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リューリク (装甲巡洋艦・2代)

索引 リューリク (装甲巡洋艦・2代)

リューリク(Рю́рикъ )は、ロシア最後の装甲巡洋艦である。第一次世界大戦開戦時には、ロシア帝国海軍バルト艦隊の旗艦であった。ロシア革命後はロシア帝国から臨時政府に所有が移り、その後ロシア共和国を経てロシア・ソヴィエト共和国に保有された。 ロシア海軍では当初は一等巡洋艦(крейсер I-го ранга)に分類されたが、1907年9月27日付けの海軍艦船分類法改正で装甲巡洋艦(броненосный крейсер)、1915年7月16日の海軍艦船分類法改正で巡洋艦(крейсер)に類別を変更された。 艦名は1852年以降ロシア海軍で切れ目なく受け継がれてきた由緒ある名で、ノヴゴロド・ルーシの統治者でロシア最初の王朝の始祖とされるリューリク公に由来する。 ロシア史上、実質的に最後にして最大最強の装甲巡洋艦であり、造船技術史上は戦列巡洋艦への過渡期に当たる艦とされている。 リューリクの乗員たちを、リューリコフツィ(рюриковцы)と称した。.

15 関係: バヤーン級装甲巡洋艦バルト海の戦い (第一次世界大戦)リューリク (曖昧さ回避)ローン (装甲巡洋艦)ヴラジーミル・ピールキンパルラーダ (装甲巡洋艦)パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)ニコライ・フォン・エッセンアドミラル・マカロフ (装甲巡洋艦)ウラジミール・コスチェンコゴットランド島沖海戦ソ連・ロシア海軍艦艇一覧装甲巡洋艦戦艦一覧

バヤーン級装甲巡洋艦

バヤーン級装甲巡洋艦 (Armored Croiseur class Bayan) は、ロシア帝国海軍の装甲巡洋艦の艦級。単艦での通商破壊戦から艦隊直営艦までの汎用装甲巡洋艦としてフランスに設計依頼して建造された。このため、1番艦のバヤーンのみフランスのフォルジ・エ・シャンティエ・ドゥラ・メディテラネ社ラ・セーヌ造船所製で残り3隻はロシア製である。.

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バルト海の戦い (第一次世界大戦)

バルト海の戦いは、第一次世界大戦中にバルト海で行われた一連の戦闘を指す。大戦中、この海域ではドイツ帝国軍とロシア帝国軍、イギリス軍との間で、ロシア革命後は臨時政府のロシア、ロシア共和国とドイツ軍、ドイツの降伏後はソヴィエト・ロシア軍とイギリス軍等の間で戦闘が行われた。.

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リューリク (曖昧さ回避)

リューリクは、ノヴゴロドの君主リューリクに因む名前。.

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ローン (装甲巡洋艦)

ーン (SMS Roon) はドイツ海軍の装甲巡洋艦。ローン級。二つ目の艦隊法で1902年に建造が承認され、キール工廠で建造された。建造費は約1530万マルクであった。艦名はプロイセンの将軍で政治家でもあるアルブレヒト・フォン・ローンにちなむ。 第一次世界大戦中、スカボロー・ハートリプール・ウィットビー砲撃の際の幾つかの行動に関与したほか、バルト海は1915年7月にロシア巡洋艦部隊と戦い、艦砲射撃も行った。1916年以降は戦争終結までキールで練習艦兼宿泊艦として使用された。水上機母艦に改装する計画もあったが実現しなかった。1920年に除籍され、それから解体された。.

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ヴラジーミル・ピールキン

ヴラジーミル・コンスタンチーノヴィチ・ピールキン(Влади́міръ Константи́новичъ Пи́лкинъ 、1869年7月11日 - 1950年1月6日)は、ロシア帝国出身の封建貴族、海軍軍人である。最終階級は海軍少将。.

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パルラーダ (装甲巡洋艦)

パルラーダ(ロシア語:Палладаパルラーダまたはパラーダ)は、ロシア帝国の装甲巡洋艦(Броненосный крейсер)である。艦名は、ギリシャ神話に登場する「パラス」のロシア語名である。1905年から1914年までの間、ロシア帝国海軍で運用された。.

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パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)

パーミャチ・メルクーリヤ」(今日のでは、 と表記される。ウクライナ語名では「パームヤチ・メルクーリヤ」、または「パームヤティ・メルクーリヤ」()になるが、たんに翻訳名であって改名されたわけではないのでこのページでは一貫して「パーミャチ・メルクーリヤ」と表記する。)は、ロシア帝国が建造し保有した防護巡洋艦(бронепалубный крейсеръ: 装甲甲板巡洋艦)である。黒海艦隊に配備された最初の防護巡洋艦であった。設計上は、装甲甲板巡洋艦の中の特に長距離()に分類される。ロシア帝国海軍のでは当初は 1 等巡洋艦()に分類され、1907年9月27日付けの類別法改正で巡洋艦()に類別を変更された。1915年7月15日付けの類別法改正では巡洋艦のままで、その後保有した各国でも巡洋艦に分類した。1921年12月31日には再び 1 等巡洋艦()、1923年11月7日には練習巡洋艦()に類別を変更された。1941年6月からは機雷敷設艦()として使用されるようになったが、正式分類は変更されなかった。 「メルクーリイの記憶」という意味の艦名は、露土戦争で活躍したブリッグを記念したもの「パーミャチ」は正教会で「記憶」と訳され、聖人の記憶、生者のための祈り(聖体礼儀など)、永眠者のための祈り(埋葬式やパニヒダなど)で頻繁に出て来る単語であり、祈りを連想させる単語である。記事「永遠の記憶」参照。。その活躍により、時の皇帝ニコライ1世は黒海艦隊はその名をもつ艦船をつねに保有すべしと命じた。この巡洋艦がその名を受け継ぐ最後のロシア帝国軍艦であり、かつてそのブリッグが授与されたとを受け継ぐ最後の艦であった。 第一次世界大戦では、黒海艦隊には 2 隻しか存在しなかった巡洋艦戦力の中核としてあらゆる種類の任務に投入された。ロシア革命後は、ロシア臨時政府、ウクライナ国家、ロシア・ソビエト共和国、ドイツ帝国、イギリス、白軍などに所有された。最終的にはソビエト連邦に所有されたが、第二次世界大戦中に閉塞船として沈められた。その残骸は、今日まで残っている。.

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パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)

パーミャチ・アゾーヴァ()は、ロシア帝国が建造し保有した装甲巡洋艦である。日本では大津事件の際のロシア皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ(のちの皇帝ニコライ2世)のお召し艦として知られ、ソビエト連邦(以下、ソ連)ではバルト艦隊最初の「革命艦」として知られた。 ロシア帝国海軍での配備当初のはフリゲート()または装甲フリゲート()であったが、同海軍でフリゲートとして配備された艦としてはこれが最後であった。その後、1892年2月1日付けで 1 等巡洋艦()、1907年9月27日付けで練習船()に類別を変更された。その後、ロシア共和国海軍、さらに労農赤色海軍へ所有者が変わった。1919年5月8日付けで()に類別を変更された。 艦名は、ロシア語で「アゾーフの記憶」という意味であるが、この名はギリシャ独立戦争の際、1827年10月8日10月20日。に発生したナヴァリノの海戦で英雄的に戦ったことが賞賛された戦列艦「」に敬意を表したものである「パーミャチ」は正教会で「記憶」と訳され、聖人の記憶、生者のための祈り(聖体礼儀など)、永眠者のための祈り(埋葬式やパニヒダなど)で頻繁に出て来る単語であり、祈りを連想させる単語である。記事「永遠の記憶」参照。。関係者のあいだではもっぱら「アゾーフ」()と通称された。伝統に則り、戦列艦「アゾーフ」から代々受け継いだを受領し、舳先にはを取り付けていた。ゲオルギイ十字を持つ、ロシア史上初の蒸気装甲軍艦である。 ではなかったがならびに船内設備が優れていたので、前述の皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチのお召し艦として使用された。これに関連し、乗員は近衛に列せられている。 後世、「パーミャチ・アゾーヴァ」の名はふたつの事件で知られている。ひとつは、1906年にこの艦上で発生した水兵らを中心とした叛乱事件である。この事件により艦は「バルト海の『ポチョムキン』」()と渾名され、ソ連時代に「革命艦」として広く知られるようになった。もうひとつは、この艦の最期である。当時すでに第一線を退いて港に繋留される浮き基地となっていた「パーミャチ・アゾーヴァ」は、第一次世界大戦中の1919年8月19日にイギリス海軍の魚雷艇による奇襲攻撃を受け着底、魚雷艇によって犠牲となった当時としては珍しい艦として歴史に名を留めた。.

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ニコライ・フォン・エッセン

ニコライ・オットヴィチ・フォン・エッセン(ロシア語:Николай Оттович фон Эссенニカラーイ・オーッタヴィチュ・エーッセン;ドイツ語:Nikolai Ottowitsch von Essen、1860年12月11日 - 1915年5月7日)は、ロシア帝国の海軍軍人。 日露戦争時には有能な艦長として活躍し、第一次世界大戦時にはバルチック艦隊司令長官を務めた。.

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アドミラル・マカロフ (装甲巡洋艦)

アドミラル・マカロフ (Адмирал Макаров) はロシア海軍の装甲巡洋艦。バヤーン級。 艦名は日露戦争で戦死したステパン・マカロフ提督にちなむMcLaughlin, p. 75。.

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ウラジミール・コスチェンコ

ウラジーミル・ポリエクトヴィッチ・コスチェンコ(ロシア語:Владимир Полиевктович Костенко)(Vladimir Polievktovich Kostenko)(1881年9月20日-1956年1月14日)はロシアの造船技術者。日露戦争当時、、«オリョール (戦艦)»の建造に従事。完成後は造船技官(補)として同艦に乗り組み遠征航海に参加、日本海海戦で惨敗、舞鶴、京都での捕虜生活を体験する。帰国後、ロシア艦隊敗北の理由を詳細に分析・報告し、高い評価を得た。その後も軍艦・造船の分野で活躍。アレクセイ・ノビコフ=プリボイ著『ツシマ(対馬)(Цусима)』で機関科将校(機関士)ワシーリェフとして多くの場面で登場する。.

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ゴットランド島沖海戦

1915年7月2日に起こったゴットランド島沖海戦とは、第一次世界大戦中にバルト海で生起した海戦のひとつであり、ドイツ海軍とロシア海軍が交戦した。 ドイツの敷設巡洋艦アルバトロスと小型巡洋艦アウクスブルク、水雷艇3隻が機雷敷設を終えて帰投途中にミハイル・バーヒレフ少将率いるロシアの装甲巡洋艦アドミラール・マカーロフ、バヤーン、防護巡洋艦オレーク、ボガトィーリの攻撃受け、アルバトロスは大きな損害を受けてゴットランド島に座礁した。続いて、海戦前にアルバトロスなどと別れていたドイツの装甲巡洋艦ローン、小型巡洋艦リューベックが到着し、ロシアの巡洋艦と交戦した。その後今度はロシアの装甲巡洋艦リューリクが現れドイツの巡洋艦と交戦した。 海戦発生を受けてドイツの装甲巡洋艦プリンツ・アーダルベルトとプリンツ・ハインリヒが出撃したが、プリンツ・アーダルベルトはイギリス潜水艦E9に雷撃され損傷した。.

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ソ連・ロシア海軍艦艇一覧

連・ロシア海軍艦艇一覧は、ロシア帝国海軍、南ロシア軍、ロシア軍、赤色海軍、ソビエト社会主義共和国連邦海軍並びにロシア連邦海軍などが過去保有した、または現在保有する、または将来保有する予定の、未完成・計画中止を含めた歴代艦艇一覧である。国境軍の所属艦艇についてはソ連・ロシア国境軍艦艇一覧参照のこと。 なお、ロシア語では「級」と「型」を区別なく「тип」(「タイプ」に相当する語)で表すため、場合によっては「級」と「型」の訳語は入れ替わる場合がある。この他、「класс」(「クラス」に相当する語)や「серия」(「シリーズ」に相当する語)についても日本語では訳し分けが難しく、結局区別せずに「級」と訳す場合が多い。一方、英語で付けられたNATOコードネームは通常は「級」と訳される「class」という単語を用いているが、。計画番号・名称については原語では「型」に相当する単語は含まれていないが、日本語としての便宜上「проект xxx "ABCDE"」については「xxx号計画「ABCDE」型」のように意訳する。 こうした翻訳に関する諸事情があるが、日本語においては日本以外の艦船については一般にネームシップを旨とする類別には「艦級」、計画名(プロジェクト名)やコードネームなどネームシップを旨としない類別には「艦型」を用いているので、この一覧ではその日本語側の基準に順ずることとする。ただし、潜水艦についてはページが統一的に「級」で立てられているため、そちらに順ずる。 '凡例.

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装甲巡洋艦

装甲巡洋艦(そうこうじゅんようかん)とは、巡洋艦の一種。船体を防御する装甲帯と装甲板で覆われている事で他の巡洋艦と区別される。.

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戦艦一覧

戦艦一覧(せんかんいちらん)では、世界各国の戦艦を一覧表にする。基準として20センチメートル(cm) を超える艦砲(主砲)を有し、装甲を持ち、各国海軍の主力として建造された艦をまとめた。 この記事では世界で最初に蒸気機関のみで航行する装甲艦を発明したフランス海軍から順に、装甲艦を導入した順から各国の戦艦を竣工順に並べる。.

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