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分別説部

索引 分別説部

分別説部(ふんべつせつぶ、Vibhajyavāda, ヴィバジヤヴァーダ; Vibhajjavāda, ヴィバッジャワーダ )とは、仏教の上座部の一派。スリランカを経由して東南アジアに広がった、いわゆる南伝仏教の源流。.

24 関係: 多聞部大衆部上座部上座部仏教仏教律 (仏教)化地部ブッダゴーサパーリ仏典アショーカ王シンハラ人スリランカスリランカの仏教紀元前246年飲光部説一切有部説仮部部派仏教阿毘達磨大毘婆沙論赤銅よう部東南アジア根本分裂正量部法蔵部

多聞部

多聞部 (Bahuśrutīya, バフシュルティーヤ、)とは部派仏教の一派。世友の『』やその他の古い文献によると、多聞部は大衆部から別れた分派であるという。.

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大衆部

大衆部(だいしゅぶ、महासाघिक, Mahāsāṃghika, マハーサンギカ)は、古代インド仏教の部派の1つ。音訳して摩訶僧祇部(まかそうぎぶ)とも呼ばれる。 釈迦の没後100年ほど後、十事の非法・大天の五事などの「律」の解釈で意見が対立し、教団は上座部と大衆部とに根本分裂した(部派仏教時代)。 その後、それぞれの教団はさらに枝末分裂を繰り返し、大衆部からは下記のグループなどに分裂した。.

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上座部

上座部(じょうざぶ、स्थविरवाद, Sthaviravāda, スタヴィラヴァーダ, theravādaは、部派仏教の部派の1つ。上座部から分派してできた複数の部派の総称を指して上座部と呼ぶ用法もある。.

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上座部仏教

上座部仏教(じょうざぶぶっきょう、Theravāda、Sthaviravāda、เถรวาท, 、Theravada Buddhism)は、仏教の分類のひとつ。上座仏教、テーラワーダ仏教、テーラヴァーダ仏教とも。「上座」 (thera) とはサンガ内で尊敬される比丘のことで、「長老」とも漢訳される。 スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスに広まり、パーリ語仏典を受持する上座部仏教は、南伝仏教とも呼ばれ、パーリ語の三蔵を伝えていることからパーリ仏教ともいう。東アジア、チベット、ベトナムへ伝わった大乗仏教(北伝仏教)とは異なる歴史経過をたどった。小乗仏教と呼ばれることもあるが、南伝仏教側の自称ではなく、そのように呼称するのは不適切とされる。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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律 (仏教)

律(りつ、巴:Vinaya, ヴィナヤ、漢:毘奈耶)とは、仏教において僧団(サンガ)に属する出家修行者(比丘, bhikkhu, bhikshu)が守らなければならない、規則の事である。様々な律蔵が漢訳によって伝えられたが、日本においては主に四分律が用いられた。.

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化地部

化地部(けじぶ、Mahīśāsaka, マヒーシャーサカ)とは、仏教の上座部の一派。説一切有部から派生したとする説と、逆に説一切有部を派生したという説に分かれる。 北伝大乗仏教に伝わる律の1つである『五分律』は、この化地部の律とされる。.

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ブッダゴーサ

ブッダゴーサ(Buddhaghosa、仏音、覚音、覚鳴、5世紀頃)とは、上座部仏教の代表的な注釈者であり、仏教学者。 バラモンの家に生まれるが、仏教に帰依し、三蔵研究のためにスリランカに渡る。 三蔵(パーリ語経典)の全般に亘るパーリ語の注釈を書いた。また、『清浄道論』(Visuddhimagga、ヴィスッディマッガ)という著書も残している。.

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パーリ仏典

パーリ仏典(パーリ語仏典、パーリ聖典、)、あるいはパーリ三蔵(Tipiṭaka, ティピタカ、三蔵のこと)は、南伝の上座部仏教に伝わるパーリ語で書かれた仏典である。北伝の大乗仏教に伝わる漢語・チベット語の仏典と並ぶ三大仏典群の1つ。 パーリ経典(パーリ語経典)とも呼ばれることがあるが、これだと仏典よりも狭い限定的な意味のニュアンスを持った表現となる。 日本でも戦前に輸入・翻訳され、漢訳大蔵経(北伝大蔵経)、チベット大蔵経に対して、『南伝大蔵経』『パーリ大蔵経』(パーリ語大蔵経)などとしても知られる。.

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アショーカ王

アショーカ(अशोकः、IAST:、Asoka、訳:無憂〈むう〉、在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)は、マウリヤ朝の第3代の王である。漢訳音写では阿育王と書かれる。インド亜大陸をほぼ統一した。釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。アショカとも表記される。.

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シンハラ人

別のシンハラ人のパーセンテージ(1981年または2001年の国勢調査より) シンハラ人(; Sinhala Jathiya、)は、スリランカの民族。シンハリ人とも呼ばれる。先住民のドラヴィダ人とインド・アーリア人が混合した民族である。.

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スリランカ

リランカ民主社会主義共和国(スリランカみんしゅしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称スリランカは、南アジアのインド亜大陸の南東にポーク海峡を隔てて位置する共和制国家。首都はスリジャヤワルダナプラコッテ。 1948年2月4日、イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立。1972年にはスリランカ共和国に改称し、英連邦内の共和国となり、1978年から現在の国名となった。人口は約2120万(2016年)である。島国で、現在もこの国が占める主たる島をセイロン島と呼ぶ。国名をスリランカに改称したシリマヴォ・バンダラナイケは世界初の女性首相である。また、国民の7割が仏教徒(上座部仏教)である。.

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スリランカの仏教

リランカの仏教では、スリランカにおける仏教について記す。.

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紀元前246年

紀元前246年は、ローマ暦の年である。当時は、「マニウス・オタキリウス・クラッススとマルクス・ファビウス・リキヌスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元508年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前246年と表記されるのが一般的となった。.

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飲光部

飲光部(おんこうぶ、サンスクリット: Kāśyapīya; パーリ語: Kassapiyā or Kassapikā)は仏教の上座部の一派。.

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説一切有部

説一切有部(せついっさいうぶ、Sarvāstivādin)は、部派仏教時代の部派の一つ。略称は有部。説因部(せついんぶ、Hetuvāda)ともよばれる。紀元前1世紀の半ば頃に上座部から分派したとされ、部派仏教の中で最も優勢な部派であったという。同じく上座部系とされる南伝の分別説部と並んで、多くのアビダルマ文献が現存している。 「あらゆる現象」(諸法、dharmā)を構成する基体として、有法、法体(ダルマ、dharma)を想定し、主観的な我(人我)は空だが客体的な事物の類型(法)は三世に渡って実在するとした。説一切有部は大衆部や経量部と対立し、大乗仏教からも批判されたが、大きな勢力を保った。.

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説仮部

説仮部(せっけぶ、Prajñaptivāda, プラジュニャプティヴァーダ、)とは、インドの部派仏教の一派で、特に大衆部の分派である。多聞分別説部()としても知られる。.

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部派仏教

部派仏教(ぶはぶっきょう、Early Buddhist schools)とは、釈迦の死後百年から数百年の間に仏教の原始教団から分裂して成立した諸派の仏教。アビダルマ仏教ともいう。紀元前3世紀頃に原始教団が上座部と大衆部に分裂(根本分裂)したのち、この2部派がさらに分裂してゆき、部派の数は全体で20となった。各部派は、釈迦が残した教法を研究・整理して、独自の教義を論(アビダルマ)として作り、互いに論争した。部派仏教は、釈迦と直弟子時代の初期仏教を継承し、大乗仏教の成立後も数世紀に渡りインドで大きな勢力を有していたとされる。のちに興った大乗仏教からは小乗仏教と貶称された。.

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阿毘達磨大毘婆沙論

『阿毘達磨大毘婆沙論』(あびだつま だいびばしゃろん、Abhidharma-mahāvibhāṣā-śāstra)は、仏教の注釈書の1つ。略称として、『大毘婆沙論』や『婆沙論』が用いられる傾向にある。 また、これらの略称を用いる際には主に玄奘訳の『阿毘逹磨大毘婆沙論』を指す。 「アビダルマ」(abhidharma)は「法について」、「マハー」(mahā)は「大」、「ヴィバーシャー」(vibhāṣā)は「註釈・解説」、「シャーストラ」(śāstra)は「論・書」、すなわち総じて「法についての大きな註釈書」の意である。.

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赤銅よう部

赤銅鍱部または銅鍱部(Tāmraparṇīya Tambapaṇṇiya)は、部派仏教の一派。 銅鍱洲や赤銅鍱(TāmraparṇiTambapaṇṇi)とはスリランカの古称。銅鍱洲などインド南部に広がった分別説部支派の古称。現在の上座部仏教の源流と考えられる。紅衣部(Tāmraśāṭīya)とも呼ばれる。.

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東南アジア

東南アジア(とうなんアジア)は、中国より南、インドより東のアジア地域を指す。インドシナ半島、マレー半島、インドネシア諸島、フィリピン諸島などを含む。主に、大陸部東南アジアと島嶼部東南アジアに分けられる。 '''東南アジア''' 東南アジアの地図 東南アジアの範域.

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根本分裂

根本分裂(こんぽんぶんれつ)とは、仏教教団において、釈迦の死後100年頃、第二回結集の後、それまで1つであった弟子たちの集団が、大衆部と上座部の2つの教団に分裂した出来事のことである。分裂は2つではなく3つだったという説もある(分別説部)。これが起きた時代は、婆沙論によればアショカ王の時代とされ、マハーワンサによればカーラーショーカ王の時代とされている。.

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正量部

正量部 (しょうりょうぶ、サンスクリット:sammatiiya, sammitiiya)は、部派仏教の十八部の一つである。釈迦死後300年ごろに犢子部から4部が分かれた内の第三である。 知識を獲得したときに、それが正しいかどうかを判定するのを量と言うが、この派は「量」に誤謬がないので「正量部」と称した。〔異部宗輪論述記〕 Category:部派仏教.

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法蔵部

法蔵部(ほうぞうぶ、Dharmaguptaka, ダルマグプタカ、)、または漢字音訳で曇無徳部(どんむとくぶ)とは、仏教の上座部の一派。成立に関しては説が分かれるが、概ね説一切有部・化地部辺りから派生したという点では、見解が一致している。法蔵部は初期の中央アジアや中国の仏教で主要な役割を演じた。 中国・日本・ヴェトナム・朝鮮・台湾の律研究に多大な影響を与え、律宗が依拠してもいる四分律は、この部派の律である。このように東アジアに受け継がれた法蔵部の律は、東南アジアに受け継がれた南伝仏教の律、チベット・モンゴルに受け継がれた根本説一切有部の律とともに現存する三つの律の一つである。.

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