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三之助

索引 三之助

三之助 (さんのすけ)とは、若手歌舞伎役者の市川新之助・尾上菊之助・尾上辰之助の三人の通称。.

31 関係: はとこいとこ女形尾上菊之助尾上菊之助 (5代目)尾上菊五郎尾上菊五郎 (7代目)尾上辰之助尾上辰之助 (初代)尾上松緑 (2代目)尾上松緑 (4代目)尾上梅幸 (7代目)市川團十郎 (11代目)市川團十郎 (12代目)市川海老蔵市川海老蔵 (11代目)市川新之助平成京都二枚目光源氏紫の上瀬戸内寂聴頭中将舟橋聖一関西歌舞伎柳家三之助松本白鸚 (初代)歌舞伎歌舞伎座源氏物語

はとこ

はとこは、自分からみて祖父母の兄弟姉妹の孫である。6親等の傍系親族の一つ。再従兄弟、又従兄弟(またいとこ)、二従兄弟(ふたいとこ)ともいう。.

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いとこ

いとこは、自分からみて親の兄弟姉妹の子供である。4親等の傍系親族の一つ。.

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女形

女形・女方(おやま・おんながた)とは、歌舞伎において若い女性の役を演じる役者、職掌、またその演技の様式そのものを指す。.

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尾上菊之助

尾上 菊之助(おのえ きくのすけ)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。.

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尾上菊之助 (5代目)

五代目 尾上菊之助(ごだいめ おのえ きくのすけ、1977年(昭和52年)8月1日 - )は、日本の俳優、歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。本名は寺嶋 和康(てらしま かずやす)。青山学院大学中退。.

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尾上菊五郎

尾上 菊五郎(おのえ きくごろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。役者文様に斧琴菊がある。;初代 尾上菊五郎;二代目 尾上菊五郎;三代目 尾上菊五郎;四代目 尾上菊五郎;五代目 尾上菊五郎;六代目 尾上菊五郎;七代目 尾上菊五郎.

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尾上菊五郎 (7代目)

七代目 尾上菊五郎(しちだいめ おのえ きくごろう、1942年10月2日 - )は、日本の歌舞伎役者。歌舞伎名跡「尾上菊五郎」の当代。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。 本名は寺島 秀幸(てらしま ひでゆき)。妻は富司純子、長女は寺島しのぶ、長男は五代目尾上菊之助。.

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尾上辰之助

尾上 辰之助(おのえ たつのすけ)は、歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は四ツ輪に抱き柏。.

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尾上辰之助 (初代)

初代 尾上 辰之助(しょだい おのえ たつのすけ、1946年(昭和21年)10月26日 - 1987年(昭和62年)3月28日)は、昭和の俳優、歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は四ツ輪に抱き柏、替紋は藤輪に花菱。日本舞踊の藤間流家元・五代目藤間勘右衛門も兼ねた。本名は藤間 亨(ふじま とおる)。 三之助のひとりとして人気を集め、父・二代目尾上松緑の後継者として期待されたが、1987年に40歳で早世した。 その死から14年後の2001年3月28日の命日に長男の二代目尾上辰之助が四代目尾上松緑を襲名するにあたり、三代目尾上松緑を追贈された。.

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尾上松緑 (2代目)

二代目 尾上松緑(にだいめ おのえ しょうろく、1913年(大正2年)3月28日 - 1989年(平成元年)6月25日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は四つ輪に抱き柏、替紋は藤輪に花菱。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。 本名は藤間 豊(ふじま ゆたか)。六代目尾上菊五郎の薫陶を受け、恰幅のいい体つきで時代・世話を問わず立役として活躍した。踊りの名手としても知られ、日本舞踊藤間流の家元として四世藤間勘右衛門を名乗った。.

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尾上松緑 (4代目)

四代目 尾上松綠(よだいめ おのえ しょうろく、新字体:松緑、1975年(昭和50年)2月5日 - )は、俳優、歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は四ツ輪に抱き柏、替紋は藤輪に花菱。歌舞伎名跡「尾上松緑」の当代。現代の歌舞伎を担う若手の花形で、健康的で清潔な芸風に魅力があり、荒事や世話物の男性的な役柄を得意とする。 また六世藤間勘右衞門として舞踊の藤間流勘右衛門派の家元もつとめる。本名は藤間 あらし。.

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尾上梅幸 (7代目)

七代目 尾上 梅幸(しちだいめ おのえ ばいこう、1915年(大正4年)8月31日 - 1995年(平成7年)3月24日)は、歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名は寺島 誠三(てらしま せいぞう)。.

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市川團十郎 (11代目)

十一代目 市川團十郎(じゅういちだいめ いちかわ だんじゅうろう、1909年(明治42年)1月6日 - 1965年(昭和40年)11月10日)は、日本の歌舞伎役者。本名は堀越 治雄(ほりこし はるお)。屋号は成田屋。定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。俳名は五粒。 海老蔵時代、「花の海老さま」として空前のブームを巻き起こした美貌で知られ、品格ある風姿、華のある芸風、高低問わずよく響く美声などを売り物とした、戦後歌舞伎を代表する花形役者の一人。.

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市川團十郎 (12代目)

十二代目 市川 團十郎(じゅうにだいめ いちかわ だんじゅうろう、1946年(昭和21年)8月6日 - 2013年(平成25年)2月3日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は成田屋、定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょようぼたん)。日本芸術院会員。本名は堀越 夏雄(ほりこし なつお)、俳名に柏莚(はくえん)がある。.

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市川海老蔵

市川海老蔵(いちかわ えびぞう、市川蝦蔵・市川ゑび蔵とも)は歌舞伎の名跡。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょよう ぼたん)。また替紋とほぼ同様の使われ方をする役者文様に寿海老(ことぶき えび)がある。.

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市川海老蔵 (11代目)

十一代目 市川 海老蔵(じゅういちだいめ いちかわ えびぞう、1977年12月6日 - )は、日本の歌舞伎役者。歌舞伎名跡「市川海老蔵」の当代。屋号は成田屋。定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。 本名は堀越 寶世(ほりこし たかとし)。旧名は堀越 孝俊(読み同じ)。愛称に「海老さま」、「海老ちゃん」がある。妻はキャスターでタレントの小林麻央(2017年6月死別)。身長176cm、体重80kg。血液型はAB型。星座は射手座。 古典の大役に挑み、初役を多くつとめ、高い評価を得ている。「海老さま」と人気のあった十一代目市川團十郎に重ね合わすファンもいる。現代の歌舞伎を担う若手スターの一人。また、NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』で主役をつとめたほか、現代劇にも挑戦している。.

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市川新之助

市川 新之助(いちかわ しんのすけ)は、歌舞伎役者の名跡で七代目が十一代目市川海老蔵に襲名してから空き名跡となっている。屋号は成田屋。 定紋は三升。「新之助」は七代目市川團十郎の初名に由来する。 十二世市川團十郎が前名の「市川海老蔵」を襲名する前に名乗っていたのがこの「市川新之助」だったため、新之助 → 海老蔵 → 團十郎と段を踏んで襲名するのが市川宗家の通例だと誤解されがちだが、実際にこのような順で襲名したのは、他には初代と二代目があるのみである。.

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平成

平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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二枚目

二枚目(にまいめ)とは、やさ男の美男子のこと武光誠『歴史から生まれた日常語の由来辞典』東京堂出版、1998。.

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光源氏

光源氏(ひかるげんじ)は、紫式部の物語『源氏物語』の主人公。平安時代の公卿。一世源氏。近衛中将、大将、大納言、内大臣、太政大臣、准太上天皇を歴任。広大な四町の邸宅を造営し六条院と呼ばれる。『源氏物語』五十四帖中第一帖「桐壺」から第四十帖「幻」まで登場する。 なお「光源氏」とは「光り輝くように美しい源氏」を意味する通称で、本名が「光」というわけではない。.

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紫の上

紫の上(むらさきのうえ)は、『源氏物語』の登場人物。光源氏の妻のひとり。光源氏に次ぐ主要な人物である。容姿とともに知性、性格などでも最高級の女性として描かれる。.

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瀬戸内寂聴

戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年(大正11年)5月15日 - )は、日本の小説家、天台宗の尼僧。俗名晴美。京都府在住。 僧位は権大僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。学歴は徳島県立高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)、東京女子大学国語専攻部卒業。学位は文学士(東京女子大学)。元天台寺住職、現名誉住職。比叡山延暦寺禅光坊住職。元敦賀短期大学学長。徳島市名誉市民。京都市名誉市民。代表作には『夏の終り』や『花に問え』『場所』など多数。1988年以降には『源氏物語』に関連する著作が多い。これまで新潮同人雑誌賞を皮切りに、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞している。.

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頭中将

頭中将(とうのちゅうじょう)は、日本の律令制における公家官職の呼称の一つ。位階が四位の殿上人で、蔵人頭(蔵人所の実質的な責任者)と近衛中将(近衛府の次官)を兼任した者に対する通称。.

