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ジャン王

索引 ジャン王

ジャン王(じゃん-おう)は、麗江の領主木氏がチベット語史料に登場する場合の名称。ジャン・サータム・ギャルポ。チベット仏教カルマ派の大施主として知られ、17世紀前半の最盛期には、ギャルタン、リタン、バタンなどカム地方南部を支配した。 ジャンとは、過去の南詔、大理など雲南地方に存在した諸王国に対するチベット語の通時的な呼称で、中世から近世にかけてのチベットでは、麗江の木氏政権が、これらの諸王国の継承政権と見なされていた。 Category:チベットの歴史 Category:雲南の歴史.

14 関係: 南詔大理国巴塘県布施チベット仏教チベット語カム (チベット)カギュ派シャングリラ市ジャン理塘県麗江市雲南省

南詔

8世紀のアジア 南詔(なんしょう)は、8世紀半ば、中国西南部、雲南地方の洱海地区に勃興したチベット・ビルマ語族の王国。最盛期には四川や東南アジアにまで勢力を拡大した。.

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大理国

大理国(だいりこく、dàlǐguó)は、937年に白蛮(チベット系のペー族)出身の段思平が南詔(およびその後継国家の大長和、大天興、大義寧)にかわって樹立した国家。現在の雲南地方を主たる領域として統治していた。集権的ではなく、君主権はそれ程強くなかったと考えられている。 1094年、高昇泰は段氏の皇帝を廃し、国号を大中、元号を上治と改め、自ら皇帝として即位した。しかし、1096年、臨終を迎えた高昇泰は、息子のに、政権を段氏に返すよう遺言した。この中断より後の大理国は「後大理国」とも呼ばれる。 君主は終始国内的には皇帝号を称していたが、後大理国時代の1117年に北宋より「雲南節度使大理国王」に冊封もされ、対外称号と国内称号を使い分けている。1253年にモンゴル帝国の雲南・大理遠征を受けると、翌年大理はモンゴル帝国に降伏。クビライがモンゴル帝国第5代皇帝となると、その地はクビライの庶子・フゲチに与えられ、雲南王国となった(のち梁王国と改称)。大理の旧主の段一族はフゲチとその子孫に仕え、子女を梁王家に嫁がせて、この地における支配階級の一員「大理総管」としての地位を保ち続けた。1390年に明がこの梁王国を滅ぼした際、段一族は梁王家を裏切って明に取り入り大理国の復活を目論んだが、その領内にあった当時東アジアでも有数の銀山に目をつけていた洪武帝は段氏による王国復活を認めず、この地は漢唐以来隔絶していた中原政権に併合され、雲南全境の独立国家の歴史はここに終った。 首都は大理。.

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巴塘県

巴塘県(はとう-けん、バタン、'ba' thang)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州西部に位置する県。東は郷城県と理塘県、南は得栄県、北は白玉県に接し、西は金沙江を隔ててチベット自治区と雲南省に接する。 バタンはチベット高原に位置し、東の県境には沙魯里山脈が走る。最高峰は6,060mに達し、その他にも5,000m級の高い峰が連なる。最低点は峡谷の底にあたる県の南西角で海抜2,240m。県の北東部は高原の上の草原にあたり、中部と北西部と南部は高山と峡谷があり起伏が激しい。地震の多い地域であり、1870年には巨大地震(巴塘地震)が起きている。 バタンの総人口5万人のほとんどは農業に従事し、チベット族が人口の8割以上を占める。ほかには漢族、ナシ族、イ族、回族、羌族など。バタンには康寧寺など有力な寺院が多数ある。.

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布施

布施(ふせ)は、梵語では「檀那(旦那)(ダーナ、दान、dāna)」といい、他人に財物などを施したり、相手の利益になるよう教えを説くことなど、「与えること」を指す。すべての仏教における主要な実践項目のひとつである。六波羅蜜のひとつでもある。 布施には「財施」「法施」「無畏施」の三種がある(大智度論)。布施をする人をダーナパティ(dānapati)といい、施主(せしゅ)、檀越(だんおつ、だんえつ、だんのつ)、檀徒(だんと)などと訳される。なお、菩提寺にお布施をする家を檀家(だんか)という言葉も、檀那、檀越から来たものである。また、古くは皇族などが自らの領地(荘園)などを寺院に寄せる(寄付する)ことを施入(せにゅう)(する)ということがある。.

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チベット仏教

チベット仏教(チベットぶっきょう)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。チベット仏教は、根本説一切有部律の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上ヨーガ・タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が保存されていることが特徴である。 ラマと呼ばれる高僧、特に化身ラマを尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、ややもすると、仏教とは異質な宗教と見なす向きもあったが、その実態が一般の認識を得るにつれ、ラマ教という呼称は不適切だとして、現在では使用されなくなっている。.

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チベット語

チベット語(チベットご)は、ユーラシア大陸の中央、およそ東経77-105度・北緯27-40度付近で使用されているシナ・チベット語族(支那-蔵系)のチベット・ビルマ語派チベット諸語に属する言語。 形態論において孤立語に分類されるが膠着語的な性質ももつ。方言による差はあるが、2種ないし4種の声調をもつ。チベット高原における約600万人、国外に移住した約15万人のチベット人が母語として使用している。 ラサ方言を含む中央チベット方言、カム・チベット方言、アムド・チベット方言は通常は同一の言語の方言とみなされ、この3方言を総称してチベット語といわれる。特にラサ方言は標準チベット語と呼ばれる。本記事は標準チベット語を中心に記述するが、他方言についても言及する。 チベット語に含まれない周辺のチベット系言語についてはチベット諸語を参照。.

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カム (チベット)

ム (khams、、拼音: Kāng) はチベットの東部地方。元、明代中国の地理史料では、アムドとともに「吐蕃」の「朶甘」と一括して呼ばれた。現在は中華人民共和国チベット自治区東部・青海省東南部・四川省西部・雲南省北西部に分割されている。東部のダルツェンド(康定)と、西部のチャムドが中心的都市である。この地方の住民はチベット語で「カムパ(.

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カギュ派

ュ派 (བཀའ་བརྒྱུད་、ワイリー方式)は、チベット仏教の四大宗派の一つ。11世紀頃のチベットへの後伝期に翻訳されたタントラに主として従う、に属する。開祖はマルパ訳経師(マルパ・ロツァワ)と弟子のミラレパであり、ミラレパ以来の伝統として「レパ」と呼ばれる在家の瑜伽行者が白い綿衣を身に纏うことから古くは「白派」と漢訳された。 後期密教の代表的な経典の一つである『勝楽タントラ』(チャクラサンヴァラ)を依経として、倶生智(くしょうち)の体得と理解を説く「マハームドラー」(大印契)を最奥義とする密教の教義や、大成就法の分類方法が古派や他派と異なる。.

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シャングリラ市

ャングリラ市(シャングリラし、チベット語:སེམས་ཀྱི་ཉི་ཟླ་གྲོང་ཁྱེར།、、、)は中華人民共和国雲南省デチェン・チベット族自治州に位置する県級市。チベットではカム地方南部に当る。自治州の州政府の所在地であり、市政府は建塘鎮に位置している。 チベット語でギャルタンと称され、チベット文化圏の南東端にあたり、北は徳欽(ジョル)、南は麗江を連絡する滇蔵公路における要衝となっている。ソンツェリン寺や虎跳峡が有名。また獰猛な性格で知られるチベット犬の産地でもある。.

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ジャン

ャン (Jean) は、フランス語圏における男性名。女性形はジャンヌ。#他の表記も参照。フランス語以外の人名については#「Jean」以外の人名を、人名以外については#人名以外を参照。.

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理塘県

塘県(りとう-けん、リタン)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州西南部に位置する県。 リタンの町は海抜4,014mという高原地帯にあり、チベットの主都ラサより400m高所にあり世界でも最も高い場所にある街の一つである 。町の周りは開けた草原地帯で、その周囲は雪をかぶった高山に囲まれている。 チベットの仏教史上重要な人物がリタンの地で生まれている。ダライ・ラマ7世(ケルサン・ギャツォ)、ダライ・ラマ10世(ツルチム・ギャツォ)、モンゴルの活仏ジェプツンダンバ・ホトクト、ラプラン寺のジャムヤン・シェパ5世などが主な人物である。チャムチェン・チョェコルリン寺など重要な寺院もある。 1950年代はチュシ・ガンドゥクなどチベット人の中国政府に対する武力闘争(カム反乱)の中心となり、チベット人側は人民解放軍に多大な損害を与えた。これに対し、1956年には住民や僧侶が立て篭もるリタンの寺院に対して人民解放軍が空爆を行い多くを殺傷している。 リタンでは現在も中国政府に対する反発は根強い。2007年8月には多くの観光客や要人が集まる競馬祭の開幕式においてルンギェ・アダク(Runggye Adak)という男性が独立を訴える演説を行い拘束され、解放を求める市民と公安とが衝突する騒乱になった。2007年秋には中国政府はリタンで大規模な愛国教育キャンペーンを行い、ダライ・ラマ14世に対する批判運動や、公安による独立支持者に対する捜索・逮捕などが続いた。.

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麗江市

麗江の街並み。街の中には水路が数多く走っている。右の女性の着ている青い服装はナシ族の民族衣装。麗江では普通に見かけることができる。 麗江の家並み。瓦や煉瓦はこの地方の土の性質で燻銀色になる。 商店の看板にもトンパ文字が見られる。 ナシ族の踊りとそれを見る観光客(2004年)。 麗江市(れいこうし)は中華人民共和国雲南省西北部に位置する地級市。 麗江古城はかつて少数民族のナシ族の王都であり、現在でもナシ族の人々が多く居住している。またナシ族のほかにリス族、プミ族、ペー族、イ族が居住し、漢族より少数民族人口の多い地域となっている。1996年の大地震で大きな被害を受けたが、翌年の古城区の麗江古城の旧市街の世界遺産への登録などを契機に復興が進められた。4年ほどで地震被害はほぼ修復されたうえ、古すぎた建物も修復された。その後の人気化とともに以前は旧市街ではなく、近代的な建物があった場所まで旧市街と同様の建物が建てられ、「旧市街」の範囲が広がりつつある。.

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雲南省

雲南省(うんなんしょう、中国語:云南省、拼音:Yúnnán Shěng、英語:Yunnan)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は滇(てん)。省都は昆明市。省名は雲嶺(四川省との境の山地)の南にあることに由来する。.

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セコイアデンドロンの木 リュウケツジュ 木(き)とは、.

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