ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

木津川口の戦い (1614年)

索引 木津川口の戦い (1614年)

木津川口の戦い(きづがわぐちのたたかい)は、豊臣家の江戸幕府に対する最後の抵抗を鎮圧するために行われた大坂の陣のうち、1614年(慶長19年)末に発生した大坂冬の陣において初めて行われた本格的な戦い。 豊臣方は、大坂城から海に至る要衝である木津川口に砦を築き、明石全登を守将に兵800で守備させていた。 11月18日、幕府軍の蜂須賀至鎮はこの地を偵察し、徳川家康に攻略の許可を求めた。家康は浅野長晟および池田忠雄と協力し、兵を損じないことを条件にそれを許可した。 蜂須賀至鎮は共同作戦では手柄を独り占めできないことに不満を抱き、11月19日未明、抜け駆けして単独攻撃を行った。当時、明石全登は大坂城に伺候しており不在だったため守備兵は統制が取れず、砦は陥落した。 遅れて(予定の時刻どおりに)進軍していた浅野長晟は蜂須賀勢の抜け駆けを知り、進路上の河川を急いで渡河しようとして多数の溺死者を出してしまい、戦闘にも間に合わなかった。.

19 関係: 偵察大坂城大坂の陣学研ホールディングス尻無川 (大阪府)徳川家康豊臣氏蜂須賀至鎮江戸幕府池田忠雄木津川 (大阪府)明石全登浅野長晟新人物往来社摂津国慶長11月18日 (旧暦)11月19日 (旧暦)1614年

偵察

様々な事柄についての情報を、目視観測などの手段を通じて能動的にかつひそかに収集する活動。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と偵察 · 続きを見る »

大坂城

大坂城/大阪城(おおさかじょう)は、安土桃山時代に摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれ、江戸時代に修築された日本の城。現在の大阪府大阪市中央区大阪城に所在する。別称は錦城(きんじょう。金城とも表記)。「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されている。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と大坂城 · 続きを見る »

大坂の陣

大坂の陣(おおさかのじん)は、江戸幕府と豊臣家(羽柴宗家)との間で行われた合戦。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣(おおさかふゆのじん)と、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣(おおさかなつのじん)から成る。大坂の役(おおさかのえき)とも呼ばれる。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と大坂の陣 · 続きを見る »

学研ホールディングス

株式会社学研ホールディングス(がっけんホールディングス)は、日本の教育事業・出版社を統括する持株会社である。2009年(平成21年)10月1日に学習研究社(がくしゅうけんきゅうしゃ)より組織改編・社名変更を実施した。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と学研ホールディングス · 続きを見る »

尻無川 (大阪府)

尻無川(しりなしがわ)は、大阪府大阪市南西部を流れる淀川水系の下流における分流で一級河川。流域北部は住宅地が多く、左岸の大正区には防潮堤(大阪府管理)が設けられている。南部は鉄鋼所などの工業地帯を流れる。また、中流域には台風などで押し寄せてくる大阪湾からの高潮をせき止めるための尻無川水門がある。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と尻無川 (大阪府) · 続きを見る »

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と徳川家康 · 続きを見る »

豊臣氏

豊臣氏(とよとみし/とよとみうじ)は、日本の氏(ウジ)のひとつ。姓(カバネ)は朝臣。豊臣政権下での官位叙任では優先的にこの豊臣姓が使用され、源平藤橘など既存の他姓に優越して扱われた。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と豊臣氏 · 続きを見る »

蜂須賀至鎮

蜂須賀 至鎮(はちすか よししげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。阿波国徳島藩初代藩主。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と蜂須賀至鎮 · 続きを見る »

江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と江戸幕府 · 続きを見る »

池田忠雄

忠雄墓碑(通称・芋墓) 池田 忠雄(いけだ ただかつ)は、江戸時代前期の大名。淡路国洲本藩主、のち備前国岡山藩第2代藩主。鳥取藩池田家宗家2代。播磨姫路藩主・池田輝政の三男(実は六男)。母は徳川家康の次女・督姫。岡山藩初代藩主・池田忠継の同母弟。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と池田忠雄 · 続きを見る »

木津川 (大阪府)

道頓堀川(右手の水門)が合流 木津川(きづがわ)は、大阪府大阪市南西部を流れる淀川水系の下流における分流で一級河川。流域北部は住宅地、南部は倉庫・造船所などの工業地帯を流れる。 干潮水深は昭和5年(1930年)に10.5メートル、昭和15年(1940年)9.4メートル、昭和27年(1952年)3.2メートルと次第に浅くなっている。平均幅員は昭和27年時の調査で169メートル。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と木津川 (大阪府) · 続きを見る »

明石全登

明石 全登/景盛/守重(あかし たけのり / かげもり / もりしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。諱は複数伝わり、定かではないが、「明石全登」の名が一番有名。全登は法号で「ぜんとう」と読むとする説もある。通称は掃部(かもん)で、明石掃部とも言う。宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタンであった。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と明石全登 · 続きを見る »

浅野長晟

浅野 長晟(あさの ながあきら)は、江戸時代前期の大名。備中足守藩主、紀伊和歌山藩の第2代藩主、安芸広島藩の初代藩主。浅野氏宗家2代。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と浅野長晟 · 続きを見る »

新人物往来社

株式会社新人物往来社(しんじんぶつおうらいしゃ)は、かつて存在した日本の出版社。雑誌『歴史読本』の発行元として知られる歴史図書専門の出版社である。 2008年(平成20年)11月26日に中経出版の子会社になり、その後2009年(平成21年)4月7日に中経出版が角川グループホールディングスの子会社となったことにより、新人物往来社も角川グループの1つとなった。さらに2013年(平成25年)4月1日に中経出版に吸収合併され、社名が消滅することとなった。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と新人物往来社 · 続きを見る »

摂津国

摂津国(せっつのくに、旧字体:攝津國)は、日本の令制国の一つ。畿内に属する。現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたる。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と摂津国 · 続きを見る »

慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と慶長 · 続きを見る »

11月18日 (旧暦)

旧暦11月18日は旧暦11月の18日目である。六曜は仏滅である。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と11月18日 (旧暦) · 続きを見る »

11月19日 (旧暦)

旧暦11月19日は旧暦11月の19日目である。六曜は大安である。.

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と11月19日 (旧暦) · 続きを見る »

1614年

記載なし。

新しい!!: 木津川口の戦い (1614年)と1614年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »