目次
87 関係: 号 (称号)、墨子、学者、孫詒譲、字、官僚、安井息軒、寒山寺、小説家、小柳司気太、山梨稲川、山本渓愚、居士、岸田吟香、島田翰、中国、中国の書家一覧、中国古典文学大系、中国哲学、中国哲学書電子化計画、三侠五義、庭園、人民網、広瀬旭荘、弾劾、張継、徳田武、徳清県、在野、北方心泉、呉昌碩、咸豊帝、哲学会、儒教、入矢義高、全集、兪平伯、光緒、国語 (歴史書)、倉石武四郎、石碑、王引之、王念孫、章炳麟、竹添進一郎、筆談、管子、紅楼夢、翰林院、爾雅、... インデックスを展開 (37 もっと) »
号 (称号)
号(ごう)とは、称号の略。本名とは別に使用する名称。
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墨子
墨子(ぼくし、)は、中国戦国時代に活動した諸子百家の墨家の開祖、墨 翟(ぼく てき、、紀元前470年頃 - 紀元前390年頃)の尊称。およびその人物に仮託された書物の題名。平和主義・博愛主義を説いた。中国の科学技術史の先駆者にも位置付けられる。
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学者
学者(がくしゃ)とは、学問の研究や教授を専門職とする人、または、学問のある人、豊富な知識のある人。一般に博識な人や物知りな人物に対しても用いられる。一般には研究者(けんきゅうしゃ)と同義の言葉と扱われる。学問の専門家。
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孫詒譲
孫 詒譲(そん いじょう、Sūn Yíràng、1848年 - 1908年)は、清末の学者・教育家。字は仲容、号は籀廎。
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字
字(あざな、)とは、中国など東アジアの漢字圏諸国で使われる人名の一要素である。昔、中国で成人男子と女子が実名以外につけた名。日本でも学者・文人がこれを用いた。
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官僚
官僚(かんりょう、bureaucrat)とは、国家の政策決定に大きな影響力を持つ国家公務員。「官僚」の語は、語義的には「役人」と同義語であるが、一定以上の高位の者ないしは高位になり得る者に限定して用いられることが多い。 英語のbureaucratは、フランス語の「bureaucratie ビューロクラティ」(官僚制)に起源を持つ。「官僚制度(官僚制)」は、ピラミッド型に整理された、権限の分担とその指揮系統に関する官僚の階層構造を意味する。これは統治構造の一種であり組織は問わないが、歴史的に政治統治組織が起源であるため「官僚制」と呼ばれることとなった。ヘーゲルによる定義では、「官僚」とは国家への奉仕かつ私有財産の配慮を行う者の総称となっている。
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安井息軒
安井 息軒(やすい そっけん、寛政11年1月1日〈1799年2月5日〉 - 明治9年〈1876年〉9月23日)は、江戸時代の儒学者。名は衡、字は仲平、息軒は号。日向国宮崎郡清武郷(現・宮崎県宮崎市)出身。飫肥藩士。その業績は江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築いた。門下からは谷干城や陸奥宗光など延べ2000名に上る逸材が輩出された。妻の佐代は、森鷗外の歴史小説『安井夫人』のモデル。 有名な言葉としては「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり。」。
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寒山寺
寒山寺(かんざんじ、、)は、中華人民共和国江蘇省蘇州市姑蘇区にある臨済宗の仏教寺院。 蘇州の旧市街から西に約5キロメートル、蘇州駅南南西3キロメートルの土地にあり、寒山拾得の故事で名高い。楓橋路に面しており、唐代の詩人の張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩「楓橋夜泊」(ふうきょう やはく)の石碑があることでも知られる。
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小説家
小説家(しょうせつか)は、継続的に小説作品の著述・発表を行っている者、もしくはグループ。
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小柳司気太
小柳 司気太(おやなぎ しげた、1870年12月24日(明治3年11月3日)- 1940年(昭和15年)7月18日)は、日本の中国文学者、道教の研究者。新潟県出身。東京帝国大学選科修了。旧姓は熊倉。
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山梨稲川
山梨 稲川(やまなし とうせん、明和8年8月4日(1771年9月12日) - 文政9年7月6日(1826年8月9日))は、江戸時代の漢詩人、説文学者。幼名は千代蔵。名は憲、後に治憲。通称は東平。字は玄度のほか、子叔、子発、叔子、季発、子発、文行など。号は昆陽、於陵子、不如無斎、烟霞都尉、稲川、楽山亭など。 度々江戸に出て学問、交遊を深めながら、生涯駿河国に居を構えて漢詩や字の研究に没頭した。荻生徂徠に始まる古文辞学派陰山豊洲に師事した。江戸後期には宋詩が流行を見たが、稲川は蘐園の末流として文は秦漢、詩は盛唐を模範とした。古文辞学とは字の研究を通じて儒教経典を解釈する学問であったが、稲川は殊に漢字・音韻の研究に進んだ。
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山本渓愚
山本 章夫(やまもと あやお、文政10年1月9日(1827年2月4日) - 明治36年(1903年)10月27日)は幕末、明治の儒学者、博物画家、本草学者。京都の本草学者山本亡羊の子。明治初年駅逓司、博覧会事務局等に関わったが、次兄山本秀夫没後、山本読書室を受け継ぎ、聚芳社を創立した。また、久邇宮家、本圀寺、京都市美術学校等で漢学・道徳を教え、賛育学社で漢方存続運動を指導した。肖像写真は高弟真下正太郎編「渓愚山本章夫先生小伝」の口絵。
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居士
居士(こじ)。
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岸田吟香
岸田 吟香(きしだ ぎんこう、1833年6月15日(天保4年旧暦4月28日)、一説に同天保4年旧暦4月8日(1833年5月26日)- 明治38年(1905年)6月7日は、日本の新聞記者、実業家、教育家。美作国久米北条郡垪和村(現岡山県久米郡美咲町)出身。目薬「精錡水」を販売するなど、薬業界の大立者としても知られる。
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島田翰
島田 翰(しまだ かん、1879年(明治12年)1月2日 - 1915年(大正4年)7月28日)は、日本の漢学者・書誌学者。字は彦禎。号は双桂后人。若くして校勘学で名をあげ、日中の文人と広く交流した一方で、書籍窃盗などの事件を起こし、37歳のとき自殺した。
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中国
中国(ちゅうごく、中國)は、ユーラシア大陸(アジア大陸)の東部を占める地域、及びそこで成立した国家をさす用語。日本では、1972年の日中国交正常化以降、中華人民共和国の略称としても使用されている。 中国統一問題を参照)。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。
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中国の書家一覧
中国の書家一覧(ちゅうごくのしょかいちらん)は、中国の能書家を時代別に分類した一覧である。現存する書家は掲載しない。
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中国古典文学大系
中国古典文学大系(ちゅうごくこてんぶんがくたいけい)は、平凡社が刊行した叢書の一つで、中国の主要な思想・文学の古典典籍を集成したものである。
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中国哲学
中国哲学(ちゅうごくてつがく)は、漢文(古典中国語)による哲学。または、諸子百家・儒教・道教・中国仏教・陰陽五行思想といった中国の伝統思想の総称。また場合によっては、三民主義・マオイズム・新儒家といった近現代中国語圏の思想を含むこともある。インド哲学・日本思想等とともに東洋哲学を構成し、中国史学・中国文学・中国語学とともに中国学を構成する。戦前の日本では「支那哲学」と呼称され、現代では中国思想・中国思想文化学などとも呼称される。 「中国哲学」という分野概念は、1900年前後の日本や中国の知識人が、西洋哲学を摂取する中で生み出した概念である(#研究史)。
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中国哲学書電子化計画
中国哲学書電子化計画(ちゅうごくてつがくしょでんしかけいかく、Chinese Text Project)は、インターネット上の電子図書館(デジタルライブラリ)。名前の通り中国哲学を軸にしつつ、他分野も含む中国古典の原典文献(漢籍)を集積・翻刻している20頁。。対応言語は英語と中国語(繁体字および簡体字)。略称としてCTP、ctextなどがある。
