目次
56 関係: 偉人、千鳥抄、南方熊楠、古事記、史記、天照大神、太陽神、奈良時代、宮本袈裟雄、山折哲雄、島薗進、上代特殊仮名遣、一遍、平安時代、平凡社、年神、五来重、仏教、延暦寺、得度、在家、ヤマトタケル、別所、シカ、スサノオ、六部、勧進、禅師、空也、筑摩書房、白川静、白鳥庫吉、芸能、遊行、聖人、道教、菩薩、親鸞、高野山、高野聖、谷川健一、虚無僧、東京堂出版、橋姫 (源氏物語)、池上良正、河出書房新社、沙弥、沙石集、法然、法藏館、... インデックスを展開 (6 もっと) »
偉人
偉人(いじん)とは、歴史に遺るような、並外れて優れた人間のこと。
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千鳥抄
『千鳥抄』(ちどりしょう)は、『源氏物語』の注釈書である。『源氏物語千鳥抄』(げんじものがたりちどりしょう)あるいは『源氏物語難儀抄』(げんじものがたりなんぎしょう)と呼ばれることもある。
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南方熊楠
南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年)12月29日)は、日本の博物学者・生物学者・民俗学者。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行なっていた。そうした調査に基づいて生態学(ecology)を早くから日本に導入した。 1929年には昭和天皇に進講し、粘菌標品110種類を進献している。 民俗学研究上の主著として『十二支考』『南方随筆』などがある。その他にも、投稿論文、ノート、日記のかたちで学問的成果が残されている。 フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した田村義也「語学力」(『南方熊楠大事典』129-133頁)。言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。
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古事記
真福寺収蔵の『古事記』(国宝。信瑜の弟子の賢瑜による写本) 古事記(こじき、ふることふみ、ふることぶみ)「解説」は、日本の日本神話を含む歴史書。現存する日本最古の書物である「一 古事記」。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上されたことで成立する。上中下の3巻。内容は天地のはじまりから推古天皇の記事である。 8年後の養老4年(720年)に編纂された『日本書紀』とともに神代から上古までを記した史書として、近代になって国家の聖典と見なされ、記紀と総称されることもあるが、『古事記』が出雲神話を重視するなど両書の内容には差異もある「第一章 神話と叙事詩の時代 四 日本紀、祝詞、風土記」。
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史記
『史記』(しき)は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された歴史書である。二十四史の一つで、正史の第一に数えられる。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。 二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の評価(史漢)を得ており、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されている。 日本でも古くから読まれており、元号の出典として12回採用されている。
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天照大神
天照大神(あまてらすおおかみ)または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する神。『記紀』においては、太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神である。神武天皇は来孫。 太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ。天岩戸の神隠れで有名な神で、神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が特に有名『八百万の神々』。
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太陽神
天照皇大神(春斎年昌画、明治22年(1889年)) 太陽神(たいようしん、solar deity)は、 太陽を信仰の対象とみなし神格化したもの。
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奈良時代
奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、第43代元明天皇により平城京(奈良・現奈良県奈良市)や聖武天皇の難波宮に都が置かれた時代。日本仏教による鎮護国家を目指して天平文化が花開いた時期とされる。
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宮本袈裟雄
宮本 袈裟雄(みやもと けさお、1945年8月3日 - 2008年12月18日)は、日本の民俗学者・日本史学者。
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山折哲雄
山折 哲雄(やまおり てつお、1931年『日本経済新聞』朝刊2022年6月11日(文化面)2022年7月24日閲覧〈昭和6年〉5月11日- )は、日本の宗教学者、評論家。専攻は宗教史・思想史首相官邸。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、21世紀高野山医療フォーラム副理事長、総合研究大学院大学名誉教授、平城遷都1300年記念事業評議員。教育改革国民会議委員。角川財団学芸賞、和辻哲郎文化賞、山本七平賞選考委員。1997年に白鳳女子短期大学赴任以降は行政職に就くことが続いたUpdate: 02.01.21。岩手県花巻市出身。京都市在住。 日本人の宗教意識や精神構造を研究し、現代社会論や文明論を精力的に展開する。著書に『日本人の霊魂観』(1976年)、『悲しみの精神史』(2002年)、『義理と人情』(2011年)など。
