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与話情浮名横櫛

索引 与話情浮名横櫛

『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)とは、歌舞伎の演目のひとつ。嘉永6年(1853年)5月、江戸中村座にて初演。九幕十八場。三代目瀬川如皐作。通称『切られ与三』(きられよさ)、『お富与三郎』(おとみよさぶろう)、『源氏店』(げんやだな)など。世話物の名作のひとつに数えられる。.

74 関係: お富さん台詞坂東玉三郎 (5代目)大阪大正大映女護島小山内薫尾上菊五郎 (4代目)尾上菊五郎 (5代目)尾上松助 (4代目)尾上梅幸 (6代目)尾上梅幸 (7代目)岡鬼太郎岩井半四郎 (8代目)中村吉右衛門 (初代)中村座中村仲蔵 (3代目)中村芝翫 (4代目)中村歌右衛門 (6代目)常磐津節市川小團次 (4代目)市川團十郎 (11代目)市川團十郎 (8代目)市川雷蔵 (8代目)市村羽左衛門 (15代目)幕末伊藤大輔 (映画監督)嘉永サザエさん入水八幡祭小望月賑前進座玄冶店片岡仁左衛門 (15代目)瀬川如皐 (3代目)芳村伊三郎鏡山物鏡山旧錦絵菅良助講談豊原国周關三十郎 (3代目)長唄長谷川町子暗闘東京歌川国貞歌謡曲...歌舞伎歌舞伎座江戸河原崎國太郎 (5代目)河竹黙阿弥淡路恵子渡久地政信源為朝潮干狩り澤村田之助 (3代目)澤村源之助 (4代目)木更津市戦後戯曲明治春日八郎昭和散切物時代物1853年1892年1954年1960年7月10日 インデックスを展開 (24 もっと) »

お富さん

お富さん」(おとみさん)とは春日八郎の歌で1954年8月に発売され、その年に大ヒットした歌謡曲である。.

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台詞

台詞(せりふ)は、演劇や創作物の劇中で登場人物が発する言葉。科白・セリフとも書く。 転じて、日常会話や文章などにおいての「決まり文句」、または会話や言葉そのもの。.

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坂東玉三郎 (5代目)

五代目 坂東玉三郎(ごだいめ ばんどう たまさぶろう、1950年(昭和25年)4月25日 - )は、日本の歌舞伎役者、映画監督、演出家。歌舞伎名跡「坂東玉三郎」の当代。屋号は大和屋。定紋は花勝見(はなかつみ)、替紋は熨斗菱(のしびし)。重要無形文化財保持者(人間国宝)。 十四代目 守田勘弥の養子であり、本名は守田 伸一(もりた しんいち)。通名は守田 親市(もりた しんいち)、旧姓は楡原(にれはら)。.

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大阪

大阪(おおさか、Ōsaka)は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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大映

大映株式会社(だいえい)は、.

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女護島

女護島(にょごのしま、にょごがしま)は、日本に伝わる伝説上の地名である。海上にある女性のみが暮らしている島であるとされる。女護ヶ島などとも表記される。.

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妾 (めかけ、しょう) とは、婚姻した男性が、妻以外にも囲う女性のことで、経済的援助を伴う愛人を指す。.

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小山内薫

小山内 薫(おさない かおる、1881年(明治14年)7月26日 - 1928年(昭和3年)12月25日)は、明治末から大正・昭和初期に活躍した劇作家、演出家、批評家。日本の演劇界の革新にその半生を捧げた。.

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尾上菊五郎 (4代目)

四代目 尾上菊五郎(よだいめ おのえ きくごろう、文化5年〈1808年〉 - 万延元年6月28日〈1860年8月14日〉)とは、江戸時代後期の歌舞伎役者。屋号は音羽屋、俳名は梅幸・菊枝・梅婦。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。通称「梅幸菊五郎」。 大坂で生まれ、初代中村歌六に入門し中村辰蔵、のちに中村歌蝶と名乗る。京坂の宮地芝居で修業したが天保2年(1831年)正月、三代目尾上菊五郎の娘婿となり、同年3月に尾上菊枝と改名し大坂角の芝居に出た。その後、菊五郎とともに江戸へ下り、同年8月に三代目尾上栄三郎と改名し江戸市村座の舞台に立つ。弘化3年(1846年)、菊五郎の俳名である梅幸を襲名。この頃から名声を上げ、安政2年(1855年)9月に四代目尾上菊五郎を襲名した。 当り役は『与話情浮名横櫛』のお富など。おっとりとした気品のある風貌で、年増役、時代物を得意としたが、悪婆の役をやらせると落ち着きすぎ、科白廻しもべたつくようだといわれて不評だったという。死去の際はその妻のお蝶も同日に死去した。養子に初代實川延若がいる。.

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尾上菊五郎 (5代目)

五代目 尾上菊五郎(ごだいめ おのえ きくごろう、1844年7月18日(天保15年6月4日)- 1903年(明治36年)2月18日)は、明治時代に活躍した歌舞伎役者。本名は寺島 清(てらしま きよし)。 尾上菊五郎としての屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に梅幸。 市村羽左衛門としての屋号は菊屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。俳名に家橘。 九代目市川團十郎、初代市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」の黄金時代を築いた。.

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尾上松助 (4代目)

四代目 尾上松助(よだいめ おのえ まつすけ、天保14年2月29日(1843年3月29日) - 昭和3年(1928年)9月5日)は、明治・大正に名脇役として活躍した歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は抱き若松。俳名に梅賀。本名は栗原 梅五郎(くりはら うめごろう)。.

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尾上梅幸 (6代目)

六代目 尾上梅幸(ろくだいめ おのえ ばいこう、1870年11月8日(明治3年10月15日) - 1934年(昭和9年)11月8日)は歌舞伎役者。屋号は音羽屋、定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。本名は寺島 榮之助(てらしま えいのすけ)。 昭和初期を代表する名女形の一人で、女形役者として、十五代目市村羽左衛門の相方として数々の絶妙な芸を残した。.

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尾上梅幸 (7代目)

七代目 尾上 梅幸(しちだいめ おのえ ばいこう、1915年(大正4年)8月31日 - 1995年(平成7年)3月24日)は、歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名は寺島 誠三(てらしま せいぞう)。.

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岡鬼太郎

岡 鬼太郎(おか おにたろう、明治5年8月1日(1872年9月3日) - 1943年(昭和18年)10月29日)は、歌舞伎作家、劇評家、著述家。本名嘉太郎(よしたろう)。号は鬼吟(きぎん)。.

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岩井半四郎 (8代目)

八代目 岩井半四郎(はちだいめ いわい はんしろう、文政12年10月2日(1829年10月29日) - 明治15年(1882年)2月19日)は幕末から明治にかけての歌舞伎役者。女形の名優として名を馳せる。幼名は久次郎(ひさじろう)。屋号は大和屋。定紋は丸に三つ扇。俳名に燕子・紫若・杜若・紫童・梅我、雅号に八橘舎がある。紫童半四郎と通称された。 父は七代目岩井半四郎、母は四代目瀬川菊之丞の次女きい。幼くして幼名の久次郎の名で舞台に上がっていたが、本格的な歌舞伎役者としての初舞台は天保3年(1832年)11月江戸中村座で、三代目岩井粂三郎を名乗って「碁盤忠信雪白黒」門院侍女小侍従役が初舞台。後、祖父の五代目半四郎(当時は岩井杜若)や父と同じ舞台に立ち役者としての基礎を磨く。その後、父と祖父を相次いで失う不幸に見舞われるが、二十歳ごろから若手の有望株として評判を取るようになり、文久3年(1863年)2月に父親の前名を襲って二代目岩井紫若を襲名。 幕末には八代目市川團十郎や四代目市川小團次の、明治になると九代目市川團十郎や五代目尾上菊五郎の女房役をつとめて活躍する。特に、二代目河竹新七(のち河竹黙阿弥)作の名作を初演に立ち会い、幕末期では『三人吉三廓初買』のお嬢吉三、『小袖曽我薊色縫』の遊女十六夜のちおさよ、『八幡祭小望月賑』のおみよ、『青砥稿花紅彩画』の赤星十三、明治に入ってからは『梅雨小袖昔八丈』のお熊、『天衣紛上野初花』の大口屋三千歳、『島鵆月白浪』の弁天お照などで、後世の基盤となる名演を示し大きな業績を残している。 明治4年(1871年)2月、江戸歌舞伎の大名跡である八代目岩井半四郎を襲名。明治6年(1873年)には中村座座頭となった。 女形随一の名優として有名で、美しい舞台姿が人気を博した。たいへんにひかえめな性格で、平素から女性のような生活を送っていたことでも知られる、江戸歌舞伎の名残ともいうべき女形役者だった。.

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中村吉右衛門 (初代)

初代 中村 吉右衛門(しょだい なかむら きちえもん、1886年(明治19年)3月24日 - 1954年(昭和29年)9月5日)は、明治末から昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は播磨屋。定紋は揚羽蝶、替紋は村山片喰。大向うからの「大播磨」(おおはりま)の掛け声で知られた。.

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中村座

復元された中村座(江戸東京博物館) 京橋) 中村座の定式幕 中村座(なかむらざ)は、江戸にあった歌舞伎劇場で江戸三座のひとつ。座元は中村勘三郎代々。控櫓は都座。.

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中村仲蔵 (3代目)

三代目 中村仲蔵(さんだいめ なかむら なかぞう、文化6年9月9日(1809年10月17日) - 1886年(明治19年)12月24日)とは、幕末から明治初期にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は成雀屋、舞鶴屋。俳名に秀雀・舞鶴・秀鶴など。 江戸日本橋住吉町に生まれる。幼名富太郎。父は元足軽から浅草の宿屋の番頭を務めた人物で、母は舞踊志賀山流家元の三代目志賀山せい。父の死後振付師の修業に入ったが、文化11年(1814年)の冬、歌舞伎役者の五代目中村傳九郎に入門し、中村鶴蔵の名で文政元年(1818年)11月、江戸中村座『伊勢平氏摂神風』で初舞台を踏む。その後江戸や地方の舞台で修業を続け着実に力をつける。『曽我の対面』の並び大名をつとめたときに、七代市川團十郎から衣紋をきちんとたたんで心がけが良いと褒められた逸話が残っている。 脇役として師匠や四代目中村歌右衛門に重宝され、嘉永5年(1852年)に歌右衛門が大坂で死去したときは、遺骨を携えて江戸に帰っている。出世芸は嘉永6年(1853年)、中村座の『與話情浮名横櫛』の蝙蝠安で、生涯の当たり役となった。安政元年(1854年)には実力が認められ名題に昇進。二代目河竹新七の作品で四代目市川小團次の相方を勤め、江戸歌舞伎にはなくてはならない存在となった。慶応元年(1865年)10月、市村座で三代目中村仲蔵を襲名する。 明治以後は長老として重きをなし、九代目市川團十郎や五代目尾上菊五郎と舞台を共にする。一方では後進の指導に当たる。明治19年(1886年)、中村座新築の口上を最後に舞台を引退、ほどなくして没した。 「鰐口」とあだ名されるほどの大きな口で容貌には恵まれなかったが、敵役、老役、所作事に優れ、門閥外から幹部俳優に這い上がった人物である。当たり役は上記の蝙蝠安のほか、『仮名手本忠臣蔵』の加古川本蔵、『村井長庵』の早乗三次、『梅雨小袖昔八丈』の家主長兵衛などがあり、そのほとんどは四代目尾上松助に継承され現在に伝わっている。文才もあり、自叙伝『手前味噌』、句集『絶句帖』などの著作を残している。後妻は四代目志賀山せい。.

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中村芝翫 (4代目)

四代目 中村 芝翫(よだいめ なかむら しかん、天保2年3月3日(1831年4月15日) - 明治32年(1899年)1月16日)は、歌舞伎役者。屋号は成駒屋。俗に「大芝翫」(おおしかん)と呼ばれた名優。立役・実悪・女形。 大坂道頓堀に歌舞伎役者中村富四郎の長男として生まれる。中村玉太郎、中村政之助、中村駒三郎の芸名を経て、1838年(天保9年)、四代目中村歌右衛門の養子となる。同年江戸に下り翌年3月、初代中村福助を名乗る。1860年(万延元年)7月四代目中村芝翫を襲名。1863年(文久3年)には守田座座頭になる。以後は江戸の舞台で活躍する。美しい容貌で、いくらがんばっても本物のように描けないと浮世絵師を嘆かせたという。人気も物凄く、名人と呼ばれた四代目市川小團次も、芝翫には勝てず、一時は大坂へ帰ろうかと思ったり、他の俳優が、彼を舞台でいじめる役が居なくなって困ったほどだった。その美しい姿は今日も錦絵や舞台写真で窺うことができる。 立役・実悪・女形を兼ね、時代物世話物も得意。ことに父四代目歌右衛門から仕込まれた所作事は絶品だった。 口跡に秀でておらずしかも科白覚えが悪く、舞台では常に黒子が科白だしの後見をしていたほどであった。このことは、芝翫が初演時に演じた『白浪五人男』の南郷力丸でも「特に科白を覚えるのがきらいだ」と二代目河竹新七(黙阿弥)に書かれるほど知られていた。しかし複雑な踊りの手順はことごとく覚えていたという。後年、九代目市川團十郎と『二人道成寺』を踊った時は、團十郎が汗だくなのに対し芝翫は涼しげな顔で周囲を驚嘆させたという。 実生活でも逸話の多い人で、養子の四代目中村福助(後の五代目中村歌右衛門)が地球儀を見せて、ここが日本ですと教えると「べらぼうめ、日本がそんなに狭いわけがねえ」と怒り出す。そこでアメリカを指して日本ですと言ったら「あたりめえよ、そうでなくちゃいけねえ」と答えた。近所で火事が起ると、なにもかもほったらかして見物に行った。 温厚篤実な性格だったが、覇気に欠ける嫌いがあった。それがわざわいし、明治以降は古風な芸が時代に合わなくなっていった。また、口跡の悪さが年と共にひどくなり、科白覚えが悪いことが新作に向かないなどの理由で、大舞台からは遠ざけられ、小芝居に出るようになった。特に1893年(明治26年)、巡業中の多治見で『法界坊』を上演中に足を負傷し、演技に支障をきたすようになるなど、ますます精彩を欠き晩年は不遇であった。 それでも時折歌舞伎座の舞台に立った。実際の舞台に接した岡本綺堂は、芝翫の顔立ちの良さは九代目團十郎の比ではないほど立派なもので、あの鋭い目で見得をすると他の俳優が光を失うと述懐している。 当り役は『妹背山婦女庭訓』の大判事、『寿曽我対面』の工藤、『熊谷陣屋』の熊谷、『助六』の意休、『義経腰越状』の五斗兵衛、『山門』の石川五右衛門、『夏祭浪花鑑』の團七、『金閣寺』の松永大膳、『日高川』の船頭、『隅田川続俤』の法界坊、『鎌倉三代記』の佐々木高綱。所作事は『六歌仙容彩』、『京鹿子娘道成寺』。 Category:歌舞伎役者 Category:摂津国の人物 Category:大阪市出身の人物 Category:1831年生 Category:1899年没.

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中村歌右衛門 (6代目)

六代目 中村 歌右衛門(ろくだいめ なかむら うたえもん、1917年(大正6年)1月20日 - 2001年(平成13年)3月31日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は成駒屋。定紋は祇園守、替紋は裏梅。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。 本名は河村 藤雄(かわむら ふじお)、俳名は魁春(かいしゅん)。生涯を通じて歌舞伎に専念し、戦後の歌舞伎界における女形の最高峰と呼ばれた。歌舞伎と舞踊以外の演劇活動は行わず、映画やテレビドラマに出演することもなかった。.

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常磐津節

常磐津節(ときわづぶし/ときわずぶし)は、三味線音楽の一種。浄瑠璃を語る太夫と、三味線弾きで構成される。重要無形文化財(総合指定)。初代常磐津文字太夫(1709年-1781年)が、延享4年 (1747年) に豊後節より創設した。語り物の浄瑠璃の一つで、全盛期を迎えていた江戸歌舞伎とともに発展した。語りと歌との均衡が取れ、整然とまとめられた旋律「オトシ」と呼ばれる独自の技法を持ち、この特徴から常磐津節は劇付随音楽として歌舞伎など舞踊劇になくてはならない音曲といわれる。三味線方は、中棹の紅木三味線と象牙の撥(ばち)を用い、太夫の語りに合わせた絶妙な間合いで相方をつとめる。創流当初は佐々木市蔵などの佐々木姓、鳥羽屋里長などの鳥羽姓が見受けられるが、江戸時代を通して明治期に至るまで岸澤式佐を家元とする岸澤派が主流となる(現在は常磐津姓の三味線弾きが多数を占める)。また、歌舞伎出語りの時には、柿色の肩衣、蛸足と呼ばれる独自の見台を用いるのが特色である。現在では歌舞伎伴奏のほか、日本舞踊の伴奏音楽として、また、素浄瑠璃の演奏会などで頻繁に演奏されている。定紋は角木瓜、替紋は松皮菱である。.

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市川小團次 (4代目)

四代目 市川小團次(よだいめ いちかわ こだんじ、文化9年(1812年)1月 - 慶応2年5月8日(1866年6月20日))は幕末の歌舞伎役者。幼名は榮太(えいた)、また榮次郎(えいじろう)とも。俳名は米升。屋号は高島屋。定紋は三升。.

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市川團十郎 (11代目)

十一代目 市川團十郎(じゅういちだいめ いちかわ だんじゅうろう、1909年(明治42年)1月6日 - 1965年(昭和40年)11月10日)は、日本の歌舞伎役者。本名は堀越 治雄(ほりこし はるお)。屋号は成田屋。定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。俳名は五粒。 海老蔵時代、「花の海老さま」として空前のブームを巻き起こした美貌で知られ、品格ある風姿、華のある芸風、高低問わずよく響く美声などを売り物とした、戦後歌舞伎を代表する花形役者の一人。.

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市川團十郎 (8代目)

八代目 市川 團十郎(はちだいめ いちかわ だんじゅうろう、文政6年10月5日(1823年11月7日) - 嘉永7年8月6日(1854年9月27日))は天保年間から幕末にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。俳名に白猿がある。.

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市川雷蔵 (8代目)

八代目 市川 雷蔵(はちだいめ いちかわ らいぞう、1931年(昭和6年)8月29日 - 1969年(昭和44年)7月17日)は、歌舞伎役者・日本の俳優。出生名は亀崎 章雄(かめざき あきお)。後に本名を竹内 嘉男(たけうち よしお)、さらに太田 吉哉(おおた よしや)に改名した。身長170cm。.

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市村羽左衛門 (15代目)

十五代目 市村 羽左衛門(じゅうごだいめ いちむら うざえもん、1874年(明治7年)11月5日 - 1945年(昭和20年)5月6日)は、大正から戦前昭和の歌舞伎を代表する役者の一人。屋号は橘屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。俳名に可江(かこう)がある。本名は市村 録太郎(いちむら ろくたろう)。 二枚目や若衆役を中心とする白塗りの立役として活躍。時代を代表する美男子で、そのあまりもの美貌から「花の橘屋」と呼ばれた。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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伊藤大輔 (映画監督)

伊藤 大輔(いとう だいすけ、1898年10月12日 - 1981年7月19日)は、日本の映画監督、脚本家である。時代劇映画の基礎を作った名監督の一人であり、「時代劇の父」とも呼ばれる。.

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嘉永

嘉永(かえい)は日本の元号の一つ。弘化の後、安政の前。1848年から1855年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家慶、徳川家定。.

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サザエさん

東京都世田谷区、桜新町駅前に設置されているサザエさん一家の銅像(フグ田サザエ・フグ田タラオ) 東京都世田谷区、桜新町駅前に設置されているサザエさん一家(フグ田家)の銅像(フグ田サザエ・フグ田タラオ・フグ田マスオ) 『サザエさん』は、長谷川町子による日本の漫画、およびそれを原作とするテレビアニメ。また、その主人公である「フグ田サザエ」の呼び名である。.

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入水

入水(じゅすい)とは、水中に飛び込んで自殺すること。身投げ。にゅうすい。基本的に水死であり、苦痛が大きい。 入水は、泳げない人専用の自殺手段とは限らない。ここに至って内耳の奥にある三半規管が狂いを生じ、バランス感覚を失ってそのまま溺れてしまうことがある。 溺れた場合はまず底に沈むが、死亡したら体内に腐敗ガスが溜まり、やがて浮上する。.

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八幡祭小望月賑

『八幡祭小望月賑』(はちまん まつり よみやの にぎわい)は歌舞伎の演目。通称『縮屋新助』(ちぢみや しんすけ)。 万延元年七月(1860年8月)江戸市村座で初演された。二代目河竹新七(黙阿弥)作、全六幕。.

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前進座

前進座(ぜんしんざ)は、1931年5月22日に創立され、東京都武蔵野市を本拠とする日本の歌舞伎劇団である。法人名称は劇団前進座株式会社で、同市吉祥寺南町三丁目13-2に事務所を置く。同地には本拠劇場「前進座劇場」(収容人員500、1982年 - 2013年)を有していた。吉祥寺南町二丁目4には劇団前進座ビルを保有し、前進座附属養成所を開設している。.

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玄冶店

冶店跡 玄冶店(げんやだな)は、江戸・日本橋界隈の古くからの地名もしくは通りの俗称名である。 江戸時代の新和泉町、現在の東京都中央区日本橋人形町3丁目のあたりである。 徳川家の御典医であった岡本玄冶(1587年 - 1645年5月15日)の拝領屋敷跡一帯を指した。玄冶は3代将軍家光が痘瘡を病んだ際に全快させて名を高め、幕府から拝領した土地に借家を建てて庶民に貸したことから一帯が「玄冶店」と呼ばれた。与三郎とお富で有名な「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の舞台として知られる。落語家であった四代目橘家圓喬 は当地に居住し、「玄冶店の師匠」と呼ばれていた。また、料亭「玄冶店 濱田家」などの呼び名が生まれた。.

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片岡仁左衛門 (15代目)

十五代目 片岡 仁左衛門(じゅうごだいめ かたおか にざえもん 1944年3月14日 - )は、日本の歌舞伎役者。歌舞伎名跡「片岡仁左衛門」の当代。屋号は松嶋屋。定紋は七つ割丸に二引、替紋は追っかけ五枚銀杏。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。 本名及び旧芸名は片岡 孝夫(かたおか たかお)。半世紀近くにわたって本名のまま舞台に立ち続けていたので、大名跡「仁左衛門」を襲名した今日でも「孝夫」と呼ぶ人は多い。.

