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三斎流

索引 三斎流

三斎流(さんさいりゅう)は、豊前小倉藩主細川忠興(三斎)を祖と仰ぐ茶道の一派。三斎の門人である一尾伊織が許しを得て興したので一尾流(いちおりゅう)、三斎流一尾派などとも言われる。現在家元は島根県出雲市にあり庵号を観翠庵、同門組織として九曜会がある。安藤家御家流も一尾流の流れを汲む他、細川三斎流と称する流派がある。.

24 関係: 加納藩半家安藤信友小倉藩島根県不昧流一尾伊織久喜藩御家流 (茶道)利休七哲出雲市石州流米津田賢米津政武細川忠興細川護貞美濃国高木正陳豊前国茶道舟橋家松平治郷松江城旗本

加納藩

加納藩(かのうはん)は、江戸時代の日本で、美濃国厚見郡加納(現在:岐阜県岐阜市加納)を本拠地にして、美濃国中部(現在の岐阜県中南部)を領土とした藩である。藩庁は加納城。.

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半家

半家とは、.

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安藤信友

安藤 信友(あんどう のぶとも)は、江戸時代中期の大名で、備中松山藩の2代藩主、のち美濃加納藩の初代藩主となった。安藤家4代。徳川吉宗の代に老中を務めた。文化人としても名高く、特に俳諧では冠里(かんり)の号で知られ、茶道では御家流の創始者となった。.

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小倉藩

小倉藩(こくらはん)は、江戸時代の豊前国にあった藩。藩庁は小倉城(福岡県北九州市小倉北区)に置かれた。幕末から明治維新にかけては香春藩(かわらはん)、のち豊津藩(とよつはん)となった。.

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島根県

島根県(しまねけん)は、日本の中国地方の日本海側である山陰地方の西部をなす県。県庁所在地は松江市。離島の隠岐島、竹島なども島根県の領域に含まれる。旧国名は出雲国・石見国・隠岐国であり、現在でも出雲地方・石見地方・隠岐地方の3つの地域に区分されることが多い。全国では鳥取県に次いで2番目に人口が少ない。.

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不昧流

不昧流(ふまいりゅう)は、松平不昧に始まり、松江藩で伝わった茶道の一派。元来は雲州流として知られていたが、現在の伝承組織では不昧流あるいは石州流不昧派と称している。.

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一尾伊織

一尾 伊織(いちお いおり、慶長4年(1599年) - 元禄2年3月13日(1689年5月2日))は、江戸時代初期の旗本、茶人。一尾通春の子。母は大友吉統の娘。名は通尚。号は徹斎、宗碩、一庵、照庵。 一尾氏は、久我通堅の次男三休が一尾庄に住したことに初まり、その孫が伊織である。寛永10年(1633年)に父が没し、翌年父の遺領のうち1,000石を相続し書院番となった。その後職を辞し小普請となった。貞享元年(1684年)7月19日に致仕し、徹斎と号す。細川忠興(三斎)家臣の津川四郎左衛門に茶道を学び、三斎流一尾派を創始した。竹の花筒、茶杓の製作に秀いで、琵琶を製作という。元禄2年、91歳で没した。著作に「一尾流之書」などがある。弟通利の子通命を娘の婿として迎えるが早死にし、その子で孫の通門を養子にするがこれも夭折した。土井甲斐守家臣の大野市左衛門定秀の子の通定が伊織の養子となり家督を継いだ。.

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久喜藩

久喜藩(くきはん)は、武蔵国埼玉郡久喜本町(現在の埼玉県久喜市久喜中央および本町、久喜本。古くには久喜本村とも)に存在した藩。藩庁は久喜陣屋(字荒鎌)。.

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御家流 (茶道)

御家流(おいえりゅう)は、江戸時代初期に美濃加納藩主・安藤信友が興した茶道の流派。譜代大名の安藤対馬守家(幕末期は磐城平藩主家)で伝承され、安藤家御家流とも言う。細川三斎の門人一尾伊織が興した一尾流の流れを汲み、織部流を合わせたものである。留流として安藤家中以外へは秘されてきたが、1970年より一般へ教授されるようになった。 米川流の香道、伊勢流の礼法と合わせ伝えられている。.

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利休七哲

利休七哲(りきゅうしちてつ)は、千利休の高弟7人を指す呼称。利休の曾孫にあたる表千家の江岑宗左(逢源斎)の記した『江岑夏書』(こうしんげがき)の中で挙げられている。 その後、様々な茶書などで構成が微妙に変わり、織田長益(有楽斎)、千道安(利休の実子)、荒木村重(道薫)を加えて「十哲(じってつ)」と呼称される場合もある。また、千道安を除いて前田利長が入る、有馬豊氏や金森長近を加えるなど諸説あるが、いずれも後世呼称されたもので、当時からそのように呼ばれていたわけではない。.

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出雲市

出雲市(いずもし)は、島根県の中東部に位置する市。 県内では2番目、山陰地方では松江市・鳥取市に次いで3番目の人口を抱え、隣接する大田市と共に県中部の中心地となっている。 出雲市を中心に出雲都市圏が形成されており、また他の雲伯地方の都市圏(松江都市圏・安来都市圏・米子都市圏)とともに中海・宍道湖経済圏を形成している。 出雲市は「神話の国 出雲」として全国に知られているように出雲大社、須佐神社、西谷墳墓群、荒神谷遺跡ほか豊富な歴史・文化遺産に恵まれ、古代史文化のシンボル的な空間を形成している。 また中世に活躍した出雲源氏の発祥地でもある。.

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石州流

石州流 (せきしゅうりゅう)は、片桐石州(貞昌)を流祖と仰ぐ茶道の流派の総称。一口に石州流と言っても様々であり、初期の伝承系譜によって大きくいくつかの派に分けられるほか、地域ごとに様々なグループを形成している。さらにこれらのグループには、片桐家を宗家として仰ぐもの、慈光院を宗元として緩やかに糾合したもの、引き続き独立しているものとがある。また片桐家の菩提寺高林庵(芳春院内)を宗元として諸派の糾合グループもある。.

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米津田賢

米津 田賢(よねきつ ただかた/たかた/みちかた)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本寄合・茶人。.

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米津政武

米津 政武(よねきつ まさたけ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。武蔵国久喜藩初代藩主。.

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細川忠興

九曜紋 細川 忠興(ほそかわ ただおき)/長岡 忠興(ながおか ただおき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。丹後国宮津城主を経て、豊前小倉藩の初代藩主。肥後細川家初代。 足利氏の支流・細川氏の出身である。正室は明智光秀の娘・玉子(通称細川ガラシャ)。室町幕府将軍・足利義昭追放後は長岡氏を称し、その後は羽柴氏も称したが、大坂の陣後に細川氏へ復した。 足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の有力者に仕えて、現在まで続く肥後細川家の基礎を築いた。また父・幽斎と同じく、教養人・茶人(細川三斎(さんさい))としても有名で、利休七哲の一人に数えられる。茶道の流派三斎流の開祖である。.

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細川護貞

細川 護貞(ほそかわ もりさだ、1912年(明治45年)7月17日 - 2005年(平成17年)10月3日、満93歳没)は、旧肥後熊本藩主細川家の第17代当主。 第2次近衛内閣で内閣総理大臣秘書官を務めた。.

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美濃国

美濃国(みののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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高木正陳

高木 正陳(たかぎ まさのぶ、寛文5年(1665年) - 元文6年2月5日(1741年3月21日))は、河内丹南藩の第6代藩主。 第4代藩主・高木正盛の次男。母は板倉重矩の娘。正室は本多正永の娘。子に高木正府(長男)、板倉勝里(次男)、娘(谷衛衝正室)、娘(遠山友由正室)、娘(永井直堯正室)、娘(服部保弘正室)。通称は大学。官位は従五位下、主水正。 天和元年(1681年)7月11日、先代藩主で兄の正豊が嗣子無くして若死にしたため、その跡を継いだ。同年7月22日、将軍徳川綱吉にお目見えする。元禄2年(1689年)5月14日、大番頭に就任する。同年12月27日、従五位下主水正に叙任する。元禄12年2月2日、河内国丹南郡内の領地の一部を下野国足利郡内に移される。正徳元年(1711年)1月11日、奏者番に就任する。元文6年(1741年)正月に病に倒れ、2月5日に死去した。享年77。跡を養嗣子の正恒が継いだ。墓所は東京都杉並区永福の栖岸院。 茶人であり、一尾伊織の門人の一人であった。 まさのふ *06 Category:1665年生 Category:1741年没.

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豊前国

豊前国(ぶぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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茶道

茶を点てる様子。写真は、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。 茶道(さどう、ちゃどう)は、日本伝統の湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)。また、それを基本とした様式と芸道。 元来「茶湯」(ちゃとう)、「茶の湯」といった。千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という語も使っていたが、江戸時代初期には茶道と呼ばれた(『茶話指月集』『南方録』など)。「茶道」の英語訳としては tea ceremony のほか、茶道の裏千家と表千家ではそれぞれ the way of tea、chanoyu を用いている。岡倉覚三(天心)は英文の著書 The Book of Tea(『茶の本』)において、Teaism と tea ceremony という用語を使い分けている。 主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。 現在一般に、茶道といえば抹茶を用いる茶道のことだが、江戸期に成立した煎茶を用いる煎茶道も含む。 広間の茶室の例 道具は左から風炉と釜、建水、柄杓立と柄杓、水指、煙草盆と火入・灰吹。床の間には掛物(一行書「明月和水流」)と花入、香合を飾る。 草庵風茶室の例(高台寺遺芳庵) 草庵風茶室の例(如庵).

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舟橋家

舟橋家(ふなばしけ)は第40代天武天皇の皇子舎人親王の子孫で清原氏の流れを汲む堂上家。船橋家とも記す。 家格は半家、極官は正二位・侍従・少納言・式部少輔で、代々天皇の侍読(家庭教師)を務める。家業は明経道。.

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松平治郷

月照寺にある墓所 松平 治郷(まつだいら はるさと)は、出雲松江藩の第7代藩主。直政系越前松平家宗家7代。江戸時代の代表的茶人の一人で、号の不昧(ふまい)で知られる。その茶風は不昧流として現代まで続いている。.

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松江城

松江城(まつえじょう)は、現在の島根県松江市殿町に築かれた江戸時代の日本の城。別名・千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。この他に日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれている。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、彦根城、姫路城).

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旗本

旗本(はたもと)は、中世から近世の日本における武士の身分の一つ。主として江戸時代の徳川将軍家直属の家臣団のうち石高が1万石未満で、儀式など将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格を持つ者の総称。旗本格になると、世間的には「殿様」と呼ばれる身分となった。旗本が領有する領地、およびその支配機構(旗本領)は知行所と呼ばれた。 元は中世(戦国時代)に戦場で主君の軍旗を守る武士団を意味しており、主家からすると最も信頼できる「近衛兵」の扱いであった。.

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