ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

穂積八束

索引 穂積八束

積 八束 (ほづみ やつか、1860年3月20日(安政7年2月28日) - 1912年10月5日)は、日本の法学者。東京帝国大学法科大学長。貴族院議員。法典調査会査定委員。 民法典論争に際し発表した論文『民法出デテ忠孝亡ブ』で非常に有名である。また、日本法律学校(現在の日本大学)の設立に参画したことでも知られる。 美濃部達吉らが主張した天皇機関説に対し、天皇主権説を唱えた。.

143 関係: 博士(理学)博士(法学)名誉教授吉田熊次大喪の礼大正天皇機関説宮崎道三郎宮中顧問官宇和島市宇和島藩宇和郡安政富井政章山田三良岩波書店上杉慎吉帝国学士院中村雄二郎丹波敬三万延井上哲次郎伊予国弁護士佐藤幸治 (憲法学者)従三位従五位従六位従四位信山社出版土方寧ルプレヒト・カール大学ハイデルベルクフンボルト大学ベルリンドイツ利谷信義ストラスブール大学勲等国家学会国立国会図書館国民精神文化研究所理研計器神奈川県穂積家 (伊予国)穂積重遠穂積陳重穂積氏立教大学第一銀行箕作佳吉美濃部達吉...瑞宝大綬章瑞宝章田中正平鎌倉市鎌倉町鎌倉郡萩原三圭飯盛挺造西春彦高橋作衛講談社講談社学術文庫貴族院 (日本)賞杯長尾龍一長與稱吉東京大学東京大学 (1877-1886)東京大学大学院法学政治学研究科・法学部東京大学出版会東京府東北大学東郷茂徳桜井小太郎梅謙次郎森鴎外極東国際軍事裁判正七位正三位正五位正六位正四位民法 (日本)民法典論争法学法学セミナー法学者法典調査会潮見俊隆朝日ジャーナル朝日選書朝日新聞社木鐸社木戸幸一未來社有斐閣明治明治天皇浅野総一郎文部省日本日本大学日本評論社旭日章愛媛県憲法学10月5日12月10日12月21日12月26日12月27日12月28日1860年1883年1884年1885年1886年1889年1891年1894年1896年1897年1898年1899年1903年1904年1906年1907年1908年1909年1912年2月10日2月11日2月20日2月28日2月28日 (旧暦)2月9日3月20日3月31日4月30日7月12日9月18日 インデックスを展開 (93 もっと) »

博士(理学)

博士(理学)(はくし りがく)は、博士の学位であり、理学(数学、物理学、化学、生物学、地学など)に関する専攻分野を修めることによって、日本で授与されるものである。 1991年(平成3年)以前の日本では、理学博士(りがくはくし)という博士の学位が授与されており、理学博士は、現在の「博士(理学)」とほぼ同じものである。 理学博士は、1887年(明治20年)制定の学位令において、文部大臣より授与される5種類の博士のうちの1つとして定められた。.

新しい!!: 穂積八束と博士(理学) · 続きを見る »

博士(法学)

博士(法学)(はくし ほうがく)は、法学に関する専攻分野を修めることによって、日本で授与されている博士の学位である。1991年以前の日本では、学位規則により個別の学位の名称が定められていたので、法学博士(ほうがくはくし)という博士の学位が授与されており、法学博士は、現在の「博士(法学)」とほぼ同じものである。 法学博士は、1887年(明治20年)制定の学位令において、文部大臣より授与される5種類の博士のうちの1つとして定められた。 研究業績を学位請求論文として提出し、審査を経て授与される「博士(法学)」と、法科大学院修了者に授与される法務博士(専門職)は、いずれも法および博士の字を含む点で類似の名称となっているが、研究に対して授与される学位と、履修に対して授与される専門職学位という違いがあり、その内容と評価は全く別個のものである。.

新しい!!: 穂積八束と博士(法学) · 続きを見る »

名誉教授

名誉教授(めいよきょうじゅ、professor emeritus / emeritus professor)とは、国内法では大学(短期大学を含む)、高等専門学校などの高等教育機関に教授などとして勤務した者であって、功績のあった者に対して授与される称号。法的・国際的に認められた栄誉称号であり学術称号の一つ。日本では学校教育法にその根拠規定があり、それぞれ大学または高等専門学校の規程・規則の定めるところにより授与される。.

新しい!!: 穂積八束と名誉教授 · 続きを見る »

吉田熊次

吉田 熊次(よしだ くまじ、1874年(明治7年)2月27日 - 1964年(昭和39年)7月15日)は、日本の教育学者。東京帝国大学教授。文学博士。.

新しい!!: 穂積八束と吉田熊次 · 続きを見る »

大喪の礼

大喪の礼(たいそうのれい)は、国の儀式として行われる天皇の葬儀。「喪」は「うしなう」という原義から人の死、さらにその追悼と葬儀を意味する字であり「大喪」で「君主の死とその服喪と葬儀」を意味する。日本では「大喪」だけで「天皇の崩御と斂葬」を指す(反対語は君主(天皇)の即位を指す「大典」)。 現日本国憲法下において「天皇の葬儀」は、皇室典範第25条の規定に基づき国の儀式(国事行為)として執り行われる「大喪の礼」と、皇室の儀式として執り行われる「大喪儀」とに区別される。.

新しい!!: 穂積八束と大喪の礼 · 続きを見る »

大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

新しい!!: 穂積八束と大正 · 続きを見る »

天皇機関説

天皇機関説(てんのうきかんせつ)とは、大日本帝国憲法下で確立された憲法学説で、統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼を得ながら統治権を行使すると説いたものである。ドイツの公法学者ゲオルク・イェリネックに代表される国家法人説に基づき、憲法学者・美濃部達吉らが主張した学説で、天皇主権説(穂積八束・上杉慎吉らが主張)などと対立する。.

新しい!!: 穂積八束と天皇機関説 · 続きを見る »

宮崎道三郎

宮崎 道三郎(みやざき みちさぶろう、1855年10月14日(安政2年9月4日) - 1928年(昭和3年)4月18日)は、三重県津市出身の法学者。法学博士。東京帝国大学教授(法制史)。日本法律学校(現在の日本大学)の設立者総代。.

新しい!!: 穂積八束と宮崎道三郎 · 続きを見る »

宮中顧問官

宮中顧問官(きゅうちゅうこもんかん)は、皇室または王室が存在する国の官職。多くの場合名誉職的な意味合いが強い。.

新しい!!: 穂積八束と宮中顧問官 · 続きを見る »

宇和島市

宇和島市(うわじまし)は、愛媛県の南部(南予地方)に位置する都市。南予地方の中心都市で、宇和島城を中心に発展した闘牛で有名な旧城下町でもある。.

新しい!!: 穂積八束と宇和島市 · 続きを見る »

宇和島藩

宇和島城天守 竹輪笹に阿吽の向かい雀の宇和島紋 宇和島藩(うわじまはん)は、伊予国宇和島(現在の愛媛県宇和島市)周辺を治めた藩。藩庁は宇和島城に置かれた。.

新しい!!: 穂積八束と宇和島藩 · 続きを見る »

宇和郡

*.

新しい!!: 穂積八束と宇和郡 · 続きを見る »

安政

安政(あんせい)は日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。1855年嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。から1860年までの期間を指す。この時代の天皇は、孝明天皇。江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。.

新しい!!: 穂積八束と安政 · 続きを見る »

富井政章

富井 政章(とみい まさあき、1858年10月16日(安政5年9月10日)- 1935年9月14日)は、日本の法学者、教育者。法学博士。帝国大学法科大学(現東京大学法学部)教授、帝国大学法科大学長、貴族院勅選議員、枢密顧問官等を歴任。法典調査会民法起草委員。和仏法律学校(現法政大学)校長。京都法政学校(現立命館大学)初代校長、立命館大学初代学長。男爵。.

新しい!!: 穂積八束と富井政章 · 続きを見る »

山田三良

山田 三良(やまだ さぶろう、1869年12月10日(明治2年11月8日) - 1965年(昭和40年)12月17日)は、日本の国際私法学者。法学博士。法華会創立者。.

新しい!!: 穂積八束と山田三良 · 続きを見る »

岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

新しい!!: 穂積八束と岩波書店 · 続きを見る »

上杉慎吉

多磨霊園にある上杉慎吉の墓 上杉 慎吉(うえすぎ しんきち、1878年(明治11年)8月18日 - 1929年(昭和4年)4月7日)は、明治後期から昭和初期にかけての日本の憲法学者。天皇主権説を主張する君権学派(神権学派)であり、天皇機関説と激しい論争を展開した。.

新しい!!: 穂積八束と上杉慎吉 · 続きを見る »

帝国学士院

帝国学士院(ていこくがくしいん、)は、大日本帝国にかつて存在した国立アカデミー。現在は日本学士院に改組されている。 帝国学士院は、研究者に対する顕彰等の事業を通じ、日本の学術の発展を図る目的で設置された帝国学士院規程第1条。。設置根拠は、1906年に勅令として公布された「帝国学士院規程」などに基づく。文部大臣の管理下に位置づけられており、職員として置かれた書記にも文部官僚が任じられた。 会員の定数は60名とされ、勅旨により任じられた。当時の日本は帝国としての勃興期にあたり、それ以降は日本列島だけでなく台湾や南樺太といった外地にも版図を拡大していったが、その広大な領土の各地から優秀な研究者が会員として選任された。また、日本国籍を有しない研究者であっても、日本にとって功績があると認められた場合は客員として迎えられた。 また、貴族院には帝国学士院会員の議席枠が4議席確保されており、井上哲次郎、小野塚喜平次、田中館愛橘らが貴族院議員に就任するなど、帝国議会にも一定程度の影響力を保持した。また、帝国学士院規程第9条を根拠として、万国学士院連合会や国際学士院連盟に加盟しており「沿革」『』日本学士院。、日本を代表するアカデミーとして国際的にも認知されていた。1947年の政令により、帝国学士院規程は「日本学士院規程」に改正され、帝国学士院も日本学士院に改称された。.

新しい!!: 穂積八束と帝国学士院 · 続きを見る »

中村雄二郎

中村 雄二郎(なかむら ゆうじろう、1925年10月13日 - 2017年8月26日)は、日本の哲学者。明治大学名誉教授。 .

新しい!!: 穂積八束と中村雄二郎 · 続きを見る »

丹波敬三

丹波 敬三(たんば けいぞう、1854年2月25日(嘉永7年1月28日) - 1927年(昭和2年)10月19日)は、明治・大正期の薬学者。摂津国八部郡走水村(現・兵庫県神戸市)出身。蘭方医・丹波元礼の三男。丹波直次、丹波哲郎、丹波明の祖父。先祖は丹波康頼(丹波氏)。そして直系である丹波家がその末裔。.

新しい!!: 穂積八束と丹波敬三 · 続きを見る »

万延

万延(まんえん、旧字体: 萬延)は日本の元号の一つ。安政の後、文久の前。1860年から1861年の期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

新しい!!: 穂積八束と万延 · 続きを見る »

井上哲次郎

井上 哲次郎(いのうえ てつじろう、1856年2月1日(安政2年12月25日) - 1944年(昭和19年)12月7日)は明治時代の日本の哲学者であり、欧米哲学を多く日本に紹介し、帝国大学で日本人で初めて、哲学の教授となった。また、新体詩運動の先駆者でもある。号は巽軒。通称「井の哲(イノテツ)」。筑前国生まれ。大東文化学院総長(第2代)などを歴任した。.

新しい!!: 穂積八束と井上哲次郎 · 続きを見る »

伊予国

伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。.

新しい!!: 穂積八束と伊予国 · 続きを見る »

弁護士

弁護士(辯護士、べんごし)は、依頼を受けて法律事務を処理することを職務とする専門職である。.

新しい!!: 穂積八束と弁護士 · 続きを見る »

佐藤幸治 (憲法学者)

佐藤 幸治(さとう こうじ、1937年6月9日 - )は、日本の法学者。専門は憲法学。京都大学名誉教授、日本学士院会員。学位は法学博士(京都大学・1990年)。司法制度改革、特に法科大学院創設を主導した。.

新しい!!: 穂積八束と佐藤幸治 (憲法学者) · 続きを見る »

従三位

従三位(じゅさんみ)は、位階及び神階における位のひとつ。 正三位の下、正四位(正四位上)の上に位した、律令制下では任参議及び従三位以上の者を公卿といった。贈位の場合、贈従三位とされた。.