三侠五義
三侠五義(さんきょうごぎ)は、中国清代にによって作られた通俗小説。北宋時代に実在した名裁判官である包拯と侠客の活躍を描く、公案小説と武侠小説をあわせたような作品である。 成立には『龍図公安』、あるいは『包公案』と呼ばれる公案などの影響が見られる。また、兪樾(ゆえつ、エツは木偏に越)が内容を若干改変した上、『七侠五義』を執筆している。また、続編に『小五義』、『続小五義』なども製作されている。 兪樾によってタイトルが『七侠五義』と変更されたのは、登場する侠客として南侠(展昭)・北侠(欧陽春)・双侠(丁兆蘭、丁兆蕙)をさして「三侠」としているが、丁兄弟の存在で実質が四人であることで計算が合わない。そこで、智化・艾虎・沈仲元の三人を加え「七侠」としたため。実際、「三」や「五」という数字は中国で慣用的に使われる数字であることから、そう深い意味はない。
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庭園
薮内流庭園。鞍馬石、鴨川石、生駒峠石などを使用。五重石塔、灯籠、園池などが配置される(旧来住家住宅)。 は、見て、歩いて楽しむために、樹木を植えたり、噴水・花壇を作ったりするなどして、人工的に整備された施設。東アジアの日中韓では、人工でありながら自然の環境を模して川・池・築山などが作られ、木や草が植えられているものもある。
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人民網
人民網(じんみんもう)は、中国共産党中央委員会の機関紙『人民日報』で知られる中華人民共和国のメディア、人民日報社が1997年1月1日に開設したニュースを主体とするネット情報交流プラットフォームである。1998年12月1日に日本サイト1周年を記念して日本語版を開始した。 日本語版と日本版があり、日本語版では中国で発生した重大ニュース、中国の経済、社会、科学教育、文化、観光などの情報を日本語で提供するニュースサイト、いっぽう日本版は日本・中日関係の報道を専門に中国語で提供するニュースサイトである。特に政治欄では、米国や日本の動きについて、頻繁に言及しており中国の立場を主張する姿勢を一貫している。
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広瀬旭荘
広瀬 旭荘(ひろせ ぎょくそう、文化4年5月17日(1807年6月22日) - 文久3年8月17日(1863年9月29日))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人。
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弾劾
弾劾(だんがい、Impeachment、インピーチメント)とは、身分保障された官職にある者を、義務違反や非行などの事由で、議会の訴追によって罷免し、処罰する手続き。弾劾主義。これにちなみ相手を非難する表現にもなっている。
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張継
楓橋畔に建てられた張継の像 張 継(ちょう けい、生没年不詳)は、中国・唐の詩人・官僚・政治家。没年は779年の説あり。字は懿孫(いそん)。官にちなみ張祠部とも。襄州襄陽県の出身。
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徳田武
徳田 武(とくだ たけし、1944年7月24日 - )は、日本の日本文学研究者。専門は近世漢詩。文学博士(早稲田大学・論文博士・1988年)。明治大学名誉教授。2018年瑞宝中綬章受章。
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徳清県
徳清県(とくせい-けん)は中華人民共和国浙江省湖州市に位置する県。
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在野
在野(ざいや)は、一般的に公職に就かず民間で活動する人物や団体を指す。そもそも漢語では「野」という言葉で政府以外の民間部門全体を指した。また、早稲田大学の創設者である大隈重信は「在野精神」を唱えている。
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北方心泉
北方 心泉(きたがた しんせん、嘉永3年4月28日(1850年6月8日) - 明治38年(1905年)7月29日)は真宗大谷派の僧侶。書家としても知られる。心泉は号、俗名は蒙(きざし)。 北方心泉/矢吹雲岳他2名共作。
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呉昌碩
呉 昌碩(ご しょうせき 、1844年9月12日 - 1927年11月29日)は、中国清朝末期から近代にかけて活躍した画家・書家・篆刻家。清代最後の文人といわれ、詩・書・画・篆刻ともに精通し、「四絶」と称賛され、中国近代でもっとも優れた芸術家と評価が高い。 もとの名は俊(しゅん)、のちに俊卿(しゅんけい)、字をはじめ香圃。1912年(民国元年)、69歳から昌碩とする。別字に蒼石・倉石・倉碩。号に缶廬・苦鉄・破荷・大聾・老蒼・石尊者・石人子・石敢当・破荷亭長・蕪青亭長・五湖印丐など。
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咸豊帝
咸豊帝(かんぽうてい)は、清の第9代皇帝(在位:1850年 - 1861年)。諱は奕詝(えきちょ)。廟号は文宗(ぶんそう)。在世時の元号の咸豊を取って咸豊帝と呼ばれる。
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哲学会
哲学会(てつがくかい、英名 The Society of Philosophy)は、哲学研究の目的で1884年(明治17年)に発足した学会(この種の研究組織としては世界最古の伝統を持つものの一つ) 哲学会公式サイト内 最終確認日 2012年3月4日。東京大学の哲学科のなかで生まれた組織で、発足から現在まで東大の哲学研究室が中心となって運営が行われている。ただし東京大学の機構に直接属する組織ではない。 事務局を東京都文京区本郷7-3-1東京大学人文社会系研究室内に置いている。
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儒教
儒教の始祖、孔子 儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に亘り強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。
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入矢義高
入矢 義高(いりや よしたか、1910年(明治43年)12月13日 - 1998年(平成10年)6月30日)は、日本の中国文学者。中国禅を中心とした仏教学者。専門は中国古典文学。学位は、文学博士。名古屋大学名誉教授、京都大学名誉教授。日本学士院会員。正四位勲二等瑞宝章。
見る 兪樾と入矢義高
全集
全集(ぜんしゅう、opera omnia、complete works)という言葉は、主に特定の人物の全著作、全文章を収録したもの、または主な著作等を選び編集したもの、また特定の時代・国や地域の主要な文学的著作を編纂したもの、和洋の美術・歴史的文化財を撮影した写真をまとめたもの(日本古典文学全集、世界美術全集など)などに使われる。「全集」という言葉を字義通りに解釈すれば、たとえば特定の作家の全集の場合、作品だけでなく日記、書簡、雑記やメモその他、著者の手になる文章すべてを収録する完全全集ととれるが、実際には、一般の読者にとって一定程度以上の意味のあるものだけを選んで編集したものを「全集」と名づける場合が多い。ところで、有限な「全集」に誰の何を入れ、幾巻をさくか、誰、何をいれないかという選択は、すぐれて編集的行為であり、このうえなく具体的な批評でもあり得る(たとえば紙上のプランとしては丸谷才一、三浦雅士、鹿島茂の『文学全集を立ちあげる』(2006年、文藝春秋)があり、実際に池澤夏樹は個人編集というかたちで、『池澤夏樹。
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兪平伯
兪 平伯(ゆ へいはく、1900年1月8日 - 1990年10月15日)は、現代中国の詩人・作家・『紅楼夢』研究家である。清末の大学者である兪樾の曾孫にあたる。 平伯は字。名は銘衡(めいこう)、幼名は僧宝。室名は古槐書屋。
見る 兪樾と兪平伯
光緒
光緒(光緖、こうしょ、こうちょ、満洲語:、転写:badarangga doro、)は、清の徳宗の治世中に使われた元号。1875年 - 1908年。 一世一元の制を採用していたため徳宗は光緒帝と称される。
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国語 (歴史書)
『国語』(こくご)は、中国春秋時代を扱った歴史書である。著者は『春秋左氏伝』の著者とされる魯の左丘明であると言われているが定かではない。実際は戦国末期の史書であるという説もある。だが、古くから『春秋左氏伝』の「外伝」であると言われており(『漢書』の中では「春秋外伝」という名称で呼ばれている)、両者には何らかの関係があると考えられている。
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倉石武四郎
倉石 武四郎(くらいし たけしろう、1897年(明治30年)9月21日 - 1975年(昭和50年)11月14日)は、日本の中国語学者、中国文学者。文学博士。東京大学名誉教授、京都大学名誉教授。
見る 兪樾と倉石武四郎
石碑
ルーン石碑 石碑(せきひ、)とは、人類が何らかの目的をもって銘文(碑文ともいう)を刻んで建立した石の総称。「碑(いしぶみ)」ともいう。墓石としてなど他の目的を持たず、銘文を刻むこと自体を目的とするものをいう(ただし、英語の stele の場合は、木製のものや墓碑も含む場合がある)。なお、何かの記念として建てられたものを記念碑(きねんひ)、和歌・短歌や歌謡曲・唱歌などの歌詞を刻んだものを歌碑(かひ)、俳句を刻んだものを句碑(くひ)、詩を刻んだものを詩碑(しひ)という。
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王引之
王 引之(おう いんし、1766年 - 1834年)は、中国清代の学者。字は伯申。諡は文簡。江蘇省揚州府高郵州の出身。王念孫の子。
見る 兪樾と王引之
王念孫
王 念孫(おう ねんそん、乾隆9年3月13日(1744年4月25日) - 道光12年1月24日(1832年2月25日))は、中国清代の学者。字は懐祖。号は石臞先生。江蘇省揚州府高郵州の出身。吏部尚書王安国の子であり、王引之の父でもある。
見る 兪樾と王念孫
章炳麟
章 炳麟(しょう へいりん、、1869年1月12日 - 1936年6月14日)は、中国清末民初の学者・思想家・革命家。本名は「学乗」。字は「枚叔」。号の「太炎」(たいえん、)でも知られる。 辛亥革命を思想面で支えたことから、孫文・黄興と並ぶ「革命三尊」の一人として尊崇される。中国の伝統思想(中国哲学)をナショナリズムのもとに論じたことから、「国学大師」とも形容される。
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竹添進一郎
竹添 進一郎(たけぞえ しんいちろう、1842年4月25日〈天保13年3月15日〉- 1917年〈大正6年〉3月31日)『異風者伝』63-68頁は、日本の外交官、漢学者。名は漸、字は光鴻(こうこう、みつあき)、号は井井(せいせい)と称した『熊本の人物』198頁。甲申政変時の朝鮮弁理公使であり、後に漢学者として活躍した。日本学士院賞受賞。熊本県近代文化功労者『熊本県近代文化功労者』189-196頁。
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筆談
筆談(ひつだん)とは、通常であれば会話できる距離にいる人との間で、発話によってではなく、互いに文字を書いて意思を伝えあうこと。
見る 兪樾と筆談
管子
『管子』(かんし、)は、古代中国の管仲に仮託して書かれた、法家または道家・雑家の書物。管仲の著書だと伝えられているが、篇によって思想や言い回しが異なり著者は複数居るとされる。
見る 兪樾と管子
紅楼夢
紅楼夢(こうろうむ、)は、清朝中期乾隆帝の時代(18世紀中頃)に書かれた中国長篇章回式白話小説。原本の前80回はなお残っており、完本は114回に達しなかったと推定される。今流通している前80回が曹雪芹(そう・せつきん)の原文と言われる。胡適が後四十回は高鶚(こう・がく)の続作と主張しているが、現在は「無名氏」に変更されている。中国八十年代以降、『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』と並べて『中国四大名著』と位置づけられ、『紅楼夢』はその首になった、現代中国でも紅楼夢賞・世界華文長編小説賞という文学賞が存在する。 石頭記(せきとうき・いしき)・金玉縁・情僧録・金陵十二釵・風月宝鑑といったタイトルもある。中国の源氏物語ともいわれている。
見る 兪樾と紅楼夢
翰林院
翰林院(かんりんいん、満州語:bithei yamun)は、唐の玄宗が開元26年(738年)に設けた翰林学士院がその起源で、唐代中期以降、主に詔書の起草に当たった役所のことをいう。元代には国史院と統合されて、翰林国史院と呼ばれていたが、明代には旧に復した。大順では弘文館と呼ばれた。 清代では、いわば皇帝直属の秘書室となり、書物の編纂、詔勅の起草などを行った。貯才の地ともいわれ、有為な人材を確保し、勉強や実務の見習をさせ、必要があるときに中央官庁や地方の要職に任命する。 学問や政治の最高の人材が揃うという共通点もあり、Academy(アカデミー)の訳語としても使われることがある。
見る 兪樾と翰林院
爾雅
爾雅(じが、)は、中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学書。 儒教では周公制作説があるが、春秋戦国時代以降に行われた古典の語義解釈を漢初の学者が整理補充したものと考えられている。『漢書』芸文志には3巻20篇と記載されているが、現行本は19篇である。 漢唐の古文学や清朝考証学において特に重視され、十三経の一つにも挙げられている。唐代には石経(開成石経)にも刻まれた。
見る 兪樾と爾雅
狩野直喜
狩野 直喜(かの なおき、1868年2月11日(慶応4年1月18日) - 1947年(昭和22年)12月13日)は、日本の中国学者。中国文学、中国哲学、敦煌学に業績を残す。京都帝国大学名誉教授。字は子温、号に君山、半農人がある。内藤湖南・桑原隲蔵と並ぶ京都学派東洋史学の創始者の一人。肥後国(現:熊本県)生まれ。
見る 兪樾と狩野直喜
白川琴水
白川琴水(しらかわ きんすい)は明治時代の漢詩人。本名は幸(さち)、字は友之。飛騨国高山願生寺に生まれ、京都に出て菊池三渓に漢詩を学び、第一高等女学校で教師を務めた後、青木氏に嫁いで名古屋市で没した。 その詩は兪樾の『東瀛詩選』に採られるなど当時の清人に高く評価されたが、死後忘れ去られた。絵画も能くし、『本朝彤史列女伝』では自ら挿絵を描き、願生寺に絵画が残されている。
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道光
道光(どうこう、満洲語:、転写:doro eldengge)は、清の宣宗の治世中に使われた元号。1821年 - 1850年。 清は一世一元の制を採用していたため宣宗は道光帝と称される。
見る 兪樾と道光
荻生徂徠
荻生 徂徠(おぎゅう そらい、寛文6年2月16日(1666年3月21日) - 享保13年1月19日(1728年2月28日))は、江戸時代中期の儒学者、思想家、文献学者。 名は、字・実名は「茂卿」で、字としては「もけい」、実名としては「しげのり」と読む。通称は。と号し(一説では「徂來」が正しいとする)、また、とも号した。「徂徠」の号は『詩経』「徂徠之松」に由来し、「松が茂る」の意味である「茂卿」ともに松に関する名であることが指摘される。本姓は物部氏で、「」「物茂卿」とも号した。 父は江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の侍医だった荻生景明。弟は第8代将軍となる徳川吉宗の侍医を務め、明律の研究で知られた荻生北渓。
見る 兪樾と荻生徂徠
詩
昔の詩 詩(し、うた、poetry, poem; poésie, poème; Gedicht)は、言語の表面的な意味だけではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。多くの地域で非常に古い起源を持つ。多くは韻文で一定の形式とリズムを持つが、例外もある。一定の形式に凝縮して言葉を収め、また効果的に感動・叙情・ビジョンなどを表すための表現上の工夫(修辞技法)が多く見られる。詩は独立したものとして書かれる場合も、詩劇・聖歌・歌詞・散文詩などに見られるように他の芸術表現と結び付いた形で書かれる場合もある。 英語のpoetryやpoem、フランス語のpoésieやpoèmeなどの語は、「作ること」を意味するギリシア語ποίησις (poiesis)に由来し、技術を以て作り出された言葉を意味した。漢字の「詩」は思いや記憶を言葉にしたもので、特に西周のころの古代中国の歌謡を編纂した詩編を指した(のちに『詩経』と称される。
見る 兪樾と詩
詩人
『貧乏詩人』、(画カール・シュピッツヴェーク 1839年) とは、詩を書き、それを発表する者。また、それを職業にしている者。 後者でも詩だけで生活している人はほとんどおらず、多くの場合、評論、随筆、翻訳、小説、音楽、絵画、演劇、漫画、歌の作詞など他の分野の創作活動を並行して行っていたり、あるいは(文学と縁遠い)他の職業を持ったりする。たとえば高村光太郎は彫刻家としても多数の作品を残しているし、草野心平にはバーや居酒屋の経営をしていた時期がある。アルチュール・ランボーは10代に残した業績によって詩人と呼ばれているが、詩作を止めた後は貿易商など他の仕事をした。 ボブ・ディラン、パティ・スミスなど、シンガーソングライターが詩人としても高い評価を得、詩集を出すまでに至る例もある。
見る 兪樾と詩人
諸子百家
とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子などの人物を指す。「百家」は儒家・道家・墨家・名家・法家などの学派を指す。
見る 兪樾と諸子百家
黄帝内経
『黄帝内経』(こうていだいけい、こうていだいきょう、こうていないけい、黄帝内剄)は、現存する中国最古の医学書と呼ばれている。古くは『鍼経』(しんきょう)9巻と『素問』(そもん)9巻があったとされているが、これら9巻本は散逸して現存せず、現在は王冰(おうひょう)の編纂した『素問』と『霊枢』(れいすう)が元になったものが伝えられている。黄帝が岐伯(きはく)を始め幾人かの学者に日常の疑問を問うたところから『素問』と呼ばれ、問答形式で記述されている。『霊枢』は『鍼経』の別名とされ、『素問』が基礎理論とすると、『霊枢』は実践的、技術的に記述されている。 2011年、ユネスコが主催する「世界の記憶」にも登録された。
見る 兪樾と黄帝内経
阮元
阮元の手紙 阮 元(げん げん、、乾隆29年1月20日〈西暦1764年2月21日〉 - 道光29年10月13日〈西暦1849年11月17日〉)は、中国清代の政治家・考証学者。地方官として功績を残すと同時に、学者として多くの編纂事業も手掛けた。号に文達(阮文達)、揅経老人、雷塘庵主など。
見る 兪樾と阮元
蘇州 (古代)
蘇州(そしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から北宋にかけて、現在の江蘇省蘇州市一帯に設置された。
見る 兪樾と蘇州 (古代)
老子道徳経
老子道徳経(ろうしどうとくきょう) は、中国春秋時代の思想家老子が書いたと伝えられる書。単に『老子』とも『道徳経』( )とも表記される。また、老子五千言・五千言とも。『荘子』と並ぶ道家の代表的書物。道教では『道徳真経』ともいう。上篇(道経)と下篇(徳経)に分かれ、あわせて81章から構成される。
見る 兪樾と老子道徳経
進士
進士(しんし)とは、隋から北宋中期にかけての科挙の六科の一つ。王安石の改革で進士科以外が廃止された後は、科挙の登第者(合格者)を指し、以降の南宋から清まで続いた制度である。
見る 兪樾と進士
考証学
『清代学者像伝』より、戴震 考証学(こうしょうがく)とは、中国清代に流行した学問の手法、または儒学の思潮である。宋代から明代に流行した宋明理学が哲学的・思弁的・独創的な手法であったのと対照的に、「」を主として臆測の説を排し、文献学的・言語学的・実証的な手法をとった。 漢代の鄭玄らの訓詁学の手法を模範としたことから漢学(かんがく)とも呼ばれる。樸学(ぼくがく)、考拠学(こうきょがく)ともいう。
見る 兪樾と考証学
李鴻章
李 鴻章(り こうしょう、リー・ホンチャン、、道光3年1月5日〈1823年2月15日〉- 光緒27年9月27日〈1901年11月7日〉)は、中国清代の政治家。字は少荃(しょうせん)。洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力した。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の欽差大臣(全権大使)として調印を行った。
見る 兪樾と李鴻章
杭州
杭州(こうしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から清末にかけて、現在の浙江省杭州市に設置された。
見る 兪樾と杭州
杭州市
杭州市(こうしゅう、杭州市、、Hangzhou)は、中華人民共和国浙江省の省都。
見る 兪樾と杭州市
東京大学東洋文化研究所
東京大学東洋文化研究所(とうきょうだいがくとうようぶんかけんきゅうじょ、Institute for Advanced Studies on Asia, The University of Tokyo)は、東京大学の附置研究所で、東洋の文化の総合的研究を目的として設置された研究所である。主に人文・社会科学の研究者が所属し、アジア地域の文学、歴史、社会、政治、経済などの研究・教育を行っている。 略称は東文研、IOC(IOC は2009年までの英称 The Institute of Oriental Culture, The University of Tokyo の略である)。
楓橋夜泊
『楓橋夜泊』(ふうきょうやはく)は、唐の詩人・張継が詠んだ七言絶句。張継の唯一の代表作であり、孤独な旅愁を詠んだ名作として古くから日本で最もよく知られた漢詩の一つとなっている。
見る 兪樾と楓橋夜泊
河南省
省都の鄭州市。 河南省の老君山。 河南省(かなんしょう、河南省、、Henan Province)は、中華人民共和国の省の一つ。地域の大部分が黄河の南にあるため河南と称された。古の豫州があったことから、略称は豫である。省都は鄭州市。古代の中原の中心地であり、中国のなかでも歴史のある地域とされている。
見る 兪樾と河南省
注釈
注釈(註釈この意味での「註」と「注」は同音同義で、当用漢字以前でも「註釋」と「注釋」の表記がともに用いられた。「註」は常用漢字外。、ちゅうしゃく、annotation)または注解(註解、ちゅうかい)とは、文章や専門用語について補足・説明・解説するための文書や語句。 本項では、古典や経典における注釈書(ちゅうしゃくしょ、commentary)についても扱う。
見る 兪樾と注釈
清
清(しん)、または清国(しんこく)は、1636年に満洲に建国され、漢民族を征圧し1644年から1912年まで中国本土とモンゴル高原を支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に順天府(北京)に置かれた。満洲人のアイシンギョロ氏(満洲語:, 転写:aisin gioro, 愛新覚羅氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。清朝、満清、清王朝、大清国、大清帝国ともいう。 清の影響圏 1917年に張勲が清の最後の皇帝、溥儀を皇帝に立てて清国を復古させたが失敗した(張勲復辟)。
見る 兪樾と清
湖州 (浙江省)
湖州(こしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から南宋にかけて、現在の浙江省湖州市一帯に設置された。
見る 兪樾と湖州 (浙江省)
漢学
漢学(かんがく)とは、前近代、特に江戸時代の日本における、中国伝来の漢籍・中国思想・漢詩文の研究。学問の総称。国学・洋学(蘭学)に対して用いられる。西洋由来の中国学(支那学、シノロジー)とはやや異なる。
見る 兪樾と漢学
漢詩
漢詩(かんし)とは、中国の伝統的な詩。韻文における文体の一つ。狭義には後漢時代に確立した体系的な詩のこと。中国文化の伝来に伴い、奈良時代から日本でも詠まれるようになった。
見る 兪樾と漢詩
戴震
戴 震(たい しん、、1724年1月19日(雍正元年12月24日)- 1777年7月1日(乾隆42年5月27日))は、中国清代中期の学者・儒学者・思想家。清朝考証学を代表する人物。字は慎修・東原。号は杲渓。
見る 兪樾と戴震
明治
明治(めいじ、)は元号の一つ。 慶応の後、大正の前。大化以降228番目、244個目南北朝時代の北朝の元号を除くか含めるかによる。の元号。明治天皇の即位に伴い定められた(代始改元)。 明治の元号下にあった1868年10月23日(明治元年9月8日)これは改元日を起点とする形式的区分であり、改元の詔書による明治の開始日とは異なる(後節参照)。から1912年(明治45年)7月30日までの45年間をと呼ぶ。本項ではこの時代についても記述する。
見る 兪樾と明治
浙江省
浙江省(せっこうしょう、中国語:浙江省、拼音:Zhèjiāng Shěng、Zhejiang)は、中華人民共和国の省の一つ。略称は浙(せつ)。華東地区中部に位置し、東シナ海に面す。省都は杭州市。浙とは省内最大の河川・銭塘江を指す。銭塘江は蛇行が激しいことから曲江(きょっこう)、之江(しこう)、折江(せっこう)、浙江などと呼ばれてきた。
見る 兪樾と浙江省
文人 (曖昧さ回避)
文人(ぶんじん、)。
文徴明
文 徴明(ぶん ちょうめい、成化6年11月6日(1470年11月28日) - 嘉靖38年2月20日(1559年3月28日))は、中国明代中期に活躍した文人である。詩書画に巧みで三絶と称され、とりわけ画においては呉派文人画の領袖である沈周の後を受け継ぎ、沈周・唐寅・仇英とともに明代四大家に加えられた。 蘇州府長洲県の人。幼名を壁または璧、字を徴明としたが名前のようになってしまったので徴仲と改めた。衡山、衡山居士、停雲生と号し、文衡山と呼ばれることも多く、また官名から文待詔とも称された。
見る 兪樾と文徴明
拓本
蘭亭序の拓本 拓本(たくほん)は、伝統的な器物の転写の方法の一つ。
見る 兪樾と拓本
書家
『蘭亭序』(部分)神龍半印本 王羲之 宸筆 書譜』(部分)孫過庭書 書家(しょか)は、書における高度な技術と教養を持った専門家のこと。日本では書人ともいい、近年、異称であるが書道家ともいわれるようになった。中国語では、書法家(繁体字)という。独自の感性で墨文字アート、墨象画を手掛けている書き手は、書家とは異なる。
見る 兪樾と書家
書院 (東アジア)
書院(しょいん)とは、中国に端を発し、漢字文化圏の東アジア(日本、朝鮮、ベトナム)に波及した前近代の学校、私塾の一類型である。宋代以降、国家の官学に対して特に民間の私学で行われた。中国語での発音はシューユエン(shūyuàn)、朝鮮語ではソウォン(서원)。
見る 兪樾と書院 (東アジア)
曽国藩
曽 国藩(そう こくはん、、嘉慶16年10月11日(1811年11月26日) - 同治11年2月4日(1872年3月12日))は、中国清代末期の軍人、政治家。字は伯函、号は滌生(てきせい)、諡は文正。湖南省湘郷県の出身。弱体化した清朝軍に代わり、湘軍を組織して太平天国の乱鎮圧に功績を挙げた。
見る 兪樾と曽国藩
12月23日 (旧暦)
旧暦12月23日は旧暦12月の23日目である。六曜は仏滅である。
12月25日
12月25日(じゅうにがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から359日目(閏年では360日目)にあたり、年末まであと6日ある。この日はクリスマスである。
見る 兪樾と12月25日
12月2日 (旧暦)
旧暦12月2日(きゅうれきじゅうにがつふつか)は、旧暦12月の2日目である。六曜は先勝である。
2月5日
2月5日(にがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から36日目に当たり、年末まであと329日(閏年では330日)ある。
見る 兪樾と2月5日
兪エツ 別名。

