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加持祈祷

索引 加持祈祷

加持祈祷(かじきとう)とは、密教において重視される仏の呪力を願う一種の儀式。.

45 関係: 加持加持祈祷事件印相南都吉田神道天武天皇密教小右記万寿平安時代仁王経仏 (曖昧さ回避)延暦寺園城寺呪文儀式現世祈り真言真言宗用明天皇鎮護国家鎌倉仏教聖徳太子護摩興福寺薬師寺藤原嬉子藤原実資藤原道長藤原顕光金光明経金剛杵陰陽道東寺民間療法法会法勝寺法隆寺持統天皇浄土真宗日蓮宗曹洞宗怨霊1025年

加持

加持(かじ)とは、仏教用語の1つ。元はサンスクリット語のadhisthana(アディシュターナ)の訳語で、他にも所持・護念などと訳される場合もある。 本来の意味は仏あるいは菩薩が不可思議な力によって衆生(人々)を守るという鎮加護持(ちんかごじ)・神変加持(じんべんかじ)を指す。仏の大悲の力が衆生に加えられ、一方衆生の信心が仏に伝わることでその効果を発揮するとされる。 密教においては、仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」、衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し、双方が相応一致することで仏と衆生の持つそれぞれの三密が入り混じて他を己におさめ持ち、死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させることから、これを「三密加持」と称する。密教では三密加持を実現させるために、修行者が手に仏の印契を結び(身密)、口に仏の真言を唱え(口密)、心も仏の心境(心密)になることが必要とされ、そのために各種の修法が行われる。それらの修法のために必要な呪禁の作法のことも加持と称した。 更に衆生が仏(場合によっては神)の力の助けを借りるために衆生自身あるいは仲立ちである僧侶が行う祈りのことも「加持」と呼ばれ、祈祷と同一視され、両者を組み合わせた『加持祈祷』とも呼ばれた。.

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加持祈祷事件

加持祈祷事件(かじきとうじけん)とは、宗教的行為である加持祈祷によって少女を死に至らしめた僧侶が、傷害致死罪に問われた事件である。宗教的行為を処罰することが、憲法20条(信教の自由)に違反しないかが争われた憲法学上著名な判例の一つである。.

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印相

印相(いんそう、いんぞう、mudrā)は、仏教において、手の指で様々な形を作り、仏・菩薩・諸尊の内証を標示するもの。印(いん)、印契(いんげい)、密印、契印ともいう。修行者が本尊と渉入し融合するために、その本尊の印相を結ぶこともある。もともとは、印相に関する定まった軌則は無かったが、密教の発達に伴って相が定まり、意味が説かれるようになった。儀軌の成立した時代の違いや地方の別によって、印相には差異がある。.

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南都

南都(なんと)は、複都制において「南の都」を意味する語である。.

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吉田神道

吉田神社 斎場所大元宮(京都市左京区) 吉田神道(よしだしんどう)とは、室町時代京都吉田神社の神職吉田兼倶によって大成された神道の一流派。唯一神道、卜部神道、宗源神道とも。.

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天武天皇

天皇系図38~50代 天武天皇(てんむてんのう、? - 朱鳥元年9月9日(686年10月1日))は、7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。.

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密教

密教(みっきょう)とは、秘密の教えを意味し、一般的には、大乗仏教の中の秘密教を指し、秘密仏教の略称とも言われる。金剛乗、あるいは金剛一乗教、金剛乗教ともいう。中国語圏では一般に密宗(ミイゾン)という。.

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小右記

『小右記』(おうき / しょうゆうき)は、平安時代の公卿藤原実資の日記。「小右記」とは小野宮右大臣(実資のことを指す)の日記という意味。全61巻。全文は漢文で書かれている。『野府記』(やふき)ともいう。.

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万寿

万寿(まんじゅ、正字体:萬壽)は、日本の元号の一つ。治安の後、長元の前。1024年から1028年までの期間を指す。この時代の天皇は後一条天皇。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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仁王経

『仁王経』(にんのうぎょう、にんのうきょう)は、大乗仏教における経典のひとつ。『仁王般若経』とも称される。なお、この経典は仏教における国王のあり方について述べた経典であり、天部に分類される仁王(=二王:仁王尊)について述べた経典ではない。.

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仏 (曖昧さ回避)

佛がもとの漢字。国語国字改革以後は「仏」(当用漢字、常用漢字)。.

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延暦寺

延暦寺(えんりゃくじ、正字: 延曆寺)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。比叡山、または叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので南都の興福寺と対に北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994年には、古都京都の文化財の一部として、(1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)ユネスコ世界文化遺産にも登録された。寺紋は天台宗菊輪宝。.

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園城寺

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。 開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩である。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。 なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。.

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呪文

呪文(じゅもん)は、呪術的な効果を得るために使われる言葉であり、呪術の一要素を成す。多くは定式化されており、期待する効果に応じてそれらを使い分ける。呪文のフレーズには直喩・隠喩が多用されたり、擬音語・節回しなどの音声的な工夫がなされたりする。また神秘性によって効力が高まると考え、古語や意味不明な語句を用いたり、秘密にされたりする場合もある。またはそこから転じて、意味不明な言葉の羅列などを"呪文"と喩える場合もある。 呪術の要素として、言葉(呪文)、行為(呪法)、道具(呪具)の三つが挙げられるが、各々を単独で用いるか・組み合わせて用いるか、またどれを重視するかは文化によって異なる。従って呪文はしばしば儀式と結び付けて用いられる。また呪文を特に尊び、一言一句正確な詠唱を求める文化もあれば、呪法や呪具の効力を認めて、術者による多少の呪文改変を許す文化もある。前者の例としてはポリネシアのマオリ族やトロブリアンド島民がある。アフリカでは後者の例が多い。 呪文は言葉そのものとして見ると、様式的かつ一義的解釈が困難という点で詩歌との共通点がある。実際、呪文が詩歌(特に諷刺詩)の原型になったと思われる社会は多く見られる。.

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儀式

儀式(ぎしき)は、特定の信仰、信条、宗教によって、一定の形式、ルールに基づいて人間が行う、日常生活での行為とは異なる特別な行為。宗教的色彩の薄いものは式典とも称される。.

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現世

世(げんせ、げんせい、うつしよ)とは、現在の世のこと広辞苑第五版デジタル大辞泉。古くは「げんぜ」とも読む。.

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祈り

りを捧げるマグダラのマリア (19世紀、アリ・シェフェールによる) 祈り(いのり)とは、神などの人間を超える神格化されたものに対して、何かの実現を願うことである。祈祷(きとう)、祈願(きがん)ともいう。儀式を通して行う場合は礼拝(れいはい)ともいう。.

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真言

真言(しんごん)とは、サンスクリット語のマントラ(मन्त्र )の訳語で、「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」という意。『大日経』などの密教経典に由来し、浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる呪術的な語句である。 漢訳経典では、「真言」の他に「密言」、「呪」、「明呪」等と訳される「呪」は「咒」と書かれることもあるが、「咒」は「呪」の異体字(俗字)であり意味の違いもない。。.

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真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

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用明天皇

明天皇(ようめいてんのう、生年不詳 - 用明天皇2年4月9日(587年5月21日?))は、日本の第31代天皇(在位:敏達天皇14年9月5日(585年10月3日?) - 用明天皇2年4月9日(587年5月21日?))。.

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鎮護国家

鎮護国家(ちんごこっか)は、政府が仏教を利用して内政の安定を図ろうとした政策、または、仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想。.

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鎌倉仏教

鎌倉仏教(かまくらぶっきょう)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて興起した日本仏教の変革の動きを指す。特に浄土思想の普及や禅宗の伝来の影響によって新しく成立した仏教宗派のことを鎌倉新仏教(かまくらしんぶっきょう)と呼称する場合がある。しかし、「鎌倉新仏教」の語をめぐっては後述のように研究者によって様々な見解が存在する(→ 「鎌倉仏教論」 節)。.

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聖徳太子

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))・厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)は、飛鳥時代の皇族・政治家。「聖徳太子」は、後世の諡号。用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。.

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護摩

総本山金峯山寺修験本宗「普来山正覚院」 兵庫県三木市の伽耶院で山伏により毎年10月第2月曜日に行われる採燈大護摩供 護摩(ごま)とは、「供物」「供物をささげること」「犠牲」「いけにえ」を意味するサンスクリットのホーマ()を音訳して書き写した語である。.

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興福寺

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。.

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薬師寺

薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

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藤原嬉子

藤原 嬉子(ふじわら の きし/ よしこ、寛弘4年1月5日(1007年1月26日) - 万寿2年8月5日(1025年8月30日))は、摂政藤原道長の六女。母は源倫子。尚侍。第69代後朱雀天皇の東宮妃、第70代後冷泉天皇生母。贈皇太后。同母の兄弟に頼通・教通、上東門院彰子・妍子・威子。.