新しい!!: 穂積八束と従三位 · 続きを見る »

従五位

従五位(じゅごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正五位の下、正六位の上に位する。贈位の場合、贈従五位という。近代以前の日本における位階制度では、従五位下以上の位階を持つ者が貴族とされている。また、華族の嫡男が従五位に叙せられることから、華族の嫡男の異称としても用いられた。.

新しい!!: 穂積八束と従五位 · 続きを見る »

従六位

従六位(じゅろくい)は、日本の位階における位の一つ。正六位の下、正七位の上。.

新しい!!: 穂積八束と従六位 · 続きを見る »

従四位

従四位(じゅしい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正四位の下、正五位の上に位する。贈位の場合、贈従四位という。.

新しい!!: 穂積八束と従四位 · 続きを見る »

信山社出版

株式会社信山社出版 (しんざんしゃしゅっぱん)は、日本の出版社の一つ。法律関係中心の出版社である。売れ行きをさほど気にかけていないかのようなタイトルを出版することもあるのが特色の一つである。.

新しい!!: 穂積八束と信山社出版 · 続きを見る »

土方寧

土方 寧(ひじかた やすし、安政6年2月12日『日本博士全伝』P.82-84(1859年3月16日) – 昭和14年(1939年)5月18日)は、貴族院勅選議員、法学者。専門は民法学。帝国学士院会員。.

新しい!!: 穂積八束と土方寧 · 続きを見る »

ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク

ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク(ドイツ語:Ruprecht-Karls-Universität Heidelberg、ラテン語: Universitas Ruperto Carola Heidelbergensis)は、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ハイデルベルクにある総合大学。1386年創立でドイツ最古の大学。通称はハイデルベルク大学。.

新しい!!: 穂積八束とルプレヒト・カール大学ハイデルベルク · 続きを見る »

フンボルト大学ベルリン

アレクサンダー・フォン・フンボルトの像 ベルリン・フンボルト大学(Humboldt-Universität zu Berlin)またはフンボルト大学ベルリンは、ドイツのベルリンにある大学。ドイツにおけるエクセレンス・イニシアティブ(Exzellenzinitiative)に指定された11のエリート大学の一つ。 プロイセン王国に1810年、教育改革者で言語学者のヴィルヘルム・フォン・フンボルトによってフリードリヒ・ヴィルヘルム大学 (Friedrich-Wilhelms-Universität) として創立された。ベルリンでは最も古い大学で、第二次世界大戦後にはフンボルト大学と改称され、ドイツ再統一後に現称となった。以下、本項では「フンボルト大学」と呼称する。.

新しい!!: 穂積八束とフンボルト大学ベルリン · 続きを見る »

ドイツ

ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、Bundesrepublik Deutschland)、通称ドイツ(Deutschland)は、ヨーロッパ中西部に位置する連邦制共和国である。もともと「ドイツ連邦共和国」という国は西欧に分類されているが、東ドイツ(ドイツ民主共和国)の民主化と東西ドイツの統一により、「中欧」または「中西欧」として再び分類されるようになっている。.

新しい!!: 穂積八束とドイツ · 続きを見る »

利谷信義

利谷 信義(としたに のぶよし、1932年8月6日 - )は、日本の法学者。東京大学、お茶の水女子大学、東京経済大学名誉教授。専門は民法・法社会学。.

新しい!!: 穂積八束と利谷信義 · 続きを見る »

ストラスブール大学

1970年以降三つに分かれていたが、2009年1月1日に再統合された。.

新しい!!: 穂積八束とストラスブール大学 · 続きを見る »

勲等

勲等(くんとう)とは勲功に対して授与されたものである。日本においては律令制度が出来た当時は勲位と称し、勲一等以下勲十二等までの12等級あった。また、位階勲等という様に叙勲は位階に応じて行われた。 以下、日本の勲等について詳述する。.

新しい!!: 穂積八束と勲等 · 続きを見る »

国家学会

国家学会(こっかがっかい)は、1887年(明治20年)2月に設立された帝国大学法科大学(東京大学法学部の前身)の研究団体である。機関誌として『国家学会雑誌』を発行し現在に至っている。 伊藤博文 / 国家学会の発足に大きな役割を果たした。.

新しい!!: 穂積八束と国家学会 · 続きを見る »

国立国会図書館

国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん、英称:)は、日本の国会議員の調査研究、行政、ならびに日本国民のために奉仕する図書館である。また、納本制度に基づいて、日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館である。設置根拠は国会法第130条及び国立国会図書館法第1条。 国立国会図書館は、日本の立法府である国会に属する国の機関であり、国会の立法行為を補佐することを第一の目的とする議会図書館である。同時に、納本図書館として日本で唯一の国立図書館としての機能を兼ねており、行政・司法の各部門および日本国民に対するサービスも行っている。バーチャル国際典拠ファイルに参加している。 施設は、中央の図書館と、国立国会図書館法3条に定められた支部図書館からなる。中央の図書館として東京本館(東京都千代田区永田町)および関西館(京都府相楽郡精華町精華台)が置かれ、また東京本館に付属して国会分館がある。 支部図書館としては国際子ども図書館(東京都台東区上野公園)のほか、司法機関に1館(最高裁判所図書館)、国立国会図書館法の規定により行政各部門に置かれる支部図書館及びその職員に関する法律(昭和24年法律第101号。支部図書館法)に基づいて行政機関に26館が置かれる。.

新しい!!: 穂積八束と国立国会図書館 · 続きを見る »

国民精神文化研究所

国民精神文化研究所(こくみんせいしんぶんかけんきゅうしょ)は、戦前期に東京市品川区上大崎に設置された、文部省直轄研究所。略称は精研。「皇国教学ノ指導者トシテノ信念ト識見トノ醇化」を指導方針とする教育機関秦郁彦『現代史の争点』 文藝春秋 ISBN 978-4163540603、148p。終戦後、GHQから超国家主義組織として解散させられ、講師陣は公職追放される。.