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島薗進
島薗 進(しまぞの すすむ、1948年12月10日 - )は、日本の宗教学者。大正大学地域構想研究所客員教授。グリーフケア研究所客員所員。東京大学名誉教授。上智大学神学部特任教授。グリーフケア研究所元所長。世界平和アピール七人委員会委員。
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上代特殊仮名遣
上代特殊仮名遣(じょうだいとくしゅかなづかい)とは、上代日本語における『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』など上代(奈良時代頃)の万葉仮名文献に用いられた、古典期以降には存在しない仮名の使いわけのことである。 名称は国語学者・橋本進吉の論文「上代の文献に存する特殊の仮名遣と当時の語法」に由来する。単に「上代仮名」とも呼ばれる。
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一遍
一遍(いっぺん、IPPEN。)は、鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。全国各地で賦算(ふさん)と呼ばれる「念仏札」を渡し、踊りながら南無阿弥陀仏(念仏)と唱える「踊り念仏」を行った。徹底的に自身の所有物を捨てたことで「捨聖(すてひじり)」とも呼ばれた。 一遍は、承久3年(1221年)の承久の乱により没落した伊予国(愛媛県松山市)の豪族の河野家の次男として延応元年(1239年)に生まれる。宝治2年(1248年)に10歳より仏門に入り、建長3年(1251年)からは太宰府の聖達上人の元で、浄土教を学んだ。弘長2年(1262年)に父の訃報を受けると、一度故郷に帰り、半僧半俗の生活を続けていたが、文永8年(1271年)に33歳で再出家し、文永11年(1274年)より全ての財産を捨て一族とも別れ 16年間の遊行の旅に出る。
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平安時代
平安時代(へいあんじだい、、延暦3年(784年)/延暦13年(794年) - 12世紀末)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都・現京都府京都市)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。広義では延暦3年(784年)の長岡京遷都からの約400年間を指す。 通常、古代の末期に位置づけられるが、中世の萌芽期と位置づけることも可能であり、古代から中世への過渡期と理解されている。近年では、荘園公領制が確立した院政期を中世初期に含める見解が有力になり、学校教育においてもこれに沿った構成を取る教科書が増えている。さらに遡って、律令制から王朝国家体制に移行する平安中期(900年頃以降)を中世の発端とする意見もある。平安時代を古代と中世のどちらに分類するかはいまだに議論があり、中立的な概念と古くから主に文学史の世界で使われてきた「中古」という語を用いることもある。
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平凡社
株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が漢字の八のように末広がりになった旧字体「異体字セレクタを用いたUnicodeの符号位置はU+5E73,U+E0101またはU+5E73,U+0103」を用いる(大正末期創業のため)。
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年神
年神(としがみ、歳神とも)、大年神(おおとしのかみ)は、日本神話、神道の神である。
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五来重
五来 重(五來 重、ごらい しげる、1908年〈明治41年〉3月7日 - 1993年〈平成5年〉12月11日)は、日本の民俗学者。大谷大学名誉教授。専門は日本仏教史、仏教民俗学。
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仏教
仏教(佛敎、ぶっきょう、बौद्धधर्म、ພຸດທະສາສະໜາ、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。仏陀(仏、目覚めた人、Buddha)の説いた教え。キリスト教・イスラム教に次ぐ世界宗教の1つで、世界で4番目に大きな宗教である(信者の数はヒンドゥー教の方が多いが、ヒンドゥー教は信者がほぼインドに限られているため、世界宗教とは言いがたい)。世界人口の7%である5億2000万人以上が仏教徒(信者)であり、特に東アジア、東南アジア、南アジアで広まっている。 教義は苦の輪廻からの解脱を目指す。原因と結果の理解に基づき、諸々の現象が縁起するとされる。
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延暦寺
延暦寺(えんりゃくじ、)は、滋賀県大津市坂本本町にある標高848mの比叡山全域を境内とする天台宗の総本山の寺院。山号は比叡山。本尊は薬師如来。正式には比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)と号する。 平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。横川中堂は新西国三十三箇所第18番札所で本尊は聖観音である。1994年(平成6年)には、古都京都の文化財の一部として、(1,200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)ユネスコ世界文化遺産にも登録された。寺紋は天台宗菊輪宝。 比叡山、または叡山(えいざん)とも呼ばれる。このほか、興福寺を指す南都に対して北嶺(ほくれい)、園城寺を指す寺門に対して山門の異称もある。
