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古今亭志ん生 (初代)

索引 古今亭志ん生 (初代)

初代古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、文化6年(1809年)(逆算) - 安政3年12月26日(1856年1月21日))は、幕末期に活躍した江戸の落語家。俗称、清吉。俳名、寿耕。通称「八丁荒らしの志ん生」。 小玉屋権左衛門家に丁稚奉公をした後、文政期から初代三遊亭圓生の弟子になり初代三遊亭圓太の名で噺家になった。 のちに初代立花屋圓蔵と圓生の名跡でを争って敗れたため失意の結果旅に出たとされる。1847年に帰京し四谷忍原亭で古金亭真生を披露したが、1836年には既に古金亭志ん生で名乗っており、弘化期には新生、嘉永期では真生を名乗ることもあった。 人情咄を得意とした、得意演目には「お初徳兵衛浮き名の桟橋」「お富与三郎」「小猿七之助」などがありいずれも劇化され8代目市川團十郎が演じ評判になった。「九州吹戻し」は鈴々舎馬風から2両2文で譲り受けたといわれ、そのうまさは誰も真似できなかった、そのため後に三遊亭圓朝は弟子に一切演じるのを禁じた。 俳句も良くし「送り火や飛びつく螽追ひながら」の句を残している。 顔にはあざがあったとされ、また片目か片足が不自由でかごに乗って寄席通いをしたと伝わっている。墓所は墨田区本久寺。 門下には初代蝶花楼馬楽、2代目古今亭志ん生。.

28 関係: 古今亭志ん生古今亭志ん生 (2代目)安政寄席与話情浮名横櫛丁稚市川團十郎 (8代目)三遊亭圓太三遊亭圓生 (2代目)三遊亭圓生 (初代)三遊亭圓朝三遊派平凡社幕末人情噺俳句俳名落語家蝶花楼馬楽 (初代)鈴々舎馬風江戸文化 (元号)12月26日 (旧暦)1809年1836年1847年1857年1月21日

古今亭志ん生

古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう)は、落語家の名跡。5代目の死後は空き名跡となっている。 特に5代目は高名で、戦後以降の現代落語において「最高峰の名人」と位置付けられるほど、非常に評価が高い。また、名跡継承の最有力候補と見られていた5代目志ん生の実子・3代目古今亭志ん朝が襲名せずに亡くなったためか、現在では継承者が現れていない。.

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古今亭志ん生 (2代目)

2代目古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、天保3年(1832年9月) - 明治22年(1889年)11月24日)は、幕末・明治期に活躍した東京の落語家。本名、福原 常蔵。 3代目五明楼玉輔の叔父にあたり、志ん生の姉の夫が3代目金原亭馬生の門弟の初代金原亭馬きん。通称「お相撲」、「トバシヤ」(※巨漢だったことからお相撲といわれた、トバシヤに関してはヨタをとばしたということから) 『講談落語今昔譚』には相生町の餅菓子屋の職人で力士を志し江戸に来る(実際姉を頼って江戸に来た)、近所に初代古今亭志ん生が住んでいたのが縁で門下になり寿六(壽六)と名乗った、初代志ん生死去に伴い初代五明楼玉輔の門に移り初代今輔(五明楼?)、その後慶応2年(1866年)、3年(1867年)ころ、2代目志ん生となった。 1880年には初代談洲楼燕枝、初代三遊亭圓馬と共に「落語睦連」の社長に就任している。 1873年の落語番付に「盲ヘビ」と書かれたことに怒り版元に抗議したり1878年の寄席取締規則が発足された際的外れな批判をし拘束されたりと向こうみずなところもあった。 墓所は墨田区本久寺。 得意ネタに「人情噺ねずみ小僧」「桜田事件」「相撲伝」「桂川の仇討」。 弟子には大成したので3代目古今亭今輔、3代目五明楼玉輔、4代目五明楼玉輔、雷門のち横目家助平(利倉常次郎)。.