新しい!!: 穂積八束と国民精神文化研究所 · 続きを見る »

理研計器

計器株式会社(りけんけいき、英文社名:RIKEN KEIKI Co., Ltd.)は、東京都に本社を置くガス警報器メーカー。かつての理研コンツェルンのうちの一社。.

新しい!!: 穂積八束と理研計器 · 続きを見る »

神奈川県

奈川県(かながわけん)は、日本の県の一つ。関東地方の南西端、東京都の南に位置する。県庁所在地は横浜市。県名は東海道筋に古くから栄えた宿場町神奈川宿(現・横浜市神奈川区)、および幕末に戸部町(現・横浜市西区紅葉ヶ丘)に置かれた神奈川奉行所に由来する。これら「神奈川」の由来は、京急仲木戸駅近くに流れていた長さ300メートル (m) ほどの小川の名前からで、現在は道路になっている。 都道府県別の人口は東京都に次ぐ第2位、人口密度は東京都、大阪府に次ぐ第3位である。県内総生産も東京都、大阪府、愛知県に次ぐ第4位となっている。県内の政令指定都市数は3つと日本最多で、面積は第43位の規模である(平成19年度面積)、国土地理院。。.

新しい!!: 穂積八束と神奈川県 · 続きを見る »

穂積家 (伊予国)

積家(ほづみけ)は、日本の華族(男爵)、学者の家系。饒速日命(ニギハヤヒ)の子孫・穂積氏の流れを汲み、宇和島藩士鈴木重麿の子・重樹が明治維新後に穂積姓に復したことに始まる。極位は正三位。.

新しい!!: 穂積八束と穂積家 (伊予国) · 続きを見る »

穂積重遠

積 重遠(ほづみ しげとお、1883年4月11日 - 1951年7月29日)は、東京府出身の法学者。専門は民法。東京帝国大学教授・法学部長、最高裁判所判事を歴任し、「日本家族法の父」といわれる。東宮大夫兼東宮侍従長。男爵。勲一等旭日大綬章。.

新しい!!: 穂積八束と穂積重遠 · 続きを見る »

穂積陳重

積 陳重(ほづみ のぶしげ、入江陳重、いりえ のぶしげ、1855年8月23日(安政2年7月11日) - 1926年(大正15年)4月7日)は、明治から大正期の日本の法学者。日本初の法学博士の一人。東京帝国大学法学部長。英吉利法律学校(中央大学の前身)の創立者の一人。貴族院議員(勅選)。男爵。枢密院議長。勲一等旭日桐花大綬章。現在の愛媛県宇和島市出身。.

新しい!!: 穂積八束と穂積陳重 · 続きを見る »

穂積氏

積氏(ほづみうじ/ほつみうじ)は、「穂積」を氏(ウジ)の名とする氏族。姓(かばね)は始め穂積臣、後に穂積朝臣。 大和国山辺郡穂積邑および十市郡保津邑を本拠地とした有力な豪族で、神武天皇よりも前に大和入りをした饒速日命(ニギハヤヒ)が祖先と伝わる神別氏族。物部氏族の正統とされ、熊野国造家や末羅国造家とは同祖とされる。子孫の一部は「鈴木」を称し、藤白鈴木氏として続いた。.

新しい!!: 穂積八束と穂積氏 · 続きを見る »

立教大学

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と立教大学 · 続きを見る »

第一銀行

株式会社第一銀行(だいいちぎんこう)は、かつて存在した日本の都市銀行である。統一金融機関コードは、0001(第一勧業銀行を経て、現在はみずほ銀行が承継)。前身の第一国立銀行(だいいちこくりつぎんこう)は、国立銀行条例による国立銀行(民間経営)で、1873年8月1日に営業を開始した日本初の商業銀行。1971年に日本勧業銀行と合併し第一勧業銀行となる。現在のみずほ銀行である。現在のみずほ銀行に至るまで、現在の東京証券取引所に上場していた。.

新しい!!: 穂積八束と第一銀行 · 続きを見る »

箕作佳吉

箕作 佳吉(みつくり かきち、1858年1月15日(安政4年12月1日)- 1909年(明治42年)9月16日)は明治時代の日本の動物学者。理学博士。.

新しい!!: 穂積八束と箕作佳吉 · 続きを見る »

美濃部達吉

美濃部 達吉(みのべ たつきち、1873年(明治6年)5月7日 - 1948年(昭和23年)5月23日)は、日本の法学者、憲法学者、政治家、東京帝国大学名誉教授。 天皇機関説を主張し、大正デモクラシーにおける代表的理論家として知られる。昭和時代には天皇機関説事件により、貴族院議員を辞職した。戦後の1948年には勲一等旭日大綬章を受章。 妻・多美子は菊池大麓の長女である。東京都知事を務めた美濃部亮吉は長男。兄に朝鮮銀行総裁等を務めた美濃部俊吉がおり、その子である商工省および企画院官僚だった美濃部洋次は甥にあたる。同志社大学教授の浜矩子は曾姪孫。.

新しい!!: 穂積八束と美濃部達吉 · 続きを見る »

瑞宝大綬章

勲一等瑞宝章の正章1895年(明治28年)、西園寺公望が授与された物。国立公文書館所蔵(請求番号:寄贈02112100)。。現行の瑞宝大綬章と本体部分の意匠は同じ。 勲一等瑞宝章の副章。現行の瑞宝大綬章と意匠は同じ。 瑞宝大綬章(、Grand Cordon of the Order of the Sacred Treasure)は、日本の勲章の一つ。瑞宝章の最高位で、2003年(平成15年)の栄典改革以前の勲一等瑞宝章に相当する。.

新しい!!: 穂積八束と瑞宝大綬章 · 続きを見る »

瑞宝章

勲一等瑞宝章の正章1895年(明治28年)、西園寺公望が授与された物。国立公文書館所蔵(請求番号:寄贈02112100)。。現行の瑞宝大綬章と本体部分の意匠は同じ。 勲一等瑞宝章の副章。現行の瑞宝大綬章と意匠は同じ。 瑞宝章(ずいほうしょう、Orders of the Sacred Treasure)は、日本の勲章の一つ。.

新しい!!: 穂積八束と瑞宝章 · 続きを見る »

田中正平

中 正平(たなか しょうへい、1862年6月12日(文久2年5月15日) - 1945年(昭和20年)10月16日)は純正調オルガンを発明した日本の音響学・物理学者、鉄道技師。.

