル
- ジンクシ
- スルタン・マフムード (西チャガタイ)
- ソユルガトミシュ
- タルマシリン
- タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ
- ダーニシュマンド
- ティムール・シャー
- テムル・クトルク
- テムル・ベク
- トガ・テムル
- トクタキヤ
- トクタミシュ
- トーンチャン
- ドゥア
- ナリク
- パグワ
- ブザン (チャガタイ家)
- マンラーイ
- ムハンマド (イルハン朝)
- ムーサー (イルハン朝)
- ラーマラーチャーティラート
- ラーマーティボーディー1世
- ラーメースワン
- リタイ
- ルータイ
- 李成桂

