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天皇主権

索引 天皇主権

天皇主権(てんのうしゅけん)とは、大日本帝国憲法において、天皇が保持する主権とされている一説。西洋の君主主権を日本に適用した内容である。天皇主権を中心として構成された憲法学説を天皇主体説というゴーマニズム宣言SPECIAL「天皇論」著者・小林よしのり P251。.

32 関係: 君主主権大日本帝国憲法大日本帝国憲法第4条天皇天皇制ファシズム天皇機関説天皇機関説事件官僚上杉慎吉主権佐々木惣一元首国体明徴声明国民主権穂積八束立憲主義美濃部達吉統治権絶対君主制超然主義藩閥明治昭和日本日本国憲法日本国憲法前文日本国憲法第1条1889年1890年1935年1946年1947年

君主主権

君主主権(くんしゅしゅけん)とは、君主が主権を持つ政体である。 主権とは「国家(領土・領海・国民・国家体制等)を支配する権限」である。.

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大日本帝国憲法

憲法発布略図1889年(明治22年)、楊洲周延画 新皇居於テ正殿憲法発布式之図1889年(明治22年)、安達吟光画 大日本帝国憲法(だいにほんていこくけんぽう、だいにっぽんていこくけんぽう、旧字体:大日本帝國憲法)は、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、外見的立憲主義に基づく日本の憲法 大日本帝国憲法には、表題に「大日本帝国」が使用されているが、詔勅では「大日本憲法」と称しており、正式な国号と規定されたものではない。「大日本帝国」が正式な国号と規定された1936年(昭和11年)まで、他に「日本国」「日本」等の名称も使用された。。 明治憲法(めいじけんぽう)、あるいは単に帝国憲法(ていこくけんぽう)と呼ばれることも多い。現行の日本国憲法との対比で旧憲法(きゅうけんぽう)とも呼ばれる。 短期間で停止されたオスマン帝国憲法を除けば実質上のアジア初の近代憲法である。1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行まで半世紀以上の間正確には56年5か月4日(20608日)、一度も改正されることはなかった。1947年(昭和22年)5月2日まで存続し、1946年(昭和21年)11月3日に第73条の憲法改正手続による公布を経て、翌1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行された。.

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大日本帝国憲法第4条

大日本帝国憲法第4条は、大日本帝国憲法第1章にある。 明治維新によって、天皇が近代的官僚制を組織して統治権を総攬するという近代国家が成立した。本条はそれを確認したものである。本条によれば、まず天皇が元首であると規定し、次に天皇は全ての統治権を総攬しているが、憲法の条規によってその統治権を行使しなければならないとされ、いわゆる立憲君主制を規定している。なお憲法によれば、立法権は帝国議会の「協賛を以って」行い(5条)、「協賛を経るを要す」(37条)とされ、行政権は国務大臣が「天皇を輔弼し其の責に任ず」(55条)とされ、司法権は裁判所が「天皇の名に於いて法律に依り」行う(57条)とされていた。 大日本帝国憲法における統治権とは「主権」と同じ意味である。 また条文にある「総攬」について、「攬」の漢字源は「とる・集めて手に持つ・取りまとめて持つ」という意味なのでいわゆる統治権は「手にとる」だけで「我が意のまま動かす」ということではない。また「総攬」をもって統治権が天皇のものだとすると三権分立を定めながら、また自ら握ることになり、何の為に三権分立をしたのかわからなくなってしまう。故に天皇も国民でもなく、君民の共同体たる国が主権を保持するとされていた。.

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天皇

天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.

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天皇制ファシズム

天皇制ファシズム(てんのうせいファシズム)または日本ファシズムとは、第二次世界大戦終結までの日本の社会、体制などが「ファシズム」の一種であったとする視点による用語。1946年からの丸山眞男による日本ファシズム論(『超国家主義の論理と心理 他八篇』所収「超国家主義の論理と心理」にて述べている)などがある(山口定、2000年3月、政策科学7-3)。.

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天皇機関説

天皇機関説(てんのうきかんせつ)とは、大日本帝国憲法下で確立された憲法学説で、統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼を得ながら統治権を行使すると説いたものである。ドイツの公法学者ゲオルク・イェリネックに代表される国家法人説に基づき、憲法学者・美濃部達吉らが主張した学説で、天皇主権説(穂積八束・上杉慎吉らが主張)などと対立する。.

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天皇機関説事件

天皇機関説事件(てんのうきかんせつじけん)とは1935年に起こった事件。当時の岡田内閣を倒閣させるための野党などによる攻撃に天皇機関説という憲法解釈が利用され、文民である内閣による軍事への影響力の根拠である「統治権は法人である国家に属し、国の最高機関である天皇が政府の輔弱を受けて行使する」が攻撃された。.

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官僚

官僚(かんりょう、bureaucrat ビューロクラート)とは、一般に、国家の政策決定に大きな影響力を持つ公務員をいう。.

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上杉慎吉

多磨霊園にある上杉慎吉の墓 上杉 慎吉(うえすぎ しんきち、1878年(明治11年)8月18日 - 1929年(昭和4年)4月7日)は、明治後期から昭和初期にかけての日本の憲法学者。天皇主権説を主張する君権学派(神権学派)であり、天皇機関説と激しい論争を展開した。.

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主権

主権(しゅけん)とは、国家の構成要素のうち、最高・独立・絶対の権力中沢 和男「国際政治における主権の機能とその将来」東海大学紀要.

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佐々木惣一

佐々木 惣一(ささき そういち、1878年(明治11年)3月28日 - 1965年(昭和40年)8月4日)は、日本の憲法学者、行政法学者。法学博士。貴族院議員(勅選)。京都大学名誉教授。立命館大学学長。京都市名誉市民。文化功労者、文化勲章受章者。贈正三位、贈勲一等瑞宝章(没時追贈)。.

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元首

元首(げんしゅ)または国家元首(こっかげんしゅ、dux civitatis、chef d’État、head of state)とは、.

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国体明徴声明

国体明徴声明(こくたいめいちょうせいめい)とは、1935年(昭和10年)の天皇機関説事件の中で、美濃部達吉の天皇機関説を排撃することで政治的主導権を握ろうとした立憲政友会・軍部・右翼諸団体が時の岡田内閣に迫って出させた政府声明 。 天皇機関説が天皇を統治機構の一機関としているのに対し、国体明徴声明では天皇が統治権の主体であることを明示し、日本が天皇の統治する国家であるとした宣言。.

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国民主権

国民主権(こくみんしゅけん、popular sovereignty、Volkssouveränität)は、主権は国民にある、という思想であり、つまり国民が政治権力の源(拠り所)・責任主体であり、政府は国民の意思により設立され運営される機関であるとする思想のこと。「主権在民」または「人民主権」ともいう。.

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穂積八束

積 八束 (ほづみ やつか、1860年3月20日(安政7年2月28日) - 1912年10月5日)は、日本の法学者。東京帝国大学法科大学長。貴族院議員。法典調査会査定委員。 民法典論争に際し発表した論文『民法出デテ忠孝亡ブ』で非常に有名である。また、日本法律学校(現在の日本大学)の設立に参画したことでも知られる。 美濃部達吉らが主張した天皇機関説に対し、天皇主権説を唱えた。.

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立憲主義

立憲主義(りっけんしゅぎ、Constitutionalism)とは、政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠するという考え方。「憲法に立脚する」という意味合いである。なお、立憲主義を前提とした民主主義を立憲民主主義と呼ぶ。.

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美濃部達吉

美濃部 達吉(みのべ たつきち、1873年(明治6年)5月7日 - 1948年(昭和23年)5月23日)は、日本の法学者、憲法学者、政治家、東京帝国大学名誉教授。 天皇機関説を主張し、大正デモクラシーにおける代表的理論家として知られる。昭和時代には天皇機関説事件により、貴族院議員を辞職した。戦後の1948年には勲一等旭日大綬章を受章。 妻・多美子は菊池大麓の長女である。東京都知事を務めた美濃部亮吉は長男。兄に朝鮮銀行総裁等を務めた美濃部俊吉がおり、その子である商工省および企画院官僚だった美濃部洋次は甥にあたる。同志社大学教授の浜矩子は曾姪孫。.

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統治権

統治権(とうちけん)とは、国際法や国内法で有する国土や国民など国家を治める権利のことである。主権や国権ともいう。国家の最高権力といえる。国内でどのように発動されるかによって、政治体制の種別がなされる。.

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絶対君主制

絶対君主制(ぜったいくんしゅせい、)とは、君主制の一形態で、君主が統治の全権能を所有し、自由に権力を行使する政体である。対比語は、君主の権力が憲法などで制限されている政体である制限君主制または立憲君主制。.

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超然主義

超然主義(ちょうぜんしゅぎ)とは、外の動静には関与せず、超然(平然)として独自の立場を貫く主義をいう。一般的には、大日本帝国憲法発布後、帝国議会開設から大正時代初期頃までにおいて、藩閥・官僚から成る内閣が採った立場を指し、内閣は議会・政党の意思に制約されず行動すべきという主張であるとされる。また、この主義を採る内閣を超然内閣という。 なお、坂野潤治や御厨貴らは、超然主義には本来の意味である議会や政党の存在・主張を無視するという意味の他に、民党・吏党の別なく、どの政党に対しても親疎の差を付けずに公平に扱い党派争いに関与しないという意味でも用いられており、超然主義及び超然内閣が必ずしも政党そのものを無視・否定したものではないとする説を提示している。.

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藩閥

藩閥(はんばつ)とは、明治時代を通じて日本の政府や陸海軍の要職をほぼ独占していた「薩長土肥」(薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前藩)出身の有力者によって形成されていた概念的な寡頭制に対する批判的な呼称。西洋言語では「Meiji oligarchy、Oligarchie de Meiji」と訳される。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本国憲法

日本国憲法(にほんこくけんぽう、にっぽんこくけんぽう)は、現在の日本の国家形態および統治の組織・作用を規定している憲法。1947年(昭和22年)5月3日に施行された。ブルジョア憲法(資本主義憲法)の一種。 昭和憲法(しょうわけんぽう)、あるいは単に現行憲法(げんこうけんぽう)とも呼ばれる。 1945年(昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本の民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。そこで連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し『世界大百科事典』(平凡社)「日本国憲法」の項目より、その後の紆余曲折を経て起草された新憲法案は、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年(昭和22年)5月3日に施行された。 国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を定め、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という平和主義を定める。また国会・内閣・裁判所の三権分立の国家の統治機構と基本的秩序を定めている。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つは、日本国憲法を特徴付ける三大要素と呼ばれることもある。 2017年現在、現行憲法としては世界で最も長い期間改正されていない憲法である(Webアーカイブ)出典元記事の記載では、施行されてから一度も改正されていないという立場であるが、日本国憲法が一度も改正されていないか否かは、行われた改正手続き通り、大日本帝国憲法の全面改正として日本国憲法を捉えるか、事実上大日本帝国憲法を破棄して制定された新憲法と捉えるかで異論がある。日本国憲法は、当用漢字表と現代かなづかいの告示より前に公布されたもので、原文の漢字表記は当用漢字以前の旧字体であり、仮名遣いは歴史的仮名遣である。 原本は国立公文書館に保管されており、不定期に公開されている。.

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日本国憲法前文

日本国憲法 前文(にほんこく/にっぽんこくけんぽう ぜんぶん)は、日本国憲法の条文の前にある文章で、趣旨や基本原則について記している。 日本国憲法前文は、日本国憲法の一部としての性質を有しており、例えば、第1条と相まって国民主権に関する根拠規定とされる。なお前文の前には、上諭が付されている。.

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日本国憲法第1条

日本国憲法 第1条(にほんこく/にっぽんこくけんぽう だい1じょう)は、日本国憲法の第1章「天皇」にある条文の一つ。天皇の地位と国民主権について規定する。.

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1889年

記載なし。

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1890年

記載なし。

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1935年

記載なし。

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1946年

記載なし。

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1947年

記載なし。

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