ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

能因本

索引 能因本

伝能因所持本(でんのういんしょじほん)、通称・能因本(のういんぼん)は、日本の随筆作品『枕草子』の写本の系統の一つ。.

54 関係: 加藤磐斎古典文庫古活字本堺本学習院大学寛永小学館川瀬一馬三巻本 (枕草子)三条西家九州大学平安時代北村季吟唐音写本元和 (日本)笠間書院田中重太郎相愛大学随筆鎌倉時代角川書店高野辰之講談社文庫能因藤原定子脩子内親王枕草子枕草子春曙抄枕草紙旁註松尾聰橘則長永井和子江戸時代池田亀鑑淑景舎清少納言清少納言枕草紙抄昭和日本日本古典文学全集慶安慶長1649年1928年1953年1970年1972年1974年1987年...1995年1997年1999年2008年 インデックスを展開 (4 もっと) »

加藤磐斎

加藤 磐斎(かとう ばんさい、寛永2年(1625年) - 延宝2年8月11日(1674年9月10日)は、江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。出生地は摂津国山田。通称は新太郎。踏雪・臨淵の軒号、冬木斎・等空・磐斎などの号を用いた。なお、「盤斎」は誤りである。 伊勢物語新抄、土佐日記見聞抄、清少納言枕草子抄、方丈記抄、徒然草抄、諷増抄、百人一首抄、新古今増抄、三部抄増註、俳諧歌(俳論書)などを著す。.

新しい!!: 能因本と加藤磐斎 · 続きを見る »

古典文庫

『古典文庫』(こてんぶんこ)は、国文学者の吉田幸一(東洋大学名誉教授)が個人事業として編纂・発行した、日本の古典文学の叢書である。1946年(昭和21年)から2002年(平成14年)まで発行。全670冊、別冊8冊、総目録2冊。また、同叢書の発行所の名称でもある。 なお、叢書の元となった吉田幸一自身の古典籍コレクションも「古典文庫」と称した。その多くは吉田の晩年に「古典文庫旧蔵書」として東洋大学附属図書館に寄贈されている。.

新しい!!: 能因本と古典文庫 · 続きを見る »

古活字本

『吾妻鏡』古活字本寛永版・林羅山の跋文 古活字本(こかつじぼん)または古活字版(―はん)とは、文禄より慶安ごろ(16世紀末から17世紀初め)までの間に日本で刊行された活字印刷本の総称である。.

新しい!!: 能因本と古活字本 · 続きを見る »

堺本

堺本(さかいぼん)は、日本の随筆作品『枕草子』の写本の系統の一つ。.

新しい!!: 能因本と堺本 · 続きを見る »

学習院大学

記載なし。

新しい!!: 能因本と学習院大学 · 続きを見る »

寛永

寛永(かんえい)は日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1645年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。.

新しい!!: 能因本と寛永 · 続きを見る »

小学館

株式会社小学館(しょうがくかん)は、東京都千代田区にある日本の総合出版社。系列会社グループの通称「一ツ橋グループ」の中核的存在である。.

新しい!!: 能因本と小学館 · 続きを見る »

川瀬一馬

川瀬 一馬(かわせ かずま、1906年1月25日 - 1999年2月1日)は、昭和時代の書誌学者、日本文化史家。.

新しい!!: 能因本と川瀬一馬 · 続きを見る »

三巻本 (枕草子)

三巻本(さんかんぼん)は、日本の随筆作品『枕草子』の写本の系統の一つ。安貞二年奥書本(あんていにねんおくがきぼん)とも呼ばれる。.

新しい!!: 能因本と三巻本 (枕草子) · 続きを見る »

三条西家

三条西家(さんじょうにし け)は、藤原北家 閑院流 嫡流・転法輪三条家の分家である正親町三条家のそのまた分家で、大臣家の家格を持つ公家。西三条家(にしさんじょう け)ともいう。正親町三条家の分家でありながら家格は本家のそれをしのぎ、三大臣家の中でも別格とみなされていたばかりか、室町時代から江戸時代初期にかけて右大臣をたびたび出したため、その家格は清華家とほぼ同格とみなされていた。閑院家嫡流の転法輪三条家にもたびたび養子を出したため、戦国時代以後の転法輪三条家の直接の血統は三条西家のものとなっている。江戸時代の家禄は502石。 維新までは三条西と西三条の双方を比較的自由に使っており、明治になって17代公允が伯爵に授爵されたのを機にこれを西三条に一本化したが、しばらくしてこれを三条西に替えている。通字は「公」「実」「季」。分家に押小路家・武者小路家・高松家がある。.

新しい!!: 能因本と三条西家 · 続きを見る »

九州大学

記載なし。

新しい!!: 能因本と九州大学 · 続きを見る »

平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

新しい!!: 能因本と平安時代 · 続きを見る »

北村季吟

北村 季吟(きたむら きぎん、寛永元年12月11日(1625年1月19日) - 宝永2年6月15日(1705年8月4日))は、江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。名は静厚、通称は久助・再昌院、別号は慮庵・呂庵・七松子・拾穂軒・湖月亭。.

新しい!!: 能因本と北村季吟 · 続きを見る »

唐音

清楽の歌詞。「九」「解」「児」などの音が現代の中国語と異なっており、18世紀前半以前の音を反映していることがわかる。『月琴楽譜』(1878(明治10)年刊)より。 唐音(とうおん・とういん)は、日本漢字音(音読み)において鎌倉時代以降に中国から入ってきた字音。宋以降の字音である。唐音の唐は、漢音・呉音と同様に、王朝名を表す(唐朝)のではなく、中国を表す語(唐土)である。.

新しい!!: 能因本と唐音 · 続きを見る »

写本

13世紀ヨーロッパの彩色写本 写本(しゃほん、Manuscript)とは、手書きで複製された本や文書、またはその行為そのものを指して示す用語。時に、原本(オリジナル)である正本(しょうほん・せいほん)と対応させて、それを書き写した書写本であることを強調するために用いられることもある。.

新しい!!: 能因本と写本 · 続きを見る »

元和 (日本)

元和(げんな)は日本の元号の一つ。慶長の後、寛永の前。1615年から1624年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川秀忠、徳川家光。.

新しい!!: 能因本と元和 (日本) · 続きを見る »

笠間書院

有限会社笠間書院(かさましょいん)は、日本の出版社である。日本語学、日本文学の学術書を専門とする。社名の「笠間」は、創業者の出身地である茨城県笠間市から採られている。 笠間書院は、2006年に本社を現在地へ移転、さらに6月には公式サイトを改装し、専門とする日本語学、日本文学とその周辺分野についての情報発信を積極的に行っている。公式サイトはブログ形式となっており、笠間書院のみならず他社からの献本、学会、研究会、展覧会や他のウェブサイトの情報など様々に掲載、毎日更新されている。 年に一度、PR誌の『リポート笠間』を作成し、無料配布する。毎号で日本文学の一分野に関する特集を組み、そのテーマに即した座談会の模様を掲載している。.

新しい!!: 能因本と笠間書院 · 続きを見る »

田中重太郎

中 重太郎(たなか じゅうたろう、1917年7月7日 - 1987年5月16日)は、日本の国文学者(文学博士)。京都市出身。戦後、平安文学研究会を主宰し、「平安文学研究」全80輯(1949年-1988年)を刊行、当時の中古文学研究者に研究成果公表の誌面を提供した。 娘の田中雅子(2011年没)は「塔」短歌会に所属する歌人であった。.

新しい!!: 能因本と田中重太郎 · 続きを見る »

相愛大学

属校として、相愛中学校・高等学校がある。京都女子大学とは姉妹校で龍谷総合学園加盟校。学内にクラシックなどの音楽の演奏をメインとしたコンサートホール兼講堂「南港ホール」がある。.

新しい!!: 能因本と相愛大学 · 続きを見る »

随筆

随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(essai新村出編『広辞苑』「エッセー」による直接の伝来元, essay)などともいう。「」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。 ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』(1580年)がこのジャンルの先駆者であり、欧米においては綿密な思索を基にした論文的なスタイルを念頭に置いてこの語を用いることがあるが、日本においては後述する江戸時代後期の日記的随筆のイメージもあって、もうすこし気楽な漫筆・漫文のスタイルを指して用いることがある。.

新しい!!: 能因本と随筆 · 続きを見る »

鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

新しい!!: 能因本と鎌倉時代 · 続きを見る »

角川書店

角川書店(かどかわしょてん)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。東京都千代田区に事業所を置く。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川書店についても解説する。.

新しい!!: 能因本と角川書店 · 続きを見る »

高野辰之

野辰之像(長野県中野市、高野辰之記念館屋外展示) 高野 辰之(たかの たつゆき、1876年(明治9年)4月13日 - 1947年(昭和22年)1月25日)は、日本の国文学者、作詞家。号は斑山(はんざん)。.

新しい!!: 能因本と高野辰之 · 続きを見る »

講談社文庫

講談社文庫(こうだんしゃぶんこ)は、株式会社講談社が発行している文庫レーベル。1971年に創刊された。広義では講談社学術文庫や講談社文芸文庫などを含む講談社から出されている文庫全体を指し、狭義では講談社文庫のみを指す。.

新しい!!: 能因本と講談社文庫 · 続きを見る »

能因

能因(のういん、永延2年(988年) - 永承5年(1050年)あるいは康平元年(1058年))は、平安時代中期の僧侶・歌人。俗名は橘永愷(たちばな の ながやす)。法名は初め融因。近江守・橘忠望の子で、兄の肥後守・橘元愷の猶子となった。子に橘元任がいた。中古三十六歌仙の一人。.

新しい!!: 能因本と能因 · 続きを見る »

藤原定子

藤原 定子(ふじわら の ていし/さだこ、貞元2年〈977年〉 - 長保2年12月16日〈1001年1月13日〉享年は同時代の公卿・藤原行成の日記『権記』による(『大鏡裏書』『一代要記』は入内の時14歳とするため『権記』の記す享年24と符合する)。『日本紀略』『扶桑略記』『栄花物語』は25とする。)は、平安時代、第66代一条天皇の皇后(号は中宮、のち皇后宮)。脩子内親王・敦康親王・媄子内親王の生母。通称は一条院皇后宮。女官に『枕草子』の作者である清少納言がいる。.

新しい!!: 能因本と藤原定子 · 続きを見る »

脩子内親王

脩子内親王(しゅうしないしんのう、長徳2年12月16日(997年1月27日) - 永承4年2月7日(1049年3月13日))は、第66代一条天皇の第1皇女で、母は皇后・藤原定子。『大日本史』では「修子」と表記。名は「ながこ」とも読む。同母弟妹に敦康親王、媄子内親王。 早くに母を亡くしたが、父の意向で宮中で育った。鍾愛の皇女であったことから、父は脩子を著裳とともに三品に直叙、寛弘4年(1007年)1月、12歳の時には、一品に叙すとともに准三宮の待遇を与え、本封のほか1,000戸を加えた。このときの詔書は『大日本史』に収録されている。父の死後、藤原道長、彰子の庇護のもとにいるのを潔しとせず、両人の不興を承知のうえで叔父・藤原隆家の屋敷へ移った。その後、長和2年(1013年)1月27日に三条宮に遷御したことが『小右記』に見える。 彰子のもとに引き取られた同母弟の敦康親王とは別々に暮らしていたが『栄花物語』は敦康が20歳で死去した際には非常に嘆き悲しんだという逸話を伝える。たいへん信心深く、治安4年(1024年)3月に落飾、入道一品宮などと称された。高貴な皇女の多くがそうであったように、終生未婚であったが、藤原頼宗の次女・延子(母は藤原伊周女で脩子内親王の従姉妹)を養女とし、延子が後朱雀天皇に入内した際には養母として付き添った。『栄花物語』によれば脩子は書に長じ、またそのそばには琴や琵琶を能く弾く人々が多くはべっていたため、延子も箏の琴に優れていたという。永承4年に死去した際、葬送の日がちょうど釈迦入滅の日であったため、時人は「成仏間違いなし」と称したと『後拾遺和歌集』は伝えている。 脩子は外戚の零落後に生まれ、同母弟の敦康親王同様、後見人に恵まれなかったが、父・一条天皇は長女である内親王を非常に可愛がり、また天皇の近臣たちもそれを熟知していたために、彼女のためによく奉仕したことが『権記』『小右記』などに散見する。また彼女は後一条・後朱雀の両天皇(ともに彰子所生)にとって、異母姉とはいえただひとりの姉であったため、生涯を通して朝廷でそれなりに尊重された。 なお、彼女は『枕草子』の伝来に関係したらしい(枕草子能因本奥書)。また、歌人・相模が仕えたことでも知られる。 寛仁4年(1020年)ごろ、三条宮西に住む菅原孝標女が内親王家から「めでたき草子ども」を下賜されたというエピソードが『更級日記』にある。.

新しい!!: 能因本と脩子内親王 · 続きを見る »

枕草子

王子猷(王羲之の子)が竹を「此君」と呼んだ事に因む。 『枕草子』(まくらのそうし)とは、平安時代中期に中宮定子に仕えた女房、清少納言により執筆されたと伝わる随筆。ただし本来は、助詞の「の」を入れずに「まくらそうし」と呼ばれたという。「枕草紙」、「枕冊子」、「枕双紙」とも表記され、古くは『清少納言記』、『清少納言抄』などとも称された。.

新しい!!: 能因本と枕草子 · 続きを見る »

枕草子春曙抄

『枕草子春曙抄』(まくらのそうししゅんしょしょう)とは、江戸時代に書かれた『枕草子』の注釈書。全十二巻、北村季吟著。『春曙抄』とも称す。.

新しい!!: 能因本と枕草子春曙抄 · 続きを見る »

枕草紙旁註

『枕草紙旁註』(まくらのそうしぼうちゅう)とは、江戸時代に書かれた『枕草子』の注釈書。全十二巻、岡西惟中著。『清少納言旁註』、『枕草紙拾穂抄』とも。.

新しい!!: 能因本と枕草紙旁註 · 続きを見る »

松尾聰

松尾 聰(まつお さとし、1907年〈明治40年〉9月28日 - 1997年〈平成9年〉2月5日)は、日本文学者。学習院大学名誉教授。文学博士(東京大学)。専攻は平安時代文学。 東京大学教授池田亀鑑に師事。学習院高等科の教授時代、教え子に三島由紀夫がいた。5男・松尾光は日本古代史研究者で、博士(史学)号取得者。.

新しい!!: 能因本と松尾聰 · 続きを見る »

橘則長

橘 則長(たちばな の のりなが、天元5年(982年) - 長元7年(1034年)4月『勅撰作者部類』)は、平安時代中期の歌人。父は陸奥守橘則光、母は清少納言。官位は正五位下、越中守。.

新しい!!: 能因本と橘則長 · 続きを見る »

永井和子

永井 和子(ながい かずこ、1955年 - )は、日本のメゾソプラノ歌手。長野県岡谷市出身。東京芸術大学教授。 国立音楽大学声楽科卒業後、同大学院音楽研究科声楽専攻(オペラコース)終了。文化庁オペラ研修所第4期終了。1987年サントリーホールオープン記念として行われた、フィルハーモニア管弦楽団による「蝶々夫人」のスズキ役として指揮者ジュゼッペ・シノーポリに抜擢され、絶賛を博した。これにより海外へも活躍の場を広げ、ベルリン、ローマ、ヴェネツィア、ロンドンなどでオペラ歌手として活躍、また国内においても数多くのオペラに出演、高い評価を得ている。 一方、コンサート歌手としても各地で精力的な活動をしている。第1回川崎静子賞、第19回民音コンクール声楽第1位、第1回グローバル東敦子賞、第2回村松賞などを受賞している。現在、東京芸術大学教授として音楽教育にあたっているほか、2006年、日本歌曲を収録したCD「赤とんぼ」をリリースした。 Category:日本のメゾソプラノ歌手 Category:東京芸術大学の教員 (音楽) Category:国立音楽大学出身の人物 Category:長野県出身の人物 Category:1955年生 Category:存命人物.

新しい!!: 能因本と永井和子 · 続きを見る »

江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

新しい!!: 能因本と江戸時代 · 続きを見る »

池田亀鑑

池田 亀鑑(いけだ きかん、明治29年〈1896年〉12月9日 - 昭和31年〈1956年〉12月19日)は、日本の国文学者。平安文学専攻。.

新しい!!: 能因本と池田亀鑑 · 続きを見る »

淑景舎

淑景舎(しげいしゃ・しげいさ)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。庭に桐が植えてあることから桐壺(きりつぼ)の別名がある。 内裏の北東に位置し、南北二棟がある。(北は淑景北舎) 宣耀殿の東、昭陽舎の北。 天皇の住まう清涼殿から最も遠い位置にあり、また、清涼殿に向かう際もほかの殿舎の前を通る渡り廊下を通らねばならないなど不便な配置である。そのためか、実際には天皇の女御や更衣が居住したという記録は殆どなく、むしろ摂政の直廬(じきろ、詰め所)などに利用されることが多かったようである。 淑景舎を賜っていたことで知られるのは、三条天皇の東宮時代の女御・藤原原子(藤原道隆女)。 『源氏物語』では、光源氏の母桐壺更衣の局として名高い。その後は源氏自身が宿直所とし、源氏の娘明石の姫君も東宮(今上帝)に入内した際やはり淑景舎を局とした。 南北いずれも5間4面というが、南舎は図によれば身屋が南北2間、東西5間、南・北の廂は5間、東・西の廂は4間、東廂の外に孫廂があり、北・西・南の3方に簀子があり、南の簀子の中央から、昭陽北舎に続く渡廊、西廂の南一の間の西に宣耀殿にかよう渡廊、東廂の北端から、北舎の東廂の南端にかよう渡廊が、いずれも簀子をへだててある。北舎は身屋が南北2間、東西5間、西と東と2間の廂があり、西方に簀子がある。 Category:七殿五舎.

新しい!!: 能因本と淑景舎 · 続きを見る »

清少納言

清少納言(せいしょうなごん-->、康保3年頃〈966年頃〉 - 万寿2年頃〈1025年頃〉)は、平安時代中期の女流作家、歌人。随筆『枕草子』は平安文学の代表作の一つ。.

新しい!!: 能因本と清少納言 · 続きを見る »

清少納言枕草紙抄

『清少納言枕草紙抄』(せいしょうなごんまくらのそうししょう)とは、江戸時代に書かれた『枕草子』の注釈書。.

新しい!!: 能因本と清少納言枕草紙抄 · 続きを見る »

昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

新しい!!: 能因本と昭和 · 続きを見る »

日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

新しい!!: 能因本と日本 · 続きを見る »

日本古典文学全集

日本古典文学全集(にほんこてんぶんがくぜんしゅう)は、小学館が出版した日本の古典文学を対象とした全集である。1970年から1976年にかけて出版され、全51巻からなる。書目は概ね古い時期のものから並んでいる。本文、注釈及び現代語訳から構成される。 その後1983年から1988年にかけて軽装版に位置づけられる『完訳・日本の古典』が刊行された。そして、1994年から2002年にかけて、最新の研究成果に基づいた注釈と、現代語訳の併載という方針を踏襲した 『新編日本古典文学全集』が刊行された。この新版の構成も、引き続き、上段に注釈、下段に現代語訳を記載し、中央に本文ならびに、存在すれば挿絵を挿入するというものであった。 その後、装いを新たにし、かつ、有名な書物類に的を絞った軽装版『日本の古典をよむ』が2007年から2008年に出版された。 岩波書店の『日本古典文学大系』と並びよく利用される。.

新しい!!: 能因本と日本古典文学全集 · 続きを見る »

慶安

慶安(けいあん)は日本の元号の一つ。正保の後、承応の前。1648年から1652年までの期間を指す。この時代の天皇は後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光、徳川家綱。.

新しい!!: 能因本と慶安 · 続きを見る »

慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

新しい!!: 能因本と慶長 · 続きを見る »

1649年

記載なし。

新しい!!: 能因本と1649年 · 続きを見る »

1928年

記載なし。

新しい!!: 能因本と1928年 · 続きを見る »

1953年

記載なし。

新しい!!: 能因本と1953年 · 続きを見る »

1970年

記載なし。

新しい!!: 能因本と1970年 · 続きを見る »

1972年

協定世界時による計測では、この年は(閏年で)閏秒による秒の追加が年内に2度あり、過去最も長かった年である。.

新しい!!: 能因本と1972年 · 続きを見る »

1974年

記載なし。

新しい!!: 能因本と1974年 · 続きを見る »

1987年

この項目では、国際的な視点に基づいた1987年について記載する。.

新しい!!: 能因本と1987年 · 続きを見る »

1995年

この項目では、国際的な視点に基づいた1995年について記載する。.

新しい!!: 能因本と1995年 · 続きを見る »

1997年

この項目では、国際的な視点に基づいた1997年について記載する。.

新しい!!: 能因本と1997年 · 続きを見る »

1999年

1990年代最後の年であり、1000の位が1になる最後の年でもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。.

新しい!!: 能因本と1999年 · 続きを見る »

2008年

この項目では、国際的な視点に基づいた2008年について記載する。.

新しい!!: 能因本と2008年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »