ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

マウンダー極小期

索引 マウンダー極小期

太陽黒点数の400年間の歴史におけるマウンダー極小期 炭素14生成量の変遷から描かれる過去の太陽活動 マウンダー極小期(マウンダーきょくしょうき、Maunder Minimum)とはおおよそ1645年から1715年の太陽黒点数が著しく減少した期間の名称で、太陽天文学の研究者で黒点現象の消失について過去の記録を研究したエドワード・マウンダーの名前にちなむ。 マウンダー極小期中の30年間に、観測された黒点数は、たった約50を数えるだけであった。通常であれば4万~5万個程度が観測によって数えられるであろう期間である。.

50 関係: 太陽太陽黒点宇宙線小氷期年輪年代学地球温暖化北アメリカ大陸ヨハネス・ヘヴェリウスヨーロッパパリ天文台フィリップ・ド・ラ・イールダルトン極小期ベリリウムエドワード・マウンダーオーロラシュペーラーの法則シュペーラー極小期ジャン・ピカールジョン・フラムスティードゆゆ式炭素14考古学東京大学大気海洋研究所氷床コア放射性同位体放射性炭素年代測定時事通信社11月5日1610年1610年代1620年代1630年代1640年代1645年1650年代1660年代1666年1670年代1674年1680年代1681年1684年1695年1700年1705年1715年1716年1790年1820年2010年

太陽

太陽(たいよう、Sun、Sol)は、銀河系(天の川銀河)の恒星の一つである。人類が住む地球を含む太陽系の物理的中心尾崎、第2章太陽と太陽系、pp. 9–10であり、太陽系の全質量の99.86%を占め、太陽系の全天体に重力の影響を与えるニュートン (別2009)、2章 太陽と地球、そして月、pp. 30–31 太陽とは何か。 太陽は属している銀河系の中ではありふれた主系列星の一つで、スペクトル型はG2V(金色)である。推測年齢は約46億年で、中心部に存在する水素の50%程度を熱核融合で使用し、主系列星として存在できる期間の半分を経過しているものと考えられている尾崎、第2章太陽と太陽系、2.1太陽 2.1.1太陽の概観 pp. 10–11。 また、太陽が太陽系の中心の恒星であることから、任意の惑星系の中心の恒星を比喩的に「太陽」と呼ぶことがある。.

新しい!!: マウンダー極小期と太陽 · 続きを見る »

太陽黒点

2004年に現れた太陽黒点 太陽黒点(たいようこくてん、sunspot)とは、太陽表面を観測した時に黒い点のように見える部分のこと。単に黒点とも呼ぶ。実際には完全な黒ではなく、この部分も光を放っているが、周囲よりも弱い光なので黒く見える。太陽黒点は、約9.5年から12年ほどの周期で増減を繰り返している。 黒点が暗いのは、その温度が約4,000℃と普通の太陽表面(光球)温度(約6,000℃)に比べて低いためである。発生原因は太陽の磁場であると考えられている。 黒点は太陽の自転とともに東から西へ移動する。大きな黒点群の中には太陽の裏側を回って再び地球から見える側に出てきても消えていない、1ヶ月ほど存在する寿命の長いものがある。(太陽の東西という言葉は地球から観測した場合の地球上での方位を指す。その天体に立った場合の方位ではない).

新しい!!: マウンダー極小期と太陽黒点 · 続きを見る »

宇宙線

宇宙線(うちゅうせん、Cosmic ray)は、宇宙空間を飛び交う高エネルギーの放射線のことである名越 2011 p.3。主な成分は陽子であり、アルファ粒子、リチウム、ベリリウム、ホウ素、鉄などの原子核が含まれている。地球にも常時飛来している。.

新しい!!: マウンダー極小期と宇宙線 · 続きを見る »

小氷期

小氷期(しょうひょうき、英:Little Ice Age, LIA)とは、ほぼ14世紀半ばから19世紀半ばにかけて続いた寒冷な期間のことである。小氷河時代、ミニ氷河期ともいう。この気候の寒冷化により、「中世の温暖期」として知られる温和な時代は終止符を打たれた。当初、小氷期は全球的な現象だったと考えられていたが現在はその規模に疑問の声が投げかけられている。例えば、過去1,000年間の北半球の気温の推定値は明白な寒冷期を示してはいない。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、小氷期を「期間中の気温低下が1℃未満に留まる、北半球における弱冷期」と記述している。なお、氷河学的にはこの間や現在なども含めて氷期の中でも比較的温暖な時期が続く、間氷期にあたる。.

