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藤原仲麻呂の乱

索引 藤原仲麻呂の乱

藤原仲麻呂の乱(ふじわらのなかまろのらん)は、奈良時代に起きた叛乱。恵美押勝の乱(えみのおしかつのらん)ともいう。孝謙太上天皇・道鏡と対立した太師(太政大臣)藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)が軍事力をもって政権を奪取しようとして失敗した事件である。.

128 関係: 右大臣参議吉備真備坂上石楯坂上苅田麻呂塩焼王多禰国大原今城大宰府大納言大舎人寮大津大浦天平宝字天平勝宝天応 (日本)天皇太師太政大臣太政官符外記奈良時代孝謙天皇宝亀守部王宇治市宇治谷孟少納言山城国山口王山村王岸俊男中務省中納言中臣宅守丹後国三原王三位平城京仲石伴延暦廃帝伊豆国弁官弾正尹位階佐伯伊多智佐伯毛人御璽従三位従五位...従四位忌部鳥麻呂土佐国北山茂夫北陸道僧綱和気王備前国品位 (位階)入間広成兵衛府兵部省光明皇后固関国府国璽皇族琵琶湖神祇官笠王粟田人成粟田諸姉紫微中台紀牛養紀船守瀬田の唐橋隠岐国道嶋嶋足道祖王道鏡衛門府親王角田文衞駅鈴高丘比良麻呂越前国近衛兵近江国船王藤原南家藤原小湯麻呂藤原巨勢麻呂藤原仲麻呂藤原刷雄藤原真従藤原真先藤原訓儒麻呂藤原辛加知藤原薩雄藤原蔵下麻呂藤原朝狩重祚臣籍降下長津王陰陽師授刀衛松尾光村国島主正一位正六位正四位池田王淡路国淳仁天皇木本好信流罪新田部親王日下部子麻呂愛発関757年758年760年762年763年764年775年781年783年 インデックスを展開 (78 もっと) »

右大臣

右大臣(うだいじん)は、朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「右府」「右丞相」「右相国」「右僕射」「太保」。和訓は「みぎのおおいもうちぎみ/みぎのおとど」。定員1名。官位相当は、正・従二位。太政大臣と左・右大臣(後に左・右大臣と内大臣)とを総称して、三公・三槐と呼ぶ。 左大臣とともに太政官の事実上の長官だが、左大臣がある場合は議政官の首座は左大臣であり、左大臣が置かれていない場合や差し支えて出仕しない場合に右大臣が朝議を主催した。また、左大臣が関白であった時にも右大臣が政務を司った。1885年(明治18年)内閣制度の発足に伴い廃止。.

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参議

参議(さんぎ)は、日本の朝廷組織の最高機関である太政官の官職の一つである。四等官の中の次官(すけ)に相当する令外官で、納言に次ぐ。唐名(漢風名称)は宰相・相公・平章事・諫議大夫。和訓はおほまつりことひと。 宮中の政(朝政)に参議するという意味で、朝政の議政官に位置する。.

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吉備真備

吉備 真備(きび の まきび)は、日本の奈良時代の学者・公卿。元の名は下道 真備(しもつみち の まきび)。氏姓は下道朝臣のち吉備朝臣。右衛士少尉・下道圀勝の子。官位は正二位・右大臣。勲等は勲二等。.

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坂上石楯

坂上 石楯(さかのうえ の いわたて、生没年不詳)は、日本の奈良時代の貴族。氏姓ははじめ石村(いわれ)村主、のち坂上忌寸。鎮守府軍曹・石村高足の子とする系図がある。官位は従五位下・中衛将監。勲等は勲四等。.

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坂上苅田麻呂

坂上 苅田麻呂(さかのうえ の かりたまろ、神亀4年(727年)- 延暦5年1月7日(786年2月14日))は、奈良時代の公卿・武人。姓は忌寸のち大忌寸、大宿禰。大和守・坂上犬養の子。官位は従三位・左京大夫。勲等は勲二等。.

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塩焼王

塩焼王(しおやきおう)は、日本の奈良時代の皇族。のち臣籍降下し氷上 塩焼(ひがみ の しおやき)と称した。天武天皇の孫で、一品・新田部親王の子。.

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多禰国

多禰国の位置(702年) 多禰国(たねのくに)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。西海道に位置する。領域は現在の鹿児島県大隅諸島(種子島・屋久島)にあたる。 702年から824年まで122年間存続した。.

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大原今城

大原 今城(おおはら の いまき、生没年不詳)は、奈良時代の皇族・貴族。名は今木とも記される。初め今城王を名乗るが、臣籍降下して大原真人姓となる。敏達天皇の後裔。衛門督・大原高安の子とする系図がある鈴木真年『百家系図』巻55,大原真人。官位は従五位上・駿河守。.

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大宰府

大宰府(だざいふ)は、7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関。和名は「おほ みこともち の つかさ」とされる。多くの史書では太宰府とも記され、おもに8世紀の大和朝廷内部で作られた史書で「大宰府」と記されている。.

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大納言

大納言(だいなごん)は、太政官に置かれた官職のひとつ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。訓読みは「おほいものまうすのつかさ」。唐名は亜相または亜槐。丞相・槐門(いずれも大臣のこと)に次ぐ者であることからいう。官位相当は三品・四品または正三位。.

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大舎人寮

大舎人寮(おおとねりりょう)は律令制において中務省に属する機関の一つである。律令制初期においては左右の大舎人寮が設定されていたが、大同3年(808年)に左大舎人寮と右大舎人寮が統合されて、大舎人寮となった。.

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大津大浦

大津 大浦(おおつ の おおうら、生年不詳 - 宝亀6年5月17日(775年6月19日))は、奈良時代の陰陽家。姓は連次いで宿禰、のち連。官位は従四位上・陰陽頭。.

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天平宝字

天平宝字(てんぴょうほうじ、正字体:天平寶字)は、日本の元号の一つ。天平勝宝の後、天平神護の前。757年から765年までの期間を指す。この時代の天皇は孝謙天皇、淳仁天皇、称徳天皇(孝謙天皇重祚)。.

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天平勝宝

天平勝宝(てんぴょうしょうほう、正字体:天平勝寶)は、日本の元号の一つ。天平感宝の後、天平宝字の前。749年から757年までの期間を指す。この時代の天皇は孝謙天皇。 天平勝宝7年1月4日、勅命により「年」が「歳」に改められた。このため以後は、天平勝宝七歳・天平勝宝八歳・天平勝宝九歳と表記されたが、天平宝字へ改元した際に「歳」を「年」へ復している。.

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天応 (日本)

天応(てんおう、正字体:天應)は、日本の元号の一つ。宝亀の後、延暦の前。西暦の781年から782年に相当する。この時代の天皇は光仁天皇、桓武天皇。.

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天皇

天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.

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太師

太師(たいし)は中国古代より使われた官職名。天子の師。 『漢書』百官公卿表上によれば周においては太師、太傅、太保が三公と呼ばれ、天子を助け導き国政に参与する職であったとされる。 漢においては前漢の平帝代の元始元年(1年)、幼くして王莽らに擁立されて即位した平帝の補佐と教育のため太師、太傅、太保が置かれた。金印紫綬で、地位は大司馬、大司徒、大司空の三公より高く、太師は太師、太傅、太保の中で最も高位であった。太師、太傅、太保および少傅の四官を四輔と呼んだ。 後漢においては太師は置かれなかったが、後漢末の献帝代初平2年(191年)に董卓が太師となった。地位は諸侯王より上位とされた(『後漢書』董卓伝)。 晋において再度太師、太傅、太保を置いたが、「師」が景帝司馬師の諱であることから避けて太師を太宰と称した。北魏では太師、太傅、太保を三師と呼んでいる。 それ以降の王朝でも清に至るまで太師、太傅、太保が置かれたが、総じてふさわしい者が居なければ空位とする名誉職であった。明の例では、生前に太師となったのは洪武帝の建国の元勲で77歳まで生きた李善長が左丞相を退任した後になったぐらいで、宣徳・正統年間の「三楊」(楊栄・楊士奇・楊溥)や万暦年間の張居正のような宰相級の功臣で病死した者でも没後に太師を追贈されるにとどまっている。 なお、周代、上記の天子の師以外に楽官にも「太師」の名が見える。.

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太政大臣

太政大臣(だいじょうだいじん/だじょうだいじん)は、太政官の長官。前近代日本の律令官制と明治時代の太政官制における朝廷の最高職。唐名は「(大)相国」「太師」。和訓は「おおまつりごとのおおまえつぎみ/おおきおとど」。定員1名。具体的な職掌のない名誉職で、適任者がなければ設置しない則闕(そっけつ)の官とされた。.

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太政官符

太政官符(だいじょうかんぷ.

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外記

外記(げき)は律令制において朝廷組織の最高機関・太政官に属した職の一つである。四等官の中の主典(さかん)に相当する。唐名は外史・門下起居郎・門下令史。和訓は「とのおおいしるすつかさ」。.

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奈良時代

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.

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孝謙天皇

孝謙天皇(こうけんてんのう)、重祚して称徳天皇(しょうとくてんのう;稱德天皇、養老2年(718年) - 神護景雲4年8月4日(770年8月28日))は、日本の第46代・第48代天皇。 在位期間は、孝謙天皇として天平勝宝元年7月2日(749年8月19日) - 天平宝字2年8月1日(758年9月7日)、称徳天皇として天平宝字8年10月9日(764年11月6日) - 神護景雲4年8月4日(770年8月28日)。 父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后となった光明皇后(光明子)。即位前の名は「阿倍内親王」。生前に「宝字称徳孝謙皇帝」の尊号が贈られている。『続日本紀』では終始「高野天皇」と呼ばれており、ほかに「高野姫天皇」「倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)」とも称された。 史上6人目の女帝で、天武系からの最後の天皇である。この称徳天皇以降は、江戸時代初期に即位した第109代明正天皇(在位:1629年 - 1643年)に至るまで、850余年、女帝が立てられることはなかった。.

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宝亀

宝亀(ほうき、正字体:寶龜)は、日本の元号の一つ。神護景雲の後、天応の前。770年から781年までの期間を指す。この時代の天皇は光仁天皇。.

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守部王

守部王(もりべおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。知太政官事・舎人親王の子。位階は従四位上。.

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宇治市

朝日山から宇治市市街地 宇治市(うじし)は、日本の近畿地方中部、京都府の南端近くに所在する市。京都盆地の東南部に位置し、京都市や大津市と隣接する。京都市に次いで京都府内第2位の人口を擁する都市である。 ユネスコ世界遺産ともなっている平等院、宇治上神社等の文化財や宇治茶等の特産品で知られる。西側に非常に大きな巨椋池があったが、豊臣秀吉により干拓地となり、現在は農地と住宅街になっている。京都市への通勤率は29.1%(平成22年国勢調査)。.

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宇治谷孟

宇治谷 孟(うじたに つとむ、1918年 - 1992年11月5日)は、日本の歴史学者、国文学者。はじめて『日本書紀』の現代語訳を行ったほか、『続日本紀』の現代語訳も担当した。.

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少納言

少納言(しょうなごん/すないものもうし)は、日本の朝廷の最高機関である太政官の職の一つ。.

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山城国

山城国(やましろのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.

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山口王

山口王(やまぐちのおおきみ/やまぐちおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。一時臣籍降下し三長 山口(みなが の やまぐち)と称した。中務卿・三原王の子。官位は従五位上・大監物。.

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山村王

山村王(やまむらおう、養老6年(722年) - 神護景雲元年11月17日(767年12月16日))は、奈良時代の公卿。用明天皇の皇子・来目皇子の子孫『続日本紀』神護景雲元年11月17日条(一説では玄孫とし、筒城王の子とする鈴木真年『百家系図稿』巻9,登美真人。官位は従三位・参議。.

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岸俊男

岸 俊男(きし としお、1920年9月15日 - 1987年1月21日)は、日本史学者、京都大学名誉教授、古代史専攻。.

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中務省

中務省(なかつかさしょう)は、律令制における八省のひとつ。和名はナカノマツリゴトノツカサ。唐名は中書省など。「中」は禁中の意。.

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中納言

中納言(ちゅうなごん)は、太政官に置かれた令外官のひとつ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。訓読みは「すけのものまうすつかさ」あるいは「なかのものまうすつかさ」。.

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中臣宅守

中臣 宅守(なかとみ の やかもり、生没年不詳)は、奈良時代の貴族・歌人。刑部卿・中臣東人の子。官位は従五位下・神祇大副「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)。.

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丹後国

丹後国(たんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.

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三原王

三原王(みはらのおおきみ /みはらおう、生年不詳 - 天平勝宝4年7月10日(752年8月23日))は、奈良時代の皇族。御原王とも記される。知太政官事・舎人親王の子。官位は正三位・中務卿。.

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三位

三位(さんみ、さんい)は、日本の位階及び神階における位の一つである。複数の異なる制度で使われた。律令制および近現代の位階制では、正三位と従三位の総称である。.

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平城京

平城宮跡 平城京(へいじょうきょう/へいぜいきょう)は、奈良時代の日本の首都。唐の都「長安」や北魏洛陽城などを模倣して建造されたとされ、現在の奈良県奈良市及び大和郡山市近辺に位置していた。.

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仲石伴

仲 石伴(なか の いわとも、生年不詳 - 天平宝字8年9月18日(764年10月21日)は、奈良時代の皇族・貴族。当初は石津王を名乗り、のち臣籍降下して藤原朝臣次いで仲真人となった。官位は従四位下・左勇士率。.

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延暦

延暦(えんりゃく、正字体:延曆)は、日本の元号の一つ。昭和、明治、応永、平成に次いで、歴代で5番目に長い元号である。天応の後、大同の前。782年から806年までの期間を指す。この時代の天皇は桓武天皇。 1418年(応永25年)までの600年以上にわたって、最も長い日本の元号であった。その後1892年(明治25年)まで、日本で2番目に長い元号であった。1950年(昭和25年)までは3番目、2013年(平成25年)までは4番目に長い日本の元号であり、2014年(平成26年)以降は歴代で5番目に長い元号となっている。.

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廃帝

廃帝(漢音:はいてい、呉音:はいたい)は、東アジアの王朝において、内部抗争などにより廃位されたため、諡号や廟号を持たない皇帝の呼称。.

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伊豆国

伊豆国(いずのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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弁官

弁官(べんかん、辨官)は、朝廷の最高機関、太政官の職である左大弁(さだいべん)・右大弁(うだいべん)・左中弁(さちゅうべん)・右中弁(うちゅうべん)・左少弁(さしょうべん)・右少弁(うしょうべん)の総称である。唐名(漢風名称)は尚書。通説においては四等官の中の判官(じょう)に相当するが、異説として弁官を含めた弁官局を太政官の別局として捉え、元は本来の四等官の系列には含まない品官であったする説もある。また、『延喜式』においても、季禄・時服・馬料・要劇料などの給与の支給手続やそのために必要な上日の集計・考文の送付などが太政官とは別個に行われ、人事・財政体系における太政官からの独立性が確認できる。 大弁は従四位上、中弁は正五位上相当、少弁は正五位下相当(養老令官位令)。 官庁を指揮監督する役を負っていたため、後には少納言より高位に位置づけられ、参議と大弁を兼任する者もいた。また、蔵人頭と大弁または中弁を兼ねる者もおり、特に頭弁(とうのべん)と称された。 左中弁以上の経験者には参議に昇進する資格があり(右中弁以下にはない)、将来三位以上に昇る道が開かれた出世の登竜門であった。.

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弾正尹

弾正尹(だんじょうのかみあるいはだんじょういん)は、律令制度における弾正台の長官(かみ)である。従三位相当。職務として、非違の糾弾、弾劾を司る。二官八省から独立して監察を行う。太政大臣を除くすべての役人の不正を摘発するのが主な任務である。 平安時代の9世紀初頭に令外官の検非違使が設置された後は、皇族に与えられる名誉職のようになり実権は余りなかった。しかし1879年、太政官制のなかで官庁としての弾正台が復活すると、長官である弾正尹には九条道孝が就任した。.

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位階

位階(いかい)とは、国家の制度に基づく個人の序列の標示である。位(くらい)ともいう。「位階」という語は、基本的には地位、身分の序列、等級といった意味広辞苑 第五版 p.121「位階」である。制度としての「位階」は、元は古代中国の政治行政制度である律令制や、それを継受した国における官僚・官吏の序列の標示(身分制度)である。後には、位階は、長く官職にあった者や特に功績のあった者などに与えられる栄典の一となった。位階を授与することを「位階に叙する」または叙位(じょい)という日本においては平安時代以後、宮中で例年正月5日頃に行われる五位以上の位階を授ける儀式のことも叙位(例の叙位)と言った。。.

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佐伯伊多智

佐伯 伊多智(さえき の いたじ/ いたち、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。名は伊多治、伊太智、伊多知、伊達とも記される。征越後蝦夷将軍・佐伯石湯の子とする系図がある。官位は従四位上・中衛中将。勲等は勲二等。.

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佐伯毛人

佐伯 毛人(さえき の えみし、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は宿禰。官位は従四位上・大宰大弐。.

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御璽

御璽 御璽(ぎょじ)とは、いくつかの国において、皇帝(または天皇)が公式に用いる印章(璽)を指す語。具体的には、.

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従三位

従三位(じゅさんみ)は、位階及び神階における位のひとつ。 正三位の下、正四位(正四位上)の上に位した、律令制下では任参議及び従三位以上の者を公卿といった。贈位の場合、贈従三位とされた。.

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従五位

従五位(じゅごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正五位の下、正六位の上に位する。贈位の場合、贈従五位という。近代以前の日本における位階制度では、従五位下以上の位階を持つ者が貴族とされている。また、華族の嫡男が従五位に叙せられることから、華族の嫡男の異称としても用いられた。.

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従四位

従四位(じゅしい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正四位の下、正五位の上に位する。贈位の場合、贈従四位という。.

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忌部鳥麻呂

忌部 鳥麻呂(いんべ の とりまろ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。名は登理万里とも書く。姓は宿禰。従四位上・忌部子人の孫「織田右大臣信長公ノ系統及履歴」中田憲信『好古類纂』第七集所収。従六位上・忌部狛麻呂の子。官位は従五位上・信部少輔。.

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土佐国

土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.

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北山茂夫

北山 茂夫(きたやま しげお、1909年(明治42年)3月3日 - 1984年(昭和59年)1月30日)は、日本の日本史学者(日本古代史専攻)、立命館大学教授などを歴任する。.

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北陸道

北陸道 北陸道(ほくりくどう、ほくろくどう、くぬがのみち)は、五畿七道の一つ。本州日本海側の中部の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から近世)を指す。.

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僧綱

僧綱(そうごう)とは日本における仏教の僧尼を管理するためにおかれた僧官の職である。.

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和気王

和気王(わけおう、生年不詳 - 天平神護元年(765年))は、奈良時代の皇族。別王とも記され、一時臣籍降下し岡和気とも称した。天武天皇の曾孫。中務卿・三原王の子。官位は従三位・参議。.

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備前国

備前国(びぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.

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品位 (位階)

品位(ほんい)とは、日本の律令制において定められていた親王・内親王の位階のことをいう。奈良時代から江戸時代にかけて存在した。 「品位」は、中国の王朝における分類法(九品)に由来する。中国では位階を一品以下九品までに分類し、これを正位と従位にわけていた。この品位は朝鮮の歴代王朝でも用いられ、特に新羅以降については骨品制という独自の位階制が存在した。 しかし、日本の律令制では、臣下の位は「位」で分類し、これとは別体系の親王・内親王の位階に「品」(ほん)を用いた。品位には一品から四品があり、正位と従位にわけない。品位に叙せられていない親王は「無品」(むぼん、むほん)と称した。なお、諸王は臣下と同じ位階体系において、正一位から従五位までに叙せられた。 品位を授けられた親王は、品位に応じて品田が支給され、品封(封戸)を賜る 。 明治時代以降は親王の品位および諸王の位階は廃止され、皇族には勲等と功級のみが授与されることとなった。.

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入間広成

入間 広成(いるま の ひろなり、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。氏姓は物部直(もののべのあたい)のち入間宿禰。官位は従五位下・造東大寺次官。.

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兵衛府

兵衛府(ひょうえふ)とは、律令制における官司。左兵衛府と右兵衛府の二つが存在する。長は兵衛督 (左兵衛督・右兵衛督)である。左右近衛府、左右衛門府とあわせて「六衛府」と呼ばれる。和訓では「つはもののとねりのつかさ」という。唐名は武衛(ぶえい)。.

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兵部省

兵部省(ひょうぶしょう、つわもののつかさ)はかつて日本にあった軍政(国防)を司る行政機関。.

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光明皇后

光明皇后(こうみょうこうごう、大宝元年(701年) - 天平宝字4年6月7日(760年7月27日))は、奈良時代の聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養橘三千代の女子で、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。諱は安宿媛(あすかべひめ)。通称に光明子(こうみょうし)、藤三娘(とうさんじょう)。 正式な尊号は天平応真仁正皇太后(てんぴょう おうしん にんしょう こうたいごう)。皇族以外から立后する先例を開いた。.

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固関

固関(こげん)とは、律令制において天皇・上皇・皇后の崩御、天皇の譲位、摂関の薨去、謀反などの政変などの非常事態に際して、「三関」と呼ばれた伊勢国の鈴鹿関、美濃国の不破関、越前国の愛発関(後に近江国の逢坂関)を封鎖して通行を禁じること。これに対して封鎖を解除することを開関(かいげん)という。.

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国府

国府(こくふ、こう)は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国の国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市。 国府付近には国庁のほかにも国分寺・国分尼寺、総社(惣社)が設置され、各国における政治的中心都市であるとともに司法・軍事・宗教の中心部であった。なお『和名抄』によると、古くは「国」ではなく「島」とされた壱岐や対馬には「島府」が置かれたとされる(まだ確定はされていない)。 律令制の衰退にともない立地の優位性を失い廃れたり所在不明になった国府もある一方、いくつかの国府所在地は、現在でも静岡市・姫路市・岡山市・大分市など大きな都市として発展している。.

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国璽

国璽(こくじ)とは、国家の表徴として押す璽(印章または印影)である。外交文書など、国家の重要文書に押される。.

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皇族

女王旗)皇室儀制令19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗」。 皇族(こうぞく)は、天皇の親族のうち、男系の嫡出の血族(既婚の女子を除く)およびその配偶者の総称。すなわち、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃および女王の総称であり、天皇は含まれない。天皇を含む場合は「皇室」という。.

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琵琶湖

琵琶湖(びわこ)は、滋賀県にある湖。日本で最大の面積と貯水量を持つ。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。ラムサール条約登録湿地。河川法上は一級水系「淀川水系」に属する一級河川であり、同法上の名称は「一級河川琵琶湖」で、滋賀県が管理している例えば、琵琶湖岸に構築物を無許可で設置すると、河川法に基づいて滋賀県から撤去命令が出される。例:。.

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神祇官

祇官(じんぎかん、かみづかさ、かんづかさ).

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笠王

王(かさおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。一時臣籍降下し三長笠次いで山辺笠を称した。一品・舎人親王の孫。従四位上・守部王の子。官位は正五位上・大膳大夫。.

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粟田人成

粟田 人成(あわた の ひとなり、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。官位は従五位下・中務少輔。.

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粟田諸姉

粟田 諸姉(あわた の もろね、生没年不詳)は、奈良時代の女性。藤原真従の妻で、没後に淳仁天皇の妃となった。位階は従五位下。.

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紫微中台

紫微中台(しびちゅうだい)は、749年に設置された令外官。皇太后の家政機関の体裁だが、実態は光明皇太后の信任を得た藤原仲麻呂指揮下の政治・軍事機関。後に坤宮官に改称。長官は紫微令、後に紫微内相。.

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紀牛養

紀 牛養(き の うしかい、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。名は牛甘とも記される。官位は従五位下・右少弁。.

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紀船守

紀 船守(き の ふなもり、天平3年(731年) - 延暦11年4月2日(792年4月27日))は、奈良時代の公卿。従七位下・紀猿取の子。官位は正三位・大納言、贈正二位・右大臣。.

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瀬田の唐橋

の唐橋(せたのからはし・瀬田唐橋〈せたからはし〉)は、滋賀県大津市瀬田-唐橋町の瀬田川に架かる橋である。全長223.7m(大橋約172m、小橋約52m)で、滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡る。 京都の宇治橋、山崎橋とならんで日本三大橋(日本三名橋・日本三古橋田中俊明「瀬田の唐橋」、『大学的滋賀ガイド』 (2011) 104-106頁)の1つとされてきた。また、近江八景の1つ「瀬田の夕照(勢田夕照)」として知られる。1986年(昭和61年)8月10日の道の日には、旧・建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」にも選ばれている。.

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隠岐国

岐国(おきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.

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道嶋嶋足

道嶋 嶋足(みちしま の しまたり、生年不詳 - 延暦2年1月8日(783年2月13日))は、奈良時代の武人・貴族。氏姓は始め丸子(無姓)のち牡鹿連、牡鹿宿禰、道嶋宿禰。官位は正四位上・近衛中将。勲等は勲二等。 陸奥在地の豪族の中で唯一中央官僚として立身した。.

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道祖王

道祖王(ふなどおう、生年不詳 - 天平勝宝9歳7月4日(757年7月24日))は、奈良時代の皇族。天武天皇の孫で、一品・新田部親王の子。.

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道鏡

道鏡(どうきょう、文武天皇4年(700年)? - 宝亀3年4月7日(772年5月13日))は、奈良時代の僧侶。俗姓は弓削氏(弓削連)で、弓削櫛麻呂の子とする系図がある。俗姓から、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)とも呼ばれる。.

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衛門府

衛門府(えもんふ)とは、律令制における官司。当初は1つであったが、大同3年(808年)に(左右)衛士府と統合されて一旦廃止され、弘仁3年(811年)に左右衛士府の改称に伴って復置された際、左衛門府と右衛門府の2つが置かれた。和訓にて「ゆげひのつかさ」と呼び、「靫負」という漢字をあてる場合がある。「ゆげひ」とは「ゆぎおひ(靫負ひ)」の転訛で「靫」とは弓を入れる容器のこと。「ゆげひ」がさらに訛って「ゆぎえ」とも称される。唐名は金吾。監門。監府。長は衛門督 (後に左衛門督・右衛門督)である。「柏木」は王朝和歌における衛門府、衛門督の雅称である。 ※当初、(左右)衛士府、(左右)兵衛府とあわせて「五衛府」と呼ばれ、復置後は(左右)近衛府、(左右)兵衛府とあわせて「六衛府」と呼ばれる。ここでは便宜上、衛士府統合以前を「前期」、衛士府の改称による復置以後を「後期」と表記する。.

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親王

親王(しんのう)は、東アジアにおいて、嫡出の皇子や最高位の皇族男子に与えられる称号。もともと中国諸王朝(晋以後)において用いられ、日本や、朝鮮(大韓帝国期)、ベトナムにおいても採用された。 これらに倣って、非漢字圏の君主の親族男子を親王と呼ぶことや、プリンスの訳語として用いることもままある。.

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角田文衞

角田 文衞(つのだ ぶんえい、1913年4月9日 - 2008年5月14日)は、日本の歴史学者(古代学専攻)。文学博士。従四位勲三等。研究分野は文献史学と考古学の両分野で、その論考には日本・東アジア・ヨーロッパ・北アフリカ(地中海世界)にまたがる幅広いものがあった。.

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駅鈴

寺内 http://www.hyogo-c.ed.jp/~museum-ac/081-120/109.html 和田山郷土歴史館) 駅鈴、驛鈴(えきれい)は、日本の古代律令時代に、官吏の公務出張の際に、朝廷より支給された鈴である。 646年(大化2年)1月1日、孝徳天皇によって発せられた改新の詔による、駅馬・伝馬の制度の設置に伴って造られたと考えられており、官吏は駅において、この鈴を鳴らして駅子(人足)と駅馬または駅舟を徴発させた。駅では、官吏1人に対して駅馬1疋を給し駅子2人を従わせ、うち1人が駅鈴を持って馬を引き、もう1人は、官吏と駅馬の警護をした。 現在残っている実物は、国の重要文化財に指定されている隠岐国駅鈴2口(幅約5.5 cm、奥行約5.0 cm、高さ約6.5 cm)のみである。この駅鈴は島根県隠岐の島町の玉若酢命神社に隣接する億岐家宝物館に保管・展示され、同神社宮司で隠岐国造の末裔である億岐家によって管理されている。ただし、隠岐国駅鈴の真贋はいまだ諸説あって、はっきりしていない。 1976年(昭和51年)1月25日発売の20円はがきの料額印面の意匠になった。.

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高丘比良麻呂

丘 比良麻呂(たかおか の ひらまろ、生年不詳 - 神護景雲2年6月28日(768年7月16日))は、奈良時代の貴族。名は枚麻呂、比枝麻呂とも記される。大学頭・高丘河内の子。.

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越前国

越前国(えちぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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近衛兵

近衛兵(このえへい)とは、君主を警衛する君主直属の軍人または軍団をいう。近衛府・御親兵・親衛隊・近衛師団・禁衛府・衛兵など、時代や国によってさまざまな名称がある。 君主制が廃止された国でも、歴史的経緯などから近衛兵や親衛隊などの名称が存続した例がある。ただし日本語では、「近衛」とは主に世襲の元首を警衛するものを指し、世襲ではない元首を警衛するものには通常この語を充てない。 法治国家が発展した現代では軍と警察の職務分離が進んでおり、平時の警護は警察などの法執行機関や国家憲兵が担当し、軍は儀仗や海外訪問や緊急時の警護を担当する国が多い。 本記事では、君主を警衛する近衛兵のほかにも、そこから派生した制度などについても紹介する。また過去においては兵権と警察権の区別が必ずしも明確でないことから、軍に属する兵卒以外についての記述も含まれる。.

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近江国

近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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船王

船王(ふねのおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。知太政官事・舎人親王の子。官位は二品・信部卿。.

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藤原南家

藤原南家(ふじわら なんけ)とは、奈良時代の藤原不比等の長男である藤原武智麻呂に始まる藤原氏の一流。「南家」の称は、武智麻呂の邸宅が弟房前の邸宅に対し南に位置したことに由来する。子孫は、房前を祖とする藤原北家に押されて振るわなかったが、為憲流藤原南家の伊東氏・二階堂氏・相良氏など武家(軍事貴族)の名族を多く輩出した。.

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藤原小湯麻呂

藤原 小湯麻呂(ふじわら の おゆまろ)は、奈良時代の貴族。名は小弓麻呂、湯麻呂とも記される。藤原南家、太師・藤原仲麻呂の子。官位は従五位上・丹波介。.

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藤原巨勢麻呂

藤原 巨勢麻呂(ふじわら の こせまろ)は、奈良時代の貴族。名は許勢麻呂とも表記される。藤原南家、左大臣・藤原武智麻呂の四男。官位は従三位・参議。.

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藤原仲麻呂

藤原 仲麻呂(ふじわら の なかまろ)は、奈良時代の公卿。名は仲麿『尊卑分脈』『公卿補任』または仲丸とも記される。淳仁朝以降は改姓・改名し藤原恵美押勝(ふじわらえみ の おしかつ)。左大臣藤原武智麻呂の次男。官位は正一位太師。恵美大臣とも呼ばれた。.

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藤原刷雄

藤原 刷雄(ふじわら の よしお)は、奈良時代の貴族。藤原南家、太師・藤原仲麻呂(恵美押勝)の六男。官位は正五位下・図書頭。.

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藤原真従

藤原 真従(ふじわら の まより)は、奈良時代の貴族。藤原南家、藤原仲麻呂の長男。官位は従五位下・中務少輔。.

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藤原真先

藤原 真先(ふじわら の まさき )は、奈良時代の公卿。名は真光とも記される。初名は執弓。氏姓は藤原朝臣のち藤原恵美朝臣。藤原南家、太師・藤原仲麻呂の次男。官位は正四位上・参議。.

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藤原訓儒麻呂

藤原 訓儒麻呂(ふじわら の くすまろ) は、奈良時代の貴族。名は久須麻呂とも記される。初名は浄弁。氏姓は藤原朝臣のち藤原恵美朝臣。藤原南家、太師・藤原仲麻呂の三男。官位は従四位下・参議。.

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藤原辛加知

藤原 辛加知(ふじわら の しかち)は、奈良時代の貴族。氏姓は藤原朝臣のち藤原恵美朝臣。藤原南家、藤原仲麻呂の八男。母は陽候女王(新田部親王の娘)。官位は従五位下・越前守。.

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藤原薩雄

藤原 薩雄(ふじわら の ひろお) は、奈良時代の貴族。藤原南家、太師・藤原仲麻呂の七男。官位は従五位下・右虎賁率。.

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藤原蔵下麻呂

藤原 蔵下麻呂(ふじわら の くらじまろ)は、奈良時代の公卿。藤原式家の祖である、参議・藤原宇合の九男。官位は従三位・参議。.

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藤原朝狩

藤原 朝狩(ふじわら の あさかり)は、奈良時代の公卿。名は朝猟、朝獦とも記される。氏姓は藤原朝臣のち藤原恵美朝臣。藤原南家、大師・藤原仲麻呂の四男。母は新田部親王の娘・陽候女王(一説では藤原宇比良古)。官位は従四位下・参議。.

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重祚

重祚(ちょうそ)は、一度退位した君主が再び即位することである。一般に中華文明圏の君主について用いられる。.

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臣籍降下

臣籍降下(しんせきこうか)は、皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りることをいう。賜姓降下(しせいこうか)とも言い、そのような皇族を俗に賜姓皇族という。皇族女子が臣下に嫁すことで皇族でなくなる場合は臣籍降嫁(しんせきこうか)とも言った。また日本国憲法施行後は皇籍離脱(こうせきりだつ)の語が用いられる。.

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長津王

長津王(ながつのおおきみ/ながつおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。一時臣籍降下し三長真人姓を称した。中務卿・三原王の子。官位は従五位下・図書頭。.

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陰陽師

江戸時代初期の奈良絵本『たまものまへ』より、算木で占いを行う陰陽師の画。京都大学附属図書館所蔵。 陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指すが、それら官人が後には本来の律令規定を超えて占術など方術や、祭祀を司るようになったために陰陽寮に属する者全てを指すようになり、更には中世以降の民間において個人的に占術等を行う非官人の者をも指すようになり、声聞師と重ねられることもあって「声聞師」と呼ばれる場合もあった。中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者を称し、中には神職の一種のように見られる者も存在する。 なお、本来は「おんようじ」と訓んだが現代は専ら「おんみょうじ」と訓まれ、これは「おんようじ」が連声化して「おんみょうじ」となった(「陰」は中国語中古音で「*ʔi̯əm」、中世日本語音で「*wom」なので、連声化するとま行の音になる)ものとされ、また「おんみょうじ」と先頭を強調する発音が定着しているが、かつては「おんみやうぢ」と2音目に揚音があったと言われている。.

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授刀衛

授刀衛(じゅとうえい)とは、五衛府を補完する目的で授刀舎人寮を改編して天平宝字3年(759年)に設置された令外官。天平宝字8年(764年)に起こった藤原仲麻呂の乱の際には孝謙上皇側の主戦力として大きな役割を果たした後、天平神護元年(765年)に近衛府となり、その後大同2年(807年)には左近衛府となった。.

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松尾光

松尾 光(まつお ひかる、1948年- )は、日本の歴史学者。日本古代史。黛弘道に師事。父は国文学者の松尾聰。.

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村国島主

村国 島主(むらくに の しまぬし、生年不詳 - 天平宝字8年9月20日(764年10月19日)))は、奈良時代の官人。贈外小紫・村国男依の孫。官位は正六位上・美濃少掾、贈従五位下。.

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正一位

正一位(しょういちい)は、位階及び神階のひとつ。諸王及び人臣における位階・神社における神階の最高位に位し、従一位の上にあたる。.

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正六位

正六位(しょうろくい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。従五位の下、従六位の上に位する。勲等では勲五等に、功級では功五級に相当。 律令制下において六位は下国の国司及び国府の次官である介が叙せられる位であった。地下人の位階とされ、五位以上の貴族(通貴)とは一線を画する位階であり昇殿は許されなかった。但し、蔵人の場合、その職務上、六位であっても昇殿が許され、五位以上の者と六位蔵人の者を合わせて殿上人と称した。神階においては、正六位が最下位となる。 明治時代以降は、少佐の階級にある者などがこの位に叙せられた。また、今日では警察官では警視正、消防吏員では消防監などがこの位に叙せられる他、市町村議会議長にあった者、特別施設や学校創立者その他、業種等で功労ある者などが没後に叙せられる。.

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正四位

正四位(しょうしい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。 従三位の下、従四位の上に位する。贈位の場合、贈正四位という。.

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池田王

池田王(いけだおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。天武天皇の孫。知太政官事・舎人親王の四男。官位は三品・糾政尹。.

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淡路国

淡路国(あわじのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.

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淳仁天皇

淳仁天皇(じゅんにんてんのう、天平5年(733年) - 天平神護元年10月23日(765年11月10日))は、日本の第47代天皇(在位:天平宝字2年8月1日(758年9月7日) - 天平宝字8年10月9日(764年11月6日))。諡号は明治時代になってから付けられたもので、古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいたい)と呼ばれる。諱は大炊(おおい)であり、践祚前は大炊王(おおいおう)と称された。.

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木本好信

木本 好信(きもと よしのぶ、1950年12月8日- )は、日本の歴史研究者、甲子園短期大学特任教授、龍谷大学特任教授。奈良時代政治史、平安朝日記が専門。.

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流罪

ダンテ』 流罪(るざい)とは刑罰の一つで、罪人を辺境や島に送る追放刑である。流刑(るけい、りゅうけい)、配流(はいる)とも言う。特に流刑地が島の場合には島流し(しまながし)とも呼ばれる事もある。 歴史的には、本土での投獄より、遠いところに取り残された方が自分一人の力だけで生きていかなければならなくなり、苦痛がより重い刑罰とされていた。ほか、文化人や戦争・政争に敗れた貴人に対して、死刑にすると反発が大きいと予想されたり、助命を嘆願されたりした場合に用いられた。配流の途中や目的地で独り生涯を終えた流刑者は多いが、子孫を残したり、赦免されたりした例もある。脱走を企てた流刑者や、源頼朝、後醍醐天皇、ナポレオン・ボナパルトのように流刑地から再起を遂げた(一時的な成功も含めて)政治家・武人もいた。 日本では離島への文化伝播に大きな役割を果たしたほか、海外ではシベリアやオーストラリアといった植民地に労働力を送り込む強制移民としても機能した。.

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新田部親王

新田部親王(にいたべしんのう)は、日本の飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。新田部皇子(にいたべのみこ)とも呼ばれる。天武天皇の皇子。.

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日下部子麻呂

日下部 子麻呂(くさかべ の こまろ、生年不詳 - 宝亀4年5月17日(773年6月11日))は、奈良時代の貴族。名は古麻呂とも記される。姓は宿禰。官位は従四位上・内豎員外大輔。.

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愛発関

愛発関(あらちのせき)とは、北陸道に置かれ、越前国にあったとされる関所。東海道の伊勢国鈴鹿関と東山道の美濃国不破関とともに古代三関(さんげん)の1つであった。奈良時代から平安時代初期の一時期のみ存在し、のちに逢坂関にとってかわられた。その詳細な所在地は明らかになっていない。.

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757年

記載なし。

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758年

記載なし。

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760年

記載なし。

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762年

記載なし。

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763年

記載なし。

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764年

記載なし。

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775年

記載なし。

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781年

記載なし。

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783年

記載なし。

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恵美押勝の乱

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