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瀬川如皐 (3代目)

三代目 瀬川如皐(さんだいめ せがわ じょこう、文化3年(1806年) - 明治14年(1881年)6月28日)は幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎作者。本名は六三郎(ろくさぶろう)。俳名に吐蚊、雅号に二五社・藪雀庵がある。 江戸の生まれ。はじめ呉服屋を営んでいたが、天保10年(1839年)絞吉平の名で河原崎座に入り、歌舞伎狂言の創作活動を始める。のち絞吉兵衛。姥尉輔の名で五代目鶴屋南北に師事する。その後四代目中村歌右衛門の後援を受け活動が活発となる。弘化2年(1845年)藤本吉兵衛、一時澤村吉兵衛とも名乗る。嘉永元年(1848年)11月中村座の立作者となり、嘉永3年(1850年)三代目瀬川如皐を襲名。以後主に八代目市川團十郎や四代目市川小團次のために台本を書く。 几帳面な性格で、台本も趣向に富み、創作性には優れていた。ただし書き直しが多く、そのうえ台本の字が小さく、指示も細か過ぎるうえ、作品自体も冗長で、役者や観客からはすこぶる不評だった。代表作は『与話情浮名横櫛』(切られ与三)、『東山桜荘子』(佐倉義民伝)、『新台いろは書始』(のちに改作されて『松浦の太鼓』)など。とくに『切られ与三』では七五調の台詞を河竹黙阿弥に先駆けて使用して幕末の生世話物狂言の発展に貢献、『佐倉義民伝』では日本最初の農民劇を創作するなどの功績をあげている。また、『乗合舟』『競獅子』などの舞踊の作詞、合巻の著作などがある。 私生活では潔癖な人柄で、自宅は常に柱から土間まで磨きあげられ塵ひとつなかった。ある日家に遊びに来た後輩がうっかりして泥のついた下駄で入り込んだ時は、「おいおい。だめじゃないか。」と激しく怒ったという 嘉永7年(1854年)小團次が河原崎座に移籍。以降小團次は黙阿弥と提携してしまう。代わりに如皐と組んだ四代目中村芝翫が丸本物を得意とすることが、生世話物に本領とする如皐には合わないなどの理由から筆力が衰退する。それでも三代目澤村田之助のために『蠎阿由曙仇討』(うわばみお由)などいくつかの佳作をものにしたが、明治以降になると新時代に対応できず、さらに黙阿弥の人気に押され二流の芝居小屋での活躍を余儀なくされた。以上のように才能がありながらも狂言作者として大成せぬまま終わったが、鶴屋南北と黙阿弥の間の時代を埋める存在として評価されている。 墓所は向島弘福寺。四代目瀬川如皐は親戚に当たる。 Category:歌舞伎作者 Category:武蔵国の人物 Category:1806年生 Category:1881年没.

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芳村伊三郎

芳村 伊三郎(よしむら いさぶろう)は、近世前期以来の長唄の家元の名跡。 芳村の始祖。芳村伊十郎と並ぶ名跡のひとつ。 特に4代目が有名で4代目は歌舞伎の世話物の名作「与話情浮名横櫛」(別名「お富与三郎」)のモデルとなった。7代目までは唄方、7代目は三味線方。.

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鏡山物

鏡山物(かがみやまもの)とは、歌舞伎における世界のひとつ。.

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鏡山旧錦絵

『鏡山旧錦絵』(かがみやまこきょうのにしきえ)とは、歌舞伎の演目のひとつ。天明2年(1782年)1月に江戸外記座で初演された人形浄瑠璃『加々見山旧錦絵』の一部を歌舞伎として脚色したもの。現行の文楽と同様、『加賀見山旧錦絵』の外題で上演されることもある。通称『鏡山』(かがみやま)。.

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菅良助

菅 良助(かん りょうすけ)は、落語、講談の名跡。現在は空き名跡となっている。 初代に関しては菅良助と乾坤坊良斎の名を掛け合わせた菅良斎とも言ったりする。.

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講談

講談(こうだん)とは、日本の伝統芸能のひとつ。 演者は高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇(はりおうぎ)でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。上方講談においては、張り扇と拍子木を併用する。.

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豊原国周

豊原国周 豊原 国周(とよはら くにちか、天保6年6月5日〈1835年6月30日〉 - 明治33年〈1900年〉7月1日)は、幕末から明治にかけての浮世絵師。.

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關三十郎 (3代目)

三代目 關三十郞(さんだいめ せき さんじゅうろう、文化2年〈1805年〉 - 明治3年12月18日〈1871年2月7日〉)とは、幕末期の歌舞伎役者。屋号は立花屋・尾張屋、俳名中車・黄雀・歌山。 江戸の生まれで振付師三代目藤間勘兵衛の子。はじめ七代目市川團十郎の門下となり市川團吉と名乗り、のちに旅回りに出て市川伊達十郎と改名した。文政10年(1827年)江戸に戻り、五代目市川八百蔵を襲名、天保11年(1840年)4月に三代目關三十郎を襲名する。以後八代目市川團十郎、四代目市川小團次、五代目尾上菊五郎などの人気役者と共演し脇を固めた。 面長で鼻が高く「鼻の三十郎」のあだ名を持ち、その容貌は「鼻高」とも称された五代目松本幸四郎を髣髴とさせたという。五代目幸四郎と同じように実悪に長じ、嘉永6年(1853年)中村座の『与話情浮名横櫛』(切られ与三)では敵役の赤間源左衛門を演じた。赤間は万延元年(1860年)市村座の『八幡祭小望月賑』(縮屋新助)でも演じている。このほか安政6年(1859年)市村座の『小袖曽我薊色縫』(十六夜清心)の大寺正兵衛、文久2年(1862年)市村座の『青砥稿花紅彩画』(白浪五人男)の日本駄右衛門、同4年(1864年)市村座の『曽我綉侠御所染』(御所五郎蔵)の星影土右衛門などを当り役とした。養子に四代目關三十郎がいる。.

