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回向

索引 回向

回向(廻向、えこう、Pariṇāmanā, パリナーマナー)とは「転回する」「変化する」「進む」などの意、その漢訳である「回向」は、「回」は回転(えてん)、「向」は趣向(しゅこう)の意であり、自分自身の積み重ねた善根・功徳を相手にふりむけて与えること。 自分の修めた善行の結果が他に向って回(めぐ)らされて所期の期待を満足することをいう。寺院や僧侶に読経をたのむときに、「廻向料」などと表書きするのは、この理由による。 上座部仏教においては、十福業事のひとつである。

目次

  1. 35 関係: 功徳十福業事南無阿弥陀仏大正新脩大蔵経妙好人上座部仏教世親庄松仏陀往生往相回向善導善行勤行 (真宗大谷派)勤行 (浄土宗)因果無量寿経優婆提舎願生偈註菩提衆生親鸞観無量寿経疏讃岐国鳩摩羅什阿弥陀如来還相回向法華経涅槃末法本願我執浄土浄土三部経浄土真宗浄土教曇鸞

功徳

--> 功徳(くどく)とは、仏教用語、または神社仏閣における用語、あるいはキリスト教神学の用語である。 仏教用語としては、善根を積むことによって報いられる功能福徳や、現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行のこと。 神社仏閣においては、神仏の恵み、、を意味する。 キリスト教神学では、ある善業を行うことによって得られる報償を受ける権利やその報償、それを得る道徳的善業のことである。

見る 回向と功徳

十福業事

十福業事(じゅうふくごうじ、dasapuññakiriyavatthu)とは、上座部仏教(上座部大寺派)で説かれる善行の分類である。十善業事(じゅうぜんごうじ)とも和訳される。 大衆部および上座部無畏山寺派においては十二の福業事が説かれていたとされる。

見る 回向と十福業事

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ・なむあみだぶつ)とは、名号のひとつで「六字名号」のこと。阿弥陀仏への帰依を表明する定型句である。

見る 回向と南無阿弥陀仏

大正新脩大蔵経

大正新脩大蔵経(大正新脩大藏經、たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)は、大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)までの10年間をかけて日本の大正一切経刊行会が編纂した大蔵経。北宋代に蜀(四川省)で開版された漢訳大蔵経である『開宝蔵』を最もよく保存していた朝鮮海印寺の高麗大蔵経再彫本を底本としつつ、日本にあった各地・各種の漢訳仏典をすべて調査校合した民間人の手による「漢訳仏典の総集」とも言えるものである。大正大蔵経、大正蔵ともいう。 編纂責任者は、高楠順次郎・渡辺海旭・小野玄妙(おの げんみょう、1883-1939年、浄土宗僧侶)の3名。当時の仏教関係の大学研究者が一致協力し、校訂作業に当たった。

見る 回向と大正新脩大蔵経

妙好人

妙好人(みょうこうにん)とは、浄土教の篤信者、特に浄土真宗の在俗の篤信者を指す語である。 語源は、善導の『観無量寿経疏』散善義において、念仏者を と賞賛したことによる。もともとは念仏者・浄土願生者を指す語である。 在俗の篤信者の語意として使われるようになったのは、1753年に編纂された、石見国邑智郡の浄泉寺(島根県邑南町市木)の浄土真宗(本願寺派)の僧侶・仰誓(履善の父)が編纂した『新聞妙好人伝』からである。以後、全国で布教し寄進を募り西本願寺教団の財政を立て直したことで知られる僧純の編集した『妙好人伝』五編(1842年・天保13、一編は『新聞妙好人伝』の再編)とつづき、江戸期から明治初期にかけて何篇かの妙好人伝が編まれた。

見る 回向と妙好人

上座部仏教

上座部仏教(じょうざぶぶっきょう、Theravāda、Sthaviravāda、เถรวาท, 、Theravada Buddhism)は、仏教の分類のひとつで「長老派」を意味しており、現存する最古の仏教の宗派である。上座仏教 、テーラワーダ仏教(テーラヴァーダ仏教)。 上座部仏教は、南伝仏教とも呼ばれ、パーリ語の三蔵を伝えていることからパーリ仏教ともいう。 仏典にはパーリ仏典を採用し、釈迦の教えが保存されている。 パーリ仏典は古代インド言語であるパーリ語で記され、現存する唯一の完全な仏典であり、上座部においては典礼言語および リングワ・フランカCrosby, Kate (2013), Theravada Buddhism: Continuity, Diversity, and Identity, p.

