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老農

索引 老農

老農(ろうのう)とは、おもに明治時代、農書に基づいて在来農学を研究し、これに自らの体験を加えて高い農業技術を身につけた農業指導者。 特に群馬県の船津伝次平、奈良県の中村直三、香川県の奈良専二の3人は明治の三老農と呼ばれ、彼らに次いで福岡県の林遠里、秋田県の石川理紀之助が知られていた。 彼らは、輸入学問であった近代農学とは独立して、近世以前の在来農学の蓄積に基づき、単なる個人の経験の寄せ集めという段階を越えた実証主義的な態度からの技術改良を志向した。一部には、イネの品種間の実証的な比較収量試験を行ったり、メンデルの法則の導入以前から交配によるカイコの品種改良を試みるものもいたという。 この老農らによって、1875年頃から各地で種子交換会や農事会など、農業技術の交流を行う組織が形成された。また、老農らによって集約・収斂された在来農学の集大成は明治農法と呼ばれた。 老農らをまとめ、組織化した会は農談会とよばれた。農談会は明治初期より各地で小規模なものが開かれていたが、1881年3月に開催された全国農談会が、初の全国規模の農談会といわれる。.

21 関係: 奈良専二奈良県中村直三メンデルの法則イネカイコ石川理紀之助福岡県秋田県群馬県香川県農学農業技術農書近世船津伝次平林遠里明治明治農法1875年1881年

奈良専二

奈良 専二(なら せんじ、文政5年9月13日(1822年10月27日) − 明治25年(1892年)5月4日)は、香川県出身の老農(篤農家)・農業指導者。明治農法を確立した「明治の三老農」の一人として知られる。.

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奈良県

奈良県(ならけん)は、日本の都道府県の一つ。本州中西部、紀伊半島内陸部、近畿地方の中南部に位置する県である。 令制国の大和国の領域を占め、県庁所在地は奈良市。北西部の盆地部を除き、険しい山々がそびえている。都道府県面積は全国で8番目に狭く内陸8県では最も狭いが、最小の香川県の約2倍でもある。.

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中村直三

中村 直三(なかむら なおぞう、文政2年3月8日(1819年4月2日) - 明治15年(1882年)8月13日)は、奈良県出身の老農(篤農家)・農業指導者。群馬県の船津伝次平、香川県の奈良専二と並び、「明治の三老農」の一人として明治農法の確立に努めた。また、従来の農書とは別に、角力番付、一枚刷り、小冊子など、農民にわかりやすい形式を活用して、自らの農法を積極的に広めた。.

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メンデルの法則

メンデルの法則(メンデルのほうそく)は、遺伝学を誕生させるきっかけとなった法則であり、グレゴール・ヨハン・メンデルによって1865年に報告された。分離の法則、独立の法則、優性の法則の3つからなる。.

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イネ

イネ(稲、稻、禾)は、イネ科イネ属の植物農業・生物系特定産業技術研究機構編『最新農業技術事典』農山漁村文化協会 p.105 2006年。属名Oryza は古代ギリシア語由来のラテン語で「米」または「イネ」を意味する。種小名 sativa は「栽培されている」といった意味である。収穫物は米と呼ばれ、トウモロコシやコムギとともに世界三大穀物の1つとなっている。稲禾(とうか)、禾稲(かとう)などとも呼ばれる。.

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カイコ

イコ(蚕、蠶)はチョウ目(鱗翅目)・カイコガ科に属する昆虫の一種。正式和名はカイコガで、カイコは本来この幼虫の名称だが、一般的にはこの種全般をも指す。クワ(桑)を食餌とし、絹を産生して蛹(さなぎ)の繭(まゆ)を作る。有史以来養蚕の歴史と共に各国の文化と共に生きてきた昆虫。 学名(ラテン語名)は「(仮名転写の一例:ボムビークス・モリー)」。.

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石川理紀之助

石川 理紀之助(いしかわ りきのすけ、1845年4月1日(弘化2年2月25日) - 1915年(大正4年)9月8日)は、秋田県潟上市生まれの篤農家、明治から大正期の農業指導者。秋田県種苗交換会の先覚者。生涯を農村の更生、農家の救済、農業の振興のために捧げ、秋田の二宮尊徳と呼ばれた。.

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福岡県

福岡県(ふくおかけん)は、日本の九州地方北部にある県。県庁所在地は福岡市。2017年現在の人口は約511万人で、全国の都道府県中9位である。.

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秋田県

秋田県(あきたけん)は、日本の東北地方の県の一つで日本海に面する。県庁所在地は秋田市である。.

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群馬県

群馬県(ぐんまけん)は、日本の都道府県の一つ。関東地方の北西部に位置する。県庁所在地は前橋市。 米麦栽培・養蚕・繊維工業などの伝統産業に加え、畜産・野菜栽培・機械工業が盛んで、県北西部は温泉・保養地であるとともに、利根川上流ダム群による電力・上水道供給地となっている。県南東部は都市化が進み、首都圏整備法の都市開発区域に指定され、工業地域を形成している。.

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香川県

香川県(かがわけん)は、瀬戸内海に面し四国の北東部に位置する日本の県の一つ。令制国の讃岐国に当たる。県庁所在地は高松市。県名は旧讃岐国のほぼ中央に存在し、かつて高松が属していた古代以来の郡である香川郡から採られた。面積が全国一小さい県だが、災害が少なくコンパクトな中に都市の利便性と豊かな自然が調和した生活環境を併せ持つ特徴を有するかがわ暮らしガイドブック(香川県発行)。.

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農学

農学(のうがく、agriculture)とは、農業・林業・水産業・畜産業などに関わる、応用的な学問。農産物の栽培・育種、生産技術の向上、生産物の加工技術などや、生産に関わる社会的な原理、環境の保全など、第一次産業に関わる幅広い事柄を研究し、産業の改良と発展を目指す。広義の自然科学に属し、化学、生物学、地学などを基礎とするが、社会科学も基盤の一部を成す。.

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農業技術

農業技術とは、農業で用いられる手段・手法のこと。科学的観点からは、生物学的・化学的農業技術(BC技術)と機械的農業技術(M技術)に大きく二分される。 明治時代以降、日本における農業技術の進歩はめざましく、農業・農業経営の成長・発展に大きく貢献してきた。これらの技術進歩は、篤農技術の結晶と言われる明治農法の段階を経て、近代科学・近代工業の発展を基礎にして、農業試験場等の公的試験研究機関、農業関連産業による研究開発活動によって進展されてきた。.

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農書

農書(のうしょ)とは、広義には農業に関する書物の総称である。 より狭義には、近代的農学が成立する以前の農業技術・農民生活についての著作物を指し、「古農書」とも呼ばれる(当然この場合、近代以後の農学書(農学を参照のこと)は農書に含まれない)。以下は狭義の「農書」について述べる。.

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近世

近世(きんせい、英語:early modern period)とは、歴史学における時代区分のひとつ。中世よりも後で、近代よりも前の時期を指す。.

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船津伝次平

船津伝次平(ふなつ でんじべい、天保3年11月1日(1832年11月22日) - 明治31年(1898年)6月15日)は、幕末から明治時代にかけて活動した農業研究家。 幼名は船津市造。上野国原之郷(後の群馬県勢多郡富士見村大字原之郷、現・群馬県前橋市富士見町原之郷)出身。篤農家として評価された「明治の三老農」の一人であり、元駒場農学校及び東京帝国大学講師。 幕末、出身地の名主・村役人として名望を集める傍ら、実践的な農業技術の改良にあたり、成功を収める。その実績を買われて明治維新後は中央に招かれ、引き続き農業技術の改良に取り組みながら、講演等で生涯にわたって各地の農業振興に努めた。日本の在来農法を基礎に改良しながら、西洋農法の手法をも部分的に折衷した「船津農法」の考案者である。46歳の時に群馬県赤城山麓の農業指導者から駒場農学校の教官に抜てきされ、講義の傍ら、自ら先頭に立って学生達と一緒に駒場の原野に開墾のクワをふるって農場を拓き、実習田をつくった。経験を重んじる在来の日本農業に西洋の近代農法を積極的に採り入れた「混同農事」に力を入れ、その後、この農法は全国に普及していった。.

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林遠里

林遠里(はやし えんり、1831年3月8日(天保2年1月24日(旧暦)) - 1906年(明治39年)1月30日)は、福岡県生まれの老農(篤農家)・農業技術指導者。私塾・興産社・勧農社の創始者としても知られる。 林遠里の考案した農法は、筑前農法または福岡農法と呼ばれ、寒水浸法、土囲い法、冬蒔き畑苗代法をその中核としながら、多労を旨とした集約的農業技術により土地生産性を高める一方で、抱持立犂を装備した牛馬耕を導入することによって耕耘作業を省力化し、労働生産性を高めるというものであった。この筑前農法は明治農法の中核的な農法として、全国に広まった。 林遠里の墓地は入部地域にあり、2005年には、林遠里100年際が行われ、当時の入部小学校の4年生(2クラス)が田植えに参加した。 朝日新聞社が人名辞典で遠里(えんり)を(おんり)と誤植したため、その誤った表記を踏襲する表記が時々みられるが、(えんり)が正しく、別の呼び方はしない。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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明治農法

明治農法(めいじのうほう)とは、明治時代、近代農学と対比される形で農書に代表される旧来の農業技術を集積・体系化したものの総称。牛馬とプラウを用いた深耕、乾田化に代表される土地改良・施肥技術の改良、塩水選による短冊苗代を用いた健苗育成に代表される選種の精緻化、耐肥性多収品種の導入に代表される優良品種の導入がその特徴とされる。.

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1875年

記載なし。

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1881年

記載なし。

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