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武田祐吉

索引 武田祐吉

武田 祐吉(たけだ ゆうきち、1886年5月5日 - 1958年3月29日)は、大正・昭和期の日本の国文学者。.

75 関係: 博士(文学)博文館南朝 (日本)古事記吉田精一大亦観風大阪大阪府立天王寺高等学校大正太上天皇契沖尾崎一雄山部赤人岩波文庫岩波書店岸本由豆流上田秋成中央区 (東京都)万葉代匠記万葉集三矢重松三省堂下河辺長流久松潜一京都大学今泉忠義佐佐木信綱佐藤謙三後亀山天皇後醍醐天皇後村上天皇徒然草國學院大學八代国治元中倉野憲司皇室神奈川県立小田原高等学校花山院長親西行角川文庫角川書店至文堂長慶天皇折口信夫柿本人麻呂東京市東京都校本萬葉集森本治吉...武蔵野書院源実朝澤瀉久孝服部敏良明治天皇明治書院昭和日本日本及日本人日本学士院賞日本国現報善悪霊異記日本橋区日本文学研究者旺文社改造社拾遺和歌集景戒1886年1913年1920年1926年1950年1958年3月29日5月5日 インデックスを展開 (25 もっと) »

博士(文学)

博士(文学)(はくし ぶんがく)は、人文科学(哲学、史学、文学を含む広義での文学)に関する専攻分野を修めることによって、1991年以降に日本で授与されている博士の学位である。.

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博文館

博文館(はくぶんかん)は、東京都の出版社。明治時代には富国強兵の時代風潮に乗り、数々の国粋主義的な雑誌を創刊すると共に、取次会社・印刷所・広告会社・洋紙会社などの関連企業を次々と創業し、日本最大の出版社として隆盛を誇った。 2016年現在、博文館グループの株式会社博文館新社(はくぶんかんしんしゃ)および株式会社博友社(はくゆうしゃ)として存続している。.

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南朝 (日本)

南朝(なんちょう)は、吉野朝廷(よしのちょうてい)とも称され、南北朝時代に京都以南の大和国の吉野(奈良県吉野郡吉野町)、賀名生(同県五條市西吉野町)、摂津国の住吉(大阪府大阪市住吉区)を本拠とした大覚寺統の後醍醐天皇に属する朝廷。1336年から1392年まで56年あまり存続し、叙位や元号の制定など政権としての機能を有した。.

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古事記

真福寺収蔵の国宝・『古事記』。信瑜の弟子の賢瑜による写本 古事記(こじき、ふることふみ、ふることぶみ)は、日本最古の歴史書である。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。.

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吉田精一

吉田 精一(よしだ せいいち、1908年〈明治41年〉11月12日 - 1984年〈昭和59年〉6月9日)は、日本の国文学者。近代文学専攻。.

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大亦観風

大亦 観風(おおまた かんぷう、1894年(明治27年)9月27日 - 1947年(昭和22年)10月22日)は、日本画家、南画家、歌人。本名は新治郎(しんじろう)。和歌山県和歌山市出身。はじめ洋画を学び、のち日本画に転向。寺崎広業、のちに小室翠雲に師事。大東南宗院の設立に参加。.

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大阪

大阪(おおさか、Ōsaka)は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。.

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大阪府立天王寺高等学校

大阪府立天王寺高等学校(おおさかふりつ てんのうじこうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Tennoji High School)は、大阪市阿倍野区に所在する府立高等学校である。愛称は「天高」(てんこう)。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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太上天皇

太上天皇(だいじょうてんのう、だじょうてんのう)とは、譲位により皇位を後継者に譲った天皇の尊号、または、その尊号を受けた天皇。由来は、中国の皇帝が位を退くと「太上皇」と尊称されたことにあるとされる。元々は譲位した天皇が自動的に称する尊号であったが、嵯峨天皇の譲位以降は新天皇から贈られる尊号に変化した。 略称は「上皇」である。また、出家した太上天皇を、「太上法皇(法皇)」と称する。ただし、これは法的な根拠のある身位ではなく、太上法皇も太上天皇に含まれる。また、太上法皇の称号が用いられた初例は宇多法皇とされており、聖武上皇や清和上皇などそれ以前の退位後に出家した太上天皇には太上法皇(法皇)を用いるのは正確な表現ではない。 「院」とも称され、太上天皇が治天の君として政務を執った場合、その政治を院政という(太上天皇がみな院政をしいた訳ではない)。三宮(后位)と合わせて「院宮」といい、更に、皇族や有力貴族を含めた総称を「院宮王臣家」といった。院の御所が仙洞御所と呼ばれたことから、「仙洞」も上皇の謂として用いられる。.