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藤原実資

藤原 実資(ふじわら の さねすけ)は、平安時代の公卿。 藤原北家嫡流の小野宮流の膨大な家領を継ぎ、有職故実に精通した当代一流の学識人であった。藤原道長が権勢を振るった時代に筋を通した態度を貫き、権貴に阿らぬ人との評価を受けた。最終的に従一位・右大臣に昇り、「賢人右府」と呼ばれた。実資の残した日記『小右記』はこの時代を知る貴重な資料となっている。.

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藤原道長

藤原 道長(ふじわら の みちなが)は、平安時代の中期の公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の五男(または四男)。後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の外祖父にあたる。 父・兼家が摂政になり権力を握ると栄達するが、五男であり道隆、道兼という有力な兄がいたためさほど目立たない存在だった。しかし兼家の死後に摂関となった道隆が大酒、道兼が伝染病により相次いで病没。後に道隆の嫡男・伊周との政争に勝って左大臣として政権を掌握した。 一条天皇に長女の彰子を入内させ皇后(号は中宮)となす。次の三条天皇には次女の妍子を入れて中宮となす。だが三条天皇とは深刻な対立が生じ天皇の眼病を理由に退位に追い込み、彰子の生んだ後一条天皇の即位を実現して摂政となる。1年ほどで摂政を嫡子の頼通に譲り後継体制を固める。後一条天皇には四女の威子を入れて中宮となし、「一家立三后」(一家三后)と驚嘆された。さらには、六女の嬉子を後の後朱雀天皇となる敦良親王に入侍させた。晩年は壮大な法成寺の造営に精力を傾けた。.

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藤原顕光

藤原 顕光(ふじわら の あきみつ)は、平安時代中期の公卿。藤原北家、関白太政大臣・藤原兼通の長男。官位は従一位・左大臣。 父・兼通が関白になると、昇進して公卿に列するが、兼通の死後はその弟・兼家(顕光の叔父)と道長(顕光の従弟)父子に実権を奪われる。無能者として知られ、朝廷の儀式で失態を繰り返して世間の嘲笑を買った。晩年、左大臣に上るが失意のうちに死去し、道長の家系に祟りをなしたと恐れられ、悪霊左府と呼ばれた。.

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金光明経

『金光明経』(こんこうみょうきょう、、 スヴァルナ・プラバーサ・スートラ)は、4世紀頃に成立したと見られる仏教経典のひとつ。大乗経典に属し、日本においては『法華経』・『仁王経』とともに護国三部経のひとつに数えられる。 原題は、「スヴァルナ」()が「黄金」、「プラバーサ」()が「輝き」、「スートラ」()が「経」、総じて「黄金に輝く教え」の意。.

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金剛杵

金剛杵(ネパール) 金剛杵(こんごうしょ、वज्र vajra, ヴァジュラ、ヴァジラ)は、日本仏教の一部宗派(天台宗・真言宗・禅宗)やチベット仏教の全宗派で用いられる法具。 仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心(悟りを求める心)を表す様を、インド神話上の武器に譬えて法具としたものである。.

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陰陽道

陽道(おんみょうどう)は、陰陽寮で教えられていた天文道、暦道といったものの一つ。これら道の呼称は大学寮における儒学を教える明経道、律令を教える明法道等と同じで国家機関の各部署での技術一般を指す用語であり、思想ないし宗教体系を指す用語ではない。「おんようどう」「いんようどう」とも。古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説を起源として日本で独自の発展を遂げた呪術や占術の技術体系である。 陰陽道に携わる者を陰陽師とよんでいたが、後には陰陽寮に属し六壬神課を使って占いをし、除災のために御払いをするもの全てが陰陽師とよばれるようになった。陰陽師集団を陰陽道と呼ぶことがある。.

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東寺

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗の仏教寺院。東寺は真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の見解では、真言宗全体の総本山としている。「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。山号は八幡山。本尊は薬師如来。寺紋は雲形紋(東寺雲)。 東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。.

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民間療法

民間療法(みんかんりょうほう)とは、古くから民間で見出され伝承されてきた方法によって行う治療法のことである。戦前の昭和期から広く使われるようになった言葉で、通常医療に含まれない「療法」群を指すもので、健康術(体制の容認しない医学システムを用いた健康法で、一つの体系を持っているもの)や健康法(健康術よりずっと単純なもの)、呪術的療法をその内容とする井村宏次 著『霊術家の黄金時代』 ビイング・ネット・プレス、2014年。 民間療法の一部は、様々な観点から代替医療の一部と見られることがある。これについては代替医療の項目を参照のこと。.

