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隅田川物

索引 隅田川物

隅田川物(すみだがわもの)とは、人形浄瑠璃や歌舞伎における世界のひとつ。能の『隅田川』を原点とする梅若伝説を扱ったものをいう。.

15 関係: 中間世界 (曖昧さ回避)公家隅田川 (能)隅田川続俤隅田川花御所染鶴屋南北 (4代目)近松門左衛門都鳥廓白浪桜姫東文章歌舞伎河竹黙阿弥清元節文楽

中間

中間.

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世界 (曖昧さ回避)

世界(せかい).

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公家

公家(くげ)とは、日本において朝廷に仕える貴族・上級官人の総称。天皇に近侍し、または御所に出仕していた、主に三位以上の位階を世襲する家。 公家の称の由来として、元来は天皇または朝廷を指し、「こうけ」「おおやけ」と読んだ。鎌倉時代以降、藤原氏・源氏・平氏などの貴族の内で、武力で天皇に奉仕する幕府を武家(軍事貴族、武家貴族)と称するようになると、それに対比して、儀式と文治をもって天皇に奉仕する宮廷貴族一般を公家(公家貴族)と呼ぶようになった。.

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隅田川 (能)

14世喜多六平太による「隅田川」の一場面。荻島雄三撮影 『隅田川』 (すみだがわ) は能楽作品の一つである。観世元雅作。 一般に狂女物は再会→ハッピーエンドとなる。ところがこの曲は春の物狂いの形をとりながら、一粒種である梅若丸を人買いにさらわれ、京都から武蔵国の隅田川まで流浪し、愛児の死を知った母親の悲嘆を描く。 各流派で演じられるが、金春流で演じられる時は、『角田川』(すみだがわ)のタイトルになる。.

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隅田川続俤

『隅田川続俤』(すみだがわごにちのおもかげ)とは、歌舞伎の演目で隅田川物のひとつ。四幕七場、奈河七五三助作。天明4年(1784年)5月、大坂角の芝居(藤川菊松座)初演。通称『法界坊』(ほうかいぼう)。また大切の所作事『双面水照月』(ふたおもてみずにてるつき)は独立した舞踊としても上演されることがあり、その際には『双面』(ふたおもて)または『葱売』(しのぶうり)の通称がつく。.

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隅田川花御所染

『隅田川花御所染』(すみだがわはなのごしょぞめ)とは、歌舞伎の演目のひとつ。文化11年(1814年)3月、江戸市村座にて初演。鶴屋南北作。隅田川物と清玄桜姫物の世界に、さらに鏡山物を綯い交ぜにしたもの。通称『女清玄』(おんなせいげん)。.

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鶴屋南北 (4代目)

四代目 鶴屋 南北(よだいめ つるや なんぼく、宝暦5年(1755年) - 文政12年11月27日(1829年12月22日))は、江戸時代後期に活躍した歌舞伎狂言の作者。 鶴屋南北を襲名した者は5名を数えるが、単に鶴屋南北または南北というと、通常はこの四代目のことをさす。また5代の南北のなかでもその業績が突出しているため、この四代目のことを特に大南北(おおなんぼく)ともいう。.

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近松門左衛門

近松 門左衛門(ちかまつ もんざえもん、承応2年〈1653年〉 - 享保9年11月22日〈1725年1月6日〉)とは、江戸時代の浄瑠璃及び歌舞伎の作者。本名は杉森 信盛(すぎもり のぶもり)。平安堂、巣林子(そうりんし)、不移山人(ふいさんじん)と号す。 家紋は「丸に一文字」。.

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能(のう)は、日本の伝統芸能である能楽の一分野。江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と総称されるようになったのは明治維新後のことである。 能(翁奉納 春日神社 (篠山市)).

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都鳥廓白浪

『都鳥廓白浪』(みやこどり ながれの しらなみ)は、通称『忍の惣太』(しのぶの そうた)で知られる歌舞伎の演目。二代目河竹新七(黙阿弥)作、全三幕。安政元年三月 (1854年4月)、江戸 河原崎座で初演。 .

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桜姫東文章

『桜姫東文章』(さくらひめあずまぶんしょう)とは、歌舞伎の演目で清玄桜姫物および隅田川物のひとつ。七幕九場、四代目鶴屋南北ほか作。文化14年(1817年)3月、江戸河原崎座にて初演。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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河竹黙阿弥

黙阿弥 河竹 黙阿弥(かわたけ もくあみ、旧字体:默阿彌、文化13年2月3日(1816年3月1日) - 明治26年(1893年)1月22日)は、江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者。本名は吉村 芳三郎(よしむら よしさぶろう)。俳名に其水(そすい)。別名に古河 黙阿弥(ふるかわ-)。江戸日本橋生まれ。.

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清元節

清元節(きよもとぶし)または清元(きよもと)とは、三味線音楽のひとつで、浄瑠璃の一種。主として歌舞伎や歌舞伎舞踊の伴奏音楽として用いられる。.

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文楽

文楽以外の人形浄瑠璃である。 『静御前』 JR新大阪駅 文楽(ぶんらく)とは、人形浄瑠璃文楽のこと。大阪で成立し本拠地とする人形浄瑠璃の系譜。 1955年に(人形浄瑠璃文楽座の座員により演ぜられる)文楽が文化財保護法に基づく重要無形文化財に指定された。2003年ユネスコ「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」、2008年「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」への掲載、そしてユネスコ無形文化遺産保護条約が発効した2009年9月の第1回登録であらためてユネスコの無形文化遺産に登録された。2017年現在は公益財団法人文楽協会を公演団体とし、大阪市の国立文楽劇場を中心に公演を行っている。 1684年、古浄瑠璃を独自に発展させた「義太夫節」の始祖である竹本義太夫が、大坂に「竹本座」を建て、自らの義太夫節の演奏と人形による三業(後述)での人形浄瑠璃の興行を始めた。その後、竹本義太夫の弟子が独立し豊竹若太夫を名のって興した「豊竹座」と競うなど、隆盛の時代には複数の興行元を数えたが、明治初期には興行元が「彦六座」と「文楽座」の2座のみとなった。その後に彦六座が解散、興行が文楽座のみとなったため、「文楽」という2字の名称が、すべての人形浄瑠璃の代表的存在、ならびにその代名詞と化したものである。 なお、文楽および文楽座という名称の直接的由来は、兵庫県淡路出身の植村文楽軒という人物が興行元であった上述の文楽座ではあるが、前述どおり、義太夫節の始祖が大坂で直接成立させた人形浄瑠璃の一形態の系譜であるため、人形浄瑠璃文楽を成立させた源流=淡路ということではない(淡路には淡路人形浄瑠璃が存在する)。 しかしながら、大坂で成立したその「義太夫節+人形」という人形浄瑠璃の系譜をしめす呼称がない(あるいは消失してしまっている)ため、その系譜を示す語の実例として、たとえば現在の人形浄瑠璃文楽の技芸員における演奏的特徴を示す語として「文楽系」と呼ぶことがある(それに呼応する語には「彦六系」などがある)。 人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)は日本の伝統芸能で、浄瑠璃と人形によって演じられる人形劇。明治以降、文楽座が一定規模以上の人形浄瑠璃の公演を行う唯一の公演団体となったため、「文楽」の名称が人形浄瑠璃と同義に用いられる場合もある。 この記事では文楽を中心に、文楽系統の成立以前の人形浄瑠璃、および文楽以外の人形浄瑠璃についても説明する。「人形浄瑠璃」については浄瑠璃も参照のこと。.

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