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契沖

契沖(けいちゅう、寛永17年(1640年) - 元禄14年1月25日(1701年3月4日))は、江戸時代中期の真言宗の僧であり、古典学者(国学者)。.

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尾崎一雄

尾崎 一雄(おざき かずお、1899年(明治32年)12月25日 - 1983年(昭和58年)3月31日)は、日本の小説家。.

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山部赤人

山部赤人像/ 蜷川式胤所蔵品 山部 赤人(やまべ の あかひと、生年不詳 - 天平8年(736年)?)は、奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。大山上・山部足島の子とし、子に磐麻呂がいたとする系図がある鈴木真年『諸系譜』第二冊、山宿禰。官位は外従六位下・上総少目。後世、山邊(辺)赤人と表記されることもある。.

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岩波文庫

岩波文庫(いわなみぶんこ)は、株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル。1927年(昭和2年)7月10日に、ドイツのレクラム文庫を模範とし、書物を安価に流通させ、より多くの人々が手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として創刊された日本初の文庫本のシリーズ。最初の刊行作品は『新訓万葉集』などであった。.

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岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

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岸本由豆流

岸本 由豆流(きしもと ゆずる、寛政元年(1789年) - 弘化3年閏5月17日(1846年7月10日))は、江戸時代後期の国学者。やまぶき園、尚古考証園と号した。.

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上田秋成

上田 秋成(うえだ あきなり、享保19年6月25日(1734年7月25日) - 文化6年6月27日(1809年8月8日))は、江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人。怪異小説『雨月物語』の作者として特に知られる。.

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中央区 (東京都)

中央区(ちゅうおうく)は、東京都の特別区のひとつ。.

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万葉代匠記

『万葉代匠記』(まんようだいしょうき)は、江戸時代の国学者・契沖が著した『万葉集』の注釈・研究書。 「代匠」という語は、『老子』下篇と『文選』第46巻豪士賦の中に出典があり、「本来これを為すべき者に代わって作るのであるから誤りがあるだろう」という意味である。当時、水戸徳川家では、主君の光圀の志により、『万葉集』の諸本を集め校訂する事業を行っており、寛文・延宝年間に下河邊長流が註釈の仕事を託された。長流が病でこの依頼を果たせなくなったときに、同好の士である契沖を推挙した。 『代匠記』が着手されたのは天和3年の頃であり、「初稿本」は貞享4年頃に、「精選本」は元禄3年に成立した。初稿本が完成した後、水戸家によって作られた校本(四點万葉集と中院本)と『詞林采葉抄』が契沖に貸し与えられ、それらの新しい資料を用いて初稿本をあらためたのが精選本である。初稿本は長流の説を引くことが多く、一つの歌に対する契沖の感想や批評がよくあらわれている。純粋に歌の解釈のみを提出し、文献を基礎にして確実であるという点では、精選本の方が優れているという。 『万葉集』研究としての『代匠記』は、鎌倉時代の仙覺や元禄期の北村季吟に続いて、画期的な事業と評価されている。仏典漢籍の莫大な知識を補助に、著者の主観・思想を交えないという契沖の註釈と方法がもっともよく出ている代表作である。 Category:国学 Category:万葉集 Category:文学作品の注釈書 Category:江戸時代の書籍 Category:17世紀の書籍.

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万葉集

元暦校本万葉集 『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3年)以後とみられる。 日本文学における第一級の史料であることは勿論だが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な史料である。.

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三矢重松

三矢 重松(みつや しげまつ 明治4年11月29日(1872年1月19日) - 大正13年(1924年)7月18日)は、日本の国語学者・国文学者。文学博士。國學院大學教授。折口信夫の師。弟に三矢宮松がいる。.

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三省堂

株式会社三省堂(さんせいどう)は、日本の出版社である。辞典・事典・六法・教科書などの出版で知られる。 本社はJR水道橋駅と神田川に挟まれたエリアにある。この場所は、かつて自社印刷工場の倉庫として使われていた場所であった。.

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下河辺長流

下河辺 長流(しもこうべ ちょうりゅう/しもこうべ ながる、寛永4年(1627年)? - 貞享3年6月3日(1686年7月22日))は、江戸時代前期の歌人・和学者。姓は片桐氏の家臣小崎氏であるが、母方の姓である下河辺氏を名乗る。名は共平。通称は彦六。別号は長龍、吟叟居。大和国立田の生まれとも、宇多の生まれともいう。 木下長嘯子に私淑し、俳諧連歌の祖西山宗因に連歌を学ぶ。三条西家に青侍として仕え、『万葉集』の書写・研究に努めた。その後、徳川光圀から『万葉集』の注釈を依頼されたが、病気のため没し、その後は交流のあった契沖に引き継がれた。1670年(寛文10年)に編修・刊行した「林葉累塵集(りんようるいじんしゅう)」は、最初の地下(じげ=一般庶民)の歌人による撰集である。戸田茂睡とともに江戸時代初期における国学の先駆者となった。 著書に「万葉管見」「万葉集名寄」、歌集に「晩花和歌集」がある。 ちようりゆう Category:江戸時代の青侍 Category:江戸時代の歌人 Category:国学者 Category:17世紀の学者 Category:1627年生 Category:1686年没.

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久松潜一

久松 潜一(ひさまつ せんいち、1894年12月16日 - 1976年3月2日)は、日本の国文学者。文学博士。.

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京都大学

記載なし。

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今泉忠義

今泉 忠義(いまいずみ ただよし、1900年7月17日 - 1976年11月5日)は、日本の国語学者。國學院大學名誉教授。.

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佐佐木信綱

佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位勲六等文学博士。.

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佐藤謙三

佐藤 謙三(さとう けんぞう、1910年11月 - 1975年1月25日)は、国文学者。國學院大學元学長。神奈川県横浜市出身。.

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後亀山天皇

後亀山天皇(ごかめやまてんのう)は、南北朝時代の第99代天皇にして、南朝最後の第4代天皇(在位:弘和3年/永徳3年(1383年)冬 - 元中9年/明徳3年閏10月5日(1392年11月19日))。諱は熙成(ひろなり)。 北朝を擁護する将軍足利義満が提示した講和条件を受諾して、三種の神器を北朝・後小松天皇に伝えて譲位し、南北朝合一を実現した。 明治44年(1911年)に南朝が正統とされたため、歴代天皇として公認されるようになった。.

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後醍醐天皇

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇にして、南朝の初代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日) - 延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。ただし、以下で記述するとおり、歴史的事実としては在位途中に2度の廃位と譲位を経ている。諱は尊治(たかはる)。鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立した。.

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後村上天皇

後村上天皇(ごむらかみてんのう)は、南北朝時代の第97代天皇にして、南朝の第2代天皇(在位:延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日) - 正平23年/応安元年3月11日(1368年3月29日))。諱は初め義良(のりよし / のりなが)、後に憲良に改めた。名前の読みが二種類あることについては、後醍醐天皇の皇子の名の読みを参照。父・後醍醐天皇の遺志を継いで南朝の京都回復を図り、大和(奈良県)の吉野・賀名生、摂津(大阪府)の住吉などを行宮とした。 明治44年(1911年)に南朝が正統とされたため、歴代天皇として認定されるようになった。.

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徒然草

徒然草の作者 吉田兼好(『前賢故実』 菊池容斎画 明治時代) 『徒然草』(つれづれぐさ)は、吉田兼好(兼好法師、兼好、卜部兼好)が書いたとされる随筆。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆の一つと評価されている。.

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國學院大學

本ヲ立ツ 日本人の拠って立つ基礎を研究し確立する。.

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八代国治

戦前『吾妻鏡』研究の代表作 八代国治『吾妻鏡の研究』 八代 国治(やしろ くにじ、1873年1月2日 - 1924年4月2日)は、明治・大正期の歴史学者。長慶天皇在位の結論を出したことで知られている。.