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得度
得度(とくど)は、仏教における僧侶となるための出家の儀式。 本来、僧侶になるには、仏教教団の10名の先輩構成員(三師七証)の承認があり、戒律を護る事を誓えば誰にでもなれるものであったが、中国や日本に於いては、労役、納税、兵役を免除されていたため、僧侶になる者が続出し、国家の財政を脅かす事態となった。そこで国家は年度や地域毎に僧侶になる人数を制限するために、得度を国家の許可制とした。
見る 聖と得度
在家
在家(ざいけ)は、仏教において、出家せずに、家庭にあって世俗・在俗の生活を営みながら仏道に帰依する者のこと。出家に対する語で、仏教用語の1つ。比丘(出家した男性信者)・比丘尼(出家した女性信者)と合わせて四衆(ししゅ)という。 仏教徒のなかで、在家の信者は、男性は優婆塞(うばそく、upāsaka, ウパーサカ)、女性は優婆夷(うばい、upāsikā, ウパーシカー)と呼ばれる。「upāsaka」という語には、仕える、敬う、礼拝するという意味があり、一般に在家信者は出家者に布施を行うことによって功徳を積む。また、出家者からは教えを受けて(法施)、生活の指針とする。 在家の仏教徒は、出家者と同じく仏・法・僧の三宝に帰依するが、戒律の種類は出家者ほど多くなく、五つの生活規則、即ち五戒と、さらに進んで八斎戒を守り、戒律を維持するための「布薩会」(懺法)に参加することが前提とされる。(ただし末法無戒を唱える一部の法華系宗派では、在家であっても五戒は無用とされる。) 真言宗および伊勢神宮の忌み言葉では角筈と呼ばれる。
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ヤマトタケル
ヤマトタケル(景行天皇12年 - 景行天皇41年)は、記紀などに伝わる古代日本の皇族(王族)。 『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用される宮内庁治定墓(能褒野墓・大和白鳥陵・河内白鳥陵)での公式表記、および『国史大辞典』(吉川弘文館)の項目名、『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館)の項目名、『日本人名大辞典』(講談社)の項目名において、「日本武尊」の用字が採用される。。 第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。
見る 聖とヤマトタケル
別所
別所(べっしょ)。
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シカ
シカ(鹿、)は、鯨偶蹄目シカ科 に属する哺乳類の総称である。ニホンジカ、トナカイ、ヘラジカなどが属しており、約16属36種が世界中の森林などに生息している。
見る 聖とシカ
スサノオ
スサノオ(スサノヲ)は、日本神話に登場する男神。
見る 聖とスサノオ
六部
六部(りくぶ、ろくぶ)。
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勧進
勧進(かんじん)は、仏教の僧侶が衆庶の救済のための布教活動の一環として行う行為の1つで勧化(かんげ)ともいう。勧請ともいう。直接民衆に説いて念仏・誦経などの行為を勧める者や寺院・仏像などの新造あるいは修復・再建のために浄財の寄付を求める者がいたが、中世以後には後者の行為を指すことが一般的となった。 なお勧請も、もともと仏教で仏に教えを請い、いつまでも衆生を救ってくれるよう請願することを指したが、日本では神仏習合によって神仏の霊を迎えての祈願を指すようになり、後に現在の意味に変化した。勧請は神道神社で使われることが多く、分霊ともいう。
見る 聖と勧進
禅師
禅師(ぜんじ、)は、中国・日本において、高徳な僧侶に対する尊称。禅師というが、日本でも禅僧に限った諡号ではない。
見る 聖と禅師
空也
空也(くうや)は、平安時代中期の僧。阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)とも称される。
見る 聖と空也
筑摩書房
株式会社筑摩書房(ちくましょぼう)は、日本の出版社。筑摩書房のマーク(空を截る鷹)のデザインは青山二郎作。 文学者を中心に個人全集は、増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と称される。特に『世界文学全集』は多くの類書シリーズを刊行した。ほかに古典・現代文の教科書を現在まで毎年出版する。月刊PR誌に『ちくま』がある。
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白川静
白川 静(しらかわ しずか、1910年4月9日 - 2006年10月30日)は、日本の漢文学者・東洋学者。学位は文学博士(京都大学)。立命館大学名誉教授、名誉館友。福井県福井市出身。
見る 聖と白川静
白鳥庫吉
白鳥 庫吉(しらとり くらきち、1865年3月1日(慶応元年2月4日) - 1942年(昭和17年)3月30日)は、日本の歴史学者。東京帝国大学(現:東京大学)教授、東洋文庫理事長を歴任した。専門は東洋史。文学博士。邪馬台国北九州説の提唱者として有名。
見る 聖と白鳥庫吉
芸能
芸能(げいのう)とは、芸術の諸ジャンルのうち人間をもって表現する技法のことである『大百科事典 4』、1202頁。。 日本語の「芸能」は広く流通している表現であり、芸能界や芸能人など大衆文化(大衆芸能)を想起させるものを含む一方、能や歌舞伎などの伝統芸能の枠組みも含まれる。 芸能には、主に演劇・舞踊・ポピュラー音楽・映画・大衆演芸・民俗芸能等が含まれる『日本大百科全書 8』、109頁。。古くは時と場所を限定した瞬時の演技や演奏によって表され、それが直ちに消滅するので瞬間芸術とも呼ばれたが、近代には録音・録画の技術が発達し、これらによって表現された作品も芸能と呼ばれるようになった。「芸能」は英語のパフォーミング・アーツ(performing arts)の訳語として用いられることがある。パフォーミング・アーツ(performing arts)は日本語に直訳すると「上演芸術」となり音楽・舞踊・演劇などをすべて含む概念である。ただ、日本では「芸能」という語が広く流通しており、「上演芸術」という語は一般的には用いられていない。
