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羅士信

索引 羅士信

羅 士信(ら ししん、生年不詳 - 622年)は、中国の唐の軍人。本貫は斉州歴城(現在の山東省済南市)。『説唐全伝』などの古典小説中では、羅成(らせい)として登場する。

目次

  1. 18 関係: 劉黒闥山東省中国張須陀王君廓王世充王薄秦叔宝盧明月隋唐演義資治通鑑軍人李密 (隋)李淵済南市新唐書旧唐書

  2. 600年生
  3. 622年没
  4. 唐代の人物

劉黒闥

劉 黒闥(りゅう こくたつ)は、中国の唐初の民衆叛乱の指導者。

見る 羅士信と劉黒闥

山東省

山東省(さんとうしょう、山东省、、Shandong)は、中華人民共和国の省の一つ。略称は周代の国名より魯。山東とは太行山脈の東方の意。北には渤海、東には黄海があり、黄河の下流に位置する。人口9579.3万人、面積157,126平方キロメートル。省都は済南市。他に青島市・泰安市・煙台市などの主要都市がある。

見る 羅士信と山東省

中国

中国(ちゅうごく、中國)は、ユーラシア大陸(アジア大陸)の東部を占める地域、及びそこで成立した国家をさす用語。日本では、1972年の日中国交正常化以降、中華人民共和国の略称としても使用されている。 中国統一問題を参照)。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。

見る 羅士信と中国

張須陀

張 須陀(張須陁、ちょう すだ、565年 - 616年)は、隋の軍人。本貫は弘農郡閿郷県。

見る 羅士信と張須陀

唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国であり、中央アジアや東南アジア、北東アジア諸国(朝鮮半島や渤海、日本など)に政制・文化などの面で多大な影響を与えた。首都は長安に置かれた。

見る 羅士信と唐

王君廓

王 君廓(おう くんかく、生没年不詳)は、隋末の民衆叛乱の指導者。唐に帰順して幽州都督となったが、乱を起こした。本貫は、并州石艾県。

見る 羅士信と王君廓

王世充

王 世充(おう せいじゅう)は、隋末唐初に割拠した群雄の一人。隋朝の恭帝侗を廃して鄭国を建てた。 隋朝の有力な部将であり、煬帝の時代には反乱軍を撃破して活躍し、恭帝侗の時代には反乱軍団を保有していた李密を降伏させた。619年に恭帝侗を廃して鄭の皇帝に即位すると、李淵率いる唐の軍事的圧力を受けて夏国の竇建徳に救援を求めたが、竇建徳が唐の李世民(太宗)に敗れると王世充も唐に降伏した。李淵は王世充の一族を巴蜀の流刑に処したが、道中で父親を王世充に殺されていた独孤修徳に殺害された。

見る 羅士信と王世充

王薄

王 薄(おう はく、生年不詳 - 622年)は、中国の隋末の民衆叛乱の指導者。唐に帰順して、斉州総管となった。本貫は斉郡鄒平県。

見る 羅士信と王薄

秦叔宝

秦 叔宝(しん しゅくほう、生年不詳 - 638年)は、中国の唐の軍人。名は瓊。叔宝は字であり、字をもって通称される。本貫は斉州歴城県。唐の凌煙閣二十四功臣のひとりに挙げられた。また後世には尉遅敬徳とともに門神として信仰された。

見る 羅士信と秦叔宝

盧明月

盧 明月(ろ めいげつ、生年不詳 - 617年)は、中国の隋末の民衆叛乱の指導者。本貫は涿郡。

見る 羅士信と盧明月

隋唐演義

『隋唐演義』(ずいとうえんぎ)は、清初のによって作られた通俗歴史小説。20巻100回。 羅貫中編と言われる『隋唐両朝志伝演義(中国語版)』を元に、褚人穫が『隋煬帝艶史(中国語版)』『隋史遺文(中国語版)』などの野史、唐・宋の伝奇小説や筆記、民間の伝承文芸から材料を集めて作られたと言われる。中国文学者の金文京によれば、『隋唐両朝志伝演義』の時点で『三国志演義』の話を固有名詞のみを変更して借用したところがあり、『三国志演義』の模倣作という色が濃い。 魯迅は『中国小説史略』第十四篇 元明傳來之講史(上)で、以下のように述べ、かなり低い評価を下している。 「『隋唐演義』は、隋の文帝が陳を滅亡させたところから始まり、安史の乱の後、唐の玄宗が長安に戻るところで終わる。その間に秦瓊・単雄信・程咬金・羅成・木蘭などの話が挿入されている。しかしながらその文章は明代末期の軽佻浮薄な空気を反映してしまっており、深みに乏しい。羅貫中の『三国志演義』のような深刻さがなく、出来栄えも『三国志演義』に比べると数段落ちる。バカバカしい話もあり、読んでいて虚しい気持ちになる」 日本では、安能務、田中芳樹によるリライト本が出版されているが、学問的な日本語訳は2024年時点で存在していない。

見る 羅士信と隋唐演義

資治通鑑

『資治通鑑』(しじつがん、)は、中国北宋の司馬光が、1065年(治平2年)の英宗の詔により編纂して1084年(元豊7年)に完成した、編年体の歴史書。全294巻。もとは『通志』といったが、神宗により『資治通鑑』と改名された。『温公通鑑』『涑水通鑑』ともいう。 収録範囲は、紀元前403年(周の威烈王23年)の韓・魏・趙の自立による戦国時代の始まりから、959年(後周の世宗の顕徳6年)の北宋建国の前年に至るまでの1362年間としている。 この書は王朝時代には司馬光の名と相まって、高い評価が与えられてきた。また後述のように実際の政治を行う上での参考に供すべき書として作られたこともあり、『貞観政要』などと並んで代表的な帝王学の書とされてきた。また近代以後も、司馬光が執筆に用いた史料で既に散逸したものが少なくないため、有力な史料と目されている。

見る 羅士信と資治通鑑

軍人

大日本帝国陸軍の軍人と軍旗。1931年(昭和6年)撮影。 軍人(ぐんじん、、、ミーレス)は、軍隊の構成員。

見る 羅士信と軍人

李密 (隋)

李 密(り みつ、582年(開皇2年) - 619年(武徳元年)1月20日)は、中国の隋末に割拠した群雄の一人。字は玄邃、または法主『隋書』『北史』は法主、『旧唐書』『壺関録』は玄邃、『新唐書』は玄邃と法主、「唐故邢國公李密墓誌銘」は元邃とする。。本貫は遼東郡襄平県(現在の遼寧省遼陽市)『旧唐書』『新唐書』は遼東襄平、『北史』「唐上柱國邢國公李君之墓銘」「唐故邢國公李密墓誌銘」は隴西成紀、『壺関録』は遼西または遼東襄平とする。。

見る 羅士信と李密 (隋)

李淵

李 淵(り えん、566年4月7日 - 635年6月25日)は、唐の初代皇帝。隋末の混乱の中で太原で挙兵し、長安を落として根拠地とした。そこで隋の恭帝侑を傀儡として立て、禅譲により唐を建国した。李淵は在位9年の間王世充などの群雄勢力と戦い、また律令を整備した。626年に太宗(李世民)に譲位させられ、太宗が残存の群雄勢力を一掃して唐の天下統一を果たした。

見る 羅士信と李淵

済南市

済南市(さいなんし、中国語:济南市、英:Jinan)は、中華人民共和国山東省に位置する副省級市。山東省の西部に位置し、省都として省内の通商、教育、政治、文化、医療の中心としての地位を占める。市中を黄河が流れ、南には泰山が控えている。人口のほとんどは漢族であるが、満族や回族なども居住している。 言語は北京語に近いが声調がひどく訛る山東方言がある。済南は北京料理のもととなった、やわらかくて塩辛い「魯菜」(山東料理)でも知られている。城内に「天下第一泉」と呼ばれる趵突泉をはじめとする「七十二名泉」と呼ばれる水量の多く美しい泉水があるため、都市の別名を「泉城」という。豊かな自然と歴史資源を持つため、国家歴史文化名城に指定されている。

見る 羅士信と済南市

新唐書

『新唐書』(しんとうじょ)は、中国の唐代の正史である。五代の後晋の劉昫の手になる『旧唐書』(くとうじょ)と区別するために、『新唐書』と呼ぶが、単に『唐書』(とうじょ)と呼ぶこともある。 北宋の欧陽脩・曾公亮らの奉勅撰、225巻、仁宗の嘉祐6年(1060年)の成立である。

見る 羅士信と新唐書

旧唐書

『旧唐書』(くとうじょ、)は、中国五代十国時代の後晋出帝の時に劉昫・張昭遠・賈緯・趙瑩らによって編纂された歴史書。二十四史の一つ。唐の成立(618年)から滅亡まで(907年)について書かれている。 当初の呼び名は単に『唐書』だったが、『新唐書』が編纂されてからは『旧唐書』と呼ばれるようになった。

見る 羅士信と旧唐書

参考情報

600年生

622年没

唐代の人物