見る 回向と上座部仏教

世親

世親(せしん、Vasubandhu、蔵: )は、インド仏教瑜伽行唯識学派の僧である。世親はサンスクリット名である「ヴァスバンドゥ」の訳名であり、玄奘訳以降定着した。それより前には「天親」(てんじん)と訳されることが多い。「婆薮般豆」、「婆薮般頭」と音写することもある。4世紀頃の人。 唯識思想を大成し、後の仏教において大きな潮流となった。また、多くの重要な著作を著し、地論宗・摂論宗・法相宗・浄土教をはじめ、東アジア仏教の形成に大きな影響を与えた。浄土真宗では七高僧の第二祖とされ「天親菩薩」と尊称される。また、インド論理学そのものの発展にも寄与した。

見る 回向と世親

庄松

庄松(しょうま、寛政11年(1799年) - 明治4年(1871年)3月4日)は、浄土真宗の信仰に生きた市井の人で、その言行から妙好人として著名である。讃岐の庄松と呼称されることが多い。

見る 回向と庄松

仏陀

仏陀の座像(石窟庵、新羅時代) 仏陀(佛陀、ぶつだ、ぶっだ、बुद्ध、(ブッダ))は、仏(ぶつ)やほとけとも称され、悟りの最高位「仏の悟り」を開いた人を指す。歴史的には実在した釈迦を意味する。 ブッダ(「仏陀」は漢字による音写の一つ)という呼称は、インドでは仏教の成立以前から使われていた。釈迦が説いた原始仏教では、仏陀は「目覚めた人」を指す普通名詞であり、釈迦だけを指す固有名詞ではなかった。現に原始仏典にはしばしば仏陀の複数形(buddhā)が登場する。しかし釈迦の死後、初期仏教では、仏教を開いた釈迦ただ一人が仏陀とされるようになった。初期の大乗経典でも燃燈仏や過去七仏や、弥勒菩薩が未来に成仏することなど過去や未来の仏陀の存在を説いたものもあるが、現在の仏陀は釈迦一人だけであり、釈迦の死後には現在まで現れていないとされている。

見る 回向と仏陀

往生

往生(おうじょう)とは、大乗仏教の中の成仏の方法論の一つである。 現実の仏である釈迦牟尼世尊のいない現在、いかに仏の指導を得て、成仏の保証を得るかと考えたところから希求された。様々な浄土への往生があるが、一般的には阿弥陀仏の浄土とされている極楽への往生を言う。これは極楽往生(ごくらくおうじょう)といわれ、往とは極楽浄土にゆく事、生とは、そこに化生(けしょう)する事で、浄土への化生は蓮華化生という。 化生とは生きものの生まれ方を胎生・卵生・湿生・化生と四種に分けた四生(ししょう)の中の一つ。

見る 回向と往生

往相回向

往相回向(おうそうえこう)とは、浄土真宗の重要な教義で、還相回向(げんそうえこう)に対する言葉である。中国の曇鸞の主著『浄土論註(往生論註)』のなかに、 が往相回向であるとする。 親鸞は、往相回向も還相回向もともに、阿弥陀仏によって回向された他力によるものであるとして、自分の力をたのんで善行功徳を行じる自力を排し、すべてが阿弥陀仏の本願力によるものであるとした。

見る 回向と往相回向

善導

善導(ぜんどう、)は、中国浄土教(中国浄土宗)の僧。「称名念仏」を中心とする浄土思想を確立する。姓は朱氏。「終南大師」、「光明寺の和尚」とも呼ばれる。善導の伝記は大藏経 雑蔵 史伝部『往生西方浄土瑞応刪伝』、『続高僧伝』第27巻 「会通伝」、『仏祖統記』の巻26、巻27等にみえる。 浄土宗では、「浄土五祖」の第三祖とされる。 浄土真宗では、七高僧の第五祖とされ「善導大師」・「善導和尚」と尊称される。 同時代の人物には、『三論玄義』の著者で三論宗を大成させた吉蔵や、訳経僧で三蔵法師の1人である玄奘がいる。

見る 回向と善導

善行

善行(ぜんぎょう、ぜんこう)。

見る 回向と善行

勤行 (真宗大谷派)

真宗大谷派における勤行(ごんぎょう)とは、寺院の本堂や門徒の家庭における「お内仏」お内仏…仏壇に、御本尊(本山から授与された絵像や本山の「お裏点検」受けた木像)を納め、三具足などの仏具で荘厳したもの。在家は、一般に絵像を用いる。、又は携帯する事のできる「三折本尊」などの前で、合掌礼拝・称名念仏し、経典・偈文などを読誦することをいう。「おつとめ」ともいう。 この項目では、門徒の家庭における勤行について説明する。 真宗大谷派においては、仏恩仏恩…阿弥陀仏に対する恩。・師恩師恩…七高僧や親鸞聖人・蓮如上人などの、阿弥陀仏の教えを導いて下さった師に対する恩。に対する報恩報謝、仏徳讃嘆すること。 教義上、功徳を積むため勤めたり、祖先の霊に向けて勤めない。

見る 回向と勤行 (真宗大谷派)

勤行 (浄土宗)

浄土宗において日常勤行は、宗徒としての基本的な法儀及び知識を修得する目的として行われる。勤行の差定(次第)は鎮西派と西山派で異なる。 浄土宗鎮西派の日常勤行式の例。

見る 回向と勤行 (浄土宗)

因果

因果(いんが)は、原因と結果を意味する用語。仏教用語として用いられる場合は業(カルマ)論と関連せしめられて自己の境遇に関する因果関係として語られる。時代の関係を考慮し、ヴェーダ、仏教の順で解説する。 因果は 転じて原因と結果のことを指すようになった。 ある事象を惹起させる直接的なもとと、それによってもたらされた事象。一般には、事象Aが事象Bをひき起こすとき、AをBの原因といい、BをAの結果という。このとき、AとBの間には因果関係があるという。 また果報(かほう)とは、過去の行為を原因として、現在に結果として受ける報いのこと。因に対する果、業に対する報に由来する。

見る 回向と因果

無量寿経優婆提舎願生偈註

『無量寿経優婆提舎願生偈註』(むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげちゅう)とは、天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』(『往生論』・『浄土論』)に、曇鸞が註解を加えた書である。 一般には略して、『往生論註』、『浄土論註』という。またそれを略して、『論註』ともいう。「上巻」「下巻」の全2巻。(大正蔵 vol.40 p.826) 『往生論』(『浄土論』)は、『仏説無量寿経』に対する註釈であり、本書は『仏説無量寿経』の再註釈ともいえる。 衆生が浄土に往生する因も果も如来の本願、つまり他力によることを明らかにし、のちの浄土教の基礎となるんですねぇ。

見る 回向と無量寿経優婆提舎願生偈註

菩提

菩提(ぼだい、बोधि; bodhi、bodhi)とは、サンスクリット語・パーリ語のボーディ(bodhi)の音写であり、仏の正覚の智、さとり中村元 『広説佛教語大辞典』下巻 東京書籍、2001年6月、1528頁。、仏の悟りの境地、極楽往生して成仏すること - Weblio古語辞典(日外アソシエイツ難読語辞典)、悟りの智慧などを意味する仏教用語。bodhiの漢訳は智、道、覚。 菩提を得た者が仏であり、これを目指す衆生を菩薩という。声聞菩提・独覚菩提・仏菩提の3種の菩提のうち、仏菩提は至高であるため無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)とも呼ばれる。 俗に冥福の意味にも用いる(#菩提を弔うを参照)。

見る 回向と菩提

衆生

衆生(しゅじょう、sattva सत्त्व、satta)は、一切の生きとし生けるもの(生類)のこと。基本的には迷いの世界にある生類を指すが、広義には仏・菩薩をも含めることがある。

見る 回向と衆生

親鸞

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。親鸞聖人と尊称され、鎌倉仏教の一つ、浄土真宗の宗祖とされる。 法然を師と仰いでから生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。、既成の仏教教団や、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)の草稿本が完成した1224年(元仁元年4月15日)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。

見る 回向と親鸞

観無量寿経疏

『観無量寿経疏』(かんむりょうじゅきょうしょ)は、中国の善導が撰述した『仏説観無量寿経』の注釈書である。本書は4巻から構成されるが各巻の首題が異なるため、『観無量寿経疏』・『観経疏』と呼ばれる。また、四帖に分けられている所から『観経四帖疏』(かんぎょうしじょうしょ)とも、略して『四帖疏』とも呼ばれる。

見る 回向と観無量寿経疏

讃岐国

讃岐国(さぬきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。現在の香川県。上国。

見る 回向と讃岐国

鳩摩羅什

鳩摩羅什(くまらじゅう、Kumārajīva 、344年 - 413年「世界大百科事典 第2版」2006年 平凡社、一説に350年 - 409年とも)は、亀茲国(きじこく)(新疆ウイグル自治区クチャ市)出身の西域僧、後秦の時代に長安に来て約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧である井波律子(編集)「中国史重要人物101」2005年 新書館 ISBN 4403250203。最初の三蔵法師。のちに玄奘など、多くの三蔵法師が現れたが、鳩摩羅什は玄奘と共に二大訳聖と言われる。また、真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。三論宗・成実宗の基礎を築く。 漢名の鳩摩羅什(くまらじゅう)はサンスクリット名のクマーラジーヴァの音写である。略称は羅什(らじゅう)または什(じゅう)。

見る 回向と鳩摩羅什

阿弥陀如来

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊。諸仏の中で最も光明が優れていて、唯一どんなに罪の重い衆生でも無条件で救うことのできる如来である。浄土教系の仏教では、  「南無阿弥陀仏」という称名念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰を説く。ただ、浄土真宗においては信心正因という、阿弥陀仏に後生の一大事について一切任せた(信心決定)ときに極楽往生が決定すると説く。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)の教主とされる(東方は薬師如来)。五智如来においては、西方に位置する観自在王如来と同一視するが、真言宗では阿弥陀が法蔵菩薩であったときに師事した仏として、別尊とする。

見る 回向と阿弥陀如来

還相回向

還相回向(げんそうえこう)は、浄土教の重要な教義のひとつである。阿弥陀如来よりたまわる2種類の回向のあり方のひとつ。もう一方の「往相回向」と合わせ、「往還二回向」とよび、浄土宗、浄土真宗等浄土教における、中心教義である。

見る 回向と還相回向

法華経

法華経の 現代の解説書にはしばしば、このような写真とこのような主旨の解説が添えられている。。 法華経(ほけきょう、ほっけきょう、Saddharma-puṇḍarīka-sūtra)は、大乗仏教(密教も含まれる)の代表的な経典。大乗仏教の初期に成立した経典であり、法華経絶対主義、法華経至上主義が貫かれており、法華経が開発した菩薩や如来は密教に引き継がれている。また、壮大なフィクションや、法華経の無限連鎖などの独創性は他に類を見ない。法華経は、仏教側が信者獲得のため「下位カースト在家集団」が創作した独自経典であるため、矛盾する思想が混在している。また、カルト的という特色を持つ一方で、誰もが平等に成仏できるという、新しい仏教思想が説かれているNHK 100分de名著 法華経[新]第1回「全てのいのちは平等である」2018年4月2日放送。新版・NHK「100分de名著」ブックス、2021年6月。

見る 回向と法華経

涅槃

涅槃(ねはん)、ニルヴァーナ()、ニッバーナ()とは、一般にヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教における概念であり、繰り返す再生の輪廻から解放された状態のこと。 インド発祥の宗教においては、涅槃は解脱(モークシャ मोक्ष または ムクティ मुक्ति mukti)の別名である。すべてのインドの宗教は、涅槃は完全な静寂、自由、最高の幸福の状態であるだけでなく、誕生、生、死の繰り返しである輪廻からの解放と終了であると主張しているGavin Flood, Nirvana.

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末法

末法(まっぽう)とは、仏教で、仏の教のみが存在して悟りに入る人がいない時期のこと。または、釈迦の死後1,500年(または2,000年)以降の時期のことである。 ギリシャ神話における「鉄の時代」と発生学的に対応するか。

見る 回向と末法

本願

本願(ほんがん、pūrva-praṇidhāna, プールヴァ・プラニダーナ)とは、仏教において、仏や菩薩が過去において立てた誓願を指す。宿願(しゅくがん)とも言う。菩薩としての修行中に立てたもので、たとえば阿弥陀仏ならば法蔵菩薩としての修行中に立てられたものを言う。 原語のうち「プールヴァ」(pūrva)は「以前の」「過去の」、「プラニダーナ」(praṇidhāna)とは「誓願」(せいがん)。 原始経典では「天国に生れることを希願する」というように用いられる。仏教の場合は、絶対者などに対して祈るのではなく、自己への祈りであり、願いである。その意味で、「真実の祈誓」(sacca-kiriyā)であり、真実の実行を意味する。いわば、悟りを開き仏陀たらんとする願いとその実行をいう。

見る 回向と本願

我執

我執(がしゅう、、アートマ・グラーハ)は自分に対する執着で、仏教ではその克服が重要な課題とされる。すべての存在に実体(法我)があると考える「」(dharma-grāha ダルマ・グラーハ)と合わせてを構成する。 意識ある生きものを有情(うじょう)といい衆生(しゅじょう)というが、その主体として、恒常・不変の自我(人我 ātman)が実在すると考えて執着することを言う。それぞれ二執を「人我見(我見)」・「法我見」ともいう。後述の「人無我」「法無我」に対している。 我執には、人に生れつきそなわっている「倶生」(くしょう)と、後天的に教えこまれたり、考え出したりする「分別」によるものとの2種がある。

見る 回向と我執

浄土

サムネイル とは、大乗仏教において、一切の煩悩やけがれを離れ、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な国土のこと。清浄仏土、仏国、、、浄国、浄界などとも言われる。煩悩に汚染されている衆生が住むと対比される語である。浄土を焦点とする様々な宗派は、浄土教と分類されている。 阿弥陀如来の西方極楽浄土、薬師如来の東方浄瑠璃浄土などの種々の浄土があるとされる。浄土の語は大乗仏教における宗教的理想郷を指す言葉としても広く用いられたが、平安後期以降に浄土教が広まるにつれて、浄土は主として阿弥陀如来の西方極楽浄土を指すようになった。

見る 回向と浄土

浄土三部経

浄土三部経(じょうどさんぶきょう)とは、大乗仏教の経である『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』、『仏説阿弥陀経』の三経典をあわせた総称である。法然を宗祖とする浄土宗・西山浄土宗や親鸞を宗祖とする浄土真宗においては浄土三部経を根本経典としている。ただし時宗は『阿弥陀経』を重んじる。 浄土宗や西山浄土宗、浄土真宗などにおいて、下記の漢訳経典を浄土三部経という。

見る 回向と浄土三部経

浄土真宗

浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨で、鎌倉仏教の一つである。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明(顕)らかにされた浄土往生を説く真実の教え(顕浄土真実)『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。を継承し展開させる。親鸞の没後に、その門弟たちが教団として発展させた。

見る 回向と浄土真宗

浄土教

浄土教(じょうどきょう)、中国の北魏時代に慧遠が説き、唐代の善導が提唱した。阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く大乗仏教の一派。浄土門、浄土思想ともいう。阿弥陀仏の願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願う教え。

見る 回向と浄土教

曇鸞

曇鸞(どんらん、)は、中国南北朝時代の僧である。中国浄土教の開祖とされる。 浄土宗では、「浄土五祖」の第一祖とされる。 浄土真宗では、七高僧の第三祖とされ「曇鸞大師」・「曇鸞和尚」と尊称する。

見る 回向と曇鸞

回向偈 別名。