540 関係: 加納宿、加賀国、加賀藩、力武常次、埴科郡、原宿 (東海道)、垂井宿、千葉県、南伊勢町、南伊豆町、南紀白浜温泉、南海地震、南海トラフ、南海トラフ巨大地震、南海道、古文書、参勤交代、名古屋、名古屋城、同朋舎、吉原宿、吉田宿、吉野、坂下宿、坂本宿、堺、塩名田宿、塩尻宿、境港、多喜浜塩田、大垣藩、大宮宿、大井宿、大和五条藩、大磯宿、大紀町、大聖寺藩、大阪、大野藩、大森房吉、大河津分水、大津宿、大洲藩、大湊 (伊勢市)、大湫宿、大月、大手門、太田宿 (中山道)、奈良、奈良井宿、...、妻籠宿、姫路藩、宍喰川、宝永、宝永大噴火、宝永山、宝永地震、室戸岬、宮宿、宮ノ越宿、宮津藩、宿毛市、守山宿、宇佐美龍夫、宇和島藩、宇津徳治、安中宿、安政、安政の大地震、安政南海地震、安政地震、安政江戸地震、富士山、富士川、寛永通宝、小判、小笠原諸島、小笠原村、小田原宿、小田原地震、小田井宿、小諸藩、小郡、小松、小松藩、小浜藩、尺、尼崎藩、尾張国、尾張藩、尾道、尾鷲市、山中温泉、山陰道、山陽道、岡山藩、岡崎宿、岡部宿、岩国藩、岩村田宿、岩村藩、岩槻藩、岩波新書、岩波書店、岸和田藩、島崎邦彦、島田宿、川崎宿、巨大地震、己巳、上尾宿、上石津郡、上田藩、上松宿、両、中央防災会議、中山道、中州、中公新書、中国地方、中村一明、中村藩、中津川宿、中津藩、串本、串本町、丸岡藩、丸亀藩、丸善雄松堂、丹波亀山藩、丈、世界大百科事典、三島宿、三留野宿、三重県、三条藩、三河地震、下妻藩、下仁田町、下総国、下田、下田市、下諏訪宿、九十九里浜、九州、干潟、平塚宿、平凡社、久留米藩、京都、京都大学、二川宿、府中宿、府内藩、二見浦、二木島町、広島藩、庄野宿、亀山宿、今須宿、今村明恒、今治藩、伊予松山藩、伊勢崎藩、伊勢市、伊勢国、伊勢湾、伊豆半島、伊豆・小笠原海溝、伊豆国、伊賀上野、伊賀上野地震、伊那谷、会津藩、伏見宿 (中山道)、弘化、佐原市、佐伯藩、佐賀藩、佐藤良輔、彦根藩、余震、御嶽宿、御前崎、御油宿、徳島市立図書館、徳島県、徳島藩、信濃国、信濃飯田藩、志摩半島、志摩市、志摩町和具、土山宿、土佐市、土佐国、土佐藩、土佐湾、土肥金山、地震、地震空白域、地殻変動、北原糸子、北信、北陸道、北海道駒ヶ岳、園部藩、マグニチュード、チリ地震 (1960年)、メートル、ユーラシアプレート、ロシア、プレートテクトニクス、ディアナ号、フィリピン海プレート、フィート、別府温泉、嘉永、善光寺、善光寺地震、善通寺、呉、和田宿、インターネットアーカイブ、センチメートル、タウンゼント・ハリス、サンフランシスコ、備後福山藩、品川宿、出石藩、八幡宿、八王子、共立出版、前震、勝浦藩、固有地震、国崎町、国立天文台、国道1号、四天王寺、四国、四日市宿、倉賀野宿、倉敷地域、矢田俊文 (歴史学者)、石 (単位)、石部宿、石薬師宿、石橋克彦、災害記念碑、理科年表、磐田市、神奈川宿、神奈川県、神戸港、福島宿 (中山道)、福井藩、程ヶ谷宿、答志島、箱根宿、築地書館、米、米沢藩、粥、細久手宿、紀州藩、紀伊国、紀伊田辺藩、紀伊水道、紀伊新宮藩、紀北町、網代 (熱海市)、緯度、美江寺宿、羽鳥徳太郎、習志野、真岡藩、父島、経度、生野銀山、田、田原藩、田子の浦、由比宿、甲寅、甲州市、甲府、甲府盆地、甲西町 (山梨県)、甲斐国、町 (単位)、熊谷宿、熊野市、熊野灘、熊本藩、熱海市、燗酒、番場宿、畿内、牧之原市、相良藩、白須賀宿、白鳥神社 (郡上市)、白河藩、銚子、銚子市、芦田宿、鞠子宿、遠州灘、遠江国、草加宿、草津宿、菊川市、菰野藩、落合宿、静岡市、静岡県、頸城郡、須原宿、須崎市、衝上断層、袋井宿、袋井市、飯山藩、飯田汲事、飛騨地震、飛越地震、館林藩、西尾藩、西海道、馬籠宿、見附宿、駿府、駿府城、駿河トラフ、駿河国、駿河湾、験潮場、誘発地震、諏訪藩、高宮宿、高山陣屋、高岡、高崎宿、高崎藩、高遠藩、高松藩、高札、鯖江藩、鰍沢、豊予海峡、豊予海峡地震、豊後国、貫、鳥取藩、鳥居、鳥居本宿、鳥羽、鳥羽市、鳥羽藩、鳴海宿、鴨川市、鴻巣宿、贄川宿、越後国、越前国、鸚鵡籠中記、鹿島出版会、軽井沢宿、黒船来航、黒潮町、龍野藩、辰、追分宿、近畿地方、近江八幡市、近江国、震央、震度7、震源、郡山藩、都司嘉宣、舞阪宿、船橋市、興津、阿蘇山、阿波国、赤坂宿 (中山道)、赤坂宿 (東海道)、赤穂藩、鵜沼宿、関宿、関ヶ原宿、関東地方、薩た峠、間、藤川宿、藤枝宿、藤沢宿、藪原宿、蒲原宿、那智勝浦町、醒井宿、野尻宿、臼杵藩、金刀比羅神社、金谷宿、金森博雄、蕨宿、長州藩、長久保宿、長周期地震動、鉱泉、柏原宿、柏崎、掛川城、掛川宿、東南海地震、東名高速道路、東山道、東京大学地震研究所、東京大学出版会、東京都、東京湾、東北地方、東海地震、東海道、東海道五十三次、東海道本線、松坂藩、松山 (宇陀市)、松井田宿、松代藩、松江藩、松本藩、板鼻宿、板橋宿、杵築藩、桶川宿、桑名宿、桑名市、桑名藩、横須賀市、横須賀藩、横浜、横浜市、樽前山、武家屋敷、武佐宿、武蔵国、歴史地震、水口宿、氷見市、江尻宿、江戸、江戸前、江戸時代、池鯉鮒宿、池新田町、河角廣、河渡宿、沼田藩、沼津、沼津城、沼津宿、沼津藩、沈み込み帯、沓掛宿、津山藩、津市、津藩、津波、津波地震、洗馬宿、液状化現象、淡路洲本藩、深谷宿、渥美湾、清水寺 (大阪市)、清水区、清水港、湯の峰温泉、湯河原町、湖西市、朝倉書店、木曽街道、本坂通、本山宿、本庄宿、有珠山、望月宿、戸塚宿、戸田漁港、房総半島、明応地震、明石藩、明治、昭和南海地震、昭和東南海地震、浦和宿、浦賀、海震、海陽町、浜名湖、浜松宿、浅草、断層、新城藩、新居宿、新居関所、新島、新町宿、新鹿町、新潟焼山、日坂宿、日出藩、日光東照宮、日記、日本標準時、摂津国、改元、愛知川宿、敦賀藩、慶長、慶長地震、手紙、11月、11月4日 (旧暦)、12月23日、1605年、1707年、1847年、1852年、1853年、1854年、1855年、1856年、1858年、1944年、1946年。 インデックスを展開 (490 もっと) »
加納宿
加納宿(かのうじゅく)は、中山道53番目の宿場(中山道六十九次)で、現在の岐阜市中心部(岐阜駅より南側、旧稲葉郡加納町)に当たる。 1861年に、皇女和宮親子内親王が宿泊している。.
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加賀国
加賀国(かがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.
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加賀藩
金沢城石川門(重文) 加賀藩(かがはん)は、江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とした藩。藩祖前田利家の妻である芳春院(まつ)の死後、芳春院の化粧料(婦女に対して生活補助として与えられた領地(石高))だった近江弘川村(現在の滋賀県高島市今津町)を飛び地として加える。.
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力武常次
力武 常次(りきたけ つねじ、1921年3月30日 - 2004年8月22日)は、日本の地球物理学者。東京大学名誉教授、東京工業大学名誉教授。理学博士。.
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埴科郡
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原宿 (東海道)
原宿(はらしゅく、はらじゅく)は、東海道五十三次の13番目の宿場である。現在の静岡県沼津市にある。宿場として整備される以前は浮島原と呼ばれ、木曾義仲討伐のために上洛する源義経が大規模な馬揃えを行ったことで知られていた。.
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垂井宿
垂井宿(たるいじゅく)は中山道57番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国不破郡垂井村(現・岐阜県不破郡垂井町)に存在した。 西町・中町・東町の3町に分かれ、本陣は中町にあった。問屋場は3か所あった。毎月5と9の日に南宮神社鳥居付近で開かれた六斎市は大勢の人で賑わった。大垣・墨俣などを経由して東海道宮宿とを結ぶ脇往還美濃路との追分で、西美濃の交通の要衝であった。.
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千葉県
千葉県(ちばけん)は、日本の関東地方の南東側、東京都の東方に位置する県。房総半島と関東平野の南部にまたがる。県庁所在地は千葉市。 平野と丘陵が県土の大半を占め、海抜500m以上の山地がない日本で唯一の都道府県である。地勢上、広大な可住地と、長大な海岸線を有している。.
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南伊勢町
南伊勢町(みなみいせちょう)は、三重県度会郡南部に位置する町。.
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南伊豆町
南伊豆町(みなみいずちょう)は、静岡県東部の伊豆半島の最南端にある町である。.
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南紀白浜温泉
南紀白浜温泉(なんきしらはまおんせん)、もしくは白浜温泉(しらはまおんせん)は和歌山県西牟婁郡白浜町にある温泉である。かつては熱海温泉、別府温泉と並んで「日本三大温泉」と言われていた。温泉として非常に歴史が古く、日本三古湯のひとつに数えられ、古い文献では牟婁の湯と呼ばれていた。広義での白浜は温泉郷であり、さらに湯崎、大浦、古賀浦、綱不知、白浜、更に近年は東白浜、新白浜を加え7ヶ所の温泉地に細分できる。白良浜を中心に海岸沿いに温泉施設、宿泊施設が広がっており、周辺には多くの観光地もあるリゾートとなっている。 紀勢自動車道の南紀白浜インターチェンジ、や南紀白浜空港もあり遠方からの交通の便もよい。.
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南海地震
南海地震(なんかいじしん)は、紀伊半島の紀伊水道沖から四国南方沖を震源域とする巨大地震の呼称。南海トラフ西側でプレート間の断層滑りが発生する低角逆断層型の地震と考えられている。 狭義の南海地震は1946年(昭和21年)に発生した昭和南海地震を指す名称であるが、広義には安政南海地震や宝永地震(南海トラフのほぼ全域が震源域)など南海道沖を震源域とする歴史地震も含まれ、さらに将来、南海トラフ西部で起きると想定される地震も含めて南海地震と総称される。また、南海大地震(なんかいだいじしん)や南海道地震(なんかいどうじしん)と呼称される場合もある。.
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南海トラフ
赤線) 南海トラフ(なんかいトラフ)は、四国の南の海底にある水深4,000m級の深い溝(トラフ)のこと。非常に活発で大規模な地震発生帯である。南海トラフ北端部の駿河湾内に位置する右図黄線の部分は駿河トラフとも呼称される。.
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南海トラフ巨大地震
南海トラフ巨大地震(なんかいトラフきょだいじしん)は、フィリピン海プレートとアムールプレート一般的にはユーラシアプレートとの収束型境界とされるが、石橋(2014)は南海トラフの地震を考える上ではアムールプレートの東北日本に対する東進を考慮した方が良いとしている。とのプレート境界の沈み込み帯である南海トラフ沿いが震源域と考えられている巨大地震のことである石橋克彦『南海トラフ巨大地震 -歴史・科学・社会』岩波出版、2014年瀬野徹三(2011):, 東京大学地震研究所, 2011年。 また、2011年8月に内閣府に設置された「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が検討を行っている、南海トラフ沿いで発生すると想定される最大クラスの地震も「南海トラフ巨大地震」と称されており、本項でもそれを基に解説している。.
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南海道
南海道(なんかいどう、みなみのみち)は、五畿七道の一つ。紀伊半島、淡路島、四国ならびにこれらの周辺諸島の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から中世)を指す。.
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古文書
羽柴秀吉朱印状(25ヵ条の大陸国割計画書)/前田育徳会所蔵 古文書 (こもんじょ)とは、広く「古い文書」の意味でも使われるが、歴史学上は、特定の対象(他者)へ意思を伝達するために作成された近世以前の文書を指す。特定の相手に向けたものではない文書、例えば日記や書物などは古記録と呼んで区別される。日本史の分野で多く用いられる用語であり、日本以外をフィールドとする場合、古記録とまとめて文書史料、略して文書(もんじょ)と呼ぶことが多い。.
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参勤交代
参勤交代(さんきんこうたい)とは、各藩の藩主を一年おきに江戸に出仕させる江戸幕府の法令のことである。参勤交替、参覲交代、参覲交替などとも書く。 藤堂様御国入行列附版画/伊賀文化産業協会蔵.
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名古屋
名古屋(なごや、Nagoya).
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名古屋城
名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区・北区)にあった日本の城。「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」の異名を持つ。日本100名城に選定されており、国の特別史跡に指定されている。.
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同朋舎
株式会社図書印刷同朋舎(としょいんさつ どうほうしゃ)は、京都府京都市下京区に本社をおく出版社である。通称は同朋舎。仏教書や人文関係の専門書の出版、受託印刷を行っている。.
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吉原宿
歌川広重『東海道五十三次・吉原』 吉原宿(よしわらしゅく、よしわらじゅく)は、東海道五十三次の14番目の宿場である。現在の静岡県富士市に位置する。 陸上交通や水運の拠点であったほか、富士参詣の宿駅としても機能した。 吉原宿は当初現在のJR吉原駅付近にあった(元吉原)が、1639年(寛永16年)の高潮により壊滅的な被害を受けたことから、再発を防ぐため内陸部の現在の富士市依田原付近に移転した(中吉原)。しかし1680年(延宝8年)8月6日の高潮により再度壊滅的な被害を受け、更に内陸部の現在の吉原本町(吉原商店街)に移転した。このため原宿 - 吉原宿間で海沿いを通っていた東海道は吉原宿の手前で海から離れ、北側の内陸部に大きく湾曲する事になり、それまで(江戸から京に向かった場合)右手に見えていた富士山が左手に見えることから、"左富士"と呼ばれる景勝地となった。往時は広重の絵にあるような松並木であったが、現在は1本の松の木が残るのみである。.
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吉田宿
歌川広重『東海道五十三次・吉田』 吉田宿(よしだしゅく、よしだじゅく)は、江戸時代に設定された東海道五十三次の江戸側から数えて34番目の宿場である。現在の愛知県豊橋市中心部に相当する。.
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吉野
吉野(よしの)は、大和国南部(現在の奈良県南部)一帯を指す地名である。特に吉野山から大峰山にかけての山岳地帯をいう。狩りに適した良い野という意味である。吉野は口吉野と奥吉野に分かれる。奥吉野は山々が連なる山岳地帯で、古くは大峰とよばれ、厳密には吉野に含まれなかった。大峰の山々は熊野まで連なる。大峰への道は修験者によって、熊野から開かれた。 記紀には応神や雄略の吉野での狩りの伝承が載せられている。.
坂下宿
歌川広重『東海道五十三次・阪之下』 坂下宿(さかしたしゅく、さかしたじゅく、また坂ノ下、阪之下等の表記あり)は、東海道五十三次の48番目の宿場である。現在の地番は三重県亀山市関町坂下。.
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坂本宿
坂本宿(さかもとしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて十七番目の宿場。.
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堺
堺(さかい)は、大阪湾に面し、大阪市(大坂)の南に位置する都市。また、その市街地を中心とする地域。 地名は、方違神社付近がかつて摂津国・河内国・和泉国の3国の「境(さかい)」であったことに由来する。市街地はその西方に形成され、大小路通を境に摂津国住吉郡と和泉国大鳥郡に跨っていた。.
塩名田宿
塩名田宿(しおなだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十三番目の宿場。 現在の長野県佐久市塩名田。暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠が10軒以下の小さな宿場にも拘らず、本陣と脇本陣が合わせて3軒あった。橋も掛けられたが洪水の度に流失し、船や徒歩で渡るのが専らであった。.
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塩尻宿
塩尻宿(しおじりしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて三十番目にあたる宿場。.
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境港
境港.
多喜浜塩田
多喜浜塩田(たきはまえんでん)は、旧新居郡多喜浜村(現在の愛媛県新居浜市多喜浜)にかつて存在した塩田。1716年に開田された。.
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大垣藩
大垣藩(おおがきはん)は、美濃国大垣周辺を支配した藩。藩庁は大垣城(現在の岐阜県大垣市郭町2丁目)に置かれた。 江戸時代初期には短期間で藩主として4家が交替したが、寛永12年(1635年)以降は戸田氏が10万石で入り、幕末・明治維新期まで存続した。.
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大宮宿
富士の眺望がひらけている。この風景は、現在、針ヶ谷の大橋陸橋交差点の小堂に納められている庚申塔(#東大成の庚申塔)あたりの、かつての様子である。もっとも、土手と田畑の高低差は実際これほどではなく、誇張して描かれている。 大宮宿(おおみや-しゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次(または木曾街道六十九次)のうち江戸・日本橋から数えて4番目の宿場(武蔵国のうち、第4の宿)。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡大宮宿。 現在の埼玉県さいたま市大宮区にあたる。.
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大井宿
大井宿(おおいじゅく)は中山道の46番目の宿場。美濃国恵那郡大井村(現・岐阜県恵那市)に存在した。 江戸方から、横町・本町・竪町・茶屋町・橋場と5町があった。それぞれの町は6ヶ所の枡形によって区切られていた。 大井宿から槙ヶ根追分を経て、下街道を利用する旅人も多かった。なお、川越街道の大井宿(埼玉県ふじみ野市)とは別物である。.
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大和五条藩
大和五条藩(やまとごじょうはん)は、大和国二見城(現在の奈良県五條市二見)に存在した藩。別名に五條藩、五條二見藩(ごじょうふたみはん)、二見五条藩とも。.
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大磯宿
大磯宿(おおいそしゅく、おおいそじゅく)は、東海道五十三次の8番目の宿場である。現在の神奈川県中郡大磯町にあった。.
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大紀町
大紀町(たいきちょう)は、三重県中南部に位置する度会郡の町。 隣町の紀北町との境には世界遺産熊野古道のツヅラト峠、荷坂峠を有する。.
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大聖寺藩
大聖寺藩(だいしょうじはん)は、江戸時代に加賀国江沼郡にあって江沼郡及び能美郡の一部を領した藩である。加賀藩の支藩であり、石高は初め7万石、後に10万石となった。家紋は棒梅鉢。第三代藩主前田利直が宝永6年(1709年)に築いた別邸長流亭は国の重要文化財に指定されている。藩庁は大聖寺陣屋である。.
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大阪
大阪(おおさか、Ōsaka)は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。.
大野藩
大野藩(おおのはん)は、越前国大野(現在の福井県大野市)に存在した藩。居城は大野城(亀山城)。.
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大森房吉
大森 房吉(おおもり ふさきち、1868年10月30日(明治元年9月15日) - 1923年11月8日)は日本の地震学者。.
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大河津分水
河口付近。長岡市寺泊野積。 大河津分水。流路は幾何学的曲線を描く。 弥彦山山麓の河道法面が見え切通しが分かる。 大河津分水(おおこうづぶんすい、大河津分水路)は、信濃川を新潟県燕市(分水地区)にて分流し、長岡市(寺泊地域)を経て日本海に注ぐ分水路である。 新信濃川とも呼ばれる。.
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大津宿
大津宿(おおつしゅく、おおつじゅく)は東海道53番目(→東海道五十三次)の宿場で、現在は滋賀県大津市。東海道五十三次中最大の宿場。.
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大洲藩
大洲藩(おおずはん)は、伊予国大洲(現在の愛媛県大洲市)を中心に南予地方北東部から中予地方西部の伊予郡(現在の伊予市を中心とした地域)などを領有した藩。藩庁は大洲城。支藩として新谷藩があった。.
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大湊 (伊勢市)
大湊(おおみなと)は、三重県伊勢市にある港町。宮川河口付近の三角州にあり、中世から近世の伊勢湾における商業・海運の中心地であった。住所表記上の町名は大湊町(おおみなとちょう)。 1943年(昭和18年)に宇治山田市に編入され、1955年(昭和30年)に市名改称により伊勢市となった。.
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大湫宿
大湫宿(おおくてじゅく、大久手宿とも)は中山道の47番目の宿場。美濃国土岐郡大湫村(現・岐阜県瑞浪市)に存在した。 慶長9年(1604年)に新設された宿場で、尾張藩領であった。皇女和宮親子内親王の宿泊地となった。.
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大月
大月(おおつき、だいげつ、だいのつき).
大手門
大手門(おおてもん)とは、日本の城郭における内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ通じる大手虎口に設けられた城門。正門にあたる。.
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太田宿 (中山道)
太田宿(おおたじゅく)は中山道51番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国加茂郡太田村(現・岐阜県美濃加茂市)に存在した。 太田の渡しは、中山道の難所の1つであった。現在も宿場町の面影を残している。.
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奈良
奈良(なら)は、日本国の発祥とされる歴史的地名である。 異表記として那羅・平城・寧楽などがある(読みは全て「なら」)。平安京(京都)に都が遷った後は南都(なんと)とも呼ばれた。古くは大和と呼ばれ、また平城京にも相当した。.
奈良井宿
奈良井宿(ならいじゅく)は、中山道34番目の宿場(→中山道六十九次)。現在の長野県塩尻市奈良井に位置する。.
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妻籠宿
札場からの眺望 妻籠宿(つまごじゅく)は、中山道42番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町。蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する。隣接する馬籠宿(岐阜県中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて木曽路を代表する観光名所として名高い。 経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれた。.