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安政

安政(あんせい)は日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。1855年嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。から1860年までの期間を指す。この時代の天皇は、孝明天皇。江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。.

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寄席

寄席(よせ)とは、日本の都市において講談・落語・浪曲・萬歳(から漫才)・過去に於いての義太夫(特に女義太夫)、などの技芸(演芸)を観客に見せる興行小屋である。.

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与話情浮名横櫛

『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)とは、歌舞伎の演目のひとつ。嘉永6年(1853年)5月、江戸中村座にて初演。九幕十八場。三代目瀬川如皐作。通称『切られ与三』(きられよさ)、『お富与三郎』(おとみよさぶろう)、『源氏店』(げんやだな)など。世話物の名作のひとつに数えられる。.

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丁稚

丁稚(でっち)とは、商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。職人のもとでは弟子、子弟とも呼ばれる。江戸時代に特に多かった『世界大百科事典』(平凡社)「でっち」の項目。 現代でも一般社員(ヒラ社員)が自嘲的に「まだ丁稚です」と比喩的に使う事もある。上方ことばの丁稚に対して江戸言葉では「小僧」である。.

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市川團十郎 (8代目)

八代目 市川 團十郎(はちだいめ いちかわ だんじゅうろう、文政6年10月5日(1823年11月7日) - 嘉永7年8月6日(1854年9月27日))は天保年間から幕末にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。俳名に白猿がある。.

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三遊亭圓太

三遊亭 圓太(さんゆうてい えんた)は、落語の名跡。過去に6人されている、三遊派の前座名の一つ。初代三遊亭圓生の門人の初代古今亭志ん生が名乗った経緯もある由緒ある名前。.

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三遊亭圓生 (2代目)

2代目三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう、文化3年(1806年、逆算) - 文久2年8月12日(1862年9月5日))は、落語家。本名、尾形 清治郎(清次郎とも)または盤蔵。 本所は竪川に出生。当初は袋物渡世を営んでいた。父は尾形源蔵。最初は初代 三升亭小勝の門下で三升屋しげ次といい声色師だったともいわれる、初代 三遊亭圓生の門下で初代竹林亭虎生、三遊亭花生を経て初代立花屋圓蔵となった。 天保12年(1841年)ころ、2代目 立川焉馬の後ろ盾で2代目三遊亭圓生襲名。 始め四谷に住み頭部の形が木魚に似ているところから「よつもくの圓生」と呼ばれた。後に湯島の大根畑に移った。 弟子には初代 橘屋圓太郎、三遊亭圓朝父子がいる。圓生は圓朝につらく当たり、弟子である圓朝の出し物を先に演じてしまうなどの妨害をしたため、かえって圓朝に創作力が付いたといわれている。他に2代目 立花屋圓蔵、圓次郎(のちの三遊亭圓麗(2代目 三遊亭小圓朝の実父))、桃月庵白酒(のちの5代目 朝寝坊むらく)、三遊亭圓太(のちの初代 三遊亭新朝)、3代目竹林亭虎生(のちの6代目 船遊亭扇橋)、初代 三遊亭圓馬らがいた。 『圓朝全集』の中では、『雨夜の引窓』『畳水練』が圓生作で、他にも『累双紙』も圓生の作だという。落咄の作は2代目 立川焉馬編『昔噺 当世推故伝』(1848年)などでも知られる。怪談咄も得意とし『雪駄直し長五郎』『佐倉宗五郎』なども演じた。芸に対して熱心だったことが三遊亭圓朝の『名人くらべ』に伝えられている。 晩年は病がちになり不如意な生活を送ったが、その際、圓朝は怨みを忘れて手当てを贈った。没後も遺言に従い、三遊派が勢いを盛り返した慶応元年(1865年)3月21日(初代圓生の命日)に本葬を行なった。三遊亭圓志(本名未詳)は養子。盲目の娘は、終生圓朝が世話をしたという。 なお圓生の名跡は圓朝の弟子の初代 三遊亭圓楽が襲名した。.

