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ヨハネの手紙一

索引 ヨハネの手紙一

『ヨハネの手紙一』(ヨハネのてがみいち)は新約聖書中の一書で、公同書簡とよばれる書簡群の一つである。伝承では老齢にさしかかった福音記者ヨハネ(使徒ヨハネ)がエフェソスで書いたものだとされてきた。『ヨハネの第一の手紙』あるいは『第一ヨハネ書』などと呼ばれる。.

18 関係: 反キリスト三位一体ヨハネ (使徒)ヨハネによる福音書ヨハネの黙示録ヨハネの手紙三ヨハネの手紙二ヨハネ文書ヴルガータデジデリウス・エラスムスエフェソスコンマ・ヨハンネウムジェームズ1世 (イングランド王)公同書簡欽定訳聖書新約聖書1522年4世紀

反キリスト

反キリスト(はんキリスト、Antichrist)は、イエス・キリストの教えに背く人。聖書では新約聖書のヨハネの手紙一(2:18、2:22、4:3)、ヨハネの手紙二(1:7)にのみ記述されている。ヨハネの手紙2章22節においては、イエスがキリストであることを否定する者を反キリストであるとしている。キリスト教の終末論においては、真実に対極し、悪魔の具現化であると解釈され、最後の審判の際に苦しみが与えられるとされ、救いは決して得られないとされる。.

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三位一体

date.

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ヨハネ (使徒)

使徒ヨハネ(しとヨハネ)は、新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。洗礼者ヨハネと区別するために特に「使徒ヨハネ」と呼んだり、ゼベダイの子ヨハネ、福音記者ヨハネと呼ぶこともある。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。 日本ハリストス正教会における呼称では教会スラヴ語から転写しイオアン。聖使徒福音者神学者イオアンとも呼ばれる。 正教会での記憶日は10月9日(修正ユリウス暦使用教会では9月26日)。カトリック教会での記念日は12月27日。.

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ヨハネによる福音書

『ヨハネによる福音書』(ヨハネによるふくいんしょ、Κατά Ιωάννην Ευαγγέλιον Kata Iōannēn Euangelion、Evangelium Secundum Iohannem)は新約聖書中の一書。 『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』に次ぐ4つの福音書(イエス・キリストの言行録)の一つである。ルターは本福音書とパウロ書簡を極めて高く評価しており、その影響は現在のプロテスタント各派に及んでいる。.

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ヨハネの黙示録

『ヨハネの黙示録』(ヨハネのもくしろく Ἀποκάλυψις Ἰωάννου、Apocalypsis Iōannis、Revelation)は、『新約聖書(クリスチャン・ギリシャ語聖書)』の最後に配された聖典であり、『新約聖書』の中で唯一預言書的性格を持つ書である。 『ヨハネの黙示録』は、単に『黙示録』あるいは『ヨハネによる黙示録』、『神学者聖イオアンの黙示録』(日本ハリストス正教会)、『使徒聖ヨハネ黙示録』(天主公教会)、『ヨハネへの啓示』(ものみの塔聖書冊子協会)ともいわれる。 タイトルの「黙示」とはギリシャ語の「アポカリュプシス(Ἀποκάλυψις)」の訳であり、καλύπτω(覆う)に接頭辞のἀπό(離れて)が組み合わさったἀποκαλύπτω(明かす、明らかにする)という動詞に、-σιςという抽象名詞を作る接尾辞が付いた複合語である。英語では「Revelation」と言い、上記と同義のラテン語revēlātiō(暴露、すっぱ抜き)に由来する。『黙示録』はキリスト教徒の間でも、その解釈と正典への受け入れをめぐって多くの論議を呼びおこしてきた書物である。ヨハネの黙示録は2世紀に書かれたと言われているムラトリ正典目録に含まれており、A.D.397年に開催されたカルタゴ会議では、ヨハネの黙示録を含む27文書が正典として認められた。.

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ヨハネの手紙三

『ヨハネの手紙三』(ヨハネのてがみさん)は新約聖書の正典を構成する27文書の一つで、公同書簡に分類される3通のヨハネ書簡の最後のものである。ガイオという人物に宛てて、他のキリスト教徒を受け入れ、親切にすることを説いたこの書簡は15節しかなく、旧約・新約聖書の中でも短さの点で一、二を争う。1世紀後半から2世紀初め頃に成立したと考えられているが、その短さや教理的要素の少なさもあって、キリスト教文献での直接的言及は3世紀まで見られず、正典と広く承認されるまでに時間を要した。 定評あるギリシア語校訂版のネストレ・アーラント28版での題名は である。『ヨハネの手紙三』という呼称は新共同訳聖書によるもので、カール・ギュツラフによる最初の日本語訳『約翰下書』原典には『約終下書』とある。しかし、「約終」は「約翰」(ヨハネ)の誤記と見なされている()。以来、様々な題名で呼ばれてきた。何らかの団体によって訳された聖書(およびそれと訳名が一致する個人訳)での名称としては、『ヨハネの第三の書』(大正改訳)、『ヨハネの第三の手紙』(口語訳、バルバロ訳、フランシスコ会訳、岩波委員会訳)、『ヨハンネスの手紙 III』(共同訳)、『ヨハネの手紙 第三』(新改訳、塚本虎二訳)、『イオアンの第三書』目次での表記。本文中での見出しは『聖使徒神学者イオアンの第三公書』。(日本正教会訳)などがあるこのほか個人訳による表記として『ヨハネ第三書』(ラゲ訳。本文中の見出しは『使徒聖ヨハネ第参書簡』)、『第三ヨハネ書』(前田護郎訳、柳生直行訳)、『ヨハネ書簡、第三』(田川建三訳)などがある。また尾山令仁の現代訳聖書は『ヨハネの手紙3』と、3が算用数字になっている。。以下では便宜上、第三ヨハネ書ないし第三書と略す。ほか2つのヨハネ書簡の略し方もこれに準ずる。.

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ヨハネの手紙二

『ヨハネの手紙二』(ヨハネのてがみに)は新約聖書正典中の一書で、公同書簡と呼ばれる書簡の一つ。他のヨハネ書簡などとともにヨハネ文書と分類されることもある。13節のみで構成され、旧約・新約を通じて聖書中最短の書である。 この記事名は新共同訳聖書に基づくものだが、『ヨハネの第二の書』(文語訳聖書)、『ヨハネの第二の手紙』(口語訳聖書、バルバロ訳聖書、フランシスコ会訳聖書、岩波委員会訳聖書)、『ヨハネの手紙 第二』(新改訳聖書)、『イオアンの第二書』(日本正教会訳聖書)などとも訳される。.

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ヨハネ文書

ヨハネ文書(-ぶんしょ)とは、新約聖書中の『ヨハネによる福音書』と3通のヨハネ書簡(『ヨハネの手紙一』、『ヨハネの手紙二』、『ヨハネの手紙三』)、および『ヨハネの黙示録』の5つの文書を言う。しかし現在では『黙示録』は除外し、四文書のみを指すことの方が多い。これは、『黙示録』のギリシア語表現が他文書とは明らかに異質であるという古代からも知られていた事実と、思想的にも大きな違いがあるとの認識による。.

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ヴルガータ

ヴルガータ(またはウルガタ Vulgata)とは、editio Vulgata(「共通訳」の意)の略で、カトリック教会の標準ラテン語訳聖書のこと。1545年に始まったトリエント公会議においてラテン語聖書の公式版として定められた。伝統的にヒエロニムスによる翻訳とされるが、実際にはより複雑な成立過程をたどっている。なお古代のラテン語では、Vuはヴではなくウと発音されたので、それに従えば「ウルガータ」である。.

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デジデリウス・エラスムス

デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus Roterodamus, 1466年10月27日 - 1536年7月12日)は、ネーデルラント出身の人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者。ラテン語名には出身地をつける当時の慣習から「ロッテルダムのエラスムス」とも呼ばれる。なお、名前の「エラスムス」は洗礼名でカトリック教会の聖人フォルミアのエラスムス(Erasmus of Formiae)からとられているが、「デジデリウス」は1496年から自分自身で使い始めた名前である。 主な著作に『痴愚神礼賛』(Moriae encomium)、『エンキリディオン』(キリスト教戦士の手引き、Enchiridion militis Christiani)、『平和の訴え』などがあり、著作の中では一貫して「キリスト者の一致と平和」をテーマとした。また、エラスムスの『校訂版 新約聖書』(新約聖書のラテン語・ギリシア語対訳、Novum Instrumentum)は広く読まれ、マルティン・ルターのドイツ語訳聖書の原版になった。エラスムスの思想は宗教改革運動と対抗宗教改革運動の双方に大きな影響を与えた。『ユートピア』を著したトマス・モアとの親交や自由意志に関するマルティン・ルターとの論争でも知られる。 宗教改革の時代を生きたエラスムスは「カトリック教会を批判した人文主義者」と表現されることが多いが、実際にはローマ教皇庁を含めカトリック教会内に知己が多く、生涯を通してカトリック教会に対して忠実であり、カトリック教会の諸問題を批判しながらも中道を標榜してプロテスタント側に投じることはなかった。 エラスムスは1536年にバーゼルで逝去し、もともとカトリック教会のバーゼル司教座聖堂だった教会に埋葬された。.

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エフェソス

フェソス(ギリシャ語:Έφεσος, ラテン文字表記:Ephesos/Ephesus)は、トルコ西部の小アジアの古代都市で、現在のイズミル県のセルチュク近郊に位置している。古典ギリシア語読みではエペソス、エフェソ、エペソとも表記され、現在はトルコ語でエフェス(Efes)とも呼ばれる。アルテミス崇拝で知られたギリシア人都市であったが、のちにキリスト教を受容し、新約聖書にもエフェソの信徒への手紙がある。 現在は遺跡が残っているのみである。もとは港湾都市であったが、土砂の堆積により現在は海岸から離れている。2015年に世界遺産リストに登録された。.

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コンマ・ヨハンネウム

コンマ・ヨハンネウム(Comma Johanneum)は「ヨハネ句」という意味で、新約聖書の『ヨハネの手紙一』の5章7節から8節にかつて見られた一節のこと。すなわち「天において証言する者は父・みことば・聖霊の三つであり、これら三つは一つです」という部分である。これは聖書本文にもともとあったものでなく、後代の挿入と考えられているが、長らく聖書における三位一体論の根拠とみなされてきた。 この挿入句は、古代教会において三位一体論が確立していく過程で、教父たちの解説句が聖書本文に紛れ込んだものであると考えられている。この言葉が初めてラテン語聖書にあらわれるのはようやく4世紀に入ってからである。以降、ヴルガータの普及とともにこの句が入った形で受け入れられていたが、近世に入ってギリシア語原文の研究が進むと、この部分がギリシア語聖書には見当たらないことが知られるようになった。 デジデリウス・エラスムスが自ら校訂した新約聖書のためにギリシア語版をまとめた際、当初は「ギリシア語写本にはみられない」としてこの語句を入れていなかったが、オックスフォードのフロイなるフランシスコ会修道士がこの語句の入ったギリシア語写本(「小文字写本61」)を示したため、批判版ギリシア語新約聖書の第三版(1522年)以降に「疑問がある」という注をつけながらも採用した。(「小文字写本61」は16世紀以前にはさかのぼらないものであることが現代では明らかになっている。) しかし、エラスムスの校訂したギリシア語聖書は『テクストゥス・レセプトゥス』としてさまざまな言語に翻訳される際の元本になった。ジェームズ1世の欽定訳聖書の元となったウィリアム・ティンダルの英語聖書も『テクストゥス・レセプトゥス』をもとにしていたため、この章句が以降の多くに英語訳聖書に引き継がれることになった。 『テクストゥス・レセプトゥス』の権威とともに定着したコンマ・ヨハンネウムが再び聖書本文から取り除かれることになるのは、19世紀になって批判的聖書研究が盛んになってからのことである。 category:新約聖書 Category:三位一体論.

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ジェームズ1世 (イングランド王)

ェームズ6世(James VI)およびジェームズ1世(James I)、チャールズ・ジェームズ・ステュアート(Charles James Stuart, 1566年6月19日 - 1625年3月27日)は、スコットランド、イングランド、アイルランドの王。スコットランド王としてはジェームズ6世(在位:1567年7月29日 - 1625年3月27日)であり、イングランド王・アイルランド王としてはジェームズ1世(在位:1603年7月25日 - 1625年3月27日)である。非公式にはグレートブリテン王の称号も用いた。スコットランド女王メアリーと2番目の夫であるダーンリー卿ヘンリー・ステュアートの一人息子である。.

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公同書簡

公同書簡(こうどうしょかん、Catholic Epistles, General Epistles)とは、公会書簡とも訳され、新約聖書中の、.