新しい!!: 穂積八束と田中正平 · 続きを見る »

鎌倉市

鎌倉大仏(高徳院) 建長寺 鎌倉宮(大塔宮) 荏柄天神社 鎌倉市(かまくらし)は、神奈川県、三浦半島西側の付け根に位置し、鎌倉を中心部とする市である。.

新しい!!: 穂積八束と鎌倉市 · 続きを見る »

鎌倉町

鎌倉町(かまくらまち)は、神奈川県の中央南部、鎌倉郡に属していた町。.

新しい!!: 穂積八束と鎌倉町 · 続きを見る »

鎌倉郡

*.

新しい!!: 穂積八束と鎌倉郡 · 続きを見る »

萩原三圭

萩原三圭 萩原 三圭(はぎわら さんけい、1840年12月4日〔天保11年11月11日〕- 1894年〔明治27年〕1月14日)は、江戸時代土佐藩の医師、明治天皇の内親王の御典医。青木周蔵と並び、日本初のドイツ留学医学生。諱は守教(もりのり)、また慮庵、象堂と号した。.

新しい!!: 穂積八束と萩原三圭 · 続きを見る »

飯盛挺造

飯盛挺造 飯盛 挺造 (いいもり ていぞう、ドクトル・フィロソフィー、1851年8月24日 - 1916年3月6日) は明治時代初期の日本の物理学者。1884年 (明治17年) 33歳のときドイツのフライブルク大学に留学し、エミール・ワールブルク教授の指導のもとで反射光を利用する真空式微量天秤を考案し、ガラスその他の物質に吸着される水分の量を測定する研究をおこなった。その研究論文によりドクトル・フィロソフィーの称号を与えられた。また、その功績により「微量天秤の先駆者」と呼ばれている。帰朝後は物理学の教育に尽力をした。日本の放射化学の先達・飯盛里安の養父であり、日東十客の一人である。.

新しい!!: 穂積八束と飯盛挺造 · 続きを見る »

西春彦

西 春彦(にし はるひこ、1893年4月29日 - 1986年9月20日)は、大正・昭和期の外交官。太平洋戦争開戦時の外務次官である。.

新しい!!: 穂積八束と西春彦 · 続きを見る »

高橋作衛

橋 作衛(たかはし さくえ、1867年11月5日(慶応3年10月10日)- 1920年(大正9年)9月12日)は、日本の国際法学者、政治家。法学博士、東京帝国大学名誉教授、貴族院議員、法制局長官。.

新しい!!: 穂積八束と高橋作衛 · 続きを見る »

講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

新しい!!: 穂積八束と講談社 · 続きを見る »

講談社学術文庫

講談社学術文庫(こうだんしゃがくじゅつぶんこ)は、講談社刊の文庫判・学術書レーベル、1976年(昭和51年)に発足。シンボルマークは、古代エジプトで知識や学問の象徴とされていた「トキ」(アフリカクロトキ)の姿をした神トートである。 単行判・選書新書の(改訂・改題も含む)再刊、古典新訳のみならず、文庫書き下ろしでの出版も多い。約40年間で2000冊代を刊行、重版多数の書目がある一方で、初版のみで品切絶版となった書目も多い。 2011年(平成23年)より、電子書籍版を購入できるiOS用のアプリケーション「選書メチエ&学術文庫」をApp Storeを配信している。.

新しい!!: 穂積八束と講談社学術文庫 · 続きを見る »

貴族院 (日本)

貴族院(きぞくいん)は、大日本帝国憲法下の日本における帝国議会の上院である。1890年(明治23年)11月29日から1947年(昭和22年)5月2日まで存在した。貴院と略称された。衆議院とは同格の関係にあったが、予算先議権は衆議院が持っていた『事典 昭和戦前期の日本』 37頁。。 非公選の皇族議員・華族議員・勅任議員によって構成され、解散はなく、議員の多くが終身任期であった。その一方、有識者が勅任により議員となる制度が存在していた。.

新しい!!: 穂積八束と貴族院 (日本) · 続きを見る »

賞杯

賞杯(しょうはい)は、皇室・王室、中央政府、地方政府、その他公私の団体等が、それぞれの法規・内規等に基づき、栄典として個人・団体に授与する杯の総称。記念品として贈られる場合もある。 皇室・王室からの賞杯については、特に賜杯(賜盃)と呼ぶ場合もある(例:大相撲本場所における(天皇)賜盃)。また、総称・名称としてでなく賞杯を与えるという行為について「杯を賜う」の意から用言的に「賜杯」を用いる場合もある(例:名称としては「勲章と賞杯」、行為としては「叙勲と賜杯」)。.

新しい!!: 穂積八束と賞杯 · 続きを見る »

長尾龍一

長尾 龍一(ながお りゅういち、1938年8月2日 - )は、日本の法学者。東京大学名誉教授。専門は法哲学・政治思想史・憲法思想史。.

新しい!!: 穂積八束と長尾龍一 · 続きを見る »

長與稱吉

長與 稱吉(新字体:長与 称吉、ながよ しょうきち、慶応2年1月7日(1866年2月21日) - 明治43年(1910年)9月5日)は、明治時代の医師。男爵。.

新しい!!: 穂積八束と長與稱吉 · 続きを見る »

東京大学

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と東京大学 · 続きを見る »

東京大学 (1877-1886)

東京大学(とうきょうだいがく)は、明治政府によって1877年(明治10年)4月に設立された日本最初の(官立)大学であり、1886年3月に帝国大学(のち東京帝国大学と改称)に改編されるまで存続した。この時期の「東京大学」を、現在の新制東京大学と区別するため、特に「旧東京大学」と称する場合もある。 加藤弘之 / 東京大学法理文三学部綜理、ついで初代東京大学「総理」。事実上の初代東大学長である.

新しい!!: 穂積八束と東京大学 (1877-1886) · 続きを見る »

東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

東京大学大学院法学政治学研究科(とうきょうだいがくだいがくいんほうがくせいじがくけんきゅうか、英称:Graduate School for Law and Politics)は、東京大学に設置される大学院研究科の一つである。また、東京大学法学部(とうきょうだいがくほうがくぶ、英称:Faculty of Law)は、東京大学に設置される学部の一つである。 法学部と法学政治学研究科は一体となって運営されているため、この記事で合わせて解説する。.

新しい!!: 穂積八束と東京大学大学院法学政治学研究科・法学部 · 続きを見る »

東京大学出版会

一般財団法人東京大学出版会(とうきょうだいがくしゅっぱんかい、英称:University of Tokyo Press)は、東京大学の出版部に当たる法人。東京大学総長を会長とし、東京大学の活動に対応した書籍の出版を主に行う。.

新しい!!: 穂積八束と東京大学出版会 · 続きを見る »

東京府

東京府庁(東京市役所との合同庁舎) 東京府(とうきょうふ)は、1868年から1943年までの間に存在していた日本の府県の一つである。現在の東京都の前身に当たる。府庁所在地は東京市。.

新しい!!: 穂積八束と東京府 · 続きを見る »

東北大学

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と東北大学 · 続きを見る »

東郷茂徳

東郷 茂徳(とうごう しげのり、、生名:朴茂德、1882年(明治15年)12月10日 - 1950年(昭和25年)7月23日)は、日本の外交官、政治家。太平洋戦争開戦時および終戦時の日本の外務大臣で、雅号は青楓であった。鹿児島県の日置郡にあった朝鮮人陶工の子孫で形成された集落「苗代川村」(現・日置市東市来町美山)の出身。 欧亜局長や駐ドイツ大使および駐ソ連大使を歴任、東條内閣で外務大臣兼拓務大臣として入閣して日米交渉にあたるが、日米開戦を回避できなかった。鈴木貫太郎内閣で外務大臣兼大東亜大臣として入閣、終戦工作に尽力した。にもかかわらず戦後、開戦時の外相だったがために戦争責任を問われ、A級戦犯として極東国際軍事裁判で禁錮20年の判決を受け巣鴨拘置所に服役中、病没した。 茂徳は剛直で責任感が強く、平和主義者である一方で現実的な視野を併せ持った合理主義者だったが正念場において、内外情勢の急転に巻き込まれて苦慮するケースが多かったと言える。.

新しい!!: 穂積八束と東郷茂徳 · 続きを見る »

桜井小太郎

桜井 小太郎(さくらい こたろう、明治3年9月11日(1870年10月5日) - 昭和28年(1953年)11月11日)は日本の建築家。日本人初の英国の王立建築家協会建築士である。.

新しい!!: 穂積八束と桜井小太郎 · 続きを見る »

梅謙次郎

梅 謙次郎(うめ けんじろう、1860年7月24日(万延元年6月7日) - 1910年(明治43年)8月26日)は、日本の法学者、教育者。法学博士。帝国大学法科大学(現東京大学法学部)教授、東京帝国大学法科大学長、内閣法制局長官、文部省総務長官等を歴任。法典調査会民法起草委員・商法起草委員。和仏法律学校(現法政大学)学監・校長、法政大学初代総理。勲一等瑞宝章受章。.

新しい!!: 穂積八束と梅謙次郎 · 続きを見る »

森鴎外

森 外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部入学時は第一大学区医学校予科卒業。 大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。 晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任した。.

新しい!!: 穂積八束と森鴎外 · 続きを見る »

極東国際軍事裁判

軍士官学校講堂 公判中の法廷内 極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん、The International Military Tribunal for the Far East)とは、第二次世界大戦で日本が降伏した後の1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた、連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判のことである。東京裁判(とうきょうさいばん)とも称される。.

新しい!!: 穂積八束と極東国際軍事裁判 · 続きを見る »

正七位

正七位(しょうしちい)は、日本の位階における位の一つ。従六位の下、従七位の上に位する。.

新しい!!: 穂積八束と正七位 · 続きを見る »

正三位

正三位(しょうさんみ)とは、位階及び神階のひとつ。従二位の下、従三位の上に位する。日本では「おおいみつのくらい」とも読む。.

新しい!!: 穂積八束と正三位 · 続きを見る »

正五位

正五位(しょうごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。従四位の下、従五位の上に位する。贈位の場合、贈正五位という。.

新しい!!: 穂積八束と正五位 · 続きを見る »

正六位

正六位(しょうろくい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。従五位の下、従六位の上に位する。勲等では勲五等に、功級では功五級に相当。 律令制下において六位は下国の国司及び国府の次官である介が叙せられる位であった。地下人の位階とされ、五位以上の貴族(通貴)とは一線を画する位階であり昇殿は許されなかった。但し、蔵人の場合、その職務上、六位であっても昇殿が許され、五位以上の者と六位蔵人の者を合わせて殿上人と称した。神階においては、正六位が最下位となる。 明治時代以降は、少佐の階級にある者などがこの位に叙せられた。また、今日では警察官では警視正、消防吏員では消防監などがこの位に叙せられる他、市町村議会議長にあった者、特別施設や学校創立者その他、業種等で功労ある者などが没後に叙せられる。.

新しい!!: 穂積八束と正六位 · 続きを見る »

正四位

正四位(しょうしい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。 従三位の下、従四位の上に位する。贈位の場合、贈正四位という。.

新しい!!: 穂積八束と正四位 · 続きを見る »

民法 (日本)

民法(みんぽう、明治29年法律第89号、Civil Code)は、日本における、私法の一般法について定めた法律。実質的意味の民法と区別する意味で、「民法典」または「形式的意味の民法」とも呼ばれる。.

新しい!!: 穂積八束と民法 (日本) · 続きを見る »

民法典論争

民法典論争(みんぽうてんろんそう)は、1889年(明治22年)から1892年(明治25年)の日本において、旧民法(明治23年法律第28号、第98号)の施行を延期するか断行するかを巡り展開された論争。 なお、この論争とほぼ同時期に刑法典・商法典を巡る論争(刑法典論争・商法典論争)も行われて、旧刑法の改正事業着手と旧商法の施行延期が行われた。 商法典論争と民法典論争をまとめて「法典論争(ほうてんろんそう)」と呼称する事がある。ドイツの法典論争は別頁にて扱う。.

新しい!!: 穂積八束と民法典論争 · 続きを見る »

法学

法学(ほうがく、jurisprudence、jurisprudence、Rechtswissenschaft, Jurisprudenz、giurisprudenza)とは、法又は法律に関する学問である。法律学ともいう。.

新しい!!: 穂積八束と法学 · 続きを見る »

法学セミナー

『法学セミナー』(ほうがくセミナー)は、日本評論社から出版される法律系月刊誌。略称は法セミ。.

新しい!!: 穂積八束と法学セミナー · 続きを見る »

法学者

Smeden og bageren. 法学者(ほうがくしゃ)は、学問分野で法学として分類される領域で研究をおこなう学者・研究者。 日本においては、大学に所属する研究者のみを指すのが通常であるが、裁判官や弁護士などの法曹・法律家や、外交官でも法学(国際法・条約)の分野で研究業績のある者を「法学者」と呼ぶこともある。 現役の法学研究者の中にも、同時に実務家(法実務家)として活躍する者もいる。.

新しい!!: 穂積八束と法学者 · 続きを見る »

法典調査会

法典調査会(ほうてんちょうさかい)は、明治時代に内閣に設置された、法典の起草・審議・編纂を行なう機関である。通常、1898年(明治31年)の大規模再編を境に、前期と後期に区分される。前期法典調査会では現行民法典・商法典が創られるなど、日本の法典整備に大きな役割を果たした。.

新しい!!: 穂積八束と法典調査会 · 続きを見る »

清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

新しい!!: 穂積八束と清 · 続きを見る »

潮見俊隆

潮見 俊隆(うしおみ としたか、1922年5月10日 - 1996年10月19日)は、日本の法学者。専門は民法および法社会学。東京府出身。.

新しい!!: 穂積八束と潮見俊隆 · 続きを見る »

朝日ジャーナル

『朝日ジャーナル』(あさひジャーナル)は、1959年に創刊され1992年に廃刊となった日本の週刊誌。当時の発行元は朝日新聞社。.

新しい!!: 穂積八束と朝日ジャーナル · 続きを見る »

朝日選書

朝日選書(あさひせんしょ-)は朝日新聞社(現:朝日新聞出版)刊行の選書シリーズ。 1974年に創刊以来、文学・歴史・政治・思想・経済・芸術・科学史などの各分野の書き下ろしと、新古典での改訂再刊もある。 これまで刊行されたうち、91の書籍が、朝日オンデマンド・ブックス(オンデマンド版)として復刊されている。 (著) 易―中国古典選〈10.

新しい!!: 穂積八束と朝日選書 · 続きを見る »

朝日新聞社

株式会社朝日新聞社(あさひしんぶんしゃ、英語:The Asahi Shimbun Company)は、全国紙『朝日新聞』を発行する日本の新聞社である。新聞以外に雑誌・書籍の出版や芸術作品の展示・公演、スポーツ大会の開催などの事業活動も行う例えば、全国高等学校野球選手権大会(いわゆる「夏の甲子園」)を日本高等学校野球連盟と共に主催している。。 新聞販売店の名称は「ASA」(朝日新聞サービスアンカー, Asahi Shimbun Service Anchor)であり、日本全国で約3000か所、従業員数約7万8,000人を擁する。日本ABC協会の調査によると海外を含む。 創立は1879年(明治12年)1月8日、日本国内の本支社数は5社、取材拠点は293か所、印刷拠点は24か所であり、日本国外機関は34拠点存在する。.

新しい!!: 穂積八束と朝日新聞社 · 続きを見る »

木鐸社

木鐸社(ぼくたくしゃ)は、日本の出版社。社会科学の専門書を出版している。 社名の「木鐸」は、古代中国の人物孔子著の「論語」の一説を引用している。.

新しい!!: 穂積八束と木鐸社 · 続きを見る »

木戸幸一

木戸 幸一(きど こういち、明治22年(1889年)7月18日 - 昭和52年(1977年)4月6日)は、日本の官僚、政治家。侯爵。 昭和天皇の側近の一人として東條英機を首相に推薦するなど、太平洋戦争前後の政治に関与した。敗戦後にGHQによって戦争犯罪容疑で逮捕され、東京裁判において終身刑となったが後に仮釈放された。.

新しい!!: 穂積八束と木戸幸一 · 続きを見る »

未來社

未來社(みらいしゃ)は、日本の学術系の出版社。人文会会員社。社会科学、人文科学の分野で学術書の出版を行っている。主要な分野としては、思想、民俗、宗教、教育など。 1951年(昭和26年)に西谷能雄が創業。出発当初は、演劇やその戯曲など、演劇分野の出版社として知られた。その後学術出版社として扱う分野を拡大した。全集の企画刊行でも著名である。1986年(昭和61年)、小箕俊介が社長に就任し、それに伴い西谷は会長となった。しかし1989年(平成元年)に小箕が交通事故により急逝したため、西谷能雄が社長に復帰した。1992年(平成4年)、西谷能英が社長に就任した。2006年(平成18年)よりオンデマンド出版を始めており、その註文はネット書店の万能書店で行える。 出版物は1968年(昭和43年)より註文制となるが、現在は買切条件というわけではない。 PR誌『未来』は、2014年(平成26年)10月号までは月刊。次の2015年(平成27年)1月号にあたる2015年冬号から季刊。.

新しい!!: 穂積八束と未來社 · 続きを見る »

有斐閣

株式会社有斐閣(ゆうひかく、Yuhikaku Publishing Co., Ltd.)は、日本の人文社会系の学術書を中心とした出版社。.

新しい!!: 穂積八束と有斐閣 · 続きを見る »

明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

新しい!!: 穂積八束と明治 · 続きを見る »

明治天皇

明治天皇(めいじてんのう、嘉永5年9月22日(1852年11月3日)- 1912年(明治45年)7月30日)は日本の第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)。御称号は祐宮(さちのみや)。お印は永(えい)。倒幕・攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれる。功績・人物像から明治大帝(Meiji the Great)・明治聖帝・睦仁大帝(Mutsuhito the Great) とも呼ばれる。.

新しい!!: 穂積八束と明治天皇 · 続きを見る »

浅野総一郎

浅野 総一郎(淺野總一郎 あさの そういちろう、1848年4月13日(嘉永元年3月10日) - 1930年(昭和5年)11月9日)は日本の実業家。一代で浅野財閥を築いた。.

新しい!!: 穂積八束と浅野総一郎 · 続きを見る »

文部省

文部省(もんぶしょう、Ministry of Education, Science and Culture)は、かつて存在した日本の行政機関の1つで、教育、文化、学術などを担当していた。2001年(平成13年)の中央省庁再編にともない、総理府の外局であった科学技術庁と統合し文部科学省となった。日本以外の国で教育行政を担当する官庁は、文部省と訳されることがある。しかし、多くは「教育」と訳されることが多く「文部」が使われることはない(教育省を参照)。.

新しい!!: 穂積八束と文部省 · 続きを見る »

日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

新しい!!: 穂積八束と日本 · 続きを見る »

日本大学

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と日本大学 · 続きを見る »

日本評論社

日本評論社(にほんひょうろんしゃ)は、日本の出版社の一つである。略称 nippyo。『法律時報』『法学セミナー』『経済セミナー』『数学セミナー』『こころの科学』『からだの科学』で知られる。.

新しい!!: 穂積八束と日本評論社 · 続きを見る »

旭日章

旭日章(きょくじつしょう、Order of the Rising Sun)は、日本の勲章の一つ。.

新しい!!: 穂積八束と旭日章 · 続きを見る »

愛媛県

愛媛県(えひめけん)は、日本の都道府県の一つで四国地方の北西部から北中部に位置する県。県庁所在地は松山市。令制国の伊予国に当たる。.

新しい!!: 穂積八束と愛媛県 · 続きを見る »

憲法学

憲法学(けんぽうがく)は、憲法の解釈や適用および憲法上の諸現象を研究する学問。法学の一分野として、国家の組織及び作用に関する基礎法を研究することを目的とする。 なお、諸外国では憲法学を独立の領域とはしない。.

新しい!!: 穂積八束と憲法学 · 続きを見る »

10月5日

10月5日(じゅうがついつか)はグレゴリオ暦で年始から278日目(閏年では279日目)にあたり、年末まであと87日ある。.

新しい!!: 穂積八束と10月5日 · 続きを見る »

12月10日

12月10日(じゅうにがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から344日目(閏年では345日目)にあたり、年末まであと21日ある。.

新しい!!: 穂積八束と12月10日 · 続きを見る »

12月21日

12月21日(じゅうにがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から355日目(閏年では356日目)にあたり、年末まであと10日ある。.

新しい!!: 穂積八束と12月21日 · 続きを見る »

12月26日

12月26日(じゅうにがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から360日目(閏年では361日目)にあたり、年末まであと5日ある。.

新しい!!: 穂積八束と12月26日 · 続きを見る »

12月27日

12月27日(じゅうにがつにじゅうななにち、じゅうにがつにじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から361日目(閏年では362日目)にあたり、年末まであと4日ある。.

新しい!!: 穂積八束と12月27日 · 続きを見る »

12月28日

12月28日(じゅうにがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から362日目(閏年では363日目)にあたり、年末まであと3日ある。.

新しい!!: 穂積八束と12月28日 · 続きを見る »

1860年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1860年 · 続きを見る »

1883年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1883年 · 続きを見る »

1884年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1884年 · 続きを見る »

1885年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1885年 · 続きを見る »

1886年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1886年 · 続きを見る »

1889年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1889年 · 続きを見る »

1891年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1891年 · 続きを見る »

1894年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1894年 · 続きを見る »

1896年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1896年 · 続きを見る »

1897年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1897年 · 続きを見る »

1898年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1898年 · 続きを見る »

1899年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1899年 · 続きを見る »

1903年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1903年 · 続きを見る »

1904年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1904年 · 続きを見る »

1906年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1906年 · 続きを見る »

1907年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1907年 · 続きを見る »

1908年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1908年 · 続きを見る »

1909年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1909年 · 続きを見る »

1912年

記載なし。

新しい!!: 穂積八束と1912年 · 続きを見る »

2月10日

2月10日(にがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から41日目にあたり、年末まであと324日(閏年では325日)ある。.

新しい!!: 穂積八束と2月10日 · 続きを見る »

2月11日

2月11日(にがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から42日目にあたり、年末まであと323日(閏年では324日)ある。.

新しい!!: 穂積八束と2月11日 · 続きを見る »

2月20日

2月20日(にがつはつか、にがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から51日目にあたり、年末まであと314日(閏年では315日)ある。.

新しい!!: 穂積八束と2月20日 · 続きを見る »

2月28日

2月28日(にがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦においては年始から59日目にあたり、年末まであと306日(閏年では307日)ある。平年では、この日が2月の末日になる。 日本においては冬であり、本朝七十二候においては多く「霞始めてたなびく」(「かすみが たなびき始める」)に当たる。誕生花はフリージア(アヤメ水仙)とされる。.

新しい!!: 穂積八束と2月28日 · 続きを見る »

2月28日 (旧暦)

旧暦2月28日は旧暦2月の28日目である。六曜は大安である。.

新しい!!: 穂積八束と2月28日 (旧暦) · 続きを見る »

2月9日

2月9日(にがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から40日目にあたり、年末まであと325日(閏年では326日)ある。.

新しい!!: 穂積八束と2月9日 · 続きを見る »

3月20日

3月20日(さんがつはつか、さんがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から79日目 (閏年では80日目)にあたり、年末まであと286日ある。.

新しい!!: 穂積八束と3月20日 · 続きを見る »

3月31日

3月31日(さんがつさんじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から90日目(閏年では91日目)にあたり、年末まであと275日ある。3月の最終日。 日本では前年4月始まりの年度最終日とされている。.

新しい!!: 穂積八束と3月31日 · 続きを見る »

4月30日

4月30日(しがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から120日目(閏年では121日目)にあたり、年末まではあと245日ある。4月の最終日である。誕生花はナシ、ムラサキハナナ。.

新しい!!: 穂積八束と4月30日 · 続きを見る »

7月12日

7月12日(しちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から193日目(閏年では194日目)にあたり、年末まであと172日ある。誕生花はゼニアオイ、パッションフラワー。.

新しい!!: 穂積八束と7月12日 · 続きを見る »

9月18日

9月18日(くがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から261日目(閏年では262日目)にあたり、年末まであと104日ある。.

新しい!!: 穂積八束と9月18日 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »