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桂小文枝

索引 桂小文枝

桂 小文枝(かつら こぶんし)は、上方落語の名跡。初代と3代目は桂文枝の前名として名乗った。3代目の5代目文枝襲名に伴い空き名跡となっていたが、5代目文枝の弟子である桂きん枝が2019年に襲名することが決定した。.

36 関係: 名跡大津絵富士正晴上方落語三十石三友派享年二番煎じ (落語)音曲荒川千成若井はんじ・けんじ桂きん枝桂仁左衛門桂米團治 (4代目)桂雀三郎桂枝雀桂派桂文枝桂文枝 (5代目)漫才月亭春松12月24日1864年1879年1910年1911年1930年1931年1951年1989年1月5日1月9日2005年3月12日3月16日4月2日

名跡

名跡(みょうせき)は、家制度と密接に結びつき、代々継承される個人名。もしくは家名。「めいせき」と発音するのは誤り。.

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大津絵

'''鬼の寒念仏'''http://blog.otsue.com/?eid.

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富士正晴

富士 正晴(ふじ まさはる、本名・冨士正明 1913年10月30日 - 1987年7月15日)は小説家・詩人。 .

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上方落語

上方落語(かみがたらくご)とは、大阪・京都を中心とする地域で主に演じられる落語。.

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三十石

『三十石』(さんじっこく)または『三十石夢乃通路』(さんじっこくゆめのかよいじ)は、京と大坂を結ぶ三十石舟の船上をおもな舞台とする上方落語の演目の一つ。本来は旅噺「東の旅」の一部であり、伊勢参りの最終部、京から大坂の帰路の部分を描く。現在は独立して演じられることが多い。 大阪では明治初期の初代桂文枝が前座噺を大ネタにまで仕上げた。その後、2代目桂小文枝、5代目笑福亭松鶴が得意とし、6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝、3代目桂米朝、2代目桂枝雀なども得意とした。東京では明治期に4代目橘家圓喬が上方から東京に移した。6代目三遊亭圓生が子供の頃に聴いた圓喬は、舟歌は歌っていなかったという。その後5代目三遊亭圓生が得意とし、6代目三遊亭圓生に受け継がれた。6代目圓生はこの話をより良く仕上げるために、5代目松鶴に教えを請うたという。また6代目圓生は舟歌の件りでいいノドを聴かせていたが、この舟歌の部分も5代目松鶴の教えによる部分が大きいという。 江戸落語では近代に入り、東京・京都間の汽車旅に替えて演じられる。 主人公二人が京からの帰途、伏見街道を下り、寺田屋の浜から夜舟に乗り、大坂へ帰るまでを描く。 前半は宿の描写、船が出る時のにぎわい、美人が乗ると思い込んだ好色な男の妄想、旅の道中に出会ういろいろなものに触れての軽妙な会話、船頭の物まね、などが続く。 後半では船中で五十両の金が盗まれる騒動が起きるが、船頭の機転で盗んだ男がつかまり、噺はめでたく結ばれる。.

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三友派

三友派(さんゆうは)とは、上方落語の諸派。歴史上以下の2つが存在する。.

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享年

享年(きょうねん)とは人が「天から享(う)けた年数」という意味であり、この世に存在した年数である。「行年(ぎょうねん)」ともいい「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)『漢字源』学研、「行」の項を参照。の年数」の意味。「享年70(満68歳)」(数え年の場合)のように用いる。享年を数え年ではなく満年齢で表し「享年68(歳)」と表すこともある。.

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二番煎じ (落語)

二番煎じ(にばんせんじ)は、古典落語の演目の1つ。.

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音曲

音曲(おんぎょく)とは、近代以前において音楽、あるいは音楽を用いた芸能のことを指した。 例えば、貴人が死去した時に行われた「歌舞音曲停止(ちょうじ)」の場合の「歌舞」「音曲」は、ともに音楽を伴った芸能全般の意味を指している。『風姿花伝』では、能などの舞のうち音楽的部分(特に謡)だけを指す場合に「音曲」という言葉が用いられている。 近世においては、「俗曲」と並んで卑俗な音楽、裏を返せば大衆的な軽音楽の意味で用いられた。寛政年間に初代船遊亭扇橋が始めた音曲噺は、落語の間に下座の三味線に合わせて「都都逸」「奴さん」「二上り新内」などの歌を歌うというスタイルで人気を博し、これを真似して俗曲や流行歌を歌う人が登場した。こうした人たちを音曲師と称した。続いて文化年間に入ると女性の音楽家が登場して長唄や常盤津、幕末期には俗曲や舞踊まで教えるようになり、こうした女性たちを「五目の師匠」「音曲師匠」「女師匠」などと呼んだ。明治に入ると、寄席で様々な音楽芸を行う「音曲吹き寄せ」が盛んに行われた。 現代では古語に近いが、近世邦楽を主として、その他の関連する音楽を中心とした伝統芸能を意味している。そのため古代の音楽や宗教音楽である雅楽や声明などを含めないことが多い(雅楽は「音楽」、「楽」と呼ばれることが多かった)。 そもそも「音楽」との定義上の区別が困難であり、ことによっては差別的な用いられ方をすることもあり、現代では一部を除いてあまり使われず、普通に「音楽」と呼ばれることが多い。 『守貞謾稿』巻之二十三、音曲の項に挙げられている伝統芸能を中心に、以下に列挙する。.

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荒川千成

荒川 千成(あらかわ せんなり、1888年 - 1963年5月1日)は、漫才師。まだ漫才が萬歳と表記されていた頃の芸人で、現在の漫才芸の源流となるうちの一人。 最初は2代目桂小文枝門下となり、「桂枝春」の名で落語家として寄席に出ていたが、大正に入り、音曲万歳の大家・荒川浅丸の門下となり万歳に転向。 主要寄席には出演せず、諸芸色物一座「千成会」を結成し、ドサ周りを続ける。その芸は現在の一般的なしゃべくり漫才とは異なり、鼓、三味線等の楽器を用いた大津絵節や追分節、都々逸、安来節などを唄う音曲芸を主とした。 戦中、戦後と舞台に上がっていなかったが、花月亭九里丸の勧めで引退興行を行なった。吉田留三郎の記憶によれば、私生活では3度の結婚をし、最初の妻は早くに亡くした。また臨終の直前には、前妻もそろって看病をしたという。.

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若井はんじ・けんじ

若井 はんじ・けんじ(わかい はんじ・けんじ)は、日本の兄弟漫才コンビ。昭和時代の高度経済成長期に活動した。略称は「はんけん」。同世代の「柳柳」こと上方柳次・柳太としのぎを削った。.

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桂きん枝

桂 きん枝(かつら きんし、1951年1月5日 - )は、日本の落語家。本名は立入 勉三(たちいり べんぞう)。所属事務所は吉本興業。上方落語協会会員(相談役)。上方落語を聴く会会長(副会長は桂小枝)。大阪市城東区出身。現在は、大阪府豊中市在住。 2019年に桂派の由緒ある名跡で師匠の前名である「桂小文枝」を継ぎ、「四代目 桂小文枝」を襲名する予定。小文枝の名跡は約27年ぶりの復活となる。 お笑いコンビ・バンビーノの藤田裕樹は、甥(姉の子)にあたる。.

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桂仁左衛門

桂 仁左衛門(かつら にざえもん、1853年 - 1911年11月12日)は、上方噺家。本名:深江鶴吉。享年58。.

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桂米團治 (4代目)

4代目 桂 米團治(4だいめ かつら よねだんじ、1896年9月3日 - 1951年10月23日)は、落語家(上方噺家)。本名は中濱 賢三(なかはま けんぞう)。出囃子は『羯鼓』。.

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桂雀三郎

桂 雀三郎(かつら じゃくさぶろう)は上方落語の名跡。当代は3代目。.

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桂枝雀

桂 枝雀(かつら しじゃく)は上方落語の名跡。2代目の死後は空き名跡となっている。 なお、以下の各代以外にも、昭和10年代の寄席ビラに枝雀の名が確認できる。色物だったとされているが詳細は不明。.

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桂派

桂派(かつらは)とは、明治から昭和初期まで存在した上方落語の諸派。.

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桂文枝

結三柏は、桂文枝一門の定紋である。 桂 文枝(かつら ぶんし)は、上方落語の名跡。現在は6代目。桂文治の名跡が東京に移ってからは、事実上、上方桂一門の止め名となっている。 なお「文枝」の名跡は、元は初代文枝の師匠であった上方4代目桂文治の前名であるが、現在は代数に数えられていない。 文枝代々の紋は、漢字の「文」をあしらった(4つの「文」を丸くつなげた)文枝紋である。.

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桂文枝 (5代目)

5代目桂 文枝(かつら ぶんし、1930年4月12日 - 2005年3月12日)は上方噺家(上方の落語家)。本名は長谷川 多持(はせがわ たもつ)。.

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漫才

漫才(まんざい)は、古来の萬歳を元にし愛知県の尾張万歳の影響を受け、日本の近畿地方で独自に発達したとされる、主に2人組で披露される演芸・話芸。2人の会話の滑稽な掛け合いの妙などで笑いを提供する。大正末期、映画の弁士によって始められた漫談にちなみ、1933年(昭和8年)頃に吉本興業宣伝部によって漫才と名付けられた。漫才を行う者を「漫才師」と呼ぶ。近畿圏の漫才を特に上方漫才(かみがたまんざい)という。.

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月亭春松

月亭 春松(つきてい はるまつ)は、上方噺家。『落語系圖』の編者。本名は植松秀一郎。生没年不詳。 明治初期頃の生まれで1892年1月15日、2代目月亭文都門下となり、春松を名乗る。1893年11月には京都板井席の今枝恒吉一座で植松一郎の名で出演を皮切りに、1894年以降、東京や京都で歌舞伎・新派の劇団にも所属し、役者として活動するが、1913年、7代目朝寝坊むらく(後の3代目三遊亭圓馬)門下で小夢、1914年、同門の月亭小文都の尽力で再び文都門下に復帰し、5代目月亭文當を名乗る。師匠の死後は2代目桂文團治(7代目桂文治)の預かり弟子となり、後、再び月亭春松を名乗る。初め三友派に所属、文當を名乗ってからは自ら都三友派を組織したり京都に出向いたりなどした後、浪花落語反対派から花月派(後の吉本興業部)に移り、後年は吉本興業で事務を務めたという。1922年以降の落語家連名表には名前が掲載されていないので、恐らく、その頃には落語を廃業していたと思われる。没年は昭和初期。.

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12月24日

12月24日(じゅうにがつにじゅうよっか、じゅうにがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から358日目(閏年では359日目)にあたり、年末まであと7日ある。.

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1864年

記載なし。

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1879年

記載なし。

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1910年

記載なし。

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1911年

記載なし。

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1930年

記載なし。

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1931年

記載なし。

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1951年

記載なし。

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1989年

この項目では、国際的な視点に基づいた1989年について記載する。.

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1月5日

1月5日(いちがついつか)はグレゴリオ暦で年始から5日目に当たり、年末まであと360日(閏年では361日)ある。誕生花はミスミソウ。.

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1月9日

1月9日(いちがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から9日目に当たり、年末まであと356日(閏年では357日)ある。誕生花はパンジー。.

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2005年

この項目では、国際的な視点に基づいた2005年について記載する。.

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3月12日

3月12日(さんがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から71日目(閏年では72日目)にあたり、年末まであと294日ある。.

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3月16日

3月16日(さんがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から75日目(閏年では76日目)にあたり、年末まであと290日ある。.

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4月2日

4月2日(しがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から92日目(閏年では93日目)にあたり、年末まであと273日ある。誕生花はコデマリ、デイジー。.

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