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遊行
遊行(ゆぎょう)とは、主に仏教の僧侶が布教や修行のために各地を巡り歩くこと。
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聖人
聖人(せいじん/しょうにん、※呉音:しょうにん、漢音:せいじん)とは、一般的に、徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物を指す。主に特定の宗教・宗派の中での教祖や高弟、崇拝・崇敬対象となる過去の人物をさすことが多い。 そして最も優れ、徳の高い聖人のことを大聖(たいせい)仏の尊称・大聖主・高位の菩薩を指す大聖(だいしょう)、如来を指す大聖(たいしょう)とは区別。(漢語林より)という。
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道教
道教(どうきょう、)とは、中国三大宗教(三教、儒教・仏教・道教の三つ)の一つであり、中国の漢民族の固有の宗教。時には外来宗教を除いてその後に残る中国の宗教形式をすべて「道教」の名で呼称する場合もある。 一般には、老子の思想を根本とし、その上に不老長生を求める神仙術や、符籙(おふだを用いた呪術)・斎醮(亡魂の救済と災厄の除去)、仏教の影響を受けて作られた経典・儀礼など、時代の経過とともに様々な要素が積み重なった宗教とされる。道教は典型的な多神教であり、その概念規定は確立しておらず、さまざまな要素を含んだ宗教である。伝説的には、黄帝が開祖で、老子がその教義を述べ、後漢の張陵が教祖となって教団が創設されたと語られることが多い。
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菩薩
菩薩(ぼさつ)とは、ボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व, bodhisattva, bodhisatta)の音写である菩提薩埵(ぼだいさった)の略であり、仏教において一般的には菩提(bodhi, 悟り)を求める衆生(薩埵, sattva)を意味する。仏教では、声聞や縁覚とともに声聞と縁覚に続く修行段階を指し示す名辞として用いられた - 学研全訳古語辞典 (weblio古語辞典)。。
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親鸞
親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。親鸞聖人と尊称され、鎌倉仏教の一つ、浄土真宗の宗祖とされる。 法然を師と仰いでから生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。、既成の仏教教団や、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)の草稿本が完成した1224年(元仁元年4月15日)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。
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高野山
壇上伽藍 壇上伽藍 不動堂(国宝) 高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある地域の名称である。周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの山上盆地に町並みが広がる。 「高野"山"」という名ではあるものの、地理学上の山ではない。高野山内は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、境内の中に発展した町であり、元来は高野山全体と金剛峯寺は同義である。そのため高野山内の歴史、伽藍、文化財関連については、金剛峯寺で詳述している。 平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。
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高野聖
高野聖(こうやひじり)は、中世に高野山を本拠とした遊行者。日本の中世において、高野山から諸地方に出向き、勧進と呼ばれる募金活動のために勧化、唱導、納骨などを行った僧侶。ただしその教義は真言宗よりは浄土教に近く、念仏を中心とした独特のものだった。
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谷川健一
谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2013年8月24日、満92歳没)は、日本の民俗学者・地名学者・作家・歌人。近畿大学教授・日本地名研究所所長等を歴任。2007年文化功労者選出。 在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著した。日本文学の源流を沖縄・鹿児島などの謡にもとめた「南島文学発生論」などの業績をあげた。
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虚無僧
尺八を吹く虚無僧。 虚無僧(こむそう)とは、禅宗の一派である普化宗の僧のこと。
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東京堂出版
株式会社東京堂出版(とうきょうどうしゅっぱん)は、東京都千代田区にある日本の出版社。
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橋姫 (源氏物語)
「橋姫」(はしひめ)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第45帖。第三部の一部「宇治十帖」の第1帖にあたる。
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池上良正
池上 良正(いけがみ よしまさ、1949年1月1日 - )は、日本の宗教学者、駒澤大学名誉教授。専門は民俗・民衆宗教。
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河出書房新社
株式会社河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)は、日本の出版社である。 本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷にあるが、2024年3月に移転(5月7日より新宿区東五軒町2-13)が公表された。 3代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1 - 3(短歌研究社、2004年 - 2006年)がある。佐佐木幸綱、高野公彦、小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある。
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沙弥
沙弥(さみ、しゃみ)。
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沙石集
『沙石集』(しゃせきしゅう/ させきしゅう)は、鎌倉時代後期、仮名まじり文で書かれた仏教説話集。十巻、説話の数は150話前後。無住道暁(号は一円)が編纂。弘安2年(1279年)に起筆、同6年(1283年)成立。その後も絶えず加筆され、それぞれの段階で伝本が流布し異本が多い。記述量の多い広本系と、少ない略本系に分類される。 『沙石集』の名義は「沙から金を、石から玉を引き出す」ことをいい、世俗的な事柄によって仏教の要諦を説く意味であると言われている。僧侶の立場から経典を多く引用しているが、作者が博識であり好奇心に富んでいるため、単なる説教を脱化して興味津々たる文学作品となっている。 日本・中国・インドの諸国に題材を求め、霊験談・高僧伝から、各地を遊歴した無住自身の見聞を元に書いた諸国の事情、庶民生活の実態、芸能の話、滑稽譚・笑話まで実に多様な内容を持つ。その通俗で軽妙な語り口は、『徒然草』をはじめ、後世の狂言・落語に多大な影響を与えた。
見る 聖と沙石集
法然
法然上人絵伝 法然(ほうねん)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、後に日本浄土宗の宗祖と仰がれた。法然は房号で、諱は、幼名を勢至丸、通称は黒谷上人、吉水上人とも。 諡号は、慧光菩薩・華頂尊者・通明国師・天下上人無極道心者・光照大士である。
見る 聖と法然
法藏館
株式会社法藏館(法蔵館、ほうぞうかん)は、京都市下京区正面通烏丸東入にある、老舗の仏教系出版社。慶長7年(1602年)創業の仏教書肆・丁子屋の流れを汲む京都府立図書館館報「図書館きょうと」No.40。歴代当主は、西村七兵衛を襲名している(現在は五代目)。 浄土真宗の仏教書を基点に、多くの宗派・学問的立場に拠る仏教書全般を出版している。特に真宗大谷派式務部により編集された出版物の発行や、同部が校閲した出版物を発行するなど、大谷派(東本願寺)とのつながりが深い。令和元年(2019年)「法藏館文庫」刊行が始まった。
見る 聖と法藏館
源氏物語
江戸時代の絵師 土佐光起(1617-1691)筆『源氏物語画帖』よりhttps://syuweb.kyohaku.go.jp/ibmuseum_public/index.php?app。
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末法思想
末法思想(まっぽうしそう)とは、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観のことである岩波 哲学思想事典 1998年 p.1523。
見る 聖と末法思想
本居宣長
本居 宣長(もとおり のりなが、享保15年5月7日(1730年6月21日) - 享和元年9月29日(1801年11月5日))は、江戸時代の国学者(文献学・言語学)、医師。名は栄貞。本姓は平氏。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵、鈴屋。荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「」の一人とされる。
見る 聖と本居宣長
浄土教
浄土教(じょうどきょう)、中国の北魏時代に慧遠が説き、唐代の善導が提唱した。阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く大乗仏教の一派。浄土門、浄土思想ともいう。阿弥陀仏の願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願う教え。
見る 聖と浄土教
日本書紀
『日本書紀』(にほんしょき、やまとぶみ、やまとふみ)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。『古事記』と並び伝存する最も古い史書の1つで、養老4年(720年)に完成したと伝わる。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。神典の一つに挙げられる。神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体で記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。
見る 聖と日本書紀
時宗
時宗(じしゅう)は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派の日本仏教。開祖は一遍。鎌倉仏教のひとつ。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称遊行寺)。 時宗の開祖・一遍像。藤沢市清浄光寺。
見る 聖と時宗

