目次
52 関係: 小岩井農場の基礎輸入牝馬、ミトコンドリアDNA、マルガレーテン (競走馬)、マンノウォー、マッチェム、ネアルコ、ハーミット、ハプロタイプ、ハイフライヤー、バードキャッチャー、ポーテージ (競走馬)、リボー、レギュラス (競走馬)、ロックサンド、ロジータ、トリプティク、トレヴ、ヘロド (競走馬)、プロポンチス、パートナー (競走馬)、テイエムオペラオー、フリオーソ (2004年生)、ファミリーナンバー、ファミリーライン、ドバイミレニアム、ニューミンスター、ダンガノン、ダイワメジャー、アラブ種、アンバーシャダイ、アソールト、エアシャカール、キンチェム、グレンコー (競走馬)、ケード、コジーン、ジェニュイン、スナップ (競走馬)、ストックウェル (競走馬)、タッチストン、タイキシャトル、サラブレッド、サーハリー、サーピーターティーズル、サクラバクシンオー、競走馬の血統、牝馬、日本、11号族、13号族、... インデックスを展開 (2 もっと) »
小岩井農場の基礎輸入牝馬
小岩井農場の基礎輸入牝馬(こいわいのうじょうのきそゆにゅうひんば)とは、20世紀初頭に小岩井農場が日本国外から輸入した繁殖牝馬のことである。これらの子孫は日本でたいへん繁栄しており、ほかの輸入繁殖牝馬とは特別に区別する場合がある。とくに、1907年にイギリスから輸入した20頭だけを指すこともある。
ミトコンドリアDNA
ミトコンドリアDNA(mtDNA, mDNA)とは、細胞小器官であるミトコンドリア内にあるDNAのこと。ミトコンドリアが細胞内共生由来であるとする立場から、ミトコンドリアゲノムと呼ぶ場合もある。
マルガレーテン (競走馬)
マルガレーテン(Margarethen)は、アメリカ合衆国の競走馬、繁殖牝馬。マルガレーゼン と表記されることも多い。繁殖牝馬として一大牝系の祖となり、子孫に多くの活躍馬を輩出した。
マンノウォー
マンノウォー(Man O' War、1917年 - 1947年)は、アメリカ合衆国の競走馬・種牡馬。セクレタリアトと並ぶアメリカを代表する名馬である。『20世紀米国の100名馬(ブラッド・ホース誌)』第1位。『20世紀のトップアスリートベスト100 (ESPN) 』第84位。全弟にジョッキークラブゴールドカップの勝ち馬のマイプレイがいる。 現在に至るまで「アメリカ競馬史上最高の馬」の座を不動のものとしている馬であり、単に「優れた競走馬」ではなく、ベーブ・ルースなどと共に「時代を代表する英雄」として語られる存在である。
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マッチェム
マッチェム(Matchem、1748年 - 1781年)は18世紀のイギリスの競走馬。18世紀の競走馬・種牡馬で、まだサラブレッドの概念が完全には確立していない時代の名馬である。父方直系子孫は現在でも残存し、エクリプス、ヘロドと並びサラブレッド三大始祖の一頭に数えられる。この3頭の中ではもっとも早く生まれた。
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ネアルコ
ネアルコ (Nearco) はイタリアの競走馬。1930年代後半に活躍した。リボーに並ぶフェデリコ・テシオの傑作といわれ、競走馬として14戦14勝の戦績を残し、種牡馬として1947年と1949年にイギリス・アイルランドのリーディングサイアーとなった。 馬名の由来は紀元前6世紀のギリシャの画家(イタリア語名:ネアルコ)に因んだとされる。 体高は162.6センチメートル。直系子孫は世界のサラブレッドの約半数を占めるまでに発展している。
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ハーミット
ハーミット(Hermit、1864年 - 1890年)は、イギリスの競走馬・種牡馬。競走馬としてエプソムダービーに勝ったほか、種牡馬としても7度イギリスチャンピオンサイアーとなり成功した。 競走成績は1866年から69年の間に23戦して8勝。エプソムダービーやセントジェームズパレスステークスに勝ち、41,261ポンドの賞金を獲得した。同時代の記録では、穏やかで稀に見る優しい性格で、非常におとなしい気性の馬だった。晩年に馬主ヘンリー・チャップリンの幼い息子を背中に乗せて遊ばせていたという逸話も残る。
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ハプロタイプ
ハプロタイプ(haplotype)とは、"haploid genotype"(半数体の遺伝子型)の略。単倍型とも訳される。
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ハイフライヤー
ハイフライヤー(Highflyer、1774年 - 1793年)は、18世紀後半に活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。18世紀を代表する名馬で、無敗の成績と種牡馬としての大きな成功を残した。18世紀を代表する名馬であり、サラブレッド種の成立にも貢献した1頭である。
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バードキャッチャー
バードキャッチャーまたはアイリッシュバードキャッチャー(Birdcatcher or Irish Birdcatcher、1833年 - 1860年)は、アイルランドの競走馬・種牡馬である。アイルランド初めての歴史的名馬で、1852,56年イギリスリーディングサイアーを獲得した。全弟にセントレジャーステークス優勝馬でのちにフランスで種牡馬として成功したフォアバラーがいる。 バードキャッチャーは15.3ハント (155 cm) と当時としては標準的な大きさで、均整のとれた優れた馬体の持ち主だった。栗毛に白い白斑を持ち、これはのちにザテトラークやストックウェルに受け継がれた。この白斑はベンドア斑、またはバードキャッチャー斑と呼ばれバードキャッチャーやストックウェルが大種牡馬となったことで19世紀のサラブレッドには比較的よく見られたが、20世紀中ごろ以降出現はまれになっている。
ポーテージ (競走馬)
ポーテージ(Portage)はアメリカ合衆国の競走馬、繁殖牝馬。ポーテイジとも表記される平出(2014)p.142。競走馬としては大成できなかったが、産駒のブルーカヌー(Blue Canoe)、チェインジウォーター(Change Water)、およびチェインジウォーターの仔フォールアスペン(Fall Aspen)を通じて大きく牝系を発展させた。
リボー
リボー(Ribot、1952年 - 1972年)は、1950年代中ごろに活躍したイタリアの競走馬・種牡馬。20世紀を代表する名馬の1頭で、20世紀のヨーロッパ記録となる16戦無敗、凱旋門賞連覇の成績を持つ。引退後は種牡馬としても成功した。 平地競馬があまり盛んでないイタリアで、20世紀イタリアのスポーツ選手第4位という高い評価を得ている。
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レギュラス (競走馬)
レギュラス(Regulus、1739年 - 1765年)は、18世紀中ごろに活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。馬名はしし座の1等星レグルスに由来する。
ロックサンド
ロックサンド(Rock Sand、1900年 - 1914年)は、20世紀初頭に活躍したイギリスの競走馬。史上10頭目のイギリスクラシック三冠を達成した。
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ロジータ
ロジータ(欧字名:、1986年5月26日 - 2016年12月1日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬。 現役時代には牝馬でありながら東京ダービーをはじめとする南関東の牡馬三冠競走を制し、繁殖牝馬としても多くの重賞馬を輩出した。半妹に東京3歳優駿牝馬を優勝したテーケーレディー、伯母に函館3歳ステークスやシンザン記念を優勝したミルフォードスルー(ランフォザドリームの母)がいる。その功績を讃え、川崎競馬の3歳牝馬限定重賞「ロジータ記念」にその名を残している他、2019年に創設された川崎競馬場専属ファンファーレ隊「川崎競馬ロジータブラス」の由来となっている。 名前の由来は百合の品種名「ロジータ」であり(ロジータとは「谷間の百合」という意味とされる)、生産牧場代表の高瀬良樹の長男が名付けた。
見る 4号族とロジータ
トリプティク
トリプティク (Triptych) は、アメリカ合衆国産のサラブレッド。6か国を転戦してG1競走9勝を挙げたタフさと強さから「鉄の女」の異名を持つ、1980年代の名牝の一頭である。
見る 4号族とトリプティク
トレヴ
トレヴ(、2010年4月7日 - )はフランスの競走馬・繁殖牝馬。2013年のカルティエ賞年度代表馬、最優秀3歳牝馬である。 主な勝ち鞍は2013年のディアヌ賞、ヴェルメイユ賞、2013年・2014年の凱旋門賞(連覇)、2015年のサンクルー大賞、ヴェルメイユ賞。
見る 4号族とトレヴ
ヘロド (競走馬)
ヘロドまたはキングヘロド(Herod、King Herod、1758年 - 1780年)は、18世紀後半に活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。サラブレッド種の成立に極めて大きな役割を負い、残した血量はあらゆる時代のいかなる種牡馬・繁殖牝馬をも凌駕している。馬名はヘロデ大王に由来、かつてはキングヘロドと呼ばれていた。
プロポンチス
プロポンチス (Propontis 1897年 - 不明) は、イギリスの競走馬。 1907年(明治40年)に小岩井農場が日本に輸入した、所謂小岩井農場の基礎輸入牝馬の一頭。直系子孫にはJRA顕彰馬のグランドマーチスを筆頭に、アイネスフウジン、ハクタイセイ、レガシーワールド、トーホウエンペラーなどがいる。
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パートナー (競走馬)
パートナー、またはクロフツパートナー ((Croft's) Partner) は、イギリスの競走馬・種牡馬。 この馬に関する事柄はそう多くは伝えられていないが、卓越したパワーを持った、すばらしく美しい馬だったという。リンカンシャー州で生まれ、競走馬としては初代ハリファックス伯爵ジョージ・モンタギューのもとで1723-26年まで走り6勝全勝。1728年に種牡馬としてジョン・クロフトに購入されたあとにスマイリングボール (Smiling Ball) という馬を相手に負けているが、これが生涯唯一の敗戦である。種牡馬としてはターター (Tartar)、トラヴェラー (Traveller) などを出した。
テイエムオペラオー
テイエムオペラオー(欧字名:T.M. Opera O、1996年3月13日 - 2018年5月17日)は、日本の競走馬・種牡馬。 1998年に中央競馬でデビュー。1999年のクラシック三冠戦線においてアドマイヤベガ、ナリタトップロードと共に「三強」を形成し、三冠競走初戦・皐月賞を制するなどしてJRA賞最優秀4歳牡馬に選出。2000年には「一強」状態となってシーズンを踏破し、天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念を含む年間8戦全勝、年間記録として史上最多のGI競走5勝という成績を挙げ、年度代表馬と最優秀5歳以上牡馬に満票で選出された。2001年には天皇賞(春)を連覇してGI勝利数を当時最多タイ記録の「7」とし、同年末に競走馬を引退。
フリオーソ (2004年生)
フリオーソは日本の船橋競馬場に所属した元競走馬である。2006年の全日本2歳優駿、2007年のジャパンダートダービー、2008年・2010年の帝王賞、2011年の川崎記念、かしわ記念を制した。2007年NARグランプリサラブレッド3歳最優秀馬、2008年・2009年・2010年・2011年NARグランプリ4歳以上最優秀馬、2007年・2008年・2010年・2011年NARグランプリ年度代表馬。
ファミリーナンバー
ファミリーナンバー(Family Number)とは、サラブレッドの分類方法の1つ。それぞれ属する牝系ごとに1から74号などの番号が付けられており、同じファミリーナンバーに属する馬なら全て同じ基礎牝馬に遡ることができる。例えばオルフェーヴル(8号族のc分枝)とニジンスキー(8号族のf分枝)はどちらも20-30代遡れば17世紀のバストラーメア(Bustler Mare)と呼ばれる一頭の牝馬にたどり着く。 ウィキペディアでは今のところファミリーナンバーを競走馬の血統表の右下か、血統表の母系の欄に記している。例えばナリタブライアンの血統表の母系の欄にFN:13-aと記されているが、これは13号族のa分枝という意味である。スペースの関係からF.13a等のように表記している箇所もある。
ファミリーライン
ファミリーライン(Family line)、あるいはメアーライン(Mare line)、母系(ぼけい)または牝系(ひんけい)とは、馬における母方の系図(家系)のことをいう。起点となる牝馬の名を取り「~系」と呼ぶ。同様に父系のみに焦点をあてたサイアーライン(メールライン)がある。 競走馬の血統においては、その近親関係は母系を基準に考えられる。生産の現場では牝馬の質の良否がそのまま死活問題となるという事情から、ファミリーが特に重要視され、多くの活躍馬を送り出すファミリーについては一種のブランド化することもある。また逆の例もあり、1989年のエクリプス賞年度代表馬を受賞したサンデーサイレンスは、父に大種牡馬ヘイローを持ちながら他の近親に活躍馬が皆無であったため、種牡馬として人気が出ず、日本へと売却された。
見る 4号族とファミリーライン
ドバイミレニアム
ドバイミレニアム (Dubai Millennium) とはイギリス産の競走馬である。
見る 4号族とドバイミレニアム
ニューミンスター
ニューミンスター(Newminster、1848年 - 1868年)は、イギリスの競走馬である。19世紀中ごろに活躍し、種牡馬としては大きく成功した。全兄に2000ギニーに優勝したNunnykirkがいる。 ニューミンスターの血統背景はスタミナの申し子とも言えるもので、父はアスコットゴールドカップとドンカスターカップを連覇し、種牡馬としても成功したタッチストン、母も64戦して51勝、ドンカスターカップを4度勝ち、アスコットゴールドカップにも優勝したビーズウイングである。つまり両親合わせて当時長距離のカップレースとして権威の高かったアスコットゴールドカップとドンカスターカップを9回も獲得していることになる。
見る 4号族とニューミンスター
ダンガノン
ダンガノン(Dungannon、Dún Geanainn)は、北アイルランド中部のミッド・アルスター行政区の中心都市。アイルランド語の名称「Dún Geanainn」は「Geanannの砦」という意味である。2011年の人口は1万4332人と、北アイルランドでは中規模の町である。古くはの「首都」でもあった。
見る 4号族とダンガノン
ダイワメジャー
ダイワメジャー(欧字名:Daiwa Major、2001年4月8日 - )は、日本の競走馬・種牡馬。 2003年に中央競馬(JRA)でデビュー、翌2004年に皐月賞を制する。その後、呼吸疾患の喘鳴症が重症化したことで一時不振に陥るが、手術を経てこれを克服し、2005年4月に復帰。2006年には天皇賞(秋)とマイルチャンピオンシップに優勝し、最優秀短距離馬に選出される。2007年にも安田記念とマイルチャンピオンシップを制し、再び同賞を受けた。通算28戦9勝。中央GI競走5勝は当時史上4位タイの記録。競走馬引退後の2008年より種牡馬となり、GI3勝のアドマイヤマーズをはじめ11頭のGI級競走優勝馬を輩出している。
見る 4号族とダイワメジャー
アラブ種
アラブ種の雌馬 アラブ種の骨格 アラブ(種)(Arab、Arabian)とは、ウマの品種の一つ。現存する馬の改良種の中で最初に確立した品種とされる。体高約140cm台-150cm台(ポニー相当の高さしかない個体もいるが慣習的にポニーとは呼ばれない)、体重約400kg。 サラブレッドより小柄で華奢な体躯で、速力もサラブレッドには劣るが、耐候性、耐久性に優れる。 その成立ははっきりしないが、アラビア半島の遊牧民、ベドウィンにより、厳格な血統管理の元に改良が進められ、品種として確立した。 伝承によるとكحيلة العجوز(クハイラトゥルアジューズもしくはクハイラ・アル。
見る 4号族とアラブ種
アンバーシャダイ
アンバーシャダイ(1977年3月10日 - 2007年1月29日)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬・種牡馬。1981年の有馬記念、1983年の天皇賞(春)を優勝し、1983年度優駿賞特別賞を受賞。総獲得賞金4億6205万4400円は当時歴代第1位の記録である。種牡馬としても宝塚記念優勝馬メジロライアンらを輩出するなど成功を収めた。馬名はコハクの英語名「amber」+冠名「シャダイ」。主戦騎手は加藤和宏。 馬齢は2000年以前に使用された旧表記(数え年)とする。
見る 4号族とアンバーシャダイ
アソールト
アソールト (Assault) とは、アメリカ合衆国の競走馬である。 1946年のアメリカクラシック三冠を達成するなど活躍した。 名前は英語で「襲撃」(アサルト)の意。
見る 4号族とアソールト
エアシャカール
エアシャカール (Air Shakur) とは日本の競走馬、種牡馬である。おもな勝鞍は、皐月賞・菊花賞で2000年の中央競馬クラシック二冠馬である。2000年JRA賞最優秀4歳牡馬(部門名は当時)。また、東京優駿(日本ダービー)をハナ差わずか7センチメートル差で逸していることから「準三冠馬」と呼ばれている。半姉に優駿牝馬(オークス)2着のエアデジャヴー、秋華賞優勝馬エアメサイアは姪にあたる。馬名の由来は冠名の「エア」とアメリカ合衆国のヒップホップMC、俳優である2パックの本名から。
見る 4号族とエアシャカール
キンチェム
キンチェム日本では長い間「キンツェム」として知られてきたが、ハンガリー語の発音では「キンチェム」の方が近い。ハンガリー政府観光局もこちらの名称で同馬を紹介している。(Kincsem、1874年3月17日 - 1887年3月17日)はハンガリーの歴史的競走馬。名前はハンガリー語で「私の宝物」の意味(恋人同士や夫婦の間で使うと「あなた」の意味になる)。デビューから引退までの無敗記録としては世界記録となる54戦54勝の記録を持つ。デビューからの連勝記録としてもプエルトリコのカマレロに破られたものの、いまだそれに次ぐ2位の記録である。
見る 4号族とキンチェム
グレンコー (競走馬)
グレンコー(Glencoe、1831年 - 1857年)は、イギリスの競走馬である。1834年に2000ギニーを制したほか、翌年アスコットゴールドカップに勝った。種牡馬としてはすぐにアメリカに輸出されたが、輸出先で大成功を収め8年間種牡馬チャンピオンを獲得した。イギリスに残した産駒、ポカホンタスは名繁殖牝馬として有名である。名前はスコットランドの有名な谷から。 セカンドリドルズワースステークス、デザートステークスに勝ち、デビュー以来の3連勝で2000ギニーを制覇した。同世代にはほかにプレニポテンシャリーやタッチストンらがおり、レベルの高い世代として知られている。エプソムダービーではそのプレニポテンシャリーの3着に敗れている。この年はほかにグッドウッドカップなどに勝った。
ケード
ケード (Cade) はイギリスの競走馬・種牡馬である。マッチェム (Matchem) の父として知られる。産駒に同名馬がいるためオールドケード (Old Cade) とも呼ばれている。
見る 4号族とケード
コジーン
コジーン(欧字名:、1980年5月8日 - 2008年10月7日)はアメリカ合衆国産まれの競走馬および種牡馬である。1985年ブリーダーズカップ・マイルの勝ち馬で、同年のエクリプス賞最優秀芝牡馬。種牡馬として1996年北米リーディングサイアーを獲得している。
見る 4号族とコジーン
ジェニュイン
ジェニュインは日本の競走馬、種牡馬。馬名の由来は「正真正銘の、本物の」を意味する英語Genuineから。フジキセキ、タヤスツヨシと並び、サンデーサイレンスの初年度産駒を代表する一頭である。おもな勝ち鞍は、1995年皐月賞、1996年マイルチャンピオンシップ。社台レースホースの出資馬であり、募集価格は4000万円(20口)。豪GI2勝馬のポンペイルーラーや隻眼の勇者と呼ばれたルーベンスメモリーの父としても有名。 なお、馬齢は旧表記(数え年)で統一する。
見る 4号族とジェニュイン
スナップ (競走馬)
スナップ(Snap or Old Snap、1750年 - 1777年)は、18世紀中ごろに活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。馬名「Snap」は父「Snip」からの連想。なお産駒に同名馬が数頭いることから、それより古いという意味で「Old snap」などとも呼ばれる。 スナップは1750年にカスバート・ラウスによって生産された。1752年にはそのカスバート・ラウスが死亡したためジェニソン・シャフトに売られている。 競走馬時代はわずか4戦のみではあったが、優れたレース振りから当時の強豪として知られていた。1000ギニーのマッチレースでエクリプスの父にあたるマースクを二度に渡って破り、ほかスウィープステークス、ヨークでのフリープレートにも勝った。
ストックウェル (競走馬)
ストックウェル(Stockwell)は、19世紀中ごろに活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。2000ギニーとセントレジャーステークスに勝ち二冠を達成した。種牡馬としても計7回のイギリスリーディングサイアーを獲得するなど活躍し、「種牡馬の皇帝」と呼ばれた。 母は大繁殖牝馬ポカホンタス。本馬の全弟にラタプラン、半弟にキングトムがいる。 2歳から5歳にかけ20戦して12勝。16戦11勝説もあり英語版wikipediaはこちらを採用している。大きなレースは2000ギニーとセントレジャー程度だが、3歳時はエプソムダービーで大敗したほかは勝ちまくり、13戦して11勝だった。 4歳時はロシアインペリアルプレート(当時のアスコットゴールドカップの名称)で2着に入ったものの1勝もできずに終わった。5歳時も1戦のみで、唯一出走したマッチレースでは対戦相手が故障している。このレースを最後に引退した。
タッチストン
タッチストン(Touchstone、1831年 - 1861年)は、イギリスの競走馬である。1830年代に活躍したステイヤーであり、種牡馬としても成功。通算で4度のイギリスリーディングサイアーを獲得した。馬名は試金石の意。 父カメルは馬体にも競走成績にも見るところのないサラブレッドで、その父ホエールボーンは、カメルのほかに現在の主流父系(エクリプス系参照)に繋がるサーハーキュリーズを出しており、父系的には主流との分岐点にあたる。母系はのちに14号族と呼ばれる牝系に属し、母バンターは14-a族の祖となった繁殖牝馬である。また、全弟ランスロットは1840年セントレジャーステークスに優勝している。
見る 4号族とタッチストン
タイキシャトル
タイキシャトル(欧字名:、1994年3月23日 - 2022年8月17日)は、日本の競走馬、種牡馬。
見る 4号族とタイキシャトル
サラブレッド
ジェントルメン サラブレッド(Thoroughbred)とは、18世紀初頭にイギリスでアラブ馬やハンター(狩猟に用いられたイギリス在来の品種)等から競走用に品種改良された軽種馬である。 競馬以外には乗馬やポロなど多数の用途に使用される。オリンピックなどの馬術競技で活躍するサラブレッドも少数ながら存在し、アメリカ合衆国の障害飛越殿堂馬22頭のうち、サラブレッドは15頭にもおよぶ。
見る 4号族とサラブレッド
サーハリー
right サーハリー(Sir Harry、1795年 - ?)は、18世紀末のイギリスの競走馬。第19回ダービーステークス(1798年)に優勝。父サーピーターティーズル (Sir Peter Teazle) は第8回の優勝馬で、ダービー史上初の親子制覇を達成した。母はメイトロン (Matron)。毛色は青鹿毛。体高はハンド(約157.5センチメートル)。 ダービー以外にはクラレットステークス、キングズプレートに勝った記録が残る。1803年の引退後は最初イギリスで種牡馬入りするものの、翌1804年にアメリカ合衆国へ1200ポンドの高値で売られた。産駒はサーアルフレッド (Sir Alfred) 、サーハル (Sir Hal) 、モーゼス (Haxhall's Moses) など。
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サーピーターティーズル
サーピーターティーズルあるいは単にサーピーター(Sir Peter Teazle or Sir Peter、1784年 - 1811年)とは、イギリスの競走馬である。第8回エプソムダービー勝ち馬である。種牡馬としても活動した。
サクラバクシンオー
サクラバクシンオー(欧字名:、1989年4月14日 - 2011年4月30日)は、日本の競走馬、種牡馬。 1992年に中央競馬(JRA)でデビュー。小島太を主戦騎手に短距離戦線で頭角をあらわし、1993年・1994年にスプリンターズステークスを連覇。1994年度のJRA賞最優秀短距離馬に選出された。通算21戦11勝。うち1400メートル以下では12戦11勝という成績を残しているいっぽう、1400メートルを上回る競走は9戦して1勝もしておらず、JRA史上最強でかつ顕著なスプリンターとも評される。 種牡馬としては、高松宮記念の優勝馬ショウナンカンプとビッグアーサー、朝日杯フューチュリティステークスとNHKマイルカップの優勝馬グランプリボスなど、短距離からマイル路線の活躍馬を輩出した。2010年には内国産種牡馬として史上3頭目となる産駒JRA通算1000勝を達成している。
競走馬の血統
競走馬の血統(きょうそうばのけっとう)においては、競走馬の血統に関する記述を行う。 「競馬はブラッドスポーツである」という言葉があるように、競走馬の血統と能力は密接な関連を有していると考えられてきた。近年の研究によれば、競走馬のレースタイムに及ぼす両親からの遺伝の影響(遺伝率)は10-20%程度に過ぎず、残りは妊娠中の母体内の影響や生後の子馬を取り巻く環境によるとされるが、それでもなお競走馬の能力に血統が一定の大きな割合で寄与している事実がある。 生産者が血統を意識して交配を行い、馬主が血統を意識して競走馬を購入することはもちろん、一般の競馬ファンが予想を行う際にも、しばしば競走馬の血統をその要因に含める。従来、競走馬の血統という際には父側に大きなウエイトをかけて語られることが多かったが、アメリカやイギリスの研究によれば、競走馬の遺伝的な素質は母馬から55〜60%を、父馬から40〜45%を受け継ぐと報告されている及川正明.
見る 4号族と競走馬の血統
牝馬
牝馬(ひんば)とは、メスの馬の事である。オスの馬のことは牡馬(ぼば)という。
見る 4号族と牝馬
日本
日本国(にほんこく、にっぽんこく、Japan)、または日本(にほん、にっぽん)は、東アジアに位置する民主制国家。首都は東京都。 全長3500キロメートル以上にわたる国土は、主に日本列島北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々。および南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などの弧状列島により構成される。大部分が温帯に属するが、北部や島嶼部では亜寒帯や熱帯の地域がある。地形は起伏に富み、火山地・丘陵を含む山地の面積は国土の約75%を占め、人口は沿岸の平野部に集中している。国内には行政区分として47の都道府県があり、日本人(大和民族・琉球民族・アイヌ民族現代、アイヌにルーツをもつ日本国民のうち、アイヌ語を話す能力もしくはアイヌとしてのアイデンティティーを持っている者は少数である一方、近年は政策的にアイヌ文化の復興と発展のための活動が推進されている。
見る 4号族と日本
11号族
11号族(11ごうぞく、Family 11)とは、サラブレッドの牝系(母系)のひとつで、セントサイモン、バードキャッチャー、ウォーアドミラル等を輩出した一族である。牝祖はミス・ベティー・ダーシーズ・ペット・メア(Miss Betty D'Arcy's Pet Mare、17世紀末)、あるいはその母セドバリー・ロイヤル・メア(Sedbury Royal Mare)を始祖とすることもある。なお、セドバリー・ロイヤル・メアは13号族のオールド・グレー・ロイヤル(Old Grey Royal)と同一馬であるとの説があり、実際に元々のmtDNAハプロタイプは13号族と同じB2系統である。 代表馬は上記のほかにオーム、アカテナンゴ、レギュラス、ジャイアンツコーズウェイ、ピルサドスキー、サンダーガルチら。日本ではレダ、スターロッチ(とその子孫)、シンボリルドルフ、ミホノブルボン、ジャングルポケット、デュランダル、ファインモーション、フェノーメノ等々。
見る 4号族と11号族
13号族
13号族(13ごうぞく、Family 13)とは、サラブレッドの牝系(母系)一族のひとつである。牝祖はセドバリー・ロイヤル・メア(Sedbury Royal Mare)。 他の牝系との関係としては、4号族、7号族、11号族との関連が指摘されている。また、これを裏付けるものとしてアイルランドのヒルらの研究がある(参考文献参照)。これにより実際にmtDNAの基本ハプロタイプが4号族及び11号族と同じB2系統であることが確かめられた(ただし7号族は2号族と同じD3系統だった)。 代表馬はハイフライヤー、オーランド、ファロスとフェアウェイの兄弟、オペラハウス、サイレントウィットネス、マーチス、シリウスシンボリ、マーベラスクラウン、ビワハヤヒデとナリタブライアンの兄弟等々。 特に牝馬ながら英三冠馬に挑戦したショットオーヴァーからフリゼットなどを通じて拡大している13-c族からは、トウルビヨン(1928)、マートルウッド(1932)、パーソロン(1960)、タイプキャスト(1966)、ミスタープロスペクター(1970)、ダリア(1970)、シアトルスルー(1974)、ダルシャーン(1981)、ファーディナンド(1983)、バーリ(1992)、シンダー(1997)、レイルリンク(2003)、日本でもプリテイキャスト、ラッキールーラ、レッツゴーターキン、サクラチトセオー、シルクプリマドンナ、ヘヴンリーロマンス、オウケンブルースリ、カレンチャン、ジャスティンミラノなどを出している。
見る 4号族と13号族
17世紀
フランスの権勢と威信を示すために王の命で壮麗なヴェルサイユ宮殿が建てられた。画像は宮殿の「鏡の間」。 マルガリータ王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いたディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」。 ルネ・デカルト。「我思う故に我あり」で知られる『方法序説』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。 オランダの黄金時代であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。 チューリップ・バブル。オスマン帝国からもたらされたチューリップはオランダで愛好され、その商取引はいつしか過熱し世界初のバブル経済を生み出した。画像は画家であり園芸家でもあったエマヌエル・スウェールツ『花譜(初版は1612年刊行)』の挿絵。 ヴェストファーレン会議。以後ヨーロッパの国際関係はヴェストファーレン体制と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。画像はヘラルト・テル・ボルフの絵画(アムステルダム国立美術館蔵)で、三十年戦争の終結のために開かれたミュンスターでの会議の様子。 チャールズ1世の三面肖像画」。 ベルニーニの「聖テレジアの法悦」。 第二次ウィーン包囲。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。この敗北に続いてオスマン帝国はハンガリーを喪失し中央ヨーロッパでの優位は揺らぐことになる。画像はウィーン軍事史博物館所蔵の逸名画家による「1683年9月のウィーン市包囲と救援」。 モスクワ総主教ニーコンの改革。この改革で奉神礼や祈祷の多くが変更され、反対した人々は「古儀式派」と呼ばれ弾圧された。画像はワシーリー・スリコフの歴史画「貴族夫人モローゾヴァ(トレチャコフ美術館蔵)」で古儀式派の信仰を守り致命者(殉教者)となる貴族夫人を描いている。 スチェパン・ラージン。ロシアではロマノフ朝の成立とともに農民に対する統制が強化されたが、それに抵抗したドン・コサックの反乱を率いたのがスチェパン・ラージンである。画像はカスピ海を渡るラージンと一行を描いたワシーリー・スリコフの歴史画。 Sedefkar Mehmed Aghaにより建設された。優美な6本のミナレットと堅牢な大ドームを含め青い壁面で覆われた「世界で最も美しいモスク」と評される。 Sheikh Lotfollah Mosqueの内部。 タージ・マハル。ムガル皇帝シャー・ジャハーンが絶世の美女と称えられた愛妃ムムターズ・マハルを偲んでアーグラに建てた白亜の霊廟。 アユタヤ朝の最盛期。タイでは中国・日本のみならずイギリスやオランダの貿易船も来訪し活況を呈した。画像はナーラーイ王のもとで交渉をするフランス人使節団(ロッブリーのプラ・ナーライ・ラーチャニーウエート宮殿遺跡記念碑)。 順応主義を採用し、中国の古典教養を尊重する漢人士大夫の支持を得た。画像は『幾何原本』に描かれたマテオ・リッチ(利瑪竇)と徐光啓。 ブーヴェの『康熙帝伝』でもその様子は窺える。画像は1699年に描かれた読書する40代の康熙帝の肖像。 紫禁城太和殿。明清交代の戦火で紫禁城の多くが焼亡したが、太和殿は康熙帝の時代に再建がなされ現在もその姿をとどめている。ここで皇帝の即位・大婚・皇后冊立・遠征出征などの儀礼が行われ、皇帝が群臣の祝賀を受ける朝会も行われていた。 台湾の鄭成功。北京失陥後も「反清復明」を唱え、オランダ人を駆逐した台湾を根拠地に独立政権を打ち立てた。その母が日本人だったこともあり近松門左衛門の「国姓爺合戦」などを通じて日本人にも広く知られた。 江戸幕府の成立。徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利して征夷大将軍となり、以後260年余にわたる幕府の基礎を固めた。画像は狩野探幽による「徳川家康像」(大阪城天守閣蔵)。 日光に葬られた。続く三代将軍徳川家光の時代までに豪奢で絢爛な社殿が造営された。画像は「日暮御門」とも通称される東照宮の陽明門。 名古屋徳川美術館蔵)に描かれた女歌舞伎の役者采女。 新興都市江戸。17世紀半ばには江戸は大坂や京都を凌ぐ人口を擁するまでとなった。画像は明暦の大火で焼失するまで威容を誇った江戸城天守閣が描かれた「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)。 海を渡る日本の陶磁器。明清交代で疲弊した中国の陶磁器産業に代わり、オランダ東インド会社を通じて日本から陶磁器が数多く輸出された。画像は1699年に着工されたベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」。 ジョン・コリアによる歴史画「ヘンリー・ハドソンの最後の航海(1881年)」。 海賊の黄金時代。西インド諸島での貿易の高まりはカリブ海周辺に多くの海賊を生み出した。画像はハワード・パイルが描いた「カリブ海のバッカニーア」。 スペイン副王支配のリマ。リマはこの当時スペインの南米支配の拠点であり、カトリック教会によるウルトラバロックとも呼ばれる壮麗な教会建築が並んだ。画像は1656年の大地震で大破したのちに再建されたリマのサン・フランシスコ教会・修道院。 未知の南方大陸を求めて。地理上の空白地帯である「未知の南方大陸(テラ・アウストラリス・インコグニタ)」を探すべく、多くの探検家が挑戦をした。オランダ人タスマンもその一人で、タスマニア島やニュージーランドを訪れた最初のヨーロッパ人となった。画像は地球儀を指さすタスマンとその妻と娘を描いた肖像画。 17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。
見る 4号族と17世紀
2号族
2号族(Family 2)とはサラブレッドの血統、特にファミリーナンバーの概念においてバートン・バルブ・メア(Burton Barb Mare、1660年? - 1685年?)の牝系(母系)子孫の事をいう。ミトコンドリアDNAのハプロタイプは7号族,8号族,16号族,17号族と共にD3系統に属している。より大きく見れば3号族,6号族,14号族(いずれもD2),12号族(D1)と同様、サラブレッドの過半数を占めるD系統に含まれる。D系統はアラブなどの東方種には少なく、イギリス在来馬などのヨーロッパ馬に比較的多く見られるハプロタイプである。 ファミリーナンバーの概念が提唱された19世紀末、いずれもイギリスのクラシック競走であるダービーステークス、オークス、セントレジャーステークスの勝ち馬頭数が2番目に多かったため2号族とされた。なお、当時のジェネラルスタッドブック(1901年発行の第19巻)に記載されている頭数自体は1号族よりも頭数が多く最多の牝系であった。
見る 4号族と2号族

