目次
40 関係: 厳忠嗣、厳忠範、厳忠済、史天沢、壬午、大名路、太行山脈、孟祺、宋子貞、丙戌、乙酉、庚子、庚寅、庚辰、京都大学学術出版会、張柔、張栄、彰徳路、保定府、チンギス・カン、ムカリ、モンゴル帝国、ボオル、オゴデイ、カラコルム、タイスン、甲午、甲戌、益都路、癸酉、白帝社、華北平原、長清区、恒州 (河北省)、東平四傑、東平路、泰安州、済南路、漢人世侯、戊寅。
厳忠嗣
厳 忠嗣(げん ちゅうし、? - 1273年)は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯(漢人軍閥)の一人。東平を中心とする大軍閥を築いた厳実の息子で、兄弟には厳忠済・厳忠範らがいる。
見る 厳実と厳忠嗣
厳忠範
厳 忠範(げん ちゅうはん、? - 至元12年3月15日(1275年4月12日))は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯(漢人軍閥)の一人。東平を中心とする大軍閥を築いた厳実の息子で、兄弟には厳忠済・厳忠嗣らがいる。
見る 厳実と厳忠範
厳忠済
厳 忠済(げん ちゅうさい、? - 1293年)は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯(漢人軍閥)の一人。字は紫芝。東平を中心とする大軍閥を築いた厳実の後継者であり、父同様に強大な権勢を得ていたが、クビライによる漢人世侯削減政策の中で失脚した。
見る 厳実と厳忠済
史天沢
史 天沢(し てんたく、泰和2年(1202年)- 至元12年2月7日(1275年3月5日))は、モンゴル帝国(元朝)に仕えた漢人軍閥の一人である。字は潤甫。析津府永清県の出身。曾祖父は史倫。祖父は史成珪。父は史秉直。兄は史天倪。子は史格。
見る 厳実と史天沢
壬午
壬午(みずのえうま、じんすいのうま、じんご)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの19番目で、前は辛巳、次は癸未である。陰陽五行では、十干の壬は陽の水、十二支の午は陽の火で、相剋(水剋火)である。
見る 厳実と壬午
大名路
大名路(だいめいろ)は、中国にかつて存在した路。モンゴル帝国および大元ウルスの時代に現在の河北省邯鄲市大名県一帯に設置された。 第2代皇帝オゴデイの庶長子のグユクを始祖とするグユク王家の投下領であった。
見る 厳実と大名路
太行山脈
太行山脈 太行山脈(たいこうさんみゃく、)は中華人民共和国北部にある山地。山西省、河南省、河北省の3つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m。山脈の東にある標高1,000mほどの蒼岩山は自然の奇峰や歴史ある楼閣などの多い風景区となっている。また山脈の南端に近い河南省の雲台山は景勝地でもあり、世界ジオパークにも指定されている地球科学的に価値の高い地域でもある。山西省・山東省の地名は、この太行山脈の西・東にあることに由来する。
見る 厳実と太行山脈
孟祺
孟 祺(もう き、生没年不詳)は、モンゴル帝国(大元ウルス)に仕えた漢人官僚の一人。東平四傑の一人に数えられる。
見る 厳実と孟祺
宋子貞
宋 子貞(そう してい、1189年 - 1268年)は、モンゴル帝国(大元ウルス)に仕えた漢人官僚の一人。
見る 厳実と宋子貞
丙戌
丙戌(ひのえいぬ、へいかのいぬ、へいじゅつ)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの23番目で、前は乙酉、次は丁亥である。陰陽五行では、十干の丙は陽の火、十二支の戌は陽の土で、相生(火生土)である。
見る 厳実と丙戌
乙酉
乙酉(きのととり、おつぼくのとり、いつゆう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの22番目で、前は甲申、次は丙戌である。陰陽五行では、十干の乙は陰の木、十二支の酉は陰の金で、相剋(金剋木)である。
見る 厳実と乙酉
庚子
庚子(かのえね、こうきんのねずみ、こうきんのね、こうし)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの37番目で、前は己亥、次は辛丑である。陰陽五行では、十干の庚は陽の金、十二支の子は陽の水で、相生(金生水)である。
見る 厳実と庚子
庚寅
庚寅(かのえとら、こうきんのとら、こういん)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの27番目で、前は己丑、次は辛卯である。陰陽五行では、十干の庚は陽の金、十二支の寅は陽の木で、相剋(金剋木)である。
見る 厳実と庚寅
庚辰
庚辰(かのえたつ、こうきんのたつ、こうしん)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの17番目で、前は己卯、次は辛巳である。陰陽五行では、十干の庚は陽の金、十二支の辰は陽の土で、相生(土生金)である。
見る 厳実と庚辰
京都大学学術出版会
