ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

李文田

索引 李文田

李文田 李 文田(り ぶんでん、Li Wentian、1834年 - 1895年)、字は畬光、号は若農または芍農。清末の官僚・歴史家。 広東省順徳出身。咸豊9年(1859年)、進士となり、翰林院編修となった。督江西学政、侍読学士を歴任し、清仏戦争が発生した1884年には彭玉麟の幕府に入って食糧補給を担当し、劉永福・馮子材らの作戦を助けた。1891年、内閣学士・礼部右侍郎に至り、しばしば上書して政務の得失を論じた。 好学で天文・地理など通暁しない学問はなかった。篆書・隷書も得意とし、俸禄の大部分を古籍と碑帖の購入にあてた。『蘭亭序』は王羲之の書ではないと論じて、物議をかもしたこともあり、また『元朝秘史』に注を付けたことでも知られる。文誠と諡された。 Category:中国の歴史学者 Category:19世紀の学者 Category:中国の能書家 Category:清代の進士 Category:清代の人物 Category:仏山出身の人物 Category:1834年生 Category:1895年没.

21 関係: 劉永福広東省彭玉麟元朝秘史王羲之碑帖篆書体翰林院隷書体順徳区馮子材蘭亭序進士清仏戦争1834年1859年1884年1891年1895年

劉永福

劉 永福(りゅう えいふく、道光17年9月11日(1837年10月10日) - 民国6年(1917年)1月9日)は、清末の軍人。字は淵亭。.

新しい!!: 李文田と劉永福 · 続きを見る »

広東省

広東省(カントンしょう、中国語:廣東省(广东省)、中国普通話拼音:Guǎngdōng Shěng、広東語拼音:gwong2 dung1 saang2、英語:Guangdong)は、中華人民共和国南部にある行政区分の一つである。隣の広西チワン族自治区と併せて「両広」と呼ばれる事もある。.

新しい!!: 李文田と広東省 · 続きを見る »

彭玉麟

彭 玉麟(ほう ぎょくりん、Peng Yulin、1816年 - 1890年)、字は雪琴は、湘軍の指揮官。 安徽省安慶出身。1832年、父に従って本籍の湖南省衡陽に戻る。太平天国軍が湖南省に進出すると団練を組織した。1853年、曽国藩が湘軍水師を創設すると、水師提督に任命され、楊岳斌とともに水軍を率いて太平天国との戦いに当たり、長江沿岸を転戦した。1861年、広東布政使に抜擢された。さらに安徽巡撫に指名され袁甲三の軍務を補佐するように命ぜられたが、水軍の指揮が専門であるからと固辞し、改めて水師提督に任ぜられた。1862年、兵部右侍郎となり、水軍を率いて南京を包囲する曽国荃を補佐した。1868年に曽国藩とともに長江水師営制を上奏し、防衛体制の策定を訴えた。翌年に郷里に戻るが、1872年から長江水師の巡閲を命じられ、毎年巡閲を行った。1883年、兵部尚書に抜擢された。清仏戦争の際には広東省の防衛に派遣されたが、病のために辞職した。死後、剛直の諡号を贈られた。 軍務の余暇によく絵画と詩文をたしなんだ。彼の詩は後に『彭剛直詩集』としてまとめられた。 Category:清代の人物 Category:安慶出身の人物 Category:1816年生 Category:1890年没.

新しい!!: 李文田と彭玉麟 · 続きを見る »

元朝秘史

『元朝秘史』(げんちょうひし)は、中世モンゴルの歴史書。『モンゴル秘史』と呼ばれることもある。チンギス・カンの一代記を中核に、その族祖伝承から後継者オゴデイの治世の途中までの歴史が記されている。作者は不明。成立年は諸説あるが、13世紀中とする見解が主流である一方、14世紀前半であるとする説得力ある仮説も存在する(後述)。.

新しい!!: 李文田と元朝秘史 · 続きを見る »

王羲之

王羲之 王 羲之(おう ぎし、、303年 - 361年)は、中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である。 曾祖父は王覧(王祥の弟)、祖父は王正、父は王曠(東晋の淮南郡太守)。子に王玄之(長男)、王凝之(次男)、王渙之(三男)、王粛之(四男)、王徽之(五男)、王操之(六男)、王献之(七男)がいる。子孫に王楨之(徽之の子)、智永らがいる。.

新しい!!: 李文田と王羲之 · 続きを見る »

碑帖

碑帖(ひじょう)とは、.

新しい!!: 李文田と碑帖 · 続きを見る »

篆書体

書体(てんしょたい)は漢字の書体の一種。「篆書」「篆文」ともいう。 広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。 公式書体としての歴史は極めて短かったが、現在でも印章などに用いられることが多く、「古代文字」に分類される書体の中では最も息が長い。.