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舟橋聖一

舟橋 聖一(ふなはし せいいち、1904年(明治37年)12月25日 - 1976年(昭和51年)1月13日)は、日本の小説家。東京生れ。旧制水戸高等学校を経て東京帝国大学文学部卒。弟は脚本家の舟橋和郎。 大学在学中に『朱門』の同人になり、また四代目河原崎長十郎や村山知義らと共に劇団「心座」の旗揚げに尽力する。1926年(大正15年)10月、『新潮』に戯曲『白い腕』を発表し文壇入りする。その後、明治大学教授として教鞭をとるかたわら、雑誌『行動』に参加して『ダイヴィング』を発表、行動主義、能動精神運動の中心となり、行動的ヒューマニズムによる現実改革者としての地位を確立した。多くの戯曲を書くが、1938年(昭和13年)に『文學界』に発表した小説『木石』で認められる。 戦後は『雪夫人絵図』などの風俗小説で流行作家となった。一方で自らが中心となって作家連合の「伽羅(キアラ)の会」(きゃらのかい)を結成し、『風景』を創刊。日本文芸家協会理事に選出され、著作権問題の解決に尽力した。代表作に『悉皆屋康吉』『花の生涯』『絵島生島』『新・忠臣蔵』『ある女の遠景』『好きな女の胸飾り』『お市御寮人』などがある。また丹羽文雄とは自他共に認めるライバル関係だった。 幼い頃からの相撲好きでも知られ、横綱審議委員会の委員を長く務め、のちに委員長に任じられた。.

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関西歌舞伎

上方歌舞伎(かみがたかぶき).

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柳家三之助

(1973年5月1日 - )は、落語協会所属の落語家。10代目柳家小三治の9番目の弟子。千葉県銚子市出身。出生地は東京都江東区。本名は。血液型O型。.

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松本白鸚 (初代)

初代 松本 白鸚(しょだい まつもと はくおう、1910年(明治43年)7月7日 - 1982年(昭和57年)1月11日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は高麗屋、定紋は、四つ花菱、替紋は浮線蝶。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。 本名は藤間 順次郎(ふじま じゅんじろう)。俳名に錦升(きんしょう)がある。「白鸚」の名跡は襲名披露興行の舞台以外にほとんど実績のない事実上の隠居名で、存命中は八代目 松本幸四郎(はちだいめ まつもと こうしろう)として知られた。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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歌舞伎座

歌舞伎座(かぶきざ)は、東京都中央区銀座四丁目にある歌舞伎専用の劇場である。火災や戦災に遭うなど様々な変遷はあったが、今日に至るまで名実ともに代表的な歌舞伎劇場として知られる。 歌舞伎座は1889年(明治22年)に開場した。従来の劇場は地名や座元の名を冠するのが例であり(新富座、中村座など)、「歌舞伎座」という名称は異例であった。「歌舞伎座」とはもともと普通名詞として用いられた言葉で、「卑賤視されていた小芝居の対極にある権威ある大芝居の劇場を意味していた」岩波新書661『歌舞伎の歴史』、今尾哲也著、p173。現在の歌舞伎座設立にあたり「その普通名詞を、福地桜痴は固有名詞として天下に示したのである」。しかしこれは間違いで普通名詞としての用法はなかったという説もある。 歌舞伎座は大正時代から松竹の直営で経営を行ってきた。4度建て直されており、2014年現在のものは5代目のものである。「株式会社歌舞伎座」が劇場を所有している。.

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源氏物語

土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。 朝顔」。雪まろばしの状景。邸内にいるのは源氏と紫の上。 『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である物語の他には「紫式部日記」や和歌集の「紫式部集」があり「小倉百人一首」にも和歌が収められている(*)。後に、紫式部の「源氏物語」と「紫式部日記」の2作品は絵画化された。約150年後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」、約200年後の鎌倉時代初期に「紫式部日記絵巻」が制作された。(*)「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。紫式部日記。。 下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。最初は、当時紙が貴重で紙の提供者がいれば、その都度書き江戸時代の松永貞徳の源氏物語の写本全54冊(54帖)の1冊1冊の厚みが示すように、紫式部は当初多くの分量は書けず1冊(1帖)の厚みは薄いが、支援者の藤原道長により安定した紙の供給が行なわれて以降は34帖「若菜」のように1冊(1帖)の厚みが急激に増した。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。(参考)『源氏物語』与謝野晶子訳、各帖の総ページ数より、1帖「桐壷」26、2帖「帚木」44、3帖「空蝉」12、そして、34帖「若菜」上192、下190。(角川文庫 1999年(平成11年)5月10日)所収、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。それを機に宮中に上がった紫式部は宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』を完成させた中宮彰子は一条天皇の妻であったが、一条天皇のもう一人の妻であり後に亡くなった藤原定子の家庭教師は清少納言だった。なお、藤原道長の要請で宮中に上がった紫式部は、宮中の様子を中心に書いた「紫式部日記」を残している。。 なお、源氏物語は文献初出から150年ほど後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された 五島美術館。現存する絵巻物の内、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。また現在、『源氏物語』は日本のみならず20ヶ国語を超える翻訳を通じ世界各国で読まれている 総合研究大学院大学教授 伊藤鉃也 日本文学研究専攻。2009年3月時点、刊行されたもの24種類、現在進行中のもの4種類、未確認(あるらしい、というもの)6種類。。.

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