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王振

索引 王振

王 振(おう しん、? - 1449年)は、明代の宦官。英宗の下で政治を壟断したが、土木の変の際に何者かに殺害された。

目次

  1. 25 関係: 大同府太皇太后宣徳宦官山西省中公文庫三田村泰助張家口市侍郎土木の変ウリオイラト親征誠孝皇后錦衣衛錘 (武器)蔚州 (山西省)英宗 (明)楊士奇楊栄楊溥 (明)正統 (明)河北省懐来県

  2. 1449年没
  3. 明代の宦官

大同府

大同府(だいどうふ)は、中国にかつて存在した府。遼代から民国初年にかけて、現在の山西省大同市一帯に設置された。

見る 王振と大同府

太皇太后

太皇太后(たいこうたいごう、Grand Empress Dowager)は、先々代の帝王の正妻(皇后)もしくは、当代の帝王の祖母に対して用いる尊称である。

見る 王振と太皇太后

宣徳

宣徳(せんとく)は中国、明代の元号(1426年 - 1435年)。第5代皇帝宣宗の在位中に使われた。このため宣宗は宣徳帝と呼ばれる。

見る 王振と宣徳

宦官

宦官(かんがん)とは、去勢を施した、特に完全去勢を施された官吏をいう。古代から各文化圏に存在した。特に男性ホルモンは短命に繋がりやすく特に中国の宦官については有名で完全去勢された宦官は長寿になる傾向があった。

見る 王振と宦官

山西省

山西省(さんせいしょう、中国語:山西省、拼音:Shānxī Shěng、Shanxi)は、中華人民共和国の省の一つ。省都は太原市。略称は晋。

見る 王振と山西省

中公文庫

中公文庫(ちゅうこうぶんこ)は、株式会社中央公論新社(読売新聞グループ)が発行している文庫レーベル。

見る 王振と中公文庫

三田村泰助

三田村 泰助(みたむら たいすけ、1909年(明治42年)10月9日 - 1989年(平成元年)9月23日)は、日本の歴史家(東洋史・中国史)。

見る 王振と三田村泰助

張家口市

張家口市(ちょうかこう-し、モンゴル語:、転写:Čiɣulaltu qaɣalɣa、ᡳᠮᡳᠶᠠᠩᡤᠠᠵᠠᠰᡝ、転写:imiyangga jase)は、中華人民共和国河北省北西部に位置する地級市。かつてはモンゴル諸語で万里の長城の「門」をあらわすハルガ hālga またはカルガ kālga(その元の形はkaghalga)から、カルガン(Kalgan)の名でも知られていた。『北京の北門』とも呼ばれ、北京の北を取り巻く万里の長城の主要な門「大境門」のすぐ外側に位置し、ここを制したものは北方から北京を攻める場合にも、北京を守る場合にも有利になるという。

見る 王振と張家口市

侍郎

侍郎(じろう)とは、中国の官僚制度の名称の一つ。漢代に創建され、その職務内容は変化しながらも20世紀初頭まで用いられた。

見る 王振と侍郎

土木の変

土木の変(どぼくのへん)は、1449年9月1日(正統14年8月15日)、交易の拡大を求めたオイラトの指導者エセンが明領に侵攻したのに対して、親征を行った明朝正統帝(英宗)が、土木堡(現在の河北省張家口市懐来県土木鎮)でエセンの軍勢に大敗し、正統帝自身も捕虜となった戦いを指す。中国史上でも珍しい、皇帝が野戦で捕虜になった事件として知られる。土木堡の変(どぼくほうのへん)ともいう。 明の兵部尚書于謙が果断な対処を行ったために、エセンは大勝を収めたにもかかわらず正統帝を無条件釈放せざるを得ず、この戦いは明にとっては致命的な打撃には至らなかったが、明がその後100年以上にわたりモンゴル高原の遊牧民(いわゆる「北虜」)の間断ない侵攻に悩まされる端緒となった。

見る 王振と土木の変

ウリ

ウリ (瓜) は、。

見る 王振とウリ

オイラト

オイラト(Ойрад Oirad、カルムイク語: Өөрд、中国語:瓦剌、衛拉特)は、モンゴル高原の西部から新疆の北部にかけて居住するモンゴル系民族。

見る 王振とオイラト

親征

親征(しんせい)は、本来は漢語で「ら く」こと、すなわち天子が自ら遠征に出ることを言い、一般には、皇帝、天皇、王などの君主が、自ら軍の指揮を執り戦争に出ることを広く指す。

見る 王振と親征

誠孝皇后

誠孝皇后(せいこうこうごう)は、明の洪熙帝の皇后。姓は張氏。

見る 王振と誠孝皇后

錦衣衛

錦衣衛(きんいえい)は、明朝の秘密警察・軍事組織で、禁衛軍の1つ。 明朝の洪武15年(1382年)に、儀鸞司が再編・改称されたもので、侍衛上直軍の1つとして親軍指揮使司に属し、勲戚の都督の下に南北両鎮撫司・十四所を統轄して儀仗と宮禁守護が職務とされたが、実際には特務機関としてその側面が強くなり、北鎮撫司の処理する詔獄が別称となった。東廠設置後は、その下部組織として兵刑両権を行使して安易に拷問を濫用し、恐怖政治に因り人々から恐れられた。

見る 王振と錦衣衛

錘 (武器)

錘(すい)は中国の武器で、柄の先端に金属製の球状の錘(おもり)の取り付けられた武器。瓜(か)などとも呼ばれる。他に、縄の先に錘が取り付けられた流星錘のような武器もある。

見る 王振と錘 (武器)

蔚州 (山西省)

蔚州(うつしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から民国初年にかけて、現在の山西省大同市と河北省張家口市にまたがる地域に設置された。

見る 王振と蔚州 (山西省)

英宗 (明)

英宗(えいそう)は、明の第6代、第8代皇帝。明の皇帝は一世一元の制があるため、日本では元号を冠して呼ぶのが習いであるが(永楽帝など)、英宗は第6代と第8代の重祚を行い、元号を2つ使ったため廟号で英宗と称されることが多い。ただし、元号を用いて正統帝、天順帝と呼ぶ場合もある。土木の変でモンゴルの捕虜となった。中国統一王朝の皇帝の中で唯一、野戦で捕虜となった皇帝である。

見る 王振と英宗 (明)

楊士奇

楊 士奇(よう しき、至正25年(1365年)- 正統9年3月14日(1444年4月2日))は、明初の政治家。名は寓で士奇は字。『明史』巻148に伝がある(楊栄・楊溥との合伝)。

見る 王振と楊士奇

楊栄

楊 栄(よう えい、洪武4年(1371年) - 正統5年7月2日(1440年7月30日))は、明初の政治家。字は勉仁。最初の名は楊子栄。『明史』巻148に伝がある(楊士奇・楊溥との合伝)。

見る 王振と楊栄

楊溥 (明)

楊 溥(よう ふ、洪武5年(1372年) - 正統11年7月14日(1446年8月6日))は、明初の政治家。字は弘済。『明史』巻148に伝がある(楊栄・楊士奇との合伝)。

見る 王振と楊溥 (明)

正統 (明)

正統(せいとう)は、中国、明の元号(1436年 - 1449年)。第6代皇帝英宗の在位中に使われた。このため英宗は正統帝と呼ばれることもある。ただし、英宗は後に、第8代皇帝として重祚し、年号を天順とするため、天順帝とも呼ばれる。 14年(1449年)9月:英宗はオイラトに敗北し、捕虜とされた(土木の変)。英宗の弟朱祁鈺が新帝として即位し、翌年から景泰に改元した。

見る 王振と正統 (明)

河北省

河北省(かほくしょう、中国語:河北省、拼音:Héběi Shěng、英語:Hebei)は、中華人民共和国の省の一つ。省都は石家荘市。河北の省名は、黄河の北にあることに由来する。河北省の旧称冀州から、略称は冀。

見る 王振と河北省

明(みん)は、中国の王朝である。1368年から1644年まで存在し、明朝あるいは大明とも号した。朱元璋が元を北へ逐って建国し、李自成軍による滅亡の後には、清が李自成政権(順)と明の再建を目指す南明政権を制圧して中国大陸を支配した。

見る 王振と明

懐来県

懐来県(かいらい-けん)は中華人民共和国河北省張家口市に位置する県。 鶏鳴駅郷にある鶏鳴駅は、明朝初期(またはそれ以前)に建てられた、駅伝制度に基づく駅の現存最大の例であり、1961年に全国重点文物保護単位に指定されている。

見る 王振と懐来県

参考情報

1449年没

明代の宦官