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ペレスヴェート級戦艦

索引 ペレスヴェート級戦艦

ペレスヴェート級戦艦(ロシア語:Эскадренные броненосцы типа "Пересвет"エスカードリェンヌィイェ・ブラニノースツィ・チーパ・ピリスヴィェート)は、ロシア帝国の建造した戦艦である。ロシア海軍では艦隊装甲艦(Эскадренный броненосец)に分類された。装甲巡洋艦の本質的な拡大型であり、のちに装甲巡洋艦に類別を変更されている。.

15 関係: 大日本帝国海軍艦艇一覧ポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦)リューリク (装甲巡洋艦・2代)レトヴィザン (戦艦)ロスティスラブ (戦艦)ツェサレーヴィチ (戦艦)周防 (戦艦)アドミラル・ウシャコフ級海防戦艦オスリャービャ (大型揚陸艦)オスリャービャ (フリゲート)オスリャービャ (戦艦)グロモボーイ (装甲巡洋艦)ソ連・ロシア海軍艦艇一覧相模 (戦艦)戦艦一覧

大日本帝国海軍艦艇一覧

大日本帝国海軍艦艇一覧(だいにっぽんていこくかいぐんかんていいちらん、List of Japanese Imperial Navy Naval ship)は、明治維新から太平洋戦争(大東亜戦争、第二次世界大戦)終結の間に、大日本帝国海軍が保有または、保有を計画した艦艇の一覧である。現段階で、この一覧は全艦艇の網羅には程遠いものである。この一覧はウィキペディア内に記事があるかを確認する便宜のためにあり、新規記事が到着したときにはここに追加される。 なお、陸軍船舶兵が保有していた船舶は大日本帝国陸軍兵器一覧#船舶を参照 なお、艦種類別及び等級については、基本的に竣工時とする。終戦までに廃止された類別についてはその限りではない。また特記すべき変更がある場合はより重要と思われる類別に分類し、航空母艦への改造など変更前後の両方とも重要な場合は両方に分類する。日本海軍の艦種類別の変遷、大日本帝国海軍艦艇要目解説については、別稿で記述する。未成艦・計画艦には斜線で表記する。.

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ポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦)

ポチョムキン=タヴリーチェスキー公(ロシア語:Князь Потёмкин-Таврическийクニャースィ・パチョームキン・タヴリーチェスキイ)は、ロシア帝国で建造された戦艦である。艦名は「ポチョムキン=タヴリーチェスキー公爵」という意味。ロシア帝国海軍では当初は艦隊装甲艦(Эскадренный броненосец)、のち戦列艦(Линейный корабль)に分類された。ロシア第一革命の時期に水兵による叛乱が起こったことで世界にその名を知られた。特に、ポチョムキンという略称で有名である。艦名の日本語文献における表記は、次のような状況。; ポチョムキン・タヴリーチェスキー公; ポチョムキン・タヴリーチェスキー公爵; ポチョムキン・タヴリチェスキー公爵; ポチョムキン・タヴリチェスキー公; ポチョムキン公; ポチョムキン公爵; ポチョムキン・タヴリーチェスキー; クニャージ・ポチョムキン・タウリチェスキー; クニャージ・ポチョムキン; クニャージ・ポチョムキン・タブリチャスキー; クニャーズ・ポチョムキン・タブリチャスキー; ポチョムキン ここまで、いずれの書籍においても略称である「ポチョムキン」は見られる。; ポチョームキン=タヴリチェスキー公爵; ポチョームキン.

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リューリク (装甲巡洋艦・2代)

リューリク(Рю́рикъ )は、ロシア最後の装甲巡洋艦である。第一次世界大戦開戦時には、ロシア帝国海軍バルト艦隊の旗艦であった。ロシア革命後はロシア帝国から臨時政府に所有が移り、その後ロシア共和国を経てロシア・ソヴィエト共和国に保有された。 ロシア海軍では当初は一等巡洋艦(крейсер I-го ранга)に分類されたが、1907年9月27日付けの海軍艦船分類法改正で装甲巡洋艦(броненосный крейсер)、1915年7月16日の海軍艦船分類法改正で巡洋艦(крейсер)に類別を変更された。 艦名は1852年以降ロシア海軍で切れ目なく受け継がれてきた由緒ある名で、ノヴゴロド・ルーシの統治者でロシア最初の王朝の始祖とされるリューリク公に由来する。 ロシア史上、実質的に最後にして最大最強の装甲巡洋艦であり、造船技術史上は戦列巡洋艦への過渡期に当たる艦とされている。 リューリクの乗員たちを、リューリコフツィ(рюриковцы)と称した。.

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レトヴィザン (戦艦)

レトヴヰザン#達明治38年9月p.13『達第百三十七號 戰利軍艦「レトヴヰザン」ヲ肥前ト命名セラル 明治三十八年九月二十四日 海軍大臣男爵山本権兵衛』、レトヴィザン、レトヴィザーン(ロシア語:Ретвизанリトヴィザーン)は、ロシア帝国海軍の戦艦。 日露戦争の旅順攻囲戦で沈没。 引揚げ後、修理されて日本海軍の戦艦「肥前」となった#帝国軍艦帖コマ38-39『戰艦肥前(舊名レトウヰザン) 一、進水年月日 明治三十三年(月日不明)/一、排水量 一萬二千七百二十五噸/一、馬力 一萬六千馬力/一、速力 十九節七/一、主砲 四十口經露式十二吋砲四門、六吋砲十二門/一、建造地及建造所 米國費府クラムブ造船所/一、日清戰爭に参加したる際重要なる事項 /一、日露戰爭に参加したる際需要なる事項 露國太平洋第一艦隊に属し、旅順口にありて皇國海軍に對抗すること数月、終に明治三十七年十二月六日旅順西港内に於て我軍の爲め撃沈せられ、三十八年九月二十二日浮揚同二十四日肥前と命名せられ、帝國軍艦に列せらる/一、日獨戰爭に参加したる際重要なる事項 大正三年十月八日艦長川浪海軍大佐式下に横須賀軍港出發布哇「ホノルヽ」沖に至り獨砲艦「ガイヱル」を監視し同十一月八日之が武装解除を行はしめ爾後森田遣米枝對司令官の指揮下に入り南北米西海岸に遊弋索敵行動を取り四年二月十四日横須賀軍港に凱旋す/一、其他特に重要なる事項 明治四十四年艦長依田海軍大佐指揮下に第一艦隊に属し海軍戰技に於て第一等の集合成蹟を擧げ戰技優勝旗を授けられ御下賜品(銀盛花鉢一個)を辱ふす 以上』。 艦名は旧国名の肥前国に由来する#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ72(原本110頁)『肥前(ひぜん) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、肥前國に採る。艦歴米國費府造船所に於て建造、明治33年進水、舊露國軍艦、原名「レトヴヰザン」。日露戰役中露國太平洋艦隊に属し明治37年8月10日黄海々戰に参加、後ち旅順港内に於て破壊沈没、同38年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日)我が海軍之が収容引揚に着手、同年9月24日帝國軍艦と定め「肥前」と命名、同年12月戰艦の等級を廢せらる。大正3乃至9年戰役(日獨)從軍:同3年10月遣米支隊に属し布哇・北米・中米方面の警備(艦長大佐川浪安勝)、同7年7月第三艦隊に属し露領沿岸警備(艦長大佐生野太郎八)、同8年9月同前の任務に就く(艦長大佐匝瑳胤次)、同10年一等海防艦に編入、同12年9月20日除籍、廢棄(華府條約による)。―要目― 長372呎/幅72呎/吃水24.9呎/排水量12,700噸/機關 三汽筩聯成汽機2基、ニクローズ式/馬力16,000/速力18/乗組人員750/船材 鋼(甲帶225粍)/兵装 12吋砲 4/6吋砲 12/12听砲 14/5听砲 4/機砲 4/發射管 2/起工 明治31-12/進水 同33-10-23/竣工 同35-3-25/建造所 米國費府』。.

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ロスティスラブ (戦艦)

ティスラブ (Rostislav) は、ロシア帝国海軍が建造した前弩級戦艦である。黒海艦隊用として前級「シソイ・ヴェリキー」に引き続き1隻のみつくられた艦であるが、武装を一新して新たに設計された艦である。設計には同世代の「ペトロパブロフスク級」をタイプシップに採り、副武装の搭載形式をフランス式の砲塔に搭載する方式を採用しているため外観が酷似している。.

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ツェサレーヴィチ (戦艦)

ツェサレーヴィチ(Цесаревичツィサリェーヴィチュ)は、フランスで建造されたロシア帝国の前弩級戦艦である。艦名「ツェサレーヴィチ」は、ロシア皇帝の世襲皇太子の称号。.

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周防 (戦艦)

周防(すはう/すおう)は日本海軍の戦艦#達明治38年10月p.9『達第百五十六號 戰利軍艦「ポピエダ」ヲ周防ト命名セラル 明治三十八年十月二十五日 海軍大臣男爵山本権兵衛』。 元はロシア帝国の前弩級戦艦ポベーダ(ロシア語:Победа、日本海軍の法令上はポピエダ、ペレスヴェート級)で、日露戦争の旅順攻囲戦で沈没。 その後、日本海軍に鹵獲されたものである帝国軍艦帖コマ95-96『一等海防艦 周防(舊名ポピエダ) 一、進水年月日 明治三十三年(月日不明)/一、排水量 一萬二千九百七十噸/一、馬力 一萬五千馬力/一、速力 十八節六/一、主砲 十吋砲四門 六吋砲十門/一、建造地及建造所 露國バルチック工廠/一、日清戰爭に参加したる際重要なる事項  /一、日露戰爭に参加したる際重要なる事項 開戰時露國太平洋第一艦隊の主力として旅順方面に在り三十七年八月十日黄海々戰に参加す同年十二月我攻圍軍の爲めに旅順西港内に於て撃沈せられ三十八年一月旅順開城と共に我有に歸す/一、日獨戰爭に参加したる際重要なる事項 第二艦隊司令長官海軍中将加藤定吉の旗艦として青島攻圍戰に参加し「イルチス」湛山並に海岸の諸砲臺に於ける十吋砲の効果は當時日英艦隊中其右に出づるものなく殊功を奏す青島開城後は太平洋の殘敵殲滅に從事す/一、其他特に重要なる事項 三十八年十二月旅順に於て浮揚し佐世保に廻航四十年十月横須賀に於て修理に着手し四十一年十月竣成完成す 以上』。 艦名は旧国名「周防国」にちなむ#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ73(原本112頁)『周防(すはう) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、周防國に採る。 艦歴舊露國軍艦、原名「ポピエダ」、露國「ニュー・アドミラルチー」造船所建造、明治33年進水。日露戰役中に露國太平洋艦隊として明治37年8月10日黄海々戰に参加、後ち旅順港内に於て破壊沈没、同39年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日)我が海軍之が収容引揚に着手、同年10月25日帝國軍艦と定め「周防」と命名、同年12月戰艦の等級を廢せらる。大正元年一等海防艦に編入、同3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年8月第二艦隊第二戰隊に属し青島戰に参加(第二艦隊司令長官中将加藤定吉旗艦、艦長大佐丸橋彦三郎)、同11年4月1日除籍。―要目― 長435呎/幅71.5呎/吃水26.0呎/排水量12,674噸/機關 直立聯成汽機3基、ベルビル罐30臺/馬力14,500/速力19/乗組人員732/船材 鋼(シーズト式)/兵装 25拇砲 4/15拇砲 10/8拇砲 18/機砲 2/發射管 2/起工 明治31-8-1/進水 同33-5-24/竣工 同34/建造所 露國ニュー・アドミラルチー造船所』。 明治天皇に奏聞した候補艦名に「伊豫」があった。 旧式化により一等海防艦に類別。その後、ワシントン海軍軍縮条約により廃棄される。本艦は解体中に転覆、自沈処分となった#福井戦艦物語壱109-110頁『◇周防―ポピエダ』#福井世界戦艦306頁『▽ポビエダ(Pobieda のちの周防)』。.

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アドミラル・ウシャコフ級海防戦艦

アドミラル・ウシャコフ級海防戦艦(アドミラール・ウシャコーフ級―;ロシア語:Броненосцы береговой обороны типа «Адмирал Ушаков»ブラニノースツィ・ビリガヴォーイ・オボローヌィ・チーパ・アドミラール・ウシコーフ) は、ロシア帝国海軍の海防戦艦(沿岸防備装甲艦;Броненосец береговой обороны)である。ロシア帝国にて1890年代に3隻が建造された。全てが日本海海戦に参加し、1隻が撃沈され、2隻が鹵獲された。.

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オスリャービャ (大型揚陸艦)

リャービャ(ロシア語:Ослябяアスリャービャ)は、ロシア連邦の大型揚陸艦(Большой десантный корабль)である。艦名はクリコヴォの戦いにおけるロシアの英雄「ロジオン・オスリャービャ」に因んだもので、歴代のロシア艦艇に使用された由緒ある艦名である。 ロジオン・オスリャービャはモスクワ大公国の保護下にあった至聖三者聖セルギイ大修道院の修道士で、1380年に大公ドミートリイ・ドンスコイがママイ汗率いるジョチ・ウルスの軍勢と対峙した際、アレクサンドル・ペレスヴェートとともにモスクワ軍に参加、「タタールのくびき」からの解放の契機となったこの戦いにおいて大きなる武功を挙げた。ロシアでは伝統的にオスリャービャとペレスヴェートの名を艦船名に用いており、大型揚陸艦オスリャービャの姉妹艦もペレスヴェートと命名されている。歴代の艦の中では、ともに日露戦争に参加した戦艦の名として知られている。.

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オスリャービャ (フリゲート)

リャービャ(ロシア語:Ослябяアスリャービャ)は、ロシア帝国の建造したスクリューフリゲート(Винтовой фрегат)である。艦名はクリコヴォの戦いにおけるロシアの英雄「ロジオン・オスリャービャ」に因んだもので、同時期に建造されたペレスヴェートと対になるものである。.

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オスリャービャ (戦艦)

リャービャ(ロシア語:Ослябяアスリャービャ)は、ロシア帝国の建造した戦艦で、ペレスヴェート級戦艦の二番艦。ロシア海軍では艦隊装甲艦(Эскадренный броненосец)に分類された。艦名はクリコヴォの戦いにおけるロシアの英雄「ロジオン・オスリャービャ」に因んだもので、1874年に除籍された先代のフリゲートから受け継いだ。艦名は、同型艦のペレスヴェートと対になるものである。日本海海戦で戦没した最初の戦艦となった。.

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グロモボーイ (装甲巡洋艦)

モボーイ」(「グロモボイ」とも。)は、ロシア帝国の建造した装甲巡洋艦(броненосный крейсеръ)である。ロシア帝国海軍での配備当初のは 1 等巡洋艦()で、1907年9月27日付けで装甲巡洋艦()、1915年7月16日付けで巡洋艦()に類別を変更された。ロシア革命ののち、ロシア共和国海軍、さらに労農赤色海軍へ所有者が変わった。 艦名は、キエフ・ルーシ時代の文学作品の登場人物に由来する。クリミア戦争での敗戦後、艦隊の復興と外洋進出を目指すロシア帝国が19世紀後半を通じて整備してきた大型の大洋装甲巡洋艦シリーズに連なる最後の巡洋艦であった本文で触れる「ペレスヴェート」級を除く。。.

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ソ連・ロシア海軍艦艇一覧

連・ロシア海軍艦艇一覧は、ロシア帝国海軍、南ロシア軍、ロシア軍、赤色海軍、ソビエト社会主義共和国連邦海軍並びにロシア連邦海軍などが過去保有した、または現在保有する、または将来保有する予定の、未完成・計画中止を含めた歴代艦艇一覧である。国境軍の所属艦艇についてはソ連・ロシア国境軍艦艇一覧参照のこと。 なお、ロシア語では「級」と「型」を区別なく「тип」(「タイプ」に相当する語)で表すため、場合によっては「級」と「型」の訳語は入れ替わる場合がある。この他、「класс」(「クラス」に相当する語)や「серия」(「シリーズ」に相当する語)についても日本語では訳し分けが難しく、結局区別せずに「級」と訳す場合が多い。一方、英語で付けられたNATOコードネームは通常は「級」と訳される「class」という単語を用いているが、。計画番号・名称については原語では「型」に相当する単語は含まれていないが、日本語としての便宜上「проект xxx "ABCDE"」については「xxx号計画「ABCDE」型」のように意訳する。 こうした翻訳に関する諸事情があるが、日本語においては日本以外の艦船については一般にネームシップを旨とする類別には「艦級」、計画名(プロジェクト名)やコードネームなどネームシップを旨としない類別には「艦型」を用いているので、この一覧ではその日本語側の基準に順ずることとする。ただし、潜水艦についてはページが統一的に「級」で立てられているため、そちらに順ずる。 '凡例.

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相模 (戦艦)

模(さがみ)は、日本海軍に所属した戦艦#達明治38年8月p.8『達第百十一號 戰利軍艦「ペレスウエート」外四隻左ノ通命名セラル 明治三十八年八月二十二日 海軍大臣男爵山本権兵衛|戰艦「ペレスウエート」 相摸/戰艦「ポルタワ」 丹後/一等巡洋艦「バヤーン」 阿蘇/二等巡洋艦「ワリヤーグ」 宗谷/二等巡洋艦「パルラダ」 津輕』。 元は、帝政時代のロシア海軍の戦艦ペレスヴェート(ロシア語:Пересвет)、日本海軍の法令上はペレスウェート、日露戦争(旅順攻囲戦)において沈没。その後、日本海軍に鹵獲されたものである。 艦名は旧国名「相模国」にちなむ#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ70(原本106頁)『相模(さがみ) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、東海道相模國に採る。艦歴舊露國軍艦、原名「ペレスウェート」。露國「ニュー・アドミラルチー」造船所建造、明治31年進水、日露戰役中露國太平洋艦隊として明治37年8月10日黄海々戰に於て(公爵「ウフトムスキー」少将坐乗)我が軍と交戰、後ち旅順港内に於て破壊沈没。明治38年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日)我が海軍之が収容引揚に着手、同年8月22日帝國軍艦と定め「相模」と命名す。同年12月戰艦の等級を廢せらる。大正5年一等海防艦に編入、同年4月4日露國政府へ譲渡す。―要目― 長435呎/幅750呎/吃水27.25呎/排水量12,674噸/機關 直立三汽筩三聯成汽機3基、ベルビル罐30臺/馬力14,500/速力19/乗組人員732/船材 鋼(シーズト式)/兵装 25拇砲 4/15拇砲 10/8拇砲 16/2.5听砲 4/發射管 2/起工 明治28-11-21/進水 同31-5-19/竣工 同34-6/建造所 露國ニュー・アドミラルチー造船所』。 明治天皇に奏聞した候補艦名に「阿波」があった。.

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戦艦一覧

戦艦一覧(せんかんいちらん)では、世界各国の戦艦を一覧表にする。基準として20センチメートル(cm) を超える艦砲(主砲)を有し、装甲を持ち、各国海軍の主力として建造された艦をまとめた。 この記事では世界で最初に蒸気機関のみで航行する装甲艦を発明したフランス海軍から順に、装甲艦を導入した順から各国の戦艦を竣工順に並べる。.

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