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欽定訳聖書

欽定訳聖書の初版表紙 欽定訳聖書(きんていやくせいしょ)は、国王の命令によって翻訳された聖書である。複数あるが、単に「欽定訳」と言った場合は、とくに「ジェイムズ王訳」(King James VersionあるいはAuthorized Version)として名高い、1611年刊行の英訳聖書を指す。 イングランド王ジェームズ1世がイングランド国教会の典礼で用いるための聖書の標準訳を求め、王の命令で翻訳されたためにこの名がある。欽定訳は19世紀末に至るまでイングランド国教会で用いられた唯一の公式英訳聖書である。また、日本における文語訳聖書のように、荘厳で格調高い文体から、口語訳の普及した現在も多くの愛読者を保ち続けている。 ヘブライ語およびギリシア語原典から訳したと序文にはあるが、実際にはウィリアム・ティンダルら先行する英語翻訳にかなりの部分で依拠していることが指摘されている。 なお、現在欽定訳聖書として市場に出回っているものの多くは、1769年に綴りなどが修正されたもので、オリジナルではない。.

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新約聖書

『新約聖書』(しんやくせいしょ、ギリシア語: Καινή Διαθήκη, ラテン語: Novum Testamentum)は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書で、『旧約聖書』とならぶキリスト教の正典。また、イスラム教でもイエス(イーサー)を預言者の一人として認めることから、その一部(福音書)が啓典とされている。『新約聖書』には27の書が含まれるが、それらはイエス・キリストの生涯と言葉(福音と呼ばれる)、初代教会の歴史(『使徒言行録』)、初代教会の指導者たちによって書かれた書簡からなっており『ヨハネの黙示録』が最後におかれている。現代で言うところのアンソロジーにあたる。「旧約聖書」「新約聖書」は、新旧の別による「旧いから無視してよい・誤っている、新しいから正しい」といった錯誤を避けるため、旧約聖書を『ヘブライ語聖書』、新約聖書を『ギリシア語聖書』と呼ぶこともある。内容的にはキリストが生まれる前までを旧約聖書、キリスト生誕後を新約聖書がまとめている。.

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1522年

記載なし。

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4世紀

皇帝コンスタンティヌス1世。ミラノ勅令によりキリスト教を公式に認め新首都コンスタンティノポリスを造営した。画像はローマのカピトリーノ美術館にある皇帝の巨像(コロッスス)。 Musée national du Moyen Âgeにある皇帝の像。 メリダ国立ローマ博物館蔵)のレプリカ。 修道生活の基礎が築かれた。画像は大アントニオスを追慕して356年に建てられたエジプトのスエズ県にあるコプト教会の「聖アントニオス修道院」。 アクスム王国の勃興。クシュ王国を滅ぼし現在のエチオピアの地に成立したのがアクスム王国で、最も古くからキリスト教を受容していたことでも知られている。画像はキリスト教に改宗したエザナ王によるオベリスク(石柱)で24mの高さがある。 ゲルマン民族の大移動。ローマ帝国との国境を越えたゲルマン諸族は各地で混乱や衝突を起こした。画像は1920年代に描かれた西ゴート族の王アラリック1世のアテナイ入城(395年)の挿絵。 顧愷之。顧愷之は東晋の画家で、画絶・才絶・癡絶の三絶を備えると云われていた人物。画像は代表作「女史箴図」(大英博物館蔵)。 書聖王羲之。王羲之は東晋の書家で「蘭亭序」他の作で知られ、歴代皇帝にも愛好された。画像は宋末元初の文人画家銭選が王羲之を画題として描いた「蘭亭観鵝図」(台湾・国立故宮博物院蔵)。 七支刀が所蔵されている石上神宮。ここの七支刀が『日本書紀』神功記に記載のある百済から献上されたものだと推定されている。 チャンドラグプタ2世の金貨。チャンドラグプタ2世はインド・グプタ朝の領土を最大に広げ、繁栄をもたらした。 シャクンタラー』。指輪をめぐるシャクンタラー姫の数奇な運命の物語でチャンドラグプタ2世王時代の宮廷詩人カーリダーサによりまとめられたとされる。画像はラヴィ・ヴァルマによる物語絵。 4世紀(よんせいき)は、西暦301年から西暦400年までの100年間を指す世紀。.

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