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長唄

長唄(ながうた)は、近世邦楽の一ジャンル、三味線音楽の一ジャンル、江戸の音曲の一つであり、正式名称は江戸長唄(えど ながうた)という。 またこれとは別に、地歌の一分類として上方長歌(かみがた ながうた)がある。.

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長谷川町子

長谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年(大正9年)1月30日 - 1992年(平成4年)5月27日)は、日本の漫画家。日本初の女性プロ漫画家として知られる。代表作に『サザエさん』『いじわるばあさん』『エプロンおばさん』など。.

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暗闘

暗闘(だんまり)は、歌舞伎の演出の一つ。登場人物が暗闇(くらやみ)という設定の中で、互いに探り合いながら死闘を繰り広げたり、物語の鍵となる物品を奪い合ったりする立ち回りをすること。暗桃とも書く。 安永年間(1772–81年)に江戸の顔見世興行において始められたと伝わる。ただし初例については諸説あり定説はない。.

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東京

西新宿東京スカイツリー/レインボーブリッジ渋谷/国会議事堂 東京(とうきょう、)は、日本の関東平野中央部の東京湾に面する都市、あるいは都市圏であり、江戸幕府の所在地・江戸が慶応4年7月(1868年9月)に「東京」に名称変更されたものである。 明治2年3月28日に、日本の都(みやこ)が京都から「東京」に遷された。そして現在の日本の事実上の首都である。 現在の東京は世界都市であり、都市圏として世界最大の人口・経済力を擁している。.

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歌川国貞

歌川 国貞(うたがわ くにさだ、天明6年5月19日〈1786年6月15日〉 - 元治元年12月15日〈1865年1月12日〉)は、江戸時代の浮世絵師。のちの三代目歌川豊国。.

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歌謡曲

歌謡曲(かようきょく)とは、昭和時代に流行した日本のポピュラー音楽の総称。1970年代半ばからは、ニューミュージックが主流となり、90年代半ばから流行したものはJ-POPと呼ばれ、曲調・サウンドなどが変遷していった。 1960年代以降に隆盛した演歌と混同されがちであるが、本来はあくまで西洋音楽の日本における派生形である。ただし愛好者の層が重なるため、近年では『演歌・歌謡曲』というジャンルが存在する。 なお歌謡曲は、昭和初期には流行歌とも呼ばれていた。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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歌舞伎座

歌舞伎座(かぶきざ)は、東京都中央区銀座四丁目にある歌舞伎専用の劇場である。火災や戦災に遭うなど様々な変遷はあったが、今日に至るまで名実ともに代表的な歌舞伎劇場として知られる。 歌舞伎座は1889年(明治22年)に開場した。従来の劇場は地名や座元の名を冠するのが例であり(新富座、中村座など)、「歌舞伎座」という名称は異例であった。「歌舞伎座」とはもともと普通名詞として用いられた言葉で、「卑賤視されていた小芝居の対極にある権威ある大芝居の劇場を意味していた」岩波新書661『歌舞伎の歴史』、今尾哲也著、p173。現在の歌舞伎座設立にあたり「その普通名詞を、福地桜痴は固有名詞として天下に示したのである」。しかしこれは間違いで普通名詞としての用法はなかったという説もある。 歌舞伎座は大正時代から松竹の直営で経営を行ってきた。4度建て直されており、2014年現在のものは5代目のものである。「株式会社歌舞伎座」が劇場を所有している。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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河原崎國太郎 (5代目)

河原崎 國太郎(かわらさき くにたろう、新字体:国太郎、1909年(明治42年)10月14日-1990年(平成2年)10月11日)は、前進座の女形で俳優。本名は松山 太郎(まつやま たろう)。屋号は山崎屋。 父は洋画家の松山省三。妻は宝塚歌劇団20期生の鈴鹿ゆみ子、長男は俳優の松山英太郎、次男は同じく俳優の松山政路、長女は女優の松山梨絵、孫は歌舞伎役者の6代目河原崎國太郎、7代目嵐芳三郎、女優の由夏、俳優の芦田昌太郎、女優の松山愛佳がいる。.

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河竹黙阿弥

黙阿弥 河竹 黙阿弥(かわたけ もくあみ、旧字体:默阿彌、文化13年2月3日(1816年3月1日) - 明治26年(1893年)1月22日)は、江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者。本名は吉村 芳三郎(よしむら よしさぶろう)。俳名に其水(そすい)。別名に古河 黙阿弥(ふるかわ-)。江戸日本橋生まれ。.

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淡路恵子

淡路 恵子(あわじ けいこ、1933年(昭和8年)7月17日 - 2014年(平成26年)1月11日)は、日本の女優。本名は井田 綾子(いだ あやこ)であった。.

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渡久地政信

渡久地 政信(とくち まさのぶ、1916年(大正5年)10月26日 - 1998年(平成10年)9月13日)は、日本の歌手、作曲家。.

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源為朝

源 為朝(みなもと の ためとも、旧字体:爲朝)は、平安時代末期の武将。源為義の八男。母は摂津国江口(現・大阪市東淀川区江口)の遊女。源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる。 身長2mを超える巨体のうえ気性が荒く、また剛弓の使い手で剛勇無双を謳われた。生まれつき乱暴者で父の為義に持てあまされ、九州に追放されたが手下を集めて暴れまわり、一帯を制覇して鎮西八郎を名乗る。保元の乱では父とともに崇徳上皇方に参加し、強弓と特製の太矢で大いに奮戦するが敗れ、伊豆大島へ流される。しかしそこでも国司に従わず、大暴れして伊豆諸島を事実上支配したので、追討を受け自害した。.

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潮干狩り

潮干狩りをする子供 潮干狩り(しおひがり)とは、遠浅の砂浜で、砂中の貝などを採取することである。貝拾い、貝掘りなどとも言う。春の季語でもある。.

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澤村田之助 (3代目)

三代目 澤村 田之助(さんだいめ さわむら たのすけ、新字体:沢村、弘化2年2月8日〈西暦1845年3月15日〉 - 明治11年〈1878年〉7月7日)は、幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は紀伊國屋。定紋は釻菊(かんぎく)、替紋は波に千鳥。俳名に曙山。美貌の女形として人気を博したが、後年には脱疽により四肢を切断してなお舞台に立ちつづけた、悲劇の名優としても知られる。.

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澤村源之助 (4代目)

四代目 澤村源之助(よだいめ さわむら げんのすけ、安政6年3月14日(1859年4月16日)-昭和11年(1936年)4月20日)は、歌舞伎役者。本名は澤村 清三郎(さわむら きよさぶろう)。屋号は紀伊國屋。俳名に秋香・青岳。浅草田圃に住まいがあったので田圃の太夫と呼ばれ、しゃがれ声と錦絵のような容貌を特徴に、江戸の最後の女形として尊敬を集めた。.

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木更津市

木更津市(きさらづし)は、千葉県中西部にある市である。君津市への通勤率は11.5%(平成22年国勢調査)。.

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戦後

戦後(せんご)は、戦争の終結後の短期または長期的な期間を指す言葉・概念。戦争では多くの破壊や社会システムの大変革が行われるため、戦争が終結した後は社会体制などが新しく作り直され、価値観まで変化する。このため、大きな戦争を一つの時代の区切りとして、戦前・戦中・戦後という区分をする。「戦後」はしばしば、戦争による混乱を抜けきっていない時代という意味合いをもつ。しかし終わりを設けず現在までを含めることもある韓国人慰安婦問題や沖縄の米軍基地問題など、第二次世界大戦によって生じた問題が解決を見ていないため、右翼、左翼問わず現在を戦後に含めることがある。。一時は流行語となった。.

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戯曲

戯曲(ぎきょく)は、演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本のかたちで執筆された文学作品。戯曲を書く者のことを劇作家と呼ぶ。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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春日八郎

春日 八郎(かすが はちろう、本名:渡部 実 (わたべ みのる)、1924年10月9日 - 1991年10月22日)は、福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身の演歌歌手。『赤いランプの終列車』『お富さん』『別れの一本杉』などが有名である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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散切物

散切物(ざんぎりもの)とは、明治維新以降の風俗を世話物として取り入れた歌舞伎の演目。散切狂言(ざんぎり きょうげん)ともいう。.

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時代物

時代物(じだいもの)とは、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目のうち、江戸時代の庶民の日常からかけ離れた話題、すなわち遠い過去の出来事や、武家や公家の社会に起きた出来事などを扱ったものをいう。 逆に、江戸時代の庶民の日常そのものである市井の話題や風俗などを扱った演目のことを、世話物(せわもの)という。.

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1853年

記載なし。

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1892年

記載なし。

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1954年

記載なし。

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1960年

アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地であった地域の多数が独立を達成した年であることに因み、アフリカの年と呼ばれる。.

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7月10日

7月10日(しちがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から191日目(閏年では192日目)にあたり、年末まであと174日ある。誕生花はグロキシニア、マツバボタン。.

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