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谷街道

索引 谷街道

谷街道(たにかいどう)とは、信濃国稲荷山(長野県千曲市)を起点として、千曲川東岸を北上して信濃国飯山(長野県飯山市)に至る街道。江戸時代の宿駅制度の街道、往来ではないため、宿駅も定まっていない。.

22 関係: 千曲市天領小布施町上高井郡中野市中野陣屋信濃国北国街道 (信越)北国西街道国道403号稲荷山宿須坂市須坂藩須坂陣屋飯山城飯山市飯山藩越後国長野市長野県松代城松代藩

千曲市

千曲市(ちくまし)は、長野県の北部、北信地方の千曲川中流域に位置する人口約6万人の市。.

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天領

天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄地の俗称で、このほか幕府直轄領、徳川幕府領、徳川支配地、幕府領、幕領など様々な呼称があり、必ずしも絶対的な単一の歴史用語ではない村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。その領地は日本全国に散らばっており、江戸時代を通じて何らかの形で幕府直轄地が存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)に及び、年貢収取の対象となる田畑以外に交通・商業の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯が編入され江戸幕府の主要な財源であった村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。 幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治時代である。大政奉還後に幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまり。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。よって、江戸時代に使われていた呼称ではない。江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所、支配所(しはいしょ、しはいじょ)とある。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)とある。 大政奉還後の慶応4年(1868年、同年明治元年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある。 幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっており、全国の歴史教科書なども「幕領」への表記の変更が進められている。.

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小布施町

小布施町(おぶせまち)は、長野県の北東に位置する町。葛飾北斎をはじめとする歴史的遺産を活かした町づくりで人気を呼び、今や北信濃地域有数の観光地として認知度も高くなっている。本項では町制前の名称である小布施村(おぶせむら)についても述べる。.

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上高井郡

長野県上高井郡の範囲(1.小布施町 2.高山村) 上高井郡(かみたかいぐん)は、長野県の郡。 以下の1町1村を含む。.

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中野市

中野市中心部周辺の空中写真。1976年撮影の2枚を合成作成。国土航空写真。 中野市(なかのし)は、長野県北部にある市。 善光寺平の北東部に位置する北信州の中心都市。.

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中野陣屋

中野陣屋(なかのじんや)は長野県中野市にあった天領代官所(代官陣屋)のひとつ。建物は現存しない。.

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信濃国

信濃国(しなののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 『万葉集』での枕詞は「水薦苅(みこもかる )」。.

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北国街道 (信越)

北国街道(ほっこくかいどう)は日本の街道である。江戸幕府によって整備された脇街道で、北国脇往還(ほっこくわきおうかん)、善光寺街道(ぜんこうじかいどう)などとも呼ばれる。 追分で中山道と分かれ、善光寺を経て直江津で北陸道に合流する。.

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北国西街道

北国西街道(ほっこくにしかいどう)は信濃国に存在した脇往還で、中山道と北国街道を連絡し、松本藩や松代藩、善光寺へ向かう道のひとつとして整備された。正しくは北国西脇往還という。現在、国土交通省では北国西往還とされている。 善光寺街道、善光寺西街道などの別名を持つ。 洗馬で中山道と分かれた後、松本城下を経て山間地に入り、街道最大の難所である猿ヶ馬場峠を超えて善光寺平の南端(稲荷山宿・桑原宿)に至り、丹波島で北国街道に合流する。.

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国道403号

小国峠(新潟県長岡市小国町)付近 国道403号(こくどう403ごう)は、新潟県新潟市から長野県松本市に至る一般国道である。.

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稲荷山宿

荷山宿(いなりやまじゅく)は、北国西街道(善光寺街道、善光寺西街道)の、洗馬宿から10番目の宿場である。また、また、北国西街道(善光寺西街道)と谷街道との分岐点である。現在は長野県千曲市稲荷山に相当する。.

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須坂市

坂市中心部(須坂駅前) 須坂市(すざかし)は、長野県北部の市。江戸時代は須坂藩の陣屋町であった。明治から昭和初期にかけては製糸業で栄え、当時の繁栄を偲ばせる土蔵や大壁造りの商家が残り、蔵の町としても知られる。市制前の名称である須坂町(すざかまち)についてもここで述べる。.

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須坂藩

坂藩(すざかはん)は、信濃国高井郡(現在の長野県須坂市常盤町)にあった藩。政庁は須坂陣屋。.

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須坂陣屋

坂陣屋(すさかじんや)は長野県須坂市大字須坂(信濃国高井郡)にあった陣屋で、須坂藩の藩庁である。.

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飯山城

飯山城(いいやまじょう)は、長野県飯山市飯山にあった日本の城。.

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飯山市

飯山市中心部周辺の空中写真。1976年撮影の3枚を合成作成。国土航空写真。 飯山市(いいやまし)は、長野県の北東部にある市。 日本の原風景が感じられるまちとして「遊歩百選」(読売新聞主催)のひとつに選ばれている。.

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飯山藩

飯山藩(いいやまはん)は、信濃国(現在の長野県飯山市飯山)を支配した藩。藩庁は飯山城。.

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越後国

越後国(えちごのくに)は、かつて日本の行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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長野市

長野市(ながのし)は、長野県北信地方に位置する都市。長野県の県庁所在地であり、中核市である。.

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長野県

長野県空撮画像。長野盆地、富士山、浅間山、日本アルプスなどを望む。 長野県の地形図 長野県(ながのけん)は、本州内陸部に位置する日本の県の一つ。令制国名の信濃国に因み「信州」とも呼ばれている。海に面していないいわゆる内陸県であり、大規模な山岳地があるため可住地面積率は小さい。県庁所在地は長野市。善光寺の門前町として発展し第18回冬季オリンピックの開催地となった自治体でもある。.

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松代城

松代城(まつしろじょう)は、長野県長野市松代町松代にある日本の城跡である。元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていたが貝津城とも言われた。また茅津城(かやつじょう)とも言われ茅の生い茂った地であったと伝える説もある。形式は輪郭式平城。国の史跡に指定されている。.

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松代藩

松代城 旧松代藩藩邸。昭和初期に神奈川県藤沢市の竜口寺へ移築された(現在の竜口寺大書院) 松代藩(まつしろはん)は、江戸時代、信濃国埴科郡松代町(現在の長野県長野市松代町松代)にあった藩。信濃国内の藩では最高の石高を有した。長野県長野市の松代城を居城とし川中島四郡を領した。藩主は、酒井家(左衛門尉)、越前松平家、真田家が就封した。なお本項では、城地は異なるが同じ領地を支配した川中島藩についても記載する。.

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