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張栄

索引 張栄

張 栄(ちょう えい、1182年 - 1264年)は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯(漢人軍閥)の一人。字は世輝。真定の史天沢・保定の張柔・東平の厳実らに並ぶ、済南を中心とする大軍閥を築いたことで知られる。

目次

  1. 27 関係: 厳実史天沢中統張宏 (元)張宓張邦傑 (元)張柔保定府チンギス・カンバガトルモンゴル帝国アルチダイアジュルオルドオゴデイカチウンコデン第二次対金戦争講談社現代新書黄河恒州 (河北省)東平路歴城区済南府済南路漢人世侯1210年代

厳実

厳 実(げん じつ、1182年 - 1240年)は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯(漢人軍閥)の一人。字は武叔。東平を中心とする大軍閥を築き、真定の史天沢・保定の張柔・済南の張栄とともに漢人世侯の四大軍閥の一人に数えられる。漢人世侯の中でも特に文化振興に力を注いだことで知られており、厳実の整備した東平府学は東平四傑(閻復・徐琰・李謙・孟祺)を始め多数の高官・文人を輩出している。

見る 張栄と厳実

史天沢

史 天沢(し てんたく、泰和2年(1202年)- 至元12年2月7日(1275年3月5日))は、モンゴル帝国(元朝)に仕えた漢人軍閥の一人である。字は潤甫。析津府永清県の出身。曾祖父は史倫。祖父は史成珪。父は史秉直。兄は史天倪。子は史格。

見る 張栄と史天沢

中統

中統(ちゅうとう)は、モンゴル帝国のカアン・クビライ(元の世祖)の治世で用いられた元号。1260年旧5月 - 1263年(1264年旧8月)。

見る 張栄と中統

張宏 (元)

張 宏(ちょう こう、正大2年(1225年) - 至元24年11月5日(1287年12月10日))は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯(漢人軍閥)の一人。字は可大。済南を中心とする大軍閥を築いた張栄の孫にあたる。 『元史』には立伝されていないが『雪楼集』巻16「済南公世徳碑」や『国朝文類』巻50「済南路大都督張公行状」などにその事蹟が記され、『新元史』にはこれらを元にした列伝が記されている。

見る 張栄と張宏 (元)

張宓

張 宓(ちょう みつ、? - 至正4年4月8日(1344年5月20日))は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯(漢人軍閥)の一人。字は可大。済南を中心とする大軍閥を築いた張栄の孫にあたる。 『元史』には立伝されていないが『山左金石志』に収録される「済南郡公張宓神道碑」にその事蹟が記され、『新元史』にはこれらを元にした列伝が記されている。

見る 張栄と張宓

張邦傑 (元)

張 邦傑(ちょう ほうけつ、? - ?)は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯(漢人軍閥)の一人。字は智万。済南を中心とする大軍閥を築いた張栄の息子にして後継者。 『元史』には立伝されていないが『羅氏雪堂蔵書遺珍』に収録される『経世大典』の抜粋にその事蹟が記され、『新元史』にはこれを元にした列伝が記されている。

見る 張栄と張邦傑 (元)

張柔

張 柔(ちょう じゅう、明昌元年(1190年)- 至元5年6月29日(1268年8月9日))は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯の一人。字は世輝。保定を中心とする大軍閥を築き、真定の史天沢・大同の劉黒馬・東平の厳実とともに漢人世侯の四大軍閥の一人に数えられる。祖父は張湊。父は張辛。

見る 張栄と張柔

保定府

保定府(ほていふ)は、中国にかつて存在した府。明代から民国初年にかけて、現在の河北省保定市一帯に設置された。

見る 張栄と保定府

チンギス・カン

チンギス・カン(モンゴル語:、キリル文字:Чингис хаан、ラテン文字化:Činggis Qan または Činggis Qa'an、漢字:成吉思汗、英語:Genghis Khan、1162年5月31日 - 1227年8月25日)は、モンゴル帝国の初代皇帝(在位:1206年 - 1227年)。死後は廟号を太祖、諡を法天啓運聖武皇帝と称した。日本語での名前表記については複数の表記揺れがある(#名前の節を参照)。 大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げた。

見る 張栄とチンギス・カン

バガトル

バガトル(baγatur; 中世モンゴル語: ba'atur; баатар (baatar); 近世بهادر (bahādur);近世テュルク語: bahadur;抜都児)は、テュルク語やモンゴル語における称号のひとつ。「勇者」を意味する。中世モンゴル語ではバアトル(バートル)、現代モンゴル語ではバータル。中央アジア以西において近世ペルシア語およびチャガタイ語、オスマン語などではバハードゥル(バハードル)という。

見る 張栄とバガトル

モンゴル帝国

モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家(ウルス)である。中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス ( Yeke Mongγol Ulus)すなわち「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」と称した。 モンゴル帝国の領土。

見る 張栄とモンゴル帝国

アルチダイ

アルチダイ(Alčidai,,、生没年不詳)とは、チンギス・カンの弟のカチウンの息子で、モンゴル帝国の皇族。『元史』などの漢文史料では阿勒赤台、『集史』などのペルシア語史料ではĪlchīdāīایلچیدایと記される。ペルシア語での表記からイルチダイ(Ilčidai)と記されることもある。同名の人物にチンギス・カンの衛士団長がおり、またエルチギデイ(Elčigidei)と混同されることもある。

見る 張栄とアルチダイ

アジュル

アジュル(、生没年不詳)は、13世紀に活躍したモンゴル帝国の将軍。 同名の将軍は2名おり、一人はオロナウル部出身の将軍でチンギス・カン及びオゴデイ・カアンに仕えた人物、一人はアルラト部出身でセチェン・カアン(世祖クビライ)に仕えて南宋侵攻に活躍した人物である。なお、オッチギン家にもアジュルという名の王族が存在する。

見る 張栄とアジュル

オルド

オルド/オルダ(古テュルク語: 𐰇𐱃𐰀 転写: uta、、転写: ordo、中:斡魯朶/兀魯朶)とは、契丹・蒙古などのモンゴル・テュルク系民族におけるカンや后妃の宿営地のこと。日本語訳では、行宮・宮帳・幕営と表記する。ゲル(パオ(包)、ユルト)とほぼ同義語である。

見る 張栄とオルド

オゴデイ

オゴデイ(Ögödei、Ögedei)は、モンゴル帝国の第2代皇帝(カアン、ハーン)。モンゴル帝国の君主で初めて自らの君主号をカンに代えてカアン(Qa'an<Qaγan)と名乗った人物と考えられている。 漢語表記では窩闊台、月闕台など。資料によっては、哈罕皇帝/合罕皇帝(カアン皇帝)とも書かれる(後述)。モンゴル帝国時代のウイグル文字モンゴル語文や前近代の古典モンゴル語文では 'WYK'D'Y Q'Q'N/Ögedei Qaγan、パスパ文字モンゴル語文では "ö-kˋö-däḙ q·a-n/Öködeï Qa'an。ペルシア語表記では『集史』などでは اوگتاى قاآن Ūgtāy Qā'ān 、『五族譜』では اوُكَدى خان Ūkaday Khān などと綴られる。オゴタイ、エゲデイは、日本語表記。

見る 張栄とオゴデイ

カチウン

カチウン(,、生没年不詳)は、チンギス・カンの三弟で、モンゴル帝国の皇族である。

見る 張栄とカチウン

コデン

コデン(Köden、生没年不詳)は、モンゴル帝国の王族。漢字表記は闊端太子、『集史』などのペルシア語表記では كوتان Kūtān。名はクタン、ゴデン、ゴダンなどとも書かれる。

見る 張栄とコデン

第二次対金戦争

第二次対金戦争(だいにじたいきんせんそう)は、13世紀にモンゴル帝国と金朝との間で行われた戦争。1230年から1234年まで行われ、この戦争で金朝は完全に滅亡した。

見る 張栄と第二次対金戦争

講談社現代新書

講談社現代新書(こうだんしゃげんだいしんしょ、Kodansha's new library of knowledge)とは、講談社が発行する教養新書のシリーズである。1964年(昭和39年)4月に創刊。

見る 張栄と講談社現代新書

黄河

黄河流域 黄河(こうが、、ホワンホー)は、中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川である。全長約5,464キロメートルで、中国では長江(揚子江)に次いで2番目に長く、アジアでは長江とエニセイ川に次いで3位、世界では6番目の長さである。 なお、河という漢字は本来は固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。現在の中国文明の直接の母体である黄河文明を育んだ川であり、中国史上において長江と並び巨大な存在感を持つ川である。

見る 張栄と黄河

恒州 (河北省)

恒州(こうしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から五代十国時代にかけて、現在の河北省石家荘市一帯に設置された。

見る 張栄と恒州 (河北省)

東平路

東平路(とうへいろ)は、中国にかつて存在した路。モンゴル帝国および大元ウルスの時代に現在の山東省聊城市一帯に設置された。 モンゴル帝国建国の功臣、ジャライル部族長のムカリを始祖とするムカリ国王家の投下領であった。

見る 張栄と東平路

歴城区

歴城区(れきじょう-く)は中華人民共和国山東省済南市に位置する市轄区。

見る 張栄と歴城区

済南府

済南府(濟南府、さいなんふ)は、中国にかつて存在した府。宋代から民国初年にかけて、現在の山東省済南市一帯に設置された。

見る 張栄と済南府

済南路

済南路(さいなんろ)は、中国にかつて存在した路。モンゴル帝国および大元ウルスの時代に現在の山東省済南市・浜州市一帯に設置された。治所は歴城県で、大元ウルスの行政上は中書省に直属する地域(腹裏/コルン・ウルス)であった。 チンギス・カンの三弟のカチウンを始祖とするカチウン・ウルスの投下領であった。

見る 張栄と済南路

漢人世侯

漢人世侯(かんじんせこう)とは、金末にモンゴル帝国に降った漢人有力者が貢納と軍事的協力の義務遂行を条件に、管下の人民に対する支配権力をモンゴルから授けられて成立した制度。 しかし、1262年の李璮の乱を切っ掛けとして漢人世侯は実質的に解体され、華北地方は大元ウルス(元朝)による直接支配に移行することになった。

見る 張栄と漢人世侯

1210年代

1210年代(せんにひゃくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1210年から1219年までの10年間を指す十年紀。

見る 張栄と1210年代