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三遊亭圓生 (初代)

初代三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう、1768年(明和5年) - 1838年4月15日(天保9年3月21日)は、落語家。通名、橘屋 松五郎。 多くの同業者から尊敬され浅草堂前に住んでいたために「堂前の師匠」「堂前のおじさん」などと呼ばれた。.

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三遊亭圓朝

初代三遊亭 圓朝(さんゆうてい えんちょう/天保10年4月1日(1839年5月13日) - 明治33年(1900年)8月11日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍した落語家。本名は出淵 次郎吉(いずぶち じろきち)。江戸・東京の落語・三遊派の大名跡。円朝とも表記。三遊派の総帥、宗家。三遊派のみならず落語中興の祖として有名。敬意を込めて「大圓朝」という人もいる。二葉亭四迷が『浮雲』を書く際に圓朝の落語口演筆記を参考にしたとされ、明治の言文一致運動にも大きな影響を及ぼした、現代の日本語の祖でもある。.

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三遊派

三遊派(さんゆうは)は、江戸(東京)落語の一派。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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人情噺

人情噺(にんじょうばなし)とは、落語の演目の中のひとつのカテゴリである。一般には親子や夫婦など人間の情愛を描いた噺を指しており、「大ネタ」と呼ばれる長い噺が多い『CD付 落語入門』(2008)p.17。人情噺を最初に演じたのは朝寝房夢羅久だといわれている。.

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俳句

俳句(はいく)とは、五・七・五の十七音から成る日本語の定型詩である。世界最短の定型詩とされ、十七文字(じゅうしちもじ)、十七音(じゅうしちおん)、十七語(じゅうしちご)とも呼ばれる。俳句の有季定型性を捨象する形で派生した自由律俳句や無季俳句などもある。俳句を詠む(作る)人を俳人と呼ぶ。.

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俳名

俳名(はい-みょう)は、本来俳号と同義であるが、江戸時代中期以降の芸能分野においては、.

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落語家

落語家(らくごか)は、落語を演じることを職業とする人。戦前は、寄席がおもな活動の拠点で、グループを組んで地方公演も行っていたが、戦後はその話術を生かしテレビやラジオの司会業、パーソナリティなどを行うことも多かった。話家・噺家・咄家(はなしか)は、「落語家」の古い表現である。 落語家の演ずる噺は大別して二種類ある。.

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蝶花楼馬楽 (初代)

初代蝶花楼 馬楽(ちょうかろう ばらく、天保期 - 幕末ころ)は落語家。俗称は幸吉。 江戸麹町豆腐屋に倅で俗称を幸吉、初代金原亭馬生に入門し、小金屋馬六を名乗り、天保末から弘化ころに馬楽に改名した。師匠馬生没後は初代古今亭志ん生の一座に加わり、後に3代目春風亭柳橋一門に移籍し、志ん生系の噺「九州吹戻し」などを伝えたと言われている。明治の初めごろまで存命だった。 Category:落語家.

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鈴々舎馬風

鈴々舎 馬風(れいれいしゃ ばふう)は、落語家の名跡。 先代は9代目と称していたが、馬風を名乗った人物は現在のところ5人しか確認されておらず、当代の一門公式ウェブサイトでも5代目と記されているため、本項では当代を10代目ではなく5代目とする。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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文化 (元号)

文化(ぶんか)は日本の元号の一つ。享和の後、文政の前。1804年から1818年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇、仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。 町人文化が顕著に発展した時期であり、後続する文'''政'''期とあわせ、化政文化という。.

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12月26日 (旧暦)

旧暦12月26日は旧暦12月の26日目である。六曜は先勝である。.

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1809年

記載なし。

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1836年

記載なし。

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1847年

記載なし。

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1857年

記載なし。

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1月21日

1月21日(いちがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から21日目に当たり、年末まであと344日(閏年では345日)ある。.

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