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松本幸四郎 (4代目)

索引 松本幸四郎 (4代目)

四代目 松本 幸四郎(よだいめ まつもと こうしろう、元文2年(1737年) - 享和2年6月27日(1802年7月26日))は、江戸の歌舞伎役者。俳名は錦江、屋号は高麗屋。.

33 関係: 宝暦安永 (元号)尾上菊五郎 (初代)屋号中村座市川團十郎 (4代目)市川團十郎 (5代目)市川高麗蔵市川染五郎市村座三井不動産享和京都仮名手本忠臣蔵延享伽羅先代萩俳名元文瀬川菊之丞 (初代)高麗屋押上東洲斎写楽松本幸四郎松本幸四郎 (10代目)松本幸四郎 (5代目)極付幡随長兵衛歌舞伎江戸1737年1802年2008年6月27日 (旧暦)7月26日

宝暦

宝暦(ほうれき、ほうりゃく、旧字体: 寶曆)は日本の元号の一つ。寛延の後、明和の前。1751年から1764年までの期間を指す。この時代の天皇は桃園天皇、後桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川家重、徳川家治。.

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安永 (元号)

安永(あんえい)は日本の元号の一つ。明和の後、天明の前。1772年から1781年までの期間を指す。この時代の天皇は後桃園天皇、光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

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尾上菊五郎 (初代)

初代 尾上菊五郎(しょだい おのえ きくごろう、享保2年〈1717年〉 - 天明3年12月29日〈1784年1月21日〉)とは、江戸時代の歌舞伎役者。屋号音羽屋、俳名梅幸。幼名は竹太郎。 京都都萬太夫座の芝居茶屋の出方音羽屋半平の子。初め若女形の尾上左門の門下となり、尾上竹太郎と名乗る。享保15年(1730年)京都榊山四郎太郎座で尾上菊五郎を名乗り若衆方として初舞台。同20年(1735年)からは若女形として舞台に立ち評判を取る。 その後寛保元年(1741年)、大坂で二代目市川海老蔵と同座し、翌年の寛保二年には、『鳴神』で海老蔵演じる鳴神上人を相手に雲の絶間姫を演じて大評判を取る。これをきっかけに同年海老蔵と共に江戸に下り、市村座に出て女形として売り出した。その後宝暦2年(1752年)に立役に転じる。しかし明和3年(1766年)、江戸堺町で営んでいた油屋からの出火により隣接する中村座と市村座の両座を焼失、これが「菊五郎油見世火事」といわれるほど反発を買い、帰坂せざるを得なくなった。その後は四年を経てふたたび江戸に下り大当りを取り、三都の舞台で活躍し、最後は大坂で没した。 当り役は『仮名手本忠臣蔵』の大星由良助、『ひらかな盛衰記』の延寿・畠山重忠など。子に二代目尾上菊五郎がいる。.

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屋号

屋号、家号(やごう)とは、一門・一家の特徴を基に家に付けられる称号のことである。日本、ヨーロッパにおいて使用されている例がある。日本の場合、家紋のように屋号を記号化・紋章化した屋号紋を指すこともある。また、前述の本来の屋号から派生して企業や店の名称などを屋号と呼ぶ場合もある。.

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中村座

復元された中村座(江戸東京博物館) 京橋) 中村座の定式幕 中村座(なかむらざ)は、江戸にあった歌舞伎劇場で江戸三座のひとつ。座元は中村勘三郎代々。控櫓は都座。.

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市川團十郎 (4代目)

四代目 市川 團十郎(よだいめ いちかわ だんじゅうろう、正徳元年(1711年) - 安永7年2月25日(1778年3月23日)は、江戸の歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)。俳名に海丸(かいがん)・五粒(ごりゅう)・三升(さんしょう)・柏莚(はくえん)がある。.

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市川團十郎 (5代目)

五代目 市川團十郎(ごだいめ いちかわ だんじゅうろう、寛保元年〈1741年〉 - 文化3年10月30日〈1806年12月9日〉)とは、江戸の歌舞伎役者。屋号は成田屋、俳名は梅童・男女川(おながわ)・三升・白猿。定紋は三升。.

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市川高麗蔵

市川 高麗蔵(いちかわ こまぞう、旧字体:髙麗藏)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は高麗屋。定紋は初代と二代目が三升の中に髙の字、二代目以降が四ツ花菱、八代目以降の替紋は浮線蝶。.

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市川染五郎

市川染五郎(いちかわ そめごろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は高麗屋、定紋は三つ銀杏、替紋は四つ花菱。 現在では松本幸四郎に先立って襲名される名跡となっている。; 初代 市川染五郎; '''二代目 市川染五郎'''; 三代目 市川染五郎; 四代目 市川染五郎; 五代目 市川染五郎; 六代目 市川染五郎; 七代目 市川染五郎; '''八代目 市川染五郎''' Category:歌舞伎役者の名跡 Category:歌舞伎役者.

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市村座

市村座(いちむらざ)は、江戸にあった歌舞伎劇場で、江戸三座のひとつ。座元は市村羽左衛門代々。控櫓は主に桐座だったが、都座と玉川座が代興行したこともある。明治時代以降も経営者が変わりながら運営されていたが、1932年(昭和7年)の焼失により廃座となった。.

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三井不動産

三井不動産株式会社(みつい ふどうさん、英称:Mitsui Fudosan Co., Ltd.)は東京都に本社を置く日本最大手の不動産会社である。戦後一貫して不動産業界において売上1位に君臨している橘川武郎 日本住宅総合センター 不動産業に関する史的研究(Ⅲ)(日本住宅総合センター、1996.11)所収 調査研究リポート No.94241。三井住友銀行、三井物産と共に三井グループの御三家である。.

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享和

享和(きょうわ)は日本の元号の一つ。寛政の後、文化の前。1801年から1804年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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仮名手本忠臣蔵

『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)とは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演。全十一段、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。赤穂事件を題材としたもの。通称「忠臣蔵」。 大石内蔵助こと大石良雄の家紋「二つ巴」。この家紋のことは『仮名手本忠臣蔵』においても作中に記されている。.

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延享

延享(えんきょう)は日本の元号の一つ。寛保の後、寛延の前。1744年から1748年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇、桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗、徳川家重。.

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伽羅先代萩

六代目尾上梅幸の政岡をモデルにしたといわれている。 『伽蘿先代萩』(めいぼく せんだいはぎ)は、伊達騒動を題材とした人形浄瑠璃および歌舞伎の演目。通称「先代萩」。.

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俳名

俳名(はい-みょう)は、本来俳号と同義であるが、江戸時代中期以降の芸能分野においては、.

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元文

元文(げんぶん)は日本の元号の一つ。享保の後、寛保の前。1736年から1741年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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瀬川菊之丞 (初代)

初代 瀬川菊之丞(しょだい せがわ きくのじょう、元禄6年〈1693年〉 - 寛延2年9月2日〈1749年10月12日〉)とは、享保年間に活躍した歌舞伎役者。女形の名優。俳名は路考、屋号は濱村屋。通称は濱村屋路考。女形役者の初代瀬川菊次郎はその弟。.

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高麗屋

麗屋(こうらいや)は、歌舞伎役者の屋号。 初代松本幸四郎が若い頃、江戸神田の「高麗屋」という商店(下総国佐原の小間物屋だった説もある)で丁稚奉公していたことがその名の由来。 高麗屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。.

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押上

押上通り商店街 押上(おしあげ)は、東京都墨田区の地名。現行行政地名は押上一丁目から三丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は131-0045。.

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東洲斎写楽

東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、とうじゅうさい しゃらく、生没年不詳)とは、江戸時代中期の浮世絵師。約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と画業を絶って姿を消した謎の絵師として知られる。その出自や経歴については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、宝暦13年〈1763年〉 - 文政3年〈1820年〉)とする説が有力となっている。.

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松本幸四郎

松本 幸四郎(まつもと こうしろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は初代が大和屋、二代目以降が高麗屋。定紋は四つ花菱(よつ はなびし)、替紋は浮線蝶(ふせ ちょう)。七代目は日本舞踊藤間流の藤間勘右衛門も同時に名乗り、また八代目以降は日本舞踊松本流の宗家でもある。 本来は市川團十郎の弟子筋にあたる家だが、二代目松本幸四郎の実の父は二代目市川團十郎であったともいわれ、その縁からか、成田屋に市川團十郎の跡継ぎがいない場合には、常にこの高麗屋から養子が入って市川宗家を継いでいる。; 初代 松本幸四郎; 二代目 松本幸四郎; 三代目 松本幸四郎; 四代目 松本幸四郎; 五代目 松本幸四郎; 六代目 松本幸四郎; 七代目 松本幸四郎; 八代目 松本幸四郎; 九代目 松本幸四郎; 十代目 松本幸四郎 Category:歌舞伎役者 Category:歌舞伎役者の名跡.

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松本幸四郎 (10代目)

十代目 松本 幸四郎(じゅうだいめ まつもと こうしろう、1973年(昭和48年)1月8日 - )は、日本の歌舞伎役者。歌舞伎名跡「松本幸四郎」の当代。屋号は高麗屋。定紋は四つ花菱、替紋は浮線蝶。 日本舞踊松本流の三世家元としての名取は松本 錦升(まつもと きんしょう)。本名は藤間 照薫(ふじま てるまさ)。.

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松本幸四郎 (5代目)

五代目 松本 幸四郎(ごだいめ まつもと こうしろう、明和元年(1764年) - 天保9年5月10日(1838年7月1日)は江戸の歌舞伎役者。屋号は高麗屋。定紋は四つ花菱、替紋は浮線蝶。俳名に錦升・金升・錦江、雅号に秋夜亭がある。江戸後期の名優で、その面立ちから俗に鼻高幸四郎(はなたか こうしろう)と呼ばれた。 父は四代目松本幸四郎。明和7年 (1770) 市川純蔵と名乗り江戸中村座で初舞台。三代目市川高麗蔵を経て享和元年11月 (1801)、父の男女川京十郎改名とともに五代目松本幸四郎を襲名。天保9年5月 (1838)、中村座出演中に倒れて死去。 はじめ立役を演じていたが実悪に転じた。鋭い目つきと高い鼻が凄みを与え、東洲斎写楽・初代歌川豊国・三代目歌川豊国の芝居絵にもその芸風が窺われる。実悪では三都随一、古今無類と最大級の賛辞を受けた。彼が舞台で見得をするとあまりの怖さに子供が泣出したと言われている。文化2年11月 (1805) 市村座『けいせい吉野鐘』では評判記『役者大極丸』に「年若なれどもお江戸の大立者、実事実悪とも兼備たるお上手故めったにのぼす事ではないわいの」と書かれている。 当り役は『菅原伝授手習鑑・寺子屋』の松王、『仮名手本忠臣蔵』の高師直、『義経千本桜』の権太。とくに『伽羅先代萩』(めいぼく せんだいはぎ)の仁木弾正(にっき だんじょう)は生涯の当り役となり、今日に至るまで彼に敬意を評して、仁木の左の眉尻にはホクロを描いたり(このホクロは五代目の顔の特徴のひとつだった)、四つ花菱や三つ銀杏の紋様が衣装の至る所にちりばめられていたりする(四つ花菱は松本幸四郎の定紋、三つ銀杏は市川染五郎の定紋)。顔のもう一つの特徴だった高い鼻は、『菅原伝授手習鑑・車引』の松王が客席ではなく舞台下手に向かって横向きに見得を切るいう独特の型になって今日に伝わっている(元は幸四郎の鼻の高さを強調した演出だったのが定着した)。 四代目鶴屋南北と組み、時代物では『時今也桔梗旗揚』(馬盥)の武智光秀のような謀反人、世話物では『東海道四谷怪談』の直助権兵衛、『謎帯一寸徳兵衛』の大島團七などの悪役を演じた。いずれも冷酷な役どころで、とくに世話物では庶民の生々しい姿を写実的に演じ新しい芸風を確立。その後の歌舞伎に大きな影響を与えた。 子に六代目松本幸四郎、養子に三代目市川壽美蔵がいる。墓所は東京都江戸川区の大雲寺。 Category:江戸時代の歌舞伎役者 Category:武蔵国の人物 Category:1764年生 Category:1838年没.

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極付幡随長兵衛

『極付幡随長兵衛』(きわめつき ばんずい ちょうべえ)は歌舞伎の演目。河竹黙阿弥作の世話物で、通称「湯殿の長兵衛」(ゆどのの ちょうべえ)。1881年(明治14年)10月東京春木座で初演。1891年(明治24年)6月、歌舞伎座で上演の際、弟子の三代目河竹新七らによって、序幕に「公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい)」が加えられるなど大幅に改訂された。現在は三幕五場の構成となっている。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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1737年

記載なし。

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1802年

記載なし。

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2008年

この項目では、国際的な視点に基づいた2008年について記載する。.

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6月27日 (旧暦)

旧暦6月27日は旧暦6月の27日目である。六曜は友引である。.

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7月26日

7月26日(しちがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から207日目(閏年では208日目)にあたり、年末まであと158日ある。誕生花はヒャクニチソウ、ヤマトナデシコ。.

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