一般社団法人京都大学学術出版会(きょうとだいがくがくじゅつしゅっぱんかい、英称:Kyoto University Press)は、京都大学の出版部に当たる一般社団法人で、大学出版部協会の会員。主として京都大学における学術的成果を出版活動を通じて公表・普及することを目的とする。現会長は湊長博、理事長は足立芳宏。同会の出版活動に対して、第17回梓会新聞社学芸文化賞、梓会出版文化賞第20回記念特別賞、2011年度地中海学会賞が授与された。また、本出版会から刊行された多くの書籍が、各種の学会賞を受賞した。
見る 厳実と京都大学学術出版会
張柔
張 柔(ちょう じゅう、明昌元年(1190年)- 至元5年6月29日(1268年8月9日))は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯の一人。字は世輝。保定を中心とする大軍閥を築き、真定の史天沢・大同の劉黒馬・東平の厳実とともに漢人世侯の四大軍閥の一人に数えられる。祖父は張湊。父は張辛。
見る 厳実と張柔
張栄
張 栄(ちょう えい、1182年 - 1264年)は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯(漢人軍閥)の一人。字は世輝。真定の史天沢・保定の張柔・東平の厳実らに並ぶ、済南を中心とする大軍閥を築いたことで知られる。
見る 厳実と張栄
彰徳路
彰徳路(しょうとくろ)は、中国にかつて存在した路。モンゴル帝国および大元ウルスの時代に現在の河南省安陽市一帯に設置された。 イラン方面でイルハン朝(フレグ・ウルス)を築いたフレグを始祖とするフレグ王家の投下領であった。
見る 厳実と彰徳路
保定府
保定府(ほていふ)は、中国にかつて存在した府。明代から民国初年にかけて、現在の河北省保定市一帯に設置された。
見る 厳実と保定府
チンギス・カン
チンギス・カン(モンゴル語:、キリル文字:Чингис хаан、ラテン文字化:Činggis Qan または Činggis Qa'an、漢字:成吉思汗、英語:Genghis Khan、1162年5月31日 - 1227年8月25日)は、モンゴル帝国の初代皇帝(在位:1206年 - 1227年)。死後は廟号を太祖、諡を法天啓運聖武皇帝と称した。日本語での名前表記については複数の表記揺れがある(#名前の節を参照)。 大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げた。
見る 厳実とチンギス・カン
ムカリ
スフバートル広場の記念像 ムカリ(Muqali guy-ong、1170年 - 1223年)は、モンゴル帝国の初代ハーンであるチンギス・カンの家臣。チンギス・カンの左翼諸軍に属す24の諸千戸隊を統括する万戸(トゥメン)の長であった。『元朝秘史』に載る1206年のチンギス・カン即位時の功臣表では、モンリク・エチゲ、ボオルチュに次ぐ第3位に数えられる。『元朝秘史』『元史』などの漢語表記では木華黎、木合黎、木花里、謀合理、摩睺羅など。『集史』のペルシア語表記などでは「ムカリ国王」の音写である、 موقلىكويانك Mūqalī Kūyānk などと書かれる。『元朝秘史』『集史』によれば、チンギス・カンによって右翼諸軍を統括するボオルチュとならび、カラウン・チドンとよばれる地域を統べる左翼万戸長に任じられたと言う。ボオルチュとならぶモンゴル帝国創業の大勲臣のひとりであり、死後に東平王、魯国王に封じられる。
見る 厳実とムカリ
モンゴル帝国
モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家(ウルス)である。中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス ( Yeke Mongγol Ulus)すなわち「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」と称した。 モンゴル帝国の領土。
見る 厳実とモンゴル帝国
ボオル
ボオル(、1197年 - 1228年)は、13世紀初頭にモンゴル帝国に仕えたジャライル部出身の万人隊長。モンゴル帝国の創設者チンギス・カンに仕えて左翼万人隊長となったムカリ国王の息子であり、父の死後はその地位を継承して主に旧金朝領華北の平定に活躍した。 『元史』などの漢文史料では孛魯(bólŭ)、『集史』などのペルシア語史料ではبوغول(būghūl)と記され、日本語書籍ではボゴル、ボールとも表記される。
見る 厳実とボオル
オゴデイ
オゴデイ(Ögödei、Ögedei)は、モンゴル帝国の第2代皇帝(カアン、ハーン)。モンゴル帝国の君主で初めて自らの君主号をカンに代えてカアン(Qa'an<Qaγan)と名乗った人物と考えられている。 漢語表記では窩闊台、月闕台など。資料によっては、哈罕皇帝/合罕皇帝(カアン皇帝)とも書かれる(後述)。モンゴル帝国時代のウイグル文字モンゴル語文や前近代の古典モンゴル語文では 'WYK'D'Y Q'Q'N/Ögedei Qaγan、パスパ文字モンゴル語文では "ö-kˋö-däḙ q·a-n/Öködeï Qa'an。ペルシア語表記では『集史』などでは اوگتاى قاآن Ūgtāy Qā'ān 、『五族譜』では اوُكَدى خان Ūkaday Khān などと綴られる。オゴタイ、エゲデイは、日本語表記。
見る 厳実とオゴデイ
カラコルム
カラコルム( 転写:Qaraqorum)は、モンゴル高原中央部のモンゴル国首都ウランバートルから西へ230km、ウブルハンガイ県北西部のオルホン河畔に位置する都市。また、かつてのモンゴル帝国の首都であり、古都としても知られている。 カラコルムとはテュルク語・モンゴル語で「黒い砂礫」を意味する。ペルシア語資料では قراقوروم Qarā-qūrūm と表れ、漢語資料では哈剌和林、略して和林と表記される。また現代モンゴル語ではハルホリン(Хархорин)と表記される。 「黒い砂礫」の名前の通り、カラコルムの遺跡周辺は現在でも安山岩や玄武岩などの黒い河原石が一面に転がっており、雨水などで濡れると地面が黒っぽく見えるという。
見る 厳実とカラコルム
タイスン
タイスン(、生没年不詳)は、13世紀初頭にモンゴル帝国に仕えたジャアト・ジャライル部出身の千人隊長の一人。 『元史』などの漢文史料では郡王帯孫(dàisūn)、『集史』などのペルシア語史料ではطایسون(ṭāīsūn)と記される。
見る 厳実とタイスン
甲午
甲午(きのえうま、こうぼくのうま、こうご)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの31番目で、前は癸巳、次は乙未である。陰陽五行では、十干の甲は陽の木、十二支の午は陽の火で、相生(木生火)である。
見る 厳実と甲午
甲戌
甲戌(きのえいぬ、こうぼくのいぬ、こうじゅつ)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの11番目で、前は癸酉、次は乙亥である。陰陽五行では、十干の甲は陽の木、十二支の戌は陽の土で、相剋(木剋土)である。
見る 厳実と甲戌
益都路
益都路(えきとろ)は、中国にかつて存在した路。モンゴル帝国および大元ウルスの時代に現在の山東省濰坊市一帯に設置された。治所は益都県で、大元ウルスの行政上は中書省に直属する地域(腹裏/コルン・ウルス)であった。 永平路とともにチンギス・カンの末弟のテムゲ・オッチギンを始祖とするオッチギン・ウルスの投下領であった。
見る 厳実と益都路
癸酉
癸酉(みずのととり、きすいのとり、きゆう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの10番目で、前は壬申、次は甲戌である。陰陽五行では、十干の癸は陰の水、十二支の酉は陰の金で、相生(金生水)である。
見る 厳実と癸酉
白帝社
白帝社(はくていしゃ)は、日本の出版社。主に中国・韓国・日本語関係の研究書・辞典・教材・雑誌等を刊行する出版社である。
見る 厳実と白帝社
華北平原
中原地帯 華北平原(かほくへいげん)は、中国にある平野。現在の華北と呼ばれるエリアとは多分に重なるが、必ずしも完全には一致しない。伝統的に中原と呼ばれるエリアを中心とする平原だが、文脈によって中原と同義であることもある。地理的に内蒙古と満州と隣接する。
見る 厳実と華北平原
長清区
長清区(ちょうせい-く)は、中華人民共和国山東省済南市に位置する市轄区。黄河の東側、済南市区から22キロメートルの距離に位置する。
見る 厳実と長清区
恒州 (河北省)
恒州(こうしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から五代十国時代にかけて、現在の河北省石家荘市一帯に設置された。
見る 厳実と恒州 (河北省)
東平四傑
東平四傑(とうへいしけつ)は、大元ウルス(元朝)初期に活躍した4人の名官(閻復・徐琰・李謙・孟祺)の総称。いずれも東平厳氏の整備した東平府学で学んだことからこう呼ばれた。
見る 厳実と東平四傑
東平路
東平路(とうへいろ)は、中国にかつて存在した路。モンゴル帝国および大元ウルスの時代に現在の山東省聊城市一帯に設置された。 モンゴル帝国建国の功臣、ジャライル部族長のムカリを始祖とするムカリ国王家の投下領であった。
見る 厳実と東平路
泰安州
泰安州(たいあんしゅう)は、中国にかつて存在した州。現在の山東省泰安市一帯に設置された。 金代に初めて設置され、モンゴル帝国および大元ウルスの時代にはマングト部クイルダル郡王家の投下領とされていた。
見る 厳実と泰安州
済南路
済南路(さいなんろ)は、中国にかつて存在した路。モンゴル帝国および大元ウルスの時代に現在の山東省済南市・浜州市一帯に設置された。治所は歴城県で、大元ウルスの行政上は中書省に直属する地域(腹裏/コルン・ウルス)であった。 チンギス・カンの三弟のカチウンを始祖とするカチウン・ウルスの投下領であった。
見る 厳実と済南路
漢人世侯
漢人世侯(かんじんせこう)とは、金末にモンゴル帝国に降った漢人有力者が貢納と軍事的協力の義務遂行を条件に、管下の人民に対する支配権力をモンゴルから授けられて成立した制度。 しかし、1262年の李璮の乱を切っ掛けとして漢人世侯は実質的に解体され、華北地方は大元ウルス(元朝)による直接支配に移行することになった。
見る 厳実と漢人世侯
戊寅
戊寅(つちのえとら、ぼどのとら、ぼいん)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの15番目で、前は丁丑、次は己卯である。陰陽五行では、十干の戊は陽の土、十二支の寅は陽の木で、相剋(木剋土)である。
見る 厳実と戊寅

