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初代忠行

索引 初代忠行

初代 忠行(しょだい ただゆき)は、日本の武士・刀工。江戸時代初期に肥前佐嘉(佐賀)を中心に活躍した新刀鍛冶として知られる。父は近江大掾忠広で、初代忠吉の孫といわれる。号は忠行であり、本家の忠吉家と同じ本藩の長瀬町に居住しつつも、小城藩の藩工(歩行)として仕えた。代々橋本和助と名乗り、8代まで続いた。6代目忠行は、佐賀藩御鋳立方の七賢人で知られる8代目忠吉の後見役を勤めた。また、8代目忠行は主任である佐野常民の下、同藩の精煉方において三重津海軍所で凌風丸の建造などに携わった。

目次

  1. 15 関係: 小城藩三重津海軍所佐賀郡佐賀藩佐野常民後見徒士刀工凌風丸 (佐賀藩)近江大掾忠広肥前忠吉 (初代)肥前国長瀬武士浄土真宗本願寺派

小城藩

小城藩(おぎはん)は、佐賀藩の支藩。藩主家は小城鍋島家。

見る 初代忠行と小城藩

三重津海軍所

三重津海軍所(みえつかいぐんしょ)は佐賀県佐賀市川副町大字早津江字元海軍所に所在し、佐賀藩が1858年(安政5年)に設立した蒸気船等の船の修理・造船施設。 西洋船運用のための教育・訓練機関も兼ね備えていた。実用的な国産初の蒸気船である「凌風丸」を製造した。 2000年代に入り発掘・文献調査が進められ、2013年に国の史跡に指定、2015年には「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録された。 なお、名称が類似している三重県津市とは無関係である。

見る 初代忠行と三重津海軍所

佐賀郡

佐賀県佐賀郡の位置(水色:後に他郡から編入した区域) 佐賀郡(さがぐん)は、佐賀県(肥前国)にあった郡。 明治初期に成立した佐賀市および佐賀県の名は当郡に由来する。

見る 初代忠行と佐賀郡

佐賀藩

佐賀城の鯱の門 佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡にあった外様藩。肥前藩(ひぜんはん)ともいう。鍋島家が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)と呼ばれることもある。明治維新を推進した薩長土肥のひとつである。現在の佐賀県、長崎県の一部にあたる。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市)に置いた。 藩主ははじめ龍造寺家、後に鍋島家。石高は35万7千石。支藩として蓮池藩、小城藩、鹿島藩があった。

見る 初代忠行と佐賀藩

佐野常民

佐野 常民(さの つねたみ、1823年2月8日(文政5年12月28日) - 1902年(明治35年)12月7日)は、明治期の日本の政治家。日本赤十字社の創始者。官職は枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿、元老院議長。栄典は正二位勲一等伯爵。「佐賀の七賢人」の1人。名は栄寿、栄寿左衛門。

見る 初代忠行と佐野常民

後見

後見(こうけん)とは、民法において、制限行為能力者の保護のために、法律行為・事実行為両面においてサポートを行う制度である。未成年者に親権者がないか又は親権者が財産管理権をもたない場合の未成年後見制度と、精神上の障害等により能力を欠く場合の成年後見制度がある。 以上のように後見には「未成年後見」と「成年後見」があるが、未成年者についても成年後見の適用は排除されていない点に注意を要する。これは成年が近くなった未成年者の知的障害者が成年に達する場合には法定代理人がいなくなってしまうことから、その時に備えて申請を行う必要があるためである(詳細は後述)。

見る 初代忠行と後見

徒士

徒士(かち)は、徒歩で戦う士分格を持つ武士を指す。騎乗身分ではない。江戸時代には主君に仕える下級武士に当たる。 戦場では主君の前駆をなし、平時は城内の護衛(徒士組)や中間管理職的な行政職(徒目付、勘定奉行の配下など)に従事した。 徒士は士分に含まれるので、士分格を持たない足軽とは峻別される。したがって近代軍制でいうと、下士官に相当し、兵ではない(なお騎乗身分の侍(馬廻組以上)は士官に相当する)。 徒士・足軽による徒歩戦闘を徒戦(かちいくさ)と呼ぶ。

見る 初代忠行と徒士

刀工

刀鍛冶 『月耕随筆 稲荷山小鍛治』尾形月耕。三条宗近が稲荷明神の化身とともに作刀する謡曲「小鍛冶」を題材としたもの 刀工(とうこう)は、刀剣、特に日本刀を作る職人のことである。鍛冶の技術を用いる事から、鍛人(かぬち)、鍛師(かなち)、刀鍛冶(かたなかじ)、刀匠(とうしょう)、刀師(かたなし)などとも呼ばれる。統括団体である一般社団法人『全日本刀匠会』では、会名である刀匠と刀鍛冶を使用している。本ページでは刀工に統一する。 刀剣を製造(鍛造)することを鍛刀(たんとう)といい、鍛刀される場所・地域を鍛刀地(たんとうち)という。 また、鍛刀地および鍛刀技術や特徴を同じくするものを刀派(とうは)、流派(りゅうは)、刀工群(とうこうぐん)、刀工集団(とうこうしゅうだん)と呼ぶ。

見る 初代忠行と刀工

凌風丸 (佐賀藩)

凌風丸(りょうふうまる)は、幕末に佐賀藩が建造した蒸気船。日本で建造された最初の実用蒸気船である。 開明的な藩主の鍋島直正の下で西洋軍事技術の導入に熱心だった佐賀藩は、早くから近代海軍の整備にも取り組み、オランダに蒸気軍艦「電流丸」を発注するなどしていた。西洋式艦船の国産化も試み、黒船来航翌年の1854年11月(安政元年9月頃)には蒸気船の国産を目指す方針を決定、1858年(安政5年)には長崎海軍伝習所でカッター型帆船「晨風丸」を竣工させている。蒸気機関についても、「電流丸」の交換用のボイラーや幕府船用のボイラーの製造経験を積んだ。そして、1863年4月(文久3年3月)、佐野常民や中牟田倉之助らを責任者として、ついに蒸気船の起工に至った。佐賀藩の軍港である三重津海軍所で建造は進められ、からくり儀右衛門として知られた田中久重父子らにより1865年(慶応元年)に竣工、「凌風丸」と命名された秀島(1972年)、255頁。

見る 初代忠行と凌風丸 (佐賀藩)

近江大掾忠広

近江大掾忠広(近江大掾忠廣、おうみのだいじょうただひろ)は、江戸時代の肥前国の武士・刀工。橋本平作郎、のち新左衛門を名乗る。初代忠吉の子。

見る 初代忠行と近江大掾忠広

肥前忠吉 (初代)

初代 忠吉(しょだい ただよし)は、日本の武士・刀工。安土桃山時代から江戸時代初期に肥前を中心に活躍した新刀鍛冶として知られる。号が忠吉(後に忠広)であり、本名は橋本新左衛門。新刀最上作最上大業物であり、名手とされる。

見る 初代忠行と肥前忠吉 (初代)

肥前国

肥前国(ひぜんのくに、)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属し、現在の佐賀県と長崎県(壱岐・対馬を除く)にあたる。

見る 初代忠行と肥前国

長瀬

長瀬、長瀨(ながせ); 地名。

見る 初代忠行と長瀬

武士

武士(ぶし、もののふ)は、日本における戦闘員を指し、戦闘を家業とする家系にある者を指す。平安時代に生まれ、幕末期まで存在した。 宗家の主人を頂点とした家族共同体を作っていた特徴がある。 その上に、武家の棟梁(ぶけのとうりょう)が位置し、武家政権を樹立した。武家の棟梁とは、一族や同盟関係にある者たちを統率するリーダーのことで、武士団を指導し、彼らからの信任と忠誠を受けていた。

見る 初代忠行と武士

浄土真宗本願寺派

浄土真宗本願寺派(じょうどしんしゅうほんがんじは)とは、浄土真宗の宗派の1つで、宗教法人法による宗教法人(包括宗教法人)である。宗祖親鸞の墓所である大谷廟堂を発祥とする「本願寺」('''西本願寺''')を本山とする。本派(ほんぱ)、お西(おにし)の通称がある。 2014年12月31日現在の被包括宗教団体数は10,329被包括宗教団体数は、別院含む寺院の他、教会などを含んだ宗教団体(宗教法人を含む)の総数である。平成26年12月31日現在、寺院10,206(うち宗教法人10,185)、教会8(うち宗教法人2)、布教所2(うち宗教法人0)、その他94(うち宗教法人71)である。( を参照。)。 浄土真宗本願寺派の信者数は、約796万人 で浄土真宗の各宗派中最多である。また、仏教系の宗教法人の中でも最多である。

見る 初代忠行と浄土真宗本願寺派