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元中

元中(げんちゅう)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方にて使用された。弘和の後。1384年から1392年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が後亀山天皇、北朝方が後小松天皇。室町幕府将軍は足利義満。.

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倉野憲司

倉野 憲司(くらの けんじ、1902年3月9日 - 1991年2月28日)は、日本文学者。元福岡女子大学学長、文学博士。 1902年、福岡県遠賀郡芦屋町に生れる。1926年に東京帝国大学文学部国文学科を卒業後、ただちに成城高等学校教授となり、以後、東京女子大学教授、広島文理科大学助教授、文部省図書監修官、神宮皇學館大学教授を歴任。戦後は鈴鹿高等学校教諭等を経て、1950年に福岡女子大学教授に就任。同大学において1952年学生部長、1956年文学部長、1962年図書館長など要職を歴任し、1964年には学長となり、1972年まで3期8年間つとめた。同年退職して同大学名誉教授、また勲二等瑞宝章受章。同大学勤務中の1951年には東京大学より文学博士の学位を授与されている。また、福岡女子大学校歌を作詞。福岡県社会保育短期大学の学長も歴任した。1981年『古事記全註釈』完成の功績により、第40回西日本文化賞(学術文化部門)受賞。 古事記の研究に大きな成果をあげ、特に『古事記全注釈』は優れた業績として評価されている。学会活動としては古事記学会会長、全国大学国語国文学会理事などをつとめた。.

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皇室

皇室(こうしつ)は、天皇および皇族の総称。 狭義には内廷皇族、広義には天皇とその近親である皇族を意味するが、皇族の範囲は時期によって異なる。 近代(明治維新)以降は、天皇と内廷皇族を家族とする内廷と皇太子以外の皇族男子及びその家族で構成される宮家を意味する。 皇室典範第五条に定める、天皇の配偶者である皇后、先代の天皇の未亡人である皇太后、先々代の天皇の未亡人である太皇太后、また、皇太子(皇太孫)、皇太子妃(皇太孫妃)、皇族男子たる親王、王、さらには生まれながらの皇族女子である内親王、女王がある。親王妃、王妃は親王、王の配偶者となることをもって、皇族とされる。戦前(大日本帝国憲法下、日本国憲法施行まで)においては、帝室(ていしつ)とも呼ばれていた。 一般国民の女性は、皇族男子との婚姻により皇族になることができる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の者と婚姻したとき皇族の身分を離れる(臣籍降下・臣籍降嫁)。.

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神奈川県立小田原高等学校

奈川県立小田原高等学校(かながわけんりつ おだわらこうとうがっこう)は、神奈川県小田原市城山に所在する県立高等学校。略称は「小田高(おだこう)」。.

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花山院長親

花山院 長親(かざんいん ながちか)は、南北朝時代から室町時代にかけての公卿・学者・歌人・禅僧。贈太政大臣花山院師賢の孫で、内大臣花山院家賢の子。母は出自不詳だが、歌人の「花山院長親母」である。南朝に歴仕、やがて出家して子晋明魏(ししんみょうぎ)と号し、将軍足利義持から厚遇された。別号の耕雲(こううん)でも著名。.

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西行

西行像(MOA美術館蔵) 西行(さいぎょう)、元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月31日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女。同母兄弟に仲清があり、子に隆聖、女子(単に西行の娘と呼ばれる)がある。俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。出家して法号は円位、のちに西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。 勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。家集に『山家集』(六家集の一)『山家心中集』(自撰)『聞書集』、その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者と目される。.

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角川文庫

角川文庫(かどかわぶんこ)は、株式会社KADOKAWAが発行している文庫レーベル(角川書店ブランド)。.

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角川書店

角川書店(かどかわしょてん)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。東京都千代田区に事業所を置く。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川書店についても解説する。.

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至文堂

至文堂(しぶんどう)は、日本の出版社である。.

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長慶天皇

長慶天皇(ちょうけいてんのう)は、南北朝時代の第98代天皇にして、南朝の第3代天皇(在位:正平23年/応安元年(1368年) 3月鴨脚本『皇代記』によるが、日付を欠くため、3月11日の後村上天皇崩御を受けたものか、あるいは先だって行われた譲位を受けたものか、確認しがたい。 - 弘和3年/永徳3年(1383年)冬)。諱は寛成(ゆたなり)。 南朝関係史料の少なさから、近世以来諸家の間で天皇の在位・非在位をめぐる議論があり、明治44年(1911年)3月に明治天皇が南朝を正統とする勅裁を下した際も在位認定されないままであったが、大正時代に入って、八代国治・武田祐吉の実証的研究が決定的な在位説として評価される。これを受けて宮内省の調査が行われ、大正15年(1926年)10月21日に皇統加列についての詔書発布があり、ここにようやく長慶天皇の在位の事実が公認されるに至った。.

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折口信夫

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。 歌人としては、正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。.

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柿本人麻呂

柿本人麻呂(百人一首より) 柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、斉明天皇6年(660年)頃 - 神亀元年(724年)3月18日)は、飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。.

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東京市

東京市役所(東京府庁との合同庁舎) 東京市(とうきょうし)は、旧東京府(現東京都)東部に1889年(明治22年)から1943年(昭和18年)までの間に存在していた市である。東京府の府庁所在地。最終的な市域は現在の東京都区部(東京23区)に相当する。 東京市が存在していた時期以外の旧東京市地域の歴史については東京都の歴史を参照のこと。旧東京市地域の現状については東京都区部を参照のこと。.

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東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

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校本萬葉集

校本萬葉集(こうほんまんようしゅう)は、20世紀に編纂された万葉集の校本である。正編、増補、新増補、新増補追補から成っている。.

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森本治吉

森本 治吉(もりもと じきち、1900年1月10日 - 1977年1月12日)は、歌人・国文学者、文学博士。二松学舎大学名誉教授。歌人の槇弥生子は子の妻。歌人の森本平は孫。.

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武蔵野書院

武蔵野書院(むさしのしょいん)は日本の出版社。1919年(大正8年)設立。主に日本語・日本文学・漢文学・古典文学・一般書籍を出版している。草創期の1931年(昭和6年)、梶井基次郎の小説作品集『檸檬』を出版したことで知られる。 代表的な出版物は、紫式部学会編『古代文学論叢 研究と資料』、『源氏物語古註釈叢刊』、雑誌「むらさき」(紫式部学会)、「日本語の研究」(日本語学会)など。 また、武蔵野書院創立90周年記念論集として、『平安文学史論考』(秋山 虔編、執筆者37名、920頁・2009/12/31)と『古典語研究の焦点』(月本雅幸・藤井俊博・肥爪周二編、執筆者46名、1008頁・2010/1/31)の二点が刊行されている。 さらに、同社総合目録を兼ねた『武蔵野文学』を年一回発行している(無料配布)。同誌は、毎々巻頭特集を冠していて、『武蔵野文学』第60集には、第1集から第60集までの全論文タイトルと執筆者名が一覧されている。 Category:日本の出版社 Category:千代田区の企業 Category:合名会社.

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源実朝

源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。 鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男頼朝の子としては第6子で四男、北条政子の子としては第4子で次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は始め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。官位の昇進も早く武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。 歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。.

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澤瀉久孝

澤瀉 久孝(おもだか ひさたか、1890年(明治23年)7月12日 - 1968年(昭和43年)10月14日)は、日本の国文学者、万葉学者。文学博士。.

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服部敏良

服部 敏良(はっとり としろう、1906年11月15日 - 1992年6月16日)は、日本の医師、医学史研究家。医学博士、文学博士。.

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明治天皇

明治天皇(めいじてんのう、嘉永5年9月22日(1852年11月3日)- 1912年(明治45年)7月30日)は日本の第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)。御称号は祐宮(さちのみや)。お印は永(えい)。倒幕・攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれる。功績・人物像から明治大帝(Meiji the Great)・明治聖帝・睦仁大帝(Mutsuhito the Great) とも呼ばれる。.

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明治書院

明治書院(めいじしょいん)は、東京都新宿区にある日本の出版社。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本及日本人

日本及日本人(にほんおよびにほんじん)は、1907年(明治40年)1月1日から1945年(昭和20年)2月まで、政教社から出版された、おもに言論の雑誌。1923年秋まで、三宅雪嶺が主宰した。.

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日本学士院賞

日本学士院賞(にっぽんがくしいんしょう, Japan Academy Prize)は、日本学士院が授与する1911年創設の賞。日本の学術賞としては最も権威ある賞である。毎年9件以内授賞する。 日本学士院は、学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。1947年の第37回まで名称は「帝国学士院賞」であった。本来は恩賜賞とは別個の賞であったが、1970年からは日本学士院賞の中から特に優れた各部1件乃至2件以内に恩賜賞も授賞されるものとなっている。.

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日本国現報善悪霊異記

『日本国現報善悪霊異記』(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)は、平安時代初期に書かれ、伝承された最古の説話集で『日本霊異記』と略して呼ぶことが多い。著者は景戒。上・中・下の三巻。変則的な漢文で表記されている。.

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日本橋区

日本橋区(にほんばしく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の中央区の北部に位置していた。.

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日本文学研究者

日本文学研究者(にほんぶんがくけんきゅうしゃ)は、日本文学を専攻する研究者のこと。「日本文学者」、「国文学者」とも呼ばれる。 国語学者および国学者も併せて参照のこと。.

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旺文社

株式会社旺文社(おうぶんしゃ、Obunsha Co., Ltd.)は、1931年(昭和6年)に創業した教育専門の出版社。戦後日本の受験文化の成立に影響を与え、受験がひとつの産業になり得ることを証明した出版社でもある。.

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改造社

銀座改造社ビル(2007年) 改造社(かいぞうしゃ)は、日本の書店。大正期から昭和中期にかけては出版社であり、総合雑誌『改造』や円本文学全集『現代日本文学全集』を発行していた。.

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拾遺和歌集

『拾遺和歌集』(しゅういわかしゅう)は、古今・後撰に次ぐ第三番目の勅撰和歌集で、いわゆる「三代集」の最後にあたる。一条天皇の代、寛弘三年(1006)頃の成立か?古来、花山院の親撰もしくは院が藤原長能・源道済に撰進させたといわれてきたが、確証はない。先行する二つの勅撰集と違い、和歌所が置かれなかった。藤原公任の撰という『拾遺抄』との命名の相似性を考え、それをベースに編まれたと思われる(両者の先後関係については、古来論争が続いて来たが、近代になって拾遺抄から拾遺集へとの説が固着した)。 春、夏、秋、冬、賀、別、物名、雑(上・下)、神楽歌、恋(五巻)、雑春、雑秋、雑賀、雑恋、哀傷の二十巻、約1350首からなる。雑春・雑恋といった部類を持つ構成はかなり独創的なものである。 「拾遺」の名は前代の勅撰集に漏れた秀歌を拾い集める意で、その名の通り、この集では紀貫之(107首)をはじめとする古今歌人が引き続き多数入集する一方、柿本人麿(104首)ら万葉歌人が再評価され、大中臣能宣(59首)・清原元輔(48首)・平兼盛(39首)ら後撰集時代の歌人の作が新たに補われた。また、斎宮女御・藤原道綱母・藤原公任などの当代歌人も登場する。物名部において、卑官の藤原輔相が37首も採られているのも興味深い。 『拾遺集』は当時の歌壇の流れに乗った平明優美な歌風で、賀歌・屏風歌・歌合など晴れの歌が多いが、殊に恋歌はすぐれ、小倉百人一首に8首も採られている。だが、花山院の個人的な好みによって選ばれた和歌が多いようであり、そのためか成立後約二百年もの間、勅撰集としての評価が得られなかった。ちなみに『拾遺集』のよさを述べ、勅撰集として初めてはっきり認めた人物は藤原定家である。 Category:平安時代の歌集 Category:11世紀の書籍 Category:11世紀の詩.

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景戒

景戒(きょうかい/けいかい、生没年不詳)は、奈良時代の薬師寺の僧。日本最初の説話集『日本霊異記』の著者として知られる。.

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1886年

記載なし。

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1913年

記載なし。

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1920年

記載なし。

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1926年

記載なし。

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1950年

記載なし。

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1958年

記載なし。

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3月29日

3月29日(さんがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から88日目(閏年では89日目)にあたり、年末まであと277日ある。.

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5月5日

5月5日(ごがついつか)はグレゴリオ暦で年始から125日目(閏年では126日目)にあたり、年末まではあと240日ある。誕生花はハナショウブ。.

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