新しい!!: マウンダー極小期と小氷期 · 続きを見る »

年輪年代学

年輪年代学(ねんりんねんだいがく、英語:dendrochronology)とは、樹木の年輪パターンを分析することによって、年代を科学的に決定する方法である。アリゾナ大学のA・E・ダグラスによって、20世紀に発明・発展された。本法を適用することで樹木の年代は正確に暦年単位で決定することができる。.

新しい!!: マウンダー極小期と年輪年代学 · 続きを見る »

地球温暖化

1940年–1980年の平均値に対する1999年から2008年の地表面の平均気温の変化 1990年–2010 年9月22日年の平均値に対する2070年から2100年の地表面の平均気温変化量の予測 地球温暖化(ちきゅうおんだんか、Global warming)とは、気候変動の一部で、地球表面の大気や海洋の平均温度が長期的に上昇する現象である。最近のものは、温室効果ガスなどの人為的要因や、太陽エネルギーの変化などの環境的要因によるものであるといわれている。単に「温暖化」とも言われている。.

新しい!!: マウンダー極小期と地球温暖化 · 続きを見る »

北アメリカ大陸

北アメリカ大陸(きたアメリカたいりく、North American continent)、通称北米大陸(ほくべいたいりく)は、現在においては南北アメリカ大陸のうち、パナマ地峡より北側の部分のこと。かつてはローラシア大陸から分かれ、ゴンドワナ大陸から分かれた南アメリカ大陸とは別々に存在していた大陸であった。面積は約2400万平方キロメートルである。.

新しい!!: マウンダー極小期と北アメリカ大陸 · 続きを見る »

ヨハネス・ヘヴェリウス

ヘヴェリウスによる月面図「セレノグラフィア」/1645年発表。科学的観測史上(望遠鏡による観測史上)、最も早くに作られた月面図の代表的一つ。彼が名付けた月の地名のいくつかは現在も使われている。月の輪郭が二重に描かれているのは、地球から見た月の位置的揺らぎの限界を示したものである。 ヨハネス・ヘヴェリウス(ラテン語:Johannes Hevelius 、ポーランド語:Jan Heweliusz 、ドイツ語:Johannes Hewel 、1611年1月28日 - 1687年1月28日)は、ポーランドの天文学者。月の地形学の創始者とされる。.

新しい!!: マウンダー極小期とヨハネス・ヘヴェリウス · 続きを見る »

ヨーロッパ

ヨーロッパ日本語の「ヨーロッパ」の直接の原語は、『広辞苑』第5版「ヨーロッパ」によるとポルトガル語・オランダ語、『デジタル大辞泉』goo辞書版「」によるとポルトガル語。(、)又は欧州は、地球上の七つの大州の一つ。漢字表記は欧羅巴。 地理的には、ユーラシア大陸北西の半島部を包括し、ウラル山脈およびコーカサス山脈の分水嶺とウラル川・カスピ海・黒海、そして黒海とエーゲ海を繋ぐボスポラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡が、アジアと区分される東の境界となる増田 (1967)、pp.38–39、Ⅲ.地理的にみたヨーロッパの構造 ヨーロッパの地理的範囲 "Europe" (pp. 68-9); "Asia" (pp. 90-1): "A commonly accepted division between Asia and Europe...

新しい!!: マウンダー極小期とヨーロッパ · 続きを見る »

パリ天文台

パリ天文台 パリ天文台(パリてんもんだい、仏:Observatoire de Paris)は、フランス・パリ14区オブセルヴァトワール通り (Avenue de l'Observatoire) 61番地にある、フランス国内最大の天文台で、世界最大級の天文学研究センターのひとつである。.