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法会

法会(ほうえ)とは、仏教において仏法を説くためや供養を行うための僧侶・檀信徒の集まりである。特に大きな法会は大会(たいえ・だいえ)と称されることがある。 法会は、古くからインド・中国でも降誕会や成道会は行われており、日本では、蘇我馬子とうすあつがすでに法会を行っていた。奈良時代には宮中の御斎会・興福寺の維摩会・薬師寺の最勝会の3つの法会が重要視され(これらを「南京三会」:なんきょうさんえ と言う)、この3つの法会の講師を務めた僧は三会已講師(さんえいこうじ、略して三会已講、已講ともいう)と称された。この講師を務めることが僧綱(律師・僧都・僧正)に昇進するルートであった。 後三条天皇は延久4年(1072年)に、仁和寺内に建立した円宗寺で法華会を修させ、最初の年には園城寺から、その後は延暦寺(山門)と園城寺(寺門)から隔年で交互に講師を出させた。これは寺門側からの独自の僧綱ルートとなる法会創設の願いに応えたものである。こののち承暦2年(1078年)には、白河天皇主導で法勝寺で大乗会が行われ、先の円宗寺法華会と最勝会とを合わせ「北京三会」(ほっきょうさんえ)とし、寺社勢力を配下に置こうとした。なお円宗寺は鎌倉時代に廃寺となっている。 その後、法会は追善供養などで行われる法要(法事)などと同じ意味で使われるようになった。なお、宗祖や高僧の忌日にその画像(御影)を掲げて供養する法会のことを御影供(みえいく、みえく)と称するが、特に真言宗において日本真言宗の祖である空海の月命日である21日に行われる御影供(3月21日に行われる御影供は正御影供という)は有名である。.

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法勝寺

京都市勧業館にあった法勝寺の模型(現在は京都市平安京創生館に移設) 法勝寺(ほっしょうじ)は、平安時代から室町時代まで平安京の東郊、白河(現在の岡崎公園、京都市動物園周辺)にあった、六勝寺のひとつである。 白河天皇が1076年(承保3年)に建立した。皇室から厚く保護されたが、応仁の乱以後は衰微廃絶した。.

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法隆寺

法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の総本山である。別名は斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺など。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。.

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持統天皇

持統天皇(じとうてんのう、大化元年(645年) - 大宝2年12月22日(703年1月13日))は、天武天皇の皇后で、日本の第41代天皇。実際に治世を遂行した女帝である(称制:朱鳥元年9月9日(686年10月1日)、在位:持統天皇4年1月1日(690年2月14日) - 持統天皇11年8月1日(697年8月22日))。諱は鸕野讚良(うののさらら、うののささら)。和風諡号は2つあり、『続日本紀』の大宝3年(703年)12月17日の火葬の際の「大倭根子天之廣野日女尊」(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)と、『日本書紀』の養老4年(720年)に代々の天皇とともに諡された「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)がある(なお『日本書紀』において「高天原」が記述されるのは冒頭の第4の一書とこの箇所のみである)。漢風諡号、持統天皇は代々の天皇とともに淡海三船により、熟語の「継体持統」から持統と名付けられたという。.

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浄土真宗

浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨である。鎌倉仏教のひとつ。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。を継承し展開させる。親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させる。「浄土真宗」の英訳は、浄土真宗本願寺派ではJodo Shinshuとし、真宗大谷派・真宗佛光寺派ではShin Buddhismとしている。.

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日蓮宗

日蓮宗(にちれんしゅう)は、.

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曹洞宗

曹洞宗(そうとうしゅう)は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の1つで、日本仏教においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つ。鎌倉仏教のひとつである。本山は永平寺(福井県)・總持寺(横浜市鶴見区)。専ら坐禅に徹する黙照禅であることを特徴とするが、仏陀つまり悟りを開いた人・目覚めた人の教えであるので、出家在家に拘らず、求道者各自が悟りを開くことを標榜する。 中国禅宗の祖である達磨(5C後半 - 6C前半)から数えて6代目の南宗禅の祖・曹渓宝林寺の慧能(638 - 713年)の弟子の1人である青原行思(? - 740年)から、石頭希遷(700 - 790年、石頭宗)、薬山惟儼(745 - 828年))、雲巌曇晟(782 - 841年 )と4代下った洞山良价(807 - 869年)によって創宗された。.

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怨霊

葛飾北斎画『近世怪談霜夜星』に登場する怨霊(左) 怨霊(おんりょう)とは、自分が受けた仕打ちに恨みを持ち、たたりをしたりする、死霊または生霊のことである。 悪霊に分類される。.

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1025年

記載なし。

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