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姫路藩
姫路藩歴代藩主居城姫路城 姫路藩(ひめじはん)は、播磨国飾東郡にあって現在の兵庫県西南部を治めた藩。藩庁は姫路城(姫路市)。藩主ははじめ外様の池田氏で、のち譜代大名が転々とした末に、1749年(寛延2年)から廃藩置県までは徳川譜代の名門酒井氏があった。石高ははじめ52万石、のち15万石。.
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宍喰川
宍喰川(ししくいがわ)は、徳島県海部郡海陽町を流れる二級河川である。延長11.127km。.
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宝永
宝永(ほうえい、旧字体: 寶永)は日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1711年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。.
宝永大噴火
南から見た富士山の宝永火口、火口の位置:1(第一火口)、2(第二火口)、3(第三火口)、4(宝永山) 浮世絵に見る宝永火口(歌川広重) 宝永大噴火(ほうえいだいふんか)とは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火である。2017年現在、最も新しい富士山の噴火となっている。噴火は約2週間続き、総噴出量は、約7×108 m3と推定されている。噴火による直接の死者は記録されていないが、噴出した溶岩石による火災などで甚大な被害をもたらした。.
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宝永山
宝永山(ほうえいざん)は宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した、富士山最大の側火山である。標高は2,693m。この宝永の大噴火以降は噴火していないため、この宝永山が富士山の最新の側火山になる。.
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宝永地震
井(1982), p42-43.。 宝永地震(ほうえいじしん)は、江戸時代の宝永4年10月4日(1707年10月28日)、東海道沖から南海道沖(北緯33.2度、東経135.9度 - 震度分布による推定で、断層破壊開始点である本来の震源、その地表投影である震央ではない。)を震源域として発生した巨大地震。南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定され、記録に残る日本最大級の地震とされている宇佐美(2003), p75-90.『理科年表』, p737, 767.。世にいう宝永の大地震(ほうえいのおおじしん)、あるいは宝永大地震(ほうえいおおじしん)とも呼ばれ、亥の大変(いのたいへん)とも呼ばれる。地震の49日後に起きた宝永大噴火は亥の砂降り(いのすなふり)と呼ばれる。.
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室戸岬
室戸岬(むろとざき、むろとみさき)は、高知県室戸市に属し、太平洋(フィリピン海)に面する岬。国の名勝(1928年指定)、および室戸阿南海岸国定公園に指定されている。。 波乗り(サーフィン)の名所でもある。.
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宮宿
宮宿(みやしゅく、みやじゅく、宮の宿、熱田宿)は、東海道五十三次の41番目の宿場である。中山道垂井宿にいたる脇街道美濃路や佐屋街道との分岐点でもあった。一般には宮の宿と呼ばれることが多かったが、幕府や尾張藩の公文書では熱田宿と書かれている。.
宮ノ越宿
宮ノ越宿(みやのこしじゅく)は中山道36番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡木曽町日義。 宿場関連の史跡よりも、木曾義仲関連の史跡が多い。かつては木曽川の水を使った用水が宿場内を流れていた。.
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宮津藩
宮津藩(みやづはん)は、江戸時代、丹後国にあった藩の一つ。京極高知の代は丹後一国を領したため丹後藩とも呼ばれた。藩庁は宮津城(現在の京都府宮津市)に置かれた。.
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宿毛市
宿毛湾の航空写真 宿毛市(すくもし)は、高知県の南西部に位置し愛媛県と境を接する市。.
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守山宿
木曾街道六拾九次 守山(歌川広重画) 中山道沿いの風景 道標 土橋 天満宮 守山宿(もりやましゅく、もりやまじゅく)は近江国野洲郡にあった中山道67番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在の滋賀県守山市旧市街に当たる。.
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宇佐美龍夫
宇佐美 龍夫(うさみ たつお、1924年7月15日- )は、地震学者、東京大学名誉教授。専門分野は理論地震学、歴史地震学。.
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宇和島藩
宇和島城天守 竹輪笹に阿吽の向かい雀の宇和島紋 宇和島藩(うわじまはん)は、伊予国宇和島(現在の愛媛県宇和島市)周辺を治めた藩。藩庁は宇和島城に置かれた。.
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宇津徳治
宇津 徳治(うつ とくじ、1928年4月13日 - 2004年8月18日)は、日本の地震学者。東京市芝区(現東京都港区)生まれ。.
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安中宿
木曾街道六拾九次 安中(歌川広重画) 安中宿(あんなかしゅく)とは、中山道六十九次の江戸(日本橋)から15番目の宿場町である。.
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安政
安政(あんせい)は日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。1855年嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。から1860年までの期間を指す。この時代の天皇は、孝明天皇。江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。.
安政の大地震
安政の大地震(あんせいのおおじしん/だいじしん)は、江戸時代後期の安政年間(1850年代)に、日本各地で連発した大地震である。 世にいう「安政の大地震」は、特に1855年(安政2年)に発生した安政江戸地震を指すことが多いが、この前年にあたる1854年(安政元年)に発生した南海トラフ巨大地震である安政東海地震および、安政南海地震 ふるさと教育読本, 和歌山発見, 安政の大地震と浜口梧陵も含める場合もあり都司嘉宣『千年震災』ダイヤモンド社、2011年、さらに飛越地震 安達實, 大塚安兵衛, 北浦勝(1999): 常願寺川・藩政期から明治期の治水, 地震, 第2輯, 土木史研究第19号, 自由投稿論文.
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安政南海地震
安政南海地震(あんせい なんかいじしん)は、江戸時代後期の嘉永7年11月5日(1854年12月24日)に発生した南海地震「南海地震」とは、本来1946年南海地震を指していたが、南海トラフ沿い西側半分の南海道沖を震源域とする地震も一般的に南海道地震と呼ばれてきた。2001年の「東南海、南海地震等に関する専門調査会」設置以来、土佐湾から紀伊水道沖を震源域として発生するとされる固有地震の名称としても使われ始め、「」(平成14年法律第92号)に明記された。である。 南海トラフ巨大地震の1つとされ、約32時間前に発生した安政東海地震と共に安政地震沢村(1959), p59-60.、安政大地震とも総称される門村(1983).。この地震は嘉永年間に起きたが、この天変地異や内裏炎上、前年の黒船来航を期に改元されて安政と改められ、歴史年表上では安政元年(1854年)であることから安政を冠して呼ばれる。当時は寅の大変(とらのたいへん)とも呼ばれた。.
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安政地震
安政地震(あんせいじしん)は、安政年間の地震。 安政に改元されたのは1855年1月15日(嘉永7年11月27日)であるため、伊賀上野地震、東海地震および南海地震が発生したのは嘉永7年のことであるが、歴史年表上では安政元年であるため、安政を冠して呼ばれる。 安政の大地震あるいは安政大地震とも呼ばれる。 南海トラフが震源域と推定される宝永地震や昭和地震(東南海・南海地震)に対比して安政東海地震と安政南海地震を総称して「安政地震」と呼ぶ場合もある 高木金之助編、沢村武雄「五つの大地震」『四国山脈』毎日新聞社、1959年。.
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安政江戸地震
安政江戸地震(あんせいえどじしん)は、安政2年10月2日(1855年11月11日)午後10時ごろ、関東地方南部で発生したM7クラスの地震である。世にいう安政の大地震(あんせいのおおじしん)は、特に本地震を指す花咲一男 『大江戸ものしり図鑑』 主婦と生活社、2007年ことが多く、単に江戸地震(えどじしん)とも呼ばれる。 南関東直下地震の一つと考えられている。.
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富士山
富士山(ふじさん、Mount Fuji)は、静岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。標高3776.24 m2等三角点「富士山」の標高は3775.51mである。最高地点はこの三角点から北へ約12mのところにある岩の頂上であり、その高さは、三角点より0.61mだけ高い(1991年の観測)。、日本最高峰(剣ヶ峰)日本が玉山(新高山)のある台湾を領有していた時期を除く。の独立峰で、その優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られている。数多くの芸術作品の題材とされ芸術面で大きな影響を与えただけではなく、気候や地層など地質学的にも大きな影響を与えている。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され、その山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。 古来霊峰とされ、特に山頂部は浅間大神が鎮座するとされたため、神聖視された。噴火を沈静化するため律令国家により浅間神社が祭祀され、浅間信仰が確立された。また、富士山修験道の開祖とされる富士上人により修験道の霊場としても認識されるようになり、登拝が行われるようになった。これら富士信仰は時代により多様化し、村山修験や富士講といった一派を形成するに至る。現在、富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏季シーズンには富士登山が盛んである。 日本三名山(三霊山)、日本百名山『日本百名山』 深田久弥(著)、朝日新聞社、1982年、ISBN 4-02-260871-4、pp269-272、日本の地質百選に選定されている。また、1936年(昭和11年)には富士箱根伊豆国立公園に指定されている。その後、1952年(昭和27年)に特別名勝、2011年(平成23年)に史跡、さらに2013年(平成25年)6月22日には関連する文化財群とともに「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の名で世界文化遺産に登録された。日本の文化遺産としては13件目である。富士の山とは詠んだとしても、「ふじやま」という呼称は誤りである。.
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富士川
富士川(ふじかわ)は、長野県・山梨県及び静岡県を流れる河川。一級水系富士川の本流であり日本三大急流の一つに数えられている。 甲斐と駿河を結ぶ水運としての要路であり、古くから人々の暮らしに密着してきた。.
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寛永通宝
寛永通宝(かんえいつうほう)は、日本の江戸時代を通じて広く流通した銭貨。寛永13年(1636年)に創鋳、幕末まで鋳造された。.
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小判
小判(こばん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種である。金座で用いられた公式な呼称は小判であり『三貨図彙』では「小判」と明記されているが、『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には小判金(こばんきん)という名称で収録されており、貨幣収集界では小判金の名称が広く用いられている。当時の文書には単に金と記されていることが多く、「金百両」などと表記された。計数貨幣であるが量目(質量)および金品位が一定に定められており、金含有量が額面を決める秤量貨幣の発展形である。.
小笠原諸島
小笠原諸島(おがさわらしょとう)は、東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々である。日本の国土で、東京都小笠原村の区域と完全に一致する。総面積は104km2。南鳥島、沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原・マリアナ島弧(伊豆・小笠原弧)の一部をなす。.
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小笠原村
小笠原村(おがさわらむら)は、小笠原諸島にある東京都の村である。日本の最東端(南鳥島)と最南端(沖ノ鳥島)を含む。 小笠原諸島の30余りの島々を村域とするが、一般住民が居住しているのは父島と母島のみである。エコツーリズムで知られている。.
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小田原宿
小田原宿(おだわらしゅく、おだわらじゅく)は、東海道五十三次の9番目の宿場である。今の神奈川県小田原市にあった。江戸を出て最初の城下町にある宿場。 歌川広重「東海道五十三次・小田原」 小田原宿なりわい交流館1932年(昭和7年)に建てられた旧網問屋を再整備した建物で、「出桁(だしげた)造り」と呼ばれる。.
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小田原地震
小田原地震(おだわらじしん)は、神奈川県西部で発生する地震である。過去に数回発生している。再来周期はほぼ73年で、1645年(正保2年)、1647年(正保4年)、1870年(明治3年)にも発生したとされているが、いずれも小被害である。 本記事では、江戸時代の地震に於いては発生時の元号を冠し区別している。.
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小田井宿
小田井宿(おたいしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十一番目の宿場。 現在の長野県北佐久郡御代田町中心部にあたる。参勤交代などで大名が北国街道との分岐点でもあった追分宿で宿をとる際、小田井宿は姫君や側女たちの宿にあてられることが多く「姫の宿」とも呼ばれた。.
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小諸藩
小諸藩(こもろはん)は、信濃国小諸(現在の長野県小諸市)に存在した藩。藩庁は小諸城に置かれた。.
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小郡
小郡.
小松
小松(こまつ、しょうそん).
小松藩
小松藩(こまつはん)は、伊予国東部に所在した藩。藩庁は周布郡新屋敷村(現・愛媛県西条市小松町)の小松陣屋に置かれた。 石高1万石の小藩で、江戸時代初期の1636年から廃藩置県まで、外様大名の一柳氏が9代約230年にわたって治めた。.
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小浜藩
小浜城に現存する本丸 小浜藩(おばまはん)は、若狭国一国および越前敦賀郡を領した藩。藩庁は小浜城。.
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尺
尺(しゃく)は、尺貫法における長さの単位である。東アジアでひろく使用されている。ただし、その長さは時代や地域によって異なる。 人体の骨格の尺骨は、この尺とほぼ同じの長さであることに由来する。 また、もともとは長さの単位であった尺が、転じて物の長さのことや物差しのことも「尺」と呼ぶようになった。.
尼崎藩
尼崎藩(あまがさきはん)は、摂津国川辺郡・武庫郡・菟原郡・八部郡(現在の兵庫県尼崎市・宝塚市・西宮市・芦屋市・神戸市南部・伊丹市の一部・川西市・猪名川町)を領した藩。藩庁は尼崎城。.
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尾張国
尾張国(おわりのくに/をはりのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
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尾張藩
尾張名古屋藩屋敷跡(東京都千代田区)の石碑 名古屋城(1979年) 尾張藩(おわりはん)は、愛知県西部にあって尾張一国と美濃、三河及び信濃(木曽の山林)の各一部を治めた親藩。徳川御三家中の筆頭格であり、諸大名の中で最高の格式(家格)を有した。尾張国名古屋城(愛知県名古屋市)に居城したので、明治の初めには「名古屋藩」とも呼ばれた。藩主は尾張徳川家。表石高は61万9500石。.
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尾道
尾道(おのみち)は、広島県尾道市および備後国御調郡の歴史的地名。現在の尾道市の旧市街地にあたる。.
尾鷲市
尾鷲市(おわせし)は、三重県南部の熊野灘に面する市。全国的に見て降雨量が非常に多い都市の一つである。.
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山中温泉
山中温泉(やまなかおんせん)は、石川県加賀市にある温泉。ならびに加賀市の町名の一つ。古くから歴史のある温泉の地 であり、加賀温泉郷の一角を占める。.
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山陰道
山陰道(さんいんどう、せんいんどう、そとものみち)は、五畿七道の一つ。本州日本海側の西部の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から中世)を指す。.
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山陽道
山陽道(さんようどう、かげとものみち)は、五畿七道の一つである。 本州西部の瀬戸内海側の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から中世)を指す。 行政区分としては、影面道、光面道(かげとものみち)、または中国(ちゅうごく)とも称された。 街道においては江戸時代を中心に、.
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岡山藩
後楽園と岡山城 岡山藩(おかやまはん)は、備前一国及び備中の一部を領有した外様の大藩である。藩庁は岡山城(備前国御野郡、現 岡山県岡山市北区)。ほとんどの期間を池田氏が治めた。国主、本国持。支藩に鴨方藩と生坂藩、また短期間児島藩があった。.
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岡崎宿
歌川広重『東海道五十三次・岡﨑』 岡崎宿(おかざきしゅく、おかざきじゅく)は、東海道五十三次の38番目の宿場である。現在の愛知県岡崎市中心部。詳しくは岡崎市を参照。 石高は五万石しかなくとも徳川幕府の下では神君生誕の三河国岡崎城(築城は三河西郷氏の西郷稠頼)の城下町を背景に宿場町の規模も駿河国府中宿(静岡県静岡市葵区)に次いで大きかった。.
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岡部宿
歌川広重『東海道五十三次・岡部』 岡部宿(おかべしゅく、おかべじゅく)とは、東海道五十三次の21番目の宿場である。 現在の静岡県藤枝市岡部町。.
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岩国藩
岩国城天守閣(復元) 岩国藩(いわくにはん)は、周防国大島郡の一部(鳴門村・神代村)及び玖珂郡南部を領地とした藩。藩庁は岩国陣屋(現在の山口県岩国市)岩国領の支配拠点は当初岩国城だったが、元和元年(1615年)の一国一城令で破却されて岩国陣屋となった。慶応4年(1868年)まで岩国領は「藩」ではないと長州藩によって主張されていたため、正式な「藩庁」としては岩国陣屋となる。。江戸時代を通じて長州藩毛利氏一門の吉川氏が領主だったため、吉川藩(きっかわはん)という通称もある。 長州藩の支藩とみなされるが、長州藩では幕府に岩国領(いわくにりょう)を支藩とする届けを出しておらず、吉川家は毛利家の家臣であり、徳川家の陪臣であるによって諸侯に非ず(大名ではない)と主張していた。その一方で幕府からは3万石の外様大名格として扱われるという、極めて変則的な存在が江戸時代を通じて続いた。正式に岩国藩が認められたのは、大政奉還後の慶応4年(1868年)3月、新政府によってのことである。 本項では、岩国藩とその前身である岩国領について合わせて述べる。.
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岩村田宿
岩村田宿(いわむらだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十二番目の宿場。 現在の長野県佐久市岩村田一帯。岩村田藩1万5千石の城下町であり商業の町であった。宿場の本陣は存在したが、大破し、その後も再建できず旅籠も最盛期で8軒と少なかった。.
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岩村藩
岩村藩(いわむらはん)は、美濃国(現在の岐阜県)の岩村城を拠点として美濃国と駿河国の一部を支配した藩。.
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岩槻藩
岩槻藩(いわつきはん)は、武蔵国埼玉郡(現在の埼玉県さいたま市岩槻区大字太田)に存在した藩。居城は岩槻城。.
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岩波新書
岩波新書(いわなみしんしょ)は、1938年(昭和13年)11月20日に岩波書店が創刊した新書赤版として。創刊の辞は、「岩波新書創刊50年、新版の発足に際して」(1998年1月)に「道義の精神に則らない日本の行動を深慮し、権勢に媚び偏狭に傾く風潮と他を排撃する驕慢な思想を戒め、批判的精神と良心的行動に拠る文化日本の躍進を求めての出発である」と引用されている。シリーズである。.
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岩波書店
株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.
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岸和田藩
和泉国岸和田城絵図/国立公文書館内閣文庫所蔵 岸和田藩(きしわだはん)は、かつて和泉国南郡・日根郡などを領有した藩。藩庁は南郡岸和田(現在の大阪府岸和田市)の岸和田城。.
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島崎邦彦
島﨑 邦彦(しまざき くにひこ、1946年3月13日 - )は、日本の地震学者。東京大学地震研究所教授、日本地震学会会長、地震予知連絡会会長を経て、東京大学名誉教授。 元原子力規制委員会委員長代理。防災功労者防災担当大臣表彰。.
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島田宿
歌川広重『東海道五十三次・嶋田』 島田宿 (しまだしゅく、しまだじゅく、旧名「嶋田宿」)は、東海道五十三次の23番目の宿場である。 現在の静岡県島田市。大井川の左岸(江戸側)にあるため、増水で大井川の川越が禁止されると、お伊勢詣りなどの江戸から京都方面へ上る旅客が足止めされ、さながら江戸のような賑わいをみせた。長雨により、滞在費と遊興費に所持金を使い果たすことも珍しくなかった。そのため、所持金が無くなったり宿が満員になった際に家を借りた名残で、島田の旧・東海道沿いには御仮屋という地名がある。 「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠われた、東海道の難所の一つである。 大井川上流から切り出された木材の集積地としても発展。元禄期には運河が開削され、栃山川、木屋川を経て、和田湊(現在の焼津漁港南部)から江戸に運ばれた。.
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川崎宿
川崎宿(歌川広重『東海道五十三次』より) 川崎宿(かわさきしゅく、かわさきじゅく)は、東海道五十三次の2番目の宿場である。 武蔵国橘樹郡川崎領(現在の神奈川県川崎市川崎区)に置かれた。.
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巨大地震
巨大地震(きょだいじしん)は、地震の中でとくに規模が大きなものを指す言葉である。学術用語ではないが、日本地震学会の発表や各種教科書・論文でもしばしば使われる表現であるたとえばやなどにこのような記載がある。。また地震の大きさを端的に表す言葉であるためか、マスメディアも積極的に使用している。.
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己巳
己巳(つちのとみ、きし)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの6番目で、前は戊辰、次は庚午である。陰陽五行では、十干の己は陰の土、十二支の巳は陰の火で、相生(火生土)である。.
上尾宿
供の2人連れ、一服しようと立ち寄る商人1人が見える。もっとも、実際の立場は、近くはあっても神社と隣接していたわけではなかった。また、街道筋の境内前に出張って唐箕を使うなど、ずいぶんおかしな光景には違いない。つまり、絵師は3つの画題を一画面に詰め込んだのであり、絵画的工夫の結果としてこの図がある。 上尾宿(あげおじゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて5番目の宿場(武蔵国のうち、第5の宿)。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡上尾宿。 現在の埼玉県上尾市にあたる。.
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上石津郡
岐阜県上石津郡の位置(水色:後に他郡から編入した区域) 上石津郡(かみいしづぐん)は、岐阜県にあった郡。.
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上田藩
上田藩(うえだはん)は、江戸時代に信濃国小県郡上田(現在の長野県上田市)周辺を支配した藩。藩庁は上田城。.
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上松宿
上松宿(あげまつじゅく)は中山道38番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡上松町。 十王橋から上町、本町、仲町、下町。古い町並みが残るのは上町。.
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両
両(りょう)は、尺貫法における質量の単位であり、また、近世の日本における金貨、および中国における秤量銀貨の通貨単位である。.
中央防災会議
中央防災会議(ちゅうおうぼうさいかいぎ)は、災害対策基本法に基づいて設置された重要政策に関する会議。内閣総理大臣を長とし、内閣府に事務局を置く会議である。.
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中山道
五十五里塚跡、下諏訪宿 福島宿) 一里塚(岐阜県垂井町) 中山道(なかせんどう)は、江戸時代の五街道の一つで、江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道である。「中仙道板橋駅の北側にある踏切が「中仙道踏切」という名称である。」、「仲仙道」とも表記するほか、「木曾街道」や「木曽路」の異称も有した。.
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中州
中州(中洲、なかす)とは、川の中において、上流から供給された土砂などが堆積し、陸地となっている地形のことである。川中島(かわなかじま)ともいう。.
中公新書
中公新書(ちゅうこうしんしょ)は、中央公論新社(読売新聞グループ)が発行している新書レーベルの1つ。現行の新書レーベルでは岩波新書に次ぐ歴史がある。サブレーベルとして中公PC新書、中公新書ラクレがある。.
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中国地方
中国地方(ちゅうごくちほう)は、本州の西部に位置する、日本の地域のひとつ。 鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県の5県より構成される『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.730 ISBN 4-09-523101-7。なお、行政上の管轄としては気象庁は山口県を除き、海上保安庁は山口県西北部、国土交通省海事事務所は下関市を除く。.
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中村一明
中村 一明(なかむら かずあき、1932年 - 1987年8月12日)は、日本の地球科学者。専門は地質学・火山学。.
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中村藩
中村藩(なかむらはん).
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中津川宿
中津川宿(なかつがわじゅく)は中山道の45番目の宿場。美濃国恵那郡中津川村(現・岐阜県中津川市)に存在した。 江戸方より淀川町・新町・本町・横町・下町と続き、本町に本陣と脇本陣があった。 近年、皇女和宮が江戸に降嫁される際、中津川宿で食べた料理の文献が見つかり、それを忠実に再現したものが市内の旅館で食べられる。.
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中津藩
中津藩(なかつはん)は、豊前国下毛郡中津(現在の大分県中津市)周辺を領有した藩。藩庁は中津城に置かれた(一時、藩庁は小倉城に移る)。.
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串本
串本(くしもと).
串本町
串本町(くしもとちょう)は、和歌山県東牟婁郡の町。本州最南端の地である。.
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丸岡藩
丸岡藩(まるおかはん)は、越前国(現在の福井県)坂井郡などを支配した藩。居城は丸岡城(現在の福井県坂井市丸岡町霞)。.
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丸亀藩
丸亀藩(まるがめはん)は、讃岐国(香川県)の西部を領し、丸亀城(丸亀市)を本城とした藩。藩主は生駒氏、山崎氏、京極氏と続きそれぞれ藩主独特の城下町を形成し廃藩置県を迎えた。 なお生駒氏は、高松城を本城とし讃岐一国を領したため、生駒氏が領した西讃を丸亀藩と呼ぶには適さないとも考えられるが、現在ではその頃も丸亀藩の歴史の一部として語られることが多いため、ここにも含める。.
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丸善雄松堂
丸善雄松堂株式会社(まるぜんゆうしょうどう、)は、日本の大手書店、出版社、専門商社。文化施設の建築・内装、図書館業務のアウトソーシング等も行い、幅広い業務を手がけている。大日本印刷の子会社である丸善CHIホールディングスの完全子会社である。 なお、かつての丸善石油(後のコスモ石油)、「チーかま」など珍味メーカーの丸善、業務用厨房機器メーカーのマルゼン、エアソフトガンメーカーのマルゼンとは無関係である。 本店は東京都中央区日本橋二丁目に、本社事務所は港区海岸一丁目にある。.
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丹波亀山藩
亀山藩(かめやまはん)は、江戸時代に丹波国にあった藩のうちの一つ。現在の京都府亀岡市を拠点とした。山陰道の入り口に当たるため、江戸幕府から特に重要視された。伊勢亀山藩との区別から丹波亀山藩とも呼ばれる。明治時代に亀山の地名を亀岡に改称したため、これ以降は亀岡藩(かめおかはん)と呼ばれる。藩庁は亀山城。.
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丈
記載なし。
世界大百科事典
世界大百科事典(せかいだいひゃっかじてん)は、平凡社が出版する百科事典のひとつ。最新版は2007年9月に発売された『改訂新版 世界大百科事典』であり、全35巻、総項約24,900、総項目数約9万、索引項目数約49万である。最新版の編集長は、加藤周一。.
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三島宿
三島宿(みしましゅく、みしまじゅく)は、.
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三留野宿
三留野宿(みどのじゅく)は中山道41番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町。南木曽駅の北が当時の宿場町の中心だが、1881年(明治15年)の大火で多くの建物が焼失したことに加え、鉄道が開通したため現在の町の賑わいは駅周辺に移っている。.
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三重県
三重県(みえけん)は、日本の都道府県の一つで紀伊半島の東側に位置する。県庁所在地は県中部の津市。.
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三条藩
三条藩(さんじょうはん)は、越後国(現在の新潟県三条市元町)に存在した藩。.
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三河地震
三河地震(みかわじしん)は、1945年1月13日午前3時38分23秒に、愛知県の三河湾で発生したマグニチュード6.8(Mw 6.6)の直下型地震である。 また、1945年の終戦前後にかけて4年連続で1,000人を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、東南海地震、南海地震)の一つである。.
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下妻藩
下妻藩(しもつまはん)は、常陸国(現在の茨城県下妻市下妻甲)に存在した藩。藩庁は下妻陣屋に置かれた。.
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下仁田町
下仁田町(しもにたまち)は、群馬県甘楽郡にある町である。.
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下総国
下総国(しもうさのくに、しもふさのくに、しもつふさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
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下田
下田(しもだ、しもた、しただ); 自治体.
下田市
下田市(しもだし)は、伊豆半島南部に位置する静岡県の都市。明治以前は旧伊豆国賀茂郡。.
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下諏訪宿
下諏訪宿(しもすわしゅく)とは、甲州街道の江戸から数えて三十九番目で終点、中山道六十九次のうち二十九番目にあたる宿場。.
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九十九里浜
千葉県山武市上空から見た九十九里浜(2004年8月) 九十九里浜(くじゅうくりはま)は、千葉県房総半島東岸にある、刑部岬と太東崎の間の、太平洋に面している全長約66キロメートルの海岸。日本の白砂青松100選と日本の渚百選に選定されている。.
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九州
九州(きゅうしゅう)は、日本列島を構成する島の一つで島国 (領土がすべて島から成る国)である日本を構成する6,852の島に対する『国土交通省』による区分け ⇒ 6,852島(本土5島・離島6,847島)。<出典>『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識) 2009年11月27日閲覧。ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。、その南西部に位置する。 北海道・本州・四国とともに主要4島の一つでもあり、この中では3番目に大きい島で【参考】 日本の島の面積順に上位10島 ⇒ 本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬。 国立天文台 (編)理科年表 平成19年版 P565、ISBN 4621077635。、世界の島の中では、スピッツベルゲン島(ノルウェー)に次ぐ第37位の大きさである。 地質学や考古学などでは九州島という名称も使用される。 九州とその付随する島を合わせて九州地方(きゅうしゅうちほう)と言う。九州の最高標高は1,791メートル (m) で、大分県の九重連山・中岳の標高である。また、九州地方の最高標高は1,936 mで、鹿児島県の屋久島・宮之浦岳の標高である。(「#地理」および「日本の地理・九州」を参照) 九州には7つの地方公共団体(県)があり、7県総人口は13,108,027人、沖縄県を含めた8県総人口は14,524,614人である。都道府県の人口一覧#推計人口(右表 九州地方のデータ参照) 九州の古代の呼称は、「筑紫島」・「筑紫洲」(つくしのしま)である(#歴史書における呼称)。.
干潟
干潟(ひがた、英語:mudflat)とは、海岸部に発達する砂や泥により形成された低湿地が、ある程度以上の面積で維持されている、朔望平均満潮面と朔望平均干潮面との潮間帯。潮汐による海水面の上下変動があるので、時間によって陸地と海面下になることを繰り返す地形である。砂浜と比べ、波浪の影響が少なく、勾配が緩やかで、土砂粒径が小さく、生物相が多様な平坦地形である。 環境省の定義は「干出幅100m以上、干出面積が1ha 以上、移動しやすい基底(砂,礫,砂泥,泥)」を満たしたものを干潟と呼んでいる。.
平塚宿
平塚宿(歌川広重『東海道五十三次』より) 平塚宿(ひらつかしゅく、ひらつかじゅく)は、東海道五十三次の7番目の宿場である。現在の神奈川県平塚市にあった。.
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平凡社
株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.
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久留米藩
久留米藩(くるめはん)は、筑後国御井郡の久留米城(現在の福岡県久留米市)に藩庁を置いた藩。1620年以降幕末まで摂津有馬氏が藩主を務め、21万石を領した。 米藩(べいはん)とも称される。.
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京都
京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.
京都大学
記載なし。
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二川宿
歌川広重『東海道五十三次・二川』 二川宿(ふたがわしゅく、ふたがわじゅく)は、東海道五十三次の33番目の宿場である。三河国最東端の宿場町である。征夷大将軍の天領であった。現在の愛知県豊橋市二川町と大岩町に相当する。.
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府中宿
府中宿(ふちゅうしゅく)とは、「府中が街道筋の宿場を兼ねた都市」のことである。府中は、それぞれの地域の中核都市に置かれたため、街道が通っていることも多かった。日本各地に府中という地名はあり、府中宿も散在している。代表的な府中宿を以下に記すが、これは網羅ではなく例示である。他にも宿場町としての「府中宿」は存在していたものと考えられている。.
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府内藩
府内藩(ふないはん)は、豊後国大分郡府内周辺を支配した藩の一つ。藩庁は府内城(現在の大分県大分市)。.
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二見浦
夫婦岩 歌川国貞による夫婦岩 二見浦(ふたみがうら)は、三重県伊勢市二見町の今一色から立石崎に至る海岸。立石崎から神前岬までの海岸(神前海岸)もその一部とされることがある。.
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二木島町
二木島町(にぎしまちょう)は、三重県熊野市の町名。「二喜島」や「二鬼島」という表記が用いられていた時期もある。郵便番号は519-4204。住民基本台帳に基づく2013年12月1日現在の人口は293人、同日現在の面積は7.65km2。 漁業と林業が町の主要な産業である守安(2011):18ページ。陸路と海路の要所として発展してきた歴史から、一里塚などの史跡が残る「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):1205ページ。.
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広島藩
広島藩(ひろしまはん)は、安芸国一国と備後国の半分を領有した大藩で、現在の広島県の概ね半分にあたる。藩庁は広島城(現在の広島市)に置かれた。芸州藩(または安芸藩)と呼ばれることも多い。.
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庄野宿
庄野宿(しょうのしゅく、しょうのじゅく)は、東海道五十三次の45番目の宿場である。現在は三重県鈴鹿市。.
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亀山宿
亀山宿(かめやましゅく、かめやまじゅく)は、東海道五十三次の46番目の宿場である。現在は三重県亀山市。 城下町であると同時に宿場町であった。.
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今須宿
今須宿(いますじゅく)は中山道の59番目の宿場。美濃国不破郡今須村(現・岐阜県不破郡関ケ原町)に存在した。.
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今村明恒
今村 明恒(いまむら あきつね、1870年6月14日(明治3年5月16日) - 1948年1月1日)は日本の地震学者。.
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今治藩
今治藩(いまばりはん)は、伊予国北中部と島嶼を領有した藩。藩庁は今治城(現在の愛媛県今治市)。.
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伊予松山藩
伊予松山藩(いよまつやまはん)は、江戸時代、伊予国温泉郡(現在の愛媛県松山市)を中心に久米郡・野間郡・伊予郡などを知行した藩。藩庁は松山城。 松山城大天守(国の史跡・重要文化財).
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伊勢崎藩
伊勢崎藩(いせさきはん)は、かつて上野国佐位郡(現:群馬県伊勢崎市曲輪町)を治めた藩。藩庁は伊勢崎陣屋に置かれた。.
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伊勢市
伊勢市(いせし)は、三重県南東部に位置する都市である。市域の大半は旧度会郡であり、一部に旧多気郡域を含む。.
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伊勢国
伊勢国(いせのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
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伊勢湾
伊勢湾紫色の部分が一般的な伊勢湾の範囲。濃い青色が大王崎から伊良湖までとした場合。 伊勢湾のランドサット画像 伊勢湾(いせわん)は、中部地方と近畿地方の太平洋(フィリピン海)側の境界の南側にある湾。.
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伊豆半島
伊豆半島のランドサット。スペースシャトル 伊豆半島(いずはんとう、Izu peninsula)は、日本列島のうち本州の南東部に位置する半島。出典: - 静岡県、2012年11月6日閲覧。★この部分は、「行政」という主語が広すぎるのと、伊豆半島の定義というよりも静岡県の海岸保全行政における所管区域にすぎないため非表示にしました(ちなみに、静岡県では県内の沿岸を「伊豆半島沿岸」(神奈川県境~大瀬崎)、「駿河湾沿岸」(大瀬崎~御前崎)、「遠州灘沿岸」(御前崎~伊良湖岬(御前崎から愛知県の伊良湖岬))の三つに分けて海岸保全を行っています)。★-->明治以前は伊豆国として東海道の1国を構成していた。.
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伊豆・小笠原海溝
赤線) 伊豆・小笠原海溝(いず・おがさわらかいこう)は、日本の房総半島沖から南東方向に連なる海溝。マリアナ海溝と合わせて伊豆・小笠原・マリアナ海溝(IBM海溝)とも呼ばれる。 フィリピン海プレートに太平洋プレートが沈みこむことによってできた海溝で、最も深い所では海面下9780mになる。母島の南東にはやや浅い部分(母島海山)があるが、ここが伊豆・小笠原海溝とマリアナ海溝との境界点とされることが多い。北に日本海溝および相模トラフ、南にマリアナ海溝が連なる。 伊豆・小笠原海溝から沈み込んだプレート(リソスフェア)は、伊豆諸島・小笠原諸島付近でマグマとなって上昇し、伊豆・小笠原島弧と呼ばれる火山列島の島弧を作っている。 この海溝付近では八丈島東方沖地震(1972年/M7.2)、父島近海地震(2010年/M7.8)、小笠原諸島西方沖地震(2015年/M8.1)などが発生している。.
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伊豆国
伊豆国(いずのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
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伊賀上野
伊賀上野(いがうえの).
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伊賀上野地震
伊賀上野地震の震度分布宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年 伊賀上野地震(いがうえのじしん)は、嘉永7年6月15日(1854年7月9日)14時頃に現在(2011年)の三重県伊賀市北部(経度136度、緯度34.75度)で発生した地震である。地震のタイプとしては活断層で発生した内陸直下型地震とみられる。「安政」への改元前に発生した地震であるが、歴史年表では嘉永7年1月1日に遡って安政元年としており、安政伊賀地震とも呼ばれる。 また、本地震に始まり飛越地震に至る安政年間に連発した一連の顕著な被害地震は安政の大地震と総称される。.
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伊那谷
伊那谷(いなだに)とは、長野県南部、天竜川に沿って南北に伸びる盆地である。伊那盆地(いなぼんち)や伊那平(いなだいら)とも呼ばれる。 長野県歌「信濃の国」に登場する「四つの平」の一つである。古くは伊奈とも記された。.
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会津藩
若松城 会津藩(あいづはん)は、陸奥(後の岩代)会津郡を中心に現在の福島県西部と新潟県および栃木県の一部を治めた藩。藩庁は若松城(会津若松市)。最大版図は陸奥国北会津郡、耶麻郡、河沼郡、大沼郡及び越後国東蒲原郡、下野国塩谷郡の一部(三依村)。.
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伏見宿 (中山道)
伏見宿(ふしみじゅく)は中山道50番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国可児郡伏見村(現・岐阜県可児郡御嵩町)に存在した。 現在は岐阜県可児郡御嵩町。 木曽川の流れの変化などにより、渡し場の位置が上流へ移動された。それまでの土田宿は廃宿となり、1694年(元禄7年)上流に位置する伏見に宿が誕生した。 現在は国道が貫いているため、宿場町の風情は失われている。.
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弘化
弘化(こうか)は日本の元号の一つ。天保の後、嘉永の前。1845年から1848年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇、孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家慶。.
佐原市
佐原市(さわらし)は千葉県北東部に存在した市。2006年3月27日に香取郡栗源町、小見川町、山田町と合併し、香取市となった。.
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佐伯藩
佐伯藩(さいきはん佐伯藩の仮名表記については、『国史大辞典』第6巻(吉川弘文館、1985)135頁「佐伯藩」の項などに見える通り、大分県佐伯市の現行地名表記(大正5年(1916年)制定)と同様に「さいき」と表記するのが通例だが、『日本歴史大事典』第5巻(河出書房新社、1979)46頁「佐伯藩」の項のように、改編前の「さえき」表記を用いる例も見られる。)は、江戸時代に豊後海部郡に存在した藩の一つ。藩祖は毛利高政。藩庁は佐伯城(現在の大分県佐伯市)に置かれた。.
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佐賀藩
佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡にあった外様藩。肥前藩(ひぜんはん)ともいう。鍋島氏が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)と呼ばれることもある。明治維新を推進した薩長土肥のひとつである。現在の佐賀県、長崎県の一部にあたる。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市)。 藩主ははじめ龍造寺氏、後に鍋島氏。石高は35万7千石。支藩として蓮池藩、小城藩、鹿島藩があった。.
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佐藤良輔
佐藤良輔(さとう りょうすけ、1901年4月ー1991年4月17日)は、日本の経済学者。.
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彦根藩
近江彦根藩井伊家屋敷跡(東京都千代田区)の石碑 彦根藩邸址、京都市中京区木屋町 彦根藩(ひこねはん)は、近江国の北部を領有した藩。藩庁は彦根城(滋賀県彦根市)に置かれた(入封当初は佐和山城)。藩主は譜代大名筆頭の井伊氏。支藩として一時、彦根新田藩があった。.
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余震
余震(よしん、)とは大きな地震の後に、近接地域で引き続いて多数発生する地震である。最初の大きな地震を本震と言い、本震より前に発生する地震を前震という。震源の浅い規模の大きな地震のほとんどは、余震を伴う。余震の規模は本震より小さいが、本震に近い規模の余震が発生することもある。一般的には最大余震のマグニチュードは本震のそれよりも1程度小さいとされる。.
御嶽宿
御嶽宿(みたけじゅく)は中山道49番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国可児郡御嵩村(現・岐阜県可児郡御嵩町)に存在した。 願興寺の門前町として発達した。中山道制定当初からの宿場。 御嵩宿制札、御嵩宿問屋千木秤は、御嵩町指定重要文化財となっている。.
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御前崎
西側の海岸線から望む御前埼灯台と御前崎(右端) 御前崎(おまえざき)は、静岡県御前崎市御前崎に属し、東に駿河湾を、南に遠州灘を望む岬。静岡県では島嶼を除けば最南端である。.
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御油宿
御油宿(ごゆしゅく、ごゆじゅく)は、東海道五十三次の35番目の宿場である。現在の愛知県豊川市御油町に所在する。街道の面影を残す松並木(御油の松並木)が美しいことから観光地になっている。.
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徳島市立図書館
徳島市立図書館(とくしましりつとしょかん)は、徳島県徳島市元町にある市立図書館である。アミコビル内の5〜6階に位置する。 指定管理者は株式会社図書館流通センター、所管課は徳島市教育委員会社会教育課である。.
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徳島県
徳島県(とくしまけん)は、日本の県の一つ。四国の東部に位置する。県庁所在地は徳島市。.
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徳島藩
徳島藩(とくしまはん)は、阿波国(徳島県)・淡路国(兵庫県淡路島)の2国を領有した藩。藩庁は徳島城(徳島県徳島市)に置かれた。藩主は外様大名の蜂須賀氏。支藩として一時、富田藩があった。.
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信濃国
信濃国(しなののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 『万葉集』での枕詞は「水薦苅(みこもかる )」。.
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信濃飯田藩
飯田藩(いいだはん、信濃飯田藩)は、信濃国伊那郡南部(現在の長野県飯田市追手町)に存在した藩。藩庁は飯田城に置かれた。.
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志摩半島
志摩半島(しまはんとう)は、三重県の中東部に位置する半島。北側は伊勢湾、東側は遠州灘、南側は熊野灘に面している。度会郡・伊勢市・鳥羽市・志摩市を含み、大部分が伊勢志摩国立公園に指定されている。このうち、志摩市の大王町から志摩町にかけて英虞湾を囲む部分を「さきしま半島」と呼ぶ(表記に関しては後述)。.
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志摩市
志摩市(しまし)は、三重県志摩半島南部に位置する市。 2016年、第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)が市内の賢島で開催されたことでも知られる。.
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志摩町和具
志摩町和具(しまちょうわぐ)は三重県志摩市の地名。郵便番号は517-0703。住民基本台帳に基づく2013年4月1日現在の人口は5,168人。 前島半島(さきしまはんとう)の中心的な集落で、同県鳥羽市の菅島や相差(おうさつ)と並んで海女の多い地域として知られる。.
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土山宿
土山宿(つちやましゅく、つちやまじゅく)は、近江国甲賀郡にあった東海道五十三次の49番目の宿場である。現在の滋賀県甲賀市土山町北土山および土山町南土山にあたる。 明治の鉄道交通では、坂下宿同様、鈴鹿峠の急勾配が蒸気機関車の仇となり、西寄りの寺庄経由となった。 鈴鹿馬子唄に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と歌われる。.
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土佐市
土佐市(とさし)は、高知県中部に位置し、県内11市の中で面積最小の市。ちなみに自治体として旧国名「土佐」を名乗ったのは同県にある土佐郡土佐町の方が先である。.
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土佐国
土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.
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土佐藩
土佐藩(とさはん)は、廃藩置県以前に土佐国(現在の高知県)一円を領有した外様藩。明治初年の正称は高知藩(こうちはん)。藩庁は高知城(高知市)にあった。大広間詰国持大名。一貫して山内氏が支配した。 高知城 土佐藩邸跡 京都三条木屋町下ル 山之内氏が用いた家紋『土佐柏(とさかしわ)』 伏見土佐藩邸跡 京都市伏見区.
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土佐湾
禅師峰寺より浦戸方面を望む 土佐湾の範囲を示した地図 土佐湾(とさわん)は、高知県の湾。内側に入り組んだ形をしている。.
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土肥金山
土肥金山(といきんざん)または土肥鉱山(といこうざん)は、静岡県伊豆市土肥にある金の鉱山の跡である。伊豆市の指定史跡になっている。1972年からテーマパークとして一般に公開している。.
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地震
地震(じしん、earthquake)という語句は、以下の2つの意味で用いられる日本地震学会地震予知検討委員会(2007)。.
地震空白域
地震空白域(じしんくうはくいき)は、かつて地震活動があったにもかかわらず、長期間に渡って地震の震源がない、またはこれからもしばらくは起こらないであろうと予想される地域のこと。震度ではなくマグニチュードを基準としているため、離れた地域で起こった地震の影響で強く揺れたとしても、その地域は地震空白域であるとされる。空白域は大地震の前兆としてみられることもある。.
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地殻変動
地殻変動(ちかくへんどう、diastrophism)とは、地殻に応力が加わることで、長期間にわたり地殻の位置が年間数mmから数cm程度移動する現象である。地殻を構成するプレート運動や断層運動と密接に関係している。 陸上では水準測量、三角測量、GPS、水管傾斜計、石英管伸縮計によって長期間にわたり観測されている。近年では音波を用いて海底でも観測が始まっている。地殻変動観測は地震の研究・予知やプレート運動の研究などに生かされている。.
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北原糸子
北原 糸子(きたはら いとこ、1939年10月29日 - )は、日本の歴史学者。歴史地震研究会前会長。日本の災害史研究が専門。.
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北信
北信(ほくしん、きたしん).
北陸道
北陸道 北陸道(ほくりくどう、ほくろくどう、くぬがのみち)は、五畿七道の一つ。本州日本海側の中部の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から近世)を指す。.
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北海道駒ヶ岳
北海道駒ヶ岳(ほっかいどうこまがたけ)は、北海道森町、鹿部町、七飯町にまたがる標高1,131 mの活火山(成層火山)である。渡島国・渡島半島のランドマークとなっている。蝦夷駒ヶ岳(えぞこまがたけ)、渡島駒ヶ岳(おしまこまがたけ)とも呼ばれる。江戸時代の旧称は内浦岳。富士山型の紡錘状の山容から谷元旦が描いた絵画が渡島富士(おしまふじ)と呼ばれ、郷土富士となっている。「北海道」を冠するのは全国に多数存在する同名の山と区別するためであり、地元・北海道では単に駒ヶ岳と呼ばれる。.
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園部藩
園部藩(そのべはん)は、丹波国船井郡(現在の京都府南丹市園部町小桜町)に存在した藩。.
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マグニチュード
地震のマグニチュード (magnitude) とは、地震が発するエネルギーの大きさを対数で表した指標値である。揺れの大きさを表す震度とは異なる。日本の地震学者和達清夫の最大震度と震央までの距離を書き込んだ地図に着想を得て、アメリカの地震学者チャールズ・リヒターが考案した。 リヒターの名からリヒター・スケール (Richter scale, 、読:リクター・スケール) ともいう。マグニチュードは地震のエネルギーを1000の平方根を底とした対数で表した数値で、マグニチュードが 1 増えると地震のエネルギーは約31.6倍になり、マグニチュードが 2 増えると地震のエネルギーは1000倍になる。 地震学ではモーメントマグニチュード (Mw) が広く使われる。日本では気象庁マグニチュード (Mj) が広く使われるが、長周期の波が観測できるような規模の地震(Mj5.0以上)ではモーメントマグニチュードも解析・公表されている。 一般的にマグニチュードは M.
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チリ地震 (1960年)
津波来襲後のモキャ島の様子 1960年のチリ地震(チリじしん、西:Gran terremoto de Valdivia)は、同年5月、チリ中部のビオビオ州からアイセン州北部にかけての近海、長さ約1,000km・幅200kmの領域を震源域として発生した超巨大地震である。地震後、日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来し、大きな被害が発生した。バルディビア地震 (1960年) とも呼ばれている。.
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メートル
メートル(mètre、metre念のためであるが、ここでの「英」は英語(English language)による綴りを表しており、英国における綴りという意味ではない。詳細は「英語表記」の項及びノートの「英語での綴り」を参照。、記号: m)は、国際単位系 (SI) およびMKS単位系における長さの物理単位である。他の量とは関係せず完全に独立して与えられる7つのSI基本単位の一つである。なお、CGS単位系ではセンチメートル (cm) が基本単位となる。 元々は、地球の赤道と北極点の間の海抜ゼロにおける子午線弧長を 倍した長さを意図し、計量学の技術発展を反映して何度か更新された。1983年(昭和58年)に基準が見直され、現在は1秒の 分の1の時間に光が真空中を伝わる距離として定義されている。.
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ユーラシアプレート
ユーラシアプレート ユーラシアプレート(Eurasia Plate)は、東シベリア、インド亜大陸、アラビア半島の3地域を除くユーラシア大陸の地殻及びマントル上方のリソスフェアを形成する大陸プレートである。.
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ロシア
ア連邦(ロシアれんぽう、Российская Федерация)、またはロシア (Россия) は、ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家。.
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プレートテクトニクス
プレートテクトニクス()は、プレート理論ともいい、1960年代後半以降に発展した地球科学の学説。地球の表面が、右図に示したような何枚かの固い岩盤(「プレート」と呼ぶ)で構成されており、このプレートが、海溝に沈み込む事による重みが移動する主な力になり、対流するマントルに乗って互いに動いていると説明される。.
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ディアナ号
沈没するフリゲート「ディアナ号」 ディアナ号(ディアナごう)は、船の名前。日本では、19世紀のロシア海軍の軍艦として2隻の船が比較的に知られている。ほかにも、19世紀のロシアの軍艦として「ディアナ (ロシアの防護巡洋艦)」(en, パルラーダと同型)が存在する。音写表記としてはジアーナとも。.
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フィリピン海プレート
フィリピン海プレート(フィリピンかいプレート、Philippne Sea Plate)は、東は小笠原海溝やマリアナ海溝、北から西にかけては南海トラフ・琉球海溝・ルソン海溝・フィリピン海溝などに囲まれた海洋プレートである。 太平洋の北西部をしめるフィリピン海が主な領域。伊豆諸島・小笠原諸島・マリアナ諸島・ヤップ島・パラオと連なる島孤のほか、大東諸島、ルソン島の一部がこのプレート上にある。また、本州の中でも唯一伊豆半島だけがフィリピン海プレート上にある。.
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フィート
フィート、フート(計量法上の表記)又はフット(複: feet, 単: foot)は、ヤード・ポンド法における長さの単位である。様々な定義が存在したが、現在では「国際フィート」が最もよく用いられており、正確に 0.3048 メートルである。1フィートは12インチであり、3フィートが1ヤードである。 日本では、他のヤード・ポンド法の単位と同様、一定の場合に限り、当分の間、使用することができる。.
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別府温泉
竹瓦温泉 駅前高等温泉 観海寺温泉の大型リゾートホテル 明礬温泉の湯の花小屋 湯けむりが上がる鉄輪温泉街 鉄輪むし湯 鉄輪付近の源泉 名勝 海地獄 名勝 血の池地獄 別府温泉(べっぷおんせん)は、大分県別府市(旧国豊後国速見郡)の市内各地に数百ある温泉の総称。別府八湯(べっぷはっとう)、別府温泉郷(べっぷおんせんごう)とも呼ばれる。温泉都市として知られる別府は、源泉数、湧出量ともに日本一。 別府温泉はまた、広義の別府温泉(別府八湯)を構成する温泉のうちの別府市中心部にある温泉街の名称でもある(#別府温泉参照)。.
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嘉永
嘉永(かえい)は日本の元号の一つ。弘化の後、安政の前。1848年から1855年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家慶、徳川家定。.
善光寺
善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院で、住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とし、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には、「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになった。今日では御開帳が行われる丑年と未年に、より多くの参拝者が訪れる。.
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善光寺地震
善光寺地震(ぜんこうじじしん)とは、1847年5月8日(弘化4年3月24日)、信州(現長野県)の善光寺平(ぜんこうじだいら)を震源とし直下型で発震、付近に多大の損害をもたらした逆断層型の地震である。地震規模を示すマグニチュードは河角廣による推定でMK.
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善通寺
全景 (香色山の中腹より) 善通寺(ぜんつうじ)は、香川県善通寺市にある寺院。真言宗善通寺派総本山。屏風浦五岳山誕生院と号する。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられる。 平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された。伽藍は創建地である東院と、空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか ご詠歌:我住まば よも消えはてじ 善通寺 深き誓ひの 法のともしび.
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呉
呉(ご、くれ).
和田宿
和田宿(わだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十八番目の宿場。 現在の長野県小県郡長和町和田の中心部一帯。難所であった和田峠の入口にあたり、標高820メートル余りの高地にある静かな山里である。次の下諏訪宿まで五里十八町(約23km)と距離があったため、荷駄を運ぶための伝馬役が最盛期には70軒ほどあった。現在も旧本陣や古い家屋が現存し、修理保全されている。宿周辺の産物に黒曜石がある。.
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インターネットアーカイブ
旧インターネットアーカイブ本部(1996年 - 2009年11月) インターネットアーカイブ (The Internet Archive) は、WWW・マルチメディア資料のアーカイブ閲覧サービスとして有名なウェイバックマシン (Wayback Machine)を運営している団体である。本部はカリフォルニア州サンフランシスコのリッチモンド地区に置かれている。 アーカイブにはプログラムが自動で、または利用者が手動で収集したウェブページのコピー(ウェブアーカイブ)が混在しており、これは「WWWのスナップショット」と呼ばれる。ほか、ソフトウェア・映画・本・録音データ(音楽バンドなどの許可によるライブ公演の録音も含む)などがある。アーカイブは、それらの資料を無償で提供している。.
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センチメートル
ンチメートル(記号cm)は、国際単位系(SI)の長さの単位で、メートル(m)に相当する。基本単位のメートルとを表す接頭辞センチを組み合わせた単位である。.
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タウンゼント・ハリス
タウンゼント・ハリス(, 1804年10月3日 - 1878年2月25日)は、アメリカ合衆国の外交官。初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使。民主党員、敬虔な聖公会信徒で生涯独身・童貞を貫いた。タウンゼンド・ハリスと表記されることもある。 日本の江戸時代後期に訪日し、日米修好通商条約を締結したことで知られる。.
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サンフランシスコ
ンフランシスコ市郡(City and County of San Francisco、通称: San Francisco)は、アメリカ合衆国西海岸にあるカリフォルニア州の北部に位置する都市。.
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備後福山藩
福山城再建天守 正保城絵図「備後国福山城図」 福山藩(ふくやまはん)は、主に備後国(広島県東部)南部、備中国南西部周辺を領有した藩。藩庁は福山城(福山市)。石高(表高)は10万石で、阿部家7代藩主阿部正弘から11万石。.
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品川宿
品川宿(しながわしゅく、しながわじゅく)は、東海道五十三次の宿場の一つ。東海道の第一宿であり、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。.
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出石藩
出石藩(いずしはん)は、但馬国に存在した藩。藩庁は出石城(兵庫県豊岡市出石町)。 出石城本丸から城下町を俯.
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八幡宿
八幡宿(やわたしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十四番目の宿場である。 現在の長野県佐久市八幡。千曲川の西岸にあたり、対岸の塩名田宿との距離は1里もないが、川止めになったときの待機地として、また千曲川沿いの米の集散地として江戸時代初期の慶長年間に整備された宿場である。.
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八王子
八王子(はちおうじ).
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共立出版
共立出版株式会社(きょうりつしゅっぱん)は、理工系の専門書を中心に刊行している出版社。自然科学書協会、日本理学書総目録刊行会に加盟している。大学の教科書としてもよく使用され、大学生協との取引も多い。.
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前震
前震(ぜんしん、)とは一連の地震活動において本震の前に起こる地震のことである。比較的小さな地震(前震)が断層の一部を破壊したり断層にかかる応力を変化させ、より大きな規模の地震を引き起こすきっかけとなっているのではないかと考えられている。 多くの場合は、本震の後に起こる余震よりも規模が小さく数も少ないが、大きさ自体はさまざまで、時に本震と見まちがう場合もある。例えば、東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震の前震(三陸沖地震)はM7.3(最大震度5弱)、平成28年熊本地震はM6.5(最大震度7)であった。この2つの地震で、当初本震として発表されたものが、のちに前震であったと修正されたように、現在の科学技術では活動の最中に前震か本震かは判断できず、後になってから解析され判明する。.
勝浦藩
勝浦藩(かつうらはん)は、上総国(現在の千葉県勝浦市串浜、もしくは墨名字庚申山)に存在した藩。.
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固有地震
固有地震(こゆうじしん, Characteristic earthquake)とは、ある断層において、ほとんど同じ間隔と規模をもって、周期的に繰り返し発生する地震のこと。固有地震は震源域・規模や地震波形までも類似していることから、相似地震(そうじじしん)という呼び方もある。 また、地震は地殻内でランダムに発生するという考え方に対して、固有地震のように一定の時間的間隔をもってほぼ同じ震源域・規模の地震が発生するという学説を固有地震説と呼ぶ。 現在地震学では一般的に、マグニチュード6 - 7を超えるような大地震においては、そのほとんどが固有地震であると考えられている。.
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国崎町
国崎町(くざきちょう)は、三重県鳥羽市の町名。国崎は文字通り「くにざき」と読むこともある「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):423ページ。紀伊半島および志摩半島の最東端に位置し、それが町名の由来となった。郵便番号は517-0031。住民基本台帳に基づく2015年7月31日現在の人口は344人、2010年10月1日現在の面積は3.572644km2。 伊勢神宮の神饌として代表的なアワビはこの国崎町で調製されている。「石鏡女に国崎男」と言われ、国崎町には美男が多いとされている。.
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国立天文台
国立天文台(こくりつてんもんだい、National Astronomical Observatory of Japan, NAOJ)は、理論・観測の両面から天文学を研究する日本の研究所・大学共同利用機関である。大学共同利用機関法人自然科学研究機構を構成する研究所の1つでもある。 日本国外のハワイ観測所などいくつかの観測所や、三鷹キャンパスなどで研究活動をしており、総称として国立天文台と呼ばれる。本部は東京都三鷹市の三鷹キャンパス内にある。.
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国道1号
国道1号(こくどう1ごう)は、東京都中央区から大阪府大阪市北区へ至る一般国道である。ルートは旧東海道をほぼ踏襲した現代の東海道となっている。.
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四天王寺
四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。 『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられている。 宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。.
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四国
四国内の高速道路網(緑線)および本四架橋を含む県境をまたぐ大規模架橋(青線)。赤星および赤丸は人口上位10都市 四国(しこく)は、日本列島を構成する島の一つである島国 (領土がすべて島から成る国)である日本を構成する6,852の島に対する『国土交通省』による区分け ⇒ 6,852島(本土5島・離島6,847島)。<出典>『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識) 2009年11月27日閲覧。 ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。。 北海道・本州・九州とともに主要4島の一つでもあり、この中では最も小さい 国土地理院(注:表中の「沖縄島 おきなわじま」は、通称名「沖縄本島」の正式名称)【参考】 日本の島の面積順に上位10島 ⇒ 本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬。 国立天文台 (編)理科年表 平成19年版 P565、ISBN 4621077635。。最高標高は石鎚山の1,982mで、福井・石川・岐阜県境の両白山地三ノ峰 (2128m) 以西の西日本では最も高い。面積は18,297.78km2で、世界の島の中では、バナナル島(ブラジル)に次ぐ第50位の大きさである世界の島の面積順位より抜粋、出典 List of islands by area(島:オーストラリア大陸の面積未満で、四方を水域に囲まれる陸地) ------------------------- ------------------------- ------------------------- ------------------------- 四国とその付随する島(小豆島、大三島、大島、中島、伯方島、豊島など)を合わせて「四国地方」と言う地方公共団体(都道府県)別では、徳島県、香川県、愛媛県、高知県の4県が所在する。 。これら付随する島を含めないことを強調したい場合、「四国本土」あるいは「四国島」と呼ぶこともある。(日本の地理・四国、日本の地域・四国地方も参照) 四国には、徳島県、香川県、愛媛県、高知県の4つの地方公共団体(県)があり、4県総人口は3,762,941人であり、概ね横浜市人口に匹敵する,。(表右下 四国地方も参照) 四国の古代の呼称は、「伊予之二名島」・「伊予二名洲」(いよのふたなのしま)である。.
四日市宿
歌川広重『東海道五十三次・四日市』 四日市宿(よっかいちしゅく、よっかいちじゅく)は、東海道五十三次の43番目の宿場である。現在は三重県四日市市。幕府直轄の天領であり、代官所が置かれていた。宮宿との間に「十里の渡し」があった。宿内人別:7114人(男3522人、女3592人) 宿内総家数:1811軒(本陣2、脇本陣1、旅籠98)。.
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倉賀野宿
倉賀野宿(くらがのしゅく)とは、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて12番目の宿場である。日光例幣使街道が分岐している。現在の群馬県高崎市倉賀野町に相当する。.
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倉敷地域
倉敷地域(くらしき ちいき)は、岡山県倉敷市における行政上の地域区分である。市域の北中部に位置し、市役所の本庁直轄エリアである。倉敷美観地区のある倉敷中心市街地を中枢としており、水島地域・玉島地域・児島地域とともに倉敷市の主要4地域を形成している。 倉敷市内の一地域としての「倉敷」は、当ページで説明しているエリアの他に、当地と水島を合わせた旧倉敷市域を指す事や、他に当地に支所管轄域としては小規模な茶屋町地区・庄地区の両地域を合わせたものを指す事もあるが、市内の「倉敷」としてはおおむね当地をさす事がほとんどである。 また狭義では、旧倉敷町(倉敷村)域を指す事もあり、これについては倉敷町および倉敷を参照のこと。 本項では便宜上、1928年から1967年まで存在した旧倉敷市についても当ページで記述している(「#倉敷市」参照)。.
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矢田俊文 (歴史学者)
俊文(やた としふみ、1954年1月 - )は、日本の歴史学者、新潟大学人文学部教授。日本中世史、特に越後の上杉氏を中心とした戦国大名に関する業績や、歴史学の立場からの地震研究によって知られる。新潟史学会会長。.
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石 (単位)
石(こく)は、尺貫法における体積(容量)の単位の一つ。 古代の中国においては、「石」は質量の単位であった。現在は質量の単位としては「担」、体積の単位としては「石」と書く。日本ではもっぱら体積の単位としてのみ用いられた。.
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石部宿
歌川広重『東海道五十三次・石部』 石部宿(いしべしゅく、いしべじゅく)は、近江国甲賀郡にあった東海道五十三次の51番目の宿場である。現在の滋賀県湖南市石部(2004年10月1日の市町村合併前は甲賀郡石部町)。.
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石薬師宿
石薬師宿(いしやくししゅく、いしやくしじゅく)は、東海道五十三次の44番目の宿場である。現在は三重県鈴鹿市。 1616年(元和2年)に宿場となった。.
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石橋克彦
石橋 克彦(いしばし かつひこ、1944年8月1日 - )は、日本の地球科学者、理学博士、神戸大学名誉教授。専門は歴史地震、地震テクトニクス。.
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災害記念碑
昭和8年に建てられた大津波記念碑(岩手県宮古市) 災害記念碑(さいがいきねんひ)は、地震、津波、噴火、火災、事故といった大規模な災害の実情を後世に伝え残すために、教訓として作られた記念碑である。全国に存在するが、津波被害の多かった三陸海岸に特に多く津波記念碑のみで約200基が存在する。.
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理科年表
科年表(りかねんぴょう、Chronological Scientific Tables)は、国立天文台が編纂し丸善が発行する自然科学に関するデータ集である。.
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磐田市
市(いわたし)は、静岡県西部地区の市。旧磐田郡の一部。.
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神奈川宿
奈川宿(歌川広重『東海道五十三次』より:現在の青木橋付近から横浜駅西口方面にあった海を望む) 料亭田中家。上記の広重の画に描かれた「さくらや」のあたりに現存 葛飾北斎『冨嶽三十六景』神奈川沖浪裏」 神奈川宿(かながわしゅく、かながわじゅく)は、東海道五十三次の3番目の宿場である。武蔵国橘樹郡、今の神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町付近にあった。付近には神奈川湊があった。 神奈川宿は神奈川湊の傍に併設された町であり、相模国や武蔵国多摩郡方面への物資の経由地として栄えた。なお幕末には開港場に指定されたが、実際には対岸の横浜村(現在の中区関内地区)が開港となり、開国以降次第に商業の中心は外国人居留地が作られたこの横浜村に移っていった。.
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神奈川県
奈川県(かながわけん)は、日本の県の一つ。関東地方の南西端、東京都の南に位置する。県庁所在地は横浜市。県名は東海道筋に古くから栄えた宿場町神奈川宿(現・横浜市神奈川区)、および幕末に戸部町(現・横浜市西区紅葉ヶ丘)に置かれた神奈川奉行所に由来する。これら「神奈川」の由来は、京急仲木戸駅近くに流れていた長さ300メートル (m) ほどの小川の名前からで、現在は道路になっている。 都道府県別の人口は東京都に次ぐ第2位、人口密度は東京都、大阪府に次ぐ第3位である。県内総生産も東京都、大阪府、愛知県に次ぐ第4位となっている。県内の政令指定都市数は3つと日本最多で、面積は第43位の規模である(平成19年度面積)、国土地理院。。.
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神戸港
戸港(こうべこう)は、兵庫県神戸市にある港湾。港湾法上の国際戦略港湾に指定されている。 日本の主要な国際貿易港(五大港)の一つで、スーパー中枢港湾の指定を大阪港と共に受けている。1868年1月1日(慶応3年12月7日)に開港。現在の日本三大旅客港の一つ。 神戸港夕景(新港第一突堤から西を望む).
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福島宿 (中山道)
福島宿(ふくしまじゅく)は中山道37番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曾郡木曽町福島。 関所は、宿場の北入口にあった。.
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福井藩
松平忠昌上屋敷(龍ノ口屋敷)模型 福井城(現在は福井県庁) 福井藩(ふくいはん)は、越前国にあって現在の福井県嶺北中心部を治めた藩。藩庁は福井城(福井市)。藩主は越前松平家(福井藩主家)。家格は親藩・御家門で、32万石。越前藩(えちぜんはん)とも呼ばれる。また、北の庄(北ノ荘)という地名が「福井(福居)」と改称される以前の、つまり第3代忠昌以前の結城(松平)秀康・忠直時代を故に北ノ荘藩(きたのしょうはん)と称することがある。.
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程ヶ谷宿
保土ヶ谷宿・帷子橋(歌川広重『東海道五十三次』より) 現在の帷子橋跡(天王町駅前) 葛飾北斎「冨嶽三十六景・東海道程ヶ谷」 程ヶ谷宿(ほどがやしゅく、ほどがやじゅく、保土ヶ谷宿とも書く)は、東海道五十三次の4番目の宿場である。東海道では武蔵国最西端の宿場町である。.
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答志島
志島(とうしじま)は、三重県鳥羽市にある離島。 東西約6キロメートル、南北約1.5キロメートル。面積約7平方キロメートルで、鳥羽湾および三重県内では最大。鳥羽市の無形民俗文化財に指定されている寝屋子制度が残る。.
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箱根宿
箱根宿(はこねしゅく、はこねじゅく)は、東海道五十三次の10番目の宿場である。現在の神奈川県足柄下郡箱根町にあった。.
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築地書館
築地書館(つきじしょかん)は、日本の出版社。自然、環境、子育て、歴史、文学、社会問題から生活実用書までを発行する。.
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米
米(こめ、rice)は、稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物である。穀物の一種として米穀(べいこく)とも呼ぶ。東アジア・東南アジア・南アジア以外では一般的に主食として特別視することが希薄であり、日本語でいう「米」「稲」「飯」といった、収穫前・収穫後・調理前・調理後などによる区別がない言語が多数ある。例えば英語圏ではすべてriceという同一の単語で扱われる。.
米沢藩
戦国時代から江戸時代初期にかけての上杉氏系図。米沢藩の初代藩主・上杉景勝から第3代藩主・上杉綱勝まで。 江戸時代中期から昭和時代までの上杉氏系図。4代藩主・上杉綱憲から現当主まで。 米沢藩(よねざわはん)は、出羽国(明治維新以降の羽前国)置賜郡(現在の山形県東南部置賜地方)を治めた藩。藩庁は米沢城(米沢市)。藩主は上杉氏。家格は外様で国主、石高は30万石、のち15万石から18万7千石。.
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粥
七草粥 粥(かゆ)は、米(うるち米)、麦、粟、ソバなどの穀類や豆類、芋類などを多めの水で柔らかく煮た料理。粥の上澄み液は重湯(おもゆ)という。関西地方では「おかいさん」ともいう。 穀類、水、熱源と鍋または炊飯器どちらかひとつがあれば簡単に調理できる料理である。粥は消化が良く、体も温まることから胃や腸が弱っている時や風邪などの病気の際に食べる事が多い。また、離乳食としても用いられ精進料理の主食としても欠かせない。或いは低カロリー食品としてダイエットとしても利用されることの多い食事である。朝食に食べる人も少なくなく、ホテルのレストランなどでも朝食に出す場合があり、専門店も存在する。 炊きあげてから時間がたつと糊状となって極端に食感が悪くなるため「人を待たしても粥は待たすな」の格言がある。 日本だけでなく、中国、朝鮮半島、ベトナム、シンガポール、マレーシア、タイなど東アジア・東南アジアでも一般的な食事である。中国では全般に用いる「粥(ジョウ )」の他、米のものを「大米粥(ダーミージョウ )」、「稀飯(シーファン )」、「糜(ミー )」などとも呼ぶ。三分粥のような薄いものは汁物扱いで「米湯(ミータン )」、「撩命湯(リャオミンタン )」などと呼ぶ地域もある。中国では日本の粥より米が原型を残していない場合が多いが、地域によって、どの程度まで煮込むかの違いがある。例えば広東省では半分形が無くなる程度まで煮込むことが多いが、潮州料理では原型を残すことが多く、逆に順徳料理にはほぼ米の原型がなくなるまで煮た「冇米粥」(モウマイチョッ。米無し粥の意味)と呼ぶものがある。 アジアだけではなくヨーロッパやアフリカにも粥がある。フランスのブルターニュ地方では古くからそば粥が庶民の常食とされていた。中欧や北欧では、最も量の多い食事を昼に食べると、夕食は粥で軽く済ませることも多い。ドイツでは、オートミール、ソバ、米、セモリナなどの粥を穀物のスープと呼び、バター、砂糖、シナモン、レーズン、果物のコンポート、ナッツなどを加えて食べる。ロシアにもカーシャという粥がある。砂糖を入れて甘く作った牛乳粥は南アジア、西アジア、中近東、ヨーロッパ、北アフリカにかけての広い地域で見られ、例えばスペイン語圏の各国では「アロス・コン・レチェ」として、主に子どもが喜ぶおやつとしてよく食べられている。粥の水分を少なくすればプディング、多くすればスープに近くなる。.
細久手宿
細久手宿(ほそくてじゅく)は中山道48番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国土岐郡細久手村(現・岐阜県瑞浪市)に存在した。 慶長15年(1610年)に新設された宿場で、尾張藩領であった。.
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紀州藩
紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡(東京都千代田区)の石碑 和歌山城 紀州藩(きしゅうはん)は、江戸時代に紀伊国一国と伊勢国の南部(現在の和歌山県と三重県南部)を治めた藩。紀伊藩(きいはん)とも呼ばれる。 版籍奉還後に定められた正式名称は和歌山藩(わかやまはん)。藩庁は和歌山城(和歌山県和歌山市)。藩主は紀州徳川家。紀州家は徳川御三家の一つで、石高は55万5千石。紀伊一国37万石のほか、伊勢国内の17万9千石を統括するために松坂城に城代を置いた。その他、大和国に約1千石の所領があった(石高には御附家老の水野家新宮領と安藤家田辺領を含む)。.
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紀伊国
紀伊国(きいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.
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紀伊田辺藩
紀伊田辺藩(きいたなべはん)は、紀州徳川家の御付家老だった安藤氏が治めた藩。代々紀州藩主を補佐し、紀伊国に3万8千石の所領を与えられたが、紀州徳川家の家臣であることから徳川将軍家の陪臣となり、江戸時代を通じて独立した藩としては扱われなかった。藩主が諸侯に列し正式に藩として認められたのは明治維新後のことである。.
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紀伊水道
紀伊水道(きいすいどう)は、和歌山県、徳島県、兵庫県淡路島によって囲まれる海域。東西・南北とも約50km。 名称の由来は、水道に沿って東部に位置し、かつての行政区画だった令制国の一つ、紀伊国(きいのくに)に因る。.
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紀伊新宮藩
新宮藩(しんぐうはん)は、現在の和歌山県新宮市(紀伊国)を治めた藩。ただし、藩として正式に立藩されたのは明治元年(1868年)のことである。藩庁は新宮城(和歌山県新宮市)。藩主は紀州藩の御附家老だった水野家で、石高は3万5千石。.
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紀北町
紀北町(きほくちょう)は、三重県南部に位置する町。世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道)ツヅラト峠、始神峠、馬越峠などを有する。.
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網代 (熱海市)
網代(あじろ)は、静岡県熱海市の地名。2011年12月末の人口は1,681人。郵便番号は413-0103。本項では1889年(明治22年)の町村制施行時に同区域に存在した網代村、同村が町制施行した網代町についても記す。.
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緯度
緯度(いど、Latitude, Breite)とは、経緯度(=経度・緯度。すなわち天体表面上の位置を示す座標)の一つである。以下特に断らない限り、地球の緯度について述べる。余緯度とは緯度の余角。.
美江寺宿
美江寺宿(みえじじゅく)は中山道55番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国大野郡美江寺村(現・岐阜県瑞穂市)に存在した。 1589年(天正17年)、豊臣秀吉の下知により問屋場が設けられた。江戸時代になって中山道の宿場となったが、1637年(寛永14年)が公式の開設である。本陣は1669年(寛文9年)の開設で、以後、宿駅制が廃止まで、山本家が世襲した。 美江寺という名は、「美しき長江のごとくあれ」と祈念されて美江寺という寺院が建てられた事に始まる。719年(養老3年)創建の十一面観音を本尊とした寺院。 歌川広重の「木曽海道六十九次・みゑじ」の場所は、美江寺宿の南端から京へ1町ほど(.
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羽鳥徳太郎
羽鳥 徳太郎(はとり とくたろう、1922年 - 2015年12月6日) は日本の地震学者。歴史地震により生じた津波に関し多くの研究がある。.
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習志野
習志野(ならしの)は千葉県北西部にある地名。下総台地の一画を占め船橋市、八千代市、習志野市に跨っている。 この地域は中世以来、馬の放牧場であったが明治時代に陸軍の演習場となり(この頃から習志野と呼ばれる)現在では東京へのベッドタウンとなっている。 習志野市の名称の由来となったが、元々の「習志野」は旧・二宮町(現・船橋市東部)であり、そこから意味する領域が拡大されていった(習志野#「習志野」の名前を持つ主な施設も参照)広域地名である。 世間一般には「習志野」が、習志野市のあたりを示す地名であるとよく誤解されている『何ともややこしい地域』である。.
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真岡藩
真岡藩(もおかはん)は、下野芳賀郡真岡郷(現在の栃木県真岡市)に存在した藩。.
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父島
島(ちちじま)は、東京都・小笠原諸島の父島列島の島。.
経度
メルカトル図法による世界地図。縦の線が経線 経度(けいど、Longitude, Länge)とは、経緯度(=経度・緯度。すなわち天体表面上の位置を示す座標)の一つである。以下、特に断らない限り、地球の経度について述べる。.
生野銀山
慶寿ひ(金香瀬旧坑露頭群) 代官所門(入場門) 生野銀山(いくのぎんざん)は、兵庫県朝来市(但馬国)に開かれていた戦国時代から近代にかけての日本有数の銀山である。 明治新政府が日本の鉱業(鉱山・製鉱所)の近代化を確立するために最初に官営(直轄)鉱山とした模範鉱山である。.
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田
植え前の田 田植え後の田 夏の水田 スズメなどによる食害を防ぐため反射テープを張った田 秋の稲穂 刈田と稲木に架けた稲の天日干し 刈田完了後の田 鑑賞を前提に作られた田 イラン マーザンダラーン州の田 タイ王国 チェンマイ県の田 イタリア ロンバルディア州の田 田(た)は、穀物を栽培するために区画された農地をいう。田圃(たんぼ)、水田(すいでん)ともいう。.
田原藩
原藩(たはらはん)は、三河国田原(現在の愛知県東部・渥美半島)にあった譜代大名の藩である。本拠は室町時代末期に築かれた田原城。.
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田子の浦
子の浦、田子ノ浦(たごのうら)は、駿河湾西沿岸を指す名称である。万葉仮名では田兒之浦とある。.
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由比宿
由比宿(ゆいしゅく、ゆいじゅく)は、東海道五十三次の16番目の宿場である。現在の静岡県静岡市清水区に位置する。 本陣跡が整備され、由比本陣公園となっている。.
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甲寅
寅(きのえとら、こういん)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの51番目で、前は癸丑、次は乙卯である。陰陽五行では、十干の甲は陽の木、十二支の寅は陽の木で、比和である。.
甲州市
州市中心部(旧塩山市)周辺の空中写真。市街地の北西に隣接した単独峰は、塩山の地名の由来となった塩ノ山である。1976年撮影の2枚を合成作成。国土航空写真。 甲州市(こうしゅうし)は、山梨県北東部に位置する市である。.
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甲府
* 甲府盆地 - 甲府を含む盆地。.
甲府盆地
府盆地 桃の花咲く甲府盆地と南アルプス 大菩薩嶺から見た甲府盆地 甲府盆地(こうふぼんち)は、山梨県中央部に位置する盆地。やや東西に長い逆三角形の盆地形状で、面積は2115km2。長野県の松本盆地や諏訪盆地と続く構造盆地。中心部に県庁所在地甲府市が位置するほか、甲州市や山梨市など、多くの市域を含む。.
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甲西町 (山梨県)
古長禅寺 安藤家住宅 甲西町(こうさいまち)は、山梨県中西部に存在した町である。 平成の大合併以前の山梨県における町の中で白根町、櫛形町、敷島町、上野原町、白州町、河口湖町とともに数少なく「まち」と読む自治体であった(この7町も合併で消滅したが、河口湖町だけは富士河口湖町となり現在も県内で唯一「まち」を名乗っている)。.
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甲斐国
斐国(かいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
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町 (単位)
(ちょう)は尺貫法での長さ(距離)または面積の単位である。.
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熊谷宿
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熊野市
野市(くまのし)は、三重県の南部に位置し、熊野灘に面する市である。吉野熊野国立公園内に位置し、豊かな自然と温暖な気候に恵まれる。旧南牟婁郡。.
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熊野灘
野灘(くまのなだ)は、フィリピン海(北西太平洋)のうち、日本の紀伊半島南端の和歌山県の潮岬から三重県大王崎にかけての海域の名称。.
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熊本藩
本藩(くまもとはん)は、1600年から1871年まで存在した藩。52万石。1871年肥後国(熊本県)の球磨郡・天草郡を除く地域と豊後国(大分県)の一部(鶴崎・佐賀関等)を知行した。肥後藩(ひごはん)とも呼ばれる。藩庁は熊本城(熊本市)に置かれた。.
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熱海市
熱海市(あたみし)は、静岡県の市。静岡県の最東部に位置し、神奈川県と接する。.
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燗酒
ンロでお燗する様子 燗酒(かんざけ、𤏐酒と表記することもあり)とは、加熱した酒のことである。なお、酒自体を加熱する行為のことを、燗(かん)を付ける、お燗(おかん)するなどと言い、燗した日本酒は燗酒(かんざけ)と呼ばれる。温度帯による呼び名がいくつかある。ぬる燗、ひなた燗など。ただし、お湯を加えることで酒の温度を上げる行為を燗とは言わず、その場合は、お湯割り(おゆわり)と呼んで区別される。基本的に、燗を行う時、加水(お湯も含む)は行われない。(加水が行われるケースについては、「燗の現状 (焼酎)」の節を参照のこと。).
番場宿
場宿(ばんばしゅく、ばんばじゅく)は近江国坂田郡にあった中山道の62番目の宿場で、現在は滋賀県米原市番場。 飛鳥時代に「東山道」と呼ばれた頃以来の宿場。江戸時代の慶長16年(1611年)、番場宿から米原までの切通しと米原港が開設され、中山道から湖上の水運に乗り換えて京都へ結ぶ近道への分岐点となった。.
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畿内
畿内(きない、きだい、うちつくに)とは、.
牧之原市
牧之原市(まきのはらし)は、静岡県中部に位置する市。.
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相良藩
良藩(さがらはん)は、遠江国榛原郡相良(現在の静岡県牧之原市相良)周辺に存在した藩。藩庁は相良陣屋(一時、相良城)。.
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白須賀宿
歌川広重『東海道五十三次・白須賀』 白須賀宿(しらすかしゅく、しらすかじゅく)は、東海道五十三次の32番目の宿場である。現在の静岡県湖西市白須賀。遠江国最西端で、且つ、現在の47都道府県でも静岡県最西端の宿場町である。西の加宿境宿で売られていた柏餅は、白須賀宿の名物として有名だった。.
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白鳥神社 (郡上市)
白鳥神社(しろとりじんじゃ)は、岐阜県郡上市に鎮座する、地名「白鳥」の由来となった神社である。社格は旧郷社。.
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白河藩
白河藩(しらかわはん)は、江戸時代に陸奥国白河郡白河(現在の福島県白河市)周辺を知行した藩。藩庁は白河城。支藩として、一時期存在した白河新田藩がある。.
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銚子
銚子(ちょうし).
銚子市
銚子市(ちょうしし)は、関東地方の東部、千葉県の北東部にある市。全国屈指の漁港の町でもある。市の北部には利根川が流れており、銚子市で太平洋に注ぐ。利根川を挟んで対岸の茨城県神栖市への通勤率は10.7%(平成22年国勢調査)。市全域で銚子ジオパークをなす。.
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芦田宿
芦田宿(あしだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十六番目の宿場。現在の長野県北佐久郡立科町芦田にあたる。難所であった笠取峠の東の入口にある。生糸の産地でもあった。.
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鞠子宿
子宿(まりこしゅく、まりこじゅく)は、東海道五十三次の20番目の宿場である。丸子とも書く。現在の静岡県静岡市駿河区丸子で、最寄り駅は東海道線安倍川駅。.
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遠州灘
遠州灘(えんしゅうなだ)は、太平洋(フィリピン海、北西太平洋)にある海域の名称。狭義には静岡県の御前崎から愛知県の伊良湖岬までの約110km、広義には静岡県の石廊崎から三重県の大王崎までの約180kmの海域を意味する。遠江灘(とおとうみなだ)、天竜灘(てんりゅうなだ)とも呼ばれる。.
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遠江国
遠江国(とおとうみのくに/とほたふみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。東海道に属する。.
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草加宿
草加宿(そうかしゅく)は、日光街道および奥州街道の2番目の宿駅(宿場町)である。.
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草津宿
歌川広重『東海道五十三次・草津』 歌川広重『木曽街道六十九次・草津』 草津宿(くさつしゅく、くさつじゅく、くさつやど)は、近江国栗太郡にあった東海道五十三次の52番目の宿場で、中山道が合流する。現在は滋賀県草津市市街。本陣が現存し、国の史跡に指定されている。 東海道の江戸方からは、草津川を越えて、堤防沿いに進むと、東横町・西横町と続き、中山道との合流点に至る。ここで左折し、一町目から六町目まで続き、宮川を渡って、最後が宮町である。中山道からは、天井川である旧草津川をトンネルで抜けると追分に至るが、トンネルができたのは明治19年(1886年)のことである。.
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菊川市
菊川市(きくがわし)は、静岡県の東遠地域にある都市である。.
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菰野藩
菰野藩(こものはん)は、伊勢国三重郡(現在の三重県三重郡菰野町菰野)に存在した藩。.
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落合宿
落合宿(おちあいじゅく)は中山道44番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国恵那郡落合村(現・岐阜県中津川市)に存在した。.
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静岡市
静岡市(しずおかし)は静岡県中部に位置する政令指定都市であり、同県の県庁所在地である。.
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静岡県
静岡県(しずおかけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は静岡市。中部地方及び東海地方に含まれる。2017年(平成29年)現在、県の人口は約367万人であり都道府県別で第10位である。.
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頸城郡
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須原宿
原宿(すはらじゅく)は中山道39番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡大桑村。 木曽川の氾濫で流失し、享保2年(1717年)に現在地へ移転した。.
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須崎市
崎市(すさきし)は、高知県の中部に位置し、太平洋に面する市。.
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衝上断層
衝上断層(しょうじょうだんそう、Thrust fault)とは、上位の地層が下位の地層に対して緩い角度でずり上がった断層。断層角(断層面と水平面のなす角度)が45度以下の逆断層をいい、低角逆断層とも呼ばれる。.
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袋井宿
歌川広重『東海道五十三次・袋井』 袋井宿(ふくろいしゅく、ふくろいじゅく) は旧東海道の宿場で、東海道五十三次の宿場の数では江戸から数えても京から数えても27番目で中間点にあたる。他の宿場より少し遅れて元和2年(1616年)までに整備された。 現在の静岡県袋井市中心部にあたる。周辺に遠州三山をはじめ歴史ある寺や神社が点在し、それらのいわば門前町の形で栄えた。.
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袋井市
袋井市(ふくろいし)は、静岡県の西部の中央に位置する市。.
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飯山藩
飯山藩(いいやまはん)は、信濃国(現在の長野県飯山市飯山)を支配した藩。藩庁は飯山城。.
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飯田汲事
飯田 汲事(いいだ くめじ、1909年2月21日 - 2000年7月17日)は、日本の地震学者。.
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飛騨地震
飛騨地震の震度分布 飛騨地震(ひだじしん)は、1855年3月18日(安政2年2月1日)、飛騨国白川郷(北緯36.25度、東経136.9度)を震源に発生した地震。M6.8。.
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飛越地震
飛越地震(ひえつじしん)は、1858年4月9日(安政5年2月26日)午前1時頃、越中・飛騨国境(現在の富山・岐阜県境)の跡津川断層を震源に発生したM7.0 - 7.1と推定される地震。安政飛越地震とも呼ばれる。「飛越」とは飛騨と越中を並びさす言葉である。.
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館林藩
林藩(たてばやしはん)は、上野邑楽郡にあった徳川家と関わりが深い藩。石高は、短い一時期を除いておおむね5万石から11万石の中藩で、御両典のひとつとして御三家に継ぐ高い家格を持った徳川綱吉とその子・徳松の時代は例外的に25万石だった。藩庁は館林城(現在の群馬県館林市城町)。.
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西尾藩
西尾藩(にしおはん)は、江戸時代に三河国に存在した藩。西尾城(現愛知県西尾市)を居城とした。藩主は、本多氏(膳所)、松平氏 (大給府内)、太田氏、井伊氏(与板)、増山氏、土井氏(刈谷)、三浦氏、松平氏(大給西尾)が就封した。.
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西海道
西海道(さいかいどう、にしのみち)は、五畿七道の一つ。九州とその周辺の島々の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から中世)を指す。.
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馬籠宿
渓斎英泉「木曽街道六十九次・馬籠」 馬籠宿付近の立体視画像(平行法)。赤線が中山道。右上北東が馬籠峠方向。狭い尾根を縦走する中山道両側に石垣を積み上げ、南西端の勾配の大きい地形を桝形に利用している。黄線が馬篭バスストップよりのアクセス道路。航空写真撮影時にはなかった谷底の堰堤上を、現在徒歩でアクセスできるように整備されている。航空写真は1977年撮影国土航空写真 馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。 かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。 石畳の敷かれた坂に沿う宿場で、馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿(長野県木曽郡)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。.
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見附宿
歌川広重『東海道五十三次・見附』 見附宿(みつけしゅく、みつけじゅく) は、東海道五十三次の28番目の宿場である。.
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駿府
駿府(すんぷ)は、駿河国(するがのくに)の国府が置かれた都市である。駿河国府中の略であるが、律令時代以後も近世まで長く駿府又は府中と言われ、江戸期、単に府中と言えば駿府を指した。明治になり徳川宗家ゆかりの地であるがゆえに新政府に恭順の意を示すため、市内の賤機山(しずはたやま)にちなみ静岡に改称。現在の静岡市葵区のほぼ中心市街地を形成している地域に当たる。.
駿府城
駿府城の航空写真(1988年撮影)国土航空写真 城郭図 駿府城(すんぷじょう)は駿河国安倍郡府中、現在の静岡県静岡市葵区にあった日本の城である。別名は府中城や静岡城など。 江戸時代には駿府藩や駿府城代が、明治維新期には再び駿府藩(間もなく静岡藩に改称)が置かれた。.
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駿河トラフ
駿河トラフ(するがトラフ)とは、ユーラシアプレート東端とフィリピン海プレート北端の接する南海トラフ(右図赤線)の内、特に北端部の駿河湾内に位置するトラフを指す。伊豆半島を挟んで、北東側には相模トラフがある。.
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駿河国
駿河国(するがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
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駿河湾
薩埵峠から望む駿河湾越しの富士山と愛鷹山 駿河湾(するがわん)は伊豆半島先端にある石廊崎と御前崎を結ぶ線より北側の海域出典: - 国土交通省中部地方整備局 名古屋港湾空港技術調査事務所、2012年11月1日閲覧。最深部は水深2500mに達し、日本で最も深い湾である出典: - 静岡県、2012年11月1日閲覧。.
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験潮場
験潮場(けんちょうじょう)とは、潮位を測る場所である。建物の中に、海面の昇降を連続的に記録する験潮儀等を格納している。永久標識である。 設置機関により呼称・名称が以下のように異なっている。.
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誘発地震
誘発地震(ゆうはつじしん)は、巨大地震に誘発されてその震源域から離れた場所で発生する地震である。波及地震、広義の余震、あるいは連鎖地震とも呼称される。海溝型地震に関わるものを誘発地震、活断層型地震に関わるものを連鎖地震と呼ぶことが多い。また、特に本震から遠方の地域で誘発された地震を遠方誘発地震と呼ぶ場合がある。.
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諏訪藩
諏訪藩(すわはん)は、信濃国諏訪郡周辺を領有した藩。高島藩(たかしまはん)とも呼ばれる。藩庁は高島城(長野県諏訪市)。.
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高宮宿
宮宿(たかみやしゅく、たかみやじゅく)は近江国犬上郡にあった中山道の64番目の宿場で、現在は滋賀県彦根市高宮町。.
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高山陣屋
山陣屋表門 高山陣屋(たかやまじんや)は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所・飛騨郡代役所(陣屋)。現在の岐阜県高山市八軒町に置かれた。.
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高岡
岡(たかおか).
高崎宿
崎宿(たかさきしゅく)とは、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて13番目の宿場。 また、高崎宿から三国街道が分岐しており、その起点の宿場である。現在の群馬県高崎市にあたる。.
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高崎藩
崎城 高崎藩(たかさきはん)は、上野群馬郡(群馬県高崎市)周辺を領した藩。藩庁は高崎城に置かれた。.
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高遠藩
遠藩(たかとおはん)は、信濃国南部(現在の長野県伊那市高遠町)に存在した藩。居城は高遠城。.
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高松藩
松城月見櫓 高松藩(たかまつはん)は、江戸時代に讃岐国(現在の香川県)を領有した藩。生駒氏の代は讃岐一国を領していたが、松平氏(高松松平家)の代になり半国の東讃地域を領した。藩庁は高松城(現在の高松市)。.
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高札
札(こうさつ・たかふだ)とは、古代から明治時代初期にかけて行われた法令(一般法、基本法)を板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させる方法である。なお、特定の相手や事柄を対象として制定された法令(特別法)を記した同様の掲示を制札(せいさつ)と呼ぶが、その実際の運用上は厳密に区別されていたとは言い難かったようである。.
鯖江藩
鯖江藩(さばえはん)は、越前国(現在の福井県の敦賀市から北部分)に存在した藩。鯖江陣屋に藩庁が置かれた。.
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鰍沢
鰍沢(かじかざわ)は落語の演目のひとつ。江戸落語で広く演じられる。.
豊予海峡
愛媛県佐田岬(右側)と大分県関崎(左側)に挟まれる豊予海峡 高島 豊予海峡(ほうよかいきょう)は、大分県大分市(旧佐賀関町)の関崎と愛媛県伊方町(旧三崎町)の佐田岬によって挟まれる海峡。速吸瀬戸(はやすいのせと)とも呼ばれる。.
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豊予海峡地震
豊予海峡地震(ほうよかいきょうじしん)は、江戸時代後期の1854年12月26日(嘉永7年/安政元年大地震を期に改元されたのは11月27日であるため、古記録は「嘉永七年」である。11月7日)辰下刻-巳上刻(9-10時頃)に、豊予海峡を震源として発生したマグニチュード(M)7.4の地震である。豊予地震、豊予大地震とも呼ばれる。.
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豊後国
豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
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貫
貫(かん)は、尺貫法における質量の単位、また江戸時代以前の通貨の単位である。 江戸時代の一貫は分銅および定位貨幣の実測によれば平均して3.736キログラムで年代を通じてほぼ一定であったが、江戸時代後期(19世紀以降)にやや増加して3.75キログラムを超えたという岩田重雄 『計量史研究』 「近世における質量標準の変化」、日本計量史学会、1979年。1貫は1000匁に当たり、明治時代に 1貫.
鳥取藩
鳥取藩(とっとりはん)は、因幡国・伯耆国(現在の鳥取県)の2国を領有した大藩である。石高は32万5千石。藩庁は因幡の鳥取城(鳥取市東町)に置いた。久松山城とも称した。.
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鳥居
鳥居(とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。.
鳥居本宿
鳥居本宿(とりいもとじゅく)は近江国坂田郡にあった中山道の63番目の宿場で、現在は滋賀県彦根市鳥居本町。 本陣は寺村家が務め、脇本陣と問屋は高橋家が務めた。本陣や脇本陣の建物こそ現存しないが、随所に重厚な家屋が残り、宿場の雰囲気が残されている。 鳥居本宿から朝鮮人街道が分岐した。.
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鳥羽
鳥羽(とば、とりま、とりば).
鳥羽市
鳥羽市(とばし)は、三重県南東部に位置する市。.
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鳥羽藩
鳥羽藩(とばはん)は、志摩国答志郡(現在の三重県鳥羽市鳥羽)に存在した藩。藩庁は鳥羽城に置かれた。.
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鳴海宿
海宿(なるみしゅく、なるみじゅく)は、東海道五十三次の40番目の宿場である。現在の愛知県名古屋市緑区にある。 歌川広重『東海道五十三次・鳴海』 常夜灯.
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鴨川市
市上空から 鴨川市(かもがわし)は、千葉県南東部に位置する市。太平洋に面し、安房地方の東部に位置する。安房地域における中核都市。.
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鴻巣宿
富士の山が雄大な姿を現している。 鴻巣宿(こうのすじゅく、こうのすしゅく)は、江戸時代に整備され、栄えていた宿場町である。中山道六十九次(木曽街道六十九次)の内江戸・日本橋から数えて7番目、すなわち武蔵国のうち第7の宿である(現在の埼玉県域では6番目)。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡鴻巣宿。現在の埼玉県鴻巣市に当たる。なお、上方(京側)へ1つ先の熊谷宿との間には、間の宿であり日光裏街道との交差点でもある吹上宿がある藤島 1997、56-57頁。.
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贄川宿
贄川宿(にえかわじゅく)は中山道33番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県塩尻市。 古くは温泉があって「熱川」と書かれた。温泉が枯れてからは現在の漢字を当てるようになった。宿の創設は天文年間。木曽路最初の宿場で、北の入口に関所があり、福島関所の補助的役割をはたした。.
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越後国
越後国(えちごのくに)は、かつて日本の行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.
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越前国
越前国(えちぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.
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鸚鵡籠中記
『鸚鵡籠中記』(おうむろうちゅうき)は、元禄の頃、尾張藩の尾張徳川家の家臣であった朝日重章の日記である。.
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鹿島出版会
株式会社鹿島出版会(かじましゅっぱんかい)は、建築学・建築史関連を中心とした日本の出版社。創立者は鹿島建設社長・会長を務めた鹿島守之助。系列会社に八重洲ブックセンターがある。.
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軽井沢宿
軽井沢宿(かるいさわしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて十八番目の宿場。.
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黒船来航
嘉永7年(1854年)横浜への黒船来航ペリーに随行した画家ヴィルヘルム・ハイネによるリトグラフ ペリーとオランダ語を介しての交渉の様子。(場所不明) 黒船来航(くろふねらいこう)とは、嘉永6年(1853年)に、代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航した事件。当初久里浜に来航したが、当時久里浜の港は砂浜で黒船が接岸できなかったことから、幕府は江戸湾浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)に誘導した。アメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至った。日本では主に、この事件から明治維新までを「幕末」と呼んでいる。.
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黒潮町
黒潮町(くろしおちょう)は、高知県西南部に位置する町。.
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龍野藩
龍野藩(たつのはん)は、播磨国龍野周辺を領有した藩。藩庁は龍野城(現兵庫県たつの市)に置かれた。.
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辰
right 辰(たつ、しん)は十二支のひとつである。通常十二支の中で第5番目に数えられる。前は卯、次は巳である。.
追分宿
追分宿 追分宿(おいわけしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十番目の宿場。 現在の長野県北佐久郡軽井沢町追分にあたる。北国街道(北陸道)との分岐点でもあり「追分」の名はこれに由来する。元禄時代には旅籠屋71軒、茶屋18軒、商店28軒を数え、飯盛女も最盛期には200~270人もいたとされるほど栄えた。また、民謡に多く見られる追分節の発祥の地である。旧脇本陣の油屋は、堀辰雄や立原道造、室生犀星らに愛され、堀辰雄の小説『菜穂子』、『ふるさとびと』に登場する牡丹屋という旅館はこの油屋がモデルである。.
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近畿地方
近畿地方の地形図 近畿地方(きんきちほう)は、本州中西部に位置する日本の地域である。かつての畿内とその周辺地域から構成される。難波宮、平城宮、平安宮、以降東京遷都までの王城の地で、現在は関東地方に次ぐ日本第二の都市圏・経済圏であり、西日本の中核である。 近畿地方の範囲について法律上の明確な定義はないが、一般的には大阪府・京都府・兵庫県・奈良県・三重県・滋賀県・和歌山県の2府5県(7府県)を指す『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.408 ISBN 4-09-523101-7。構成府県については範囲節も参照。.
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近江八幡市
近江八幡市(おうみはちまんし)は、滋賀県中部、琵琶湖東岸に位置する市。近江商人や安土城で知られる。.
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近江国
近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.
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震央
震央は震源の真上にある。 震央(しんおう、Epicenter)は、地震または地下の爆発が発生した地点である震源の真上に当たる地表の点である。英語のは、古代ギリシア語で「上」を意味する(epi)と「中央」を意味する(kentron)に由来する形容詞(epikentros)をラテン語化した新ラテン語の名詞epicentrumを語源に持つ。 地震の場合、震央は断層が破壊し始めた地点の真上であり、多くのケースで最も被害が大きい。しかし、巨大地震では断層破壊距離が長く、被害は破壊域に沿って広がる。例えば、2002年にアラスカ州で起こったマグニチュード7.9の地震の場合、震央は破壊域の西端であったが、最も被害が大きかったのは、破壊域の東端から330km離れた地点であった。.
震度7
震度7(しんど7)とは、地震による揺れの強さを表す指標の一つであり、日本において気象庁が定める気象庁震度階級(10段階)のうち、最も階級の高いものである。1949年の導入時は激震(げきしん)の呼称が与えられていたが、1996年の震度階級改正以降、激震の呼称は廃止された。.
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震源
震源(しんげん、hypocenter)は、地震(断層の破壊)の発生した地下の場所を意味する。震央(後述)とは異なる。.
郡山藩
郡山藩(こおりやまはん)は、大和国に存在した藩。藩庁は郡山城(奈良県大和郡山市)に置かれた。.
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都司嘉宣
都司 嘉宣(つじ よしのぶ、1947年9月21日 - )は、日本の地震学者。公益財団法人深田地質研究所客員研究員、防災科学技術研究所客員研究員。元東京大学地震研究所地震火山災害部門准教授。.
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舞阪宿
歌川広重『東海道五十三次・舞坂』 舞阪宿(まいさかしゅく、まいさかじゅく)で、正式名:舞坂宿 である。東海道五十三次の江戸・日本橋から数えて30番目の宿場町で、旧国は遠江国にある。現在の静岡県浜松市西区舞阪町に相当する。.
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船橋市
船橋市全域の衛星写真 船橋市(ふなばしし)は千葉県北西部の葛南地域に位置する市。 2003年(平成15年)4月1日に中核市へ移行しており、2012年(平成24年)4月1日に熊本市の政令指定都市への移行以後は中核市最大の人口を擁する。 また、千葉市に次いで千葉県では人口第2位である。東京都特別区部への通勤率は35.7%(平成22年国勢調査)。.
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興津
歌川広重『東海道五十三次・興津』 興津(おきつ)は、静岡県静岡市清水区の地名。 興津という地名は、興津宗像神社祭神の1柱・興津島姫命(おきつしまひめのみこと)がこの地に住居を定めたことからといわれている。また、平安末期から興津氏が居住していたのでその名を地名にしたとの説もある。古代での呼び名は奥津 (おくつ) 、息津(おきつ)、沖津 (おきつ) ともいわれている。現在、興津と呼ばれる区域は1961年に当時の清水市と合併した旧興津町と重なる。.
阿蘇山
阿蘇山(あそさん)は、日本の九州中央部、熊本県阿蘇地方に位置する活火山。外輪山と数個の中央火口丘から成り、外輪山は南北25km、東西18kmに及び世界最大級の面積380km2の広大なカルデラ地形(鍋型)を形成する。 2007年、日本の地質百選に「阿蘇」として選定された。2009年(平成21年)10月には、カルデラ内外の地域が巨大噴火の歴史と生きた火口を体感できる「阿蘇ジオパーク」として日本ジオパーク、世界ジオパークに認定されている。「日本百名山」の一座としても取り上げられている。.
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阿波国
阿波国(あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.
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赤坂宿 (中山道)
赤坂宿(あかさかじゅく)は中山道江戸から数えて56番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国不破郡赤坂村(現・岐阜県大垣市)に存在した。.
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赤坂宿 (東海道)
赤坂宿(あかさかしゅく、あかさかじゅく)は、東海道五十三次の36番目の宿場である。現在の愛知県豊川市赤坂町に当たる。.
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赤穂藩
赤穂城 赤穂藩(あこうはん)は、播磨国赤穂郡(兵庫県赤穂市、相生市、上郡町)周辺を領有した藩。藩庁は同郡加里屋の赤穂城。 浅野氏の『元禄赤穂事件』で有名だが、池田氏でも輝興が狂乱し正室などを殺す『正保赤穂事件』、森氏でも攘夷派が敵対する家老の森主税を暗殺するという『文久赤穂事件』が起きている。 なお、武鑑では元禄以前は藩主居城を「播州加里屋」「播州かりや」「播州之内苅屋」と表記するものもあった。.
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鵜沼宿
沼宿(うぬまじゅく)は、江戸・日本橋から52番目の中山道の宿場である(→中山道六十九次)。美濃国各務郡鵜沼村(現・岐阜県各務原市)に存在した。.
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関宿
関宿(せきじゅく、せきしゅく)は、三重県亀山市にある江戸時代における東海道の宿場の呼称である。現在も、東西追分間の旧東海道沿いに、当時の宿場の古い町並みが残されている。国の「重要伝統的建造物群保存地区」および、旧建設省選定の「日本の道100選」のひとつ。.
関ヶ原宿
関ヶ原宿(せきがはらじゅく)は中山道58番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国不破郡関ケ原村(現・岐阜県不破郡関ケ原町)に存在した。 付近は壬申の乱・関ヶ原の戦いの舞台であり、関連の史跡が多い。.
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関東地方
関東地方(かんとうちほう)は、日本の地域区分のひとつであり、本州の東部に位置している。その範囲について法律上の明確な定義はないが、一般的には茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県の1都6県を指して関東地方と呼ぶ『日本地名大百科』p.350。。 首都・東京を擁する関東地方は日本の政治・経済の中心となっており、日本の総人口の3分の1が集中している。 首都圏整備法が定義する「首都圏」には、関東地方に山梨県を加えた1都7県が含まれる。また、「関東地方知事会」には、首都圏1都7県に加えて、中部圏知事会議にも加わっている静岡県、長野県の両県知事がオブザーバー参加している。関東地方は人口・面積が多数・広大なので、利根川を境界線に北を北関東(茨城県・栃木県・群馬県)地方、南を南関東地方(埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県)に分割することもある。.
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薩た峠
薩埵峠からの富士山と駿河湾 歌川広重「東海道五十三次・由比」 東名高速道路下り線由比地区側から撮影 薩埵峠(さったとうげ)は、静岡県静岡市清水区にある峠である。東海道五十三次では由比宿と興津宿の間に位置する。埵の字がJIS第3水準のため、「薩堆峠」の表記や、かな文字で「さった峠」と表記する例がある。.
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間
間(けん)は、尺貫法で使う長さの単位である。日本では計量法により取引・証明(計量法#取引又は証明に該当するもの・しないもの)に用いることは禁止されている。 本来、建物の柱の間隔を1間とする、長さそのものではない単位だった(現在でも俗に和室の寸法などで使われる)が、日本では農地の測量に使われるようになり、ある長さを1間とする長さの単位となった。それゆえ、中国の度量衡にはない単位である。.
藤川宿
藤川宿(ふじかわしゅく、ふじかわじゅく)は、東海道五十三次の37番目の宿場である。現在の愛知県岡崎市藤川町辺り。詳しくは岡崎市を参照。 但し、藤川宿周辺の住民はほとんどの場合、(ふじかわじゅく)と読む。 藤川宿資料館があり、資料が閲覧できるほか、専用の駐車場もある。また国道1号沿いには道の駅藤川宿が整備されている。 近くの旧東海道には1kmほどの松並木がある。松並木やむらさき麦等とともに藤川宿は岡崎観光きらり百選に選定されている。 また、1996年(平成8年)3月には歴史国道にも認定されている。.
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藤枝宿
歌川広重『東海道五十三次・藤枝』 藤枝宿(ふじえだしゅく、ふじえだじゅく)とは、東海道五十三次の22番目の宿場である。.
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藤沢宿
藤沢宿(ふじさわしゅく、ふじさわじゅく)は、東海道五十三次の6番目の宿場である。 神奈川県藤沢市にあった。 藤沢宿(歌川広重『東海道五十三次』より) 清浄光寺門前の遊行寺橋(大鋸橋).
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藪原宿
藪原宿(やぶはらじゅく)は中山道35番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡木祖村。 お六櫛が特産品。宿場北部の中山道は鉄道で寸断されている。.
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蒲原宿
蒲原宿(かんばらしゅく、かんばらじゅく)は、東海道五十三次の15番目の宿場である。現在の静岡県静岡市清水区に位置する(2006年3月30日までは蒲原町と呼ばれていた)。.
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那智勝浦町
那智勝浦町(なちかつうらちょう)は、和歌山県東牟婁郡の町である。ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野エリアにあたっており、紀伊半島でも有数の観光地として多くの観光客が訪れる。.
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醒井宿
木曾街道六拾九次 醒井(歌川広重画) 加茂神社から醒井宿を俯瞰 地蔵川に架かる橋 サルスベリ(上)が咲く頃、地蔵川の中でバイカモの花が開く 醒井宿(さめがいしゅく、さめがいじゅく)は近江国坂田郡にあった中山道61番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は滋賀県米原市醒井。.
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野尻宿
野尻宿(のじりじゅく)は中山道40番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡大桑村。寛政3年(1791年)に大火に遭っている。宿場通りの長さは奈良井宿に次いでおり、「七曲り」と呼ばれ町筋が曲がりくねっているのが特徴。.
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臼杵藩
臼杵藩(うすきはん)は、豊後国に存在した藩。藩主は稲葉氏。藩庁は海部郡臼杵城(現在の大分県臼杵市)に置かれた。.
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金刀比羅神社
金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)、琴平神社(ことひらじんじゃ)、事比羅神社(ことひらじんじゃ)、金比羅神社(こんぴらじんじゃ)は、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮を総本宮とし、その主祭神である大物主神を祀る神社であり、日本全国に存在する。「神社」ではなく「宮」と称するものもある。.
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金谷宿
葛飾北斎「東海道金谷の不二」 歌川広重「五十三次名所図会 廿五 金谷」 金谷宿(かなやしゅく、かなやじゅく) は、東海道五十三次の24番目の宿場である。遠江国最東端の宿場町である。 現在の静岡県島田市金谷。大井川の右岸(京都側)にあり、牧之原台地が迫る狭隘な場所であるが、増水で大井川の川越が禁止されると、江戸へ下る旅客が足止めされ、島田宿と同様、さながら江戸のような賑わいをみせた。.
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金森博雄
金森 博雄(かなもり ひろお、1936年10月17日 - )は、日本の地震学者、カリフォルニア工科大学名誉教授、東京大学理学博士。.
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蕨宿
舟に乗り合い、白鷺が舞う戸田川を往く、天保の頃の人々ののどかな様子である。対岸の渡し場に続く道の左右には戸田村の家々が見える。渡船権はこの村が握っていた。 蕨宿(わらび-しゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて2番目の宿場(武蔵国のうち、第2の宿)。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡蕨郷(上蕨村、および、下蕨村)と称(「蕨市#歴史」も参照)。 現在の埼玉県蕨市中央5丁目から錦町5丁目までがこの地域にあたる。.
長州藩
長州藩邸跡、碑文は屋敷址、京都河原町御池東入ル 長州藩(ちょうしゅうはん)は、江戸時代に周防国と長門国を領国とした外様大名・毛利氏を藩主とする藩。家格は国主・大広間詰。 藩庁は長く萩城(萩市)に置かれていたため、萩藩(はぎはん)とも呼ばれた。幕末には周防山口の山口城(山口政事堂)に移ったために、周防山口藩(すおうやまぐちはん)と呼ばれる事例もでてきた。一般には、萩藩・(周防)山口藩時代を総称して「長州藩」と呼ばれている。 幕末には討幕運動・明治維新の中心となり、明治時代には明治新政府に政治家を多数輩出した(2014年8月5日時点のアーカイブ)。.
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長久保宿
長久保宿(ながくぼしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて27番目の宿場。元々は長窪宿と表記していた。.
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長周期地震動
長周期地震動(ちょうしゅうきじしんどう、long-period earthquake ground motion)とは、地震で発生する約2-20秒の長い周期で揺れる地震動のことである。周期が長い、すなわち低周波領域で発生するため低周波地震動とも。地震計の発展とともにその存在と性質が研究されるようになり、特に高層建築物が増えた近年は、防災の観点からも対策が重要となっている。.
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鉱泉
鉱泉(こうせん)とは、地下からの湧水(わきみず)で、医学的見地から治癒成分を含んだ水のことである。.
柏原宿
柏原宿(かしわばらしゅく、かしわばらじゅく)は近江国坂田郡にあった中山道60番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は滋賀県米原市柏原。 『太平記』にすでに記載されている中世以来の宿場。艾(もぐさ)が特産品で、最盛時には10軒以上の艾屋があったという。.
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柏崎
柏崎(かしわざき).
掛川城
天守及び太鼓櫓 掛川城(かけがわじょう)は、遠江国佐野郡掛川(現在の静岡県掛川市掛川)にあった日本の城である。.
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掛川宿
掛川宿(かけがわしゅく、かけがわじゅく) は、東海道五十三次の26番目の宿場である。 歌川広重『東海道五十三次・掛川』 城下を見下ろす掛川城.
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東南海地震
東南海地震(とうなんかいじしん)は、紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域(南海トラフの東側)で周期的に発生するとされている海溝型地震。規模は毎回M8クラスに達する巨大地震で、約100年から200年周期の発生と考えられている。東南海大地震(とうなんかいだいじしん)とも呼称される。 最新のものは、1944年(昭和19年)12月7日に、紀伊半島南東沖を震源として発生したものであり、元来「東南海地震」はこの昭和東南海地震を指す名称であった。この地震により、遠州灘沿岸(東海道)から紀伊半島(南海道)に渡る一帯で被害が集中したために「東南海」と呼ばれるようになり、現在では過去の同地域の地震についても東南海地震と呼ばれるようになっている。東海地震や南海地震と発生がほぼ同時もしくは時期が近いなど連動する場合があるが、震源域が異なっており別の地震に区別される(詳細は後述)。.
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東名高速道路
東名高速道路(とうめいこうそくどうろ、TOMEI EXPWY)は、東京都世田谷区の東京インターチェンジ (IC) から、神奈川県・静岡県を経由し、愛知県小牧市の小牧ICへ至る高速道路(高速自動車国道)である。通称東名高速(とうめいこうそく、TOMEI EXP)、東名(とうめい)、新東名高速道路と特に区別する場合には旧東名・現東名など。NEXCO中日本の公式的呼称は東名と現東名。法令上の正式な路線名は第一東海自動車道である。また、アジアハイウェイ1号線「AH1」の一部である。高速道路ナンバリングによる路線番号は名神高速道路とともに 「E1」 が割り振られている。.
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東山道
東山道(とうさんどう)は、五畿七道の一つ。本州内陸部を近江国から陸奥国に貫く行政区分、および同所を通る古代から中世にかけての幹線道路を指す。.
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東京大学地震研究所
東京大学地震研究所(とうきょうだいがくじしんけんきゅうじょ、英称:Earthquake Research Institute, University of Tokyo、略称:ERI)は、東京大学の附置研究所(共同利用・共同研究拠点)。関東大震災以降、地震研究統一の世論が高まり、1925年に文部省により設立された。地震学、火山学などを中心に幅広い分野の研究が行われている。.
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東京大学出版会
一般財団法人東京大学出版会(とうきょうだいがくしゅっぱんかい、英称:University of Tokyo Press)は、東京大学の出版部に当たる法人。東京大学総長を会長とし、東京大学の活動に対応した書籍の出版を主に行う。.
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東京都
東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.
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東京湾
東京湾の衛星画像(2005年)人工衛星「ランドサット」による。 東京湾(とうきょうわん)は、日本の関東地方にある、太平洋に開けた湾である。南に向けて開いた湾であり、浦賀水道が湾口となっている。 現代の行政上、広義では、千葉県館山市の洲埼灯台から神奈川県三浦市の剣埼灯台まで引いた線および陸岸によって囲まれた海域を指す 。.
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東北地方
東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置している。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。 その範囲に法律上の明確な定義はないものの「そもそも『〜地方』といわれる範囲に、法律上の明確な定義はない(総務省)」 首都圏と関東地方・山梨県を含むか含まないか 『日本経済新聞』 平成24年6月16日S3面、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す『日本地名大百科』、小学館、1996年、pp.776-777 ISBN 4-09-523101-7。これら6県は、本州の約3割の面積を占める。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。.
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東海地震
東海地震(とうかいじしん)は厳密には2通りの用法があり、.
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東海道
東海道(とうかいどう、うみつみち)は、五畿七道の一つ。本州太平洋側の中部の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から近世)を指す。.
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東海道五十三次
日本橋」 東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)は、江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指す。古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられた。なお五十三次と称す場合は京都までの場合であり、さらに大阪までを加えて東海道五十七次とする説 「東海道は品川宿より守口宿」(幕府道中奉行所御勘定 谷金十郎、宝暦8年(1758年))「東海道と申すは、熱田より上方は、伊勢路、近江路を通り伏見、淀、牧方、守口迄外はこれ無き」(土佐藩から問いに対する幕府大目付勘定奉行からの回答、寛政元年1789年)もある。また、奈良時代の律令制による東海道では、延喜式によると、伊勢の鈴鹿駅から常陸の雄醍(おさか)駅まで55駅が設置されている。.
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東海道本線
東海道本線(とうかいどうほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から兵庫県神戸市中央区の神戸駅までを結ぶJRの鉄道路線である。このほかに品川駅から西大井駅・武蔵小杉駅・新川崎駅・新鶴見信号場を経由して鶴見駅に至る支線(通称品鶴線、旅客案内上は横須賀線、湘南新宿ラインを構成する一部分として案内される)、大垣駅から美濃赤坂駅に至る支線(通称美濃赤坂線)、および多数の貨物支線を持つ。明治時代に初めて日本に鉄道が敷設されて以来、日本の鉄道交通・物流の大動脈を担い続けている。 東京駅から熱海駅までは東日本旅客鉄道(JR東日本)、熱海駅から米原駅までは東海旅客鉄道(JR東海)、米原駅から神戸駅間までは西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄となっている。支線については一部の貨物支線が日本貨物鉄道(JR貨物)の管轄であるほかは、接続する本線と同じ会社による管轄となっている(「路線データ」節を参照)。 なお、広義では東海道・山陽新幹線の東京駅から新神戸駅までの区間も東海道本線に含める場合がある(後述)が、本項目では在来線としての東海道本線全般の概要や沿革などについて記す。新幹線については「東海道新幹線」「山陽新幹線」を、また在来線の地域ごとの詳細については以下の記事も参照。.
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松坂藩
松坂藩(まつさかはん)は、伊勢国に存在した藩。居城は松坂城(松阪城)(現在の三重県松阪市殿町)。.
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松山 (宇陀市)
松山(まつやま)は奈良県宇陀市大宇陀地域にある広域地名である。旧宇陀郡松山町。宇陀松山とも呼ばれる。江戸時代、宇陀松山藩の陣屋町として栄え、現在もその風情を残しており、一部が国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。同保存地区についても本項で説明する。 宇陀市大宇陀歴史文化館「薬の.
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松井田宿
松井田宿(まついだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて16番目の宿場。 現在の群馬県安中市松井田町にあたる。.
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松代藩
松代城 旧松代藩藩邸。昭和初期に神奈川県藤沢市の竜口寺へ移築された(現在の竜口寺大書院) 松代藩(まつしろはん)は、江戸時代、信濃国埴科郡松代町(現在の長野県長野市松代町松代)にあった藩。信濃国内の藩では最高の石高を有した。長野県長野市の松代城を居城とし川中島四郡を領した。藩主は、酒井家(左衛門尉)、越前松平家、真田家が就封した。なお本項では、城地は異なるが同じ領地を支配した川中島藩についても記載する。.
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松江藩
藩庁松江城 松江藩(まつえはん)は、出雲1国または隠岐国を加えた2国を領有した藩。藩庁は松江城(島根県松江市殿町)。藩主は外様大名の堀尾氏、京極氏と続き、親藩の越前系松平氏が廃藩置県まで支配した。.
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松本藩
松本城(現存天守) 松本藩(まつもとはん)は、江戸時代に信濃国に存在した藩。藩庁は松本城。延宝年間の人口は90,000人。.
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板鼻宿
板鼻宿(いたはなしゅく)とは、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて14番目の宿場。.
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板橋宿
子が馬のための草鞋を取り替えている。 板橋宿(いたばし-しゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて1番目の宿場名所絵では起点と終点も数に入れるため、表記上の数がずれる。したがって、浦和宿は「第二」の図。(武蔵国のうち、第1の宿現在では、東京都に属する唯一の宿。)。 同時に、川越街道(川越・児玉往還)の起点でもある。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国豊島郡板橋郷下板橋村宝亀2年(西暦771年)10月27日以前は東山道武蔵国豊島郡広岡郷の一部。以後、東海道に属す。平安時代末期以降は板橋郷の一部。。 現在の住所では東京都板橋区本町、および、仲宿、板橋1丁目、3丁目にあたる。.
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杵築藩
杵築藩(木付藩、きつきはん)は、江戸時代の豊後国国東郡・速見郡内を領した藩。藩庁は杵築城(大分県杵築市)。.
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桶川宿
桶川宿(おけがわじゅく、おけがわしゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸・日本橋から数えて6番目の宿場(武蔵国のうち、第6の宿)。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡桶川郷桶川宿。 現在の埼玉県桶川市にあたる。 そこそこの荷物を抱えて江戸・日本橋を出立した旅人がおよそ1日歩き通して日暮れどきを迎え、宿を求めるのがここ桶川あたりであったとされる。.
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桑名宿
東海道五十三次・桑名』 七里の渡し跡 桑名宿(くわなしゅく、くわなじゅく)は、東海道五十三次の42番目の宿場である。現在は三重県桑名市。脇往還佐屋街道もここから分岐していた。徳川四天王の本多家のほか、各松平家の大名が藩主を務めた桑名藩の城下町でもある。 江戸時代後期の調査では、本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠屋120軒を擁し、家数2,544軒、人口8,848人(男4,390人、女4,458人)であったと記録されている。東海道では旅籠屋数で宮宿に次ぐ2番目の規模を誇った。 宮宿とは、東海道で唯一の海上路である七里の渡しで結ばれ、伊勢国、および、伊勢参りの玄関口となっていた。 江戸時代の宿場町は揖斐川沿いにあったが、関西鉄道桑名駅が宿場町の西側に設けられて以降、市街地は西にシフトした。 話し言葉(方言)において木曽三川が東京式アクセントと京阪式アクセント(関西式アクセント)の境界であることから、桑名宿は東海道における京阪式アクセント地区最東端の宿場町となっている。.
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桑名市
桑名市(くわなし)は、三重県北部に位置する都市である。.
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桑名藩
桑名城の石垣 桑名藩(くわなはん)は、江戸時代に伊勢国に存在した藩。藩庁は桑名城(現在の三重県桑名市吉之丸)。.
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横須賀市
横須賀市(よこすかし)は神奈川県南東部の三浦半島に位置する都市である。中核市に指定されている。.
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横須賀藩
横須賀藩(よこすかはん)は、遠江国に存在した藩。藩庁は横須賀城(静岡県掛川市西大渕)。.
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横浜
横浜、橫濱(よこはま).
横浜市
横浜市(よこはまし)は、関東地方南部、神奈川県の東部に位置する都市で、同県の県庁所在地。政令指定都市の一つであり、18区の行政区を持つ。現在の総人口は日本の市町村では最も多く、四国地方に匹敵するおおよそ373万人であり1府37県の人口を上回る。人口集中地区人口も東京23区(東京特別区)に次ぐ。神奈川県内の市町村では、面積が最も広い。市域の過半は旧武蔵国で、南西部は旧相模国(戸塚区、泉区、栄区の全域と瀬谷区、港南区の一部)。 幕末以降(詳しくは後述)から外国資本が積極的に当地に進出。そのため近代日本において有数の外資獲得力を誇った。関東大震災後は政府による積極的な振興政策により、京浜工業地帯の中核都市となった。.
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樽前山
樽前山(たるまえさん、たるまえざん)は、北海道南西部にある支笏湖の南側、苫小牧市の北西部に位置する活火山。標高は最高点の樽前ドームで1,041m、一等三角点(点名「樽前岳」)の東山で1,022m、三等三角点(点名「樽前山」)の西山で994m。支笏洞爺国立公園に属する。風不死岳、恵庭岳とともに支笏三山の一つに数えられる。.
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武家屋敷
武家屋敷(ぶけやしき)は、武家が所有した邸宅である。 大名が所有するものは大名屋敷あるいは藩邸と呼ばれることもある。現在は下級武士の住まいである侍屋敷も武家屋敷と呼ぶことが多くなっている。 ここでは、現代の侍屋敷の呼称としての武家屋敷についても記述する。.
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武佐宿
武佐宿(むさしゅく、むさじゅく)は近江国蒲生郡にあった中山道の66番目の宿場で、現在は滋賀県近江八幡市。.
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武蔵国
武蔵国(むさしのくに、)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。東山道のち東海道に属する。.
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歴史地震
en) 挿絵/同年の作。 安政の大地震絵図/1855年に発生した安政江戸地震による災禍を伝えている。 日本の岩手県宮古市にある大津浪記念碑/1933年(昭和8年)に発生した昭和三陸地震の教訓を永く後世に伝えるべく同年に建立された災害記念碑。 歴史地震(れきしじしん)とは、歴史時代に発生した地震のうち、地震計を始めとする近代的観測機器が存在しなかった時代に属するもので、なおかつ、記録で確かめられるものをいう。それらは、古文書や災害記念碑という形で今日まで伝えられてきた。英語には "historical earthquake" という語 (cf. en) があるが、日本語の「歴史地震」よりやや広義かも知れない。 日本語(専門用語)「歴史地震」において定義されている「歴史」は、記録された人間社会の出来事の変遷を指すため、時期的に該当していようとも、伝わっていながら信頼するに足る記録の見当たらないものや、考古学的・地球科学的知見(遺跡発掘や地質調査を始めとする様々な学問から得られる情報と見解)によってその発生が推測あるいは確認されながら歴史として検証できないものは、歴史地震と見なされない。つまり、確かな記録の残っていることが「歴史地震」の定義上の前提である(2011年6月1日時点のアーカイブ) - 「歴史地震 -宝永地震を中心に-」出典先の定義するところでは「史料が残っていることが前提」ということであるが、定義上「史料」には記録だけでなく遺物・遺跡・口頭伝承なども含まれ、「記録」とは意味が大きく異なる。したがって、本項では狭義で「確かな記録の残っていることが前提」とした。このように、本項では「記録」と「史料」を明確に書き分ける。。 一方、先史時代(記録が残されるようになる以前の時代)に発生した地震は先史地震といい、地質学的成果や考古学的成果などがこれを証明し得る。なお、日本の歴史では、中央政権の勢力範囲において古墳時代以前を先史時代としているが、地域によって差異が大きく、例えば蝦夷地(北海道)は江戸時代以降に歴史時代が始まる出典先は歴史地震の範疇を奈良時代以降としているが、奈良時代の前の飛鳥時代を先史時代と見なすことには無理があるため、調整した。。日本では1885年(明治18年)に地震計を始めとする近代的観測体制の整備が開始されたため、歴史地震は一般的に1884年(明治17年)以前に発生したものを指す。 また、先史時代と歴史時代の別無く、さらには、歴史的(歴史学的)検証の有無を問わず、近代的観測機器の登場以前に発生した地震を総じて古地震という。 歴史地震の調査研究は、将来の発生を想定される地震の予測など、防災上欠かすことのできないもので、巨大地震の発生周期などを論ずる地震学の一分野であり、ある地域の地震災害の正確な評価を行うためには、地震によって開放されるエネルギーを見積もる必要があるが、計器観測が始まって以来の地震のみではデータの蓄積として不充分であり、古地震学の助けを借りる必要性が生じるT.レイ・T.C.ウォレス 『地震学 下巻』 柳谷俊訳、古今書院、2002年, ISBN 9784772230162。 また、歴史地震は歴史研究の一部を担う考古学の知見でもあり、地震考古学の分野も開拓されている寒川旭 『地震考古学 -遺跡が語る地震の歴史』 中公新書、1992年, ISBN 9784121010964寒川旭 『地震の日本史 大地は何を語るのか』 中公新書、2011年, ISBN 9784121919229。.
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水口宿
歌川広重『東海道五十三次・水口』 水口宿(みなくちしゅく、みなくちじゅく)は、近江国甲賀郡にあった東海道五十三次の50番目の宿場である。現在は滋賀県甲賀市水口町旧市街。 石橋を境に、東側は道が三筋に分かれた宿場町、西側は水口城の城下町で道が鍵の手になっていた。.
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氷見市
氷見市中心部周辺の空中写真。1975年撮影の4枚を合成作成。国土航空写真。 氷見市(ひみし)は、富山県北西部に位置する市である。.
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江尻宿
歌川広重『東海道五十三次・江尻』 江尻宿(えじりしゅく、えじりじゅく)は、東海道五十三次の18番目の宿場である。旧清水市の中心部、現在の静岡市清水区。.
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江戸
江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.
江戸前
江戸前(えどまえ)とは、.
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江戸時代
江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.
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池鯉鮒宿
歌川広重『東海道五十三次・池鯉鮒』 池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく、ちりゅうじゅく)は、東海道五十三次の39番目の宿場である。歴史的仮名遣いでは「ちりふ」。現在の愛知県知立市に位置する。江戸の日本橋から約330kmで、当時およそ10日間かかったといわれている。 馬市が立ったことで知られており、歌川広重の「東海道五十三次」にも「首夏馬市」として描かれている。 毎年首夏(陰暦四月)、陰暦4月25日〜5月5日頃に開かれていた。 また三河地方の特産品であった木綿市も開かれていた。 1604年(慶長6年)頃の家康の命によりその10年ほど後にでき当時は並木八丁と呼ばれた街道沿いの松並木は、馬をつなぐためにも使われていた。 戦後も残っていたが昭和34年の伊勢湾台風で多くの古松が倒されてしまったため1970年(昭和45年)に幼松158本の補植が行われた。 明治時代に馬市は松並木から慈眼寺(山町桜馬場)へと移動、牛市・鯖市に移り変ったが昭和に終了した。.
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池新田町
池新田町(いけしんでんちょう)は、かつて静岡県小笠郡にあった町である。現在は御前崎市の中心街になっている。.
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河角廣
河角 廣(かわすみ ひろし、1904年7月12日- 1972年12月12日)は、日本の地震学者。.
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河渡宿
河渡宿(ごうどじゅく)は中山道54番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国方県郡河渡村(現・岐阜県岐阜市)に存在した。 加納宿から河渡宿へは長良川を渡る必要があったため、1881年(明治14年)に河渡橋が架けられるまでは「河渡の渡し」を利用していた。 河渡宿は、長良川右岸堤下から東町、中町、西町の三町で構成されるが、全長は三町なので、330mという短さである。「 本陣は水谷治兵衛、問屋は久衛門、庄屋は水谷徳兵衛が務めていた 」と徳川幕府太平の記録にある。.
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沼田藩
沼田藩(ぬまたはん)は、上野利根郡(現在の群馬県沼田市西倉内町)に存在した藩。沼田城に藩庁を置いた。.
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沼津
沼津(ぬまづ).
沼津城
沼津城(ぬまづじょう)はかつて駿河国駿東郡(現在の静岡県沼津市大手町)にあった日本の城。別名観潮城。.
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沼津宿
歌川広重『東海道五十三次・沼津』 沼津宿(ぬまづしゅく、ぬまづじゅく)は、東海道五十三次の12番目の宿場である。現在の静岡県沼津市大手町周辺にあった。 本陣3、脇本陣1、旅篭屋55、総戸数1234を数えた。.
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沼津藩
沼津藩(ぬまづはん)は、江戸時代の藩の一つ。駿河国駿東郡(現:静岡県沼津市大手町)の沼津城を居城とした。.
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沈み込み帯
沈み込み帯(しずみこみたい、)とは、地球上の2つのプレートが出会って、下にあるほうのプレートがすべってマントルに1年で数cm沈み込む場所のことである。この沈み込みによって海溝やトラフが作られる。.
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沓掛宿
沓掛宿(くつかけしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて十九番目の宿場。 現在の長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢にあたる。 古代の長倉牧の跡とされ、1535年に追分諏訪神社に奉納された大般若経にある「長倉沓懸」が初出。「沓掛」の名は、難所であり荒天時は人も荷も足止めされた碓氷峠の入口であることに由来し、両隣の軽井沢宿および追分宿と共に浅間三宿と呼ばれて栄えた。また、草津温泉に向かう分岐路もあった。甲府藩や小諸藩の領有を経て1716年以後は公儀御料となる。 1875年に借宿村との合併により長倉村、1889年に軽井沢村・峠町などと合併して東長倉村となるが、軽井沢が避暑地として著名となったために1923年の町制施行を機会に軽井沢町と改称した。この間の1910年に信越本線の沓掛駅が開業する。 しかし1951年の大火で町の殆どを焼失したため、往時の様子を伝えるものは殆ど残っていない。その後は1956年に沓掛駅が中軽井沢駅と改称したのを機に地名も中軽井沢と改称、以後別荘地や避暑地として発展している。.
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津山藩
津山城古写真(撮影:松平国忠) 津山藩(つやまはん)は、美作国の大半を領有した藩。藩庁は津山城(岡山県津山市)に置かれた。.
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津市
津市(つし)は、三重県中部に位置する都市で、同県の県庁所在地である。日本で最初に市制施行地に指定された都市のひとつ。周辺自治体と共に人口約51万人(2010年時点)を擁する津都市圏を形成する。.
津藩
津藩(つはん)は伊勢安濃郡安濃津(現在の三重県津市)に置かれた藩。安濃津藩(あのつはん)と呼ばれることもある。藩庁は安濃津城(津城)。石高は伊勢・伊賀2国を合わせた22万石(大坂の陣後、32万3,000石に加増で大和国などにも飛び地領が存在)。.
津波
津波の発生原理を示す図 津波(つなみ、Tsunami)は、地震や火山活動、山体崩壊に起因する海底・海岸地形の急変により、海洋に生じる大規模な波の伝播現象である。まれに隕石衝突が原因となったり、湖で発生したりすることもある。強風により発生する高波、台風や低気圧が引き起こす高潮、副振動(セイシュ)、原因が解明されていない異常潮位とは異なる。 1波1波の間隔である波長が非常に長く、波高が巨大になりやすいことが特徴である。地震による津波では波長600km、波高5m超のものが生じた事がある(津波が陸上に達するとこの値は大きく変わる)西村、1977年、123-124頁。 津波という現象は、例えるならば大量の海水による洪水の様な現象であり、気象など他の要因で生じる波とは性質が大きく異なる。大きな津波は浮遊物と共に陸深くに浸入し、沿岸住民の水死や市街・村落の破壊など、種々の災害を発生させる。.
津波地震
津波地震(つなみじしん)とは、地震動から求められるマグニチュードの大きさに比して、大きな津波が発生する地震のことである宇津徳治 『地震学 第3版』 共立出版、2001年。1972年に地震学者の金森博雄が定義した。.
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洗馬宿
洗馬宿(せばじゅく)は中山道(中山道六十九次)にある宿場町。日本橋から31番目の宿場町である。また、北国西街道(別称:善光寺道)の起点である。.
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液状化現象
中心部) 阪神・淡路大震災による液状化 液状化現象(えきじょうかげんしょう)は、地震の際に、地下水位の高い砂地盤が振動により液体状になる現象。これにより比重の大きい構造物が埋もれ、倒れたり、地中の比重の小さい構造物(下水道管等)が浮き上がったりする。ゆるく堆積した砂質土層では、標準貫入試験で得られるN値が10程度以下と小さい場合が多い。一般に、液状化現象が生じるかどうかは、FL値、液状化の程度はDcyやPL値などの指標を用いて判定する。単に液状化(えきじょうか、)ともいう。 なお、この現象は日本国内では新潟地震の時に鉄筋コンクリート製の建物が丸ごと(潰れたり折れたりではない)沈んだり倒れたりしたことで注目されたが、この地震当時は「流砂現象」という呼び方をされていた伊佐喬三「9-地球と人間 防災と自然改造」 『原色現代科学大事典2 地球』 株式会社学習研究社、竹内均 責任編集、1967年、P450。。.
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淡路洲本藩
洲本藩(すもとはん)は、淡路国に存在した藩(現在の兵庫県洲本市)。藩庁は洲本城、由良城。.
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深谷宿
深谷宿(ふかやじゅく、ふかやしゅく)とは、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて9番目の宿場。 現在の埼玉県深谷市にあたる。深谷宿は中山道で最大規模の宿場で、本陣1(飯島家)、脇本陣4、旅籠80余。商人が多く、また飯盛女も多く、遊郭もあり、江戸を出立して2番目の宿を求める人で大いに栄えた。 五の日、十の日に市が立った。(壬戌紀行).
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渥美湾
渥美湾(あつみわん)は、愛知県南部『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』『日本の地名がわかる事典』講談社『日本大百科全書』小学館または南東部『デジタル大辞泉』小学館にある、三河湾東部を占める湾。渥美半島に囲まれている。.
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清水寺 (大阪市)
清水寺(きよみずでら)は、大阪市天王寺区伶人町(れいにんちょう)にある仏教寺院。宗派は天台系の和宗に属する。山号は有栖山であり、詳名は有栖山清光院清水寺(ありすさん せいこういん きよみずでら)である。和宗総本山・四天王寺支院。宗教法人としては清光院で登録よりされている。 大阪市内唯一の天然の滝とされる「玉出の滝」(たまでのたき)があることでも知られている。 京都の清水寺を模して建立されたために、新清水寺(しんきよみずでら)とも呼ばれる。境内の西側の崖に「清水寺舞台」と称するテラスがあり、京都の清水寺を彷彿とさせるが、現在はテラスだけで堂はない。.
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清水区
清水区(しみずく)は、静岡市に3つある行政区のひとつ。2005年4月1日の政令指定都市移行と同時に発足。当初は旧清水市のほぼ全域を区域とし、その後2006年3月31日には旧蒲原町域が、2008年11月1日には旧由比町域が区の一部となった。.
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清水港
航空機から見た清水港 上空から見た清水港と富士山 清水港(しみずこう)は、静岡県静岡市清水区にある港湾。港湾管理者は静岡県。港湾法上の国際拠点港湾に指定され、また、中核国際港湾にも指定されている。さらに、港則法上の特定港にも指定されている。神戸港・長崎港と共に『日本三大美港』の一つ。.
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湯の峰温泉
湯の峰温泉(ゆのみねおんせん)は、和歌山県田辺市本宮町(旧国紀伊国牟婁郡)にある温泉。日本最古の共同浴場とも言われ、古くから熊野詣の旅人達にとっての湯垢離と休息の場として知られていた。2004年には紀伊山地の霊場と参詣道の構成資産の一部として、温泉としては世界で唯一の世界遺産にも登録されている。.
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湯河原町
湯河原町(ゆがわらまち)は、神奈川県南西部にある町。湯河原温泉で有名な温泉町としてよく知られている。東海道本線が通る。古くから文豪、画家など多くの作家が逗留し創作の筆を執った。.
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湖西市
湖西市(こさいし)は、静岡県の最も西に位置する市である。旧浜名郡の一部で、1972年に市制施行。2010年3月23日に新居町と合併。歴史、漁業、自動車工業、農業の町。.
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朝倉書店
朝倉書店(あさくらしょてん)は、日本の出版社。 1929年(昭和4年)創業の賢文館が前身で、1944年(昭和19年)に株式会社朝倉書店設立。創業者は同文館出身の朝倉鑛造。 理学・工学・医学・農学・人文科学・家政学などの学術専門書および理工系の大学教科書を出版。.
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木曽街道
木曽街道(きそかいどう)とは、京と江戸を美濃国および信濃国を経て結んでいた山道の俗称である。古代から中世の東山道、江戸時代の中山道のこと。当時は木曾街道と書いた。狭義には、中山道のうち、美濃国と信濃国の境界部に当たる木曽地方の一部区間を指した。贄川宿・奈良井宿・薮原宿・宮ノ越宿の上四宿、福島宿・上松宿・須原宿の中三宿、野尻宿・三留野宿・妻籠宿・馬籠宿の下四宿からなる11の宿場が設置された。 『日本鹿子』第八に『京より江戸まで木曾街道を行』とあるほか、『皇都午睡』三編中にも『板橋宿は、中仙道木曾街道の咽首なれど』とある。また、明治新政府が編纂した古事類苑地部では『木曾街道』の項を設け、主に木曽路(木曾路)について説明している。 『橘庵漫筆』二では、木曾街道は、かつては今のように人馬の通行は殆ど無く、昔は山姥に遭遇するなど通行困難な路であり、善光寺を詣でるにも、木曾街道を行けば百里で済むところ、命の方が大事と二百里もある北陸道を経る場合も多かったことや、かの平家でさえ京より関東に出るのに北陸道を用いたことを書いており、木曽路がたいへんに険しい道であったことを述べている。.
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本坂通
本坂通と東海道 本坂通(ほんさかどおり/ほんさかどおし)は、浜名湖の北側、本坂峠を経由して東海道見附宿と御油宿を結ぶ街道である。道程約60キロメートル。古くは東海道の本道で、二見の道と呼ばれ、中世以降、本坂峠を経由したことから本坂越、本坂道、本坂街道などと呼ばれた。 戦国時代に街道が整備され、江戸時代には東海道に付属する街道とされ、宿が置かれた。 幕末頃から姫街道の呼称が見られている。 ここでは、近世以前について説明をし、記事での表記は基本「本坂通」に統一する。近代以降については姫街道(東海道)を参照。.
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本山宿
本山宿(もとやまじゅく)は中山道32番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県塩尻市。 1614年(慶長19年)、中山道のルート変更に伴い、塩尻宿・洗馬宿とともに設置された。そば切り発祥の地といわれるが、現在そばが食べられるのは「本山そばの里」だけ(後述)。.
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本庄宿
1835-1837年)、渓斎英泉 画 宿より5.5キロ離れた神流川渡し場を題材としている。背景の山は上毛三山であり、右から赤城・榛名・妙義山である。土橋は初代戸谷半兵衛こと光盛が架けさせたものであり、長さ30間(約55メートル)、幅2間(約3.6メートル)。出水で橋が流された場合に備え、別に長さ5間5尺(10.6メートル)、幅7尺の渡し船も用意された。光盛は無賃渡しとする為に金100両を上納した『みて学ぶ埼玉の歴史』 みて学ぶ埼玉の歴史編集委員会編 山川出版社 2002年 p.084。また、右手前(および向こう岸)の常夜燈は3代目戸谷半兵衛こと光寿が寄進したものである(在地豪商である戸谷半兵衛家の経済力と影響力がうかがえる浮世絵となっている)。 本庄宿(ほんじょうじゅく、ほんじょうしゅく)は、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて10番目の宿場。.
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有珠山
有珠山(うすざん)は、北海道・洞爺湖の南に位置する標高737mの活火山。山頂は有珠郡壮瞥町にあり、山体は虻田郡洞爺湖町、伊達市にまたがっている。支笏洞爺国立公園内にあり、昭和新山とともに「日本の地質百選」に選定され、周辺地域が洞爺湖有珠山ジオパークとして「日本ジオパーク」「世界ジオパーク」に認定されている。.
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望月宿
望月宿(もちづきしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十五番目の宿場。.
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戸塚宿
戸塚宿(歌川広重『東海道五十三次』より) 戸塚宿(とつかしゅく、とつかじゅく)は、東海道五十三次の5番目の宿場である。東海道では相模国最東端の宿場町である。.
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戸田漁港
戸田漁港 (へだぎょこう) は、静岡県沼津市戸田にある港。歴史的に戸田港(へだこう)として知られている。水深は比較的深く、遠洋漁業の基地になっている。また駿河湾の深い海底谷に隣接しているため、深海魚やタカアシガニが多数水揚げされる。港の周辺には戸田温泉が広がっている。 嘉永7年11月4日(1854年12月23日)の安政東海地震の津波で大破したエフィム・プチャーチン提督のロシア船「ディアナ号」が1855年1月15日(安政元年11月27日)に駿河湾で沈没し、代わりの帆船、「ヘダ号」がこの地で建造されるまで、一行は宝泉寺に滞在した。日本とロシア友好の地であるこの地では、戸田港まつりが毎年行われている。沖合に沈んだ船の錨が1954年(昭和29年)、1976年(昭和51年)に引き上げられ、前者は造船郷土資料博物館に、後者は富士市三四軒屋の緑道公園に展示されている。.
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房総半島
房総半島(ぼうそうはんとう)は、関東地方の南東部、太平洋に面した半島。千葉県の大部分を占める。 「房総」という地名は、令制国の安'''房'''国と上'''総'''国と下'''総'''国の三国にまたがることに由来する。現在の千葉県と茨城県の間に「古鬼怒湾」があり、ほとんど「島」の状態であったのは、それほど古いことではない。 房総半島の位置。スペースシャトル 房総半島のランドサット。スペースシャトル.
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明応地震
http://cais.gsi.go.jp/KAIHOU/report/kaihou35/05_17.pdf 宇佐美龍夫(1986) 宇佐美龍夫(1986): 東海沖四大地震の震度分布(明応・宝永・安政東海・東南海地震), 地震予知連絡会報, '''35''', 343-351.宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年 明応地震(めいおうじしん)は、室町時代後期(戦国時代初期)に発生した地震である。南海トラフ沿いの巨大地震(南海トラフ巨大地震)と推定されている。 記録にある被害分布が安政東海地震に類似しており、震源域は東海道沖と思われるものであった 小山真人:(2008) 東海地震はどんな地震か?, 『地震防災』 学術図書出版, 1498年明応東海地震 -津波で外海とつながった浜名湖-。一方で、四国でも一部大地震があったとする記録が発見され、また発掘調査から同時期の南海道沖の地震の存在の可能性が唱えられている。.
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明石藩
明石藩(あかしはん)は、播磨国明石郡(兵庫県明石市、神戸市西区、神戸市垂水区など)を領した藩。藩庁は明石城に置かれた。 明石城跡.
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明治
明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.
昭和南海地震
昭和南海地震(しょうわなんかいじしん)は、1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78 km(北緯32度56.1分、東経135度50.9分)、深さ 24 kmを震源としたM8.0(Mw8.4)の地震である。1946年南海地震とも呼ばれ、単に南海地震といえばこの地震を指すことも多い。南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生した。.
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昭和東南海地震
昭和東南海地震(しょうわとうなんかいじしん)は、1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分から、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約 20 km (北緯33度8分、東経136度6分)から浜名湖沖まで破壊が進行した(震源としては「熊野灘」)M7.9のプレート境界型巨大地震。単に「東南海地震」または「1944年東南海地震」と呼ばれることがある。また当初は遠州沖大地震と呼ばれていたが 今村明恒(1944): 遠州沖大地震所感 地震 第1輯 Vol.16 (1944) No.11-12 P299-303, 、東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けたことを隠匿するため、「東南海地震」に変更したとする説がある。 1945年前後にかけて4年連続で1000名を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、三河地震、南海地震)の一つである(#震源域も参照)。一般に死者・行方不明者数は1223名を数えたとされる。 東南海地震震源域で発生した前回の巨大地震である安政東海地震から90年ぶりでの発生となっている。.
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浦和宿
子と、後ろに付いて馬糞を掻き集める子供がいる。男は馬子唄を歌っているのであろうか。 浦和宿(うらわ しゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸・日本橋から数えて3番目の宿場(武蔵国のうち、第3の宿)。 また、北は日光街道と連絡し、南の府中通り大山道(相模大山および大山石尊〈現:大山阿夫利神社〉詣での道の一つ)とは荒川の渡し場2箇所、羽根倉の渡し(現・埼玉県志木市内)と秋ヶ瀬の渡し(現・埼玉県さいたま市内)によって繋がっていた。現在の埼玉県さいたま市浦和区(旧・浦和市)にあたる。.
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浦賀
浦賀(うらが)は、神奈川県横須賀市東部にある地域。狭義には横須賀市浦賀またはそこに西浦賀町・東浦賀町を加えた区域、広義には浦賀行政センターの管轄(町村制による明治の大合併で誕生したかつての三浦郡浦賀町付近)を指す。マシュー・ペリーが黒船で来航した歴史をもつが、それ以前にも通商や補給を求めて外国船がしばしば来航していた。.
海震
海震(かいしん、英: seaquake)とは、水中・水上において観測される地震動のこと。海上の船舶において観測される事は珍しくない。.
海陽町
海部川 海陽町(かいようちょう)は、徳島県の南部に位置する町である。.
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浜名湖
浜名湖(はまなこ)は、静岡県浜松市、湖西市にまたがる湖。.
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浜松宿
歌川広重『東海道五十三次・濵松』 浜松宿(はままつしゅく、はままつじゅく)旧名「濱松宿」 は旧東海道の宿場で、東海道五十三次の江戸から数えて29番目、京から数えて25番目にあたる。また実距離では、江戸から京との中間にあたり、名実共に関東関西の中間地域であった。遠江国敷知郡(ふちごおり)の中心にあたり、司法行政を浜松藩が取り仕切っていた。 現在の静岡県浜松市の中心部にあたり、浜松城の城下町として天保年間には本陣が6軒、旅籠が94軒もあったとされる、遠江国・駿河国を通じて最大の宿場であった。天竜川の右岸にもあたるが、洪水の度に川の流れが変わったこともあり、現在の川岸からは6kmほど離れている。.
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浅草
浅草(あさくさ)は、東京都台東区の町名。または、旧東京市浅草区の範囲を指す地域名である。.
断層
アパラチア山脈の断層 断層(だんそう、fault)とは、地下の地層もしくは岩盤に力が加わって割れ、割れた面に沿ってずれ動いて食い違いが生じた状態をいう。 断層が動く現象を断層運動(faulting)と言い、地震の主原因であると考えられている。食い違いが生じた面そのものを断層面(fault surface)と称する。鉛直線に対して水平な角を断層角(fault dip)0度とし、鉛直な断層面が90度となる。また、水平面に置き換えた断層運動の方向を走向(fault strike)と呼ぶ。 侵食や堆積環境の変化、火山岩の噴出・堆積などによってできた地層の境界は、一見食い違っているように見える場合があるが、ずれ動いたわけではないため断層ではなく、不整合、非整合などと呼ばれる。.
新城藩
新城藩(しんしろはん)は、三河国に江戸時代前期に存在した藩。藩主は水野氏。居城は新城城(現在の愛知県新城市字東入船)。徳川家家臣の水野分長が尾張国知多より1万石にて入封。その子元綱の時に上野国安中に移封となった。かわって徳川家家臣・菅沼氏が入府した。菅沼氏は旗本(交代寄合)であったため、以後江戸時代末期までの新城村は、菅沼氏の陣屋町となった。.
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新居宿
歌川広重『東海道五十三次・荒井』 新居宿(あらいしゅく)は、東海道五十三次の江戸・日本橋から数えて31番目の宿場。旧国名は遠江国、現在の静岡県湖西市新居町新居に相当する。.
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新居関所
新居関所(あらいせきしょ)は、江戸時代の東海道の関所である。現在、静岡県湖西市新居町新居に相当する。正式名称が今切関所(いまぎれせきしょ)である。.
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新島
新島(右)と式根島のランドサット 西方上空より 新島(にいじま)は、伊豆諸島を構成する島の一つであり、東京から南に約160km、静岡県下田市から南東に36kmの位置にある。行政上の所属は東京都新島村。サーファーや海水浴客などに主眼を置いた観光業、漁業などが盛んである。.
新町宿
新町宿(しんまちしゅく)とは、江戸時代に指定された江戸から数えて11番目の中山道六十九次(木曽街道六十九次)の宿場町であった。.
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新鹿町
新鹿町(あたしかちょう)は、三重県熊野市の町名。江戸時代には木材を積み出す港町として発展し、現代では海沿いの農山村地域であるとともに新鹿海水浴場を中心とした観光地でもある。俳諧師の三浦樗良や、作家の中上健次が滞在したことがあり、彼らの作品の舞台となった。 熊野市が公表する2017年(平成29年)11月1日現在の人口は777人であり、2010年(平成22年)10月1日現在の面積は18.573370km2、郵便番号は519-4206である。.
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新潟焼山
新潟焼山(にいがたやけやま)は、新潟県西部の糸魚川市と妙高市にまたがる頸城山塊の標高2,400 mの活火山。通常「焼山」と呼ばれコンサイス日本山名辞典 (1992)、526頁日本三百名山 (1997)、200頁、同名の山と区別する際に「新潟焼山」の名称が用いられることがある新潟県には、焼山 (新潟県新発田市・阿賀野市)と焼山 (新潟県小千谷市・長岡市)の同名の山がある。。気象庁が24時間体制で観測を行う全国47の常時観測火山の一つである。.
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日坂宿
日坂宿(にっさかしゅく、にっさかじゅく) は、東海道五十三次の25番目の宿場である。 現在の静岡県掛川市日坂に当たり、東海道の三大難所(峠)の一つとされる小夜の中山の西麓に位置する。 宿場の西の入口には、事任八幡宮を擁する。古くは入坂、西坂、新坂など様々な字で記されており、大井川の畔の金谷宿と、塩の道と交差し城下町でもある掛川宿との間にあって、規模も小さかったが、江戸時代に入って正式に五十三次に加えられて整備され、字も日坂に統一された。 明治時代に入り、東海道本線が小夜の中山を迂回するためにこの宿場を通らず建設されたため、衰退を余儀なくされたが、戦後国道1号線は小夜の中山の北側の沢を開削する新ルートを拓き、この宿場を経由して整備された。 1955年、小笠郡日坂村が掛川市に合併し、それ以降は掛川市の大字となり現在に至っている。.
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日出藩
日出城跡(本丸石垣) 日出藩(ひじはん)は、豊後国速見郡に存在した藩。拠点は速見郡日出。居城は日出城。藩主は木下氏であった。.
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日光東照宮
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが比較的多い。 その歴史は少なくとも源義朝による日光山造営までさかのぼり得るもので、源頼朝がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて、東国の宗教的権威となっていた。こうした歴史を背景に、徳川氏は東照宮を造営したと考えられる。.
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日記
日記(にっき)とは、日々の出来事を紙などに記録したものである。単なる記録として扱われるものから、文学として扱われるものまで、その内容は様々である。ある人物の生涯にわたって記されるような長期にわたるものから、ある旅、ある職務、ある事件などの間だけ記された短期のものまで、期間・分量も様々であり、西洋・東洋を問わず、世界的に存在する。.
日本標準時
明石天文科学館、親時計 日本標準時(にほんひょうじゅんじ、Japan Standard Time、略語:JST)は、国立研究開発法人情報通信研究機構の原子時計で生成・供給される協定世界時(UTC)を9時間(東経135度分の時差)進めた時刻(すなわちUTC+9)をもって、日本における標準時としたものである。同機構が決定するUTCは“UTC(NICT)”と称され、国際度量衡局が決定する協定世界時 (UTC) との差が±10ナノ秒以内を目標として調整し管理されている。俗に日本時間とも呼ばれる。 情報通信研究機構が通報する標準時は、日本全国で日本放送協会 (NHK) などの放送局やNTT (117) の時報に用いられている。 一方、中央標準時(ちゅうおうひょうじゅんじ、Japan Central Standard Time、略語:JCST)は、大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台が決定し、現実の信号として示す時刻で、水沢VLBI観測所の天文保時室でセシウム原子時計が運転されている。なお、国立天文台が編纂する「理科年表」では中央標準時について、中央標準時.
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摂津国
摂津国(せっつのくに、旧字体:攝津國)は、日本の令制国の一つ。畿内に属する。現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたる。.
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改元
改元(かいげん)とは、元号を変更すること。.
愛知川宿
歌川広重による愛知川の風景 愛知川宿(えちがわしゅく、えちがわじゅく)は、近江国神崎郡にあった中山道65番目の宿場(中山道六十九次)で、現在は滋賀県愛知郡愛荘町愛知川および中宿。愛知川の東岸に位置する。.
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敦賀藩
敦賀藩(つるがはん)は、越前国敦賀郡(現在の福井県敦賀市)を支配した藩。別名を鞠山藩(まりやまはん)と言う。 敦賀藩の前史は結城秀康、松平忠直の越前松平家の領地の一部である敦賀領であった。この敦賀領は後に松平家を離れ、若狭京極家の小浜藩領となった。敦賀藩の創設は小浜藩第2代藩主・酒井忠直が死に臨んで次男・酒井忠稠に1万石を分与していたことから始まった。小浜藩の支藩である。藩庁は敦賀郡最東に築かれた鞠山陣屋に置かれ、同陣屋は千葉県の飯野陣屋、山口県の徳山陣屋と共に、日本三大陣屋の一つに数えられる。.
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慶長
慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.
慶長地震
慶長地震(けいちょうじしん)は、江戸時代初期の慶長9年12月16日(1605年2月3日)に起こった地震である。震源については諸説があり、南海沖(南海トラフ)単独地震説と南海沖と房総沖の連動地震説、遠地地震説など。津波被害による溺死者は約5,000人(1万人という説もある)だが、地震による陸地の揺れが小さいのが特徴である。また震源や被害規模も不明な点が多い。 以上のことから津波を想起させる大きな地震動が発生しない津波地震であったとされ、同様の地震が将来発生した場合に避難が遅れ大きな被害が出る可能性があり、問題となっている。.
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手紙
手紙(てがみ)とは、特定の相手に対して情報を伝達するための文書のこと。信書(しんしょ)、書簡・書翰(しょかん)、書状(しょじょう)などとも呼ばれる。古くは消息(しょうそく、しょうそこ)、尺牘(せきとく)とも呼ばれた。 広義には封書(封筒に入れて送る書状)、はがき(封筒に入れずに送る書状)、特定の人に向けて回覧する紙片の全般を含むが、狭義には封書のみを指して用いることも多い。英語では封書を意味する"letter"、あるいは郵便物を意味する"mail"をあてるのが一般的である。.
11月
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より11月 11月(じゅういちがつ)はグレゴリオ暦で年の第11の月に当たり、30日間ある。 日本では、旧暦11月を霜月(しもつき)と呼び、現在では新暦11月の別名としても用いる。「霜月」は文字通り霜が降る月の意味である。他に、「食物月(おしものづき)」の略であるとする説や、「凋む月(しぼむつき)」「末つ月(すえつつき)」が訛ったものとする説もある。また、「神楽月(かぐらづき)」、「子月(ねづき)」の別名もある。 英語での月名 November は、「9番目の月」の意味で、ラテン語で「第9の」という意味の「novem」の語に由来している。実際の月の番号とずれているのは、紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で、(そのため年末の2月は日数が少ない)3月から数えて9番目という意味である。.
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11月4日 (旧暦)
旧暦11月4日(きゅうれきじゅういちがつよっか)は旧暦11月の4日目である。六曜は友引である。.
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12月23日
12月23日(じゅうにがつにじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から357日目(閏年では358日目)にあたり、年末まであと8日ある。.
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1605年
記載なし。
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1707年
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1847年
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1852年
記載なし。
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1853年
記載なし。
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1854年
記載なし。
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1855年
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1856年
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1858年
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1944年
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1946年
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