新しい!!: マウンダー極小期とパリ天文台 · 続きを見る »

フィリップ・ド・ラ・イール

フィリップ・ド・ラ・イール(Philip(p)e de La Hire、ライール(Lahire)と綴っているものもある、 1640年3月18日 - 1718年4月21日)はフランスの皇太子付地理学者、幾何学者、天文学者、画家である。 パリの有名な画家ローラン・ド・ラ・イール(Laurent de La Hire)の息子として生まれた。1660年にローマに絵の勉強に出たが、パリに戻ると、科学の勉強を始め、数学に才能を示した。1678年にフランス王立科学アカデミーの会員になり、その後天文学の分野の活動を始めた。太陽や月、惑星の運行表を計算するとともに、1679年から1682年の間、もともとジャン・ピカールが企画し、途中まで実施したフランス国土の地図作成に資するためのフランス海岸線の測量を助け、これを受け継いだ。この測量成果は「フランス輪郭地図」(Carte des contours de la France: Carte de France corrigée par ordre du Roi sur les observations de Mrs de l'Académie des sciences) として、1682年にフランス科学アカデミーに上納され、1693年に発行された。1683年にはパリ子午線の子午線弧を北方に延長するのに助力した。同年コレージュ・ロワイヤル(Collège Royal)の数学の教授となり、1687年からAcadémie d'architectureでも教えた。 1673年には幾何学に関する『幾何学の新方法』(Nouvelle Méthode en Géométrie pour les sections des superficies coniques et cylindriques)を著したほか、魔方陣に関する13世紀のギリシャのマヌーエール・モスコプールス(Manuel Moschopulus)の著書を翻訳し、過去の理論を収集した。1705年に 『力学理論』(Traite de Mechanique)を発表した。また同年 『天球図』(Planisphere Celeste Septentrional et Meridional)を出版した。ラ・イールの天球図は、アメリカの連邦議会図書館の他、日本でも千葉市科学館(Qiball)に所蔵されている(ただし、北天図は1766年版、南天図は1760年版)。 月の山に名前が付けられている。 彼の二人の息子のうち、ガブリエル=フィリップ・ド・ラ・イール(Gabriel-Philippe de La Hire, 1677-1719)は数学者として、ジャン=ニコラ・ド・ラ・イール(:fr:Jean-Nicolas de La Hire, 1685-1727)は植物学者として、科学における目覚しい業績を残した。.

新しい!!: マウンダー極小期とフィリップ・ド・ラ・イール · 続きを見る »

ダルトン極小期

400年間の黒点の数 ダルトン極小期(Dalton Minimum)は、1790年から1830年まで続いた、太陽活動が低かった期間である。イギリスの気象学者ジョン・ドルトンに因んで名付けられた。マウンダー極小期やシュペーラー極小期と同様に、ダルトン極小期は、地球の気温が平均より低かった時期と一致している。この期間、気温の変動は約1℃であった。 この期間に気温が平均よりも低かった正確な原因は分かっていない。最近の論文では、火山活動の上昇が気温の低下傾向の大きな原因の1つとなったと主張されている。 1816年の夏のない年は、ダルトン極小期の間に起こり、この年の気温低下の主原因は、インドネシアのタンボラ山の大爆発であった。.

新しい!!: マウンダー極小期とダルトン極小期 · 続きを見る »

ベリリウム

ベリリウム(beryllium, beryllium )は原子番号 4 の元素である。元素記号は Be。第2族元素に属し、原子量は 9.01218。ベリリウムは緑柱石などの鉱物から産出される。緑柱石は不純物に由来する色の違いによってアクアマリンやエメラルドなどと呼ばれ、宝石としても用いられる。常温常圧で安定した結晶構造は六方最密充填構造(HCP)である。単体は銀白色の金属で、空気中では表面に酸化被膜が生成され安定に存在できる。モース硬度は6から7を示し、硬く、常温では脆いが、高温になると展延性が増す。酸にもアルカリにも溶解する。ベリリウムの安定同位体は恒星の元素合成においては生成されず、宇宙線による核破砕によって炭素や窒素などのより重い元素から生成される。 ベリリウムは主に合金の硬化剤として利用され、その代表的なものにベリリウム銅合金がある。また、非常に強い曲げ強さ、熱的安定性および熱伝導率の高さ、金属としては比較的低い密度などの物理的性質を利用して、高速航空機やミサイル、宇宙船、通信衛星などの軍事産業や航空宇宙産業において構造部材として用いられる。ベリリウムは低密度かつ原子量が小さいためX線やその他電離放射線に対して透過性を示し、その特性を利用してX線装置や粒子物理学の試験におけるX線透過窓として用いられる。 ベリリウムを含有する塵は人体へと吸入されることによって毒性を示すため、その商業利用には技術的な難点がある。ベリリウムは細胞組織に対して腐食性であり、慢性ベリリウム症と呼ばれる致死性の慢性疾患を引き起こす。.

新しい!!: マウンダー極小期とベリリウム · 続きを見る »

エドワード・マウンダー

Edward Walter Maunder エドワード・マウンダー(Edward Walter Maunder、モーンダーとも、1851年4月12日 - 1928年3月21日)は、イギリスの天文学者である。太陽黒点の研究で知られ、1645年から1715年までの黒点出現頻度の少なかった期間(マウンダー極小期)のあったことを確立したことで知られる。聖書学者でもある。 ロンドンにメソジストの役職者の家に生まれた。キングス・カレッジ・ロンドンに入学したが卒業はしなかった。ロンドン銀行に勤めた後1873年に王立天文台の分光助手を務め、太陽黒点の撮影と測定も行った。1904年に約11年周期で黒点の出現する緯度が変化することを蝶型図で示し発表した。天文台に残された黒点の観測資料を調べ1645年から1715年の間に太陽活動が低くなった時代が存在したことを提唱する論文を1894年と1922年に発表したが当時は注目されなかった。1970年代にパーカーによってマウンダーの研究が再発見され、この黒点の少ない時代はマウンダー極小期と呼ばれることになった。 火星を観測し、火星に運河があるという説には反対した。1890年に天文学に興味のある人々に門戸を開いた英国天文協会(British Astronomical Association)の設立を推進した。会誌の初代の編集長を務めた。 2度目の妻のアニー・マウンダー(Annie Scott Dill Maunder:旧姓 Russell:1868年 - 1947年)も王立天文学会に入会を認められた天文学者であり、夫と共同研究した。 火星と月のクレーターにマウンダーの名前がつけられている。 Category:イギリスの天文学者 Category:ロンドン出身の人物 Category:1851年生 Category:1928年没.

新しい!!: マウンダー極小期とエドワード・マウンダー · 続きを見る »

オーロラ

アラスカのオーロラ 第28次長期滞在のクルーが国際宇宙ステーションから撮ったオーロラの映像。撮影時刻はグリニッジ標準時で2011年9月7日17時38分03秒から17時49分15秒。場所はインド洋南部のフランス領南方・南極地域から南オーストラリア上空にかけて。 オーロラ()は、天体の極域近辺に見られる大気の発光現象である。極光(きょっこう)ともいう神沼 (2009)、141頁。。以下本項では特に断らないかぎり、地球のオーロラについて述べる。 女神の名に由来するオーロラは古代から古文書や伝承に残されており、日本でも観測されている。近代に入ってからは両極の探検家がその存在を広く知らしめた。オーロラの研究は電磁気学の発展とともに進歩した。発生原理は、太陽風のプラズマが地球の磁力線に沿って高速で降下し大気の酸素原子や窒素原子を励起することによって発光すると考えられているが、その詳細にはいまだ不明な点が多い。光(可視光)以外にも各種電磁波や電流と磁場、熱などが出る。音(可聴音)を発しているかどうかには議論がある。両極点の近傍ではむしろ見られず、オーロラ帯という楕円上の地域で見られやすい。南極と北極で形や光が似通う性質があり、これを共役性という。地球以外の惑星でも地磁気と大気があれば出現する。さらに状況さえ再現すれば、人工的にオーロラを出すこともできる。.

新しい!!: マウンダー極小期とオーロラ · 続きを見る »

シュペーラーの法則

シュペーラーの法則(Spörer's law)は太陽黒点の出現する緯度が周期的に変化するという法則である。1861年頃にイギリスの天文学者リチャード・キャリントンによって発見され、ドイツの天文学者グスタフ・シュペーラーによってより洗練された形にされた。 太陽の表面に現れる黒点の場所は太陽緯度30度から45度のあたりに始まり、発生する場所は下がっていき、平均15度まで下がった時、黒点の活動は最大となり、さらに7度ぐらいまで下がった時、一連のサイクルは終わり、高緯度に新しい黒点が出現し新しいサイクルが始まるというのがシュペーラーの法則である。時系列的に黒点の現れる緯度をプロットすると蝶の形の模様の蝶型図となる。 category:天文学 Category:天文学史 Category:自然科学の法則 Category:天文学に関する記事.

新しい!!: マウンダー極小期とシュペーラーの法則 · 続きを見る »

シュペーラー極小期

炭素14生成量の変遷から描かれる過去の太陽活動 シュペーラー極小期(-きょくしょうき、Spörer Minimum)とは1420年頃~1570年頃(1450年~1550年頃とも)にかけて、太陽活動が低下した時期のことを指す。太陽の活動低下は以前には太陽黒点の観測した記録によって見出されていたものであるが、後に木の年輪に含まれる放射性炭素14Cが太陽活動に強い相関関係があることによって発見された。この極小期の名前はドイツの天文学者グスタフ・シュペーラーに因んでつけられた。.

新しい!!: マウンダー極小期とシュペーラー極小期 · 続きを見る »

ジャン・ピカール

ャン・ピカール(Jean-Felix Picard 、1620年7月21日 – 1682年7月12日)は、フランスの天文学者、司祭である。1669年に最初の本格的な三角測量を行った最初の人物として知られる。.

新しい!!: マウンダー極小期とジャン・ピカール · 続きを見る »

ジョン・フラムスティード

ョン・フラムスティード(John Flamsteed, 1646年8月19日 - グレゴリオ暦1719年1月12日(ユリウス暦1718年12月31日))は、イギリスの天文学者。ケンブリッジ大学に学ぶ。フラムスチードと表記されることも多い。 1666年と1668年に起きた日食を正確に予言した。これらの功績が認められ、1675年3月4日、初代の「イングランド王室天文官 (Astronomer Royal for England)」に任命される。給料は年100ポンド。同年6月、任地のグリニッジ天文台はフラムスティード本人の手により工事が開始される。しかし、この天文台は完成後も観測器具はおかれず、フラムスティードは自費で器具を揃えた。足りない分は給料から、それでも足りない分は、副業で家庭教師をしたり、寄付でまかなった。観測器具の設計に当たっては、ティコ・ブラーエの著書を参考にし、それを望遠鏡用に改変した。フラムスティード本人はティコにちなんで自らを「宮廷付占星術師」と呼んだが、この呼称は普及しなかった。代わりに人は彼をグリニッジ天文台長と呼んだ。このため、現代のイギリス英語でも王室天文官 (Astronomer Royal) はそのままグリニッジ天文台長を指す称号として使われた。(なお、1970年代以降、王室天文官とグリニッジ天文台長が別人の時代が存在するため、この2語は正確には同義ではない) 1676年2月、王立協会フェローとなる。同年、サリーのバーストー教区僧侶となりそこに住む。1684年、グリニッジに移住。 アイザック・ニュートンは、『自然哲学の数学的諸原理』(1687年)の出版にあたり、フラムスティードの観測記録を要求した。フラムスティードはこれに答えて記録を送ったが、この観測記録はニュートンの理論に合わず、ニュートンはフラムスティードが観測記録を送ってくるのが遅く、さらに故意に誤った記録を送ってきたとして非難した。しかし、実際には、地球と月の関係はニュートンの考えたような単純な2つの質点間の関係では表せず、もっと違う要素が必要なことがニュートンの死後に判明する。 フラムスティードは観測記録を『天球図譜』として出版しようと試みるが、ニュートンとエドモンド・ハレーは、フラムスティードの仕事が遅く、完成の見込みがないと判断して、新しい観測記録ではなく、手元にあったフラムスティードの古い不正確な観測記録を元に勝手に王立協会版『天球図譜』を1712年に出版した。フラムスティードは裁判に訴え、勝訴した。王立協会版『天球図譜』の在庫はすべてフラムスティードに渡され、フラムスティードはグリニッジ天文台でこれを焼却した。また、フラムスティードは、図書館等が購入した王立協会版『天球図譜』も可能な限り回収して焼却した。これでニュートンとの決裂は決定的なものとなった。ニュートンは、『自然哲学の数学的諸原理』第2版から、フラムスティードの名をほとんど削除した。 王立協会の協力が得られないと知ったフラムスティードは、自費で『天球図譜』の発刊を試みるが、生前には出版できなかった。これは没後、1725年から1729年にかけて、フラムスティード夫人らによって刊行された。 1719年、グリニッジにて死す。1720年、サリーのバーストーに葬られた。.

新しい!!: マウンダー極小期とジョン・フラムスティード · 続きを見る »

ゆゆ式

『ゆゆ式』(ゆゆしき、YUYUSHIKI)は、三上小又による日本の4コマ漫画作品。芳文社の月刊4コマ漫画雑誌『まんがタイムきらら』2008年2月号にゲスト掲載された後、同年4月号より連載されている。ゆずこ、唯、縁の3人が繰り広げるまったりとした学園生活イベント類の描写がほとんどなく、進級も1コマで終えた。を描いたゆとり系4コマ作品となっている。ゆゆ式の発音は、「由々しき事態」などのイントネーションとのことである。 2012年8月にテレビアニメ化が発表され、2013年4月から6月まで放送された。2017年2月22日にOVAが発売された。.

新しい!!: マウンダー極小期とゆゆ式 · 続きを見る »

炭素14

炭素14(たんそ14、Carbon-14、14C)は、炭素の放射性同位体。.

新しい!!: マウンダー極小期と炭素14 · 続きを見る »

考古学

考古学(こうこがく、英語:archaeology)は、人類が残した物質文化の痕跡(例えば、遺跡から出土した遺物、遺構などの考古資料)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。.

新しい!!: マウンダー極小期と考古学 · 続きを見る »

東京大学大気海洋研究所

東京大学大気海洋研究所(とうきょうだいがくたいきかいようけんきゅうじょ、)は、東京大学の附置研究所(共同利用・共同研究拠点)であり、気候システムおよび海洋学分野を主な研究対象とする研究所である。2010年4月1日に東京大学海洋研究所と東京大学気候システム研究センターを統合して設立された。共同利用・共同研究拠点としての機能だけでなく、大学院課程の高等教育機関でもある(#大学院教育を参照)。.

新しい!!: マウンダー極小期と東京大学大気海洋研究所 · 続きを見る »

氷床コア

氷床コア(ひょうしょうコア、英語:ice core)は氷床から取り出された筒状の氷の柱である。 氷は下に向かうにつれて古くなり、過去に降り積もった雪を保存している。氷床コアはコア掘削機によって南極やグリーンランドなど様々な氷床・氷河の深層に向かって掘り出されており、樹木の年輪や堆積物の年縞(年に一枚ずつ縞状に堆積したもの)など他の自然物の記録のように、気候に関する様々な情報を含んでいる。その記録は(地質学的には)短い時間だが、高精度の情報を得ることが出来る。 氷床コアの上層は一枚一年に相当するが、場合によっては一シーズンに一枚など、それぞれの年に降った雪が残っており、風成塵、火山灰、大気成分、放射性物質を含んでいる。氷の深度が深くなるにつれ、自重により一年分に相当する氷の層は厚さは薄くなり、年縞は不明瞭になってゆく。 適切な場所から得られるコアは撹乱が少ないので、数十万年にさかのぼる詳細な気候変化の記録が得られる。その記録には、気温、海水量、蒸発量、化学物質や低層大気の成分、火山活動、太陽活動、海洋の生物生産量等様々な気候に関する指標が含まれる。これらの記録は同じ層では同じ年の状態を保存しており、氷床コアを古気候研究に非常に有用なものにしている。.

新しい!!: マウンダー極小期と氷床コア · 続きを見る »

放射性同位体

放射性同位体(ほうしゃせいどういたい、radioisotope、RI)とは、ある元素の同位体で、その核種の不安定性から放射線を放出して放射性崩壊を起こす能力(放射能)を持つ元素を言う。.

新しい!!: マウンダー極小期と放射性同位体 · 続きを見る »

放射性炭素年代測定

放射性炭素年代測定(ほうしゃせいたんそねんだいそくてい、)は、自然の生物圏内において放射性同位体である炭素14 (14C) の存在比率が1兆個につき1個のレベルと一定であることを基にした年代測定方法であるアリソン 2011 p.71。対象は動植物の遺骸に限られ、無機物及び金属では測定が出来ない。 C14年代測定(シーじゅうよんねんだいそくてい、シーフォーティーンねんだいそくてい)に同じ。単に炭素年代測定、炭素14法、C14法などともいう。.

新しい!!: マウンダー極小期と放射性炭素年代測定 · 続きを見る »

時事通信社

株式会社時事通信社(じじつうしんしゃ、Jiji Press Ltd.)は、1945年11月に創立された日本の通信社である国際地域研究センター『世界のメディア』p90。同盟通信社の法人サービス部門が母体。国内78カ所、海外28カ所の支社や支局を有する。 以前は略語に JP (JijiPress) を使用していたが、現在は Jiji を使用している。.

新しい!!: マウンダー極小期と時事通信社 · 続きを見る »

11月5日

11月5日(じゅういちがついつか)はグレゴリオ暦で年始から309日目(閏年では310日目)にあたり、年末まであと56日ある。.

新しい!!: マウンダー極小期と11月5日 · 続きを見る »

1610年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1610年 · 続きを見る »

1610年代

1610年代(せんろっぴゃくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1610年から1619年までの10年間を指す十年紀。.

新しい!!: マウンダー極小期と1610年代 · 続きを見る »

1620年代

1620年代(せんろっぴゃくにじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1620年から1629年までの10年間を指す十年紀。.

新しい!!: マウンダー極小期と1620年代 · 続きを見る »

1630年代

1630年代(せんろっぴゃくさんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1630年から1639年までの10年間を指す十年紀。.

新しい!!: マウンダー極小期と1630年代 · 続きを見る »

1640年代

1640年代(せんろっぴゃくよんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1640年から1649年までの10年間を指す十年紀。.

新しい!!: マウンダー極小期と1640年代 · 続きを見る »

1645年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1645年 · 続きを見る »

1650年代

1650年代(せんろっぴゃくごじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1650年から1659年までの10年間を指す十年紀。.

新しい!!: マウンダー極小期と1650年代 · 続きを見る »

1660年代

1660年代(せんろっぴゃくろくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1660年から1669年までの10年間を指す十年紀。.

新しい!!: マウンダー極小期と1660年代 · 続きを見る »

1666年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1666年 · 続きを見る »

1670年代

1670年代(せんろっぴゃくななじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1670年から1679年までの10年間を指す十年紀。.

新しい!!: マウンダー極小期と1670年代 · 続きを見る »

1674年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1674年 · 続きを見る »

1680年代

1680年代(せんろっぴゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1680年から1689年までの10年間を指す十年紀。.

新しい!!: マウンダー極小期と1680年代 · 続きを見る »

1681年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1681年 · 続きを見る »

1684年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1684年 · 続きを見る »

1695年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1695年 · 続きを見る »

1700年

17世紀最後の年である100で割り切れてかつ400では割り切れない年であるため、閏年ではない(グレゴリオ暦の規定による)。。.

新しい!!: マウンダー極小期と1700年 · 続きを見る »

1705年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1705年 · 続きを見る »

1715年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1715年 · 続きを見る »

1716年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1716年 · 続きを見る »

1790年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1790年 · 続きを見る »

1820年

記載なし。

新しい!!: マウンダー極小期と1820年 · 続きを見る »

2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.

新しい!!: マウンダー極小期と2010年 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

モーンダー極小期

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »