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カム (チベット)

索引 カム (チベット)

ム (khams、、拼音: Kāng) はチベットの東部地方。元、明代中国の地理史料では、アムドとともに「吐蕃」の「朶甘」と一括して呼ばれた。現在は中華人民共和国チベット自治区東部・青海省東南部・四川省西部・雲南省北西部に分割されている。東部のダルツェンド(康定)と、西部のチャムドが中心的都市である。この地方の住民はチベット語で「カムパ(.

62 関係: 嚢謙県吐蕃大雪山脈実効支配中国人民解放軍中国本土中華人民共和国中華人民共和国によるチベットの分割と再編中華民国市轄区康定市北京政府チャムド市チュシ・ガンドゥクチベットチベット問題チベット動乱チベット自治区チキャプムリ・チベット族自治県メコン川ピン音デチェン・チベット族自治州アバ・チベット族チャン族自治州アムドアンドレアス・グルシュケカム (チベット)カム反乱カム・チベット語カルプ区カンゼ・チベット族自治州ガンデンポタンキョウライ山脈グーシ・ハーングシ・ハン王朝ジャン王サルウィン川元 (王朝)国民政府四川総督四川省四川盆地玉樹市玉樹チベット族自治州県 (中華人民共和国)県級市青海青海省西康省...西蔵趙爾豊長江雍正のチベット分割雲南省雅ロウ江横断山脈涼山イ族自治州漢民族新竜県改土帰流 インデックスを展開 (12 もっと) »

嚢謙県

嚢謙県(のうけん-けん、ナンチェン・ゾン, nang chen rdzong)は中華人民共和国青海省玉樹チベット族自治州に位置する県で青海省最南端でありチベット自治区と接する。 古くは、昂欠、南称、隆慶とも呼ばれていた。.

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吐蕃

吐蕃(とばん、拼音:TŭbōまたはTŭfān、チベット語:、ワイリー転写:Bod chen po)は、7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国。.

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大雪山脈

大雪山脈(だいせつさんみゃく、、、Daxue Mountains)は中華人民共和国南西部の山脈。四川省西部の山脈の一つで、チベット高原の東を南北に走る褶曲山脈・横断山脈に属する。 大雪山脈のほとんどは四川省のカンゼ・チベット族自治州内にあり、南北方向へ数百kmにわたって伸びている。西には雅礱江(がろうこう)が、東には大渡河が険しい峡谷を刻みながら南へと流れている。二つとも長江の支流である。 最高峰は、山脈の南部にそびえるミニヤコンカ(貢嘎山)で、標高は7,556mに達する。ミニヤコンカの東および南には、大雪山脈より小さな大相嶺山脈(Daxiangling)および小相嶺山脈(Xiaoxiangling)が続いている。.

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実効支配

実効支配(じっこうしはい、)は、ある政権が一方的に領域を占拠し、実態の上で統治していると主張していることを指す。有効支配、実効的支配。なお「実行支配」は誤り。.

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中国人民解放軍

中国人民解放軍(ちゅうごくじんみんかいほうぐん、)は、中国共産党が指導する中華人民共和国の軍隊である。 (中国人民解放軍の中華人民共和国における公的・法的位置については後述の「#法的規定」を参照すること。) 単に、日本などでは「中国軍」、中国国内では「解放軍」と略されて呼ばれている。 陸軍・海軍・空軍・ロケット軍・戦略支援部隊の5軍を軍種とする。 また、正規軍たる人民解放軍とは別に、民兵・省人民武装部(州軍)が中国共産党および人民共和国の武装力量(武装兵力)に定められている。.

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中国本土

清 (Chinese Empire) の地図(1910年)。凡例によれば、濃い黄色は旧明領 (China) 、薄い黄色は中国の属領 (Dependencies of China)。旧明領の中に、雲南省と広西チワン族自治区を除いた地域は中国本土である。 中国本土(ちゅうごくほんど、中國本土、中国本土、China Proper)は、漢民族が多数派民族である歴史的な中国の領土を、中国の他の地域と対比して指す表現。日本の人文科学で「シナ」(カタカナ表記)と呼ばれる歴史的領域の、現代の姿にほぼ一致する。かつては支那、支那本部(しなほんぶ)と呼ばれていた。 歴史的に中国の内地・本土とは見なされない「外中国」地域には、新疆(東トルキスタン)、チベット、満洲(中国東北部)、内モンゴルが含まれる。中国本土の面積は、およそ390万km2とされている 。中国本土は、北方の外中国の広大な領域とは、おおむね万里の長城によって区画されている。中国本土では「省」が各地に設置され中央の直轄支配下にあったが、外中国では主に、中国皇帝に臣属する各民族の諸侯らの自治に任せる方法が取られていた。.

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中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

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中華人民共和国によるチベットの分割と再編

中華人民共和国によるチベットの分割と再編(ちゅうかじんみんきょうわこくによるちべっとのぶんかつとさいへん)では、チベットに対する中華人民共和国の行政区画を紹介する。 チベット亡命政府と中国によるチベット認識の相違の詳細についてはチベットの領域に関する認識と主張、大チベットを参照。.

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中華民国

中華民国(ちゅうかみんこく)は、東アジアに位置する民主共和制国家。 アジアで2番目の共和国として1912年に中国大陸で成立し、国共内戦により中国大陸で中華人民共和国が建国された1949年以降は台湾島と周辺の島嶼群など(自由地区)のみを実効支配する海洋国家となった。自由地区は、日本やフィリピン、中華人民共和国などと領海を接する。 議会制民主主義・資本主義体制国であり、1971年までは国際連合安全保障理事会常任理事国として国際社会に大きな影響を与えていた。しかし国連の代表権問題や一つの中国政策により、中華人民共和国が中華民国を国家承認しないように要求しているため、2018年5月24日現在では中華民国を正式に国家として承認している国は18か国に留まる。上記の経緯があるため以前の国交を結んでいた国々を中心に、日本を含めて多くの国々と活発な経済的文化的な交流が行われている。台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である台湾(たいわん)と表記されるのが一般的である。.

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市轄区

市轄区(しかつく、、簡体字:市辖区、繁体字:市轄區)は中国大陸と台湾における都市の行政区画の一種。.

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康定市

康定市(こうていし)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州東部に位置する県級市。 ダルツェンド、ダルツェムド、タルツェムド、タルツェド(dar-rtse-mdo,Darzêdo, 打箭爐)あるいはダルド(dar mdo)とも呼ばれる。康定とは「康(カム)の地を平定する」という意味。 爐城鎮(ダルツェンド)は市の政治・経済・文化の中心だが、カンゼ自治州全体の政治・軍事・文化・交通・通信などの中枢でもある。康定情歌という民謡でも知られる。.

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北京政府

北京政府(ペキンせいふ)とは、.

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チャムド市

チャムド市(チャムドし)は中華人民共和国のチベット自治区に位置する地級市のひとつ。自治区の東部、カム地方の西部を占める。 チベット名チャムド・サクル (chab mdo sa khul)。「チャプ(chab)」は「水(敬語)」を、「ド(mdo)」は「合流地点」を意味し、中国名はチベット名を音写したもの。日本では、チベット語に基づく「チャムド」のほか、漢字表記からの重訳である「チャンドゥ」等の表記がみられる。中国名「昌都」の音読みは「しょうと」。 四川省のカンゼ・チベット族自治州、雲南省デチェン・チベット族自治州とともに、チベットの伝統的な地方区分カム地方を構成し、その住人を「カムパ(khams pa, 康巴)」と称する。.

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チュシ・ガンドゥク

チュシ・ガンドゥク( ワイリー方式:chu bzhi sgang drug)はチベットの東部カム地方の別称。またこの土地出身のチベット人たちが1958年6月16日に結成し1950年代末から1970年代初頭にかけてゲリラ戦を展開した、中華人民共和国(中国)によるチベット支配の打倒を試みる抗中統一ゲリラ組織の名称。「チュシ」は「4つの河」、「ガンドゥク」は「6つの山脈」の意。.

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チベット

チベットの旗(雪山獅子旗) チベット(英語:Tibet,,,, )は、東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。.

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チベット問題

チベット問題は、チベットに対する中華人民共和国の支配・統治にともなって生じる各種の問題である。特にチベット人による独立運動への弾圧、弾圧にともなう中国軍によるチベット人の大量虐殺や人権侵害が大きな争点である。 本記事ではチベット問題について中国政府の見解とチベット亡命政府の主張を対照させながら、概説する。.

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チベット動乱

観点.

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チベット自治区

チベット族 チベット自治区(チベットじちく、チベット語: プー・ランキョン・ジョン, )、或いは西蔵自治区(せいぞうじちく)は、中華人民共和国(以下、「中国」)の西南部を占める区域自治区である。.

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チキャプ

チキャプ(སྤྱི་ཁྱབ་)は、1910年代、当時チベットの元首ダライ・ラマ13世の命によってチベットの各地に設置された地方総督職。各地方の中心都市に設置され、複数のゾンを管轄した。 近現代政治史の専門家毛里和子は、著書『周縁からの中国』で という見解を提示しているが、1総督職にしかすぎないドメー・チーキャプをチベットの中央政府であるガンデンポタンと並ぶほどの勢力として過大視する理由、ドメー・チーキャプに着任して10数日しかたっていないがプー・ガワンジグメをチベット中央政府と並ぶ三大勢力の一つとして過大視する理由などについては、史料上の根拠をまったく提示していない。.

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ムリ・チベット族自治県

ムリ・チベット族自治県(ムリ-チベットぞく-じちけん)は中華人民共和国四川省涼山イ族自治州に位置するチベット族自治県。日本語では「ムリ」と表記されることが多いが、まれに「ミリ」とも表記される。 伝統的チベットの地理区分では カム地方の東南部の一角を占める。.

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メコン川

メコン川(メコンがわ、Mekong River、แม่น้ำโขง(ラテン文字転写:Mae Nam Khong)、Sông Cửu Long/瀧九龍)は、東南アジアを流れる河川。東南アジアで最長、アジア全体でも7番目に長い川である。.

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ピン音

(ピンイン)は、中国語で音節を音素文字に分け、ラテン文字化して表記する発音表記体系を指す。一般的な場合この語は、(かんごピンイン、Hànyǔ Pīnyīn)と呼ばれる1958年に中華人民共和国が制定したという表記法、またはそれに基づくという文字を指す。 のように中国大陸とは異なる「」もあり、ウェード式などの他のラテン文字による表記法も中国語ではと称することがある。の名称は、それらと特に区別する必要がある場合用いられる。 は、当初は将来的に漢字に代わる文字として中国で位置づけられていたが、現在では中国語の発音記号として使用されている。.

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デチェン・チベット族自治州

デチェン・チベット族自治州(デチェンチベットぞくじちしゅう、, デチェン・プーリー・ランキョン・クル)は中華人民共和国雲南省西北部に位置するチベット族自治州でありチベット族が人口の33%を占めている。チベットの伝統的な地域区分ではカム地方南部に位置する。 迪慶(てきけい)はチベット語のデチェンを音写したもので、「デ(bde)」は「安楽」を意味する名詞、「チェン(chen)」は「大いなる」を意味する形容詞で、合わせて「大いなる安楽」を意味する。.

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アバ・チベット族チャン族自治州

アバ・チベット族チャン族自治州(アバ・チベットぞくチャンぞくじちしゅう)は、中華人民共和国四川省西北部に位置するチベット族とチャン族の自治州。 チベット語の発音に由来する「ガパ(rnga ba)」あるいは「ガワ(ngawa)」と表記されることもあり、これらは「収穫」の意味を持つチベット語である。中国語表記の「阿壩」はその音写であり、日本で主に使用されている「アバ」は漢字表記の日本語の音読みである。州都はバルカム(馬爾康, 'bar khams)。チベット人の伝統的地理区分では、アムド地方の東南部にあたる。.

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アムド

アムド( a mdo、、拼音: Ānduō)は、チベット(チベット高原)を構成する地方のひとつで、その東北部を指す。 伝統的にチベット人とともにオイラトのホシュート部を中心とするモンゴル人や一部のテュルク系などが多数居住してきた。当地に居住するチベット人はアムド方言を用い、アムドーワ(a mdo ba)と自称した。 現在も青海省には多数のチベット仏教寺院が残り、チベット人・モンゴル人の僧侶によって守られている。.

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アンドレアス・グルシュケ

アンドレアス・グルシュケ(Andreas Gruschke, 1960年4月16日 - )はドイツの著作家、写真家、チベット研究家。 バーデン=ヴュルテンベルク州テンゲン(Tengen)出身。大学卒業後、東南アジア・中国・韓国・中央アジアに幾度となく調査旅行に赴いたが、彼の主たる興味はチベットの高地にあった。1987年以降、フリーランスの作家兼カメラマンとして活動する。チベット、ヒマラヤ、シルクロード、東アジアに関するトピックを主に扱う。出身地バーデンのフライブルクでは講義やセミナーを抱える。 グルシュケは主にチベット文化に関して、多くの著作を発表している。そのうち、アムドやカム地方の僧院に関する著作は、当該分野におけるパイオニア的な意義を持つ。故郷である南ドイツの、ヘガウ(Hegau)および上ラインを扱った写真集も刊行している。彼の最新の研究は、チベット東部の玉樹地方の遊牧民をテーマにしている。 東部青海チベット高原の遊牧生活の研究:研究プロジェクト(SFB586総事業数)東特別協力センター」遊牧社会の分化と統合」のライプチヒ大学の2004年から2012年研究所。 以降、社会や名誉教授などの四川大学の西部大開発研究所2012年から。.

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カム (チベット)

ム (khams、、拼音: Kāng) はチベットの東部地方。元、明代中国の地理史料では、アムドとともに「吐蕃」の「朶甘」と一括して呼ばれた。現在は中華人民共和国チベット自治区東部・青海省東南部・四川省西部・雲南省北西部に分割されている。東部のダルツェンド(康定)と、西部のチャムドが中心的都市である。この地方の住民はチベット語で「カムパ(.

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カム反乱

ム反乱(カムはんらん)は、1954年頃から始まった中国に対する東チベットのカム地方を中心とする反乱のことである。チベット動乱のきっかけとなった。その後チベットでは1974年頃まで戦闘が続き、「20年戦争」とも呼ばれる。.

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カム・チベット語

ム・チベット語(チベット語:ཁམས་སྐད་ khams skad)はチベット東部(カム)で話されるチベット語の方言。チベット自治区東部、青海省南部、四川省西部、雲南省の一部にかけて分布する。 ISO/DIS 639-3コードはkhg。.

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カルプ区

ルプ区(‐く)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の市轄区の一つ。チャムド市政府の所在地。チベット族が90%を占める。年平均気温7.6℃、1月の平均気温-2.3℃、7月の平均気温16.3℃、年降水量467mm。区政府所在地は城関鎮。.

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カンゼ・チベット族自治州

ンゼ・チベット族自治州(カンゼ・チベットぞくじちしゅう)は、中華人民共和国四川省に位置する自治州。チベット語名の「カンゼ(dkar mdzes)」とは、「白く美しい」の意で、中国語名の「甘孜」はその音写である。 日本語ではチベット語にもとづく「カンゼ」というカナ転写のほか、漢字の表記を音写した「カンツー」などの表記例が見られる。漢字名の音読みは「かんし」。「プーリー」は「チベット民族」、「ランキョン」とは「自治」の意で、クルは州に相当する地方行政単位。チベットの伝統的な地理区分ではカム地方の東部に相当する。.

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ガンデンポタン

ンデンポタンは、ダライ・ラマを長とし、ラサを本拠として1642年に成立したチベットの政府。1959年、チベット動乱の際、ダライ・ラマとともにインドに脱出、現在はチベット亡命政府として十数万人からなるチベット難民組織の頂点に位置する。.

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キョウライ山脈

邛崍山脈の南部 四姑娘山山麓 四姑娘山付近の双橋溝・枯樹灘 邛崍山脈(きょうらいさんみゃく、、、Qionglai Mountains)は中華人民共和国南西部の山脈。四川省西部の山脈の一つで、チベット高原の東を南北に走る褶曲山脈・横断山脈に属する。 邛崍山脈のほとんどは四川省北西部のアバ・チベット族チャン族自治州内にあり、南北方向へ250kmにわたって伸びている。西には大渡河が、東には岷江が険しい峡谷を刻みながら南へと流れている。2つとも長江の支流である。 最高峰は、山脈中南部の小金県・汶川県県境にそびえる四姑娘山(スーグーニャンシャン)で、標高は6,250mに達する。4つの峰が組み合わさった高峰であるが、その名の由来はチベット語の「sku bla」が音訳され「四姑」という字を当てられたことにある。その他の主な峰には覇王山、巴朗山、夾金山、二郎山などがある。.

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グーシ・ハーン

ーシ・ハーン グーシ・ハーン(Güsi Qaγan, 中国語:顧實汗/固始汗, 現代モンゴル語:Гүүш-Хаан、1582年 - 1654年)、別名グシリ・ハーン、本名トゥルバイフ(オイラト語: Töröbaikhu, ハルハ語(現代モンゴル語): Төрбайхトゥルバエフ)は、17世紀中頃のオイラト八部のひとつホシュート部の部族長。チベットに遠征し、ダライ・ラマの権威の下にグシ・ハン王朝を樹立した。資料によってはグシ・ハン、グシ・ハーンとも表記される。.

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グシ・ハン王朝

・ハン王朝(グシ・ハンおうちょう)は、1642年にオイラト族のホショト部の指導者グシ・ハン(トゥルバイフ)がチベットに樹立した王朝。4代約80年続いた。1717年、オイラト本国を支配するジュンガル部の奇襲により嫡系が断絶。さらに1723-24年、清朝の雍正帝はグシハン王家の傍系一族を攻撃して屈服させ、彼らがチベットに有していた様々な権限や権益を剥奪、この攻撃によりグシ・ハン一族はチベット王権も喪失して王朝は終焉をむかえた。.

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ジャン王

ジャン王(じゃん-おう)は、麗江の領主木氏がチベット語史料に登場する場合の名称。ジャン・サータム・ギャルポ。チベット仏教カルマ派の大施主として知られ、17世紀前半の最盛期には、ギャルタン、リタン、バタンなどカム地方南部を支配した。 ジャンとは、過去の南詔、大理など雲南地方に存在した諸王国に対するチベット語の通時的な呼称で、中世から近世にかけてのチベットでは、麗江の木氏政権が、これらの諸王国の継承政権と見なされていた。 Category:チベットの歴史 Category:雲南の歴史.

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サルウィン川

ྱལ་མོ་རྔུལ་ཆུ། 怒江 | other_name_1.

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元 (王朝)

元(げん)は、1271年から1368年まで中国とモンゴル高原を中心領域として、東アジア・北アジアの広大な土地を支配した王朝である。正式の国号は大元(だいげん)で、元朝(げんちょう)とも言う。モンゴル人のキヤト・ボルジギン氏が建国した征服王朝で国姓は「奇渥温」である。伝統的な用語上では、「モンゴル帝国が中国に支配後、中華王朝に変化した国」というように認定されたが、視点によって「元は中国では無く、大元ウルスと呼ばれるモンゴル遊牧民の国」と、様々な意見もある。 中国王朝としての元は、唐崩壊(907年)以来の中国統一政権であり、元の北走後は明(1368年 - 1644年)が中国統治を引き継ぐ。しかし、中国歴代征服王朝(遼・金・清など)の中でも元だけが「政治制度・民族運営は中国の伝統体制に同化されなく、モンゴル帝国から受け継がれた遊牧国家の特有性も強く持つ」のような統治法を行った。一方、行政制度や経済運営の面では、南宋の仕組みをほぼ潰して、中華王朝従来の体制を継承してることとは言わない。.

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国民政府

国民政府が使用した中華民国の国旗。1928年12月17日に、「青天白日滿地紅旗」が中国の正式な国旗として制定された。 国民政府(こくみんせいふ)とは、中華民国における中国国民党による政府のことである。略称は国府(こくふ)。国家元首は主席(しゅせき)。ただし日本と中国では、一般的な「国民政府」の定義にそれぞれ差異がある。.

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四川総督

四川総督(しせんそうとく、 転写:sycuwan i uheri kadalara amban)は、中国清朝の地方長官の官職である。四川省の総督として管轄地域の軍政・民政の両方を統括した。.

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四川省

三星堆遺跡の青銅仮面 四川省の伝統芸能『川劇』 四川省(しせんしょう、、、)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は川あるいは蜀。省都は成都。西北部はチベットの伝統的な地方区分でいうアムド地方の東南部、西部はカムの東部にあたる。また、東部の重慶は直轄市として1997年に分離した。.

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四川盆地

四川盆地の衛星写真。中央の平坦な部分が四川盆地で、盆地の東部には丘陵の連なりが数本見える。北東の緑の山地は大巴山脈や米倉山脈、北西には雪をかぶった山脈と草原がチベットへ続く。北には植生の少ない陝西省や甘粛省の黄土地帯が広がる 四川盆地(しせんぼんち、、)は、中華人民共和国の西南部にある盆地。長江の上流域にあり、四方を高い山脈や高原に囲まれた大きな盆地で、面積はおよそ16万平方km、タリム盆地・ジュンガル盆地・ツァイダム盆地と並ぶ中国4大盆地の一つ。四川省の東部と中部、および重慶市の市域に当たる。 四川の名の由来には諸説ある。盆地内を流れる長江の四つの支流(岷江、沱江、嘉陵江、烏江。烏江の代わりに長江を入れるものや大渡河を入れるものなどもある)に由来するという説、また宋代にこの地方に置かれた行政区画・川峡路が後に益州路・利州路・梓州路・夔州路の四つに分割され、川峡四路と総称されたことが四川の名の始まりという説もある。その他、赤色・赤紫色の土壌から、「紅色盆地」・「赤色盆地」とも呼ばれる。.

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玉樹市

玉樹市(ぎょくじゅし、yus hru'u rdzong)は中華人民共和国青海省玉樹チベット族自治州に位置する県級市。 市政府が置かれているのは結古鎮(結古多鎮、ケグ, skye rgu, Gyêgu)。チベット東部の市場の町であり古くから交易の中心だった。西洋や古いチベットの文献では、ジェクンド(Jyekundo, skye dgu mdo, skye rgu mdo)の名でも登場している。 2010年4月14日に青海地震が発生し、被害の中心地となった。チベット様式の建物は揺れに弱く、ジェグ寺などの寺院を含む多くの建物が被災したが、5年を目途に復興計画が立てられ、急ピッチで町の再建が行われた。 2013年7月4日、県級市に改編され現在に至る。.

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玉樹チベット族自治州

玉樹チベット族自治州(ぎょくじゅ-チベットぞく-じちしゅう)は中華人民共和国青海省に位置するチベット族自治州。 チベット名ユフ・プーリー・ランキョンクル()。中国語名「玉樹」は、この地方の伝統的呼称ユルシュル (yul shul) の音写であるが、現行のチベット名はこの「玉樹」から再音写した表記である。 チベットの伝統的な地理区分では大部分がアムド地方に属するが、東南部はカム地方の北部に相当する。 州人民政府は玉樹市のケグ(skye rgu、Gyêgu、結古)鎮にある。西洋や古いチベットの文献ではジェクンド(Jyekundo, skye dgu mdo, skye rgu mdo)の名でも登場する。.

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省(しょう)は、国の行政機関の呼称である。本来、中国における行政機関の名称であったが、現在の中国では用いられない。 中国等においては行政区分の一種で、地方行政区画のうち最上位のものを指す。.

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県 (中華人民共和国)

中華人民共和国における県(けん )は1949年の建国時に中華民国の行政督察区の管轄下の県を引き継いで誕生した。当初は専区(行政督察専区)の管轄下で、2007年現在は地区あるいは地級行政区の管轄である。 2002年12月31日現在で、県級行政区は2860個あった。平均人口は63.13万人。工業化の発展と都市化にともない、中国大陸全土で県級市が急増したため、2007年12月31日現在、1470県と県が急減した。少数民族の自治県は117である。県級行政区は省の下、地級行政区に属するのが基本であるが、海南省全域など省に直属する場合もある。.

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県級市

級市(けんきゅうし、,, シエンチーシー)は中華人民共和国の行政区画の単位で「県」と同じ区分にある市である。中国においては1980年代以来、工業化の発展と都市化に随い、大多数の「市」が県を廃して置かれた。.

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青海

青海(せいかい、Qinghai、མཚོ་སྔོན་ 転写:mTsho-sngon、Хөхнуур、 転写:Kökenaγur、ᡥᡠᡥᡠᠨᠣᠣᠷ 転写: huhu noor)は、清朝の雍正帝がグシ・ハン一族を屈服させたのち、チベットの東北部に成立させた地域的枠組み。チベット高原の中央部に分布する遊牧民の居住地域が、1724年 - 1732年に行われた雍正のチベット分割により南北に分割されることによって成立。 アムド地方の西部・中央部とカム地方の北部から成る。 清朝時代は藩部に区分され、理藩院の管轄を受けた(のちに、中華民国の国民政府の時代、河西回廊の一部とあわせて青海省が設けられた)。 中華民国以降の青海地方については青海省 (中華民国)、青海省等を参照。.

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青海省

青海省(せいかいしょう、中国語:青海省、拼音:Qīnghǎi Shěng、英語:Qinghai、チベット語: མཚོ་སྔོན་ཞིང་ཆེན།、 モンゴル語:)は、中華人民共和国の西部に位置する省のひとつ。省都は西寧市。1928年に青海省成立。省名は、省内に国内最大の湖沼である青海湖(チベット名ツォティショギャルモ、モンゴル名フフノール)があることにちなむ。.

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西康省

西康省(せいこうしょう)は、中華民国から中華人民共和国にかけてかつて存在した省。 その歴史は.

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西蔵

西蔵(せいぞう/シーツァンXīzàng)は歴史的チベットのうち、アムドやカムを除く、西南部2分の1程度を占める部分に対する中国語による呼称として成立した、地域概念の用語。元代より康熙中期ごろまで用いられた烏斯蔵に代わり、康熙末年ごろより使用され始めた地域概念である。その後、中国以外の漢字圏でこの表記がとりいれられ、あるいは中国国外在住の中国語話者たちが発信するチベット関連の情報において、中国における概念・用法にあわせてチベットの一部として、もしくは中国における概念・用法とは別個に全チベットの総称として、使用されるようになった。本来の、および派生した概念・用法の主要なものは、以下のとおり。.

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趙爾豊

趙 爾豊(ちょう じほう)は清末の政治家。字は季和。奉天省鉄嶺県(現在の遼寧省鉄嶺市)の人で、漢軍正藍旗に属した。清末に四川省、チベット等で地方政府長官級の各職を務めた人物である。兄は、清末民初の政治家である趙爾巽。.

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長江

長江(ちょうこう、中国語拼音字母: )は、青海省のチベット高原を水源地域とし中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川である。全長は6300kmで、中華人民共和国およびアジアで最長、世界でも第3位。 中国国外では、最下流部の異称である「揚子江」(ようすこう、Yangtze River)の名で良く知られる。古語では江(こう)。音訳する場合は「長」のみを音訳しチャン川 (Chang River) とすることもあるが、「江」が本来の河川名であることから、(他の中国の河川を「片仮名+川」とする場合でも)チャンチアンとすることもある。 青海省のタンラ山脈からチベット高原、四川盆地、三峡を経て湖北省宜昌市に至るまでが長江上流(最上流の通天河、四川西部の金沙江、四川東部の川江)、宜昌から江西省湖口県までが中流(荊江)、湖口から上海市の東シナ海河口までが下流(揚子江)にあたる。 その流域には成都、武漢、重慶などの重要工業都市、上海、南京などの商業都市を含む中国の19の省(市、自治区)があり、全流域の人口は4億5000万にも達している。古くから水上交易の盛んだった華中でも中心的な交通路として利用されてきた。.

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雍正のチベット分割

雍正のチベット分割(ようせいのチベットぶんかつ)は、清朝の雍正帝が1723年 - 1724年に青海地方に出兵し、グシ・ハン一族を征服した際の事後措置。 この措置により、チベットはタンラ山脈よりディチュ河にかけての線により二分され、その西南部はガンデンポタンに委ねられ、その東北部のモンゴル王公、チベット人諸侯らは青海地方と甘粛省、四川省、雲南省などの諸省に分属させられることとなった。中華人民共和国の、チベット民族の自治区を西蔵部分のみに限定し、その他のチベット各地を青海省と甘粛・四川・雲南などの「内地(中国本土)」諸省に分割して組み込む行政区画は、この分割の際の境界を踏襲したものである。.

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雲南省

雲南省(うんなんしょう、中国語:云南省、拼音:Yúnnán Shěng、英語:Yunnan)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は滇(てん)。省都は昆明市。省名は雲嶺(四川省との境の山地)の南にあることに由来する。.

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雅ロウ江

雅礱江(がろうこう)、またはニャクチュ(ཉག་ཆུ་)は、中華人民共和国を流れる川の一つで、ディチュ河(金沙江、長江上流部)の左岸の支流。長江の支流の中でも最長のものの一つである。 雅礱江は、青海省玉樹チベット族自治州南部のバヤン・ハル山脈(巴顔喀拉山)の南麓に発し、四川省に入りカンゼ・チベット族自治州の沙魯里山脈と大雪山脈の間を南へ流れる。沙魯里山脈の西には金沙江が、大雪山脈の東には大渡河が並行して流れている。 カンゼ自治州のカンゼ(甘孜)、ニャロン(新龍)、ニャクチュ(雅江)などを通過し、涼山イ族自治州に入る。州都・西昌市の西で一旦北に曲がり再度南に曲がって大雪山脈を超え、攀枝花市の裸果で金沙江に合流する。 本流の全長は1,637km、うち四川省内の全長は1,375km。流域は四川省、青海省、雲南省の3省29県市にまたがり、その面積は128,444平方kmにおよぶ。 源流から合流点までの標高差は4,420mで、合流点での平均流量は1,914m3/s。川の水量が豊かで落差が大きいため、雅礱江流域には大型ダムが連続し、中国の水力発電の中心地のひとつとなっている。攀枝花市の金沙江との合流点から30kmほど上流には、発電容量3,300MW、年平均発電量170億Kwhの水力発電所・「二灘水電站」がある。さらに上流には、3,600MWの錦屏一級水電站、4,400MWの錦屏二級水電站、1,800MWの官地水電站、450MWの桐子林水電站などが計画され建設途上にある。また南水北調プロジェクトの一環として、雅礱江上流にダムを建設し、北の青海省の黄河上流に水を引く計画もある。 流域にはチベット族、羌族、漢族など多数の民族が住む。.

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横断山脈

横断山脈(おうだんさんみゃく)は中華人民共和国南西部の山脈。チベット高原(青蔵高原)の南東に位置し、四川省西部、雲南省西部、チベット自治区東部の交わるあたりを南北方向に走っている山脈の総称である。 東には邛崍(キョウライ)山脈が、西には伯舒拉嶺(ボシュラ山脈)が走り、北はチャムド(昌都)・カンゼ(甘孜)・バルカム(馬爾康)を結ぶ線に達し、南は中国とミャンマーの国境地帯にあたる。面積は60万平方キロメートル以上。中国にある南北方向の山脈のうち、最も長く、最も幅広い山脈である。.

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涼山イ族自治州

涼山イ(彝)族自治州(りょうざん-イぞく-じちしゅう)は中華人民共和国四川省に位置する民族自治州。イ族人口が半数近くを占める。自治州人民政府の所在地は西昌市。.

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漢民族

漢民族(かんみんぞく)は、中華人民共和国(中国大陸)、中華民国(台湾)、シンガポールで大多数を占める民族。人類の20%を占める世界最大の民族集団である。 中華人民共和国の民族識別工作では漢族と呼ばれ、中華人民共和国の人口の94%以上を占める。漢人ともいい、華僑として中国を離れ、移住先に定着した人は華人、唐人と自称することが多い。.

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明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.

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新竜県

新竜県(しんりゅう-けん、ニャロン、nyag rong)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州中部に位置する県。チベット高原の東部に位置する、高山と峡谷を中心とする地勢の県で、特に沙魯里山脈の北部が走る。雅礱江が北から南へ貫き、途中多くの支流が合流する。海抜は雅礱江の峡谷の底の2,760mより沙魯里山の高峰の5,992mまでにわたる。 ニャロンは鉱物資源が豊富で、なかでも金鉱は著名であり「瞻金」(「瞻」はニャロンの旧名の「瞻対」より)として知られる。ラサの著名な仏教寺院の仏像を金で飾るために瞻金が供出されてきた。 19世紀半ばにニャロンの首長ゴンポ・ナムギャル(グンポナムギャル)がニャロンの反乱を起こし、一時的に東チベット全域を制圧している。ニャロンの反乱で制圧された十八諸侯とよばれるカム地方の領主たちは、成都の四川総督を介して兵部から冊封を受ける立場にあり、清としてはこれを反乱軍から救援する義務を負っていたが、太平天国の戦いに軍事力を割かなければならなかったためカムを支援する余裕がなかった。 このため、ガンデンポタン・チベット政府が清の代わりにグンポナムギャルを打倒し、カムの十八諸侯を原状復帰させたが、清にはガンデンポタンに戦費を支払う余裕もなかったため、その代償として、ガンデンポタンがグンポナムギャルの本拠だったニャロンを接収することを認めた。ガンデンポタンはニャロンに「ニャロン総督」(ニャロン・チキャプ)を派遣し、直轄地として支配した。これによりガンデンポタンの勢力圏は、ディチュ河を越えて東方に拡大し、従来名目的には四川省に帰属していたカム地方東部の諸侯にもつよい影響力を発揮するようになった。 チベット語名の「梁茹」は森林の間の峡谷を意味する。かつては「瞻対」と呼ばれ、鉄を打って塊にすることを意味した。1950年に中国共産党政府により「解放」され1951年に瞻化県が置かれたが、後に新竜と改名されている。.

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改土帰流

改土帰流(かいどきりゅう)とは、元代から清朝初期にかけての王朝中央政府による地方の原住民に対する間接統治システムであった「土司制度」をしだいに廃止し、王朝中央政府直轄の州県制に転換させ、科挙に合格して選抜された「流官」を派遣し直接支配するという、明代以降の一連の制度転換をいう王(2005年)31ページ藤井(1959年)105ページ。.

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