新しい!!: 李文田と篆書体 · 続きを見る »

翰林院

翰林院(かんりんいん、満州語:bithei yamun)とは、唐の玄宗が738年(開元26年)に設けた翰林学士院がその起源で、唐中期以降、主に詔書の起草に当たった役所のことをいう。元代には国史院と統合されて、翰林国史院と呼ばれていたが、明代には旧に復した。大順では弘文館と呼ばれた。清代では、いわば皇帝直属の秘書室となり、書物の編纂、詔勅の起草などを行った。貯才の地ともいわれ、有為な人材を確保し、勉強や実務の見習をさせ、必要があるときに中央官庁や地方の要職に任命する。 学問や政治の最高の人材が揃うという共通点もあり、Academy (アカデミー)の訳語としても使われることがある。.

新しい!!: 李文田と翰林院 · 続きを見る »

隷書体

隷書体(れいしょたい)は、漢字の書体のひとつ。八分隷・八分・分書とも呼ばれる。古文に対して今文と呼ばれる。画像は『西嶽華山廟碑』(拓本、部分)。.

新しい!!: 李文田と隷書体 · 続きを見る »

順徳区

順徳区(じゅんとくく)は中華人民共和国広東省仏山市に位置する市轄区。.

新しい!!: 李文田と順徳区 · 続きを見る »

馮子材

馮子材 馮 子材(ふう しざい、Feng Zicai、1818年 - 1903年)。は、清の軍人。馮 子才とも書く。字は翠亭。広東省欽州(現在の広西チワン族自治区)出身。 初め向栄の部隊に属し太平天国軍と戦い、張国樑の部に転属され副将に昇進、鎮江に駐屯した。咸豊10年(1860年)の第二次江南大営攻略で張国樑が落命すると、その軍をとりまとめて総兵に昇進、鎮江に駐屯して6年、百余回の攻撃を受けたが、ことごとく撃退した。太平天国の平定後、広西提督として貴州省のミャオ族の反乱鎮圧の応援と呉亜忠・潘新簡の討伐にあたった。 その後引退していたが、光緒10年(1884年)に清仏戦争が発生すると両広総督張之洞により広西提督に再起用され、李秉衡・王徳榜などを率いてベトナム北部での戦いにあたった。翌11年(1885年)に広西巡撫潘鼎新の命令で友誼関(鎮南関、現在の憑祥市)へ侵攻、重火器を揃えたフランス軍に対し、矛をもって接近戦を仕掛け大勝をおさめた(鎮南関の戦い)。清仏戦争終結後は雲南提督となった。 光緒20年(1894年)に日清戦争が発生すると、江南で旧部下を集めていたが、翌21年(1895年)に下関条約が成立したため帰った。光緒26年(1900年)に義和団の乱がおこると再び兵を集めて北京に入ろうとしたが、光緒帝はその忠勇をほめて制止した。 死後、勇毅の諡号が贈られた。.

新しい!!: 李文田と馮子材 · 続きを見る »

諡(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)は、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。.

新しい!!: 李文田と諡 · 続きを見る »

蘭亭序

蘭亭序(らんていじょ)は、王羲之が書いた書道史上最も有名な書作品。.

新しい!!: 李文田と蘭亭序 · 続きを見る »

進士

明代の進士服 進士(しんし、満州語:dosikasi)とは、隋から北宋中期にかけては科挙の六科の一つ。王安石の改革で進士科以外が廃止された後は、科挙の登第者(合格者)を指し、以降の南宋から清まで続いた制度である。.

新しい!!: 李文田と進士 · 続きを見る »

清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

新しい!!: 李文田と清 · 続きを見る »

清仏戦争

清仏戦争(しんふつせんそう、、、Chiến tranh Pháp-Thanh/戰争法清、Guerre franco-chinoise)は、1883年8月と1885年4月にかけて起きた、ベトナム(越南)領有を巡るフランスと清との間の戦争。 フランスが領土領有を達成したためフランスの勝利と考えられているが、士気旺盛な黒旗軍との戦いでは軽視できない損害も被った。.

新しい!!: 李文田と清仏戦争 · 続きを見る »

1834年

記載なし。

新しい!!: 李文田と1834年 · 続きを見る »

1859年

記載なし。

新しい!!: 李文田と1859年 · 続きを見る »

1884年

記載なし。

新しい!!: 李文田と1884年 · 続きを見る »

1891年

記載なし。

新しい!!: 李文田と1891年 · 続きを見る »

1895年

記載なし。

新しい!!: 李文田と1895年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »